Japan ADMA Pentecost -18 new multicultural members promise

5月27日、聖霊降臨祭日の前日にカトリック本庄教会で18人が「聖母マリアを愛し、聖母マリアを知らせ、聖母マリアを愛させる」決意を表明し、ADMA(扶助者聖マリアの会)に入会しました。
聖霊の働きを感じさせる雰囲気と実りがありまして、それは入会者の話す言語が様々です。日本語(日本人)、ポルトガル語(ブラジル人)、スペイン語(ペルー人&ボリビア人)です。皆さんは四方から集まっていました。遠い方は岐阜、千葉と神奈川、その他は三島、所沢、加須、大泉、太田、伊勢崎、本庄です。
ADMAのメンバーは毎日ズームロでザリオに参加しています。ADMAの会員ではなくてもこの祈りの会に参加します。毎晩60人程度で心を一つにし、自分のため、人のために祈ります。

プログラム:
14時から16時までコメント、ロザリオの祈り、歌、ゆるしの秘跡。
16時からミサ。その後、お祝い。
東京都浜松からのADMAメンバーも数人来ました。喜びに満ち溢れた集いでした。感謝のうちに。P.Angel

Japan ADMA is growing with well animated zoom prayer sessions
On the Eve of the Pentecost Sunday, on 27th May 2023, at Honjo Church in Saitama Province (Tokyo metropolitan area), 18 new members made their promise as ADMA (Association of Mary Help of Christians. They are of different nationalities (Japanese, Brazilian, Peruvian and Bolivian) and went from many different cities and locations, like Gifu, Chiba, Tsuzuki, Mishima, Oizumi, Ota, Isesaki, Kazo, Yorii and Tokorozawa. On this festive occasion participated also ADMA members from Tokyo and Hamamatsu city.

These members have been maturing their vocation to ADMA through the daily prayer of the rosary by ‘zooming’ in and out. Every evening we gather for the Rosary prayer together with other non-ADMA members. All together we are about 60 people, made of different nationalities. The prayer language depends on who is praying (Japanese, Portuguese, Spanish, English, Korean, French, Latin, Croatian or Congolese dialect).

Every day, as a Goodnight, the spiritual animator comments on a biblical text of that day or on a significant event. Once a week he shares on the Sunday readings. On Wednesdays this spiritual talk is in Japanese and on Saturdays in Spanish and Portuguese.

Thanks to the enthusiasm and contagious joy of the ADMA members, there are other ‘zoom people’ who have shown interest in ADMA and are in formation.

We thank Mary Help of Christians for this joyful day.

Sancta Maria Auxilium Christianorum

扶助者聖母マリア


キリストの民は、聖マリアの実際的な助けを幾度となく体験してきました。人々が困難な状態から解放されるために、神に救いを願った時、乙女マリアは自分の人生を神に差し出し、キリストがこの世に来ました。
キリストがこの世を去った後に、おびえる弟子達を励まし続けたのは、母マリアでした。マリアがこの世を去った後、人々は聖母マリアに取次ぎを求めて祈る習慣が生まれました。
教会の存続の危機にあった時には、あの最初の教会を励まし続けたマリアを思い起こし、マリアへ祈ることが多かったようです。
時を経て、聖母マリアの呼び名が神の母、「キリスト信者の助け」という呼び名になっていきます。
1814年、教皇ピオ7世はナポレオンと激しく対立して幽閉されてしまいます。教会存続の危難と考え、多くの人がマリアに祈ったそうです。その結果、5月24日に、幽閉先から解放されてローマに戻ることが出来ました。
この出来事がヨーロッパ諸国に大きな影響を与えることになり、教会は5月24日を「扶助者聖母マリア」の祝日に制定しました。
 この称号を持つマリア像は、頭に王冠をかぶり、右手に権威を示す王笏を持ち、左胸あたりに幼子イエスを抱き、青い長いマントを着た姿をしています。
「扶助者聖母マリア」へ祈る習慣をドン・ボスコは母から教えられ、終生続けていき、その習慣は後継者たちに引き継がれていきました。
9歳の時の夢に出て来たマリアは、このマリアでした。また子供の世話をしていた母マルゲリータが世を去った後、子供の安全と健康を委ねたのも「扶助者聖母マリア」です。 
そのため「扶助者聖母マリア」は、サレジアンファミリーの第一の保護者としています。
カトリック下井草教会HPより

9 ý nghĩa về Bức tranh Đức Mẹ Phù hộ các Giáo hữu

1-Bức tranh hiện tại được nhìn thấy ở Vương cung Thánh đường Tôrinô là một cải biến mà Don Bosco đã thực hiện theo ý tưởng ban đầu của ngài về bức tranh, bởi lẽ bức tranh đầu tiên lớn hơn vì Don Bosco muốn bao gồm, ngoài những gì chúng ta đã quan sát: các vị tử đạo, các ngôn sứ, các trinh nữ và các dân tộc ở các vùng khác nhau trên thế giới.

2-Họa sĩ Andrés Lorenzone, người đã vẽ theo hướng dẫn của Don Bosco, luôn khẳng định rằng khuôn mặt của Đức Mẹ Phù hộ các Giáo hữu và Chúa Hài Đồng không phải do ông vẽ; đó là một bàn tay vô hình đang hướng dẫn ông.

3-Không ai trong số 4 thánh sử đang viết; mọi người đang ngưỡng mộ Đức Maria Phù hộ các Giáo hữu.

4-Thánh Phaolô là người duy nhất không quan sát Đức Mẹ Phù hộ các Giáo hữu; ngài đang nhìn những người sùng mộ đến chiêm ngưỡng bức tranh.

5-Mỗi người trong số các tông đồ đều mang trong tay huy hiệu của bảy sự thương khó của Mẹ, ngoại trừ Thánh Phêrô và Thánh Phaolô.

6-Thánh Gioan cầm chén trong tay, nhớ rằng ngài là người duy nhất có mặt tại thời điểm Chúa Giêsu bị đóng đinh.

7-Thánh Phaolô là người duy nhất chỉ đến Đức Mẹ Phù hộ các Giáo hữu, như thể mời gọi tất cả những ai quan sát bức tranh chăm chú vào Đức Trinh nữ.

8-Ở phần dưới của bức tranh, chúng ta có thể thấy Vương cung Thánh đường Đức Mẹ Phù hộ các Giáo hữu và Nguyện xá Tôrinô, vì Don Bosco luôn nói rằng Mẹ là người bảo vệ người trẻ.

9-Trong bức tranh Đức Mẹ Phù hộ các Giáo hữu, Don Bosco muốn miêu tả cho nhiều lời cầu khẩn và tước hiệu được ban cho Đức Trinh Nữ Maria:

– Đức Mẹ Vô Nhiễm Nguyên Tội, được Don Bosco miêu tả bằng cách đặt Đức Mẹ Phù Hộ các Giáo hữu đứng ở trung tâm của bức tranh.

– Đức Mẹ Maria Hồn Xác Lên Trời , được miêu tả bởi đám mây hỗ trợ Đức Mẹ Maria Phù hộ các Giáo hữu trên tất cả và các tia chiếu xuống từ mắt của Thiên Chúa, ở trên cùng của bức tranh.

– Đức Mẹ núi Cát Minh, bằng cách đặt ngôi sao trên vương miện trên đầu của Đức Mẹ Phù hộ các Giáo hữu, như một biểu tượng của Stella Maris, tức là Sao Biển hướng dẫn các thủy thủ, tất cả chúng ta, đến bến bờ chắc chắn là Chúa Giêsu.

– Mẹ Thiên Chúa, vì Mẹ bồng ẵm Chúa Giêsu Hài Đồng trên tay.

– Nữ Vương các Tông Đồ, chính Mẹ ở giữa họ và tất cả họ đang nhìn Mẹ một cách ngây ngất.

– Nữ Vương các Thiên Thần, vì tất cả các thiên thần xung quanh Mẹ quan sát Mẹ đều ngưỡng mộ vẻ đẹp của Mẹ.

– Nữ Vương các Thánh Sử, vì họ đã ngừng viết để chiêm ngắm Mẹ Thiên Chúa.

