若者の聴罪司祭 ドン・ボスコ②
ドン・ボスコからゆるしの秘跡を受けたミケーレ・マゴーネ(第二部)
-ゆるしの秘跡についての手引き-
第二部
聴罪司祭、霊的な父 赦される喜び
ミケーレは、記憶に残る告解の後、自分の心の状態について話しています。それは、神のいつくしみと愛を体験、同時に、過去のことに囚われている状態や重くのしかかっていた恥ずかしさから解放された感覚に似たものでした。ドン・ボスコはこう振り返っています。「彼にとって、まさに興奮と感動の一夜でした。あとになって、彼は友人たちに、その夜彼の頭の中を駆け巡ったあらゆる考えについて次のように語っています[1]。」
「あの忘れられない夜にぼくが感じたことすべてを言葉にするのは難しい。…就寝時間の半ばを過ぎたころ、ぼくは満足感と感動とさまざまな感情であまりにもいっぱいになったので、とうとう我慢できずに起き上がってひざまずき、何度も何度も次の言葉を繰り返した。『ああ、罪に落ちる人びととはなんと哀れなことだろう!だけど、もっと不幸なのは罪のうちに生きる人びとだ。もしもこうした人びとが一瞬でも、神の恵みにあるこの大きな慰めを経験することができさえしたら、…良心の呵責を取り除くために、そして心の平安を得るために、みんなゆるしの秘跡を受けにいくだろうとぼくは信じる。…神様、これからはもう決してあなたを傷つけたくありません。それよりも、ぼくは自分の魂のすべてを尽くしてあなたを愛したい。もし運悪く再び罪を犯してしまうようなことがあったら、たとえそれがいちばん小さな罪であっても、ぼくはすぐさまゆるしの秘跡に行く[2]。』」
ドン・ボスコは、ミケーレのような多くの若者がふさわしい告解の後に経験する喜び、つまり、恥ずかしさを乗り越え、心から罪を告白したときに経験する解放的な喜びを強調しています。
「このようにしてわれらのマゴーネは、神を傷つけたことについての良心の呵責について語り、神への聖なる奉仕に忠実であろうとする彼の固い決心を表明したのでした。実際彼はゆるしの秘跡をしょっちゅう受けるようになり、聖体拝領も頻繁にするようになりました。そして、以前は嫌悪感をもっていた信心業に、大きなよろこびを見出すようになったのです。彼がゆるしの秘跡にあまりにも大きなよろこびを感じてしまい、非常に頻繁に受けに行っていたので、聴罪司祭は小心に支配されないように回数を減らさなければなりませんでした[3]。」
ミケーレと同じ喜びを味わった若者たちにとって、2週間に一度でも告解に通うことは簡単なことでした。信頼できる司祭との出会いは、彼らにとって支えとなりました。年齢的な繊細さと感情の起伏の激しさから、他の司祭には言いにくい罪を犯した場合、彼らを自分たちの聴罪司祭のところに行かせました。それは、他の司祭たちが彼ら自身を知らないことを良いことに、彼らが罪を隠し、不誠実な態度をとってしまう危険性があったからです。
先程のように、彼らを迎え入れて、赦しによる神のいつくしみを感じさせる聴罪司祭が必要なのは確かですが、同時に、聴罪司祭は、彼らが自分のところに来ることができない場合、他の司祭にうまく告白できるように手助けする必要があります。
精神的な病
それに関連して、ドン・ボスコは、ドメニコ・サビオの生涯の中で述べたように、小心さについて取り上げています。この深刻な病は、若者だけでなく大人も苦しめています。その解決策は、より頻繁にではなく、定期的にゆるしの秘跡を受けることと、聴罪司祭の助言に速やかに従うことです。
「この病は彼らの精神に非常に簡単に入り込んでしまいます。その害は大きく、悪魔はこれを利用して若者たちの精神を悩ませ、心を動揺させ、信心の行いを重荷としてしまうのです。すでに善行の道に大きく踏み出している者でさえも、これによってしばしばあと戻りしてしまうことがあります。このような大きな不幸から自由になるための最も容易な方法は、聴罪司祭に対して完全に従順になることです。もし聴罪司祭が、これは悪いことだ、と言ったなら、どんなことをしてもそれを避けるようにします。もし聴罪司祭が、これとあれは悪いことではない、と言ったならどうするか?その助言に従ってよろこんで心を安らかにしていればいいのです。かいつまんで言うと、聴罪司祭に素直に従うことこそが、小心から自由になり、神の栄光のうちに堅忍する最も効果的な方法なのです[4]。」
