ドメニコ・サヴィオは、よく知られている若者です。『カトリック講話集』のコラム『ドメニコ・サヴィオ少年の生涯』の中で、ドン・ボスコは、ゆるしの秘跡と聖餐の秘跡について何度も語っていました。『オラトリオに来る前、ドメニコは、月に一度、告解と聖体拝領に通っていました。それは、ほとんどの学校が習慣として行っているものでしたが、ここではもっと頻繁に通っていました。ある時、ドメニコは、ドン・ボスコの説教を聞いていました。「若者たちよ…天への道を歩みたいなら、たびたびゆるしの秘跡を受けること、たびたび聖体拝領に行くことを勧めます。心を開くことのできる一人の司祭を聴罪司祭として選び、必要のないかぎりほかの司祭に変えないこと。」ドメニコは、この勧めを完全に理解しました[1]。
ドン・ボスコは、若者たちに頻繁にゆるしの秘跡を受けるように勧めました。彼は、若者たちの心が、不安的になりやすいことを知っていたのです。彼らは、ある霊的な体験を通じてやる気になりますが、同時に自分の意志の弱さによって簡単にその気を失うのです。ですから、彼らには、自分の決意を思い起こし、その欠点を克服する手助けをする必要があるのです。
また、ドン・ボスコは、若者たちの霊的指導者、医者、魂の友となる聴罪司祭を選ぶことの重要性を強調しています。聴罪司祭は、若者たちが、神から与えられたもの、つまり、神が一人一人に与えた計画を見極めるのを助ける人なのです。
そのため、聴罪司祭は、それぞれの若者の霊的な旅路、遭遇する課題、将来の召命について主が一人ひとりに与えてくださっているしるしを理解する必要があるのです。
ゆるしの秘跡を受けるためのいくつかの勧めを紹介します。ドメニコ・サヴィオの場合は、「一人の司祭を聴罪司祭として選ぶことから始め、この学校にいる間ずっと、定期的に司祭のもとを訪ねました。司祭が自分の心について正しい判断ができるように総告解をしました。初めは2週間[2]に一度、ゆるしの秘跡を受け、やがて一週間ごとにするようになり、聖体拝領も同じ頻度で受けました[3]。」
若者たちにとって、ゆるしの秘跡はとてもハードルの高いものです。特に難しいのは、誰かに自分の胸の内をさらけ出さなければならないということです。自分の秘密を大切にし、自分の罪を言い表そうとしないのは、自分の親しい聴罪司祭が、自分の弱さを知って態度を変えてしまうのが恐いからです。同時に、自分が罪の奴隷であることを恥じ、どうすればこの習慣から解放されるのかよく分かっていないからです。
聖なる教育者 ドン・ボスコは、若者から信頼を得ることがいかに難しいかを知っているからこそ、それを大切にするのです。彼は、この信頼がドメニコ・サヴィオの生き方に現れていることに気が付いていました。彼は、「ドメニコは、聴罪司祭に大きな信頼を寄せ、告解室の外でも自分の魂に関する事柄をしばしば聴罪司祭に話していました」と書いています。
もしかしたら、ドン・ボスコは、ドメニコのことを思い返しながら、自分自身が14歳のときに、カロッソ神父にそのような信頼を寄せていたときのことを思い出していたのかもしれません。『オラトリオの回想録』の中で、彼は最初の霊的指導者について次のように書いています。「わたしはカロッソ神父の手にまったく身を委ねました。自分のことはすべて打ち明けました。どんな言葉でも、考えでも、行いでも、なにもかもすぐさま神父に知ってもらうようにしました。これは、彼を喜ばせました。このことで、物心両面における現実に即した指導が可能だったからです。そのときまでわたしに欠けていたことですが、そのとき初めて、一定の指導者をもつこと、魂の忠実な友をもつことが何を意味するかが分かりました[4]。」
ドン・ボスコは、ドメニコが自分の勧めに忠実であったことを思い出しました。『時にはほかの司祭にところへ行ってみたらと助言する人もいましたが、彼は聞こうとはしませんでした。こう言っていました。「聴罪司祭は魂の医者なんだ。自分の医師を信頼できなくなったり、絶望的な状況でないかぎり、医者を変えたりしないだろう。ぼくはそういう状況ではない。父のようなやさしさと気遣いで私の魂の善のために骨を折ってくれる聴罪司祭をぼくは全面的に信頼している。それにその神父様に治せないような病気は自分にはないと思う」。しかしながら、院長は折々に、例えば、黙想会のときなどにほかの司祭の指導を受けるように勧めることがあり、それには躊躇することなく従いました。…このような思いをもって、ドメニコは毎日を幸せに過ごしました。これこそ、彼のすべての行動から透けて見える、あの快活さと喜びの源だったのです[5]。』(『ドメニコ・サヴィオ少年の生涯』より引用)
ドメニコが体験した安らぎと喜びは、若者たちが、神との親しさへと招き入れる司祭のもとで霊的指導を受ける時に体験する心境と同じなのです。
幸せになるための最良の方法
ドメニコ・サヴィオの生涯に対するドン・ボスコの結びは、とても素晴らしいものです。まるで、私たち一人ひとりにゆるしの秘跡を忠実に守るための提案をしてくれているようです。『頻繁に、そしてしっかりとした準備をもってこの救いの源に近づきましょう。ゆるしの秘跡を受けるときは毎回これまでのゆるしの秘跡をよい心で行ったかどうか、振り返ってみましょう。必要があれば、問題を正すためにしなければならないことを、ためらうことなくしましょう。私にはこれがこの世の試練のただ中にあっても幸せに生き、最後のときには、私たちも落ち着いて死を迎えることができる最良の方法だと思います。そのとき私たちは、よろこびに満ちた顔で、心に平和を保ち、われらの主イエスに会うことになります。主は、その憐みに従って裁かれ、彼を永遠にたたえ、感謝するためにこの世の苦難から永遠の幸せへと私たちを導いてくださいます。…アーメン[6]。』
ドン・ボスコが語った、過去のゆるしの秘跡の振り返りについては、ミケーレ・マゴーネの生涯の中で触れているため、次の章で紹介します。
[1] ジョヴァンニ・ボスコ 佐倉 泉 中村(五味)妙子 訳 『オラトリオの少年たち ドメニコ・サヴィオ、ミケーレ・マゴーネ、フランチェスコ・ベズッコの生涯』、ドン・ボスコ社、 p. 65. 参照。
[2] ゆるしの秘跡の頻度に関しては、翻訳した英文の数字を反映している。
[3] 上記 pp. 65-66. 参照。
[4] ジョヴァンニ・ボスコ 石川 康輔 浦田 慎二郎 編訳 『オラトリオ回想録』、ドン・ボスコ社、p. 89.
[5] ジョヴァンニ・ボスコ 佐倉 泉 中村(五味)妙子 訳 『オラトリオの少年たち ドメニコ・サヴィオ、ミケーレ・マゴーネ、フランチェスコ・ベズッコの生涯』、ドン・ボスコ社、 pp. 66-67.
[6] 上記 pp.126-127.