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ
「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」

第九日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

聖マリア、臨終の時の女性
私たちは、自分の人生が何年続くかわかりません。私たちは、何年生きてきたかは知っています。しかし、地上で最後の時を迎えるときを私たちは知りません。この事を恐れているのです。聖マリアは臨終の時の女性です。彼女は、私たちの人生のあらゆる瞬間に共にいてくださいます。私たちはいつも、私たちの最後の時に、彼女が私たちとともにいて、サレジオの庭と私たちの父なる神の御座に同行するよう祈っています。

“今も死を迎える時も”。この祈りには大きな感動があります。この一見単純な祈りは、神の母であり私たちの母である聖母に語りかけることができるため、それ自体が人生の神秘全体を凝縮しているようです。私たちは、罪人である私たちのために祈ってくださること以外に、聖母に求めることはありません。(2023年総長)

祈願
先唱:病人、特に死において神と出会う準備をする人のために祈ります。
全員:聖マリアよ、私たちはあなたの執り成しを求め、私たちが死を迎える時に備えることができるように祈ってください。
(短い沈黙、個人的の祈り)。

聖マリアへの委託
キリスト者の助けである聖マリアよ、死を迎える時の女性であるあなたに私たちは身を委ねます。私たちの臨終の時に希望をもって死を迎えることができるよう、私たちのそばに立っていてください。アーメン。(アヴェ・マリアの祈り)

結びの歌(聖母)

最終的な祈り
(9日目に)

慈悲深い、全能の神よ、あなたは、私たちの永遠の助けであり、保護者である聖母マリアをすべてのキリスト者にお与えになりました。あなたは、御子の名において集まり、母としての執り成しを求める人々の祈りに耳を傾けると約束されました。私たちは、希望に満ちた心で、あなたの意志に常に心を開き、私たちの多くの意向をあなたに伝えました。私たちが、今日の世界に生命をもたらすパン種のように、あなたの愛のしるしとなり、すべての人に伝える者となることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

先唱:キリスト者の助けでなる聖マリア。
全員:私たちのためにお祈りください。

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ
「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」

第八日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

聖マリア、古今東西の女性
私たちは簡単に無関心になってしまいます。自己中心な世界に閉じこもり、周りの人々や出来事との接点を失ってしまうのです。聖マリアはいつの時代も愛される女性です。彼女は決して流行遅れになることはありません。彼女は私たち、つまり自分の子どもたちを決して見捨てません。彼女はいつも私たちを助ける準備ができていて、喜んで助けてくれたのです。

私たちは現代の世界に生きる聖マリアを想像してみたいと思います。私たちと同じように現代の服を着て生活し、同じように働き、目の前の駐車場に車を停めている女性です。あらゆる年齢層の人が親しみを感じることができる女性です。(2023年総長)

祈願
先唱:愛する子ども達と連絡が取れなくなってしまった親や教育者のために祈ります。
全員:聖マリアよ、私たちはあなたの執り成しを求め祈ります。私たちが常に若い人たちの中に存在することができますよう。
(短い沈黙、個人的の祈り)

聖マリアへの委託
聖マリア、キリスト者の助け、あらゆる時代の女性よ、私たちはあなたに身を委ねます。私たちのそばに来て、日々の会話に加わり、私たちの声に耳を傾けてください。私たちの人生の浮き沈みの中で私たちを導いてください。私たちの苦しみを慰め、喜びの中で励ましてください。アーメン。(アヴェ・マリアの祈り)

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ
「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」

第七日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

沈黙の女性
私たちはすぐに心を騒がせてしまいます。黙ってじっとしていることが難しいのです。私たちは話し、叫びます。動き回って、他の人の邪魔をします。マリアは沈黙の女性であり、神のことばに耳を傾けていました。マリアは今も沈黙を守り、私たちの祈りに耳を傾けています。
キリストは、隠された神秘です。密かに沈黙に包まれています。永遠の胎内にいる神のことばは、沈黙に包まれていました。歴史の胎内に入った彼は、それ以外の包みを持つことができなかったのです。聖マリアは彼に自らを捧げたのです。(2023年総長)

祈願
先唱:神への渇きを癒すために、沈黙と祈りに入ろうと努力する人々のために祈ります。
全員:聖マリアよ、あなたの執り成しをお願いし、私たちの祈りの模範を通して他の人々に教えられるように祈ります。
(短い沈黙、個人の祈り)

聖マリアへの委託
キリスト者の助け、沈黙の方、聖マリアよ、沈黙の中でこそ、私たちは神と出会うことができるのです。私たちはあなたに身をゆだねます。私たちを良い知らせに耳を貸さなくなるような、偽りの知らせから私たちを守ってください。私たちが神の慰めの言葉に耳を傾けることができるよう、沈黙と静寂を保つことを教えてください。(アヴェ・マリアの祈り)

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ
「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」

第六日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

勇気のある女性
私たちは、勇気をもって強くありたいと思いながら、葛藤や試練に直面すると臆病になり、多くの恐怖と涙の下に倒れてしまうのです。マリアは不当に非難され、残酷な拷問を受け、無慈悲にも十字架に釘付けにされたイエスの母親でした。マリアは、御子のために、そして彼女の息子や娘である私たちすべてのために、勇気ある強い女性であり続けました。

イエスの母である聖マリアは、その驚くべき精神の強さによって、いつの時代も母親の勇気の象徴とされてきました。彼女もまた、その生涯において多くの恐怖に直面しました。私たちは、恐怖に立ち向かう全ての人に力を与え、拠り所となってくださる「恐れる者の母」の聖堂を建てるべきです。(2023年総長)。

祈願
先唱:危険な状況にある労働者、戦争のさなかにある兵士のために祈ります。
全員:聖マリアよ、私たちはあなたの執り成しを求めます。私たちが弱者の間で勇気の担い手となりますように。
(短い沈黙、個人の祈り)

聖マリアへの委託
キリスト者の助け、勇気の方、聖マリアよ、私たちはあなたに身を委ねます。
十字架のもとで、あなたは地上のすべての母親の苦しみを担ってくださいました。あなたの力を私たちに貸してください。アーメン。(アヴェ・マリアの祈り)

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ
「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」

第五日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

マリア、貧しい女性
私たちは、金持ちの生活を味わったことがありません。その代わりに、私たちは十分な食べ物がなく、ポケットにお金が入っていない日々を過ごすこともありません。明日への不安と支払わなければならない請求書のある日々。聖マリアはいつも貧しい人、恵まれない人、見捨てられた人の味方でした。彼女は躊躇することなく彼らのために立ち上がり、愛を持って彼らに手を差し伸べたのです。

聖マリアは中立ではありませんでした。彼女は貧しい者、屈辱を受けた者、差別された者の味方をしたのです。歴史の目には何の役にも立たなかったすべての人々の味方でした。彼女は神の憐れみを高く評価し、卑しい者を守り、高慢な者を散らし、飢えた者を良いもので満たす至高者の力を明らかにしました。(2023年総長)

祈願
先唱:私たちは、特にサレジオ家族の中で、貧しい人々のために生涯を捧げる信徒のために祈ります。
全員:聖マリアよ、私たちはあなたの執り成しを求めます。私たちが貧しい人々の側に立つことをためらいませんように。
(短い沈黙、個人の祈り)

聖マリアへの委託
聖マリア、キリスト者の助け、貧しい者と共にいる方、私たちはあなたに私たちを委ねます。私たちは貧しいですが、あなたの御子イエスの福音によって貧しい人々を立ち上げてくださる私たちの父なる神のもとに私たちを導いてくださいます。アーメン。(アヴェ・マリアの祈り)

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ
「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」

第四日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

マリア、愛する女性
私たちは愛するために生まれ、愛し愛されることを切望する心を持っています。しかし、しばしば私たちは偽りの愛に屈し、つかの間の快楽や罪深い関係に走ります。聖マリアは純粋な愛に愛する女性です。情熱と喜びをもって、彼女は生涯を愛である神に捧げました。
「ある晩、ヨセフという青年が勇気を出して、ついに宣言しました『マリア、私はあなたを愛しています』。マリアは彼に答えました 『私もです』。彼女の目には、大空のすべての星が映っていました。(2023年総長)

祈願
先唱:愛し、愛されることを切望しながらも、しばしば混乱し、惑わされている若者のために祈ります。
全員:聖マリアよ、私たちはあなたの執り成しを求め、私たちの共同体に真の愛をもたらすことができますように。
(短い沈黙、個人の祈り)

