「なにごとも愛によって行おう」
(聖フランシスコ・サレジオ)
聖フランシスコ・サレジオの帰天から400年を迎えて:
一人はもう一人に続く、サレジオのカリスマにおける二人の巨人
まず、はじめに、私が聖フランシスコ・サレジオの小さな伝記を書くことを意図しているわけではないのだと、おことわりしておきます。真の専門家たちによって書かれたすばらしい伝記がすでにあります。そのようなことはまったくおこがましく、私の力量と意図を超えるのはもちろんのことです。そうではなく、聖フランシスコ・サレジオのすばらしい人物像に照らし、この書き物を通して聖フランシスコの帰天400周年の節目に光を当て、我らがサレジオ家族、ドン・ボスコの家族に光を当てること、それが私の意図です。私たちの家族はサレジオの霊性に根ざし、日々この霊性から汲んでいるのです。
この冒頭から、サレジオのカリスマにおいて、一人がもう一人に続く、二人の巨人について語りたいと思います。二人共に、教会への大いなる贈りものであり、ドン・ボスコはフランシスコ・サレジオの霊的な力を、他に類を見ないほど、貧しい少年たちの日々の教育と福音化に具体化させることができたからです。したがって、全サレジオ家族は、教会において、また今日の世界において、この務めを引き継ぎ、担っているのです。
そのため、はじめからこのように述べたいと思います。フランシスコ・サレジオとジョヴァンニ・ボスコ(ドン・ボスコ)は、幼少期に始まり「象徴的に」多くの共通点があると。
アルプス最高峰の山々に端を発するいくつもの川の流れる山間、その谷を飾るように広がるサヴォワの空の下、フランシスコ・サレジオは生まれました。
ドン・ボスコもまた「サヴォワ人」だったことを、どうして思わずにいられるでしょうか? ドン・ボスコは城では生まれませんでしたが、フランシスコと同じ賜物を頂いていました。つまり、優しい、信仰にあふれた母です。フランソワーズ・ド・ボワシーは、たいへん若いときに初めての子を身ごもりました。アヌシ―で、神の祝福された御子の受難を物語る聖骸布の前で、深く心を揺さぶられ、ある約束をしました。この子は、いつまでもイエスのものであると。
ある日、マンマ・マルゲリータはジョヴァンニに言います。「あなたがこの世に生まれてきたとき、私はあなたをおとめマリアさまにささげたの。」
ドン・ボスコもまたトリノで、同じ聖骸布の前にひざまずくことになります。キリスト者である母たちは聖人たちを生み出します。フランシスコの城であろうと、あるいはジョヴァンニの農村の貧しい家であろうと。
フランシスコが初めて言うことのできた文章は、「よき神さまとお母さまは、ぼくをとても愛している」というものだったと伝えられています。
よき神は、フランシスコとジョヴァンニを見守り、二人に広い大きな心をお与えになりました。フランシスコはパリとパドゥアの、当時、世界で最も名高い大学で学びました。ジョヴァンニは「カッフェ・ピアンタ」の階段下の小部屋で、ろうそくの光をたよりに勉強しました。しかし、聖霊は、ささいな人間的困難に阻まれません。この二人はなぜか出会うよう定められていました。ある日、ドン・ボスコは自分のところで育った若者たちの一団に告げました。「我々は、自分たちをサレジアンと呼ぼう」。その時から、常に聖霊に導かれ、ドン・ボスコの家族の大きな木、サレジオ家族は、成長を始めたのです。
聖フランシスコ・サレジオは、時がたつにつれ、その重要性と意義が大きくなった歴史的な人物です。彼の洞察、経験、霊的確信が広く伝えられ、実を結んだためです。キリスト者としての生き方の提案、霊的同伴の方法、人間と神の関係についての人間論的なビジョンは、400年たった今も私たちを魅了します。
ドン・ボスコ自身が私たちに残した遺産と伝統に忠実なこの家族のストレンナのために選ばれたテーマは、フランシスコ・サレジオのペンから生まれた言葉です。フランシスコ・サレジオは今日、帰天400周年の祝いにおいて、私たちが目を注ぐ中心にいるのです。[1]
ドン・ボスコのサレジオ会の会憲は、聖フランシスコ・サレジオの霊性の要素や特徴を多く含んでいます。サレジアン・シスターズ、そしてドン・ボスコの家族のほかの多くのグループについても同じことが言えます。それぞれのアイデンティティーには、実に多くのサレジオ的要素があるのです。そのため、フランシスコ・サレジオによって400年前に書かれた言葉と、私たちのアイデンティティーの特徴としてサレジオの霊的遺産に属するものとの間に、調和や直接的な適用、関連を見いだすのは難しいことではないのです。
特に、ここで書いていることの導きとして、ドン・ボスコのサレジオ会の会憲、第38条に目を向けます。この条項は、私たちの使命における、教育と司牧の奉仕という枠組みの中での、予防教育法の特徴を説明します。それは、私が展開したいと思っている諸側面の要約となります。あたかも、聖フランシスコ・サレジオの考えを読むための、現代のためのインデックスであるかのようです。こうして私たちは、次の言葉を読みます:
わたしたちの教育・司牧奉仕を遂行するため、ドン・ボスコはわたしたちに予防教育法を伝えた。
「この教育法はすべて、道理・信仰・慈愛(アモレボレッツァ)にもとづいている」。それは強制するのではなく、めいめいの中に深く秘められている能力、すなわち、知性・こころ・神へのあこがれに訴えるものである。
この教育法は、信頼と対話と家庭の雰囲気の中で、教育者と青少年を同じ生活体験をとおして一つに結ぶ。
わたしたちは神の忍耐にならい、青少年が達している自由の程度に合わせて彼らと付き合う。彼らの自覚が成熟し、強まるよう、また、人間性と信仰の微妙な成長過程において段階的に責任を負っていくことができるよう、彼らとともに歩む。
(会憲第38条)
今日の多種多様な社会や文化の中で私たちのサレジオ家族を際立たせるのは、まさにドン・ボスコの予防教育法です。予防教育法は、社会・環境がどれほど多様であっても、そこに適用され、伝えられ、受け入れられることのできるものです。この条項と聖フランシスコ・サレジオの思想、霊性の中心的な論理に、私は多くの共通要素を見いだします。そのことは、ここに見いだされるものに基づいて、フランシスコ・サレジオとドン・ボスコとの間の対話を始めさせてくれます:
- 何も強制によって行わない。自由は神の賜物:→ そのため、私たちの教育法は、「強制するのではなく」、そのほかの手段に訴えます。
- 人間の心の中の神の現存:→ これを通して「めいめいの中に深く秘められている……神へのあこがれ」に私たちは気づきます。
- 神におけるいのち・生活:→ 「教育者と青少年を同じ生活体験をとおして一つに結び合わせます」。
- 柔和な、友情に開かれた人との接し方:→「信頼と対話と家庭の雰囲気の中で」子どもや若者と生活するよう導きます。
- 無条件で惜しみない愛:→ 私たち家族において「神の忍耐にならい、青少年が達している自由の程度に合わせて彼らと付き合う」ことを可能にします。
- 霊的な導きの必要性:→「彼らの自覚が成熟し、強まるよう……彼らとともに歩みます」。
- 最終に「なにごとも愛をもって」行います:→ 彼らが「人間性と信仰の微妙な成長過程において段階的に責任を負っていくことができるよう」に。
- 何も強制によって行わない。自由は神の賜物
そのため私たちの教育法は、「強制するのではなく」、そのほかの手段に訴えます。
「聖フランシスコ・サレジオの愛徳と柔和が、あらゆることにおいて私を導きますように。」[2] キエリの神学校で、ドン・ボスコは、聖フランシスコ・サレジオの果たした基本的な働きについて知る機会を得ました。司祭叙階前にしたためた決心の一つは、ドン・ボスコが聖フランシスコ・サレジオのうちに、活動だけでなく、生き方の模範を見いだしたことを示しています。聖フランシスコ・サレジオが生涯、人々との関わりにおいて示した愛徳と柔和は、ドン・ボスコに強く影響を与え、それは9歳のときの夢に始まる歩みのうちに、一生消えないしるしとなりました:「げんこつはいけない」[3]。
「強制するのではなく」という提案は、すばらしいものであるとともに、自分自身を尊い贈りものとするようにとの招きです。
それは、仕事を引き受けるとき、使命、責任、他者への奉仕を果たすため、その姿勢を持つために、導きとなります。私たちを創造され、自由なものとして造られた神ご自身の決断に調和する、その選択、キリスト者としてのその生き方を支え、これに一貫性を与えます。
理由も告げられず、「なぜ」と聞くこともできずに物事が押しつけられるとき、それが押しつけ、強制であるとき、あまり長続きしない、あるいは、それが命じられている間しか続かないということを、私たちは皆、経験しています。神はそのようには働かれません、そして聖フランシスコは、司牧活動の中でそのことを体験したのです。トリエント公会議の教会の司教、生ぬるい信仰との闘いの中で立ち上がってきたカトリックの信仰刷新運動(反宗教改革)の旗手として、フランシスコは、強制によらない、心の生き方を選びました。フランシスコはただひたすら神がどのような方であるかを観想し、それをただひたすら生きたのです。霊的な娘に、次のように書き送っています:「子どもの手を取る良い父親のように、神はあなたの歩みに歩を合わせ、あなたよりも速く歩かないことで満足されます。」[4]
ヒューマニスト(人間性を深める文化を極めた人)であった聖フランシスコ・サレジオにとって、自由とは、かけがえのない各人が持つ最も尊い要素です。[5] 受肉という現実が、この尊厳を確証する最も崇高な根拠です。神は私たちをご自分に似せて、ご自分にかたどって創造されただけでなく、キリストにおいて - 聖フランシスコの言葉です - 「ご自身を、私たちの似姿、私たちにかたどられた者とされた」と言えるのです。[6] 人間のこの偉大さ、一人の人間の価値は、人間を、責任を備えた者とする自由において現れます。フランシスコ・サレジオにとって、自由はその人の最も重要な部分です。なぜなら自由は、心を生かす心のいのちだからです。自由の価値、尊厳は大いなるもので、それを私たちにくださった神ご自身、それを力づくで要求されることがないほどなのです。神が私たちの自由を願うとき、私たちが心から進んでそれをささげることを、神は望んでおられます。神は「ご自分に仕えるよう人に強いたことはかつてなく、これからも決してないでしょう。」[7]
神の介入、神の恵みは、私たちの同意なしには決して起こりません。神はゆるぎない実力をともなって働かれますが、決して押し付けたり強いたりするためではなく、心をひきつけるために、自由を侵害するためではなく、私たちの自由を愛するがゆえに働かれるのです。神が人間一人ひとりに与えられた自由は、常に尊重されます。神は、フランシスコ・サレジオがよく言っていたように、いつくしみ深い働きかけによって私たちをご自分にひきつけます。時に召命や呼びかけとして、またある時は、友人の声として、ひらめき、招きとして、また別の時には、神は常に前もって計らわれるので、「予防」として。決してご自身を押しつけることはありません。こうして、私たちの扉をたたき、私たちが扉を開けるのを待っておられます。[8]
同じようにドン・ボスコも、ヴァルドッコの最も恵まれない貧しい子どもたちとの関係において、彼らを受け入れ、その教育において共に歩みながら、心の道をたどることを学びました。司牧の熱意、霊魂を救いたいという望み、少年たちの全人的成長のための献身、その実施は、強制や押しつけによってではなく、常に、友情の提案を子どもが受け入れることを通して行われました。子どもは、愛されていると心に感じ、自分の善を望み、自分が幸せであるようにと願う人がいると感じ、友情を結ぶ提案を受け入れるのです。
人間の自由は、信仰、正義、真理などのほかの諸価値が関わってくる場合であっても、常に擁護されるべき価値であり続けます。ドン・ボスコの家族である私たちにとり、これは基本的なことです。すべての人、一人ひとりの自由は聖なるものであると尊ぶことがなければ、教育は不可能であると私たちは信じています。人の自由への尊重がないなら、そこに神はおられません。そのため、聖フランシスコ・サレジオによると、神は、私たちの特質に最も合う方法で、ご自分の愛を通して人をひきつけます。フランシスコはこのすばらしい文章のうちに、このことを述べています:
人の意志をたぐり寄せる紐は喜びと楽しみです。聖アウグスチヌスは言います、子どもに木の実を見せるなら、その子は身体ではなく心を動かす琴線によってそれにひかれるのであると。そこで、永遠の御父がどのように私たちをひきつけられるかを、心にとめましょう:教えながら、私たちを喜ばせるのであって、私たちに強い、押しつけることはなさいません……神の手は、私たちの心を何と優しく扱われることか! その力を私たちに伝えながら、私たちの自由を奪うことなく、その力の動きを私たちに覚えさせながら、私たちの意志を損なうことのない神の手は何と巧みであることか! 神はご自分の力をその柔和に合わせ、善に関わることであれば、その力を私たちに優しく与えられます。その優しさが、意志の自由を力強く保つように。救い主は、サマリアの女に仰せになりました。もしあなたが、神の賜物を知っており、また、「水を飲ませてください」と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。……テオティムス、霊感というものは前もって計らうことによって私たちを守るばかりでなく、私たちが与えられた霊感について考える以前に、感じさせるものなのです。しかし、感じた後に、それを受け入れ、賛成し、心ひかれて従うか、あるいはそれに反対し、拒絶するかは、私たちしだいです。霊感は、私たちの意志にかかわらず感じさせますが、私たちの意志にかかわらず私たちに同意させることはありません。[9]
