フランシスコ・ケイシーと同士殉教者
5人の若い殉教者たちの名前は、チェスワフ・ヨショヒャク、エドワード・クリニック、フランシスコ・ケイシー、ヤロクニェク・ヴォィチェホスキー、エドワルド・カジィミエルスキーです。彼らは、ポーランドのポズナニにあるサレジオ会のオラトリオに来ていた青年たちでした。しかし、第二次世界大戦中のポーランドは、ドイツ軍の支配下にあり、彼らもその影響を受けざるを得ませんでした。彼らは、1940年9月に逮捕され、ポズナニの第七収容所で尋問、拷問を受け、重労働の収容所にそれぞれ送られます。1942年8月1日に非合法組織加入により死刑判決を受け、1942年8月24日にギロチンで処刑され殉教します。そして、1999年に列福されました。
彼らの生涯を通して私たちが学ぶことが出来る3つのポイントを挙げたいと思います。
○収容所からの手紙とロザリオ
5人の青年たちが最期に家族に書くことの許された手紙には、収容所での苦しみをキリストの十字架に重ね合わせる内容や、家族に安心や慰めを与える内容が書かれていたそうです。また、収容所でも手錠に付けていたロザリオを一度は、看守から投げ捨てられるものの、それを再度、監視の目を盗んで拾い、死ぬ時まで身につけていたという話があります。これらの話から苦しい時にこそ、日々培っている信仰が試されているように感じられます。
○オラトリオで育まれる青年たちの霊性
おそらく、彼らの殉教の背後には、オラトリオで育まれたサレジオ会の霊性があるように思われます。例えば、クリニックやカジィミエルスキーには聖体と聖母信心が、ヨショヒャクには貞潔の生き方が、ケイシーには頻繁な聖体拝領と毎日のロザリオが、ヴォィチェホスキーには修道院で行われていた聖体礼拝への参加といった青年個々人の霊的な特徴がすでにオラトリオにおいて際だっていました。もちろん、彼らにも人間的な欠点がありましたが、オラトリオが若者たちを人間的にも霊的にも成熟させたと言えるでしょう。
○オラトリオでのサレジオ会員の姿
そして、彼らの成長を促したオラトリオには、多くのサレジオ会員がいたことは、言うまでもないでしょう。例えば、クリニックとカジィミエルスキーの聖体と聖母信心は、サレジオ会員たちの指導によって、ヨショヒャクの貞潔の生き方は、ピエチューラ神父によって育まれます。このように考えますと、彼らの殉教へと向かうための霊的な力は、オラトリオでのサレジオ会員たちによって養われたと言えるでしょう。果たして、今の私たちは、司牧で関わっている子どもたちの霊的な成長にどの程度目を向けているでしょうか、改めて問い直したいと思います。