目次
序文 – 導入 – 目的 – プロセス – 内容 – 使い方
第1部 サレジオ会員の聖別奉献されたアイデンティティー
第1章 サレジオ会の使命によって方向づけられる私たちの聖別奉献生活
第2章 サレジオ会の修道召命:使命を共有する私達の方法
2.1わたしたちの使徒的聖別奉献
2.2キリストと三位一体の神秘に根ざして
2.3サレジオ会の使命の中で他の召命との交わりのうちに
2.4司祭と修道士という2つの生き方
2.5量と質の堅実さのある共同体の中で
第3章 サレジオ会のアイデンティティーの守り手である院長
3.1共同体における院長
3.2院長の権威と権限
3.3 サレジオ会の院長の司祭的な特徴
第2部 サレジオ会修道共同体における院長
第4章 奉献されたサレジオ会員のアイデンティティーの守り手であり、
アニメーターである院長
4.1霊における神秘家:支部共同体の霊的指導者
4.1.1 福音的勧告への忠実
4.1.2 個人の祈りと共同体の祈りのアニメーション
4.1.3 カリスマ的アイデンティティへの配慮
4.2兄弟性の預言者:交わりと共同責任のアニメーター
4.2.1 一致を促進する
4.2.2 兄弟的関係とコミュニケーション
4.2.3 人を温かく迎える開かれた共同体
4.3若者のしもべ:使徒的使命の第一責任者
4.3.1 会員の牧者の愛を奨励する
4.3.2 共通の使命のために共有責任を調整する
4.3.3 司牧的な識別を導く
4.3.4 召命の活性化を促す
第5章 カリスマ的な奉仕
5.1心構えと姿勢
5.1.1 傾聴と対話
5.1.2 個人の自由と責任の共有
5.1.3 個人と共同体の識別
5.2アニメーション(活性化)の手段
5.2.1 兄弟的対話(面談)
5.2.2 個人的な同伴
5.2.3 ボナ・ノッテ
5.2.4 個人の人生計画
5.2.5 支部共同体計画
5.2.6 兄弟的な忠告
5.2.7 支部日誌と文書管理
5.3アニメーション(活性化)の仕組み
5.3.1 支部評議会
5.3.2 副院長
5.3.3 支部会
5.4会員たち一人ひとりへの配慮
5.4.1 サレジオ会司祭とサレジオ会修道士
5.4.2 初期養成中の会員
5.4.3 多文化間の交わり(Interculturality)
5.4.4 困難な時を過ごしている会員
5.4.5 高齢の会員
5.4.6 病気の会員
5.4.7 特別な配慮を必要とする会員
5.5財務管理
第6章 生涯養成
6.1 共同体における生涯養成
6.2 院長自身の生涯養成
第3部 協働者と分かち合うサレジオ会使命と院長 107
第7章 教育司牧共同体 109
7.1 EPC及び教育司牧計画 109
7.1.1 予防教育法の現代化 109
7.1.2 予防教育法に必要なインカルチュレーション 110
7.1.3 EPC評議会と事業の審議会 113
7.2 EPCの中のサレジオ会修道共同体 114
7.2.1 活性化の中核 114
7.2.2 サレジオ会共同体と事業との間のさまざまな関係 115
A.サレジオ会共同体と協働者の合同の働きに委ねられた事業 116
B.管区の下、協働者に委ねられた事業 118
7.3サレジオ会共同体:EPCにおけるカリスマの基準点 118
7.3.1 霊的活性化 120
7.3.2 兄弟愛の預言 122
7.4サレジオ会共同体とSEPP 123
第8章 開かれた共同体 129
8.1管区共同体と修道会全体 129
8.2サレジオ家族 130
8.3教会 132
8.4共同体が暮らす地域 134
結び 137
付録I ドン・ボスコの「院長への注意」 139
付録II 『新教会法典』における支部共同体の長上 145
■序文
親愛なる会員の皆さん、
前回の『サレジオ会院長マニュアル』の出版から32年が経った今、第27回総会の要請により改訂されたこの新しい版をお届けできることをうれしく思います。私はこの版が最高評議会だけでなく、修道会の各管区と各地域の骨の折れる検討作業の成果であると保証することができます。
私たちの院長は、修道会と教育司牧共同体における若者のための私たちの使命の刷新の上で、重要な役割を担います。院長は私たちの修道会の、また更に私たちの教育・司牧共同体において、大いに望まれている必要な生涯養成の鍵を握っています。したがって、このマニュアルは、院長を、また管区長と管区評議会をはじめとして院長の養成に関わるすべての人々を主要な対象としています。
しかし、この新しいマニュアルは、すべてのサレジオ会員と、サレジオ会の修道共同体のすべての会員にも向けられています。院長は、私たちの会憲の中で、兄弟の中の兄弟と定義されていますが、これは教会が望んでいることで、統治の務めをなおざりにしない形で兄弟性のダイナミズムが強調されています。これは、教皇フランシスコが教会にもたらしている偉大な贈り物の一つです。アニメーションと統治の方法としての共同体の識別の実践は、私たちが兄弟であり、交わりに召され、洗礼を受けたキリストを信じる一人一人に聖霊が与えられているという深い確信に基づいて行われるのです。
この文書(マニュアル)では、まず何よりも私たちのアイデンティティーに大きな関心が向けられているのが分かるでしょう。私たちは、サレジオ会修道士であろうとサレジオ会司祭であろうと、奉献されたサレジオ会員であり、院長はこのアイデンティティーの守り手として、共同体と自分に託された会員の召命の成長を促進する責任を何にもまして負っているのです。院長は、ドン・ボスコのように、私たちの生ける規範であるイエス・キリストを深く愛している人であり、聖霊のもたらす謙虚さ、リアリズム、信仰を絶妙な調和のうちに組み合わせ、兄弟たちを父への奉仕のうちに一致させることで、キリストの生き方を再現しようとするのです。
この文書のもう一つの大きな強調点は、サレジオ会の精神と使命が信徒協働者と共有されるものであることがはっきりと確認されたことで、これは第二バチカン公会議以降の修道会の歴史の中で、おそらく最も重要な進歩です。今日の院長とサレジオ会支部共同体は、教育的・司牧的共同体のアニメーションの中核の一部なのです。この中核の中で院長と支部共同体は、カリスマに忠実であるという特別な責任をおのずから負うことになります。第25回総会の言葉を借りれば、院長と支部共同体は「カリスマの基準点」なのです。したがって、今日のサレジオ会員は、何よりもまず、カリスマを共有する人々のアニメーターとなるよう求められており、そのためには、人に伝わる澄み切った喜びをもって、奉献された召命を生きる必要があります。
親愛なる会員の皆さんに、私はこの贈り物、すなわち過去30年ほどの教会と私たちの修道会のすべての発展をまとめるこの努力の成果を捧げます。私たちの母であり、教師である聖マリアが、私たちの奉献が全きものになるまで成長し、私たちが若者への神の愛のより信頼できるしるしとなり担い手となるのを助けてくださいますように。
ドン・ボスコのうちに愛情を込めて。
総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ
ローマ、サクロ・クオーレにて
2019年4月21日、復活の主日に
■導入
〇1.目的
1. 院長マニュアルの長い歴史
『サレジオ会支部院長』または『院長マニュアル』としてよく知られている文書のこの新たな版は、第27回総会の要請に基づいています(第27回総会文書、69)。このマニュアルの最終版は1986年に出版されましたが、それ自体、第21回総会によって要請されたそれ以前のマニュアルの改訂版でした。アルベラ神父の時代にさかのぼる更に古いマニュアルがありましたが、修道会の中での一番最初の手引書は、最初のサレジオ会支部院長である若きルア神父が院長としてミラベッロに向かう際に与えられた、ドン・ボスコの『院長への内密の注意』であったと言えます。したがって、院長マニュアルは、非常に長く輝かしい歴史を持っているのです。
2.ドン・ボスコの「院長への内密の注意書き」
ドン・ボスコの「院長への内密の注意書き」は、大切なものを息子に託す父親の愛情に満ちた口調で書かれたものであり(「私は自分の最も大切な子供の一人に心を開く父親の声で話します」)、自分自身と、会員であれ教師であれ若者であれ、自らの指導のもとにある他者を大切にするための指針で構成されています。この注意書きの後の版では、愛情に満ちた序文は削除されましたが、院長が自らの責任を忠実に果たすことで、支部の中のサレジオ会精神を守るという同じ関心が保たれています。1886年の版は次のように締めくくられています。「これが私たちの支部の院長たちへの私の最後の遺言です。もしこれらの提案が実践されるならば、私たちの修道会が栄え、神の祝福を受け、その目標である神のより大きな栄光と魂の救いに到達することを確信しながら、私は安らかにこの世を去ることができるでしょう」。
3. 院長と会員の共有の責任
1986年版のマニュアルの目的は、私たちの伝統における院長の姿の中心性を保つと同時に、公会議と時代の変化に照らしてマニュアルを更新することでした。本改訂版の目的は、旧版が出されてから30年以上の歳月が経過したことを念頭に置き、この院長の姿の中心性とサレジオ会修道共同体の役割の間のバランスを取りながら、院長に委ねられた権威を認めつつ、会員が責任を共有していることを強調する点にあります。したがって、私たちはヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世、フランシスコによる教皇文書、司教シノドス、奉献・使徒的生活会省から出された文書を考慮に入れなければなりません。修道会の中では、ヴィガノ、ヴェッキ、チャベス、フェルナンデスの各総長がその職を果たし、第23回総会以降の総会が開催され、諸部門より『サレジアン・ソーシャル・コミュニケーション・システム』(2011年)、『ドン・ボスコのサレジオ会員の宣教養成』(2014年)、『サレジオ会青少年司牧の手引き』(2014年)、『ドン・ボスコのサレジオ会員の養成』(2016年)などの文書が出されています。
〇2. プロセス
4. 文化と状況の大いなる多様性
マニュアルの改訂のプロセスは、全地域の代表者が参加するセミナー(2016年6月16日~17日)から始まり、2016年には、全管区にサレジオ会院長のアニメーションと統治の奉仕に関する現状について意見を送ってもらうための調査が行われ、その後、届いた回答を解釈するための別のセミナー(2017年3月29日~31日)が行われました。
この過程で一つのことが非常に明確になりました。それは、五大陸、133の国、89の管区と管轄区にまたがる修道会は、文化と状況(コンテクスト)の大きな多様性を抱えており、それぞれが歩むスピードも異なるということです。そのため、どのようなコンテクストにも同様に有効で有益なことを言うのは難しいことがわかりました。私たちは、この文書で提示されることが、教会と修道会としての私たちの共通の歩みの中で、少なくとも主要な道標を思い出させるものとして役立つものであるように願っています。ここで提示されたことは、その後、それぞれの異なるコンテクストと状況の中で読み取られ、受肉されなければなりません。
〇3. 内容
5. 総会
総会は修道会全体の一致を最もよく表すもので、私たちの最も重要な道標です。
第23回総会は、私たちの使命には教育的な側面と同様に司牧的な側面があることを思い出させてくれます。私たちは教育することによって福音宣教し、福音宣教することによって教育するのです。第24回総会は、サレジオの使命の主体がサレジオ会修道共同体だけではなく、サレジオ家族の他のメンバーや、多くの信徒のミッション・パートナーも含まれているという重要な認識を示しました。このことに関して、『愛のよろこび』は、教育司牧共同体(EPC)が単に個人だけではなく使命の積極的な担い手である家族からも構成されると言うように、私たちを促しています。第25回総会は、使命におけるサレジオ会修道共同体の「新しい」役割をさらに明確にする必要性を喚起しました。第26回総会は、ドン・ボスコへの回帰を呼びかけ、私たちのアイデンティティーのサレジオ的側面に焦点を当て、第27回総会は、私たちが奉献されたサレジオ会員としての召命をより深く理解し生きるように私たちに呼びかけました。
この『院長マニュアル』は、第22回総会と新しい会憲会則のテキストで明確に強調されている、養成が愛のうちに私たちを呼び遣わしてくださる神への私たちの生涯にわたる継続的な応答であり、養成が召命の多様性の豊かさの中で、信徒たちとも共有されるものであるという事実を見失うことなく、上述の総会の呼びかけを統合する努力をしています。れている、養成が愛のうちに私たちを呼び遣わしてくださる神への私たちの生涯にわたる継続的な応答であり、養成が召命の多様性の豊かさの中で、信徒たちとも共有されるものであるという事実を見失うことなく、上述の総会の呼びかけを統合する努力をしています。
6. 第27回総会
この新しい院長マニュアルの構造を決定づけている第27回総会についての特別な言葉があってもおかしくはないでしょう。一般的に、第27回総会はその3つの核、すなわち、霊における神秘家、兄弟愛の預言者、そして若者のしもべという観点で要約されています。しかし、総会の招集書簡や総長の開会の挨拶では、3つの核ではなく、4つの分野が語られています。
(1) 神からの贈りものである、奉献されたサレジオ会員としての召命を、統一の恵みと喜びの内に生き ること。(2)強い霊的な経験を生きること。従順で貧しく貞潔なイエスのあり方と行動様式を身につけ、神を求める者になること。(3)共同体での生活と行動において、兄弟愛を築くこと、(4)使命に惜しみなく身を捧げ、世界に希望をもたらすため若者と共に歩むこと(第27回総会文書、英語版p.89、日本語版p.100)。
7. 私たちは奉献者として、ドン・ボスコの使命を共有する。
したがって、第27回総会の目的は、「私たちのカリスマをより深く探究し、ドン・ボスコの使徒的計画を忠実に実践するための私たちの召命を自覚すること」でした(『第27回総会文書』英語版p. 89)。私たちは奉献者としてドン・ボスコの使命を分かち合うのであり、奉献者として教育司牧共同体の中で自分の位置を占めるのです。
このため、1986年のマニュアルが
1. 原点回帰と革新としての刷新
2. 教育司牧共同体と修道会における院長のアニメーションと統治
3. アニメーションと統治の方法、手段、構造
という3部から成っているのに対して、このマニュアルでは次の3つことが扱われています。
1. サレジオ会の奉献されたアイデンティティーの守り手としての院長
2. サレジオ会の修道共同体と使命のアニメーター・導き手としての院長
3. 教育司牧共同体と地域における院長と修道共同体
8. 権威の奉仕を求められる人への要求の高まり
この院長マニュアルの改訂版を発表するにあたり、1986年に最後の版が出されてからの年月の間に、私たちの共同体や事業所での生活がより複雑なものになっていること、また、会員の人数が増えている成長期にある管区でさえも、派遣できる会員の数が、求められているすべての必要を満たすには決して十分ではないことを、私たちは認識しています。このような状況は、権威の奉仕を託された者に、より一層の要求を強いることになります。私たちの伝統の中で、院長の姿は共同体の中心であり続けている一方で、今日、院長はサレジオ会の修道共同体だけでなく、教育司牧共同体をアニメートすることも期待されています。
私たちはよりシンプルな文書を提示することを期待して『マニュアル』の改訂作業を始めましたが、過去30年間の発展を統合する作業の結果として、描かれた院長の姿はさらに要求の多い複雑なものになってしまいました。何と言えばよいのでしょうか?ただ一つ言えることは、サレジオ会の院長は、「スーパーマン」ではなく、「一人の人間」であるということです。院長は、ドン・ボスコによって開かれた道で、主に触れられた人です。院長は自分が一人ではないことを知り、自分にできるやり方で奉仕を受け入れ、自分の奉仕を遂行します。院長は兄弟姉妹と一緒に歩きながら、サレジオ会の奉献されたアイデンティティーを意識して成長し、毎日、喜びと力の恵みを求め、人生の具体的な状況の中で主を見出すことを知るのです。
〇4. 使い方
9.院長とサレジオ会修道共同体、管区長と管区養成委員長
このマニュアルの使い方について一言述べておきます。明らかにこの文書は,特に初めて院長に任命されたときに、院長自身が学び、黙想することを目的としています。このテキストをどのように読むかは様々であり、「これが正解」という読み方などというものはありません。ある人は一度に少しずつ読むでしょうし、ある人は一気に読みたいと思うかもしれません。どの方法でも構いません。
院長とサレジオ会支部共同体の密接な関係を考慮するなら、このマニュアルが支部共同体にも向けられているということは非常に重要なことです。支部共同体の会員は、サレジオ会の奉献された召命の守り手として、また信徒やサレジオ家族のメンバーと共有する使命の推進者としての院長の姿と権威を知り、それを歓迎する必要があります。そのため、このマニュアルはすべての会員と共同体が利用できるようになっており、学習と反省のための取り組みもそれに従って行われるようにできています。このようにして、この文書は、修道会での生涯養成を促進するための手段となります。このような養成は、共同体生活の中で通常行われるもので、その本質から生涯にわたるものであり、サレジオ会支部の院長は、共同体の各メンバーとの協働の中で、そのような養成の主要なアニメーターとしての役割を果たします。ての役割を果たします。
この手引書は、特に管区長と管区養成委員長、また、地域の養成のための諸センターで行われる、院長の初期養成と生涯養成などの機会にも役立つことでしょう。また、就任式の際に新任の院長にマニュアルを贈るのも良い習慣と言えるでしょう。
さらに、司祭志望者の固有の養成の中に、このマニュアルの内容を盛り込むことも重要です。共同体における指導者としての役割のための準備は、私たちの司牧者・聖職者としての成長の一部であることが確かだからです。
10. 各地域や各管区は、それぞれの特定のニーズに合わせてマニュアルを適応させることができる
私たちはまた、修道会のさまざまな地域で多くの多様なニーズがあることを考える時、各地域や各管区がこのマニュアルのレイアウトをそれぞれの特定のニーズに適応させることを妨げるものは何もないことにも注意しなければなりません。例えば、私たちは本文中と各章の最後に、多くの参考文献や注釈を挙げることにしましたが、それは院長の養成を計画する過程で更なる手がかりを提供するのに役立つように企図してのことです。各管区は、もし希望するのであれば、よりシンプルでより「手頃な」バージョンを発行することもできます。
更なる助けとして、修道会の公式ウェブサイト(www.sdb.org)の養成のページに、院長養成のための様々な資料が掲載されています。
■注
1.Manuale del direttore (San Benigno Canavese, 1915)、アルベラ神父の序文付き。
2.補遺1 『ドン・ボスコの院長への秘密の勧告』参照。
3.ここで用いられている「守り手」とは、ベネディクト十六世が2005年5月4日の一般謁見において、神を「守り手」(イタリア語ではcustode)または「歩哨」、すなわち「民衆を見守る者」として語ったときに使われた言葉です。
■第一部
サレジオ会員の
聖別奉献されたアイデンティティー
~愛される人になりなさい~
ぶどうの木、枝、実…。私たちのアイデンティティーは、ぶどうの木と枝のように、完全に、そしてす べてにおいて主に属していることに根ざしています。
「人がわたしのうちに留まっており、わたしもその人のうちに留まっているなら、その人は多くの実を結ぶ。わたしを離れては、あなた方は何もすることができないからである。」(ヨハネ15:5)
第1章
サレジオ会の使命によって方向づけられる私たちの聖別奉献生活
11. 使命が「私たちの生き方の基調を決める」
会憲の第3条は、「使徒的使命・兄弟的共同体・福音的勧告の実践は、わたしたちの聖別奉献の分けられない要素である」と宣言し、さらに「わたしたちの生活全体を特徴づけるものは使命である」と付け加えています。