フランシスコ・サレジオが書いているように、神は、雅歌の語る香りのようにひきつけす。人間の自由と神の魅力を縒り合わせる試みは、優しく進みます。神の魅力は力強いものですが、決して暴力的ではなく、その柔和な優しさにこそひきつける力があり、さらに、フランシスコ・サレジオが生き、分かち合った霊的体験において、神の愛は、被造物への人間の愛に関して、何ら嫉妬するものではありません。いかなる愛も、神に反するものでないかぎり、私たちの心を神から引き離すことはありません。サレジオの神秘体験、私たちがここで語る神への愛は、他者への愛を排除するどころか、その愛を要求するのです。[10]
こうして私たちは、神が人間の自由を尊重されること、同時に、私たちの善を望まれ、ご自分の愛を示す数多くのしるしを差し出されることを理解するのです。疑いようもなく、おそらくその最初のしるしは、神が、私たちの自由を無条件に尊重されることだと言えるでしょう。愛は、押しつけたり要求したりしようとするとき、消えてしまいます。フランシスコ・サレジオは愛である神の肯定的な姿を示すため、この点に熱意を注いだのです。友情を差し出し、ご自分の良いものを与え、私たちに自由の余地を残される神です。ご自分とのやりとりを通して私たちが愛に応えるために。
このことは、私たちにとって、一人ひとりの信教の自由を配慮、尊重することに関しても目を見開かせてくれます。フランシスコ・サレジオのように、カトリックでない人々の中に友情の関わりを築いて存在すること、あかしによる福音宣教の形として私たちが理解する在り方、時に落ち着いて沈黙し、相手を尊重しなければならない在り方は、完全に有効です。それは、非暴力の原則に基づいているからだけでなく、より大切なこととして、人々の自由への深い尊敬に基づいているからです。
聖フランシスコ・サレジオがすでに実践していたこの在り方に、私たちは非常に同感し一致できます。当時の宗教戦争のために対立が激しかった地域で、忍耐、堅忍の預言的なあかしをささげ、キリストの十字架とマリアの母としての取りなしに目を注ぐスタイルです。
私たちがサレジオ家族として世界の実に多くの場所にいることは、私たちがこのような在り方を選択するよう求められるということです。
そして、聖フランシスコ・サレジオの遺産を探求し、その霊性を私たちの時代の目の前にある現実の状況にあてはめることを目指す、それは「サレジオ霊性」において成長する最良の方法になるにちがいないでしょう。
- 人の心の中におられる神:
「全ての人の存在の深奥にある、神を求める望み」を私たちは認めます。
「なにごとも強いられてするのではなく」と言うことは、単なる戦略や方法論ではなく、何よりも、聖フランシスコ・サレジオが持っていた人間を信頼し信じる深い信念 - キリスト教的ヒューマニズム(人間性を深める文化を推奨する立場) - です。それは潮流に真っ向から逆らうものであり、ドン・ボスコが前向きな楽観と若者、少年たちへの全き信頼を通して、見事に発展させることのできたものでした:人間、若い人、個々のすべての人、私たち一人ひとりは、神を必要とし神を求める望み、私たちの存在に刻まれた「神に向かう自然な傾き」を抱いています。[11] 神を見たいと言う自然な望みは、我らが二人の聖人において、確信へと変容されます。神は現存される、そして一人ひとりの人生において、その毎日の生活の時の中で、神ご自身が選ぶ時、神ご自身だけが知っておられる形で、一人ひとりのために現存してくださるという確信へと深められるものなのです。[12]
これらの神学的な原則は、私たちにとって実に今日的なものですが、神の働きに協力するという、深くサレジオ的な霊的姿勢のうちに具体的に表されます:楽観的な姿勢、前向きな生き方、人間性を信じること、その結果、友情の価値を信じ、そこから来る幸せを探求することのうちに聖フランシスコ・サレジオにすでに現れていた、自由の精神のうちに人間に仕えることです。
私たちに友情を差し出すこの肯定的な神のイメージから、この要素を理解するのは易しいことです。それはドン・ボスコが提案した生きたサレジオの霊性に光を当てるものです。「恐れられるよりも、愛される人になりなさい。」[13] 私たちの父ドン・ボスコはフランシスコ・サレジオに倣い、神が恐れられるよりも、神が愛されることを願いました。「神への畏れ」が聖性の道をたどる歩みでなければならないなら、それは恐ろしい罰に対する恐れからではなく、神のいつくしみへの信頼に密接に結ばれた畏れなのです。
悲観や、後ろ向きな考え、不安を種蒔くことから遠く無縁で、神の現存、神と出会いたいという望み、神の友情を受け、それに応えたいという望みが、サレジオの霊性の土台です。神を、掟の侵害を抑制する保護者、遠くにいて無関心な方と捉える人々と反対に、フランシスコ・サレジオは、ご自分の造られた者たち、その幸せに関心を注ぐ方、いつもその者たちの自由を尊重し、揺るぎなく、優しく導く方として神を体験しました。[14]
フランシスコ・サレジオは、すべての人一人ひとりのうちに幸せの希求が、その目標に向かう運動、全人類に共通するその自然な欲求があるいうアリストテレスの考えに組します。同時に、フランシスコは自らの経験から、幸せに近づく最初の歩みは自己受容にあると意識していました。自分自身を受け入れることです。なぜなら、幸せは、それに達する手段と混同されてしまうことがあるからです。幸せを富に求める人もいれば、快楽に求める人、あるいは人間的な栄光に求める人もいます。実際、フランシスコ・サレジオにとっては、至高の善だけが人間の心を満たすことができるのです。その至高の善とは神であり、人間の心は自然にその方へと傾倒します。フランシスコは、哲学の教授たちから学んでいました。「具体的な幸せ」は、知恵、正直さ、善、快楽を所有することに見いだされるが、人間の「本質的な幸せ」は神のうちにのみ見いだされると。フランシスコはトマス・アクィナスの弟子として、究極的な目標として神を直観、あるいは見いだす人間の知性と意志の力に信頼しました。聖アウグスチヌスの『告白』が思い起こされます。これらの考えを見事にまとめており、またフランシスコ・サレジオがいくつかの説教を起草する際にそこから引用した著作です:「おお主よ、あなたは私たちをご自分のために創造されました。私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、休まることはありません」(『告白』I, 1.1)[15]
しかし、私たちが神に対して自然に感じる傾向は、自分たちだけでは得られません。なぜならそれは、神の賜物だからです:先に働かれるのは、常に神です。聖フランシスコ・サレジオはその霊性において、私たちにこの確信を提供します。私たちは幸せ - 神と出会うことと同一であり、自分だけで得ることはできない - へと向かうものすが、神のご意志は、それを私たちに与えることです。そう望んでおられるからです。この豊かに満たされるいのちの約束は、私たちのうちにある神への望みと共に、多くの実を結ぶよう招かれています。
フランシスコ・サレジオの神学的、人間論的なビジョンが、正しいバランスで信仰と理性の間の対話を保たせてくれると、私たちは理解できます - これは今日、私たちにとっても、非常に重要なことです。当時、敵対者たち(フランシスコは彼らを兄弟と呼びました)と話し合いをするとき、フランシスコは、至高の善として神を受け入れることは、理性のうちに、人間の自然的本質そのもののうちに、その支えを見いだせると主張しました。聖書のみに依拠する人々とは異なり、フランシスコ・サレジオは、理性と信仰が同じ源泉から湧き出していること、同じ作者の作品であること、互いに相反することはあり得ないということを示しました。神学は理性の働きを砕くのではなく、活かします。つまり、理性を打ち消すのではなく、完成させます。
このような文脈・背景においてフランシスコ・サレジオは考察と霊性を発展させました。この霊性の流れに継続性を与えることは、今日、私たちにかかっています。実に多くの人の幸せの探求、そして究極的には神の探求において、その生活・生き方に豊かに光をもたらしてきた霊性の流れです。
フランシスコ・サレジオとドン・ボスコ、それぞれが自分の時代にこの強い確信をもって生き、それを私たちに残してくれました。フランシスコは書いています:「農夫の献身的な働きによっても何も生み出さないほど恩知らずな土はありません。」[16] そこで彼は、サレジオの霊性、教育のもう一つの基本的な要素を提起します:忍耐です。それはほかでもなく、私たちに対する神の忍耐に倣うことです。これもまた、ドン・ボスコの生き方において不変のことでした。
今日、この霊性にあずかる家族として、あらゆる困難に立ち向かうために、私たちの知性、心、神への望みの源泉・資源に引き続き信頼し、それを強めることは、私たちにかかっています。この働きのために、サレジオの教育者の、固有な、よく定義されたプロフィールが求められることは確かです。サレジオの教育者は、すべての人、すべての若者、一人ひとりの心の中に、どれほど隠れていようと、必ず善が宿っている、そしてすべての人の心は、神と出会うことができる、という確信を - ドン・ボスコも信じたように - 自らのうちに揺るぎなく守ります。 この道を歩むよう、すべての若者、すべての人を助けることは、私たちにかかっています。
- 神のうちに生きる生活:
類ない生活の体験のうちに「教育者と子ども・若者をひとつに結びます」
フランシスコ・サレジオは霊的生活を、すべての人の手に届くものとして示すことができました。神のうちに生きるこのキリスト者の生活を指すためにフランシスコが使った卓越した言葉は、「信心」でした。それは、神への愛の表現であり、その愛は排他的なものではありません。
フランシスコ・サレジオは、この世の生活を十全に生きながら、余すところなく神のものでありたいと願うことに、何ら抵抗すべきものを見いだしませんでした。おそらくこれが、フランシスコの最も独自な「革命的」提案と言えるでしょう。
信心が何よりもまず神への愛であるなら、それは隣人への愛でもあり、人間が置かれるあらゆる状況で、すべての人が実践するべきものです。本物のキリスト者としての生活をするのに、この世から身を引き、荒れ野へ行ったり、修道院に入ったりする必要はありません。
『信心生活入門』でフランシスコは、神を愛したいと願うすべての人に、「フィロテア」という詩的な呼び名で語りかけながら、世のただ中でキリスト者として生きる道を案内します。祈りの高みに達するために翼を使う必要があること、同時に、周りの人々と聖なる友情あふれる対話をしながら、共に旅路を歩むため、足を使うことを示します。
しかし実際、まことの生きた信心は、フィロテアよ、神への愛を前提とします。実にそれは、神へのまことの愛にほかならず、一般的な愛ではありません。実際、神への愛は、私たちの霊魂を美しいものへ変容させるとき、恵みと呼ばれます。私たちを天の神のみ心にかなうものとするからです。良い行いをするよう私たちを強めるとき、それは愛徳と呼ばれます。しかし、それが完全さの域に達し、良い行いをするよう私たちを強めるだけでなく、配慮を込め、頻繁に、迅速に行うよう私たちを促すとき、それは信心と呼ばれます。[…]端的に言えば、信心は、霊的な機敏さと生き生きとした快活さにほかならず、信心を通して愛徳が私たちのうちに働き、私たちは信心のうちに、迅速に、喜んで行うのです。愛徳が神の掟をすべて果たすよう私たちを導くように、信心は、それを迅速に、熱心に実践させます。そのため、神の掟を守らない人について、良い、あるいは信心深い、と言えません。なぜなら、良い人であるには、愛が必要です。そして信心深い人であるには、愛に加えて、生き生きと熱心な、迅速な実践が必要であるからです。[17]
ここで、我らが著作家の最も輝かしい実り豊かな文章の一部を私は引用せずにはいられません。一人ひとりが、その人への神の計画があってこの世に生まれてくる、という確信を指し示すものです。幸せの計画、神に造られた一人ひとりの人間への神のみ旨が十全に実現する計画です。『信心生活入門』で聖フランシスコ・サレジオは、フィロテアとの対話のうちに、一人ひとりがそれぞれの生きている状況の中で神に栄光をささげる最良の方法を見いだす必要があることについて語りながら、このように述べます:
