0 Comments

2022年サレジオ宣教の日のパンフレットーp43より




SYM: 福音宣教 ~ソーシャルメディアを通じて~
SYMチーム:フィリピン北 
ジャニン・ニコル・クイント氏

 パンデミックは、私たちの生活のあらゆる側面に影響を及ぼしています。それは、私たち全員に、単にそのままの状態に安住することから、いわゆる新しい常識に適応することへと移行することを強いるものです。SYMはまた、若者グループのアニメーションがどのように行われるかについて、管区レベルから地元のレベルに至るまで、大きな転換を図りました。以前は、サレジオの青少年たちは、ダンス、大きな音と陽気な音楽、歌を通して、異なる環境と地域から来たにもかかわらず、簡単に仲間同士を結びつけていたのです。これらの活動は、パンデミック(世界的大流行)が始まって以来、SYMの皆が切望してやまないことのほんの一部です。教会から遠く離れてしまったような、いや、もっと悪いことに、主から遠く離れてしまったような、そんな感覚に襲われることもありました。突然、私たちは制限され、教会や聖堂にちょっと訪れることさえできなくなったのです。ネット上のミサに参加するのも、以前参加していた対面式のミサとは一寸の違いもなく、一種の苦悩です。明らかに、これらは私たち全員に挑戦してきたことです。もし、私たちが物理的に彼らと一緒にいられないのであれば、どのような新しい司牧を提供すればよいのでしょうか。このような試練の時代に、私たちはどのように若者を導いていくのでしょうか。私たちの周りで起こっているすべての出来事にもかかわらず、主がまだ彼らとともにおられると、どうやって彼らに感じさせることができるでしょうか?

前年度、SYMは3ヵ年計画の一環として、あらゆる方法で「福音宣教」することを主目標としていました。さらに重要なのは、若者の多くがいる場所、つまりさまざまなソーシャルメディアプラットフォームを利用することでした。今、パンデミックと宣教という目標が一致したように感じています。今、私たちは、実際に世界で司牧する機会を得ました。実際、他に選択肢はないのですから。SYMは成功を収めました。皆さん一人ひとりが成功したように、私たちも成功しましたし、今も成功し続けています。さまざまな活動が生まれましたが、そのほとんどは、仲間の若者のニーズに応えた、私たち自身のサレジオの若者によるイニシアチブでした。あるものは、サレジオの霊性の具現化の成果でした。2020年5月に始まった、フィリピンの若者に向けた「LITリトリート」と名付けられた1ヶ月間のオンライン聖霊降臨祭黙想会です。そしてAKAP(Ako Kalakbay ang Panginoon)と名付けられたもう一つのオンライン黙想会でした。AKAPに続き、「G2YG(G! To Youth Groups)」が行われました。SYM Huddleは、サレジオに属するさまざまな環境のリーダーやアニメーターを集め、このような困難な時期にドン・ボスコのビジョンの価値と適用を分かち合うことを目的としたものです。その後、「GOTCHU: An Online Kamustahan Series」や「SYM Fri-yay Catch up」と題したオンライン・キャッチアップ・イベントなど、さらに多くのイベントが開催されました。いずれも、若者たちに少しでも手を差し伸べ、自分たちだけが闘っているのではないことを実感してもらうことが目的でした。たとえそれが、このパンデミック(世界的大流行)の中で最も身近な存在であったとしても、何が起ころうとも希望はあるのですと。サレジオ小教区の青年会主催の「KKK」四旬節黙想会シリーズ、ドン・ボスコ・タルラックのコヤンTV、サレジオ神学生とFMA、フィリピン北管区の召命チームによるVocTok、その他多くのオンラインプログラムやイベントなど、サレジオの精神が生き生きと現実世界で感じられるようになったのでした。

これらのプログラムはすべて、他の人々を刺激し、たとえ最初は状況のために絶望的に見えたとしても、自分の務めを続けるよう励ましました。最も重要なことは、これらが福音化の手段となったこと、つまり、神の愛の福音をすべての人に、特にそれを最も必要としている若者に伝える手段となったことです。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

Related Posts

Brazil – The Rector Major’s Visit to Mato Grosso, “a land blessed by God”, has begun