聖マリアへの委託
キリスト者の助けである聖マリア、愛する方よ、あなたは、ナザレの家でイエスに愛を教えました。私たちはあなたに身を委ねます。私たちを悪から守り、御子イエスを身近に置き、私たちと共に愛の道を歩むことができますように。アーメン。(アヴェ・マリアの祈り)

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ
「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」

第三日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

マリア、口数の少ない女性
私たちは、華やかでありたい。私たちは、人々を魅了したいのです。私たちは、雪崩のように言葉を並べ、最も複雑な文章でコミュニケーションをとりますが、それはしばしば真実を隠すため、あるいは何も言わないためです。マリアは平凡な女性であり、言葉少ない女性でした。しかし、彼女は本物でした。彼女の言葉は短く、シンプルで、誠実だったのです。

「“口数の少ない女性 ”であったのは、マリアがくどい表現を用いなかったからです。神の意志に身を委ねる言葉である「はい」、「アーメン」「そうしてください」と同じように、彼女は「すぐに」答えました。(2023年総長)

祈願
先唱:私たちは、痛みを伴う言葉や有害な噂話のために引き裂かれ、危機に瀕している家族のために祈ります。
全員:聖マリアよ、私たちはあなたの執り成しを求めます。私たちの言葉が誠実で本物でありますように。
(短い沈黙、個人の祈り)

聖マリアへの委託
キリスト者の助けである聖マリアよ、口数の少ない女性であるあなたに、私たちは自分自身を委ねます。私たちは、フェイクニュースや大胆な発言に満ちた世界、嘘つきや欺く者たちの中に生きています。私たちは何が真実かを見分け、地域や社会で真実を守ることができるように助けてください。アーメン。(アヴェ・マリアの祈り)

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ

「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」

第二日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

マリア、日常生活の女性
私たちは毎朝目覚めて、新しい一日を迎えます。ある日は喜びと笑いに満ち溢れ、 痛みや苦しみを伴う日もあります。聖マリアは、信仰と愛をもって、新しい一日を迎えました。彼女は平凡な(普通の)女性でしたが、神への大きな愛のために、毎日を特別なものにしました。

「聖マリアの人生は、歓喜と神の交わりの瞬間だけでなく、あらゆる人に共通する日々の苦難や問題にも特徴づけられていました。にもかかわらず、聖マリアは普通の生活を送っていました。しかし、聖マリアは日々の苦労に負けることはありませんでした。彼女は他の人々の必要性に立ち会い、気を配り、家族の心配と祈りに専念していました。」(2023年総長)

祈願
先唱:日常生活が困難や不安でいっぱいの家族のために祈ります。
全員:聖マリア様よ、あなたの執り成しをお願いし、私たちが穏やかで平和な毎日を送ることができますように。(短い沈黙、個人の祈り)

聖マリアへの委託
キリスト者の助け、日常生活の女性であるマリアよ、あなたは後光がなくても美しく見えます。私たちの毎日のすべての考え、言葉、行動が神に喜ばれるものとなれるように、私たちを委ねます。アーメン。(アヴェ・マリアの祈り)

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2023年のストレンナに沿った扶助者聖母のノベナ
「ドン・ボスコの家族として 社会のよきパン種となろう」



第一日

初めの祈り
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

全員:
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。
扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

マリア、パンの女性
私たちが生き、成長するためには食べ物が必要です。お米でも、サツマイモでも、パンでも。お腹を満たし、栄養を補給するために食べるのです。マリアはパンの女性です。彼女はナザレの家族のためにパンを焼きました。そして何よりも、パンを取り、それを裂き、私たちの救いのために与えてくださった命のパン、救い主イエスをこの世に誕生させてくださったのです。

「イエスの誕生の夜、マリアは飼い葉桶をあたかも祭壇の上のかごのように使い、最後の晩餐でイエスが、自分自身をいけにえとして捧げられた自分の体を取って食べるよう皆を招く仕草を予言します。」(2023年総長)

祈願
先唱:私たちは、貧しい人々や飢えた人々、栄養不足の子どもたち、戦争で荒廃した地域の家族のために祈ります。
全員: 聖マリアよ、私たちはあなたの執り成しを求め、私たちが貧しい人々に手を差し伸べる勇気を持つことができるように。
(短い沈黙、個人の祈り)

聖マリアへの委託
キリスト者の助け、パンの女性である聖マリアよ、私たちはあなたに身を委ねます。
命のパンであるイエスに私たちを近づけてください。食卓に十分な食べ物がない貧しい人々の叫びに敏感であるように助けてください。アーメン。(アヴェ・マリアの祈り)

Care of creation our mission

“被造物への配慮、私たちの使命”、ミッションとインテグラル・エコロジー:これは、宣教部門と青少年司牧部門の協力によって生まれた2023年サレジオ・宣教の日のテーマです。



この冊子では、インテグラル・エコロジーという広大なテーマをさまざまな角度から考察し、その道筋を示すサレジオの考察から出発して、多くの興味深い洞察を見つけることができます。教会の豊かさの明確な例である各寄稿の前には、教皇フランシスコの『Laudato si’』からの引用が付されています。
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Ad Gentes Mission

全ての民に福音を宣べ伝える「Ad Gentes Mission」は、よく使われる表現です。しかし、実際、何を意味するのでしょうか。それは、ただ宣教ボランティアになったり、宣教を体験したり、資金集めなど宣教のための活動をすることにとどまりません。ラテン語の「missio」に由来する「mission」は、「遣わす行為」を意味します。他方、「Ad Gentes」は、「人々に向かう」動きを表します。

特にイエス・キリストを知らない人、あるいはかつて知っていたけれど現在はキリストへの信仰を捨てている人に向かう動きです。したがって、Ad Gentes Missionは、「キリストをまだ信じていない人々や団体の中に福音をのべ伝え、教会そのものを植えつける務め」(第二バチカン公会議文書「教会の宣教活動に関する教令」AG, n. 6)です。
今日、「全ての民に福音を宣べ伝える」ことは、アフリカであろうと、ヨーロッパであろうと、森林地帯あるいは都会の真ん中であろうと、福音を告げる必要のあるところであれば、どこでも行われるのです。同じように、「宣教活動はすべてのキリスト者、すべての教区と小教区、教会の施設や団体にかかわることがらであるという、新しい自覚があります」(ヨハネ・パウロ二世回勅『救い主の使命』RM2)。

● 使徒言行録には、Ad Gentes Missonのいくつか重要な要素が見られます。それは今日も、私たちの導きとなるものです:
● ダマスコに向かう道でイエス・キリストと出会ったことは、サウロを根底から生まれ変わらせまた。キリストは、必ずAd Gentes Missionの出発点であり、目的です。キリストのため、キリストのことを、キリストによって宣べ伝えるのです。
● アテネのアレオパゴスでの演説で、聖パウロは死者の復活や救いといった概念を紹介しました。実に、第一次福音宣教は、Ad Gentes Missionと密接に結ばれ、またその土台であるのです。
● キリストをあかしすることが、初代キリスト者共同体の中心的な活動でした。真実なキリスト者としての良いわざ、また縛るもの、神から引き離すものから、貧しい人、疎外された人を解放する手段の積極的な探求が、Ad Gentes Missionには必ず伴います。
● フィリポの活動は聖霊に駆り立てられたものでした(使徒言行録8章26, 29, 39節)。私たちが到着する以前に、諸文化、さまざまな信仰、人々の心に働きかけておられるのは聖霊です。
聖霊はAd Gentes Missionを方向づけ、触発し、前進させます(『救い主の使命』RM 21)。
● 聖霊降臨は、高間での祈りの結実として起きた出来事でした。奇跡や癒しも、祈りを通して起こりました。実に、私たちがAd Gentes Missionに献身する動機、力、知恵、愛を見いだすのは、祈りを通してなのです。 ■ アルフレッド・マラヴィジャ神父, SDB

Evangelical Poverty

2023年の宣教の日の小冊よりP.35-37

福音的清貧

「このような節制は、自由で意識的な生き方であれば、解放されます。それは、劣った人生でも、強度の低い生き方でもありません。それどころか、人生を最大限に楽しむための方法なのです。実際、一瞬一瞬をより楽しく、よりよく生きることができるのは、あちこちに手を出して、いつも自分にないものを探している人たちなのです。幸せとは、自分を低くし、欲求を減らす方法を知り、人生が提供しうるさまざまな可能性に心を開くことです。(L.S.223)