1984年に定められた私たちの会憲の最終的なテキストを作成する際に、第22回総会は、サレジオ会員の生活と行動のすべての異なる要素を、使命を中心に据えてまとめることを決定しました。このことは、条文の内容だけでなく、本文の構造にも見られます。会憲第二部のタイトル自体が「青少年のもとに派遣されているわたしたちは―共同体の中で―キリストに従う」となっています。
12. ドン・ボスコにおける使命の中心性
第22回総会のこの決定は、ドン・ボスコの人生における使命の中心性を反映しています。ドン・ボスコは、若者の救いのために働くために神によって遣わされたことを明確に認識していました。
この使命の地平は、9歳の時の夢の中ですでに展開され始めています。この夢についてのドン・ボスコ自身の説明の中で、ドン・ボスコが司祭職の観点からそれを理解したと言っていないことは注目に値します。司祭になるという可能性をほのめかすのは、マンマ・マルゲリータだけです。後年、キエリでの学校生活の終わりに難しい召命の識別をしたとき、ドン・ボスコがまず心惹かれたのは司祭職ではありませんでした。ドン・ボスコはフランシスコ会に魅力を感じていましたが、コモッロの叔父とカファッソ神父の勧めに従って神学校に入学することになるのです。
ドン・ボスコがオラトリオを始めたとき、ドン・ボスコの第一の優先事項は、その奉仕活動のために協力者や助け手を見つけることであり、ドン・ボスコが聖別奉献された人々の修道会を設立するというアイデアに達するのは後になってからです。使命の中心性がドン・ボスコを協力者を探しに行かせ、この中心性が最終的にドン・ボスコを修道会を創立するというアイデアに導いたのです。
ラッタッツィとカヴールがサレジオ会の設立を「外部から」提案したという出来事も同じ線上にあると理解することができます。この二人の世俗主義(ライシズム)の著名な擁護者は、ドン・ボスコの使命に感銘を受けていたのです。同様の使命の中心性は、1859年12月のドン・ボスコの提案に対するカリエロの反応にも現れています。「修道士であろうとなかろうと、私はドン・ボスコと一緒にいる」。同じように、ドン・ボスコが経験した多くの困難が、将来の司祭を養成するためのドン・ボスコ独自の方法の故であったことが思い出されます。ドン・ボスコにとって、すべては使命の必要性に向けられており、その中心には、自分自身と協力者と若者たちの聖性への熱望があったのです。それはまさに聖フランシスコ・サレジオから受け継いだモットー、“験した多くの困難が、将来の司祭を養成するためのドン・ボスコ独自の方法の故であったことが思い出されます。ドン・ボスコにとって、すべては使命の必要性に向けられており、その中心には、自分自身と協力者と若者たちの聖性への熱望があったのです。それはまさに聖フランシスコ・サレジオから受け継いだモットー、“験した多くの困難が、将来の司祭を養成するためのドン・ボスコ独自の方法の故であったことが思い出されます。ドン・ボスコにとって、すべては使命の必要性に向けられており、その中心には、自分自身と協力者と若者たちの聖性への熱望があったのです。それはまさに聖フランシスコ・サレジオから受け継いだモットー、“験した多くの困難が、将来の司祭を養成するためのドン・ボスコ独自の方法の故であったことが思い出されます。ドン・ボスコにとって、すべては使命の必要性に向けられており、その中心には、自分自身と協力者と若者たちの聖性への熱望があったのです。それはまさに聖フランシスコ・サレジオから受け継いだモットー、“Da mihi animas, coeteratolle” 見事に表現されている通りです。
13. 使命とは、仕事や司牧活動と同じものではない
使命が私たちにとって非常に中心的なものであることを考えると、その神学的な密度を見落とさないことが極めて重要です。召命、、と選択、、を同一視できないのと同じように、使、命、を仕事、、や活動と同一視することはできません。選択、仕事、活動は、個人と自律した主体から出発することができますが、呼びかけ、召命、使命は神学的な用語です。使命は様々な要素がなければ成り立ちません。派遣する方、派遣される者、派遣先にいる人々、派遣先で果たすべき奉仕、奉仕を果たすための方法と手段などです。これらのことはすべて、私たちの会憲の第2条に凝縮されており、『ドン・ボスコのサレジオ会員の生活計画(Project of Life of the Salesians of Don Bosco)』の98で詳細に解説されています。ここでは、ある側面を強調するだけで十分でしょう。
呼びかけ、遣わす方がいます。使命は神からいただくものです。イニシアチブは常に神のものであり、神は「ご自分とともにいさせ、福音宣教に派遣する」(マルコ3:14、会憲96条)ことを望まれる人をご自身のもとに召されます。これこそが、私たちの会則の第一条の、明確で謙虚でありながら、力強い宣言なのです。「わたしたちは、聖フランシスコ・サレジオ会が人間的な計画のみによってではなく、神の創意によって誕生したことを、謙虚に、感謝の念を込めて信じる」「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛してくださったのです。ここに愛があります。」(1ヨハネ4:10) 神の先立つ愛は、予防教育法の最も深い根源です。第27回総会は、私たちが霊における神秘家であることを思い起こさせます。「世俗主義の挑戦がますます明確に感じられる世界において、私たちは『神の絶対的な首位性』を認めることの証しを『自分自身を完全に捧げること』と『真の霊的礼拝のうちに捧げる、生涯にわたる絶えざる回心』の中に見出す必要があります」(AGC313、19)。「ドン・ボスコにとってそうであるように、私たちにとっても、神の首位性は、教会とこの世における私たちの存在、、理由、、の隅の親石です。神の首位性は私たちの奉献生活に意味を与え、あまりにも活動に取り込まれ、自分たちが本質的に『神を探し求める者』、若者と貧しい人々の中で神の愛をあかしする者であることを忘れてしまう危険を避けさせてくれます」(第27回総会文書、32)
14. イエスと聖霊によって私たちに示される使命
使命は、神の顕現であり、愛の交わりである三位一体の神の神秘の啓示であるイエスのうちに、イエスを通して、私たちにもたらされます。イエスの使命は、啓示し、集めることです。御父を啓示し、散らされた神の子たちを一つに集めることです( For 50-54)。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところににいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネ1:18)。イエスは御父の憐れみ深い御顔の啓示です。「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ14:9)。イエスは、交わり、愛、三位一体である神を啓示されたのです。
イエス・キリストの名によって御父から遣わされた聖霊こそが、イエスの言ったこと、行ったことのすべてを思い起こさせ(ヨハネ 14:25-26)、御父が一人ひとりに与えるカリスマの賜物を通して、この使命を遂行する力を私たちに備えさせてくださるのです。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。また、あなたがたはわたしの証人となる」(使徒1:8; 会憲1も参照)
少年ジョヴァンニ・ボスコが、まず最初に羊に注意を向け、後になって初めて気品あふれる聖母とその御子の名を知ったように、サレジオ会員の最初の注意は通常、使徒職に向けられます。サレジオ会員は、やがて、時には非常にゆっくりとではありますが、御子を通して啓示された愛に情熱をもって見事に応え、御子に似た者に変えられ(2コリ 3:18)、父性と母性の経験が不足している若者たちのために、イエスのように御父の顔となることが求められていることに気づくのです。
15. 私たちの使命の本質的な内容は、神の啓示となることである
ここに、私たちの使命の本質的な内容、があります。それは、神の啓示となり、神の愛のしるし、伝え手となること(会憲2)であり、私たちを通して神の先立つ愛が目に見えるようになることです。予防教育法は「神の愛からくみとった無償の献身的な愛であった。神は摂理によってすべての人を前もって配慮し、ともにいることによって付きそい、ご自分のいのちを与えてお救いになるのである」(会憲20条)。これは、本当に愛であるためには見えるものにならなければならない愛であり、若者たちによってそれが見られる時、より一層効果的なものになります。それはあらゆる意味で解放的な愛であり―私たちの会憲は、統合的な向上について語っている通り会憲33)―しかし、イエスが御父の顔を現されただけでなく、「神の子らを一つに集める」(ヨハネ11・52)ように、私たちの使命には、友愛と交わりを促進し、創造することが含まれており、それによって、私たちは自分が何者であるかをますます理解することができます。私たちは神と交わり愛のイメージで創造され、三位一体のあり方の中で「考え」られてきました。
16. 私たちの使命の対象
私たちが優先的にその元に派遣されるのは、「『貧しく、見捨てられ、危険にさらされている』、愛と福音化をより必要とする若者たちであること」、また、私たちが最も貧しい地域で活動していることを私たちは忘れないでいたいと思います。これは、総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父が第27回総会の閉会講話以来、何度も調整していることでもあります。私たちが若者たちのために、その家族を積極的な司牧者として含む教育・司牧共同体の中で働くことを忘れないようにしたいのです。また、私たちは、サレジオ修道会が若者たちと一緒にいるのは五大陸に限られず、ユビキタスが浸透し若者たちの生活に大きな影響を与えている新しいデジタル大陸においても同じであることを忘れないようにしたいと思います。このデジタル大陸は、時間と空間の概念、自己認識と他者や世界に対する見方、コミュニケーションし、学び、情報を得る方法、言葉とイメージの優先順位を変えており、機器のメーカーやメディア産業が、若者の生きる現実の中で良きにつけ悪しきにつけ巨大な力を振るうようになっています。
このように、私たちはキリストに従う共同体の中で、若者に遣わされていますが、私たちの生活の基調を定めるのは使命なのです。
第2章 サレジオ会の修道召命:使命を共有する私達の方法
17. サレジオ会の使命は、サレジオ会員、サレジオ家族、協働者によって共有される
サレジオ会の使命は、ドン・ボスコのサレジオ会員にだけ独占的に属しているわけではありません。すでに述べたように、ドン・ボスコは、さまざまな種類の協力者から始まって、最終的には聖別奉献された人たちの必要性にたどり着きました。神は、多くの人々、サレジオ家族のメンバーと信徒協働者の両方に、使命を分かち合うよう呼ばれています。このことは、第24回総会「サレジオ会員と信徒協働者:ドン・ボスコの精神と使命における交わりと共有」で結晶化され、力強く確認されたことであり、アンヘル・フェルナンデス・アルティメ総長が常に強調しているテーマでもあります。
私たちサレジオ会員は、聖別された者として、この使命を共有しています。このことがサレジオ会支部院長の姿に与える実際的な意味合いについては、後ほど概観します。ここで私たちは、ホアン・ヴェッキ神父が第24回総会の閉会の際に「他の多くの人々がドン・ボスコのカリスマに参加しているのは事実ですが、後者は、奉献の力、生活計画(職業)、宣教への全面的な献身という特別な方法で、サレジオ会共同体に凝縮しています」(第24回総会 236)と述べているフアン・ヴェッキ師からヒントを得ることができます。
2.1 私たちの使徒的聖別奉献
18. 私たちが差し出すのは「使徒的聖別奉献」である
私たちは教会の中で、若者、特に貧しい若者たちに神の愛のしるしとなり、担い手となるために、創立者の使徒的計画を「本会独自の修道生活」(憲2)の中で実行します。使命の中心性から、私たちの使命は「使徒的聖別奉献」であると言うことができます。使命と共同体と福音宣教は、私たちが統一の恵みを生きる中で、私たちの使徒的聖別奉献において「神と兄弟への愛に生きるただ一つの行為」(憲3)として分かちがたく一つとなっています。ここに、私たちの基本的なアイデンティティー、すなわち、私たちの使徒的聖別奉献があります。私たちは、教育者・牧者である修道者(憲98)であり、この召命を、聖職者と信徒の二つの形で生きています(憲4、45)。挑戦は、サレジオ会司祭にとってもサレジオ会修道士にとっても、使徒的聖別奉献の中で、それぞれの召命の特定の姿を完全に生きることであり、司牧的なジェネリック主義や使徒職の個人主義の傾向を避ける一方で、教会的な面(聖職者的な職務や態度を取る)でも、世俗的な面(職業の専門性を過度に強調したり、世俗的なライフ・スタイルを求めたりする)でも埋め合わせを求める傾向を避けることです。
19.「統一の恵み」を深める使命
そうなると、私たちのアイデンティティーは、「使徒的聖別奉献」の調和のとれた生き生きとした再発見に基づくことになります。「使命」と「聖別奉献」は二元論的に対立するものではありません。私たちは、修道的であると同時に使徒的である私たちのサレジオ会的生活が、世界の救い主として無限のいつくしみを注いでおられる神を、全てのものにまさって愛するために献身する独自の道となるように、統一の恵みを深めるように求められているのです。ドン・ボスコは、実際に、慈善活動の熱意が観想的な生活と両立することを望んでいました。「『聖別奉献』と『使命』という二つの言葉のそれぞれが持つ固有で全体的な意味を忘れないことは、私たちにとって非常に重要なことであり、どちらの言葉もサレジオ会生活のある特定の分野だけを示すように意味を狭めることはできません。私たちの聖別奉献はそれ自体が使徒的なものであり、私たちに託された使命は、私たち修道者に託されたものである限り、宗教的なものなのです。」注4
ヴェッキ師は、『奉献生活』をサレジオ会的視点から解釈し、聖別奉献と使命の間の深い結びつきの中に、私たちの生活の使徒的次元の深い一致があることを認識していました。「使徒的な次元は、聖別奉献と使命の間の内なる一致から生じます。『自分自身を使命(宣教)、に全面的にささげる務めは、その招きに含まれます。事実、あらゆる召命とカリスマの源である聖霊の働きによって、奉献生活それ自体が一つの使命(宣教)です。イエスの全生涯も同様でした』(『奉献生活』72)」(AGC 357 17)
導入で述べたように、第27回総会が全体として目指したのは、私たちの使徒的な聖別奉献を再び強調することでした。ですから、第27回総会のタイトルにある「福音のラディカルさ」は、福音的勧告の実践のみを指していると理解されるべきではありません。それは、キリストに根ざした兄弟的生活や使命を含む、聖別奉献された召命のすべての側面を指しています。福音の価値のラディカルな証しとは、「他の人々の側に位置する特徴ではなく、私たちの生活の基本的な側面」(AGC413・8)なのです。次のことを覚えておくことが重要です。「神秘家、預言者、しもべ」は、第27回総会を簡潔にまとめたものですが、この章の目的が、私たちがサレジオ会の聖別奉献された召命をもう一度自らのものとし、一致の恵みの中で、喜びをもってその召命を生きるための手助けをすることにあるという事実から私たちの関心をそらすべきではありません。
2.2 キリストと三位一体の神秘に根ざして
20.キリストに従う特別な方法
シノドス後の使徒的勧告『奉献生活』が権威をもって定義したように、奉献生活はキリストと三位一体の神秘に根ざしています。「奉献生活の福音的な基礎は、イエスが地上の生活において、弟子たちのうちのある者との間に打ち立てた特別な結びつきのうちに求められなければなりません」。その人たちは皆のように神の国を受け入れるように呼ばれただけでなく、イエス自身の生き方を忠実に模倣するよう求められたのです。「『キリストに従う』この特別な道は、つねに御父の計画に由来しており、キリスト論的・聖霊論的に極めて重要な意味を持っています。この道はキリスト者の生活の三位一体的な特徴をとりわけ生き生きとした形で表し、教会全体が目指している終末的完成を、いわば先取りするものです」(『奉献生活』14)。
すべての人が等しくキリストに従うように召されていますが、奉献生活者は、「神の子であるキリストがこの世に入ってきたときに受け入れた生活の形」を自分の中で再現しようと努力します(「教会憲章」LG 44)。これは、独身、清貧、従順というイエスの具体的な選択を、その地上の生涯で生きた方法で引き受けることを意味します(『奉献生活』30)。それは「受肉した神の子はすべてのものが向かう終末的な目的地であること、その前では他の光がすべて色あせてしまう輝きであること、そしてただ一つ完全に人間の心を満たすことのできる無限の美しさである」ことを示すことを意味しています(『奉献生活』16)。
21. キリストなしには不可能なこと
自分自身の全てを捧げる喜びを生き、貞潔と従順と清貧を、受け、与えられた愛の充溢として生きる聖別奉献された人々に私たちが出会うとき、神の存在は目に見えるものとなります。彼らの生活の美しさは多くの人の心に触れ、私たちの歴史の中には、私たちが思い起こすことのできる多くの例があります。スルージ修道士とチマッティ神父、ザッティ修道士とクアドリオ神父など、私たちの歴史の中で思い出すことができる例は数え切れないほどです。このようにして、奉献生活は、世俗に生きる信徒や聖職位階制のメンバーにとって、同心円状に広がっていく交わりの中で、しるしとなります。
奉献生活はキリストなしでは不可能です。キリストは、私たちの修道会の会憲の最後の条文(会憲196条)にあるように、「わたしたちの生ける規範」です。キリストはぶどうの木であり、私たちはその枝であって、キリストがいなければ何もできないのです※注5。これは、奉献生活者年(2015年)の間に奉献・使徒的生活会省が発行した「書簡」のアプローチでもあります。「書簡」は、福音的勧告に注目するよりも、復活の朝のマグダラのマリアのように、私たちを喜びで満たし(Rejoice!)、私たちがその美しさを黙想し(Contemplate)、私たちがその到来を待ち望み(Keep Watch!)、私たちの兄弟姉妹のもとに派遣される(Proclaim)主のペルソナに目を注ぐことを選択しました※注6。
22.私たちの召命は、イエスと共にいること(親密さ)と、イエスによって派遣されること(使命)である
すべてのキリスト者(そして、奉献者としてキリスト教的存在を生きる者)の基本的な態度は、キリストに従い(sequela Christi)、キリストに倣う(imitation)ことです※注7。「従う」は、イエスとの人格的関係、弟子となること、従順といった主観的側面を強調します。一方、「倣う」は、客観的な側面を強調します。つまり、姿を取ること、キリストの似姿に変化し、変容する必要性が強調されます。会憲196条は、ヨハネによる福音書10章3節、14節を引用して、「私たちを名指しで呼ばれる主イエスの愛」を語っている。召命は、達成すべき使命や遂行すべき任務の観点からのみ与ええられるものではありません。それは何よりも、「自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させるために、一人ひとりを使徒として呼ばれた」イエスとの親密さと共同生活への召命なのです(会憲96条、マルコ3:14を引用)。しかし、弟子となることとキリストの姿に近づくことの両方の動きが必要であり、サレジオ会支部院長は、自分自身と自らに委ねられた共同体の双方でその動きを見守るのです。キリストとの親密さは、キリストの似姿への変容につながり、私たちはキリストのように父の顔、父の愛の啓示となるのです。
2.3サレジオ会の使命の中で他の召命との交わりのうちに
23. 教会の中のさまざまな召命と、それぞれの召命が互いにどのような「意味を持つ」か
私たちが信徒協働者と使命を共有していることを考えると、教会の中の様々な召命と、その召命が互いにどのような「意味を持つか」について、サレジオ会員、その中でもとりわけ院長が、ある程度明確にしておく必要があります。