ブラジル-"神に祝福された土地 "マトグロッソへの総長訪問が始まるアンヘル・フェルナンデス・アルティメ枢機卿(サレジオ会総長)が、ブラジル・カンポグランデ(BCG)の聖アルフォンソ・マリア・リゴリー管区訪問のため、ブラジルのアラサチューバに到着した。ダリオ・ヒレド空港では多くの若者たち、サレジオ会員、アラサチューバの市民・教会関係者、コーラス隊が到着を待っていた。また空港では、BCG管区長リカルド・カルロス神父とアラサチューバ教区のセルジオ・クルジウィ司教と共に記者会見が行われた。 総長は、記者の質問に答えながら、世界のこの地域、ブラジル中西部のサレジオ会に対して特別な愛情を示した。「神に祝福されたこの土地は、ドン・ボスコの子たちとサレジオ家族が大いに歓迎され、根を下ろす機会を得た土地であり、この土地の多くの息子や娘たちをサレジオのカリスマに近づけています」。 その後、アンヘル・フェルナンデス・アルティメ枢機卿はアラサチューバにあるサレジオ会の共同体を訪れ、地元のサレジオ家族およびクリュジウィ司教と昼食を共にした。この分かち合いのひとときの後、総長は、アラサチューバでのサレジオ会創立75周年記念式典に参加するために、サレジオ大学のキャンパスに向かった。この75周年は、アラサチューバの歴史における節目であるだけでなく、教育、倫理的養成、青少年支援におけるサレジオ会の絶え間ない献身を証明するものでもあった。 アラサチューバに総長が訪問することによって、修道会の提供する霊的・教育的リーダーシップと、サレジオのカリスマを生きる上での地域社会の重要性が強調された。 訪問の初日は、サレジオ大学の構内にある扶助者聖母聖堂で行われたアンヘル・フェルナンデス・アルティメ枢機卿の司式によるミサで終了した。その模様はYoutubeの "UniSALESIANO Araçatuba "チャンネルで生中継された。この祝賀会の傍らで、総長はアラサチューバ市の名誉市民権を授与された。これは2月19日の市議会で投票され、満場一致で承認されたものである。https://www.infoans.org/en/sections/news/item/20476-brazil-the-rector-major-s-visit-to-mato-grosso-a-land-blessed-by-god-has-begun