貧困とは、お金、食べ物、住居、その他の基本的なニーズがないことを指すことが多いです。しかし、福音的な清貧について語るとき、私たちは無償の自己提供を意味します。利益、利己的な計算、他者、自分自身、または物事に対する搾取と操作の絶え間ない誘惑に打ち勝って、自分を与え共有することです。むしろ、自己を伝えること、手を差し伸べること、愛することに、自分の幸せ、喜び、平安を見出すのです。そのような徳は、私たちはしばしば経済的に弱い人々にこそ見出すことができます。彼らは自分たちの持っているものを、自分たちの間でも客人にも喜んで、自発的に分け与え、さらに、分け与えられることを喜び、光栄に思っています。世界では、貧困の発祥地はまずアフリカだと考えられています。私たちが生まれながらにして貧しいというのは事実ではありません。生まれながらにして詩人になることは可能です。弁護士や技術者、聖職者になるには、長く厳しい勉強のカリキュラムをこなし、何年もかけて疲労を蓄積し、必要な練習や訓練を積んだ後になるように、清貧に生きるのに、日々の実践によって得るしかないのです。清貧は、それ自体がキャリアであり、実のところ、最も複雑なものの1つであると言えるでしょう。主イエスがこの実践を直接自分のものにしようと決心したほどでした。

サレジオの清貧の福音的意義は、ナザレのイエスが富んでおられたにもかかわらず、自ら貧しくなられました。自発的な清貧を受け入れることは、神によって修道者として召された者の価値となるのです。なぜ私たちは清貧の生活を選ぶのでしょうか?それは、イエスが自ら望んで貧しくなり、貧しさを人生の伴侶として選び、自分に託された使命を遂行するために簡素な生活様式を用いたからです。なぜなら、イエスはそれを実践し、人間に対する神の愛を明らかにする道具とされたからです。サレジオは、キリストの福音を実現するために、このような生き方を選択するのです。サレジオ会の会憲の条項の一つは、「私たちは、貧しい状態で生まれ、赤貧の一生を送り、十字架のうえでは衣服をはぎ取られて死んだ救い主 に従う道を選ぶ」と述べています(C72)。この単純な生活スタイルは、額に汗して生活するアフリカの人々の中に見られます。彼らは、わずかな生活費に喜びと満足を表現します。サレジオ会は、ドン・ボスコから受け継いだシンプルな生活スタイルで、私たちの貧しさの福音的価値を証ししています。最も興味深いことの一つは、彼らが生活している環境と彼らを取り巻く人々に対する感受性です。

サレジオの清貧の証しは、自由に使える現世の財を分かち合うことで示されます。世俗的な所有物から切り離された生活を送ったドン・ボスコの生き方に倣い、サレジオ会員は、若者と全人類への奉仕に満ちた彼の単純な生活を模倣するのです。私たちは、神の摂理と篤志家の寛大さに頼ることを学びます。したがって、サレジオ会員は母なる地球に貢献するために、労働と節制の生活に身を投じているのです。

フランシスコ教皇の回勅『ラウダート・シ』における緊急の呼びかけに応え、サレジオ会員は自分たちの置かれた環境を大切にすることに取り組んでいます。サレジオの環境に入れば、私たちの共通の家を大切にするという聖なる父の呼びかけに対する積極的な反応をすぐに見ることができます。仕事、仕事、仕事は、ドン・ボスコの息子たちの特徴の一つです。それは、私たちが立ち止まって、恩人や後援者からもたらされる多くのものに感謝し、人生から与えられる機会に感謝し、特に貧しい若者と連帯することを可能にするシンプルさへの回帰なのです。社会の成長に貢献するために、ガーナのサレジオ会、特に修練院共同体は、サレジオ会員になることを目指す若い修練生たちの持続可能性と形成に役立つ農業プロジェクトに取り組んでいます。このプロジェクトには、様々な家畜を飼う動物農場、作物栽培、野菜栽培、蜂の飼育、魚の飼育など、多くのものが含まれています。これは、単なる消費者になるのではなく、「プロシューマー(生産者)」になることを意図しているのです。

貧しい人々との連帯のために、この地域のサレジオ会は、貧しい若者たちがドン・ボスコの心に従って良きキリスト者、誠実な市民になるのを助けるために、世界中を回り、招きや資金調達にエネルギーを惜しみません。分かち合いの精神は、私たちが自分の持っているものから霊的に離れ、自分の足りないものを悲しむことがないように助けてくれます。このことは、支配のダイナミズムや単なる快楽の蓄積を避けることを意味します。必要なものだけを手に入れるということです。修練生にこのような生活の質素さと周囲の人々との連帯を示すために、修練院共同体は時折、道路建設に乗り出し、これは我々の貧しさと母なる大地への配慮を表現するものです。ドン・ボスコが推奨する節制は、サレジオが浪費を避けるのに役立ちます。自分の容量に見合った食事、適度な飲酒、シンプルな服装、派手な車や高価で不要な道具を使わないこと、ミッションに必要なもの以外は使わないことなどがその例です。このようにして、私たちは周りの貧しい人たちとの連帯を示すのです。

結論として、私たちの福音的な清貧は、人々の互いへの愛、そしてすべての被造物への愛の実りであり現れであるとき、肯定的なものとなります。それは、謙遜、簡素、離脱、すべての人との連帯と友愛、最も貧しい人々から始まり、もてなし、「貧しい人々のための選択肢」、「正義の促進」、あらゆる形態の搾取、ブルジョア(資本家)化および消費主義を克服するカリスマとして現れます。それゆえ、喜びと平和と調和のうちに生きるために、私たちの共通の家を大切にするという教皇の招きを歓迎しようではありませんか。
ダミアン・タイウォ・アキンテミ師 SDB

ZOOM ADMA JAPAN

バルティマイの集い “失明から光へ共に歩む”



コロナ禍の約3年間、私達は教会へ出向くことの難しい日々を過ごしてきました。 日本管区ADMAのアニメーター ・アンヘル山野内神父様は、飢え乾いている信者の心情を いち早く汲み取り、zoom ロザリオを立ち上げてくださいました。 
人々の叫びである意向を受け、毎日休むことなくロザリオの祈りは続けられています。 
毎回6~70人の多国籍の人達が、5言語:日本語、ポルトガル語、スペイン語、韓国語、英語で ロザリオを唱えます。そして神父様より その日の聖書の読み解きがあります。 
時には、フランス・クロアチア、ペルー、アルゼンチンなどからの参加もあり、Zoomだからこその 豊かな祈りの場となっています。コロナ禍を超えた恵みの時を過ごして来ました。 

ZOOM ADMA 黙想会・・バルトロマイの集い 
昨年に続き、ZOOM ADMAの集いがアンヘル神父様の本庄教会において開かれました。。 ADMAメンバーに限らず、毎日祈りを共にしているZOOMロザリオの仲間も加わり、100人を超える参加者で賑わいました。画面を通して集っている私達にとってこの対面の出会いは大変な感激と感動の時した! 

黙想会は眼の見えないバルトマイの箇所でした、イエスに必死で声を上げたバルトマイは、イエスに癒され、それまで羽織っていたマントを捨ててイエスに従いました。黙想会の中では、今私は何を捨てる必要があるのかを紙に書き、用意されていたマントに捨てる作業がありました。幾重にも着込んでいる身には、はぎ取る作業は,中々大変な事でした。 

次に、イエスに差し出す者ものは?紙に書いてミサで奉納されますから、決心のいることでした。ミサにおいて派遣された私達は、イエスと共に歩むためのサンダルを手元にいただき、自分の生活の場で履くことになりました。祈って満足して終わらないためにも。 

黙想会午後の部ではブラジル国籍の人のバルティマイ的あかしがありました。パチンコ依存の苦しい、すさんだ生活から今は教会委員長として、素晴らしい奉仕生活に転回している姿が感動的に証言されました。そしてグループに分かれてのシノダリティ的分かち合いはそれぞれの課題と向き合い、新たな希望を持って、自分の生活の場へと歩むことになりました。

ZOOMの仲間は広域に散らばっています。黙想会後にはADMAに入りたいとの問い合わせも多く寄せられています。ADMA会員にとどまらず、共に毎晩祈っている人達にも養成が準備されています。 