トリエント公会議後の神学は、近代合理主義やプロテスタント改革を含む様々な文化的理由から、奉献生活のアイデンティティーを、一般信徒の状態とは明確に切り離すことで確立することに慣れていました。それとは逆に、私たちの時代の同質化の傾向は、教会内のさまざまな召命を平準化します。しかし、その先にあるのは、分離や、区別を曖昧にすることではなく、「関わりの中での多様性」であり、これは、教会の中での生活様式を扱う三つの重要な使徒的勧告である、『信徒の召命と使命』(1988年)、『現代の司祭養成』(1992年)、『奉献生活』(1996年)の中でも、ますます明確になっていることです。
教会におけるさまざまな召命は、互いのためのものであり、区別されているとはいえ、互いに命令されています。信徒であることはこの世のただ中にいるという性格によって特徴づけられており、信徒の奉仕は、司祭にとっても、奉献生活者にとっても、神の救いの計画における地上の現実の重要性を思い起こさせます。役務的司祭職は、キリストの秘跡的臨在をすべての人に恒久的に保証するものです。そして、奉献生活は、教会の終末的特徴の目に見えるあかしとして、私たちが「復活のいのち」に向かっており、貞潔・清貧・従順の誓願を通して、実際に期待され、経験されるものであることをすべての人に思い起こさせるものなのです(CL 55; VC 31参照)。
24.EPC(教育司牧共同体)におけるドン・ボスコのサレジオ会とサレジオ会の家族の中のサレジオ会
このような背景から、第24回総会は、サレジオ会員と信徒協働者が共有するドン・ボスコの精神と使命について語っています。教育・司牧共同体の中では、サレジオ会修道共同体がカリスマの基準点となり、院長が一致とカリスマを守る要として、重要な役割を果たしています※8。このことは、『ドン・ボスコのサレジオ家族 アイデンティティー憲章」(2012年)にも反映されています。サレジオ家族の各グループは、それぞれの特別な召命に従って、教会の中で、また教会のために、サレジオのカリスマ的使命に参加し※注9、福音に奉仕するのです。
サレジオ家族の中で、ドン・ボスコのサレジオ会員は、「相手も自分も豊かにし、より効果的に使徒職を行うため、同じ精神を保ち、対話と兄弟的な協力を促進する」※注10という責任を託されています。そしてサレジオ会支部共同体の院長には、サレジオ家族を導き、アニメートする責任が託されているのです。
25.奉献生活者として使命を分かち合う私たちは、終末のしるしとなるよう召されている
サレジオ会の使命を分かち合う者は皆、それぞれの形で若者に神の愛のしるしとなり、担い手となるように召されています。奉献生活者として使命を分かち合う私たちは、終末的なしるしとなるように召されています。ここには、おそらく、ドン・ボスコが「終末の事柄」に絶えず執着し、自分を囲んだ人々の心に聖性への大きな渇望を目覚めさせる能力を持っていたことが、「永遠に有効なインスピレーション」となっています。私たちドン・ボスコのサレジオ会員は、特に若者たちに、神が全人類に差し出したいと願っておられる賜物の完全で「過剰」な性質を示すしるしとなり預言者となるように召されています。私たちは、サレジオ家族の他の男女の奉献生活者のグループとの交わりの中で、また、特に若者を含む、多くの信徒協働者との交わりの中でも、それを行うのです。
2.4 司祭と修道士という2つの生き方
26.一つのサレジオ会召命を生きる二つの形
私たちサレジオ会員の奉献生活者としての一つの召命は、司祭と修道士という二つの形で、それぞれ固有の姿で生き抜かれます※注11。修道士も司祭も、まずサレジオ会修道者なのであり、共同体に生きる奉献者としてドン・ボスコに従う教育者・司牧者なのです。サレジオ会のカリスマのこの点についての理解が乏しい場合、司牧におけるジェネリック主義に陥り、奉献生活についての理解が乏しいと、司牧的な個人主義とさまざまな形での見返りを求める態度につながり、フランシスコ教皇の教えの中でしばしば指摘される聖職者主義的な特徴に陥ってしまいます。
第21回総会は、サレジオ会修道士とサレジオ会司祭をサレジオ共同体の中にしっかりと位置づけています。「彼(ドン・ボスコ)の理想を永続させるのは個人ではなく、『司祭と修道士で構成された』共同体であり、その共同体は深い兄弟的な結びつきによって互いに密接に結ばれているのです」。この理由から、総会文書は続けて、「各自のサレジオ会員の明確で正確な次元は、兄弟的で使徒的な共同体の文脈の中でのみ、十分に研究し、評価することができる」(第21回総会 171)と述べています。このことは会憲第 45条が「サレジオ会共同体の中に教役者と信徒の会員がいて、互いに補い合う事実は意義深く、本会共同体の使徒的性格と完成に本質的な条件となっている」と明記している通りです。第21回総会は実際に、「サレジオ会修道士とサレジオ会司祭との間の本質的な相互関係」について語っています。(第21回総会文書194-196)。この偉大な直観は、教会内の生活状態に関する上述の3つの回勅に見られる「しるしの神学」を先取りしています。
27.サレジオ会修道士
このように、第21回総会文書178は、信徒としてこの世のただ中に生きる次元がサレジオ会修道士の具体的な特徴であると説いていますが、これが共同体とサレジオ会司祭との関わりの中で理解されなければならないことは明白です。サレジオ会修道士は修道会全体を特徴づける信徒の次元と「この世に生きる姿勢」の体現者であり、修道士の召命を明確にすることは、私たちの修道会における信徒の要素を明らかにする試みなのです※注12。サレジオ会修道士は修道会の信徒的次元のイコンであると言っても良いでしょう。第24回総会の言葉を借りて言えば、「修道士は、奉献された会員たちに創造とこの世の現実の価値観を思い起こさせ」、信徒と協力するように招き、使徒職が厳密な司祭的な要理教育的な活動を超えたものであることを思い起こさせます。「信徒たちに、サレジオ会修道士は神の国のためにすべてを捧げる価値を思い起こさせます。また修道士は、仕事の世界への特別な感受性、地域の環境への配慮、教育・司牧の活動に関連した専門的なアプローチの要求を提供しているのです」※注13。さらに言えば、修道士は、世界の諸宗教に対して、創造された世界の美しさ、神聖さ、価値を預言しているのです。
しかし、『教会における修道士のアイデンティティーと使命』で示唆されているように、サレジオ会修道士は、交わりと兄弟愛のイコンでもあります※注14。奉献生活はconfessio Trinitatis(三位一体の信仰告白)であると同時にsignum fraternitatis(兄弟愛のしるし)でもあるのです。教皇フランシスコは奉献生活者年を紹介する書簡の中で、奉献生活はそれ自体の中に閉じこもるものではなく、その召命が交わりを限りなく広げていく中にあることを思い出させてくれました。
28.サレジオ会司祭
サレジオ会司祭については、ある意味でより複雑です。なぜなら、サレジオ会司祭は、自分の修道共同体に属していると同時に、地域の司教を頭とする司祭団にも属しているからです。しかし、司祭団への所属は、仲介されたものであると同時に、特別なものとなります。それは、サレジオ会司祭が自らの修道共同体に属することによって仲介されまた、サレジオ会のカリスマの豊かさを司祭団にもたらすことによって特別なものとなるのです。これは、例えば、共通の使命の奉仕が、時に行われる個別の司祭としての務めよりも優先されることを意味しています。他の会員や信徒協働者と共有する使命においては、特に院長である時には尚更、すべてを独占するのではなく、すべての人の責任を促進するような権威のスタイルをとることを意味します。これは、しもべであるキリストの姿に特別に敏感になり、宗教的権威の奉仕が任期を伴う一時的なものであり、共同体での謙虚な奉仕の兄弟的な分かち合いを歓迎し、教会の中での昇進やキャリア、「栄達の生き方」、安楽さ、快適さ、妥協を求めることに表れる「霊的なこの世性」を排除することを意味しています。です。これは、例えば、共通の使命の奉仕が、時に行われる個別の司祭としての務めよりも優先されることを意味しています。他の会員や信徒協働者と共有する使命においては、特に院長である時には尚更、すべてを独占するのではなく、すべての人の責任を促進するような権威のスタイルをとることを意味します。これは、しもべであるキリストの姿に特別に敏感になり、宗教的権威の奉仕が任期を伴う一時的なものであり、共同体での謙虚な奉仕の兄弟的な分かち合いを歓迎し、教会の中での昇進やキャリア、「栄達の生き方」、安楽さ、快適さ、妥協を求めることに表れる「霊的なこの世性」を排除することを意味しています。
サレジオ会員の司祭職が仲介され、特別なものとなることの意味合いは、共同体のレベルにではさらに重要です。新たな司牧活動は、サレジオ会のアイデンティティーと使命を重要な基準として、共同体で慎重に検討した後にのみ受け入れられるべきです。私たちが会憲に忠実であり続けるために、誰かにとって「良いこと」がすべて「私たちのために良いこと」であるとは限らないのです。
29.奉献生活と使徒職の賜物を組み合わせること
サレジオ会の司祭のアイデンティティーは、私たちの教育的・司牧的カリスマに根本的に方向付けられています。私たちの養成綱要(Ratio)は、サレジオ会司祭は「特定の形で司祭であることと司祭職を行使することは、サレジオ会員としての奉献に由来する」(FSDB2016年版39)と記し、司祭としての奉献の賜物と司祭職の賜物を自分の中で一つに合わせていることを指摘しています。サレジオ会司祭は本質的に教育する司祭であり、自由の教育学である予防教育法に特別に配慮します。神から私たちへのご自身の伝達が、私たち自身の関与を排除するものではないことを考えると、キリストが教会とその聖職者に託した使命は、純粋に垂直的な方法では決して実行できません。恩恵は常に私たちの自由を伴うものであり、最も力強い恩恵であっても、私たちの自由を奪うことはできません。恩恵は愛であり、自由のないところには愛に対する自由な応答はあり得ないからです。「それゆえ、私たちは、サレジオ会司祭は、恩恵と自由の独自のブレンドである予防教育法を生み出した聖ヨハネ・ボスコと同様に、独創的な人物であると主張することができます」※注16。
ここで、ドン・ボスコの司祭職についてのヴェッキ師のコメントを引用することふさわしいでしょう。
ドン・ボスコは、教会の最良の伝統が伝える司祭の姿と自分自身を重ねていました。その時代によく見られた司祭の姿、例えば、小教区の司祭、特定の人々の霊的ケアやチャプレンに専念する司祭、あるいは神学校や大学教授として教区内で何らかの制度的責任を負う司祭の姿に厳密に結びついているわけではなかったのです。また、ドン・ボスコは、政治的・文化的傾向に左右されませんでした。反動的な司祭、リベラルな司祭、「現代的」な司祭、あるいは「社会的」な司祭のいずれかになることはなかったのです。なることはなかったのです。
上に挙げたような司祭の姿はトリノの聖職者の間で見られましたが、カファッソ神父が示した仕事と牧者の愛をより重視したモデルに従い、更に祭司であるキリストご自身と教会の司祭的センスに立ち返りながら「聖ヨハネ・ボスコは、いかなる時も単純に司祭であろうとした」のです。※注17。
30.サレジオ会修道士とサレジオ会司祭
それでは、サレジオ会修道士とサレジオ会司祭の関係はどのようなものなのでしょうか。サレジオ会共同体の中で、修道士と司祭は互いにしるしとなります。これまで述べてきたように、修道士会員は、私たちの共通の召命の信徒としての側面を司祭会員に思い出させます。さらに、修道士会員は、聖別奉献されたアイデンティティーを司祭会員に絶えず思い出させるのです。逆に、サレジオ会司祭は、修道士会員に、自分が単に職業人であるだけでなく、何よりもまず、この世の中にあって司牧者であり教育者であることを示すのです。
文化的な先入観によって、私たちは司祭が修道士よりも「何となく優れている」と思い込 んでしまうかもしれません。ここで、ヴィガノ師の「紀元2000年の司祭」と題した書簡にある驚くべき断言を思い出すのは役に立つでしょう。天上のエルサレムでは、「聖書、司教と司祭、教導職(マジステリウム)、秘跡、調整、あるいは私たちの歴史に不可欠な多くの相互の奉仕、これらのものは全て必要がなくなってしまうのです」。ドン・ボスコの第7代後継者は続けて次のように述べています。「このように、すでに教会共同体においては、制度的、位階的、組織運営的な現実の秩序は、(中略)彼らが仕え、信仰のうちに生きている人々に明らかにされる神秘の前では、二次的なものとなるのです」(AGC335、24)。『カトリック教会のカテキズム』で、教会の秘跡的な構造が、神との交わりという最終的な召命に従属していることと指摘していますが、この洞察が再確認されたことは素晴らしいことです。
教会では、「終わることのない愛」のうちに、神と人とが交わるこの交わりは、この過ぎ去る世と結び ついた、秘跡的な手段である教会のすべてを支配する目的なのです。教会の構造は、キリストに属する者の聖性に完全に秩序づけられています。そして、聖性は、花婿の賜物に対して花嫁が愛の賜物で応える「大いなる神秘」に従って測られるのです。マリアは、「しみもしわもない花嫁」としての教会の秘義である聖性において、私たち皆の前に進み出るのです。これが、教会の「マリア的」次元が「ペトロ的」次元に先行する理由です。※注18
司祭職が基本的に、謙遜な奉仕を意味する奉仕職であることを忘れてはなりません。
そして、私たちが信徒よりも優れているからではなく、教会全体の終末論的完成のしるしとなる召命のゆえに、聖別奉献された者として私たちが教会のマリア的中心に位置することを謙虚に思い起こすとよいでしょう。とを謙虚に思い起こすとよいでしょう。
○院長は、会員や教育司牧共同体(EPC)のメンバーが私たちの召命の二つの形を理解し、その価値を認めるように助けます。
○院長は、あらゆる機会をとらえて、私たちの召命の二つの形を、若者、一般の人々、公共・教会当局に紹介し、あらゆる差別的言葉を避けるように注意します。
○院長は、修道士会員であれ司祭会員であれ、各会員の生涯養成と資格取得を促進します。
2.5 量と質の堅実さのある共同体の中で
31.サレジオ会修道共同体はEPCのアニメーションの中核を構成する
サレジオ会共同体の使命は、常に教育司牧共同体の中で遂行され、そこでサレジオ会支部共同体はアニメーションの中核の一部を形成します。第24回総会は、すべてのサレジオ会員はアニメーターであると述べ(第24回総会159)、第25回総会は、サレジオ共同体がアニメーティングの中核の中でのカリスマ的な基準点であると断言しています(第25回総会70、本書第7章第3節参照)。サレジオ会員の役割を再考することの直接的な結果の一つは、量と質の堅実な修道共同体の必要性です。
サレジオ会共同体がアニメーションの役割を果たすためには、その活動が目に見え、意味あるものとなるために量的・質的な堅実さが必要となります。
数的な一貫性は、養成の持続性、霊的・兄弟的生活、使徒職の質と評価、将来に向けての計画、地域や地元の教会との対話を行うために必要となります(第24回総会173、公式訳を修正)。
質的な一貫性とは、若者の中にずっと身を置き、若者に同伴し、若者を信仰に導くことのできる会員が共同体の中にいなければならないということです。また、個人やグループをアニメートし、信徒協働者を養成し、近隣と地域教会、サレジオ家族とその運動に注意を払うことのできる会員がいなければならないということです(第24回総会174)。
もし「使命」を「若者のために働くこと」や「若者のために施設やサービスを運営すること」に狭めてしまうなら、共同体は一貫性など持つ必要はなくなります。しかし、もしすべてのサレジオ会員がアニメーターになるように召されているのであれば、修道共同体はこの務めのために準備(「ふさわしい資質を身に付ける」)をしておく必要があり、共同体には十分な人数が必要となるのです。※注19
第3章 サレジオ会のアイデンティティーの守り手である院長
32.サレジオ会修道共同体の中の院長とドン・ボスコの使徒的計画
ここまで、私たちは、私たちにとっての使命の中心性と、聖別奉献者として私たちがこの使命を分かち合う方法について見てきました。サレジオ会修道共同体とドン・ボスコの使徒的プロジェクトの中で、院長は自分の位置を占めるのです。私たちの使徒的聖別奉献の内的・外的な豊かさは、院長の役割の複雑さにも当然反映されています。
過去数十年の間に、教会と修道会は共に、修道共同体の導き手とアニメーターとして権威を担う者の姿を深めてきました。※注20
以下の第III部では、教育司牧共同体とサレジオ会事業にさまざまな形で関わるすべての活動や人々のグループに対する院長のリーダーシップとアニメーションの役割により大きな注意が払われます。
修道共同体のアニメーターと、サレジオ会事業で行われるさまざまな活動の最終的な責任者という二つの役割の間には、簡単には解決できない緊張関係があります。
この新しい『院長マニュアル』の第Ⅱ部と第Ⅲ部で提案されていることは、サレジオ会修道共同体と教育司牧共同体のレベルで、アニメーションと統治という二つの両極を賢く見極め、正しいバランスを見出すのに役立つことでしょう。
3.1 支部共同体における院長
33.従う者を一つにするキリストを院長は象徴する
会憲第55条は共同体における院長に捧げられています。「院長は、御父に奉仕する弟子を集めるキリストの代理者である。院長は兄弟の中の兄弟として共同体の中心に位し…」
「院長はキリストの代理者である」。私たちの伝統が父性に重きを置いている以上、院長は御父の代理であると言う方が自然にも思えますが、そうではなく、会憲第55条は「院長はキリストの代理である」と述べています。この冒頭の断言の深い意味を紐解いてみましょう。
院長は従う者を束ねるキリストを象徴しています。院長の奉仕は通常、アニメーションと統治という言葉で表現されます。語源的には、「アニメーション」はラテン語のanimaから来ており、私たちは通常「魂」と訳し、霊的な用語として理解していますが、本来の意味は「生命」を指しています。アニマがあるところに生命があります。その代わり、生き物がアニマを失ったとき、つまり死んだとき、臓器や細胞は生き続ける可能性がありますが、そこにはもはや統一性はなく、生き物はその構成要素に分解されてしまうのです。アニマは、それが統一の原理である限り、生命の原理です。アニマがなければ、たとえ器官や細胞が存在し続けたとしても、もはや生物は存在しません。その応用は明らかです。たとえ個々のメンバーが生きていて、繁栄し続けていたとしても、団結していない共同体は死んでしまうのです。が、そこにはもはや統一性はなく、生き物はその構成要素に分解されてしまうのです。アニマは、それが統一の原理である限り、生命の原理です。アニマがなければ、たとえ器官や細胞が存在し続けたとしても、もはや生物は存在しません。その応用は明らかです。たとえ個々のメンバーが生きていて、繁栄し続けていたとしても、団結していない共同体は死んでしまうのです。
したがって、アニメーションとは、共同体の生きた結束を築く仕事なのです。キリストのように、院長は御父への奉仕のために兄弟を一つにします。このことは、院長が共同体の中で最も有能で、最も聡明で、最も経験を積んだ人でなければならないということではありません。今日、私たちは、院長が共同体の中で最も若い会員であるという状況をしばしば見かけます。しかし、強い信仰と希望と愛、そして謙虚さがあれば、院長は共同体の結束を保ち、その結果、共同体を存続させることができるのです。
34.御父への奉仕が一致にアイデンティティーを与える
院長は「御父への奉仕のために」兄弟を団結させます。一致にアイデンティティーを与えるのは、御父への奉仕です。あらゆる種類の一致が本物で肯定的であるわけではなく、院長は、たとえそれが御父の意志を探求するという主要な目的を脇に置くことを意味するとしても、あらゆる犠牲を払ってでも一致を求める誘惑に駆られかねません※注21。「権威を行使するように召された人は、まず、神の意志を強く正しく求める巡礼の旅に出かけてこそ、それが可能になることを知らなければなりません。アンティオキアの聖イグナチオが仲間の司教の一人に与えた助言は、彼らにとって貴重なものです。「あなたの同意なしには何も行われませんが、神の同意なしには何も行われません」。権威ある人が命令を下す時には、ただ神に従うためだけにそうしているのだと、兄弟姉妹が悟ることができるように行動しなければなりません」。(FT 12)