一人ひとりに異なる信心の実践が求められるでしょう - 貴族、職人、召使、王族、未婚の女性、妻と、それぞれに。さらに、各人の力量、召し出し、務めに合わせて、その実践は調整されなければなりません。わが子よ、あなたに尋ねます、司教がカルトジオ会の孤独な生活を送ろうとすることは、ふさわしいことでしょうか? 一家の父親が、カプチン会士のように将来の備えに無頓着であるとしたら、職人が、修道者のように一日中、教会で過ごすなら、修道者が、司教がそう召し出されているように、隣人のためにあらゆることに関わるなら、そのような信心はばかげていて、無秩序、耐えがたいものではないでしょうか? しかしながら、そのような誤りはしばしば起き、本当の信心と、自分たちが信心深いと空想する人々の無分別とを区別できず、区別しようとしないこの世は、不満をつぶやき、問題を信心のせいにします。実は、信心はこれらの誤りと何の関わりもないのです。[18]
この道は、キリスト教の召命の神学へと続きます。その道では、自分の召命を探求する歩みをたどることが、一人ひとりにかかっています。それは第二バチカン公会議が確認したことに一致します:実に数多く、力強い救いの手段に強められ、すべての信者、あらゆる状況、身分のキリスト者は、一人ひとり、それぞれの道において、御父が聖なる方として完全であるように聖性の完徳に達するよう、主に招かれています(第二バチカン公会議文書、教会憲章11参照)。
フランシスコ・サレジオも、ドン・ボスコも、日々の生活を神への愛の表現とします。それは受け、そしてお返しする愛です。我らが聖人たちは、神との関係を生活により身近なものにし、生活を神との関係により近いものにしたいと願いました。これは、教皇フランシスコが大きな愛情を込めて私たちに語る「お隣さんの聖性」、「中産階級、ごくあたりまえの庶民の聖性」の提案です。「わたしは、神の民の忍耐の中に聖性を見るのが好きです。あふれるほどの愛を注いで子育てにあたる親、家族の生活の糧のために働く人、笑顔を絶やさない、病にある人や高齢の修道者です。日々歩み続けるこの根気の道に、わたしは闘う教会の聖性を見ます。それは大抵、わたしたちのすぐ近くで神の現存を映し出す『身近な』聖性です。別の言い方をすれば、『中産階級の聖性』です。」[19]
ドン・ボスコのように、私たちも今日、自らもその道をたどりながら、召命と聖なる生き方を探求する若者たちと共に歩む同伴という重要な務めを果たす専門家でなければなりません。若者たちが最も差し迫って私たちに求めているのはこのことかもしれません。この同伴は、何と必要とされていることでしょうか! 若者をテーマとする最近のシノドスの際に行われた、教会への呼びかけのこだまは、まだ私たちの耳に残っています。若者たちは、ほかにさまざまある中で、自分たちの召命の識別のため共に歩んでほしいと願っています。教皇フランシスコの使徒的勧告『キリストは生きている』は若者に応えようとするものですが、サレジオ家族として、私たちにとっても挑戦を投げかけるものです:
自己の召命を識別する若者に寄り添うことのできる人物には、司祭、修道者、信徒、専門家、さらには適格な青年がいます。他者の、人生の進むべき道の識別を助けることになった場合、まず必要なのは耳を傾けることです。[20]
こうして私たちは、あたかも自分の手で触れるかのように、私たちの霊性のもう一つの基本的な要素に触れます:共にいること、耳を傾けること。それはまさに、私たちのもとへやって来る若者、私たちのほうから出会いに行く若者、皆を助けるため、友情の関係、親しい出会いを築くためです。それは若者を、人間を中心に置くサレジオの香りを、今いちど帯びます。かつてフランシスコ・サレジオのものであった、ドン・ボスコのDa mihi animasは、今日も、十全に有効なのです。
聖フランシスコ・サレジオは司牧の生活を、自分にゆだねられた使命を果たすことへ方向づけていました。善き牧者キリストの救いの使命にあずかるようフランシスコを導いたのは、神の愛に彼があずかっていることでした。自らの親しい神の愛の体験に始まり、フランシスコは、この熱情の愛、あるいは愛の熱情が、罪人の回心における喜び、この招きを拒絶する人々の頑なさにおける悲しみに表れると感じていました。聖フランシスコ・サレジオのda mihi animasは、このように理解できます。[21]
私たちは、聖フランシスコのように、生活をしっかりとキリストに根ざしたものとするなら、彼の司牧の熱意と愛を、よく実施に移すことができるでしょう。このようにしてはじめて使徒的活動は実を結ぶことができます。なぜなら、自分自身が愛されていると感じるその愛を伝えたいという、その私たちの必要性の体験から出発し、実施されるからです。しかし、今いちど、帰天400周年にあたって聖フランシスコ・サレジオの美しい記念を祝うことは、da mihi animas coeterea tolleの使徒的エネルギーの刷新、場合によっては回復の機会となるでしょう。聖フランシスコとドン・ボスコが抱いていた、同じ牧者の愛をもって、私たち自身を神と若者にささげながら。
ドン・ボスコのサレジオの霊性は、一部の専門家が「抽象的」と言うほかの霊的な流れと比べると、非常に異なる流れをたどるものです。なぜなら、日常生活のための霊性を提案するフランシスコ・サレジオという師からインスピレーションを汲んでいるからです。[22] 聖フランシスコのものとされる美しい言葉があります。「私たちは、神が植えてくださった場所で花咲かなければなりません」。これはサレジオ霊性の基本的な特徴です:現実的な霊性です。自分たちの置かれた状況の中で愛することを学ぶこと、あるがままの生活を受け入れ、神のみ旨の受容としてその生活を愛すること、それは受け身的な生き方のように思えるかもしれませんが、神の摂理が私たちを植えた場所で、徳を実践し、善い行い、務めや日常の事柄を果たすことは、受け身ではありません。その場所は、必ずしも私たちがいたいと願った場所でないかもしれませんし、あるいは、いたいと思った場所かもしれません。それは、神のみ旨を受け入れるために、心を整えることです。
すぐに思い浮かぶのは、これが、ドン・ボスコ自身、少年たち、またサレジオ会員たちに提示した霊性だったということです。例えば、ドメニコ・サヴィオの苦行。
「どうしたものでしょうか! どうしていいか、まったくわかりません。苦行をしなければ天国に行けないと救い主はおっしゃっています。ぼくは苦行を禁じられています。これでは天国へ行けないんじゃないですか?」
「主が君に望んでおられる苦行は従順だよ」と私は彼に言いました。「従うならば、君にはそれで十分だ」
「ほかには苦行はできませんか?」
「できるよ。どんなときでも、忍耐をもって君にされた侮辱を耐え忍ぶという苦行を許可しよう。」そして神様が君に与えてくれる暑さ、寒さ、風、雨、疲れ、あらゆる病気を甘んじて耐えることだ」
「でも、そういうことはやむを得ず我慢することですよね」
「やむを得ず我慢しなければいけないことを神様にささげること。これが君の魂のために功徳となるんだよ」
この勧めにドメニコは満足し、ほっとし、落ち着きを取り戻しました。(『オラトリオの少年たち』第1部ドメニコ・サヴィオ少年の生涯,ドン・ボスコ社 71頁)[23]
私たちサレジオ家族は、ドン・ボスコの神との関係の生き方を自分たちのものとしました。それが、創造の働きにおいて神に、み国の建設においてキリストに、応え、参加し、協力する私たちの道であると知り、務めの遂行を通して。
ドン・ボスコは、この飾らない、親しい、日常的な神との関係を、若者たち、サレジオ会員たちの間で促進し、それを共に生きました。それはフランシスコ・サレジオによる、徳の日常的実践の提案に呼応するものであり、その徳は、ほかの人にとっての徳ではなく、各人の状況、身分に応じるものです。「神はこの世を造られたとき、それぞれの木がそれぞれの実を結ぶよう命じられました:そして神は、同じようにキリスト者 - ご自身の教会の生ける木 - に願われるのです。それぞれが自らの身分と召命にしたがって信心の実を結ぶようにと。」[24]
- 柔和で親しみやすい人との接し方:
子ども・若者たちと「信頼と対話に満ちた家庭的体験のうちに」生活することへ
聖フランシスコ・サレジオは何よりも、その優しさ、柔和で知られています。ある手紙に、彼は次のように書いています:
私は特にこの三つのささやかな徳が大好きです:心の柔和、霊における貧しさ(自らの貧しさを自覚し、すべてにおいて神に寄り頼むこと)、飾らない生活です。また、より強さを必要とする実践も:病者の訪問、貧しい人への奉仕、苦しむ人をなぐさめることなどです。しかし、なにごとも性急な衝動によってではなく、まことの自由のうちに。[25]
フランシスコ・サレジオの生涯と人物を研究した人々は、その友好的で和やかな人柄が生来のものでははなかったということに同意します。[26] ドン・ボスコの場合もそうでなかったように。聖フランシスコ・サレジオは、倣うべき手本である、心の柔和で謙遜なイエス・キリストに倣うことを提案しました。[27] そして、柔和が彼の特徴的な徳であったと言えます。「しかし彼の柔和は、洗練された作法を身につけていることや単なる慣習的な愛想の良さから成る、あの取り繕った上品さとは全く異なるものでした。また、いかなる力も動かすことのできない無関心とも、腹を立てることが必要なときもそうすることを恐れる気の小ささとも異なりました。神への愛の喜ばしい効果として聖フランシスコの心の中で成長し、共感と優しさの精神に養われたたこの徳は、彼の外見の自然な厳粛さ優しさを与え、その声や身のこなしをもやわらげたため、出会ったすべての人の愛情を彼は勝ち取りました。」[28]
ドン・ボスコも自身の司牧活動の初めからこの柔和に引きつけられ、この柔和が、少年たちと関わる際の彼の教育スタイルの特徴となりました。今日、ローマから、優しさと柔和について考察するとき、私たちは、ドン・ボスコ自身が少年たちに対して持っていた思いを直観できます。ドン・ボスコはそれを、痛みと共に、1884年5月10日の手紙でサレジオ会員たちに伝えています。ドン・ボスコは私たちに思い起こさせます:「命令する人にも従う人にも愛があるならば、私たちのあいだには、聖フランシスコ・サレジオの精神が栄えるようになるでしょう。」(会憲会則、著作選集、「ローマからの手紙」270頁)[29] 受容、心からの気持ち、礼節、優しさ、忍耐、愛情、信じること、穏やかさ、柔和などは愛の表現であり、信頼と親しさを生み出すことを、ドン・ボスコは教えてくれます。私たちサレジオの精神は、理解とあわれみ、受容に満ち、若者が成長するのを忍耐強く待つ力量の豊かな、その環境の中で生まれたのです。
フランシスコ・サレジオのように、ドン・ボスコもイエスのみ心の柔和と謙遜(マタイ11・29)を生きたいと望みました。9歳のときの夢で、ドン・ボスコは、山羊や犬、猫、熊などたくさんの動物に囲まれながら、「先生」から指示を受けました:「これが、あなたの持ち場です。あなたの働くべき分野です。謙遜で、強く、たくましい人になりなさい。今、この動物たちになにが起こるかを見せてあげましょう。それと同じことを、わたしの子どもたちのために、してあげてほしいのです。」[30] 実に心を揺さぶられるのは、従順によってドン・ボスコが書いた『聖フランシスコ・サレジオのオラトリオ回想録』に記されているこの最初の頃の思い出において、困難に立ち向かう際の謙遜の姿勢に大きな重きが置かれていることです。
心の柔和と謙遜は、フランシスコ・サレジオにとって、シャブレ地方での宣教における唯一の助けでした。フランシスコはそこで宣教者としてすばらしい司牧奉仕を遂行し、それは今日の使徒職のあり方の模範となります。恐れられることを目指したほかの宣教者たちとは大きく異なり、フランシスコ・サレジオは、樽いっぱいの酢によるよりも、いつものさじ一杯の蜂蜜によって、より多くのハエをひきつけたのです![31]
この優しさ、穏やかさ、柔和の精神は、最初のサレジオ会員たちのうちに深く染み込んだものでした。それは私たちの最も古い伝統なのです。これを疎かにしてはならない、ましてや失ってはならないということを、あらゆることが指し示しています。そのようなことがあれば、私たちのカリスマのアイデンティティーは、大きく損なわれる危険にさらされるでしょう。この善良さと優しさの精神が私たちの中で引き継がれ、伝えられる方法は、サレジオ会員となった少年たちの人生に見ることができます。彼らがサレジオ会員となったのは、まさにヴァルドッコでドン・ボスコと最初のサレジオ会員たちと共に暮らしたことによって自ら体験した、親しさあふれる、温かく迎える、優しい、子どもたちを尊重する、その特徴がきっかけだったのです。実際、初期のころ「サレジオの第四の誓願」の話があり、それには(第一に)優しさ、仕事、予防教育法が含まれていました。[32]
この証言を「ローマからの手紙」の夢の中の証人たち、特に夢に登場する、1870年以前にオラトリオにいたヴァルフレが残した証言と合わせながら、次の言葉を読みます:
それはいのちに満ちた光景であり、躍動感にあふれ、楽しさでいっぱいでした。みんな元気にあばれまわってよろこんでいました。走ったり、飛んだり、跳ねたりする子どもたち[…]運動場の一角では子どもたちの一団が一人の神父を囲み、彼の語りかけを一言ももらすまいと聴き耳を立てていました。別の場所では、一人の神学生が少年たちの一団と一緒にロバ役の相手を追いかけて取り引するゲームをして遊んでいました。[…]先生と生徒たちのあいだに、心のふれあいと親しみの溢れているのが感じられました。[…]親しみは愛を生み、愛は信頼を生みます。[…]こうして子どもたちは、心を開きます。[33]
際立たせる要素として、この慈愛の特徴のない世界のサレジオの現場、サレジアン・シスターズやドン・ボスコのサレジオ会の存在、あるいはドン・ボスコのサレジオ家族を構成する32の会の存在は想像できません。あるいは少なくとも、私たちはこの特徴を持つものとならなければなりません。光を与えてくれる「ヴァルドッコの選択(生き方としてヴァルドッコの精神を選び取ること)」[34] という表現を通して教皇フランシスコが私たちに思い起こさせようとしたように。それは、優しさ、愛情、親しさ、共にいるという、サレジオのスタイルを選ぶ私たちの選択です。私たちは宝ものを持っています、ドン・ボスコから受け取った贈りものです。それにいのちを吹き込むことは、私たちにかかっています。
『ドン・ボスコのサレジオ家族 アイデンティティー憲章』には、愛情と慈愛がサレジオ家族のアイデンティティーの典型的特徴であると述べられています。
ドン・ボスコの慈愛(愛情)は、疑いようもなく、ドン・ボスコの教育法の特徴です。この教育法は、キリスト教的な環境においても、ほかの宗教に所属する青少年の暮らす環境においても、今日なお、効果的なものと考えられています。
しかしながら、この教育法は単なる教育原理にとどまるものではなく、私たちの霊性の本質的要素として認識されなければなりません。
実際に、それは本物の愛です。なぜなら神から力を汲むものでるからです。それは単純さ、誠実さ、忠実さのうちに表れる愛、相手と対話したいという望みを生じさせる愛、信じる心を呼び覚ます愛、信頼と深いコミュニケーションへの道を開きます(「教育は心に関わることです」ドン・ボスコ)。周りに向かって広がり、そのようにして家庭的雰囲気を作る愛です。そのとき、共にいることは美しいこと、豊かなことになります。[35]
フランシスコ・サレジオは、その穏やかな優しさを通して人々をひきつけました。聖ヴィンセンシオ・ア・パウロは彼について、地上に生きる神の子の最も忠実な再現と言っています。[36] フランシスコ・サレジオは、心の柔和で謙遜なイエスから学んだのでした。このイエスのみ心は、フランシスコ・サレジオにとり、そしてドン・ボスコにとり、深い意味を持っていました。肉となった神の愛は、イエスの人間の心のうちに、愛の最も雄弁な表現を見いだしたのです。ご自分の子らへの接し方として、神が穏やかな優しさ、慈愛、愛情を通して人間を創造される自由から出発し、私たちはサレジオ霊性の中核に到達します。それは、私たちの在り方、生き方の規範でもあるもの:愛です。
私たちのもとにいる若者の多くにとって、世界のサレジオ家族と出会いで最も記憶に残る体験は、多くの場合、その家庭的な特徴、自分が受け入れられ、愛情をそそがれたというものです。端的に言えば、家庭的精神です。
フランシスコ・サレジオの、この愛と親しみやすさの力、自己贈与はどこから来るのでしょうか。まちがいなく、フランシスコの到達した深い確信から来るものにちがいありません。それは、自分は神の愛にふさわしくないと感じさせた二つの深刻な危機から立ち上がり、到達した確信です。実際、私たちの誰もが体験しうる危機と暗夜の体験は、ほかの偉大な聖人たちも通ったものです。アビラのテレジア、コルカタのテレジア、十字架の聖ヨハネなど……。フランシスコ・サレジオにおいては、清められた希望が生まれ、自分の功徳に頼るのではなく、神のあわれみと慈愛に寄り頼むようフランシスコを変えました。フランシスコは「清い愛」の方向へと進みました。神を神ご自身として愛する愛です。神が私たちを愛されるのは、私たちが善いものであるからではなく、神が善い方であるからです。また私たちが神を愛するのは、神から何かよいものをもらいたいからではなく、神ご自身が最高の善であるからです。神のみ旨を果たすのは、「ふさわしくない」という気持ちを通してではなく、神のあわれみと慈愛に希望を置くことを通してなのです。これがサレジオ家族に特有な楽観主義(快活な生き方)です。この視点は、気まぐれで懲罰を与える存在として神を描くあらゆる観念を強く拒否し、そうではなく、イエスが明かされた神 - あわれみと愛である神 - を受け入れるよう、そして、神の限りない愛を知覚したフランシスコ・サレジオの心がいかに大きく広がったかを思い巡らすよう、私たちを導きます。ですから、フランシスコが神の愛について語るとき、それは自らの体験について語っているのです。これは彼自身の物語です。こうして、フランシスコ・サレジオは神の愛に、愛をもって応えます。フランシスコが祈りのうちに語るこの深い心からの言葉は、実に感動的です:
何が起ころうと、主よ、すべてはあなたはみ手の中にあります、あなたの道は正義、真理です。予め定められた宿命と糾弾の永遠の裁可に関してあなたが私のために定められたことが何であれ。あなたの裁きは深淵、あなたは常に正義に満ちた裁き手、あわれみ深い父。私は、主よ、あなたを愛します、永遠の命においてあなたを愛することがかなわないなら、少なくともこの世の命において。少なくともここで、あなたを愛します、わが神よ、そしていつもあなたのあわれみに希望を置きます、絶えず、繰り返し、あなたに賛美をささげます、サタンの使いがその反対のことを私に吹き込もうとするにもかかわらず。おお、主イエス、生ける者の地で、あなたはいつまでも私の希望、私の救いでありつづけます。もし私が自分の行いによってそれが必要となり、あなたの最も甘美なるみ顔を仰ぐことのできない呪われた者たちと共に呪われなければならなくなるならば、少なくとも、あなたの聖なるみ名を呪う者たちの一人となるようなことがありませんように。[37]
フランシスコ・サレジオの危機は、その存在の最も深いところを明らかにしました。それは、神を深く愛する心です。ゲツセマネの園でのキリストに倣い、自らの意志をささげ従わせることが、清い愛の頂点であることを、フランシスコは理解していました。そのような応答は、清い愛によってのみ可能であり、霊の最も崇高な中心から湧き出ます。愛する者のための堅忍と犠牲に基づく英雄的な愛です。園で苦悶のうちにあったイエスは、このことにおける私たちの模範です:「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14・36)[38]
神への愛が、気分の良さに基づくのではなく、父である神のみ旨を行うことに基づくという確信はフランシスコ・サレジオの霊性の中核であり、ドン・ボスコの全サレジオ家族にとって規範でなければなりません。フランシスコは、神のなぐさめから、なぐさめの神へ、熱心さからまことの愛へ、試練の中にあっても忠実にとどまりながら、初めに心をとらえた情熱から他者へのまことの愛へと進みながら、前進する必要があると説き、このことを見事に表現しています。自分のために何も求めない、清い、無私の愛は、自分自身から自由です。すべての人が救われることを願う神は、完全な愛があらゆる恐れを打ち払うことを私たちに示してくださいます。すべてを、恐れからではなく、愛によって行うこと、なぜなら愛するよう私たちを促すのは、私たちの功徳ではなく、神のあわれみだからです。
このサレジオの霊性から出発し、神の無条件の愛を見いだすことは私たちにとって意味深いでしょう。まずフランシスコ・サレジオが、そして後にドン・ボスコが、実に見事に発展させた他者への愛徳と司牧の熱意のあらゆるダイナミズムの中心としての、神の無条件の愛です。
- 無条件の、惜しみなく注がれる愛:
「わたしたちは神の忍耐にならい、青少年が達している自由の程度に合わせて彼らと付き合う。」(会憲第38条)
すべての人に聖性を、これはフランシスコ・サレジオの霊的提案の不可欠な要素であり、神の愛に基づき、すべての人一人ひとりに向けられます。この愛は、倣い従うべき揺るぎない模範を、私たちが信心をささげるイエスのみ心のうちに見いだします。柔和、謙遜と共に、自らの意志をささげ従わせること、ゲツセマネの園のキリストに倣うことは、清い愛の頂点です。愛することは、意志の行為、人が神の意志を選ぶ、自己放棄の行為なのです。
フランシスコ・サレジオは『神愛論』の中で、300回以上も心に言及しています。キリスト者のヒューマニストとして、フランシスコは繰り返し、神にかたどられ、その似姿に創造された人間に言及します。そして人間のうちに、彼は「宇宙万物の完成」を見いだします。
人間は宇宙万物を完成させるものです。霊は人間を完成させるもの。愛は霊を、愛徳は愛を完成させるものです。したがって、神の愛が宇宙万物の目的、完成、最高の到達点です。テオティムスよ、このことのうちに神の愛の掟の偉大さ、首位性があり、救い主はこれを、第一の、最も大いなる掟と呼ばれるのです。[39]
人間(女性、男性)の心、放蕩息子の心は、善から遠ざかるときも、自らを善へとひきつけ続けるあの意志を、常に保つでしょう。なぜなら、神はそのように私たちを造られたからです。そして、神がその摂理をもって、恵みと愛をもって助けてくださらなければ、私たちは、ただ人間の本質に頼りながら自力だけで神に到達することはできません。善いもの、美しいもの、真理へと向かう自然な傾向は、私たちを出発させるのに、道を歩み出させるのに十分かもしれ
聖アウグスチヌスは「私たちの心は、あなたのうちに憩うまで安らぐことはありません」[40]と言いましたが、フランシスコ・サレジオの考えに従えば、私たちは神学者のハンス=ウルス・フォン・バルタザールと共に次のように言えるでしょう。「あなたのみ心は、おお神よ、安らぐことがありません、私たちがあなたのうちに憩うまで。」[41]
私たちはサレジオの伝統のうちに、イエスのみ心への信心を優先的に大切にする多くの例を見いだします。フランシスコ・サレジオも、ヨハンナ・ド・シャンタルも、特に、聖母訪問会の娘の一人、聖マルガリタ・マリア・アラコクのうちにも、そして教皇ピオ九世[42] によってこの信心にもたらされた特別な推進力をもって、ドン・ボスコの時代に至るまでそれは見いだされます。教皇ピオ九世はマルガリタ=マリア・アラコクを列福し、1877年には聖フランシスコ・サレジオを教会博士と宣言しました。ドン・ボスコの時代はイエスのみ心への信心が盛んな時代でした。そして、教皇ピオ九世の要請によってわれらが父の果たした大聖堂の建設以来、サレジオ家族は、心に表されるイエスの愛に結ばれてきたのです。この点は、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコの間のもう一つの共通点、結びつきと言えるかもしれません:教会への忠実、福音を告げ知らせる使命への忠実、キリストを司牧活動の中心とすること、すべての人に届くために。ローマのイエスの聖心小聖堂が国際的な教会と言われることは、決してささいなことではありません。バルセロナのティビダボやそのほかサレジオ世界の各地で、そしてもちろん全教会で、イエスのみ心にささげられた数多くの教会と同様に。
イエスのみ心のうちには、神の愛の受肉した現存と、世をあがなう神の意志とが生きています。このことは、神がこの世に贈る最終の決定的な言葉はイエス・キリスト、愛であることを、私たちに保証します。名誉教皇ベネディクト十六世は、その貴重な傑作である回勅『神は愛』で、イエス・キリストは神の愛の受肉、人類の歴史への神の介入の表れであり、神の愛は、イエスのうちに最高の表現を見いだす、と語っています:
イエスはたとえで、見失った羊を捜しに出かける羊飼いや、なくしたドラクメ銀貨を捜す女や、放蕩息子に走り寄って彼を抱く父親について語りました。それは単なることばではありません。これらのたとえは、イエスの存在とわざそのものの意味を説き明かしています。イエスの十字架上での死によって、自らに逆らう神のわざは完全に実現します。こうして、イエスは、人間を高く上げて救うために、自分をささげました。イエスはもっとも徹底的な形で愛を示しました。ヨハネが述べる、キリストの刺し貫かれた脇腹を仰ぎ見て(ヨハネ19・37参照)、わたしたちはこの回勅の出発点となったことばの意味を悟ります。「神は愛です」(1ヨハネ4・8)。まさにここで、わたしたちはこの真理を観想することができます。わたしたちはここから、愛が何であるかを定義しなければなりません。この観想の内に、キリスト信者は、自分が生き、愛するための道を見いだすのです。[43]