【山野内マリオ司教SDB アド・リミナ中にANSの10の質問に答える】

(ANS・ローマ) サレジオ会員としての心、移住者としての偉大な経験、司教としてのビジョン―これらのいくつかの特徴は、ドン・ボスコの息子であり、2018年からさいたま教区の教区長を務めるマリオ 山野内倫昭司教の姿を要約しています。先日、日本の司教団によるアド・リミナのためにイタリアを訪れたマリオ司教は、ANSのインタビューに答え、様々なトピックについて答えました。教会、インカルチュレーション、サレジオ会、召命、若者、移住者、サレジオ家族などについてです。 マリオ司教様、日本社会における教会の現実は?―私の国の教会の歴史は古く、1549年、宣教の保護者者である聖フランシスコ・ザビエルによって始まりました。ザビエルはこの国にキリスト教の最初の種をまき、16世紀半ばのイエズス会の報告によれば、30万人以上のキリシタンの遺産を残しました。その後、迫害、隠れた抵抗、再生が何世紀にもわたって交互に繰り返され、現在では、人口1億2500万人のうち、カトリック信者は100万人強となり、その中には小教区に登録されていない多くの外国籍カトリック信者が含まれています。公式統計によれば、カトリック信者は人口の約0.7%にあたります。 今日、日本のカトリックは国際色豊かなのですね?―その通りです。日本のカトリック信者の多くは外国籍であり、ほとんどの場合、公式には名簿に登録されていません。一方、公式の名簿には毎月教会に献金している人だけが登録されており、そのほとんどが日本人です。私の教区の例を挙げると、登録されているカトリック信者は2万2千人で、その80%は日本人です。しかし、実際には約10万人の未登録のカトリック信者がおり、この大部分は外国籍です。主にブラジル、ペルー、その他の中南米出身者で、フィリピン人もいます。最近はベトナム人信徒の新たな波がやってきています。日本には50万人以上のベトナム人が在住し、その中には「ボートピープル」としてやってきた人たちや、ごく最近、実習生としてやってきた数十万人の若者たちもがいます。 日本の教会は数字的には非常に小さな教会であるわけですが、教会に実質と信頼を与えているものは何なのでしょうか?―日本の教会の長所は、その時代の社会的現実に入り込むことができたことです。例えば、20世紀半ばの日本は本当に非常に貧しく、教会は医療施設の必要性を認識していました。一般的に教会は、幼稚園、シェルター、移住者への配慮など、あらゆる種類の社会促進活動に従事しています。そして、もうひとつ高く評価されているのが教育です。今日、日本が文化水準の高い社会であるとすれば、それは教会のおかげでもあるのです。そして、これは私たちサレジオ会だけでなく、この分野に献身している多くの宣教師の献身のおかげです。これはまた別のことを考えさせてくれます。 何でしょう?―日本にあるような教育へのコミットメントは、インカルチュレーションへのコミットメントももたらします。カトリックの学校に通う生徒の99%はキリスト者ではありませんから、キリスト教の価値観に従った教育を、地域の現実の中で文化に受肉した形で提供できなければなりません。よく考えてみると、それはドン・ボスコの「誠実な社会人」の形成という呼びかけの明確な現れであるのです。 日本におけるインカルチュレーションの道は、簡単ではないのでしょうね。―特に教区や宣教の現場では、重要性がよく理解されていますが、何よりもまず言語の障壁を克服することが必要です。多くの宣教師は到着しても、諦めて帰ってしまいます。そこで現在では、すべての宣教師が最初の2年間を語学の勉強に費やすことが定められています。それには献身と忍耐が必要です。そして、宣教師にとって、日本世界の社会習慣や家庭習慣を学ぶプロセスは決して終わることはありません。それは日本に住む外国籍なら誰でも同じなのですが。 アルゼンチンでは日本人として、日本では「日本人の顔をしたアルゼンチン人」として、二度の移住を経験され、現在は日本カトリック司教協議会で移住者司牧の責任者を務められていますね。このテーマについて、何か伝えたいことはありますか?―先ほども申し上げたように、現在日本には多くの外国籍が住んでいます。統計によれば、およそ300万人にのぼります。例えば、私の教区が属する埼玉県には20万人近い外国籍がおり、東京、愛知、大阪、神奈川に次いで外国籍の多い県です。これは私たちがよく認識しなければならない現象だと思います。この点に関する日本の政策は非常に厳しく、他の司教、特に日本司教協議会会長の菊地功大司教様とともに、私たちは、日本で生まれ育ったにもかかわらず、在留ビザを持っていない、あるいは失効してしまった外国籍の親を持つ子どもたち、また、その在留ビザを持っておらず、不規則な生活をしている子どもたちに対する日本政府の特別な配慮を求めています。そのような状態であるため、勉強はできても、大人になったときに合法的に働く権利も、自分の銀行口座を持つ権利もないのです。こうした中で、政府当局者と対話するにあたっては、サレジオのスタイルがとても重要だと思います。ドン・ボスコを模範とする私たちサレジオ会員は、たとえ重要な地位にある人々であっても、どのように接すればよいかを知るのに役立つアプローチを持っているからです。カトリックの移民の場合、日本のカトリック信者との違いも感じます。彼らの多くは母国では信仰に熱心ではありませんでしたが、日本では困難な状況にある彼らを受け入れ、小教区に集うことを許してくれる共同体を見出します。小教区はもはや単にミサを祝い、秘跡を行う場所ではなく、何よりも兄弟愛と前進するエネルギーをいただく場となっているのです。