35. 共同体の中心にいる兄弟の中の兄弟
会憲第55条の冒頭にある権威の概念は、次の言葉によってさらに強化されます。院長は「兄弟の中の兄弟として共同体の中心に位し、兄弟は彼の責任と権威を認める」。
「院長は共同体の中心に位する」。明らかに、これは自己中心性への呼びかけではありませんし、ましてや自己言及や自己宣伝への呼びかけではありません(NW 45)。キリストのように、院長は自分の食物は御父の御心を行うことだと言えるようにならなければなりません(ヨハネ4:34)。御子であり兄弟であるキリストのように、院長は謙虚さと謙遜さをもって権威を行使します。福音のラディカルさへの呼びかけには、謙遜さという「忘れられた美徳」も含まれています。謙虚さ(umilta)は、その語源が腐葉土(humus)であることから、つまり貧しく屈辱的な生活を強いられた素朴な農民だったドン・ボスコをすぐに思い起こさせます。謙虚さは精神的な貧しさに関係しており、その最も深い意味は、神だけを人生の目標とすることなのです。サレジオ会支部院長の謙虚さには、自分自身の不完全さや限界、そして共同体における限界を受け入れることが含まれます。彼は兄弟の中の兄弟であり、不完全な者の中の不完全な者です。彼は、自分の最初の選択は神であり、その選択から他のすべての選択が導かれることを知っています。さや限界、そして共同体における限界を受け入れることが含まれます。彼は兄弟の中の兄弟であり、不完全な者の中の不完全な者です。彼は、自分の最初の選択は神であり、その選択から他のすべての選択が導かれることを知っています。
「兄弟の中の兄弟」。権威を委ねられた者は兄弟であり続け、兄弟愛の奉仕に徹します。 このように『新しい革袋に入った新しい葡萄酒』では、「評議会以降、奉献生活のより広範な見方が、権威の役割の重要性から兄弟的ダイナミズムの重要性に移行した」(NW 41)と述べています。権威は個人的ですが、私的なものではありません。それは交わりと忠実さの奉仕であり、言い換えれば、父と私たちに対する父の計画への奉仕です。(NW 41, 44)「院長は兄弟の兄弟として共同体の中心に位し、兄弟は彼の責任と権威を認める」。息子であり兄弟であると同時に、父の存在を明らかにするキリスト(ヨハネ14:9)のように、サレジオ会支部院長は兄弟であり父であり、その役割の間に矛盾はありません。ドン・ボスコには、キリスト教の権威のこの独特で深い三位一体の特質が見事に具現化されています。「私たちの創設者は、父以外の何者でもありませんでした」と、リナルディ神父は言います。「彼の生涯は、天の父から授かった父性についての完全な論文であり、祝福された神父が今世で最高の形で実践したものです」(ACS12、939-940)。ドン・ボスコは常に昇進や栄誉を拒否しましたが、父と呼ばれることを喜びました。彼は喜びを隠さず、後年には、彼の中に湧き上がる優しささえも表しました。「私を父とよんでくれるなら、私はいつも幸せだ。」(BM XVII,175)これらの要素は、以下の実践的な考察に要約されています。「院長の第一の任務は、共同体が会憲に従って忠実に生き、一致して成長するよう、共同体を活気づけることである」(会憲第55条)。
36. 責任の蓄積と仕事の階層
「院長の第一の任務は、共同体を活気づけることである」。私たちの総会、そして最近では第27回総会でも、院長たちの介入分野が拡大し、院長がますます管理業務に時間を割くようになり、その結果、支部共同体の精神的指導者であり、EPCのリーダーであるための時間とエネルギーがほとんど残らなくなっていることを、繰り返し嘆いています。※注22
2016年に実施された調査で繰り返し指摘された最も深刻な問題は、院長が担うことになる管理業務でした。「責任の重荷が、院長にとって本来果たすべき役割、すなわち霊的な父としての役割、会員を優先すること、信徒の形成と同伴を妨げています。緊急なことの対応に追われ、重要なことの対応がおろそかになっています。多くの院長は、あまりにも多くの仕事を抱え込みすぎているのです。彼らは、支部共同体を活性化させる時間やエネルギーがありません」。※注23 事務や管理業務が優先されることは、サレジオ会の各施設で本当に必要とされているという理由だけでなく、支部共同体の精神的な指針や各会員の兄弟的な支援にふさわしい役割よりも、事務・管理的な役割が意図的に選ばれ、好まれることが多いという理由から、決して珍しいことではありません。そして、これは他の課題とも関連しています。「支部共同体の数と質における一貫性の欠如、今日必要な支部共同体の種類についての混乱、院長として任命された多くの会員の能力や準備を超える要求される資質:会員の共同体と教育・司牧共同体の双方からなる支部共同体の父親、精神的指導者、管理者、管理者、司牧的アニメーターとしての役割を同時に果たすこと…」※注24
しかし、同じ調査では、何よりもまずカリスマ的な共同体の指導者であり、ドン・ボスコの父性の象徴である院長の必要性が示されています。ここで、私たちの根本的な信念と態度の重要性を過小評価してはなりません。支部共同体の活性化が第一の仕事であると理解し確信している院長と、そうでない院長との間には、明らかな違いがあります。
私たちの総会でも、職務の優先順位付けが同様に強調されてきました。院長には、多くの責任をどのように優先順位付けし、委任する能力を伸ばすかが求められます。多くの職務のすべてが同じ重要性を持っているわけではなく、また、すべてに同じ注意を払う必要もありません。
37.カリスマ的責任
「共同体が会憲に従って忠実に生き、一致して成長するよう」院長には、ドン・ボスコから受け継がれた、サレジオ会の生活と行動の原型であるサレジオ会精神の守り手の役割があります。サレジオ会精神の中心にあるのは牧者の愛です。「霊魂を求め、神のみに仕えさせる使徒的情熱」(会憲第10条)です。牧者の愛とは、良き羊飼いの愛であり、パンと仕事を提供するだけでなく、「魂を救う」ことに専心する愛であり、教育だけでなく福音宣教にも力を入れ、若者たちに完全な幸福を与えようとする愛です。院長はこのような愛を体現し、会員に広める使命があります。何よりも、会員や教育・司牧共同体の一員であるすべての人々を、「新しく、寛大で純粋な心で、真の自己放棄、絶え間なく忠実な献身、さらには母のような優しさをもって、…『キリストがあなたがたの内に形づくられるまで』まで」(ガラテヤ4:19参照)」(PDV 22)愛することが求められています。
「会憲に忠実に生きる」ために:院長には、会員たちのために、会憲に体現されたサレジオ会の奉献的なアイデンティティの守り手の役割もあります。したがって、第27回総会の「カリスマ的なアイデンティティをより深く探究し、ドン・ボスコの使徒的プロジェクトを忠実に実践するという私たちの召命を自覚する」という特別な呼びかけは、院長に対して向けられたものです。(第27回総会文書 p. 89)
会憲第55条の次の部分でも、院長のカリスマ的責任が改めて強調されています。「院長は一人ひとりの会員に対しても直接の責任を負い、会員がその召命を全うし、任務を果たすよう支援する」。
38.支部共同体の第一の養成者
管区長が管区における第一の養成者となるのと同様に、院長も支部共同体における第一の養成者となります。会憲の改正版を私たちに与えてくれた第 22回総会は、生涯養成の観点から、養成に関する全セクションをまとめるという決定を下しました。私たちにとって、養成とは決して初期養成のみを指すものではありません。むしろ、それは神が日々私たちに恵みを与えてくださる神の呼びかけに対する日々の応答です。(会憲第96条)それは生涯にわたって続くプロセスです。それは日々の出来事の中で聖霊の声を識別し、サレジオ会の召命の意味を実体験から学ぶことです。(会憲第 119, 98) したがって、日常生活は養成の重要な場であり、このことを真に理解したとき、私たちは院長職がいかに重要であるかを理解します。院長の第一の任務は、会憲に忠実に生き、一致を深めるために共同体を活性化させること、そして各会員に対して直接責任を負い、会員が自らの召命を自覚できるよう手助けすることです。
院長も他の会員と同様に、統一の恵みを受けていることを覚えています。院長は神と兄弟姉妹への愛のひとつの動きの中で、使徒的奉献生活をしています。 (会憲第3条) 彼は、牧者の愛の二つの極、神と隣人との間に最も深い関係があることを知っています。「神への愛から発するものでなければ、若者たちへの献身は本物ではありません。しかし、若者たち、特に恵まれない若者たちへの思い入れ抜きに、神への真の愛はありえないということもまた真実です」(AGC330、29)。
聖霊を通して私たちの心に注がれる神の愛は、隣人への愛の源であり、その原因です。一方、神を愛する方法は、兄弟姉妹への奉仕です(PL165)。牧者の愛の活動は、それ自体劣っているものではなく、むしろ神の愛への参与です。使徒的経験の深みには、内面的な生活の形を見出すことができます(MSD18)。
39.聖霊の積極的な臨在から、院長は忠実であるための力と希望を支えるための力を得る
上記のことはすべて素晴らしく、感動的ですが、最も勇敢な院長でさえも、寒気が走るかもしれません。私たちは一人ではないということを、もう一度思い出すことが助けになります。呼びかけは神からであり、私たちは御子と一体となって生きるよう呼びかけられています。御子なしには何もできないのです。主は日々私たちに恵みを与えてくださいます。私たちが忠実であるための力と希望を支える支えは、聖霊の活動的な臨在から得られるのです(会憲第1条)。また、十字架は私たちの信仰の神秘の中心にあることも忘れてはなりません。どんな「マニュアル」も院長の問題を解決することはできません。私たちを、ドン・ボスコが自分の母親に求めたように、十字架にかけられた方を見つめるよう招くことしかできません。
こうして院長も、十字架上の御子に目を留めることを学びます。マリアは院長の模範です。なぜなら、マリアは完全な弟子であり、御子と同じように御父に完全な「はい」と言って、従うからです。母と子は、たとえ完全に理解していなくても、常に父のみ旨の輝く雲を前にして、従順に歩む道を知っていました。マリアは教師でもあります。なぜなら、ドン・ボスコに愛することを教えたように、そして実際にイエスご自身に愛することを教えたように、院長にも愛すること、希望すること、そして信じることを教えるからです。を教えたように、院長にも愛すること、希望すること、そして信じることを教えるからです。
3.2 院長の権威と権限
40.指導力ではなく、創造力を生み出す力としての権威
予防教育法は、教育者と若者、そしてサレジオ会の会員同士の信頼と自信を基本とするリーダーシップのスタイルを育みます。 「権威の奉仕」を任された人々の指導と活気づけの役割は決して軽視されるものではありません。それどころか、そのような役割と奉仕がサレジオ会の精神に従って実践されるとき、それは「冷たい規則」に頼るだけでは達成できない、はるかに効果的な大きな権威性を獲得します。(1884年『ローマからの手紙』)
若者、信仰、そして召命の識別に関するシノドスの最終文書にも、同様の「権威」へのアピールが見られます。「真の成長の旅を始めるには、青年には権威ある大人が必要です。語源的な意味において、auctoritasとは成長を促す能力を指します。指示する力というよりも、真の生成力を示す概念です。」※注25
このような auctoritas を育むために、まず第一に青少年の教育者として、そしてまた指導者として、サレジオ会の会員が成熟するためには、彼らの人間的・霊的成長に多くの注意と配慮を払わなければなりません。ドン・ボスコが、ミラベッロの院長になるために26歳でミラベッロに送られたミケーレ・ルアのために最初の「院長の手引き」を書いたとき、彼は長い手紙を「con te stesso」というフレーズ、「自分自身のために」という言葉で始め、ミケーレに自分の世話をすることを勧めています。ここではその詳細を述べる必要はありませんが、各会員の生涯養成に関しては、何よりもまず院長自身、つまり、職業上の健康、祈り、内省と研究のための時間、霊的同伴への忠実さなどが関係してきます。他者に対する責任が大きければ大きいほど、私たちは個人的に支えられ、導かれる必要があります。
院長の個人的な生活の質と直接結びついているのは、教育司牧共同体の生活に影響を与える活動、任務、計画、状況の管理について、会員や信徒のミッション・パートナーとの間で責任を共有する能力です。(会則第173条)
41. 権威としての potestas
教会におけるあらゆる権威を教会法が potestas(権威)と定義していることに注目すべきです。権威を受ける者は教会から権威を受け取ります。教会の名において、またその指針に従ってのみ、そのような potestas が行使されるのです。ペトロの権威は最終的にキリストとその福音から来ます。それは恣意的なものではなく、常にキリストと結びついており、キリストの弟子たちにとっての道、真理、そして命でもあります。 これは、ドン・ボスコのサレジオ会の生活プロジェクトを体現するサレジオ会会憲に存在するすべての権威、すなわち教会の権威に完全に依存する権威にも同様に当てはまります。教会は「特に会憲を認可し、創立者を列聖することによって、本会の創立が神のみわざであることを認めた」のです(会憲第 1条)
42.権威の行使は常にカリスマ的な忠誠心を促進する
したがって、教会法は奉献生活における権威の奉仕の基本的な概要を定義し、奉献生活に適用されるより具体的な権利と義務を規定しています。※注27
奉献・使徒的生活会省は、奉献生活における権威の行使について、例えば「長上」自身が神に従う存在であること、奉仕と司牧の精神といった点について、一定の重点を置いて考察しています。権威の行使は、共同体生活や共同体に委ねられた使徒的活動のさまざまな領域において、カリスマ的な忠誠心を常に促そうとします。
この権限の行使を適切に行うためには、次の基本的な姿勢を堅持することが重要です。すなわち、すべての人々の信仰と従順の精神、傾聴、対話、責任の共有、共同体としての識別、使命への奉仕、各共同体と事業における役割の尊重です。同時に、権限の濫用や、権限を持つ者の責任の放棄や怠慢を避ける必要があります。
各修道会または修道院は、自らのカリスマと適切な法に従って、権威行使の特徴を定めます。サレジオ会の場合、これらは会憲と会則、管区会議の決定、管区指導書に記載されています。
43.権威に奉仕するサレジオ会スタイル
会憲第65条と第121条は、家族と慈善の精神に基づいて権威を行使するサレジオのスタイルを要約しています。会憲の第10章は、この奉仕の基本的な基準を示しています。すなわち、キリストのように、キリストの名において行使すること、指針、決定、是正、その他の適切な介入を通じて、使命を忠実に果たすためにすべてにおいて慈善を促進すること、人と組織の調整において、統一、参加、責任、補完性、分権を確保すること、です。「この奉仕は、慈善心を育み、すべての人の努力を調整し、活気づけ、方向づけ、決断を下し、修正を加えることで、使命が達成されるようにすることを目的としています」(会憲第121条)。
この権威の奉仕に関するサレジオ会のスタイルとともに、会憲と会則は、院長と副院長の権限と責任、支部評議会、会員集会も考慮に入れながら、その行使についてより具体的な指示を与えています(会憲175-186条、会則170-184条)。院長の職務を実りあるものにするために、これらの指示は会員にもよく知られていなければなりません。
管区指導書と管区長と評議会による決定は、各サレジオ会の活動の活性化と運営について具体的な指針を示し、教育司牧共同体、そしてさまざまな活動分野における基本的な責任と役割を定めます。これにより、院長の責任遂行が容易になります。また、管区長による公式訪問やその他の活性化と調整のための奉仕も、非常に有益です。る公式訪問やその他の活性化と調整のための奉仕も、非常に有益です。
3.3 サレジオ会支部院長の司祭的特徴
44.支部共同体は一人の司祭会員によって導かれる
共同体における権威の奉仕は、一人のサレジオ会司祭に委ねられています。「本会の伝統に従い、共同体はひとりの司祭会員によって指導される。この会員は、司祭の役務の恩恵と司牧経験をとおして、会員の精神と活動を支え、方向づける」(会憲第121条)。これは、第20回総会が特に関心を示した問題であり、第21回総会で明確なテーマとして議論されました。ヴィガノ神父は、介入の中で根本的な疑問を提起しました。「権威の行使は司祭職の奉仕と本質的に結びついているのでしょうか、いないのでしょうか?」※注29。その後の考察は豊富で、ドン・ボスコに忠実であろうとする一方で、院長に求められる奉仕の質を高めることも目指しています※注30。
会憲第 121条 の最初の部分には、重要な指針が示されています。「本会における権威は、キリストの名によって、又、キリストにならって、兄弟への奉仕として行使される。それは御父のみ旨を探究し、遂行するために、ドン・ボスコの精神に従って行われる奉仕である」。これは、教会法上のカテゴリー(聖職者修道会)の問題でも、権威の奉仕のための権限と役割の分配の問題でもありません。ましてや、サレジオ会員をカテゴリーに分類する問題でもありません。むしろ、ドン・ボスコが始めたサレジオ会共同体の生き方についてのことなのです。ドン・ボスコは司祭としての父性をもって、息子たちを導き、私たちのサレジオ会の生活の源である共通のプロジェクトを立ち上げたのです。
ドン・ボスコが残した模範に従い、サレジオ会の共同体は常にサレジオ会の司祭によって導かれてきました。秘跡を執り行うことは、ドン・ボスコが会員を育成し導く上で精神的な指針となったのであり、それは彼が後継者や共同体に受け継がせたカリスマ的な遺産の一部となっています。
45.共同体における、共同体のための、み言葉の奉仕、聖化の奉仕、教導の奉仕
決定的な要素は、院長が共同体の中で自分に託された権威の務めを果たすことによって司祭職の恵みを生きることです。院長は、共同体の中で、そして共同体のために、司祭職の3つの側面、すなわち「み言葉の奉仕」、「聖化の奉仕」、「教導の奉仕」を生きることです (AGC 306 14)。J. ヴェッキ神父は、第25回総会の招集状の中で、院長に自らの職務の優先順位をつけるよう求め、カリスマ(会員たちの召命の成長において聖霊と協力する)、司牧(サレジオ会の使命を共有する人々の牧者の愛を強める)、兄弟的(関係、一致、共同責任を大切にする)という3つの重点分野を示しました。「これらをすべて実現するために、院長は司祭としてのカリスマを発揮します。会憲は、院長は司祭でなければならないと定めています。これは単に司祭叙階という法的要件を満たす必要があるという意味ではなく、修道会と教育共同体の中で、また共同体のために司祭職を行使しなければならないという意味です…」(『AGC』372 31)
46. 優先的な奉仕とは、召命への忠誠、兄弟的共同体生活、牧者の愛を活気づけること
これは、第25回総会で採用された方針です。「院長は、ドン・ボスコの模範に従って、『愛情深く、かつ権威のある父親のような存在である。司祭としての特徴に深く影響され、日々の言葉の務め、聖化の務め、霊性の務めにおいてそれを表現する』… 今日の状況において、院長の務めを全うするためには、さまざまな任務の相対的な重要性を考慮することが必要である。すなわち、サレジオ会的な一致とアイデンティティーの確立、教師と司牧的指導者、教育活動の企画者、仕事の管理者などである」(第25回総会文書 64)。ドン・ボスコが望んだように、サレジオ会支部院長としての司祭的特徴は、院長の奉仕の優先事項が、召命への忠誠、兄弟的生活、牧者の愛のアニメーションであることを示すものです。この目的のために、院長は司祭としての恵みを分かち合い、修道会に非常に必要とされるカリスマのアニメーションと霊的な父性に配慮と努力を集中させるのです(第27回総会文書12、14、51)。