ADMAの霊性がより豊かな信仰生活を培い、ドンボスコのカリスマに生かされて行く事でしょう。 



シノドス的回心のプロセス

場所:カトリック本庄教会
時期:2023年3月 25日
参加:(120名)ズームロザリオ(岐阜、浜松、三島、鷺沼、東京、千葉、浦和、春日部、加須、行田、本庄、伊勢崎、深谷、大田、所沢、ADMA(東京、浜松)
国籍:日本人、ブラジル人、ラテン(スペイン語)、フィリピン人。

その日の流れ:
10:00〜16:00 ゆるしの秘跡(3人の司祭)
11:00 講和 失明から光へ共に歩む。シノドス的回心のプロセス。マルコ10:46-52 バルティマイ。
12:00 昼食
13:00 証1:パチンコから教会へ
13:30 証2:子供たちのため日本で暮らす決断
14:00 分かち合い(6グループ)
16:00 ミサ、派遣
喜びに満ちた集いでした。初めて出会った喜び(ズームでは毎日会っていたけど・・・)、一年ぶりの再会。学び、癒し、解放、祝いの喜び。
派遣の時、一人ひとりにサンダルが渡され、「与え尽くす愛」のサンダルをはいてこれからそれぞれの場で使命を果たしてください。
こう言う恵の時に感謝でいっぱいです。

ZOOM ADMA
During the three years of the Corona Disaster, we have had difficult days to go to church.  Father Angel Yamanouchi, the animator of the ADMA in Japan, quickly grasped the feelings of the starving and dry believers and launched the ZOOM Rosary.  He was quick to grasp the feelings of the hungry and dry believers and launched the ZOOM Rosary. The rosary prayer has continued without a break every day in response to the people’s cry for help.

Each time, 6 to 70 people of various nationalities recite the rosary in 5 languages: Japanese, Portuguese, Spanish, Korean, and English. They recite the rosary in 5 languages: Japanese, Portuguese, Spanish, Korean, and English. Then, the priest reads from the Bible of the day.  Sometimes there are participants from France, Croatia, Peru, Argentina, and other countries.  It is a rich place of prayer. We have had a time of grace beyond the Corona Disaster.

ZOOM ADMA Retreat・・・Gathering of Bartimaeus
Following last year’s ZOOM ADMA retreat was held at Father Angel’s Honjo Church. More than 100 people attended, including not only ADMA members but also ZOOM Rosary members who pray together every day. For those of us who gather through our screens, this face-to-face meeting was a very moving and inspiring time!

The retreat was on Bartimaeus, the blind man, who raised his voice in desperation to Jesus, was healed by Jesus, threw away the cloak he had been wearing, and followed Jesus. During the meditation session, we had to write on a piece of paper what I now need to throw away, and then throw it away on the cloak that was provided. With so many layers of clothing on me, the task of stripping it off was quite a challenge.

Next, what was to be presented to Jesus? It took a lot of determination because it was to be written on paper and dedicated at the Mass. Those of us who were sent at Mass were given a pair of sandals to walk with Jesus at hand and to wear them in our own lives. To not end up satisfied with praying.

In the afternoon session of the meditation, there was a Bartimaeus testimony of a Brazilian national. He gave a moving testimony of how he had turned from a hard and sordid life of pachinko addiction (Pachinko is a Japanese pinball game) to a wonderful life of service, now as a church committee chairman.

The synodical sharing in groups helped each of them face their own challenges and walk into their own lives with renewed hope.

ZOOM friends are scattered over a wide area. Many have asked to join ADMA after the silent retreat, and formation is being prepared not only for ADMA members but also for those who pray with us nightly.

The spirituality of ADMA will nurture a richer life of faith, and the charism of Don Bosco will be put to use.
31 March 2023
ADMA JAPAN

CARE OF CREATION

すべてのものを大切にーそれは私たちの使命―



総長様のことば
私たちは相互につながった世界に住んでおり、毎日の出来事、最も美しいと同時に最も悲劇的な出来事が、このことを思い出させてくれます。私たちの目の前で、バタフライ効果の理論が実践されているのを目にします。これは、ほんのわずかな行動が常に地球の反対側に影響を及ぼし、時にはその影響が、善または悪のために広範囲に及ぶ影響を与えるものです。
ラウダート・シのダイナミックな新鮮さに駆り立てられて、私たちは統合されたエコロジーの美しい道に沿って教会の旅を続けたいと思っています。それは私たちの存在のあらゆる領域に波及します。
サレジオ家族もこの広いパノラマの中で発言権を持つことができ、世界中の多くの経験がこれを証明しています。場所と関係として理解される環境の創造、ケアのための環境感受性 人類の家族はますます広がり、神の国の新しい種を植えるための盛んな土台になりつつあります。
青少年司牧は、思いと心の転換のこのプロセスの活性化と調整を任されており、私たちは皆、関与していると感じ、参加しなければなりません。宣教者の読書を精緻化し、それから私たちの日常生活の中で福音の宣言を生きることは、統合されたエコロジーと被造物への配慮の観点から、すべてのクリスチャンにとって必要であり、刺激的です。
「被造物を大切にする:私たちの使命」とは、私たちの共通の家、私たちの神の美しい贈り物を大切にし、福音を若い人たち、特に最も助けを必要としている人たちに伝え、その素晴らしさを彼らに示すことを意味します。これも私たちの使命です!

mission day-prayer

宣教の日ー祈り すべてのものを大切に (それは私たちの使命)

すべてのものの造り主である父なる神よ、あなたは被造物のうちにあなたの栄光を表され、すべてを治めるよう、その務めを私たちに委ねられたことを感謝いたします。
私たちが、すべての被造物との深いつながりを感じ、特に弱いもの、危険にさらされているものを大切に守ることができるよう、あなたの聖霊の光で私たちを満たしてください。
私たちが壊してきたものを元に戻すように努めること、そのためにも私たちがすべての人を招き、私たちの共通の家を心を込めて大切にするという大きな使命に忠実に応えて生きることができるように、私たちを力づけ導いてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
2023年 宣教の日

サレジオの宣教精神


ACTS437号53ページ~
宣教顧問アルフレッド・マラヴィラ師
サレジオの宣教精神
サレジオ会員として、私たちはどこでも、若者の真の宣教師であり、若者は私たちの宣教地です[16] 。私たちサレジオ会員は皆、牧者の愛の中心としてのドン・ボスコの宣教精神を生きており、それは「オラトリオの心」、熱意、意欲、異文化間・宗教間対話の能力で現されます。それは、特に若者の福音化への情熱であり、アルベルト・カヴィリア師がサレジオのモットーと考えたは “Ci vado io”(私はそこに行く)に表されるように、必要があればどこへでも派遣するという意志でです。つまり、“Da mihi animas”に集約される宣教精神は、サレジオのカリスマそのものにそのルーツがあるので、すべてのサレジオ会員に典型的なものです。この宣教精神が、私たちにサレジオ奉献生活を「宣教の状態で永続的に」生きさせるのです[17]。
若い会員、養成者、学習センターの先生のための夏の宣教体験、また国際養成共同体での体験は、心の開放、異文化・宗教間関係、そして究極的にはサレジオ宣教精神を育みます[18]。 毎月11日の宣教の祈り、毎年のサレジオ宣教の日、その他の宣教的な活動の取り組みは、すべての共同体と管区で宣教精神を生かすのに役立っています。すべてのサレジオ共同体が、自分たちの管区に到着する新しい宣教師を歓迎し、同行することができるのも、この宣教師の精神によるものです。

