ADMA日本管区は、2010年5月24日、星美学園(赤羽)での扶助者聖母祭の時に正式に始まりました。1年の歩みを経て、2011年7月17日(土)に17名が入会し、入会式が行われました。
マリア様を愛する私 マリア様に愛される私
サレジオ会日本管区管区長 Fr.アルド・チプリアニ
ドン・ボスコはマリア様が望む信仰から大きな聖堂を建てました。聖堂はマリア様のご保護の印です。私たちのすべてがマリア様の奇跡の印です。それは、目に見える形でマリアをたたえ感謝することです。私たちの大きな役目として、私たちも助けてとして多くの人々に聖母を通じて大きなお恵みがあることを伝えていきましょう。
ADMAのAはイタリア語でAssociazione「会」、Dはもともとdevoti「信心」をしめす言葉でした。Dは人間につく言葉で「祈りの人」を示します。Mは「マリア様」を愛する私、AはAusiliatrice「助けて」なる聖マリアの意味になります。つまり、私はマリア様を愛する人、マリア様を愛する人に使う言葉です。だから、皆さんはADMAに集まっているのでしょう。 私もマリア様が大好きです。マリア様を愛する私、マリア様に愛される私を意識することが大切です。大きな活動をしなくても自然と伝わっていく、知られていくと思います。トリノの扶助者聖マリア大聖堂の公式雑誌の中にADMAについて2~4ページにわたって毎月情報が載せられています。写真の中で私が持っている号にはADMA担当のCameroni神父様の話が載っています。イタリアでの総会の時にお会いしましたが面白くてマリア様大好きな神父様です。「マリアと共にみ国の巡礼者」となるようにという記事があり、個人的な祈りも大切に、特にミサを。祈りは私たちの信仰の現われです。信仰は花のように、つまり、マリアのようにということです。花は水がなければ枯れてしまい、実を結ばず、育ちません。信仰が花のように育つにはどうしても祈りが必要です。祈る人であるならば自然と私たちの会が広がっていくでしょう。
私たちの会が、日本で必要とされる人々に神様の小さな道具として、いろいろなかたちで知られていく、知らせていくことが必要であると思います。
サレジオ会日本管区副管区長
ADMAアニメータ Fr.山野内倫昭マリオ
人類の歴史の中に「私は神様と出会った」と証しできる方は沢山います。特に大きな宗教派や霊性運動を始めたリーダーたちは各時代の緊急な必要を神の呼びかけとして悟りました。経済や精神的な面で相手の助けを求めている人たちのために仲間を集め、社会に向かって奉仕運動を生み出しました。
1841年6月5日にトリノで司祭として叙階されたヨハネ・ボスコは、特に最も貧しい青少年たちを新しく入れ替わっている社会の中で生きていけるように、彼らのために学校、教会、寮などを開きました。そしてドン・ボスコ自身から育てられた子供たちが徐々に成長し一番近い協力者となりました。それで彼らにこれからドン・ボスコと共に暮らし、共に生きるようにと声をかけ、1859年12月18日にサレジオ会を創立しました。
でも神から頂いた夢はサレジオ会員だけでは実現できないと分かり、3つのグループを彼の家族として設立しました。まず扶助者聖母への大聖堂が献堂された翌年の1870年4月5日に「扶助者聖マリアの会(ADMA)」を設立し、1872年に「サジアン・シスターズ(FMA)を、そして1876年に信徒の会である「サレジアニ・コオペラトーリ」を設立しました。それから現在に向かって全部で28のグループがサレジアン・ファミリー(SF)のメンバーとして認められています。
1962年から1965年にかけて行われた第二ヴァチカン公会議は全カトリック教会に新しい聖霊降臨を迎えさせました。それから全ての修道会は各会憲会則を見直し刷新しました。ですからサレジオ会に関係しているメンバーも皆その刷新の道を歩みました。
サレジアン・ファミリーの一致に力を表すために,1995年1月31日にヴィガノ総長が「交わりの憲章」(La Carta di comunione)を提出されました。特にその憲章の32条に「もっと広いサレジオ運動」に心を開くようにと呼びかけられています。それは一体何でしょう。それはまず各グループが新しい時代に向かって、自分のアイデンティティを恐れなく刷新する他のメンバーと新しい交わりを生かさないといけないとの呼びかけでした。