■注
1. GC27 pp. 126-127; AGC 420 12; AGC 421 13-14.
2. 第15回通常シノドス「若者、信仰、そして召命の識別:作業文書(Instrumentum Laboris)」(2018年)34および57。
3. GC27 pp. 128-129; AGC 427「第28回総会招集状」24-32頁。
4.「私たちにとって、『聖別奉献』と『宣教』という二つの用語が持つ、独特かつ包括的な意味を忘れないことは、とりわけ有益でしょう。これらの用語は、それぞれ単独で、サレジオの生活の単なる一分野を示すものとして縮小されることはできません。私たちの聖別奉献は、それ自体が使徒的なものであり、また、私たちに託された宣教は、それ自体として、そして私たちのものとして、修道的なものなのです。」 E. ヴィガノ、「総長開会演説」、GC22 20。
5. ヨハネ15:1-11;参照:C 12およびGC27で選ばれたアイコン。
6. CICLSAL、『喜びなさい!教皇フランシスコの教えに基づく奉献生活者へのメッセージ(2014年);『黙想せよ:美の道を歩むすべての奉献生活者へ』(2014年);『見張れ!神の足跡をたどる奉献生活者への手紙』(2014年);『宣べ伝えよ:諸民族の間で福音の証人となる奉献生活者へ』(2016年)。
7. 司祭省『司祭の召命という賜物:司祭養成の基本指針』(2017年)61-73頁を参照のこと。同書では、哲学の学習段階(=当会の修練後)を「弟子としての段階」、神学の学習段階を「キリストに倣う段階」と呼んでいる。
8. 参照:GC25 70およびGC24 172。
9. 憲章22。本憲章の第3章および第4章では、共通の使命を見据えたサレジオ家族の構成員の霊性と養成に関する基準が示されています。
10. 会憲5;会憲45を参照。総長はサレジオ家族の「生命の中心」であり、「ドン・ボスコ、共通の使命、そして同じ精神への回帰」を具現化する存在です。(憲章 13)
11. 用語に関する注記:私たちの会憲では、「サレジオ会修道士」(イタリア語原文では salesiano coadiutore)と「一般信徒のサレジオ会員」(salesiano laico)の両方が使用されており、会憲45のように、時には同じ条項内で混在することもあります。これらの用語は地域によって異なる重みとニュアンスを持つという事実を認識し、また、まだ満足のいく解決策を見出すには至っていないことを踏まえ、私たちは会憲の用法に従うことにしました。
12. E. ヴィガノ、「サレジオ共同体における平信徒の要素」、AGC 298(1980年)、第5節。また、第4節も参照のこと。そこではヴィガノが「ラエチタ(laicita)」の3つの意味を区別し、サレジオ会の兄弟は、教会内の信徒がそうであるような意味での「世俗的」ではないものの、その召命は、それでもなお、「ラエチタ」の最初の2つのレベルと思想および活動において、真のつながりと一定の整合性を持っていると指摘しています。
13. GC24 154、およびパスカル・チャベス、「サレジオ会修道士【ⅡSalesiano Coadiutore)」、『サン・べニーニョ・カナヴェーゼ』、2005年3月19日(未発売)(http://www.Coadiutoresalesiano.net/index.php/2002-14-Chavez) を参照。
14. CICLSAL、『教会における修道兄弟のアイデンティティと使命』(2015年)。
15.教皇フランシスコ聖下による「奉献生活の年」を機にすべての奉献生活者へ送られた使徒的書簡(2014年11月21日)3。
16. ボッツォロ、「サレジオ会の司祭とサレジオ会修道士:神学的解釈のための考察」、『Sapientiam dedit illi: Studi su Don Bosco e sulカリスマ salesiano』、アンドレア・ボッツォロ編(ローマ:LAS、2015年)357頁。
17. J.E. ヴェッキ、『サレジオの霊性:いくつかの基本テーマの考察』、IVEおよびIVO管区のサレジオ院長のための黙想会、未刊、ローマ・サレジアヌム、2000年、125頁。イタリア語原版:
ドン・ボスコは、当時のどの像にも厳格に縛られない、最良の教会的伝統を持つ司祭そのものとして自らを位置づけています。それは、教区司祭や、特定の人々の霊的ケアを担う司祭、あるいは施設の付設司祭としての姿ではありません。また、教区での役割を果たす司祭や、神学校や大学の教授としての姿でもありません。また、政治的あるいは文化的な立場にも、より依存していません。すなわち、原理主義的な司祭、リベラルな司祭、「近代的」な司祭、「社会派」の司祭といった立場です。こうした人物像はすべて広く普及しており、トリノの聖職者の一部によって体現されていましたが、「聖ヨハネ・ボスコは、常に単に司祭であると感じ、またそうあり得たのです」。これは、ドン・カファッソのような、司牧活動と慈善を特に重視したモデルを参照しつつも、それらのモデルから直接、司祭としてのキリスト、そして何よりも教会の司祭的意義へと遡るものでした。(内部引用は、A. バレストロ枢機卿による1988年のイタリア管区長たちへの黙想会からのものです)
本文は次のように続きます:
小教区でも、家庭でも、施設でもなく、路上に身を投じるという選択――つまり、固定収入や公認された職務を持たないという選択――は、勇気ある新たな司牧的な選択でした。ドン・ボスコは、実質的にトリノの教会で生まれつつあった新しい司牧潮流の中に身を置いたのです。このように、彼は、明確な制度的役割の中で「司祭としての務めを果たす」ことよりも、教会共同体の中で人々や若者のために「司祭として在る」ことを選びました。厳格な役割の枠組みには縛られず、しかし、ある時点で彼を「院長」あるいはオラトリオの事業担当者に任命した司教との合意のもとで、確実に活動していたのです。(同上 126. ET:教区でも、家庭でも、修道会でもなく、路上での活動を選び、それゆえに固定収入や公認の職を持たないという決断は、新しく、かつ勇気ある牧会的な選択でした。実質的に言えば、ドン・ボスコはトリノの教会で台頭しつつあった新しい牧会的な潮流に自らを位置づけていたのです。したがって、彼は、定められた制度的役割の中で「司祭の務めを果たす」ことよりも、教会の交わりの中で、人々や若者のために「司祭として在る」ことを選びました。それは、厳格な役割の枠組みに縛られることなく、しかし、最終的に彼を「責任者」あるいはオラトリオの活動の担当者に任命した司教の意向には確かに沿ったものでした。)めを果たす」ことよりも、教会の交わりの中で、人々や若者のために「司祭として在る」ことを選びました。それは、厳格な役割の枠組みに縛られることなく、しかし、最終的に彼を「責任者」あるいはオラトリオの活動の担当者に任命した司教の意向には確かに沿ったものでした。)
18. CCC 773。また、ヨハネ・パウロ二世、「ローマ教皇庁の枢機卿および高位聖職者への演説(1987年12月22日)」、『ロッセリオ・ロマーノ』、1987年12月23日号も参照。
19. F. チェレダ、「サレジオ共同体の数と質における一貫性」、AGC 422、27-38頁。
20.参照:VC 43、SAC 14、FLC 50、FT 13および20、NW 19-21、41-54。特に重要なのは、『サレジオ修道院長マニュアル』の制定につながった第21回総会(GC21)の考察と、「今日のサレジオ共同体」に関する第25回総会(GC25)の考察です。第27回総会(GC27)は、ここ数年のサレジオの生活を振り返り、特定の課題に留意した上で、マニュアルを改訂する必要性を感じました。以下は、GC27による指針の一部です。「ここ数年、院長/所長の活動分野は広がってきました。彼らは、管理業務に全面的に従事するだけでなく、同胞たちの霊的指導者であり、EPCのリーダーでもあります。したがって、学長/ディレクターは、その職務上の義務を常に果たせる立場にあるわけではなく、しばしば同胞たちから十分な協力を得られないことがあり、時には管区レベルでの体系的な形成的伴走を欠くこともあります。」 (GC27 14) 「学長/院長は中心的な存在です。単なる管理者というよりも、家族を交わりと使徒的奉仕の中で一つにまとめる父のような存在です。私たちの仕事の複雑さ、職務の多様性、そして不十分な養成のため、彼は必ずしも共同体の生活計画やその牧会・教育計画に従って、兄弟愛に満ちた生活、識別、そして責任の共有に目を配れる立場にあるとは限りません。状況によっては、同僚からの支援が不十分なことが影響を及ぼすこともあります。」(GC27 51)今後の指針は、GC27 69に見出すことができます。すなわち、サレジオ生活における共同責任、各同僚の個人的および牧会的生活への配慮、伴走、学長の養成の強化、そして『学長マニュアル』の改訂です。
21. 宗教的権威が神の御心に従属することは、CICLSALの指示書『権威と服従の奉仕』の冒頭で明確に示されています。そこでは、宗教共同体において(通常は一時的に)権威を委ねられた者は、「神の御心を実行するという、個人的かつ共同体的である共通の探求において、一致のしるしとなり、導き手となるという特別な任務を果たすよう」求められていると述べられています。
これこそが権威の奉仕である。」(FT 1)
22. GC27 14、51、69を参照。GC25 64.2:その職務の階層的構造を考慮すること:一致とサレジオのアイデンティティの奉仕者、教師および牧会的指導者、教育活動の方向付けを行う者、そして「事業」の管理者。
23. 2017年5月26日から31日にかけてローマで開催された、サレジオ修道院長マニュアル改訂のための国際セミナーにおいて提示された地域別データ集より。
24. 同上
25. 「真の成熟への道を歩むために、若者たちは権威ある大人を必要としています。語源的な意味において、auctoritasとは成長を促す能力を指します。それは指揮権という概念ではなく、真の創造的な力を表しています。」第15回司教シノドス通常総会、『若者、信仰、そして召命の識別:最終文書』(2018年)71頁。
26. 『司祭の召命の賜物:司祭養成基本指針』において、司祭の初期養成および継続的養成の両方における霊的指導の重要性について強調されている点をご参照ください(107;88)。
27. 教会の奉仕活動に関連する修道上長の権限の詳細を規定しているカトリック教会法典(CIC)596、608、617-630を参照。
28 .FLC、FT、NWを参照。
29. E. ヴィガノ、「修道会の生活と統治への参与」、GC21 213。ヴィガノ神父の懸念は、この問題におけるカリスマ的要素を守ることでした。(参照:GC21 212-239)総会は、「この点に関するいかなる区別も私たちの特定の会則に残っている限り、会員間の兄弟的な平等は完全には達成されていないように思われる」と述べたものの、直後に次のように付け加えました。「私たちが扱っているのは、単なる法的な、あるいは社会学的な問題ではないことは明らかです。また、それは一般的な修道生活に関する考察から生じる問題でもありません。これは『サレジオ的』と呼ぶことができる、特定の宗教的・教会的な問題に関するものです。それは、聖ボスコによって創設され、組織化されたサレジオ共同体に見られるような、また教会によって承認され実践されているような、特定の生活様式に関わるものであり、聖霊が私たちの父であり創設者である聖ボスコに託された具体的な使命の成就を目的としています。」 (GC21 199)
30. その最初の示唆は、すでにC 4および45に見られます。私たちは、同じ召命を生きる兄弟として互いに補完し合う聖職者と平信徒から成る「聖職者・平信徒の修道会」であり、この相互補完性は、共同体の構成および使徒的完全性にとって不可欠なものです。『VC 61』を受けて、第24回総会(GC24)192は、当会が「混合修道会」と見なされるかどうかを検討するため、当会の法的形態に関する研究を要請しました。この研究は、当然ながら、『VC 61』がCICLSALに委ねたのと同じ問題に関する作業と結びつけられる必要がありました。この研究の結果は、聖座の所管当局に提出されたままとなっており、これに対するさらなる回答や措置は取られていません。最近、いくつかの修道会から、この問題を再検討し、適切な回答を与えるよう、聖座に要請がなされました。総長および総会は、司祭職が活動指導と指導の役割にもたらす豊かさに焦点を当て、総長の奉仕について考察を続けてきました。参照:E. ヴィガノ、「サレジオ会の総長と活動指導」、AGC 306 (1982)3-33;E. ヴィガノ、「現代における創設者のカリスマの再読」、AGC 352(1995)3-35;E. ヴィガノ、「2000年の司祭:我々が深く心に留めているテーマ」、AGC 335(1991)1-44。
■第2部
サレジオ会修道共同体における院長
~ミラべッロでわたしはドン・ボスコになる~
麦、穂、小麦粉、パン… 種から、高間で裂かれ、分けられたパンに至るまでのたとえ話
それは、神の国の神秘はすべてこれらのシンボルに秘められている。
統一の恵みは、まず共同体に奉仕し、それを成長させる人々に期待されている。(権威は成長を可能にする能力を示す―若者についてのシノドスの最終文書71)
「院長の第一の任務は、共同体が会憲に従って忠実に生き、一致して成長するよう、共同体を活気づけることである。」(会憲55条)
感謝の祭儀は、「サレジオ会のどの共同体にとっても、中心行為」(会憲88)であり、わたしたちがともに生き、働く種と実りである。
第4章 奉献されたサレジオ会員のアイデンティティーの守り手であり、アニメーターである院長
47.院長は奉献されたサレジオ会員のアイデンティティーの守り手である
院長は支部において奉献されたサレジオ会員の守り手です。サレジオ会のカリスマに特徴づけられる活気づけと統治の奉仕をするのは、院長です。第1部では、特に会憲55条に見られる院長のこの奉仕をある程度まで研究してきました。第2部では、GC27の3つのテーマを枠組みとして使用しますが、次のことを常に念頭に置きます。それは、それらのテーマは、わたしたちのカリスマにおけるアイデンティティーに相応しくなるように助ける方法であり、ドン・ボスコの使徒的プロジェクトに忠実に生きるという召命に気づかせてくれる方法です。
4.1 霊における神秘家:共同体の霊的指導者
48.個人的、共同体的同伴における奉献の中心的価値への配慮
GC27から用いられた「霊における神秘家」という表現は、奉献生活を強調しながら、総長の開会演説に示された第2テーマを表す方法です。「強烈な霊的体験をもちながら、従順で、貧しく、清いキリストの存在と行動の方法をとり、神を探し求める者となる。」(GC27 p.89)
教会は、権威の奉仕につく者に導かれ、奉献生活者に奉献生活のアイデンティティーの明確なあかしを提供するように招きます。(SAC20)権威の奉仕を行なうように頼まれた者たちに対して勧められているのは、第一に奉献の中心的価値への配慮であり、それは彼らの「霊的な権威」から始まっています:「奉献生活における権威は第一に霊的な権威である…権威ある人たちは、その組織のカリスマ的な計画の中で、共同体の各会員に分けられた賜物を通して聖霊が実現したいと望むことの奉仕にあたるときに「霊的存在」になる。霊的生活を促進する立場にあるためには、権威ある人たちはまず自分たち自身が他の人に耳を傾け、神の言葉と規則や生活の他の規範に従い、祈りのうちに日常における親しみを通して時のしるしに開かれるように努めなければならない。」2