サレジオ宣教師の召命
教会全体が宣教的であるという事実は、召命によって生涯を送る宣教師がいることを排除するものではありません。同様に、私たちの福音宣教の新境地や教会がまだ完全に確立されていない場所(ad gentes)で熱心に寛大に協力するために、自分たちの文化環境や国から世界のあらゆる場所(ad exteros)に送り出されることを完全に可能にして、召されていると感じるサレジオ会員がいます。それは、根本的で完全な自己の贈与であり、その性質上、時間の制限なく完全に委ねられたことを意味します(ad vitam)[19]。
洗礼の秘跡を通して、すべてのキリスト者は神の民の一員であり、教会の使命を分かち合います。したがって、サレジオの宣教師召命は、私たちの共通のサレジオの召命の中で、主からの呼びかけです[21]。ドン・ボスコのカリスマ(会憲 30)の本質的特徴として、サレジオの宣教師召命は、司牧的慈愛をより根本的に表現しています。それは主からの贈り物であり、祈りの中で呼び起こされ、会員の中で目覚めさせられ、彼らの識別の中で確認され、彼らの成長の中で伴われる必要があるものです。サレジオ会の使命は、唯一のサレジオ会の使命の一部です。ですから、サレジオ宣教師は特権的な会員のエリート集団に属しているのではありません。彼は、すべての会員に共通のサレジオ会の召命を、より寛大で現実な方法で表現したいと願う人なのです。
現総長は、管区長、霊的指導者、そして院長の助けを借りて自らの宣教的召命を見分ける旅をした会員を、人手が足りないから、あるいは管区が必要としているからという理由だけで妨げることはできないと何度も繰り返し述べています。ヴァルドッコの扶助者聖母の聖堂での宣教師の送り出しは、キリスト者の助けの聖マリアの前で、修道会がその宣教の約束を新たにするしぐさです。

サレジオ宣教師
サレジオ会の宣教師は、単に人材の必要性に応えるだけでなく、何よりも異文化間の対話に、信仰とカリスマの文化化に貢献し、地域の新しい召命を生み出すことができるプロセスを引き起こすために、管区に決定的に任命されます(会憲159)。宣教師は与えるだけでなく、何よりも受ける人であり、教えるだけでなく、何よりも奉仕する人々から学びます。仲介者として、宣教師は自分のために何も持たず、「一致の恵み(grace of unity)」を通して聖性への熱意を生かし、消耗するまで惜しみなく自分を与えるように気を配ります[22]。
宣教師は地域教会の中に、そして、管区の生活と教育・司牧計画の中に組み込まれ、その個人的賜物、使徒的熱意、宣教的感受性によってそれらを豊かにするのです。文化化はゆっくりとした過程であり、完全に実現されることはありません。したがって、宣教師は、キリスト教信仰とサレジオのカリスマに照らしてその理解を深め続けながら、現地の文化によって豊かにされることに心を開くのです。各宣教師は、各グループの具体的な召命と生活の形態に従って、賜物と価値の真の交換を促進することによって、信徒、宣教士ボランティア、サレジオ家族の他のメンバーと協力することに努めます。[23] 老年になっても、祈りと生活の模範によって、友情と知恵を分かち合うことによって宣教師の仕事を継続します。宣教師は最後の息まで自分に託された人々のために身を捧げ、宣教地で埋葬することによってこの愛を封印します。
宣教師がその管区にいることは、文化交流を強化します。地元の会員は、宣教師が持っていない自分たちの文化についての認識を持っており、宣教師は地元の会員が認識していない文化についてのいくつかの視点を提供するのです。実際、同じ文化の会員だけで構成される教区は、異文化への挑戦に鈍感になり、自分たちの文化世界の枠を越えて見ることができなくなる危険性があるのです。宣教師のおかげで、今日、ドン・ボスコのカリスマは134カ国に存在し、文化的な影響を受けています。実際、修道会の宣教への献身は、総会27 が要求する会員の世界的な再分配にも決定的な方法で貢献しています[24]。

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-16 Cf. L. RICCERI, “Missionaries of Youth”, in ASC 279, p. 6; GC22, no.13.
-17 Cf. FRANCIS, Apostolic Exhortation Evangelii Gaudium (2013) no. 25;J.E. VECCHI, “Our Missionary Obligation in view of the Year 2000”, in AGC362, p. 6-8; F. CEREDA, “Encouraging International Communities (GC27 75.5)”, in AGC 429, p. 44-46.
-18 Cf Ibid P.50
-19 Cf. JOHN PAUL II, Encyclical Redemptoris Missio (1990), no. 32, 65; E. VIGANÒ, “Pope’s Appeal”, p. 33.
-20 Cf. JOHN PAUL II, Apostolic Exhortation Vita Consacrata (1996), nos.30-31, 71, 78.
-21 Cf. Ad Gentes no.23; Redemptoris Missio, n. 65.
-22 Cf. Fratelli Tutti, no. 284; Redemptoris Missio, n. 90.
-23 Cf. Charter of the Charismatic Identity, no. 10, 19.
-24 Cf. GC27, 75.5; E. VIGANÒ, “Pope’s Appeal”, p. 11; F. CEREDA, “Encouraging International Communities”, p. 46-48.

Strenna 2023

”ドン・ボスコの家族として、社会のよきパン種となろう”
“AS THE YEAST IN TODAY’S HUMAN FAMILY. THE LAY DIMENSION IN THE FAMILY OF DON BOSCO”.
“LÀ MEN TRONG GIA ĐÌNH NHÂN LOẠI NGÀY NAY. Chiều kích giáo dân trong Gia đình Don Bosco”

第41回 サレジオ霊性週間 2023年1月12日~ (2023年サレジオ家族霊性週間のチャンネル)

1日目(世界)第41回サレジオ家族霊性週間2023年

2日目(EAO地域)第41回サレジオ家族霊性週間2023年

2日目(世界)第41回サレジオ家族霊性週間2023年

3日目(EAO地域)第41回サレジオ家族霊性週間2023年

3日目(世界)第41回サレジオ家族霊性週間2023年

4日目(世界)第41回サレジオ家族霊性週間2023年

https://youtu.be/LW7uJDgS6SA

13日&14日 EAO地域レベルのチャンネルは 日本語の同時通訳です。

ADMA in Japan

Association of Mary Help of Christians in Japan
扶助者聖マリアの会

ADMAの目的:

ADMAの目的:
ー聖母への信心を広めること
ー聖体におられるイエスの崇敬である。

福音宣教の日&チマッティ・デー&サレジオ家族の日(10月22日)

2022 年 10 月 22 日(土) 午後4時からは、福音宣教の日&チマッティ・デー&サレ
ジオ家族の日の集いを行い、調布神学院からライブ映像で発信いたします。
ご覧いただけたら幸いです。

以下のサイトを開き、参観することができます。
https://youtu.be/xCHfBKXydvw
〈プログラム〉
15:30 オンライン
16:00
ー祈り
ーアンヘル総長のことば
ーザッティ修道士の紹介動画
ーカヴォリ師の紹介動画(イエスのカリタス修道女会)
ーFMA 創立 150 周年の動画(サレジアン・シスターズ)
ーADMA の活動紹介動画
ーコオペラトーリの紹介
ーチマッティ師と修道士(マルシリオ師)
ーEAO地域顧問、ヨセフ・フオク師のことば
ー濱口管区長による挨拶と“扶助者聖マリアの祝福”
※このプログラムは約 1 時間 40 分です。

サレジオ・ラジオ ボリビアの通信ネットワーク

(SMD2022パンフレットP.49~)

SMD 2022 PROJECT ARTESBOL(アルテスボル):
サレジオ・ラジオ ボリビアの通信ネットワーク

ボリビアでは、サレジオ会はARTESBOL(ボリビア・サレジオ教育ラジオ・テレビ局協会)と呼ばれるラジオ通信ネットワークを持っています。この社会への奉仕は、現在、私たちのミッションが優先する地域に7つのセンターを置いています。実際、これらの局は大都市の周辺から電波を発信しており、純粋に社会的・司牧的な性格を表しています。この地理的条件により、オーディオ・ボスコは最も不利な立場にある人々を国中につなぐために電波を提供し、声なき声を聞くことができるようにマイクを提供することができるのです。

アルテスボルのラジオ局は、ボリビアの遠隔地におけるコミュニケーションの必要性と緊急性に応えて作られました。創立者はサレジオ会員で、ドン・ボスコの模範を心に刻み、孤立した人々が社会や教会の一員であると感じることができるためです。実質的に何の調整もなく、保証された資金もなく、これらのラジオは簡単な器具を使って、サレジオ会の共同体の食堂や院長のテーブルの上など、その場しのぎの場所に設置されたのです。

今日、アルテスボルの使命は「サレジオのスタイルで活動するラジオ機関のグループとなり、若者と社会に宣教し、教育し、導き、情報を与え、人々を巻き込むこと」です。

今日、私たちのラジオ局は、意義ある存在を確保するために自らを刷新するという課題に直面しています。ネット放送の圧倒的な普及などの外的要因は、従来のメディアに大きな課題を突きつけています。一方、私たちのラジオ局は常に経済的に脆弱であるため、設備や人員の面で大幅な更新ができず、これも存続の危機を招いています。いずれにせよ、私たちは元気であり続け、ドン・ボスコがボリビアの中に存在し続けることを望んでいます。