そしていままで呼ばれていた「扶助者聖マリアの信心会」が「扶助者聖マリアの会 (ADMA)」との名称に変わりました。どのように刷新されたかは2004年1月31日にチャーベス総長から提出されたADMAの新しい会則に紹介されています。
日本でも「扶助者聖マリアの会」をどうか早く再出発させたいという神からの呼びかけに心を開いたチプリアニ管区長の熱意に従い、2010年5月24日に星美学園(赤羽)での扶助者聖母祭の時に正式に始まりました。それから一年間の歩みを通して今日、最初の17名が入会式を迎えます。私たちがADMAを通してドン・ボスコのように「今日、神の声を聞くなら、神に心を開きましょう」。そのためにいつもマリア様の助けを求めましょう。「扶助者聖マリア、わたしたちのためにお祈り下さい。アーメン。」
サレジアン・シスターズ
Sr. 松本美恵子テレジーナ
ADMAサレジオ会日本管区は、2010年5月24日、星美学園(赤羽)での扶助者聖母祭の時に正式に始まりました。聖母の眼差しのもと、1年の歩みを経て、2011年7月17日(土)に入会式を迎える恵みに導かれました。
「すべてが聖母からはじまった」とのドン・ボスコのことばがADMA1年の歩みの全てを物語っています。
2009年はサレジオ会創立150周年の記念すべき年でした。この年の6月に管区長チプリアニ神父様はローマ本部で行われました新管区長研修会に参加なさいました。すべてがマリア様のお導きであるとの強い想いの基、かつてチマッティ神父様の時代にあった扶助者聖マリアの信心会ADMAを、日本でも再スタート出来たらと、総長様とお話になりました。そこで、総長様からの励ましと、サレジアン・ファミリーの事業、教会の中でADMAを発足するようにとのお勧めをお受けになりました。
聖母を眺め、聖母を知り、聖母を愛することによって、キリスト者はもっともっと聖母に倣う者となり、信仰を生きる最も優しい道を歩むようになります。との、管区長様の聖母への篤い熱意を受け、2010年2月27日(土)、ADMA担当:副管区長 山野内倫昭マリオ神父様(当時はサレジオ神学院・院長兼任)のもとにサレジアン・シスターズの私と、志を同じくする7名の女性信徒(調布教会4名、麹町教会2名、つくば教会1名)が、調布神学院で最初の集いをもちました。神父様からADMAの由来、ドン・ボスコと扶助者聖母(Maria Ausiliatrice)との関わり、扶助者聖マリアの会ADMAの目的は「ご聖体と扶助者聖マリアへの信心と崇敬を促進する」ための信徒の霊性の会であるとの詳細にわたる丁寧な説明を伺いました。前もって配布されたADMAの設立と扶助者聖マリアの会の資料をもとに分かち合い、ADMAのメンバーになるためにはどのようなことが求められるのか具体的な示唆を受けました。伝統的な信心業を大切にし、刷新しながら強化し、みんなの声を、奥からささやく声を聞き合い、1年かけてゆっくり検討していき、聖母と共に祈り、分かち合い、聖母と共に歩んでいきたいとの希望と熱意を各自いだきました。集いの最後にマリオ神父様から「扶助者聖母の祝福」をうけ、7名でスタートいたしました私たちのADMAは、聖霊に照らされ、扶助聖マリアに導かれて、1年後の現在は21名のメンバーとなりました。毎月一度の集いは、共に祈る扶助者聖マリアの記念ミサからはじまります。毎回のマリオ神父様の深い霊的講話は心に響き、希望をもたらし、日々の霊性を生きる信仰生活への活力となっています。グループごとの真摯な信仰の分かち合いは、互いの信頼関係を深め、共に祈り、共に歩む絆をしっかりと結びあわせて、ADMAファミリーと呼び合う信仰共同体を構築いたす運びとなりました。ADMAの役員も会長、副会長、財務、秘書、評議員とメンバーの諮問を経て、チプリアニ管区長様、アニメータのマリオ神父様、Sr.松本の合議を経て発表され、ADMA本来の信徒の会への歩みへと、さらなる一歩を迎えます。
ここに至るまでのチプリアニ管区長様の扶助者聖マリアへの情熱と暖かなご支援、ADMAアニメータ山野内倫昭マリオ神父様のADMAファミリー一人ひとりへの信頼と慈愛あふれるご指導に、深く感謝申し上げたく存じます。
聖母と共に、聖母の温かな眼差しで、祈りを待っている方々と連帯し、イエスへ至る真の希望、神の救いを家庭、教会、社会、職場、若者に広げていけますように。