私たちの伝統では、院長は常に共同体の霊的指導者である。院長の霊的同伴の務めには共同体的側面と個人的側面があります。(会憲55、70) GC27において、院長は各会員に一定の霊的指導者を持つように励まし、(75.2)この点において模範をもって導き、そうすれば院長は霊的指導を受けながら霊的指導者になることができます。院長もまた各会員が識別、成長するように同伴し、サレジオ会の使命を悟るために聖霊によって与えられたカリスマ的な賜物を用います(会憲99、1コロ12・7、1ぺト4・10、LG12)。 「ドン・ボスコの足跡に従い、キリストのようになること(FSDB47) 」への呼びかけに答えるように努めていることを考えると、「道のりの同伴」には様々な方法があります。院長が評議会に支えられて、相互信頼の雰囲気を作り、サレジオ会のカリスマ(共同体的同伴)の中心的価値に寛大な貢献をすればするほど、各会員の活力に満ちた忠実性の個人的な歩みが自由と独自性を十分に尊重しながら、ますます強められます。この豊かな背景に対して、形式や統一性がそれほど必要なく、個性的な支えの相互の形(個人的同伴)も探求され、成長するでしょう。率直に自由に関わることができ、各会員の良さに関心があれば、「心は心に語りかけ」、ともに歩む最善の道が自然と開かれるのです。
4.1.1 福音的勧告への忠実
49.院長によるアニメーションは、私たちが福音の徹底したあかし人となることを助ける
奉献者として、サレジオ会の使命を分かち合うことは、次のことを意味します。それは、従順で、貧しく、清いイエスに従い、彼の生き方の生きた記念となることです。
わたしたちは、修道誓願によって福音的勧告に生きるという公約をしています。共同体の雰囲気(霊的、兄弟的、司牧的)と院長の活性化に助けられて、わたしたちはこの福音的勧告のあかしを徹底して忠実に生きます。
この生き方は、本質的に文化とは相いれないのものですが、個人と共同体の選択が一致していないことを見つけるため、また凡庸さに打ち勝つ決断をするために、識別を絶えず続けていく特別な努力を必要とします。わたしたちの生き方は、教皇フランシスコの言葉によれば、「世界を目覚めさせる」預言であるべきです。
GC25によって、状況の分析と実践のための具体的な提案をもって「福音的勧告」についての識別が提供されました。GC26では、「我に魂を与えよ、他のものを取り去りたまえ。」と題して、わたしたちのカリスマ的アイデンティティーを強化したいのとの思いを表明し、福音的勧告の清貧についての行動指針を提供してくれます。(GC26 79-97)
GC27によって、私たちがサレジオのカリスマに生きることを再び強化され、「福音の徹底した生き方の証人」となるように招かれ、私たちに確信を持つように促しています。その確信とは、「共同体の中での交わりと若者に対するわたしたちの使命において、福音的勧告がもたらす実りのあるもの」、そして、「福音に照らされた文化を提唱する私たちの預言的な役割」です。(GC27 36, 37)
・院長は、管区養成委員会から提供された資料を用いて、毎年の共同体の計画に、福音的勧告の各項目についての評価を含める。
・院長は、共同体の霊的読書、集会、その他の生涯養成のための時間を利用して、福音的勧告とそれが及ぼす個人的、共同体的、司牧的生活への影響についての考察を促進するための取り組みを推進する。 ・院長は、「福音的なあかし」についての GC25 17-36、「福音的な貧しさ」についてのGC26 79-97、およびGC27 の表示についての共同体の研究を計画する。
・院長は、福音的勧告に関する具体的な取り組みを共同体計画に統合する。
4.1.2 個人の祈りと共同体の祈りの活性化
50. 祈りの質を大切にする
祈りは神の賜物であり、被造物と創造主との対話であり、交わりであり愛である神との交わりです。(CCC 2559-2565) 生活の中で神を第一とする修道者は、この祈りの賜物を特別に大切にします。教会は、聖別奉献生活における権威者に、「共同体に祈りの時間と質を保証する」義務を思い出させます。
共同体は召命を、それに応えなければならない賜物と考えています。(C85) サレジオ会員の生活は「主との対話の中で」(C85-95)、私たちのカリスマの具体的なスタイルで、会憲に記された具体的な取り組みに従った生活です。修道会は、各サレジオ会員と共同体のための祈りの生活の重要性について様々な機会で話してきました。
ドン・ボスコの個人的な例や、彼が伝記に書いた若者たちの人生、そして多くの初期のサレジオ会員たちの人生を見れば、個人的な祈りを長く続けることは、サレジオの伝統に沿ったものであると言えます。
51. 祈りの人である院長は、「祈りとしての生活」を送るように共同体を活性化させる
私たちの祈りの質の高さは、私たちが「神を求める者」であり、「貧しい人々の中にお いて神の愛の証人」であることのしるしです。それは、共同体を若者と信徒のための「祈りの学校」(GC25 31)とし、教会が求めている交わりの霊性を促進するのにも役立ちます。
絶え間ない回心のために神の言葉によって召された会員と共同体は、毎日の黙想を大切にし、定期的にゆるしの秘跡を行ない、毎日の感謝の祭儀を中心にして、人生そのものが「生ける犠牲(いけにえ)となり、神によろこばれる聖なるもの」(ローマ12:1)となるように、神の呼びかけにマリアが絶えず答えた「はい」となるようにしています。
院長は、「祈りとしての生活」を生きるために会員と共同体を活性化することができるように、この祈りの賜物を自分の生活の中で大切にしています。
・会員は、人生の個人計画に祈りの側面を統合する。
・共同体の計画では、黙想、ミサ、教会の祈り、月ごとの静修、年に一度の黙想会、ゆるしの秘跡、レクチオ・ディヴィナ、ロザリオやその他のマリアの祈り、サレジオ会の祭日などに十分な注意を払いながら、「主との対話の中の共同体」であることを強めるものは何であれ、それらを優先させる。
・祈りの点検は、生ぬるさの兆候に気づくことを促進し、祈りの質を向上させる方法を提案するために、適切で活気つける方法で行われる。案するために、適切で活気つける方法で行われる。
・取り組みは、共同体を若者と信徒のための「祈りの学校」にするために推進される。(GC25 31) 共同体のプログラムには、若者、ミッションパートナーである信徒、サレジオ家族、その他の教会や宗教団体との祈りの時が含まれる。
・共同体は、「祈りとしての生活」(GC25 27 と AGC421) の挑戦を反映して、共同体の祈りをテーマにした生涯養成の時を設ける。
4.1.3 カリスマにおけるアイデンティティーを大切にする
52.カリスマにおけるアイデンティティーの重視
第二バチカン公会議によって要請された特別総会以来、修道会はサレジオのカリスマを刷新する急激な歩みを引き受けてきました。その後の総会は、より大きな忠誠を奨励するように、私たちのカリスマにおけるアイデンティティーを深め、平凡さを克服し、強みを構築するように努めてきました。総長は、「ドン・ボスコに完全に忠実に、私たちのカリスマ的アイデンティティーを育成し続けること」を優先事項としています。(AGC 419 13)
自分の召命に忠実に生き、兄弟たちも同様に生きるのを助けることは、すべてのサレジオ 会員の責任です。この任務には、司祭であろうと修道士であろうと、それぞれが自分の召命の豊かさをもたらします。11
53. 院長の役割と評議会
教会はまた、カリスマをケアしなければならないことを権威の奉仕を託された人々に思い出させます。「権威者は、自分自身の修道家族のカリスマを維持するために呼ばれています。修道会は、サレジオのカリスマを同化し、深めるための多くの取り組み(出版物、会議、特定のテーマに関するコース、お祝い…)を推進しているのはこのためです。これらの提案が、個人の生活計画の中で、また共同体や教育司牧共同体の計画の中に取り入れられることが重要です。院長とその評議会は、適切な取り組みによって、会員、信徒、若者たちにカリスマへの評価と深化を促す上で重要な役割を果たします。
・共同体が痛みをもって深めていくことは、サレジオのカリスマの具体的な要素である二つのことである。それは、召命の二つの形態の相補性(司祭と修道士、 GC26 74-78、GC27 69.7、AGC424:「サレジオ会修道士の新たな関心」参照)と、ドン・ボスコの精神と使命の中での交わりと分かち合い(サレジオと信徒、GC24、GC27 71.1-3参照)です。
・管区の計画と指針(管区会議の決定と方向性、有機的な管区計画、管区養成計画、教育司牧計画…)と、総会と総評議会の審議は熱心に研究され、実践されています。GC26 1-22「ドン・ボスコからの再出発」を新たに研究し、そこで提案された個人と共同体のための取り組みを実践します。取り組みを実践します。
・サレジオ会とサレジオ家族の生活に関する情報には、デジタル文化によって提供された手段を利用しながら、熱心な関心が払われています。
・その計画の中で、共同体はサレジオのカリスマ(霊性、歴史、司牧活動、修道会とサレジオ家族の生活…)を深める方法を確立します。その方法とは、霊的読書、コース、講話、静修、出版、インターネットの利用とデジタル世界におけるその他の手段です。
・共同体は、サレジオのカリスマ(霊性、歴史、司牧活動、サレジオ家族)におけるサレジオ会員と信徒の共同養成のために、会員たちが支部、管区、世界レベルでの活動に参加することを奨励しています。
・院長とサレジオ会員は、サレジオのカリスマについての知識を深めるための手段を、個人の生活計画の中に組み込みます。
4.2 兄弟愛の預言者:共同体と共同責任のアニメーター
54.交わりは使命
共同体における兄弟的生活は、修道生活の本質的な特性の一つです。それは神の賜物であり、生き、あかし、強化される必要があります。教会はここ数十年の間に、聖職者に「交わりの専門家」(VC 46)となり、教会と人間の共同体の生活の模範として兄弟愛の証しをするように促してきました。
共同体の中で権威を行使する者は、兄弟愛の賜物を生き抜くために特別な責任を負います。「男女を問わず長上は、自分に委ねられた者と一体となって、神の贖いの計画を実現するために、神が何よりも求められ、愛される兄弟的共同体をキリストのうちに築くように召されている。」(FT 17)兄弟的生活はすでに宣教の一部です。
修道会は、奉献生活のこの要素に真剣に取り組んできました。私たちが会憲の本文で見つけたことに加えて、GC25は 「今日のサレジオ会共同体」に捧げられました。その一環として、第 27 回総会は、「兄弟愛の預言者」としてのサレジオ会員についての識別を行い、具体的な行動指針を提案しました。これらは、私たちのサレジオ会員の生活の中で常に自分自身と向き合うための材料です。
交わりと共同責任を活性化する院長の奉仕において、大切にされるべき主な側面は次のとおりです。
1. 一致の促進。
2. 兄弟的関係とコミュニケーションの中での成長。
3. 開かれ、快く迎える共同体づくり
4.2.1 一致の促進
55. 院長は、弟子たちを一つにするキリストを表す
心を一致へと導き、「神を愛し、神に仕え、互いに助け合うために、一つの心と一つの魂」を養成するのを助けてくださるのは聖霊です。(C50) 聖霊のおかげで、修道共同体は、一致の雄弁な証人となり、「交わりの専門家」 となることができます。
共同体を導く者には、「一致に導く権威」として、共同体の一致を見守り、促進する責任も与えられています。(GC21 52) このようにして、サレジオ会はドン・ボスコの時代から常に院長の第一の務めは一致の奉仕者であり、サレジオのアイデンティティーの守り手であると考えています。このように、「院長は、御父への奉仕として弟子たちを束ねるキリストを代表している」….彼の最初の任務は、共同体が会憲に忠実に生き、一致のうちに成長するように、共同体を活性化させることである。」(C55)
「神は共同体の中で暮らすようわたしたちを招き、兄弟を愛するためにわたしたちに委ねられた。兄弟愛、使徒的使命、福音的勧告の実践はわたしたちの一致を確保するきずなであり、絶えずわたしたちの交わりを強める」(C 50)という意識を、一人一人のサレジオ会員の中に蘇らせる必要があります。
・院長とその評議会は、共同体の計画作成の動機付けを行い、その実施と評価を見る。
・院長とその評議会は、兄弟的生活の点検を準備し、実施し、「交わりの霊性 」(GC27 45)をどのように生きるかを研究する。
・院長とその評議会は毎週の共同体の日(リラックス、養成、祈り、コミュニケーション、一体感の時)を活気づけ、兄弟的関係を育み、人生と召命の経験を分かち合うように会員たちを励まします。
・会員は、共同体の生活と使命について話すために、院長との兄弟的対話を利用し、相違点を解決するための機会と見なしている。
4.2.2 兄弟的関係とコミュニケーション
56. 人間関係とコミュニケーションのサレジオ的なスタイル
兄弟的な交わりは、必要なときには人間科学からの助けを大切にしながら、人格的な関係を大切にすることを求めています。共同体は、「わたし」と 「わたしたち」を調和させ、個人と共通の利益を尊重することを学ぶ場所です。このようにして、修道共同体は、多様な賜物の豊かさを通して兄弟的な交わりの中で生きることを可能にし、同時に、これらの賜物を兄弟愛に向けて、使徒的計画の中での共同責任に向けて収斂させるような新しい心を日々学ぶ場となります。(FLC 39)
その部分について、サレジオ会的な人間関係のスタイルには独特の特徴があります。それは、「サレジオ会的愛情」(C15) と「家庭的精神」(C16) 、また、共同体における「兄弟的友情」(C51)です。これらは、私たちが傾倒している理想であり、私たちの個人的・共同体的生活様式の評価基準となるものです。共同体における兄弟的関係の質は、生活の交わりと財の共有に貢献します。これは教会で望まれ、推進されていることであり(FLC29-34) 、サレジオ会の兄弟的関係の特徴です。「兄弟的友情の雰囲気の中で、私たちは喜びも悲しみもともにし、使徒的体験と計画を分ち合う。」(C51)
兄弟的生活におけるこの要素の重要性に鑑み、院長と支部評議会は、各共同体の具体的な状況にも注意を払いながら、この要素に特に注意を払っています。各共同体の関係性の現実を分析すれば、光と影が見えてくるので、完璧な共同体を見つけることはできず、常にその途上を歩んでいることを承知の上で、現実主義と信頼をもって介入しなければなりません。ですから、私たちは神の恵み、忍耐、強さ、希望を信じて、自由に使える手段でできることをしなければなりません。
院長と評議会はまた、共同体を築くためには十分なコミュニケーションが不可欠であることを忘れてはなりません。この目的のために、「ボナ・ノッテ」や支部会などの伝統的なコミュニケーション手段だけでなく、デジタルの世界によってもたらされた新しい手段も有効に活用しています。彼らは、教育司牧共同体のうちに、そして管区との良好なコミュニケーションの流れの必要性を強く認識しています(GC24 128-137)。
・院長は、会員たちの参加と関与を促進するように、支部会を準備する。
・評議会では、院長は共同体の人間関係の質を評価し、若者や信徒に見られる兄弟的なあかしにも注意を払い、改善するための具体的な方法を模索する。
・院長は一人一人の会員に注意を払い、会員の家族にも注意を払う。(R 46)
・院長は、会員たちが自分の関心事、計画、職業上の経験、不安や喜びを共有することができる祈りと出会いの時を促進します。
・院長は、共同体内の人間関係におけるある種の困難に敏感であり、現実を分析し、可能な介入を検討し、機会のある調停を探す。
・各会員は、兄弟的生活の中での人間関係を円滑にするすべてのことに注意を払っている。院長との親しい面談、会員の個人的な状況への配慮、尊敬と相互支援、兄弟的関係を弱める行動(非建設的な批判、不平不満、無関心、嫉妬など)の評価、「最初の一歩を踏み出す」こと、許しを求め、提供すること、忍耐、兄弟的忠告、相違点を明らかにしたり、状況に光を当てたりするための対話、会員のための祈り、識別の雰囲気….