父であり、友である聴罪司祭
ドン・ボスコにとって、ミケーレとの関わりを思い返すことは、聴罪司祭を若者の友、父として紹介する機会を与えてくれました。ある10代の子が、聴罪司祭に「親にも言えないような秘密を打ち明けることができるのは、霊的な意味でのお父さん、あなただけなんです」と言ったことが思い出されます。この霊的な父がもたらす喜びは、ドン・ボスコが若い読者に手紙を書くときに使う表現に表れています。
「片や若きマゴーネが感じた不安と心配、そして、片や自分の魂を整えるために彼が取った率直で毅然としたやり方は、あなたがた愛する若者たちの魂に有益であろうと思われることを助言する機会を私に与えてくれました。どうかあなたがたの永遠の救いを切に望んでいる友人からの愛情の印として、以下の言葉を受け取ってください。…もし不幸にして罪を犯してしまったとき、ゆるしの秘跡の場でそのことを黙っていればよいという悪魔の誘惑に負けてはいけません。聴罪司祭はあらゆる種類の罪を際限なく取り除くための力を神から授かっているのだということを考えてください。告白された罪が重ければ重いほど、聴罪司祭は心の中でよろこびを味わうことができます。なぜなら、聴罪司祭を通してあなたがたの罪を赦す神の慈悲がかえってますますはっきりと示されるようになり、またあなたがたの魂からあらゆる汚れを洗い流してくださる、イエス・キリストの尊い御血の限りない功徳を与えることができるからです。親愛なる若者たちよ、聴罪司祭はあなたがたをできるかぎり助けたいと切に願い、あらゆる悪をあなたがたから遠ざけようと努めている父である、ということを覚えておいてください[5]。」
そして、ドン・ボスコは、若者たちが告解に誠実であることの難しさに気づき、この機会に聴罪司祭としての決まり事があることを彼らに理解してもらえるように努めました。
命よりも大切な秘密
「あなたがたは、自分が犯してしまった重大な過ちをさらけ出すことによって聴罪司祭が自分の評価を下げるのではないかという恐れを抱いてはなりません。また、聴罪司祭が自分の過ちを他人にもらすのではないかと危惧する必要もありません。聴罪司祭はどんなことがあっても、ゆるしの秘跡のときに得たいかなる情報も使うことはできないのです。聴罪司祭はおのれのいのちにかけても、聴罪司祭として耳にしたことは、たとえそれがどんな些細なことであっても決して言わないし、言えないのです。請け合ってもいい、あなたがたが聴罪司祭に対してより正直になり、彼を信頼すればするほど、あなたがたに対する聴罪司祭の信頼はいや増し、あなたがたの魂のためにより必要な助言を与えることができるようになります。あなたがたがゆるしの秘跡において、恥ずかしさのために何かしらの罪を隠したままにさせようと悪魔にだまされないように、このことを言いたかったのです。親愛なる若者たちよ、ゆるしの秘跡においてある種の罪を言わなかったり、正直に明かさなかったりしたために永遠の滅びに向かってしまった数多くのキリスト者たちのことを思い、この部分を下記ながら私の手はまさに震え始めています[6]!」
[1] ジョヴァンニ・ボスコ 佐倉 泉 中村(五味)妙子 訳 『オラトリオの少年たち ドメニコ・サヴィオ、ミケーレ・マゴーネ、フランチェスコ・ベズッコの生涯』、ドン・ボスコ社、pp. 145-146.
[2] 上記 pp. 146-147 参照。
[3] 上記 p. 147 参照。
[4] 上記 pp. 147-148.
[5] 上記 pp. 148-149.
[6] 上記 pp. 149-150.