イエスのみ心の信心についてのこの簡単な補説は、私たちの霊性の中心へと、私たちを運んでくれます。もし神の愛という源泉が無ければ、善もなく、貧しい人々への献身も、優しさや自由も、愛徳も、そのほか示してきたどのような特徴も、無いのです。人類の一員、私たちの一人となるという神の自由な決定を説明するのは、愛であって、罪ではありません。こうして私たちは、受肉、人となられることが、永遠における神の意志であったことを理解します。それは人間の罪のために神があみ出されたバックアップ・プラン “b” ではないのです。あがなうべき私たちの罪がなかったとしても、それでも神は人となられたでしょう。これはフランシスコ・サレジオの深い確信です。さらに、受肉はただ歴史的事実にとどまらず、継続しているものであり、人間の心・精神に関わること、一人ひとりにとって意味をもつ出来事です。神は、純粋に、自由に、自ら率先し、私たちの歴史に受肉されます。
こうして、使徒職と使命への私たちの献身は、私たちへの愛のためにご自分のいのちを与えた方に倣うこととして、十全な意味を持つようになります。私たちのいのちを贈りものとし、フランシスコ・サレジオが「降りてゆく愛」と呼んだ謙遜をもって、他者との関係を築き、愛によって、小さい人々と共に、その人々を引き上げるために、私たち自身を小さい者とし、同じように愛するのです。これが「われを忘れて相手に向かうこと(恍惚、ecstasy)」なのであり、イエスが足を洗われたときのように(ヨハネ13章)、仕える姿勢をもって他者と出会うために自分の殻から出て行くことです:「イエスは一同を呼び寄せて言われた。「……あなたがたの中で……いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(マタイ20・25‐28)
私たちはドン・ボスコの父性を、主のみ言葉の光に照らし、またフランシスコ・サレジオの良き模範に従い、読むことができます。それは、貧しく、見捨てられ、危険にさらされた若者への無条件の愛の表れだったのです。
私たちサレジオの霊性では、信心と霊的生活は、使徒職と愛徳の実践と別々のものではありません。そのため、ドン・ボスコは少年たちのために、教会の隣りに教育、養成の場を望んだのです。ヴァルドッコの家と同じように、そして世界中のほかの家と同じように、最も貧しい子ども・若者の家庭となる家です。友だちと出会える運動場ないし遊び場が不可欠なのです。隣人への愛の実践へと導く本物の信心は、こうして完全なものとなり、豊かに実現されます。キリストへの愛が若者への愛へと私たちを導くことを、ドン・ボスコは望んでいます。それは私たちの生き方のサレジオ的な特徴であり、今日も、そしていつまでも、ドン・ボスコの家族にとって常に継続されていくべき挑戦なのです。
- 霊的な導き(霊的指導)の必要性:
「彼らの自覚が成熟し、強まるよう、彼らとともに歩みます。」
サレジオ家族は、共に歩む同伴を成長させ続けています。それはフランシスコ・サレジオが、そしてドン・ボスコが、それぞれの時代に育んだ同じ同伴です。その奉仕職、霊的指導の奉仕は、かつて、また今も、サレジオの教育法、教育論において非常に重要なものとして、また私たちがますます良いものにし実践すべきものとして、教会の中で、高く評価されています。それは共に歩む同伴です。この挑戦にも、私たちは、フランシスコ・サレジオから受け継いだサレジオの原則を導入します:慈愛、優しさ、忍耐、耳を傾けること、待つこと…… です。
今日の若者は、あらゆる時代の若者がそうであるように、その旅路で誰かが助けの手を伸べるのを待っています。フランシスコ・サレジオが実に多くの人に差し出した霊的指導、それぞれの置かれた身分の生活の中で神に向かって歩むよう人々を助けたことは、ドン・ボスコが若者たちのために行ったことでした。教育的環境と個々に関わることを通して、一人ひとりに同伴しました。「耳にささやく言葉」を発明したのはドン・ボスコでした。それは少年たち一人ひとりにその子自身の聖性と成長の歩みを提案していることを伝える、ドン・ボスコのやり方でした。それぞれの人生において、神が一人ひとりに抱いた「夢」が実現するほどの歩みを。
若者へのこの奉仕を振り返るとき、個人の同伴が私たちにとってどのような意味があるのか、その探求へと私たちは促されます。それは、相手に耳を傾けるために惜しみなく自分の時間をささげることによる、他者に仕える尊い方法です。人間関係において、相手の話に耳を傾けるために惜しみなく時間をささげることほど感謝されることはありません:ほかの務めや仕事を脇に置き、温かく迎え、耳を傾け、方向づけ、導き、提案し、共に歩むために全面的に応えることです。
聖フランシスコ・サレジオの帰天400周年の間、私たちは若者へのこのささやかな、謙遜な奉仕を忘れることができません。この奉仕は、私たちが若者と共に過ごし、耳を傾け、理解し、神が人生において示される計画を歩むよう彼らを助けるとき、彼らの人生・いのちを喜び、重きを置いていることを明確に表します。ドン・ボスコにおける聖フランシスコ・サレジオの霊性に従う私たちにとって、神のみ旨を発見し、それに従うよう若者を助けることは、私たちの教育と福音宣教の召命に意味を与えます。それは、私たちが教会の中に存在するようになった理由、聖霊がドン・ボスコのうちにサレジオのカリスマを興された理由でもあります。ドン・ボスコの家族が今日、実施に移しているカリスマを。
私たちが貧しく見捨てられた若者を優先的に愛することは、同伴による司牧奉仕というこの次元のうちに具体化され、表されます。確かに、文化的環境も違えば、私たちが同伴するのはフランシスコ・サレジオが同伴したような人々とは違います。しかし、一人ひとりの人生、一人ひとりの若者、私たちの事業の受益者一人ひとりの人生への神のみ旨の探求に重きを置くことに、違いはありません。私たちがその人の人生、話、状況に関心を向けるため、ほかのことを脇に置くとき、私たちの前にいるその人は大切だということが明確になります。これが、ドン・ボスコにとってそうであったように、私たちにとって、今日、同じように差し迫った重要なこととして、ドン・ボスコのモットーである「私にたましいを与えて下さい、他のものは取り去ってください」(Da mihi animas, caetera tolle)を実践する、具体的な方法です。
サレジオの言葉の生き生きとした表現のうちに、多くの若者の「魂の友」になりたいというドン・ボスコの願いを私たちは見いだします。フランシスコ・サレジオが、同伴した人々のうちに霊的友情が呼び覚まされるのを経験したのと同じように。ドン・ボスコはフランシスコ・サレジオの足跡をたどり、あらゆる霊的生活の中心である神との友情へ若者を導くことを目指しました:日常生活の中で、ごくふつうの状況においても、また、特別な、困難な時においても。ドン・ボスコは、信頼される若者の友になることを望み、友として、父として、彼らを神に近づけたいと望みました。ドン・ボスコ自身、次のように語っています:
そういうケースをみて気づいたことは、ある者が刑務所に戻るのは、だれからも相手にされないからだという事実です。わたしは心の中でこうつぶやきました。「これらの若者が刑務所の外に、自分たちの面倒を見てくれる友を一人でももっているなら、自分たちの世話をし、祝祭日には宗教を学ばせてくれる友人が一人でもいるなら、破滅にいたらなくても済むのではないか。少なくとも刑務所に戻る者の数は減るのではないか」と。わたしはこの考えをカファッソ神父に打ち明け、彼の勧めと指針に従ってそれを具体化する手立てを探究し始めました。そして、結果は主の恵みにゆだねることにしたのです。恵みなしにあらゆる人間的な努力はむなしいものとなるからです。[44]
フランシスコ・サレジオは、『信心生活入門』で、人生の旅における「魂の友」を見いだすよう提案する際、そこに何の条件も示しません。ここにも無条件の受容があります。これが「サレジオ的な同伴の在り方」[45] です。
トビアはラゲスへ行くよう言われたとき、父に従うつもりでしたが、道を知らないと抗弁しました。それに対し、トビトは答えました。「だれか一緒に行ってくれる人を見つけなさい。」そうであっても、娘よ、あなたに言います、もし信心生活の道を本当にたどりたいなら、あなたを導き、指導する、聖なる人を探し求めなさい。これこそ教えの中の教えであると、信心深いアビラは言います。求めなさい、なぜなら、いにしえのあらゆる聖人たちが普遍的に教え、実践した、謙遜な従順の手段を通して見いだす以上に、神のみ旨を確かに見いだせることは、決してないからです。[46]
私たちの旅を共に歩んでくれる魂の友を見いだすことも、このサレジオの聖年のすばらしい実りになるでしょう。ドン・ボスコはこのことに大いに配慮を傾け、無条件の受容によってそれを具体的に生きました。ふさわしい環境と場、友情、愛情、信頼、一人ひとりにとっての善の探求、私たちの道に、共に歩んでくれる人を置いてくださった神に耳を傾けることを確保しながら。ドン・ボスコ自身、自らの体験から、人生における、特にいくつかの決定的な時における同伴の大きな価値について示しています。ドン・ボスコは語っています:
カファッソ神父は六年前からわたしの相談相手でしたが、霊的指導司祭でもあり、もしわたしがなにかよいことを行うことができたとすれば、それは、ひとえに師のおかげでした。わたしは人生のどんな決定や探究や行為もすべてカファッソ師の導きにゆだねていました。[47]
このことについて、フランシスコ・サレジオは『信心生活入門』に書いています:
実に、あなたの霊的指導者は天があなたに遣わした天使のようであるべきです。私がこのように言うのは、その霊的指導者を見いだしたならば、あなたはその人をふつうの人として見たり、その知恵に信頼したりするのではなく、神に目をむけるべきだといということです。神はあなたに必要なことを、その人の心と口に授け、その人を通してあなたを助け、あなたに語ります。そのためあなたは、その人があなたを天へ導くために天から降りて来た天使であるかのように、耳を傾けなければならないのです。誠意と忠実を尽くして、そして開かれた心で、彼に接しなさい。見せかけたり隠し立てしたりすることなく、あなたの善も悪も同じように表すのです。そうして、あなたの善は調べられて確かなものとされ、あなたの悪は正され、癒されるでしょう。困難のとき、あなたはなぐさめられ、力づけられ、順境のときは、謙虚にされ、制御されるでしょう。あなたの指導者に、聖なる畏敬のこもった心からの信頼を置きなさい、畏敬の念があなたの信頼を決して妨げず、信頼が畏敬の念を決して減じさせないように。娘が父親に寄せる尊敬をもって彼を信頼しなさい。息子が母親に抱く信頼をもって彼を尊敬しなさい。一言で言えば、そのような友情は強く甘美なもの、全く聖なるもの、神聖な、神からのもの、霊的なものであるべきです。[48]
ドン・ボスコは、トリノの司祭研修学院で過ごした期間の終わりに、自分が始めなければならないことの中で、神のみ旨に歩みを導かれることを願い、自分をいちばんよく知り、導くことにできる人の判断に、自らをゆだねました。カファッソ神父です。カファッソ神父との次の短い会話の中でドン・ボスコは、フランシスコ・サレジオが教えたことをどれほど豊かに身につけていたかを、私たちに示してくれます。わけへだてのない心で生きること、誠実な糾明を続けること、同伴における従順などの教えです。ドン・ボスコは私たちに生き方を示してくれます - それは人に向けた提案ではなく、まず自らが実践する生き方です。
ある日のこと、カファッソ神父はわたしを自宅に呼び、こう言いました。「ジョバンニ神父。研修期も終わり、いよいよ現場で働く番ですね。刈り入れはどっさりあります。ところで、ご自身はどんな仕事に向いていると思ってるんですか」
「神父様がわたしのためによかれと推薦してくださる仕事です」
「だとすれば仕事の口は三つあります。ブッティリエーラ・ディ・アツティの助任司祭が一つ、二つ目はこのコンビットでの倫理神学教授補佐、三つ目は「リフージョ」の隣接地に最近できたばかりの小病院の責任者を務めることです。さて、ジョバンニ神父、この三つのうちどれを選びますか」
「神父様がよいと思われるものを」
「でも三つのうちで一番自分に合っていると思われる仕事があるでしょう」
「わたしに合う仕事とおっしゃるなら、それは若者相手の仕事です。でも神父様がお決めください。わたしとしては神父様のご決定を神のみ旨として受けとめるつもりですから」
「では、この瞬間の神父さんの胸のうちを教えてくださいよ。神父さんの頭を占めている考えはなんですか」
「この瞬間ですか。そうですね。わたしに援助を求める大勢の若者に取り囲まれている自分の姿が目に浮かびます」
「では、数週間、休暇をとり、どこかに行ってきなさい。戻ってきたとき、赴任先を教えてあげますから」
しかし、休暇後数週間たつというのに、カファッソ神父はわたしに一言もいってくれませんでした。わたしもわたしで黙ったままでいました。ある日、師のほうが先に口を開きました。
「赴任先のことを聞こうとはしないのですか」
「わたしとしては、カファッソ神父様の決定の中に神のみ旨を認めたいと思っています。わたしの意志をそこにもちこみたくはありません」