社会奉仕に積極的で、「良きサマリア人」として献身する移民のキリスト者は、小教区共同体が財政的に支援することを通して連帯を培うという点で、日本のカトリック信者の模範となるかもしれません。一方、宣教師にとっては、外国籍への配慮が日本人への宣教の熱を冷まさないようにするという福音宣教のうえでの大きな課題が存在します。 日本のサレジオ会について教えてください。―ドン・ボスコの息子たちは1926年に日本に足を踏み入れました。つまり、私たちは来日100周年に近づいています。ヴィンチェンツォ・チマッティ師をはじめとする最初のパイオニアたちが日本に到着したとき、会員の数も少なく、お金もない中で彼らはできる限りのことをしました。今日、日本には約80名のサレジオ会員がおり、児童養護施設、学校、小教区など、さまざまな施設や活動に携わっています。「教育における預言的次元」に従って、国の手が届かないところに、私たちが手を差し伸べていかなければなりません。 日本のサレジオ会の主な課題は何だと思われますか?―課題は大きく変わってきました。最初の宣教師たちは日本人と一緒に働きました。しかし今は私たちも移民の統合、とりわけ教育に献身しなければならず、私たちの小教区ではカトリック移民のために、また移民とともに働かなければなりません。サレジオ会は、他の修道会と同様、私たちの小教区で異文化の共同体を作り、形成するこのプロセスにおいて模範的な存在です。特別な司牧奉仕として異なる言語でミサをささげるという第一段階は終わり、すでに異文化間共同体、すなわち日本人と外国籍が日本で一つの教会を形成するという共同体の強化に進みつつあります。しかし、これは実質的かつ継続的な課題です。というのも、私たちは皆、ある種のナショナリズムに傾倒したり、自分たちだけの教会を持ちたがったりして、自分たちの言語集団の創造に閉じこもり、多文化である今日の日本の社会と教会の現実を見ようとしないからです。しかし、もっとも大きな課題は、最も助けを必要とする若者と関わるということです。なぜなら、サレジオの活動に参加するのは、経済的にも社会的にも中間層であることが多いからです。このように機能しているのがまさしく学校のシステムであって、学校には学校のリズムがあるので、それについていけない人たちは取り残されてしまうのです。時には日本人も含めて、妊娠して学校を休めないので中絶してしまう十代の若者にも出会います。また、女性、特に若い移住者の中には仕事を失わないようにするために中絶を選ばざるを得ない人もいます。これらは重要な課題です。しかし、修道会間や教区、また、難民や移民、社会的弱者と共に働くカトリック以外の社会事業とのネットワークの中で、共に行動しなければならないという意識が高まっています。 日本の司祭・修道召命についてはどう考えていますか?―新しい修練生や初期養成を受ける人が移民の波とともに日本にやってきています。近隣のアジア諸国、特にベトナム、インドネシア、フィリピンなどからやってきていることに注目すべきです。また、アフリカやヨーロッパからの宣教師もいます。しかし、ラテンアメリカからの移民、とりわけ、日本にルーツをもつ移民の子孫(ブラジル(20万人)やペルー(4万8千人)、ボリビア、アルゼンチン)はかなりの数にのぼりますが、ラテンアメリカからの宣教師はほどんどいません。男女を問わす、ほとんどすべての修道会はすでに何年も前から、異文化のメンバーで共同体をつくり、彼らのカリスマを再生させようと動きだしています。なるほど、修道生活は日本社会で起きている異文化交流のプロセスと無関係ではなく、ある意味では、日本の未来を築いていくためのモデルであるとさえ言えると思います。日本の教区レベルでは、大神学校は東京に1つしかありませんが、神学生の数は概ね25~35名で、年齢は様々です。教区の神学生と一緒に神学を学ぶようにしている修道会もあります。これは、日本人と外国籍の間の、また、修道会と教区出身者間の兄弟愛を促進しています。ドン・ボスコや私たちの宣教師がそうであったように、召命には情熱が必要です。そして、教育司牧共同体は、サレジオ会員だけのものではなくより大きなものであることを忘れてはなりません。今日、私は、信徒・若者・サレジオ会員がともに働き、サレジオ家族が一つになっていることを見て喜んでいます。 最後に、日本のサレジオ家族の将来についてどう思われますか?―私は自信をもっています。神はサレジオ会をとても愛しておられると信じています。そして、サレジアニ・コオペラトーリやADMA(扶助者聖マリアの会)は、多くの若い会員を擁し、日本のすべての文化や他宗教のメンバーにもますます開かれながら、自らを刷新することに成功しています。そして何よりも、私たちは普遍的な預言、またカリスマ的メッセージの守護者であると確信しています。それは、ドン・ボスコの予防教育法は、カトリック信者だけのものではなく、満たされた人生を望むすべての人のためのものであるということです。そして、今日の若者たちが真の市民となり、新しい人類の建設者となるために必要なものなのです。日本の教会のため、サレジオ会のため、サレジオ家族のため、そして私とさいたま教区のために祈ることを忘れないでください。 私の最初のアド・リミナにあたり、4月15日、サレジオ会のバチカン・サンタンナ共同体でインタビューをしてくださったハリス神父様、大変ありがとうございました。 https://www.infoans.org/en/sections/interviews/item/20963-rmg-a-look-at-the-far-east-the-words-of-bishop-yamanouchi