SMD2022の提案は、ボリビアにある7つのサレジオのラジオ局に、現在のニーズとテクノロジーの進歩を満たす機器を装備することによって発展につながります、と。番組が編集されるコンピュータの動作を保護するために電圧安定器が必要です。マイク、制御盤、音響パネルも、地元の聴衆に質の高いサービスを提供するために交換する必要があります。

宣教

2022年サレジオ宣教の日のパンフレットーp43より




SYM: 福音宣教 ~ソーシャルメディアを通じて~
SYMチーム:フィリピン北 
ジャニン・ニコル・クイント氏

 パンデミックは、私たちの生活のあらゆる側面に影響を及ぼしています。それは、私たち全員に、単にそのままの状態に安住することから、いわゆる新しい常識に適応することへと移行することを強いるものです。SYMはまた、若者グループのアニメーションがどのように行われるかについて、管区レベルから地元のレベルに至るまで、大きな転換を図りました。以前は、サレジオの青少年たちは、ダンス、大きな音と陽気な音楽、歌を通して、異なる環境と地域から来たにもかかわらず、簡単に仲間同士を結びつけていたのです。これらの活動は、パンデミック(世界的大流行)が始まって以来、SYMの皆が切望してやまないことのほんの一部です。教会から遠く離れてしまったような、いや、もっと悪いことに、主から遠く離れてしまったような、そんな感覚に襲われることもありました。突然、私たちは制限され、教会や聖堂にちょっと訪れることさえできなくなったのです。ネット上のミサに参加するのも、以前参加していた対面式のミサとは一寸の違いもなく、一種の苦悩です。明らかに、これらは私たち全員に挑戦してきたことです。もし、私たちが物理的に彼らと一緒にいられないのであれば、どのような新しい司牧を提供すればよいのでしょうか。このような試練の時代に、私たちはどのように若者を導いていくのでしょうか。私たちの周りで起こっているすべての出来事にもかかわらず、主がまだ彼らとともにおられると、どうやって彼らに感じさせることができるでしょうか?

前年度、SYMは3ヵ年計画の一環として、あらゆる方法で「福音宣教」することを主目標としていました。さらに重要なのは、若者の多くがいる場所、つまりさまざまなソーシャルメディアプラットフォームを利用することでした。今、パンデミックと宣教という目標が一致したように感じています。今、私たちは、実際に世界で司牧する機会を得ました。実際、他に選択肢はないのですから。SYMは成功を収めました。皆さん一人ひとりが成功したように、私たちも成功しましたし、今も成功し続けています。さまざまな活動が生まれましたが、そのほとんどは、仲間の若者のニーズに応えた、私たち自身のサレジオの若者によるイニシアチブでした。あるものは、サレジオの霊性の具現化の成果でした。2020年5月に始まった、フィリピンの若者に向けた「LITリトリート」と名付けられた1ヶ月間のオンライン聖霊降臨祭黙想会です。そしてAKAP(Ako Kalakbay ang Panginoon)と名付けられたもう一つのオンライン黙想会でした。AKAPに続き、「G2YG(G! To Youth Groups)」が行われました。SYM Huddleは、サレジオに属するさまざまな環境のリーダーやアニメーターを集め、このような困難な時期にドン・ボスコのビジョンの価値と適用を分かち合うことを目的としたものです。その後、「GOTCHU: An Online Kamustahan Series」や「SYM Fri-yay Catch up」と題したオンライン・キャッチアップ・イベントなど、さらに多くのイベントが開催されました。いずれも、若者たちに少しでも手を差し伸べ、自分たちだけが闘っているのではないことを実感してもらうことが目的でした。たとえそれが、このパンデミック(世界的大流行)の中で最も身近な存在であったとしても、何が起ころうとも希望はあるのですと。サレジオ小教区の青年会主催の「KKK」四旬節黙想会シリーズ、ドン・ボスコ・タルラックのコヤンTV、サレジオ神学生とFMA、フィリピン北管区の召命チームによるVocTok、その他多くのオンラインプログラムやイベントなど、サレジオの精神が生き生きと現実世界で感じられるようになったのでした。

これらのプログラムはすべて、他の人々を刺激し、たとえ最初は状況のために絶望的に見えたとしても、自分の務めを続けるよう励ましました。最も重要なことは、これらが福音化の手段となったこと、つまり、神の愛の福音をすべての人に、特にそれを最も必要としている若者に伝える手段となったことです。

聖フランシスコ・サレジオ 優れた福音の伝達者

福音宣教2022年のパンフレットより/P45~

ウィム・コラン神父 SDB ローマ・サレジオ大学―霊性神学研究所教授

1622年12月28日、聖フランシスコ・サレジオがリヨンで亡くなってから400年近くが経ちました。ジュネーブの司教は、わずか55年という比較的短い生涯の間に、霊性神学の展望を永遠に変えました。彼は1567年8月21日にサヴォワの貴族の家に生まれ、パリのイエズス会大学に進み、25歳のときにパドヴァ大学で学業を終えました。彼は、司法の世界ではなく、教会を選びました。宣教師として、数十年前にプロテスタントに転向したサヴォワ北部のシャブレー地方を再び取り戻しました。司教になると、アヌシージュネーヴ教区を改革し、ジャンヌ・ド・シャンタルとともに至聖なる「聖母の訪問会」を創設しました。フランシスコ・サレジオは、何よりも霊的指導者として知られています。彼は一日に40通もの霊的指導の手紙を書くこともありました。彼の最も有名な著作は、ルイーズ・ド・シャルモワジーに宛てた手紙のコレクションから生まれたものです。それは『信心生活入門』です。その数年後、彼は『神愛論』を書きました。この傑作の中で、彼は人間と被造物、そして神自身との関係を説明しています。死後400年を経た今日、彼の生涯とその教えが持つ意義は、議論の余地がありません。

若い司祭であった彼は、カルヴァン派プロテスタントの厳しい教えが法となっていたシャブレーで、恐れずに宣教師に志願しました。そこでは、福音を伝え、カトリック教会の教義を教えることは、決して容易なことではありませんでした。公の場で話すことができなくなったとき、ミッションを遂行することが難しくなったとき、彼はすぐに戦術を変更します。そして、人々に届く方法を探します。

パンフレットやリーフレットを書いて、こっそり家々のドアの下に忍ばせておくのだ。粘り強い者が勝つのです

フランシスコの特徴は、プロテスタントとの活動だけでなく、司教として、また霊的指導者として、非常にシンプルな言葉を使うことです。彼は説教をせず、辛辣で難しい言葉で語らず、尊大な神学的思索を用いた説教をしないように気を配っているのです。彼は、誰もが理解できる言葉、単純な言葉で話し、書き、しばしば自然のイメージや単純な比較をしています。誰が理解できないでしょうか。「酢の樽でハエを捕まえるより、スプーン一杯の蜂蜜でもっとハエを捕まえられる。」

彼にとっての司牧活動は、積極的な司牧活動です。彼は、誰かが彼に約束を求めたり、何かをする機会を与えられたりするのを待ったりはしません。この姿勢は、彼とジャンヌ・ド・シャンタルが自分たちの修道会の名前に選んだ「訪問」という名前そのものに表れています。この名前自体に、キリストを人々のもとに届けたいという姉妹とフランシスコの願いが表れています。マリアがエリザベトを訪問したとき、イエスを胎内に宿し、従姉妹にイエスを知らせたように、司牧者の態度もまた、次のようでなければなりません。「救われた喜びをシンプルに伝えることです。」

そのための基本的な態度は、純粋な、生きた、深い愛です。他者をあるがままに愛することです。力ではなく、愛によって、神ご自身が人間に接する方法なのです。これこそ、総長アンヘルがフランシスコ・サレジオ帰天400周年のストレンナとして選んだフランシスコの言葉の深い意味なのです。神ご自身が、しるしと預言者を通して人に語られた後、御子イエスを遣わされたからです。友のために自分の命を捨てること、これほどの大きな愛は他にありません。愛だけが私たちを信じさせるので、愛のためにご自分の命を捧げられました。神ご自身は愛の中で見えるようになるのです。他者のために自分の命を捧げること、それはキリストをこの世に現存させ、生かすことなのです。