「それならこうしなさい。すぐ荷物をまとめてボレル神父のおられるリフージョに行くのです。そして聖フィロメーナ医院の責任をとってください。リフージョの事業のほうにも手を貸してやってほしいのです。その間、男の子たちのためになにをすべきかを、神さまが神父さんに示してくださるでしょう」
師の勧めてくれたこの仕事は、一見わたしの向きに合わないと思われました。なぜなら、病院の管理職に就き、四百人以上もの女の子たちが住む施設で説教をしたり、告解を聴いたりした日には、他の仕事はいっさい不可能になってしまうからです。にもかかわらず、これが天のおぼしめしであったことは、あとになってわかったことでした。[49]
したがって私たちは、フランシスコ・サレジオの霊性において、同伴に関して私たちの教育スタイルが「霊的な仕方で秘義(神の愛)を伝授すること」(spiritual mystagogy)であることを発見します。それは教育的友情をもって相手への責任を引き受けるものです。その友情は光で照らし、内的生活へ導き、そこから神との関係が始まります。表面的ではなく、神の愛に至る旅で、一人ひとりと歩むことのできる生き方と友情、喜びあふれる親しい絆をもって。そして同伴を行うサレジオ家族の各人は、予防教育法と牧者の愛を生きる人にふさわしい姿勢も、身につけていなければなりません。[50]
- 「なにごとも、愛によって」:
「人間性と信仰の微妙な成長過程において段階的に責任を負っていくことができる」ように。
サレジオの(フランシスコ・サレジオの)霊性の全体に一貫して流れる一つの要素は、祈りに大きな価値を置いていることです。これまで、イエスの聖心への信心など、いくつかの信心の形、信頼という基本的な姿勢、摂理のみ手にゆだねること、自分の中に「内なる聖域」があるという意識、培うべき神との友情、できるかぎりのことを行う小さなことに忠実な人々を助けることを決して拒まれない神の慈愛について触れました。
このすべてにおいて、フランシスコ・サレジオの司牧の熱意、すべての人に対する忍耐強さ、優しさ、楽観的な姿勢、剛毅、また福音の良い知らせをすべての人に伝える望みをも、感じ取ることができます。それはすべて、フランシスコの、日々の深く、単純な、神との真の友情の関係の実りです。フランシスコの祈りの生活は、神との親しい愛の物語、歩みにおける前進、そして、自分の心の「心」、いのちの中心との関係が冷えてしまうことを避けるために行うことでした。
フランシスコ・サレジオにとって、神とのコミュニケーションである祈りは、主の心に語りかける人の心です。それは体現された霊性の祈りです。神は、人間の心の神であるだけでなく、「人間の心の友」です。
祈りは、この神の心を見いださせ、私たちの心を、神の心に似たものに形作っていきます。
「私たちは、神の限りない美の特質を仰ぎ、その中に分け入るため、理解を神に一致させます;そして七つ目に、私たちは意志を神に一致させます、神の計り知れない慈愛の甘美さを味わい、体験するために;この梯子の最上段で、神は私たちのほうへかがみこまれ、愛の接吻をさずけ、ぶどう酒にまさるご自身の甘美さの聖なる乳を味わわせてくださるのです。」[51]
フランシスコ・サレジオは祈りを心と心の対話として体験し、そこでは神が率先されます。
友人の贈りものはいつもありがたいものです。最も甘美な掟も、暴君のような酷い心によって課せられるなら、苦いものになるでしょう。ヤコブにとって奉仕は高貴な誉れでした、愛に根ざしていたからです……多くの人は、病人が薬を服用するかのように掟を守ります。救い主の喜びとなる生き方をする愛からよりも、永遠の罰の状態で死ぬことへの恐れから掟を守るのです。それに反して、愛する心は掟を愛します;そして掟が難しければ難しいほど、好ましいものになります、なぜなら、愛する方をより完全に喜ばせ、より大いなる誉れをささげることができるからです。[52]
それは神のみ旨を愛すること、み旨を実践し、それを果たすための最良の支えを祈りに見いだすことです。この霊性への鍵となるのは、愛してくださっていると知っている方と共にいるために祈りに向かうこと、愛された弟子のように、観想するため、私たちの心の鼓動を師の心の鼓動に合わせること。なぜなら祈りは、多く考えることではなく、多く愛することだからです;そして、回復し、愛し続ける力を見いだす道として、その方のうちに憩うことです。
祈りの物指しである愛徳
愛徳は、私たちの祈りの物指しになります。なぜなら、神への愛は隣人への愛のうちに表れるからです。これが「日常生活に根ざした祈り(prayer of life)」であり、聖フランシスコ・サレジオにとって大変重要でした[53]。それは、私たちのあらゆる活動を愛のうちに、神への愛から行うことから成るものです。私たちの生活全体がたゆみない祈りとなるように。愛徳のわざを行う人、病人を見舞い、運動場でアッシステンツァをし、耳を傾けるために相手に時間をささげ、助けを必要とする人を温かく迎える……その人たちは、祈っています。務めや仕事が神との一致を妨げるようなことがあってはなりません。そしてこの祈りの形を実践する人は、神を忘れるという危険を冒しません。二人の人が愛し合っているとき - フランシスコ・サレジオは結びます - 二人は常に互いのことを思うのです。
神との一致に達するために - ドン・ボスコの息子、娘である私たちの霊性において大変大切な問題 - フランシスコが提案する単純な手段は、ドン・ボスコが少年たちや最初のサレジオ会員に提示した信心の実践のうちに認められるものです。この世の事柄で多忙な人々には、簡単な祈願、短い祈り、良い思いをささげながら、あるいはただ、私たちの霊のうちにおられる神を意識することによって、精神を落ち着かせ、神に心を一致させる、そのような時を、たとえごく短い時間でも見いだすようフランシスコは勧めます。人と話しているときや活動のさなかにあっても、私たちは常に、神の現存のうちにとどまることができます。このようにして、真の祈りは日常生活の務めをおろそかにさせません。こういったことを経験している人は、フランシスコ・サレジオが、人に助言し教えたことを実践したと気づきます。フランシスコが行ったのは、神のため、神のうちに行ったことでした。彼は、この「行動する祈り(活動を祈りそのものにまで高めること)」をほかの祈りよりもはるかに良いものと考えました。仕事や務めに圧倒されるようなとき、形ある祈りにほとんど時間をかけませんでした:「彼の生活はたゆみない祈りであった。」[54]
フランシスコ・サレジオは『信心生活入門』で、イエスの聖テレジアの模範に丁寧に従いながら祈りの諸段階(「声に出して唱える祈り[口祷]」→「心の中で捧げられる祈り[黙想=念祷]→「ひたすら沈黙しつつ神の愛のなかにたたずむ祈り[観想])を提示します。私たちの日常的な実践のため、フランシスコ・サレジオにとって黙想にどのような価値があるか詳しく見ることは有用でしょう。フランシスコは、ちょうど時計が止まってしまわないよう巻かれるように、祈りや、黙想、良心の糾明、そのほかの信心の実践のうちに主にささげられた時間は、私たちの熱意、使徒的情熱、神のものでありたいという望みを生き生きと保ち続けると考えています。せわしない活動、忙しさから身をひいて心の奥深くに沈潜し、神との心と心の対話をするひと時を見いだすのは良いことです。
どれほどよい時計であっても、時々に巻かなくてよい時計などありません。さらに、毎年、時計を分解し、動きを妨げる錆をきれいに取り、ゆがみがあれば直し、すりへっている部分があれば新たにする必要があります。たとえそうしたとしても、自分の信心を本当に心にかけている人は、朝に夕に、神に向けてそれを巻き直すでしょう。その状態を調べ、正し、改善するでしょう。そして少なくとも年に一回、その働きを分解し、注意深く調べるでしょう。その人の愛着や情熱のことです - 何か損なわれているものがあれば、修繕するために。そしてちょうど、時計が正確に動き錆に強くなるよう、時計職人がすべての歯車やばねに繊細に油をあてがうように、信心に満ちた魂は、自らの心のわざを分解した後、ゆるしの秘跡および聖体の秘跡によってそれを滑らかにうるおすでしょう。これらの働きかけは、時間とともに生じた荒廃を修復し、心を燃え立たせ、良い決心を復活させ、心の恵みを新たに花咲かせるでしょう。[55]
その歩みが真正なものであるとき、祈りは行動に結びつき、行動は祈りに立ち帰らせます。さらに価値を加えるのは、祈りが単純な心で、「何も求めず、何も拒まない」という自己を明け渡した姿勢で実践されることです。このことは、キリストに従うために動機を清める助けになり、私たちは神に導かれるようになり、真に自由になるために整えられます。
マリア、イエスの母。この母に向かい、その母の愛に呼びかけましょう
このことにはただ短く簡潔に触れますが、信仰における人間的成長は、イエスの母マリアのうちにも模範を見いだすということを強調したいと思います。[56] ジャンヌ・ド・シャンタルと共に創立した聖母訪問会の事業は、二つの矢に射抜かれ、十字架と、いばらの冠を頂き、イエスとマリアの聖なるみ名を刻まれたた心がその象徴であると、聖フランシスコ・サレジオは言っています。フランシスコ・サレジオの神学におけるマリアの役割は、第二バチカン公会議のそれとそっくり同じです。マリアは教会の中心に、しっかりと位置付けられています。そしてマリアの使命は、「すべての人を御子へとひきつけ、導く」[57]ことです。弟子たちのように、一致の源泉、聖霊を受けるためにマリアと共にあるようフランシスコ・サレジオが勧めるのは、そのためです。
大いなる特別な愛をこめておとめマリアをたたえ、崇敬、尊敬をささげましょう。マリアはわれらが王なる主の母であり、しかれば私たちはその子です。愛情深い子としてのすべての愛と信頼をもってマリアを思いましょう。マリアの愛を望み、まことの子の心でマリアのものである恵みに倣いましょう。[58]
さらに、あらゆる徳の模範、「キリストを着た」方として示されるマリアは、御子のように、謙遜の道を歩まれます。神に全面的に寄り頼み、いつも神のみ旨に応える用意があります。マリアは神の惜しみない恵みを豊かに受けます。マグニフィカトで主のはしための謙遜を歌うとき、それはマリアが神のまなざしをひきつけたからです。
最後になりますが、私たちの母、導き手なるおとめへのサレジオの信心の特徴は、ドン・ボスコが、なぐさめに満ちた無原罪のマリア、御子の兄弟姉妹の扶けであるマリアに置いた信頼に結ばれています。マリアは神の救いの計画に協力され、フランシスコ・サレジオの言葉を借りると、マリアが「人生のあらゆる状況を経験されるよう、そうして人々が、各々の生活の状況において良く生きるために必要なすべてをマリアのうちに見いだすよう」[59] 神は計らわれました。マリアのような進んで応える心を見いだされるとき、神が愛をもって何を行う用意がおありか、私たちはそれをマリアのうちに見ます。自らをむなしくすることによって、マリアは満ち満ちた神の存在を受け入れます。神のみ旨に開かれた姿勢によって、神はマリアのうちに大いなることを果たすことがおできになるのです。その人生、神への「はい」と共に、マリアの観想は、神の愛に自分たちを開くよう私たちを招きます。イエスのみ心は、十字架の木の上で、私たちを観想し愛されると、知ることのうちに。私たちの心のまことの終着点への歩みの完成を、私たちはマリアのうちに見ます、その終着点は、神のみ心です。
フランシスコ・サレジオ、神を伝えるキリスト教的ヒューマニズムの担い手
フランシスコ・サレジオのもう一つの特徴がありますが、それは私たちの世界の文化の分野で最もよく知られているものかもしれません:フランシスコ・サレジオは報道関係者(ジャーナリスト)の保護の聖人です。社会的なコミュニケーションが多様な形で行われる時代、否定できないその功罪と共に、フランシスコ・サレジオは報道という職業に尊厳を与える価値、すなわち、真理の探究、そしてその普及という価値において、際立つ存在です。
1923年、教皇ピオ十一世は、フランシスコ・サレジオをジャーナリストの保護の聖人と宣言した際[60]、コミュニケーターとしてのその第一の特徴を指摘しました。フランシスコの優しさに満ちた聖性は、その書き物を通して、キリスト者としての完徳に至る確かなわかりやすい道を人々に示したのです。
フランシスコ・サレジオがそうしたように、聖性がすべての人のためであること、そしてこの世の生活のどのような役割や条件とも全く調和しうると示すことは、信仰、宗教の内容を、複雑でない、わかりやすい、親切な言葉で伝えるすべを知っていることとつながっています。そしてこれは、真理を伝えるサレジオの徳であり特徴です。すべての人に真理が宣べ伝えられ、受け渡されるためのメッセージをすべての人が理解できるよう、可能なあらゆる手段を用いながら。
福音の真理を伝えたいというこの望みは、類ない創造力と独自性に伴われていました。例えば、牧者として自分にゆだねられた神の民にカテケジスを授ける説教台がないなら、ポスターを公共の場に貼り出したり、家々の戸口の下にすべり込ませて配ったりしました。このように簡単な、自由な、近づきやすい方法で、人々と共にいるようにしたのです。