・共同体は、必要に応じて、人間関係や人間同士のコミュニケーションの分野における専門家の助けを借りて、兄弟的関係とコミュニケーションのテーマについて、生涯養成の機会を組織する。
・共同体とEPCは、対立を解決する分野で自分たちを養成する方法を模索する。GC27 は、対立の状況を「否定的なこととしてではなく、人間的成熟の機会としてとらえるべきである:福音の光に照らして、これに取り組み、そしてより大きな勇気、人間的な力量、あわれみをもって解決する必要がある」(GC27 42)と私たちに思い出させている。交わりの精神における困難に対処するための示唆は、FT 25bにある。
・院長は、会員や共同体との関わりにおける困難を克服するために、自らの介入を振り返る。院長はまた、管区長との対話を維持し、霊的同伴を利用する。
4.2.3 開放的で歓迎する共同体
57. 自分のいのちをささげることによっていのちを、希望を与えることによって希望を、愛することによって愛を得る
教皇フランシスコは、出向いて行く教会への呼びかけの中で、修道者に「片隅に追いやられた人々のもとに向かうために、自己の中から出てください。……自己に閉じこもってはなりません。修道院でのささいな争いで息苦しくならないでください。自分で抱え込んだ問題にとらわれてはなりません。……自分のいのちをささげることによっていのちを、希望を与えることによって希望を、愛することによって愛を得るでしょう。」
サレジオ会の精神は、共同体が「皆をサレジオ家族の精神にあずからせる」(C56)ことができ、支部教会や共同体を取り巻く人々と連帯し(C57)、使命に参加する様々な人々(C47)、特に若い人たちに関心のある人たちの参加を促進することを求めています。
このような開放性ともてなしの心の表れは、教育司牧的な取り組みへの会員の参加と、EPCの中心的な活動に会員が参加していることにあります。総会は、カリスマと使命を信徒やサレジオ家族と共有することの重要性を主張してきましたが、若い人たちとその家族を司牧計画に参加させることの重要性も主張してきました。GC27、そしてGC28の招集状もまた、私たちにこの次元を大切にすることで、兄弟的友情の預言を生きていくようにとの課題を与えています。20
・院長は、支部協議会や支部共同体とサレジオ家族との関係を評価し、交わりを深めるための具体的な取り組みを提案します:総長の『ストレナ』と『ドン・ボスコのサレジオ家族 アイデンティティー憲章』(2012年)の研究、司牧的な取り組みにおける協力、サレジオ家族内のさまざまなグループに関する知識と協力。
・院長は、共に養成すること、計画と評価、分かち合いの時、祈りの会、情報の共有など、サレジオの存在に関わるサレジオ会員と協働者の帰属意識と責任の共有を強化するために努力する。ミッション・パートナーとの関係において、家族の精神を促進し、また、サレジオの働きの活性化と統治におけるさまざまな役割と任務を尊重する。
・院長はサレジオ会の共同体における若者の存在を促進する具体的な方法を見つける(祈り、集会、生涯養成、親密な関係……)。
・院長は、サレジオの存在が「実存的な境界にまで手を差し伸べ」、サレジオ会員、信徒、若者が責任を共有するような取り組みを奨励する。若者が責任を共有するような取り組みを奨励する。
・院長は支部を取りまく奉献生活者たちの活動や、管区と支部教会の司牧計画に参加する。
・GC25 46(温かく受け入れる存在)とGC27 13-17, 39-51, 70-71(計画と協力に開かれていること)の行動指針を実行するために、共同体の反省の時を企画する。
・院長は、快く迎え入れ、もてなすような支部共同体を導いていく。(C 56, R 45)。
4.3 若者に奉仕する者:使徒的使命の第一の責任者
58院長の担う特別な使命
兄弟愛の預言は、共同体が共通の使命を引き受け、他の力や機関と密接に協力しながら、情熱を持って自らを捧げるように導きます。奉献生活において、共同体と使命との関係を理解する方法は様々ですが、奉献生活者は常に使徒であるとともに、弟子でなければなりません。
教会は、共同体とEPCが使徒的愛の中で成長するように、権威の奉仕を遂行するように求められた者に、宣教のための特別な責任を与えます。21
サレジオ会員の生活において、使徒的な次元は非常に明確であり、私たちは「使命は私たち の生活全体を特徴づけるものである」と確信しています。(C 3) さらに、私たちは、「教会が私たちに託した使徒的任務は、まず第一に管区長と支部共同体によって取り上げられ、実行される」ことを知っています。会員たちは補完的な機能を持ち、それぞれの任務が重要です。会員たちは、司牧の目的が一致し、共同の兄弟的責任を負うことによって達成されることを認識しています。管区長と院長は、対話とチームワークの促進者として、共同体が一致して忠実に使徒的計画を達成できるように、司牧的な識別の中で共同体を導きます…. 私たち一人一人が共通の使命に責任を持ち、個人の賜物の豊かさをもってその使命に参加します。(C 44-45)
59. サレジオ会共同体の司牧の活性化
共同体がサレジオ会員の仕事に関係しているかどうかには、さまざまな方法があります(後述の第III部7.2.2.2参照) このことは、管区とともに、組織化、活動、統治についての反省を必要としています。この反省の成果は、方向性のスタイル、共同体の関与、EPCのアイデンティティーを示すものとなります。(GC24 169, 171; GC25 80-81; GC26 81, 112, 120)
「サレジオ会青少年司牧の手引き」の第 8 章では、サレジオ会共同体の重要性と役割、 特に、サレジオ会の使命を遂行する上での院長の役割を、関係する他のすべての人々と共に包括的に説明しています。これがこのマニュアルの第3部の焦点となります。
院長は次のようなことを行います。
1. 会員の牧者の愛を奨励する。
2. 共通の使命のために共有された責任を調整する。
3. 共同体と司牧的な識別を導く。
4. 召命の活性化を奨励する
4.3.1 会員の牧者の愛を奨励する
60. 交わりと使徒的奉仕で会員を一致させる父親
院長は、会員たちを交わりと使徒的奉仕において一致団結させる父親として、それぞれの可能性に応じて、会員たちの牧者の愛と共通の使命への献身を奨励します。院長の共同体は、宣教する弟子たちの共同体であり、失われた者を求め、追放された者を歓迎するために出て行く教会の一部なのです。(EG 24)
院長は、各会員の状況、彼の成功と困難、彼の司牧的能力を向上させることができる養成の要素、会員が気づくことのできない結果に注意を払います。彼はまた、共通の計画の助けにならないこと、熱狂的な気持ちの低下、司牧的な行動がどのように会員の生活の残りの部分に適合するか、会員が共同体の使命をどのように共有するかにも注意を払います…. これらはすべて、友好的な話し合いと共同体の識別の対象となります。
・院長は、サレジオ会の仕事の模範について、すべての会員の参加を奨励する。
・院長は、「使命は、それが神からのものであると私たちが理解するとき、また奉仕するための糧をいただくとき、真に強められる」ことを意識して、祈りと司牧的取り組みの共同体の雰囲気を促進しています。(GC27 53)
・院長は、サレジオ会青少年司牧の手引きの基準と、それぞれの状況に応じた予防教育法の要求を同化させるために、EPC と一緒に支部共同体のための養成の機会を企画している。
4.3.2共通の使命のための責任共有の調整
61.各会員の司牧的関与と全員の共有責任
管区共同体は、使命の一部を支部共同体に割り当て、適切な基準と手段を決定します。各支部共同体は、GC26 120 と GC25 78-81 に記載されているように、共同体と仕事との関係の特殊な状況に注意を払いながら、その全力を使命のために注ぎます。
支部評議会の助けを借りて、各会員の司牧的関与を調整し、特定のサレジオの仕事の具体的な状況において、また、管区が採用している活動と統治のモデルに照らして、全員の責任を共有することを奨励するのは、 院長の役目です。
・支部共同体は、サレジオ会の仕事のEPCにおける共同体の役割を定めた支部計画を作成する。
・支部共同体はSEPPの作成と評価に参加し、その中で会員とミッション・パートナーの責任が定義される。院長と支部評議会は、支部のSEPPの作成においてEPC評議会に同伴する。
・院長は、サレジオの仕事の各部門の責任者と協働者の個人と召命に関する同伴を保証する。・院長は、サレジオの仕事のさまざまな部門の調整を行い、団結と結束を確保する。
4.3.3 司牧的な識別の指導
62. 弟子の目で人生を見つめる。
ドン・ボスコは、自分の仕事において、常に神の霊感に開かれていた人でした。彼から、私たちは、司牧的実践の優先分野と、それぞれの具体的な文脈において、そのような実践のための最良の基準を常に見極めることを学びます。このような司牧的な識別は、教会がすべてのサレジオ会員に求めている「司牧的な回心」の現れです。それは、サレジオ会共同体の「従順における共同責任」の一部です。(C 66)
識別とは、世界での在り方であり、基本的な態度であると同時に、弟子の目で人生と私たちが浸っている世界を見ることを特徴とする働きの方法でもあります。それは、私たちが真の従順の中で聖霊の働きを認識し、それに同調するように導くのです。このようにして、新しいものを受け入れ、自分自身の外に出る勇気を持ち、新しいものをすでに知られているものに還元しようとする誘惑に抵抗することができるようになります22 。
EG51は、識別のプロセスが認識、解釈、選択からなることを示しています。
63. より貧しい若者とその家族に対する新たな取り組み
GC26 は、より貧しい若者とその家族の「新しいフロンティア」に特別な注意を払いながら、 若者の教育と宣教への取り組みにおける各サレジオ会員と共同体の行動指針を示しています23 。
さらに、GC27 73.1 は、「構造的な司牧的回心」と新しい貧困への移行(会則第 1 条参照)を考慮して、総会と総長が提示する基準に従って、私たちの活動におけるより貧しい若者のための私たちの意義と存在についての深い評価を各管区に求めています。
院長は、支部評議会の助けを借りて、また管区との協力のもとに、司牧的決定がサレジオのカリスマにますます適合したものとなるように、この識別の精神を促進する責任があります。(C 44)
・支部評議会と共同体は、管区が実施する各サレジオ会員の存在の意義(GC27 73.1)の評価と識別に貢献する。
・共同体は、GC26 34, 38, 43, 48, 106, 109 の行動指針に照らして、その司牧的次元を評価する。
・この共同体は、サレジオ会の使命と『サレジオ会青少年司牧の枠組み』に関連して、サレジオ会員と協働者の養成のためのイニシアチブを推進している。
・地域の計画に沿って、また社会的発展のための機関や機関と協力して、サレジオ会の支部でより貧しい若者に注意を払うための取り組みを推進しています。
・各サレジオ会の支部で具体的なプロジェクトを行い、貧しい若者とその家族の世話をするサレジオ会員と協働者の資格を保証し、それによって、GC27 72-73 が求めている「周辺地域への進出」を実現している。
4.3.4 召命活性化の奨励
64.召命の最初のきっかけは兄弟的共同体の証しである
若者が主が彼らに期待していることを発見するのを助けるための召命の動機付けは、サレジオ会司牧実践の決定的な要素です。さらに、私たちの修道会の創立以来、召命についての最初の提案は、主と主から与えられた使命に熱心に取り組むことと兄弟的共同体のあかしであることが明らかになっています。
したがって召命の文化の造り出すことは、各サレジオ会員とサレジオ会共同体のあかしから始まります。(GC26 52b) 「若者、信仰、そして召命の識別」に関するシノドスの討議要項に述べられているように、 「明らかに、共同体生活の霊的な質は、若者を信仰と教会に近づけ、若者が召命の識別ができるように同伴するための大きな機会を提供しています」 (184; CV 202, 216-217, 242-243で裏付けられています)
65. 召命の活性化は私たちの司牧活動の究極の地平線である
『サレジオ会青少年司牧の手引き』には、私たちの司牧活動の「究極の地平線」を示す次元として、また SEPP の中心として、召命の活性化が語られています。それゆえ、私たちは、信仰への教育の旅と、主が期待する人生の選択と約束をすることができるように、若者が個人の人生計画と召命の識別を練り上げるのを助ける個人的な同伴に気を配っています。27
教会は、シノドス後の使徒的勧告「キリストは生きている(Cristus Vivit)」の中で、召命の活性化のための方向性を示しています(CV8章と9章参照)。
ドン・ボスコの時代から、院長は若者、特に使徒的召命の兆候を示す若者の召命指導と同伴において特別な役割を担ってきました。今日、このサレジオ会の召命指導(C 28, 37)は、召命の活性化について管区と支部の計画に基づいて実施されています。院長は、サレジオ会員、若者、サレジオの教育者が召命の応答の中で成長し(C55)、召命指導が支部のSEPPの一部となるようにしています。
・共同体は、「召命司牧の必要性」をテーマに、各サレジオ会員の実践指針(GC26 62, 66, 70)と共同体の実践指針に沿って、生涯養成の機会を計画する。(GC26 63, 67, 71) それは、管区の計画に沿って、支部の召命促進の計画を練り上げるものである。
・定期的に召命のために祈る方法を見つける。
・若者、信徒、サレジオ家族、近隣の人々との間で、一致団結し、心を込めて宣教に取り組む共同体のあかしを提供する。若者とミッション・パートナーを招き、共同体の生活の中の特定の時(祈り、分かち合い、祝賀、養成……)に参加するようにする。
・自分の召命を見極めようとしている若者を歓迎し、その生活の中にスペースを作る。
・個人の召命にむけての養成のための活動やコースに参加する。
・特別な奉献生活に召されていると感じている若者の家族の近くにいて、召命の識別のプロセスに同伴する。
・サレジオ家族のグループと彼らの召命の成長のための提案に注意を払い、サレジオ会員たちがミッション・パートナーとサレジオ家族のメンバーが召命の成長の道を歩むのに同伴することを奨励する。
第5章 カリスマ的な奉仕
66. サレジオのカリスマと権威の奉仕。
私たちは、サレジオのカリスマが教会への神の贈り物であり、会憲に定められた奉献生活の要素を特定の方法で生きるように私たちを導くものであることを認識しています。カリスマはまた、権威の奉仕の行使(活性化と統治)と、会員と共同体がサレジオの召命に忠実に成長するように励ますために選ばれた手段にも影響を与えます。このセクションでは、活性化の手段と構造だけでなく、その性質と態度についても触れていきたいと思います。
5.1 心構えと姿勢
5.1.1 傾聴と対話
67. 院長は対話を促進する
対話とは、人間関係を円滑にし、共同体を構築する能力であり、相手に会いたい、共通善を求めたいという願望を前提としています。それは、相手の話を聞き、相手を認識し、共通善を求め、自分自身の豊かさを共有することを含みます。
奉献生活では、対話は兄弟的生活を築き上げ、識別と責任を共有するために不可欠な条件として提案されています。共同体の生活を活性化する者は、対話を促進する特別な責任を負っています。25
サレジオ的な個人的・司牧的関係のスタイルは、対話を現代の文化的価値と若者の教育における目標として見るだけでなく、対話を特別なものとして、それにふさわしいものと考えています。(C38, 44, 66, 70) 対話は、参加と共同責任を促進するための、私たちの活性化と統治 のスタイルの一部でもあります。GC27 は、兄弟愛の預言を生きるための手段としてそれを提案しています。(GC27 69.1-3)
・院長は、個人的にも指導者の助けを借りても、自分の対話能力を検証する:耳を傾け、会員や共通の関心事に気を配る能力、共同責任の欠如に直面したときの忍耐力、情報を促進したいという願望、自分とは異なる人や提案を受け入れる能力、対話を妨げないようにするための自分自身の性格の習得、評価基準の提示における慈愛と明晰さ等々…。
・支部評議会は、共同体の参加能力と対話能力を検討し、その質を向上させるための取り組みを提案する。
・ 共同体は、情報の提供、資料の準備、参加者との関係の世話、精神的な動機づけ…. を通じて、対話を伴う機会(会議、支部会での識別、養成会議など)を準備するように注意を払う。
・会員は、共同体の中で C66 と GC27 69.1-3 の指示を現実するための方法について考える。
5.1.2 個人の自由と責任の共有
68. 人の尊厳と自由の尊重
奉献生活は、責任ある自由の中で生きる成熟した人の養成に貢献します。これは、すべてのサレジオ会員が誓願で誓っていることです。「わたくしは、全く自由に、わたくし自身をことごとくおささげいたします。わたくしは、…全力をあげて尽くすことを誓います。」(C 24)
奉献生活における権威は、人の尊厳と自由を尊重して行使されます。権威の奉仕を任された者は、共同体全体としての各人と共同体の必要性への奉仕という共通の計画に身を委ねるために、すべての人を奮い立たせ、参加と責任の共有の雰囲気を作ります26 。同様に、共通の使命に関して、権威者は自らの責任を引き受け、責任の共有を促す方法を知っています27。
権威を委ねられた者は、権威を行使するには不十分な自らのあり方を克服します。聞くことができないこと、権威主義、聖職者主義、個人やチームへの配慮の欠如、個人や集団に対する感受性の欠如、活性化と統治の組織の不完全な機能、等々。
69. 参加と責任の分担
サレジオ修道会が推進する活動と統治のスタイルは、ある種の基本原則によって特徴づけられています:参加、共同責任、補助性、権限分散(C123-124)、自由で責任のある者の従順。(C66-67) これらは、修道会が総会で提案してきた原則であり、兄弟的生活とEPCで共有されている使命のために(GC27 69.3, 71.1)、この共同責任を信徒、サレジオ家族、若者にまで拡大しています(GC27 15, 19, 70.2)28。
自由は今日の大きな価値観の一つであり、私たちが派遣される若者たちだけでなく、初期養成の若いサレジオ会員たちにとっても大きな価値観の一つです。彼らがすべてデジタルネイティブであるという事実は、選択の自由に対する現代の文化的傾向を強調しています。教皇フランシスコとともに、私たちはこれを教育者への贈り物であり機会であると捉えるように招かれています。(C 17) 、フランシスコ・サレジオから受け継いだヒューマニズムの精神に基づき、人間の弱さを見失うことなく、「人間の自然的、超自然的能力」に開かれています。若者、信仰、そして召命の識別に関するシノドスで、私たちは、自由は、愛の行いに先行し、愛の行いによって生まれた「応答」(それゆえ、愛に満ちた応答であると呼ばれる)であり、同時に「責任ある」ものであることを認識しています。30
・管区は、支部のサレジオ会事業所の運営と統治のモデルを作成し、個人的な機関と共同体的な機関のそれぞれの責任を決定する。これを院長や様々な責任をもつ人々の個人的な能力に左右されないようにするためである。共同体は、各支部のために管区が提案した活動と統治のモデルを適用する。
・支部評議会と支部会は、責任の共有、参加、帰属意識を促進する方法を模索する。彼らは、人の関与の度合いを評価し、共同責任が弱い場合には兄弟的な忠告を行う方法を見つける。