扶助者聖マリアにご保護を願う祈り

5月24日 扶助者聖マリアの祭日
扶助者聖マリア、ご保護のもとにわたしたちは身を委ねます。あなたの力強い助けを示し、あらゆる危険、災いからこの家を守り、わたしたちに健康と平和をお与えください。信仰においてこの家族の心を一致させ、愛に行き、ゆるしを行う者としていつも神に感謝することができますように、助けてください。あなたのみ手にゆだねる日ごとの喜びも悲しみも、未来への希望とともに、父なる神におささげください。

扶助者聖マリア、わたしたちを導き、善の道を歩ませ、あらゆる罪から遠ざけてください。アーメン。

Pray for Ukraine and Russia

SYMjapan主催
🙏ウクライナとロシアのための祈りの会🙏


来たる4/15(金)の21:00〜、ウクライナ🇺🇦とロシア🇷🇺の為に祈りの会をします🙏🙏🙏

ロシアとウクライナの戦争により、多くの方の命が奪われ、さまざまな苦しみを抱えていらっしゃいます。私たちができることは多くありませんが、共に祈ることができると思います。

この時、ぜひ、心を合わせて祈りませんか??配信される動画と共に祈っていただけると幸いです。 🙇🏻‍♂️🙇🏻‍♂️ご協力お願いします。

日時:4月15日(金)聖金曜日 21:00〜21:20
参加方法:YouTubeのURL(https://youtu.be/CSQMWHVOdT8)をクリックしてご覧ください。動画はアーカイブとして残りますので、後からでも視聴可能です。

2022年サレジオ宣教の日に寄せて-総長からの手紙

福音宣教の日によせて

親愛なる友人の皆様

今年の初めに大きな喜びをもってご挨拶し、2022年のサレジオ福音宣教の日の美しいテーマ、私たち全員にとって最も重要なテーマである「今日、キリストをいかに伝えるか」を提供します。

私たちは皆、コミュニケーションを避けることができないことをよく知っています。私たちは一言も話さなくてもコミュニケーションしています。今回のWYDのテーマを黙想していると、この3つのことが頭に浮かんできます。

1. 本物であること。今日、キリストをうまく伝えるには、真実、本物であることが必要です。良い印象を与えたい、より良く見せたい、より魅力的でありたい、より賞賛されたいという誘惑に陥らないようにしましょう。むしろ、行うこと、印象づけることよりも、そうであることを心がけましょう。そうすることによってのみ、私たちは信頼できる伝達者、真の宣教師となることができるのです。

2. 聴くこと。今日、言葉はその重みを失っています。大切なのは、イメージ、シンボル、ストーリー、具体的な人物です。コロナのために多くのことができません。しかし、私たちはコミュニケーションの新しい機会を得ています。人々と、そして神との両方です。神との関係を深め、神に注意深く耳を傾け、若い人たちの声に耳を傾けるには良い時期です。彼らの存在や、できるだけ多くの「いいね!」を得たいという無限の欲望を持ったソーシャルネットワーク上の活動は、しばしば、耳を傾けてほしい、真剣に受け止めてほしいという叫びなのです。

3. 積極性。宣教する弟子としてキリストを伝えたいのであれば、福音を伝えなければなりません。そして、福音とは「良い知らせ」でなくて何でしょうか。私たちは、すべてのものの中に良いものを見出すように努めなければなりません。たとえ困難な状況であっても、今日の世界のもろさにもかかわらず、です。キリストが罪人の中にも善の深い可能性を見出したように、ドン・ボスコが一人ひとりの若者の良い面を常に見ていたように。

創造的になることを恐れず、メディアやソーシャルネットワークの分野に参入し、この空間を脅威や危険ではなく、神からの偉大な贈り物としてとらえることです。ドン・ボスコならば、今でも常に十分な養成と慎重さと教育者としての心をもってすべてのことをするだろうと確信しています。彼は、若者に寄り添い、個人的にこのデジタル空間を共有し、良い模範を示して教育し、キリストに近づけるために、最も積極的なフォロワー、支援者の一人となることは間違いないだろう。

この美しくも冒険的な道を共に歩んでいきましょう。

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ, SDB

COMMUNICATING CHRIST TODAY

今年の福音宣教テーマは”COMMUNICATING CHRIST TODAY – # Missionaries Online”(#宣教者オンライ#今日イエスを伝えよう)です。

以下は宣教顧問であるアルフレッド・マラヴィラ神父様からの手紙を皆さんに届けます。(サレジオ宣教の日、2022年の小冊子P40-41)

2022年サレジオ宣教の日に寄せて-宣教顧問 アルフレッド・マラヴィラ神父様の手紙

今日のキリストを伝える試みは、今の世代の若者の考え方を理解することから始まります。コミュニケーションにはいくつかの要素があります。私たちが真剣に考えなければならないのは、その構成要素です。メッセージを暗号化する送り手と、送り手から受け手へメッセージを伝える媒体を選択する送り手です。次に受信者は、自分の文脈の中でメッセージを分析し、送信者が意図した方法と意図していない方法の両方でそれを解釈します。

最後に、メッセージがどれだけ正確に受け取られたかを示すフィードバックがあります。送り手は、牧者であり、教育者であるサレジオ会員です。受け手は、主に現代の若者や熟年である青年であるミレニアルズ(Y)世代とZ世代です。

ミレニアルズ(Y)は現在42~21歳です。彼らは前の世代よりも早い時期にテクノロジーを学び、それに依存するようになりました。若い世代はスマートフォンやインターネットのない生活を想像することさえできないのです。ミレニアル(Y)世代は、アイデアを共有し、その中からベストなものを選ぶことが好きなので、自分の考えを伝える機会を得ることで、自分も参加したいと望んでいます。ミレニアル(Y)世代は、自分たちの信仰が全体的に自分たちの中に統合されることを望んでいます。

技術も含めた生活 ミレニアル(Y)世代はアプリ世代です。アプリは彼らにとって、コミュニケーション、情報処理、商品購入、あるいは聖書を読んだり祈ったりするための手段となっています。彼らは「今」に焦点を合わせていますが、理想主義的な傾向があります。

Z世代は、22歳以下の世代です。早い時期からインターネットやソーシャルネットワーク、モバイルシステムに触れているため、デジタルネイティブと呼ばれます。オンライン上で知り合った友人と現実の世界での友人を区別することなく、ソーシャルサイトを使って交流します。彼らは常につながっており、オフラインはもう存在しないのです。彼らは創造的で、現実的で、未来に目を向けています。重要な問題や出来事に対して幅広い認識を持ち、真実を追求することに大きな欲求を持っています。しかし、彼らは自分自身で真実を選び、発見することを望んでいます。事実、真実の探求は、彼らの特徴的な行動と消費パターンの中心にあるのです。

Z世代の人々は、Facebook、WhatsApp、Twitter、Instagram、Tiktok、Tumblrなどのソーシャルメディアネットワークを使って、社会問題、健康や栄養、スピリチュアルなどに関する情報を得ようとします。しかし、彼らはまた、Snapchat、Secret、Whisperのような匿名のソーシャルメディアプラットフォームのヘビーユーザーであり、犯罪につながる画像はほとんど瞬時に消えます。ミレニアル世代に比べ、より現実的で理想主義的でなく、膨大な量の情報を自由に使うことができます。彼らの大部分は、すべての大陸で宗教的であることを宣言しているが、必ずしも宗教と自らを同一視しているわけではなく、どの宗教にも属さないという人は、たいてい信仰心のない家庭の出身か、生ぬるいキリスト教徒です。

ミレニアル(Y)世代とZ世代には、新しい魅力的な方法で信仰を示す必要があります。そうすれば、彼らが自分の信仰を仲間に伝える可能性が出てきます。

最初の宣教は新しい福音化の礎となるものです。したがって、牧者であり、教育者であるサレジオ会員の課題は、ミレニアル(Y)世代とZ世代が、自分たちの仲間にイエス・キリストという人物を知りたいと思わせるような、ソーシャルメディア用の信仰に基づくコンテンツを自ら作るのを助けることです。実際、今日、ソーシャルメディアは若者たちにキリストを伝えるための特権的な場となっています。私たち一人ひとりが、宣教師としての創造性を発揮して、それを活用することが大切なのです。