フランシスコ・サレジオの帰天100周年にあたっての回勅で、ピオ十一世は、まっすぐな、職業人らしい、誠実な行いの模範として、今も通用し考察に値する基本的な原則を挙げ、それについて述べています。
このおごそかな記念の年[フランシスコ・サレジオ帰天300周年]、ジャーナリスト、文筆家として教会の教義を説き明かし、広め、擁護するカトリック信徒たちが、最大の実りを得られるようにと私は願っています。その人々は、書くものにおいて、聖フランシスコの独特の特徴であった節度と愛徳に常に結ばれたあの力に、絶えず倣い、それを表すことが必要です。聖フランシスコはその模範によって、どのように書くべきか、正確に、曖昧さを残さずに教えます。第一に、そして最も大切なこととして、文筆家は各々、あらゆる方法で、可能なかぎり、教会の教えへの完全な理解を習得するべきです。真理に関わることの場合、決して妥協したり、相手の気持ちを害する可能性を恐れて、真理を極小化したり隠したりしてはなりません。文章のスタイルに特別に注意を払い、自らの考えを明確に、美しい言葉で表現するとよいでしょう。読者がより進んで真理を愛するようになるためです。議論しなければならなくなった場合、誤りに反論し、邪悪な者の策略を乗り越えられるよう備えていなければなりません。しかし、自らが至高の理念に生かされ、キリスト教的愛徳にのみ動かされていることを、常に明確に表すようにし、備えるのです。これまで聖フランシスコが、使徒座の厳粛かつ公のいかなる文書においても、文筆家の保護の聖人として指名されたことのないことをかんがみ、私はこの幸いな機会に、熟考と十全な知識を深めたうえで、使徒的権威により、この回勅をもって、たとえ異なる見解があるとしても、ジュネーブの司教、教会博士である聖フランシスコ・サレジオを、文筆家の天における保護者とすることを、ここに公布、確認、宣言します。[61]
私たちはここに、真理と真理を告げることへの尊い責任、慈愛と柔和を特徴とするサレジオのスタイルへの、ただ福音を告げ知らせることへの、常に人々の善益を求め真理をすべての人に届けようとする正しい意向への、尊い責任を見いだします。
今、述べたことに加え、福音を宣べ伝えること、信仰を告げ知らせることは、考慮すべきもう一つの重要な側面を伴います。フランシスコ・サレジオはそれに忠実であったからです。ジュネーブの司教として、フランシスコは常に神の民の、特にカテケジスによる福音化に心を砕いていました。私たちはドン・ボスコの家族として、このカリスマ的な価値を失ってはなりません。それが生きられるようにと福音のメッセージを伝えることは、私たちのカリスマの一部分です。サレジオ修道会、サレジオ家族はささやかなカテキズムの教えから始まったのです。[62] 教会は最近、信徒のカテキスタ(信仰教育者)としての奉仕職(ministry of catechist)を制定しました。[63] これらの観点から福音宣教の次元を再び活気づけるすばらしい機会を私たちは与えられているのです。
ドン・ボスコもまた、当時、可能だった手段によって、40年の間に318に及ぶ書籍を出版したことを思い出しましょう。フランシスコ・サレジオのように、良い言葉、豊かな読書が大いなる善をもたらすと、ドン・ボスコは確信していたからです。どれほど苦労しようと、それが誰かの善と救いを得るためならば、ドン・ボスコにとっては何でもありませんでした。
最後に、フランシスコ・サレジオの思いは常に、すべての人に手を差し伸べ、神の愛が差し出す救いと解放を人々に告げ知らせることでした。このことは、フランシスコが司牧の熱意を実行に移した特別な、親しみやすい方法の中で実現しました。さまざまな方法で人々を訪れ、人々と出会い、探し求め、励ますために出向いて行ったのです。ジャンヌ・ド・シャンタルと共に聖母訪問会を創立したことは、教皇フランシスコが掲げる「出向いて行く教会」を、その時代の言葉で私たちに語るのです。イエスのメッセージを聞きたいと願うすべての人と出会うために出かけて行く教会です。
週日、少年たちを職場に訪ね歩くドン・ボスコの姿、教区の人々を訪ね、家の戸口の下から信仰と神の愛のメッセージを差し入れ残して行くフランシスコ・サレジオの姿、私たちのインスピレーションの源、親戚のエリザベトを訪問するおとめマリアの姿は、私たちを勇気づけ、熱意をかきたて、そしてなかなかの挑戦を私たちに投げかけるはずです。
結び
私たちも、サレジオ家族として、「ご訪問のカリスマ」を明白に表す必要があります。それは、私たちのもとへ人々が来るのを待つのではなく、実に多くの人が暮らす地域や場所に出かけて行き、福音を告げ知らせたいという心の望みとしてです。温かい言葉、出会い、尊敬のこもったまなざしがよりよい人生への地平を開くことのできる、その人々のために。
端的に言えば、若者たちがどこにいようと、どのような状況にあろうと、彼らに出会うため出かけて行くことは、私たちの最も際立った特徴であり続けます。私たちの愛するものを若者が愛するよう、若者が愛するものを愛したいというドン・ボスコの望みを確かめ、サレジオの精神、「ヴァルドッコの選択」を広めながら、若者のいるところに共にいたいという願いによって運ばれるところどこででも、真の「そこに共にいるというサレジオ家族的な秘跡」および、「毎日の小さな愛徳のわざ」を果たす献身とを、生きながら。私たちはこのようにして生まれたのであり、そのようにしてドン・ボスコに従いたいと願います。フランシスコ・サレジオのうちに、模範、気心の合う同志、魂の友のような存在を見いだしたドン・ボスコに。
今年祝う記念の年が、聖フランシスコ・サレジオの精神の刻まれたドン・ボスコのサレジオのカリスマをもって、貧しく見捨てられた青少年への献身において成長し続けるよう、私たちを助けてくれますように。
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再び読み、振り返り、心に留めるもの
聖フランシスコ・サレジオ、ドン・ボスコ、教皇フランシスコの考えを、そして私自身が書いたものさえも引用し、この解説をしめくくりたいと思います。これらはストレンナを読んだ後で、数ある読み物の中でも、振り返りのため、私たちの心をそこに留めるために、私たちの助けになるかもしれません。中でも、次のものを“集め”てみました:
- Salesian optimism)です。
- [64]と言いましたが、フランシスコ・サレジオの考えに従えば、私たちは神学者のハンス=ウルス・フォン・バルタザールと共に次のように言えるでしょう。「あなたのみ心は、おお神よ、安らぐことがありません、私たちがあなたのうちに憩うまで。」
- を、ドン・ボスコは望んでいます。それは私たちの生き方のサレジオ家族としての特徴であり、今日も、そしていつまでも、ドン・ボスコの家族にとって常に継続されていくべき挑戦なのです。
- 、この神の心を見いださせ、私たちの心を、神の心に似たものに形作っていきます。
- 日常生活に根ざした祈り」です:それは、私たちのあらゆる活動を愛のうちに、神への愛から行うことから成るものです。私たちの生活全体がたゆみない祈りとなるように。
[1] Lettre CCXXXIV. A la Baronne de Chantalシャンタル男爵夫人宛書簡, OEA XII, 359. 書簡は1604年10月14日付: 「唱え慣れている祈りを本当に好んでおられるなら、どうぞその祈りをやめないでください;そして私が行うよう指示していることを一部、し忘れるとしても、気をとがめないように。ここに、私たちの従順に関わる総則を大文字で記します:なにごとも、強いられてではなく、愛によって行いなさい;従順を恐れる以上に、従順を愛してください。あなたが自由の精神を持つことを願っています。それは従順を排除するもの(これは肉の自由です)ではなく、強制、呵責、不安を排する自由です。従順と温順を本当に愛しているなら、何らかの合理的な、愛徳に基づく事情により修道生活の務めを果たせない場合、それがあなたにとって別の形の従順となり、省かざるをえない修道的実践を、あなたが愛によって埋め合わせするようになればと私は願っています。」
[2] 若き日のドン・ボスコが司祭叙階前の黙想中に記した4番目の決心, ISS, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, 971.
[3] G. Bosco, Memorie dell’Oratorio di S. Francis de Sales dal 1815 al 1855, ISS, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, 1176, ジョヴァンニ・ボスコ,『オラトリオ回想録』, p.75, 2015, ドン・ボスコ社.
[4] ジャンヌ・ド・シャンタルへの手紙 (OEA XIV, 111). 聖フランシスコ・サレジオの引用については、多くの著作家が同じ出典から引用しながら、時に異なる名称を用いています。混乱を避けるため、私たちはできるかぎり原典から、その書、章を示し引用することとします。そうすることでどの版や言語でも見つけやすくなるでしょう。出典として最も広く受け入れられているのは、アヌシ―の最初の修道院の聖母訪問会の姉妹たちが管理する手書きの記事や初版本に基づく、27巻から成る全集, Oeuvres de Saint François de Sales, 略号OEA(“Oeuvres Edition Annecy”, この全集より、巻、ページを示します)です。場合により、二次的な出典のみを示します。聖フランシスコのすべての作品を集めた見事なデジタル・ライブラリーがあります。さまざまなデジタル・フォーマットで提供されています。皆さんの参照と読書の楽しみのため: https://www.donboscosanto.eu/francesco_di_sales/index-fr.php
[5] 参照 M. Wirth, San Francesco di Sales. Un progetto di formazione integrale, LAS, Roma 2021, 76-77.
[6] 参照 M. Wirth, San Francesco di Sales, 76. 引用箇所全文:「神は、ご自分の意志は私たちが救われることであると、実にさまざまな方法、手段によって私たちに示されたので、誰もそのことを知らずにはいられません。その目的のため、神はご自身に似せて、ご自身にかたどって私たちを造られ、そして受肉により、ご自身を私たちに似たものとし、私たちにかたどられ、その後、苦しい死をとげ、全人類をあがない、救われたのです。」『神愛論』, IV巻.
[7] 参照 聖アウグスチヌスの回心についての説教 (OEA IX, 335). M. Wirth, San Francesco di Sales, 76に引用.
[8] 参照 M. Wirth, San Francesco di Sales, 140.
[9] 『神愛論』, XII巻:神の霊感は、それに従うかあるいは拒絶するか、私たちに全面的な自由を与えます。
[10] 参照 F. Vincent, Saint François de Sales, directeur d’âmes. L’éducation de la volonté, 264 (note 1). M. Wirth, San Francesco di Sales, 140に引用.
[11] 参照 『神愛論』, XVIII巻:「しかし、すべてを超えて神を愛する自然な力がないにもかかわらず、なぜ私たちには、神を愛する自然な傾きがあるのでしょうか? 自然は、自らが与えることのできない愛に向けて、私たちをむなしく駆り立てているのではないでしょうか? なぜ自然は、飲ませることのできない貴重な水への渇きを私たちに与えるのでしょうか? ああ! テオティムスよ、神は私たちに何といつくしみ深かったことでしょう!」
[12] 参照 第二バチカン公会議文書『現代世界憲章』, 22項:「実際、受肉したみことばの秘義においてでなければ、人間の秘義はほんとうに明らかにはならない。[…] このことは、キリスト信者ばかりでなく、心の中に恩恵が目に見えない方法で働きかけているすべての善意の人についても言うことができる。事実、キリストはすべての人のために死んだのであり、人間の究極的召命は実際にはただ一つ、すなわち神的なものである。したがって、われわれは神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に提供すると信じなければならない。」
[13] 聖フランシスコ・サレジオについて評論する人々は、この原則の深みを表す次の言葉を聖フランシスコ・サレジオのものとしています:「恐れられるようになることを愛する人は、愛されるようになることを恐れます……」
[14] 参照 M. Wirth, San Francesco di Sales, 145.
[15] 参照 M. Wirth, San Francesco di Sales, 130, note 1:フランシスコは1586年3月の哲学の授業の原稿に、聖アウグスチヌスのこの言葉をラテン語のまま大きな書体で書き移している: “Fecisti nos – inquit- Domine, ad te, et inquietum est cor nosrum donec revertatur ad Te” (OEA XXII, 7). この一節は1594年の説教にも見いだされる (OEA VII, 189).
[16] 参照 OEA XV, 28, M. Wirth, San Francesco di Sales, 29に引用.
[17] 『信心生活入門』, I巻, 1項.
[18] 『信心生活入門』, I巻, 3項.
[19] Joseph Malègue, Pierres noires. Les classes moyennes du Salut, París 1958, 教皇フランシスコ, 使徒的勧告『喜びに喜べ』, 7項に引用されている.
[20] 教皇フランシスコ, 使徒的勧告『キリストは生きている』, 291項
[21]フランシスコ・サレジオの個人的友人でもあった、ベリー教区長、ジャン=ピエール・カミュ司教は、福者フランシスコ・サレジオの精神について書いた本で、霊魂のための熱意について語りながら、聖人の物的財への執着の無さ、司牧への純粋な関心をたたえ、主へのこの祈りをその口に上らせています: “da mihi animas, coetera tolle”. この多作な著作家にとってこの言葉は、聖人のあらゆる取り組みを常に導いた燃えるような司牧の熱意を表現しています。参照 J. P. Camus, El espíritu de San Francisco de Sales II, Balmes, Barcelona 1947, p. 339. E. Alburquerque, Don Bosco y sus amistades espirituales, CCS, Madrid 2021, San Francisco de Sales. Afinidad y convergencia espiritual, p. 11-27に引用.
[22] 参照 M. Wirth, San Francesco di Sales, 156. 聖フランシスコ・サレジオは、ローマのオラトリオの創立者、聖フィリッポ・ネリのような、説教師と司牧者と霊的指導者を一身にじゅうぶんに具現していた霊的達人たちからインスピレーションを汲んでいます。フランシスコにとって主な霊的源泉となったのは、キリスト教的完徳の道を、世の中で生きるキリスト者(信徒)の一般的な状況に近づけるような、霊的な著作物です。
[23] G. Bosco, Vita del giovanetto Savio Domenico, allievo dell’Oratorio di S. Francis de Sales, in ISS, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, 1059. 日本語版:『オラトリオの少年たち』, 第一部 「聖フランシスコ・サレジオのオラトリオの生徒、ドメニコ・サヴィオ少年の生涯」ドン・ボスコ社, 2018年.
[24] 『信心生活入門』I巻, 3項.
[25] 書簡 308. シャンタル男爵夫人宛1605年9月8日付. デジタル版より, p. 83/321. OEA XIII, 92. 参照Eunan McDonnell, God Desires You, DeSales Resource Center, Stella Niagra, N.Y., 2008, p. 56に引用.
[26] 例えば:「多くの伝記作家は、フランシスコがかっとなりやすく、強情で短気だったと言う。非常にその人種、まことのサヴォワ人らしい気質である。そのため、しばしば怒り心頭に発し、無作法な言葉や思いやりのない行為に落胆し、無秩序には苛立ち、反対を受けると顔色は変わり、紅潮した。しかし、これらの誘惑とたゆみなく闘い、注意を怠らず、苦行の努力、自分に打ち勝つことを続け、恵みの助けによって、フランシスコはその見事な柔和に至り、キリストの生きた肖像となった。したがって、フランシスコ・サレジオについては自然な穏やかさと言うべきではなく、むしろ勝利した闘いの実りをそこに見るべきである。」参照 E. Alburquerque, Espíritu y espiritualidad salesiana, Editorial CCS, Madrid 20217, 105-12.
[27] 参照 Eunan McDonnell, God Desires You, p.56-67.
[28] 参照 ピオ十一世, 回勅『あらゆるものをさまたげる悪に対して(Rerum Omnium Perturbationem)』, 1923年1月26日. 教皇ベネディクト十五世は聖フランシスコ・サレジオの帰天300周年を記念し回勅を書く意向を持っていた。1923年にそれを書いたのは、その後を継いだピオ十一世で、優しく、すべての人にとって近づきやすい聖性を強調した。心の柔和が輝きを放っており、フランシスコの特徴的な徳と言うことができる。
[29] G. Bosco, Lettera da Roma alla comunità salesiana dell’Oratorio di Torino-Valdocco, in ISS, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, 451. 「ローマからの手紙」. サレジオ会『会憲 会則』巻末の「著作選集」に収録。
[30] G. Bosco, Memorie dell’Oratorio di S. Francis de Sales dal 1815 al 1855, in Istituto Storico Salesiano, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, 1176-1177. 『オラトリオ回想録』76頁.
[31] 参照J.-P. Camus, L’Esprit du bienheureux François de Sales, partie I, section 3. M. Wirth, San Francesco di Sales, 97に引用. ジャン=ピエール・カミュ司教はフランシスコ・サレジオの人柄について語る際、彼が反対者や敵対者の前で用いた言葉に光を当てます。その言葉はフランシスコの謙遜な態度、柔和を映し出します。兄弟、用意の整った教会の子ら、救いへの同じ召し出しに希望を置く兄弟、といった言葉です。そしてジュネーヴの司教座については常に「わがあわれな」あるいは「わが愛する」ジュネーヴと、共感、愛の言葉で語っています。
[32] 参照A. Giraudo, 前掲書中p. 3-5, “[…] abbiamo tre quarti voti. Secondo i vari aspetti: la bontà, il lavoro, il sistema preventivo […]” (p. 70). 参照A. Alburquerqueによる解説, Espíritu y espiritualidad salesiana, “El cuarto voto salesiano” および注: A. Caviglia, Conferenze sullo Spirito Salesiano, Istituto Internazionale Don Bosco, Torino 1953, p. 107.
[33] G. Bosco, Lettera da Roma alla comunità salesiana dell’Oratorio di Torino-Valdocco, in ISS, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, 444-445. サレジオ会『会憲 会則』, 著作選集,「ローマからの手紙」.
[34] 参照 教皇フランシスコ, 第28回総会議員へのメッセージ, 最高評議会報 433, 「今日の若者のために どんなサレジオ会員に?」 聖フランシスコ・サレジオ修道会総会後の考察, ローマ 2020.
[35] 『ドン・ボスコのサレジオ家族 アイデンティティー憲章』no. 32.
[36] 参照 Eunan McDonnell, God Desires You, p. 57. André Ravier SJ St Francis de Sales, ed. Aldo Giraudo, p. 12も参照.
[37] OEA XXII, 19-20.
[38] 参照 Eunan McDonnell, God Desires You, p.18.
[39] 『神愛論』, X巻, 1項.
[40] ヒッポのアウグスチヌス, 『告白』, I巻, 1項.
[41] 参照 H. U. von Balthasar, The Heart of the World, Ignatius Press, 1979, Eunan McDonnell, God Desires You, p.30に引用.
[42] ピオ九世は、イエスの聖心のミサの公的な意義についてのさまざまな文書を発布、数多くの信心会を設立し、いくつもの信心業に免償を与え、またマルガリタ=マリア・アラコクを列福しました(1864年8月19日)。これらの重要なモチーフのいくつかはローマのカストロ・プレトリオに建立されているイエスの聖心大聖堂に反映されています:主祭壇の上の絵は、ドン・ボスコが発注した、画家フランチェスコ・デ・ローデンによるキャンバス画。1687年の聖マルガリタ=マリア・アラコクへのイエスの聖心の3回目の出現を描いています。ドン・ボスコ自身が構成をデザインしました。燃える心を手にしたキリストが中心に描かれ、おびただしい数の天使に囲まれています。下方にひざまずき台があり、聖フランシスコ・サレジオと聖マルガリタ=マリア・アラコクの姿が描かれています。いちばん上の方にはケルビムが、聖書の箴言の一節の記された巻物を持っています:“Praebe, fili mi, cor tuum mihi わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ ”(箴言23・26)
[43] ベネディクト十六世, 使徒的回勅『神は愛』, 12項.
[44] G. Bosco, Memorie dell’Oratorio di S. Francis de Sales dal 1815 al 1855, in ISS, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, 1234-1235.『オラトリオ回想録』,175頁.
[45]近年、同伴についての研究に再び関心が高まり、さらなる研究のために興味深い提案を示す研究には事欠きません。サレジオの関連では, 次を参照 Fabio Attard – Miguel Angel García (eds), L’accompagnamento spirituale. Itinerario pedagógico spirituale in chiave salesiana al servizio dei giovani, Elledici, Torino 2014, CRESPO-BUEIS, J. (coord.), Acompañar a los jóvenes, CCS, Madrid, 2021も参照.
[46] 『信心生活入門』, I巻, 4項.
[47] 参照 Istituto Storico Salesiano, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, document no. 309: “memorie dell’Oratorio di S. Francis de Sales dal 1815 al 1855”, p. 1234. 『オラトリオ回想録』, 174頁.
[48] フランシスコ・サレジオ, 前掲書, I巻,4項.
[49] 参照 Istituto Storico Salesiano, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, documento n. 309: “memorie dell’Oratorio di S. Francesco di Sales dal 1815 al 1855”, p. 1240. 『オラトリオ回想録』, 186-187頁.
[50] 参照 Aldo Giraudo, «Direzione spirituale in san Giovanni Bosco. Connotazioni peculiari della direzione spirituale offerta da don Bosco ai giovani», in: Fabio Attard – Miguel Angel García (eds), L’accompagnamento spirituale. Itinerario pedagogico spirituale in chiave salesiana al servizio dei giovani, Elledici, Torino 2014, 160. 「ドン・ボスコは模範である:彼は傾きとして、自らを教育者、聴罪司祭、霊的指導者ととらえる;愛情をもって受け入れること、優しさ、寛大な心、一人ひとりへの配慮、子ども、若者が信頼しゆだね、進んで、心からの従順をもって養成の働きに協力するようになるほど、深い愛情を注ぐことを強調した。」
[51] フランシスコ・サレジオ, 『神愛論』, XI巻,12項.
[52] 同, VIII巻, 5項.
[53] 参照 M. Wirth, San Francesco di Sales, 160.
[54] 参照 M. Wirth, San Francesco di Sales, 160. 注で、シャンタルの母がドン・ジャン・ド・サンフランソワに宛てた手紙Jeanne-Françoise Frémyot de Chantal, Correspondance, t. II, 305でこのことについて書いていることに触れています.
[55] フランシスコ・サレジオ, 『信心生活入門』, V巻, 1項 参照.
[56] Eunan mcdonnell, God Desires You, p.127-135.
[57] 参照 OEA XXVI, 266. Eunan McDonnell, God Desires You, p.128に引用.
[58] 『信心生活入門』, II巻,16項.
[59] OEA IX, 342. Eunan McDonnell, God Desires You, p.134に引用.
[60] ピオ十一世, 回勅 『あらゆるものをさまたげる悪に対して(Rerum Omnium Perturbationem)』, 1923年1月26日.
[61] ピオ十一世, 回勅『あらゆるものをさまたげる悪に対して( Rerum Omnium Perturbationem)』, 1923年1月26日. なお、引用文の斜体、挿入語句は筆者によるものである.
[62] 1841年12月8日, アシジの聖フランシスコ教会でのバルトロメオ・ガレッリとの出会い. 「[…] わたしは立ち上がり、手始めに、十字架の印をしました。ところが目の前の相手はしないのです。十字の切りかたも知らなかったのです。最初のカテキズムは、この少年に十字架の印の仕方を習わせ、創造主である神と、人間が神から創造された目的について説明することから始まりました。[…] わたしたちのオラトリオは主の祝福のもとに、今や、当時は想像もつかなかったほど発展していますが、このオラトリオの発端はじつにこのようなものだったのです。」参照 Istituto Storico Salesiano, Fonti salesiane. 1. Don Bosco e la sua opera. Raccolta antologica, LAS, Roma 2014, documento n. 309: “Memorie dell’Oratorio di S. Francis de Sales dal 1815 al 1855”, p. 1237.『オラトリオ回想録』, 179-180頁.
[63] 参照 教皇フランシスコによる自発教令(Motu Proprio)の形式による使徒的書簡『アンティクウム・ミニステリウム(古代の奉仕職)』( Antiquum Ministerium)が 2021年5月10日 (アビラの聖ヨハネの記念日) に発布され、「信徒のカテキスタとしての奉仕職」(ministry of the catechist) が制定されました.
[64] ヒッポのアウグスチヌス, 『告白』, I巻, 1項.
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