・院長は、計画や活動に関する十分な情報とコミュニケーションを確保する。
・共同体は、サレジオ会的なスタイルの共同責任によるチームワークのために、人材(サレジオ会員と信徒)の養成のためのイニシアチブを培う。
5.1.3 個人と共同体の識別
70. 識別 - 生涯養成の態度
上で述べたように、識別とは、弟子の目で世界を見る方法です。それは、教会が特に修道者に求めるものであり、「神のみ旨を求め、実行することを誓う 奉献された者の交わり」であるからです。(FT 1) それは、教皇フランシスコが言うように、「よい霊と悪い霊それぞれの働きかけを見分け解釈するだけでなく、よい霊を選び悪い霊の働きかけを拒否する―これが決定的なことなのです。」(EG 51)
識別のためには、ある種の基本的な心構えが必要です。それは、人生の出来事や状況に対する信仰のビジョン、霊的生活の質、傾聴と対話の能力、識別のために必要な回心に開かれていること、人格的で霊的なコミュニケーションの能力です。31 「識別は、神の中心性、すべての人の探求の究極の目的、そして真理に向かうすべての人の旅における一人ひとりの責任と貢献が特に明確に際立つ、奉献された共同体における最高の瞬間の一つである」。(FT 20e)
サレジオ会のカリスマにおいて、識別は、個人的な基本的な態度でもあります。これは生涯養成の基本的な態度であり(C119 と AGC 425 25-37)、通常の生活と司牧的な選択肢の決定に方向性を与えるものであり、個人と共同体の両方で行われるものです。それは、信仰と私たちのカリスマに照らして、人生の経験から学ぶ能力です。(C98) すべての会員と共同体は、このように常に識別に開かれている責任があります。GC25 は、共同体が各会員が「共同体の対話と首尾一貫した意思決定と実行のプロセスを通じて神の御旨を求める姿勢としての福音的識別の実践によって」、自分の人生に統一性を与えるのを助けるように求めています。(GC25 32) そして、私たちは、次のことを知っています。それは「神の言葉を聴き、感謝の祭儀を執り行うとき、み旨に対する共通の奉献を表明し、新たにする。重要なことがらについては、兄弟のように、辛抱強く対話し、共同責任を感じて主のみ旨をいっしょに探究する。」 (C 66)
71. 院長が識別を活性化し、奨励する
院長は、「共同体の助けを借りて、各会員の賜物と司牧的な選択肢の識別について、特別な責任を持つ」(C69)。(C44) 活性化と識別は、特定の方法という意味ではなく、識別の習慣的な態度を維持するのを助けるという意味で、院長に託されています(GC27 51)。これは、司祭職の三つの側面、すなわち、み言葉の奉仕、聖化の奉仕、導きの奉仕を実践するための方法です。(AGC 306 14)
しかし、すべての会員は、院長は、単に活性化させるだけでなく、統治しなければならないことを念頭に置きます。院長は適切な決断を下して、識別の時をしめくくる使命をもっています。(C 66)
・共同体は、識別を円滑に進めるサレジオ会生活の要素を育む。すなわち、祈りの質、霊的生活と牧者の愛のケア、傾聴と対話への意欲、コミュニケーション能力、共同責任、個人面談、支部会への責任ある参加、レクチオ・ディヴィナ….。
・また、共同体は神の御言葉と会憲(GC25 15; FT 20 e と f 参照)に照らして、共同体としての識別の実践を促進し、共同体生活のための特別の機会、例えば、共同の祈り、会合、静修や黙想会、生活の見直し、 評議会、レクリエーションの時間、共同体の日などを奨励する。(GC25 15)
・共同体は、会員たちの実際の状況を念頭に置き、個人の養成、コミュニケーション、交わり、そして SEPP に示される務めを重視しながら、サレジオ会共同体の生活の計画を造り出す。(GC25 15)
・すべての人が、家庭的精神で、計画と評価(支部計画、SEPP)の時に関与する。会員は支部訪問の際に、院長と管区長との兄弟的話し合いを忠実に行う。
・院長と共同体は、毎月、3ヶ月ごとの静修と年に一度の黙想会の質に配慮する。
5.2 活性化の手段
5.2.1 兄弟的話し合い
72. 家庭的精神を育み、会員が忠実に成長するための簡単な手段
院長との兄弟的話し合いは、家族のような感覚を生み出し、会員が召命に忠実に成長するのを助けるための簡単な手段です。ドン・ボスコの時代から、それは共同体と各会員の生活の活性化のための非常に効果的な手段となっています。
過去数十年の修道会の研究は、兄弟的話し合いが危機に瀕していることを示しており、修道生活に関する最近の方向性に合わせて、その実践を復活させる必要があることを示している32。
4000人以上の回答者を含む2017年のサレジオ会の個人的同伴に関する調査では、明らかに浮上したポイントの一つは、院長との兄弟的話し合いと個人の霊的指導との間の区別であり、実践の中で、そして様々な方法で表現された願望として、特に、ポストノビス、実地課程、特定の養成にある会員たちが望んでいることです。33 このような区別は、必ずしも兄弟的話し合いの価値を減らすものではありません。それどころか、ドン・ボスコが明確に構想した、「共同体の円滑な営みの」ための最も効果的な手段の一つであるという、その魅力的で独創的な特徴に焦点を当てることができ るのです(C70)。すべての会員が定期的に院長に会って兄弟的話し合いをするとき、彼らは院長に共同体の活性化と統治のための非常に貴重な助けを与えているのです。兄弟的話し合いは、その後、文書「新しい葡萄酒は新しい革袋に」で推奨されているように、修道生活の刷新のプロセスの一部である参加型のリーダーシップを実践する方法になります。(NW 19-24)
73. 院長が第一歩を踏み出す
謙虚さと奉仕の精神に基づき、院長は、会員と共同体の生活に役立つことを考慮して、サレジオ式の活性化と統治のこの「良い実践」を促進するための最初の一歩を踏み出します。その重要性を認識している院長は、会員を話し合いに招待することが自分の義務であると考えます。
院長は、各会員を、神の子であり、聖別された人、修道会の一員といったあるがままの姿として受け入れ、そして、よい羊飼いとして、院長は会員のキリストに従う道のりに同伴する準備ができています。34院長は兄弟的話し合いが尊重され、効果的であることを保証するように、会員の心理学的、関係性と召命の状況を念頭に置いています。
心理的、文脈的、文化的な性質を持つ実際の困難を認識した上で、院長は、話し合いに役立つ態度を身につけることを進んで行います。
74. 守秘義務
私たちの会憲・会則(C70、R49)は、院長との面談の基本的な要素を再認識させてくれます。面談のテーマは、会員と院長の側の面談に対する態度によって異なります。面談の中には、(特定の問題を解決することを目的とした)機能的なものもあれば、個人的な問題が議論されるものもあります。時には、召命や霊的な問題が共有されることがありますが、他の回では、トピックは、共同体と司牧、会員の個人的な状況、彼らの喜びと悲しみ、心配事や関心事になります…
院長は、兄弟的話し合いが秘密保持によって保護されていることをよく知っています。何も、決して、誰にも(nihil, numquam, nulli)言わないこと。35 ここでは、GC19 によって定められた原則は依然として有効です。打ち明けられた話の守秘義務は、絶対に厳格なものです。私たちは親密な事柄を扱っているので、院長は、いかなるときにも、直接的か間接的かを問わず、いかなる動機であれ、何も明らかにすることはできず、また、誓願または叙階の許可を審査するときにはなおさらです。(GC19 第8章11節)
サレジオ会の個人的同伴に関する調査によると、守秘義務の欠如は、初期養成のあらゆる段階で、回答者が非難している最も害のある要因の一つである。というのも、それは、意味のある人間関係に不可欠な条件である相互信頼を損ない、台無しにするものです。ましてや、このようなレベルの会員同士の交流ではなおさらです。
関係に困難があるときには、関係を改善する方法を模索するとともに、多くの忍耐が必要とされます。
・院長と会員は,共同体の中で兄弟的話し合いを促進するための最善の方法を一緒に識別する。
・院長は、兄弟的話し合いのために会員を招待するためのイニシアチブを取り、それに従事するための創造的な方法を見つける。
・院長は,面談の中で共有される内容の秘密を守るように注意する。
・兄弟的話し合いは、会員の両親や家族に関心を持つための良い機会である。(R 176)
5.2.2 個人的同伴
75. 成長には個人的同伴が欠かせない
ここでいう「個人的同伴」とは、広義には、院長との兄弟的な話し合い、霊的指導、ゆるしの秘跡などを含むものとされています。
奉献生活では、修道者がキリスト・イエスに向かって徐々に自分自身を構成していくのを助けるために、導きが必要です。37
個人的同伴への願望は、ドン・ボスコには私生活でも、若者との仕事でも、また、サレジオ会員との仕事においても、重要な要素です。青少年司牧は、司牧的関係における個人的な同伴を提案しています(参照:CV 242-247, 291-298; FoR 114-115);会則99条 は、各会員の必要性に応じて、サレジオ会生活においてもそれを提案しています。GC27 は、これをすべてのサレジオ会員の明確な目標として提案しています:「持続的に指導してもらう霊的指導者をもち、定期的に指導を受ける」(GC27 67.2, GC26 20ですでに要求されていたこと)。38 このことは、第一に院長自身にとっても有効なことです。
個人の同伴は、サレジオ会員が召命に忠実であり、霊的に、司牧的に、そして兄弟的関係の中で成長するのを助けます。特別な状況での個人の同伴もまた、識別の助けとなります。
76. 共同体の霊的同伴と個人の霊的同伴
文化的背景(個人主義の傾向、個人の幸福感、自己満足、他者への不信感など)と否定的な経験(敬意と守秘義務の欠如、個人のプロセスに沿わない同伴の方法、霊的経験への配慮の不足など)により、具体的な準備をして同伴を改善する必要がある。
院長は「共同体の霊的同伴」に責任を負っています。(C 55) 院長は皆が兄弟的話し合いをするために自分自身を利用できるようにし、また、会員が望むならば、個人の霊的同伴を提供します。(C 70; R 78) 予防教育法が自由の教育学であることを認識して、若いサレジオ会員と同伴に関する方向性と指針の5.2.5項で提案されているFSDB233と417の修正に沿って、院長は皆に霊的指導者の助けを借りることを奨励し、初期養成の初期段階であっても、会員が指導者を選ぶ自由を十分に尊重し、促進しています。ドン・ボスコのルア神父への助言を心に留めながら、彼は自分自身が愛されるように努力し、規則や勧告に頼るのではなく、会員の信頼を得なければならないことを知っています。
また、状況や人間関係のスタイル、関係者の霊的経験に応じて、個人の同伴の他の多くの形態があることも知っています:共同体での霊的・召命の経験の共有、兄弟的話し合い、ゆるしの秘跡、特定の問題についての兄弟的相談….。
初期養成の段階では、ラツィオ(養成要綱)は霊的指導者がサレジオ会員であることを強く示唆しています。しかし、『若いサレジオ会員と同伴に関する方向性と指針』は、規則や指示よりも、養成者と共同体のサレジオ会員としての質に信頼を置く方がよいと提案していますが、その一方で、選ばれた指導者は、私たちのカリスマと霊性に精通した人であること、そして定期的に会うことが可能であること、という2つの要素を確保しています。相互信頼と信頼関係の中で、院長は、霊的指導者の選択について、養成中の人と対話する方法を見つけます。39
院長は、初期養成中の会員によって霊的指導者に選ばれた場合には、特に誓願、奉仕職、または叙階の許可の審査には、守秘義務に細心の注意を払います。
・院長は、各会員が召命に忠実であるように活性化するアニメーターとしての奉仕を意識して、自らも導かれる指導者になりたいと考えているので、自分自身のために同伴を求め、それを自分の人生の個人的な計画の一部にする。
・毎月と3ヶ月ごとの静修の間は、外部の聴罪司祭がいるように確保する。
・共同体は、GC26 70 の提案(「サレジオ会員は……霊的な同伴ができるようにし、その任務のための準備をする」)を、サレジオ会員と信徒の同伴技術の準備についての GC27 75.1 の提案と合わせて研究する。
・院長と共同体は、『若いサレジオ会員と同伴に関する方向性と指針』を研究し、実施する (cf. Young Salesian and Accompaniment: Orientations and Guidelines .2019)。
5.2.3 ボナ・ノッテ
77. 共同体の霊的指導の特権的なひと時
「院長またはその代理の者が、サレジオ会の伝統に従って、共同体に『ボナ・ノッテ』と呼ばれる兄弟的な話をする」(R 48) 「ボナ・ノッテ」は、共同体の霊的な方向付けの特権的な時であり、一日または一週間の出来事を 信仰的に読み取るものであり、共同体のカリスマ的アイデンティティーの強化に貢献しています。必要であれば、「朝の話」の形で若者や教育司牧共同体に向けて行うと、教育的・司牧的にもカリスマ的にも同様に大きな価値があります。
「ボナ・ノッテ」をする方法は、私たちの共同体のさまざまな文脈に応じて、さまざまな方法があります。しかし、この伝統を維持することは素晴らしいことです。というのも、その単純さの中に、大きな養成的価値が含まれているからです。
ボナ・ノッテは、心を一つにし、関心のあることを共有する家族の瞬間です:ニュース、イベントに関する情報、共同体、管区、修道会の中での教育司牧計画の発表。
ボナ・ノッテは一日の終わりの穏やかな励ましの言葉であり、私たちの生活の中心と意味を思い出すことによって、心理的、霊的な疲れを克服し、心を安らかにするのに役立ちます。単なる情報ではなく、出来事や出来事に対する信仰の解釈であり、共同体の識別の訓練です。
ボナ・ノッテは、人生とその出来事についてのサレジオ会の感性を強化する方法です。
・院長は、ボナ・ノッテの準備に責任を持ち、共同体の霊的指導の特権的な瞬間となるようにする。
・院長と評議会は、ボナ・ノッテを評価し、フィードバックに耳を傾け、このサレジオの活性化とコミュニケーションの手段の質を保証するための措置を講じる。
・院長はまた、朝の話とボナ・ノッテの話を、青年、教育者、サレジオ家族のメンバーを含む会員やその他の人々と共有し、支部のさまざまな部門について、またサレジオ会の、教会生活や社会生活の他の側面について話すように励まします。
5.2.4 個人の人生計画
78. 召命の忠実性における人生の統一と成長のための手助け
「サレジオ会生活の個人計画」は、ドン・ボスコが霊的生活と召命の成長を確実にする方法として、 年に一度の黙想会の間に、あるいは人生の新しい段階を始めようとしているときに使用した 「決心」の現代的な形であることを覚えておくとよいでしょう。
GC25 14 は、修道会全体への指針として「個人の人生計画」を提案し、具体的な指標を会員に提供するよう求めました。GC27 67.1は、召命の忠実を促進する効果的な手段として、再び各サレジオ会員にそれを提案しました 40。
個人の人生計画は霊的な識別の賜物であり、自分の状況や直面している課題の中で、 召命の忠実の過程で自分の人生を統一するための助けとなります。重要なのは、計画の形式的な作成ではなく、個人の霊的同伴の過程で具体的な手段を採用することによって、各会員が忠実に成長していこうとする意志です。計画とは、自分の将来を支配し、成功を計画するための方法というよりも、主の呼びかけに日々応答し(C 96)、日常生活の出来事の中で聖霊の促しに従順であり続けるための方法なのです。(C 64, 119)
ドン・ボスコのように、各サレジオ会員は、自分の信仰の道のりの中から「個人の人生計画」が生まれ、それが自分の召命の中で成熟するのを助けるようにしています。
・院長は、自分に託された奉仕職の中で改善し、成長するのに役立つような側面も含めて、定期的に自分自身の「個人の人生計画」を作成し、修正する。
・院長は、兄弟的話し合い、ボナ・ノッテ、会議、静修、年の黙想、そして個人の同伴の時を利用して、会員の側での生活計画の作成と修正を奨励する。
・院長は、彼が委託されている実地課程生にこの点で特に気を配っている。個人の同伴は、人生の個人計画に関連していれば、より意味があり、役立つものとなる。
・院長は、若者の同伴の中で人生の個人計画を使うことを奨励している。
5.2.5 共同体の計画
79. 共同体の結束と方向性を決めるための非常に便利な道具
共同体計画は、サレジオ会共同体の召命の忠実度を高めるためのもう一つの有用な手段であり、共同体としての会員のすべての努力に統一性と励ましを与えます。共同体に同行するために院長が利用できる様々な手段の中で、これは最も適切で効果的な手段の一つであり、その有益な効果は一年を通して感じられるものです。
毎年の共同体計画を作成するプロセスは、対話、召命体験の共有、期待、関心、目標の共有、共同責任、帰属意識を促進します。共同体計画は、修道会の一部では十分に確立されていますが、他の部分では確立されていません。私たちは、会憲・会則には、「共同体の生活、活動、現代化のための年間計画」と書かれていることに注意しなければなりません (R 184, C 参照)。(R 184, c 181 参照) 単にプログラムを作成するのではなく、計画を作成するように共同体に呼びかけたのは、GC25 (72-74)でした。「サレジオ会共同体の話題を扱っていた GC25 は、共同体生活の計画の中に、『共に暮らし共に働く』能力を強化するための効果的な手段があると考え、個々の仕事がますます分断されていくのを克服し、司牧的な仕事が分断される危険を避けるためのものだと考えました。このため、それはすべての共同体に『共同体計画に従って活動するように』と求めたのです。(GC25 72)
80. サレジオ会の教育司牧計画とは区別する
共同体の計画は、サレジオ会教育司牧計画(SEPP)とは異なります。後者は、教育と司牧の共同体を巻き込み、私たちが共有する使命に関心を持ち、地域におけるサレジオ会の教育と司牧の関与のための枠組みを提供し、数年間の「ロードマップ」として機能しています。共同体の計画は、共同体のメンバーが毎年行うもので、共同体での生活と召命の成長に焦点を当て、その年の目標と戦略を示します。その主な強みは、非常にシンプルな文書にあるというよりも、それを一緒に作成する過程で生まれた共有されたビジョンと取り組みにあります。
GC25 が要求したことのフォローアップとして、養成部門は「サレジオ会共同体の計画」という文書を発表しました。この文書は、動機を提示し、方法、詳述、評価についての提言を行い、有用性の条件、共同責任、起こりうる困難なことについて述べたものです。
各共同体の異なる文脈や状況が、この指導の内容の練り上げと有用性の条件となっています。院長と評議会は、このことを念頭に置いて、共同体の生活を活性化させる仕事をしていかなければなりません。
・共同体は、共同体計画に関する GC25 72-74 の指示と養成委員会の指示について議論する。
・院長は、毎年、養成委員会と管区からの指示に照らして、計画の作成に向けて共同体を動機づけ、準備する。院長はまた、その実施と評価の予定を立てる。
・院長は、共同体計画が共同体の実情に応じたものであることを確認する。
・院長は共同体の計画と地元の SEPP の要素との間の調整を促進する。
5.2.6 兄弟的忠告
81. 兄弟愛と召命における忠誠心を成長させるための手段
兄弟的忠告とは、信者が主と主の計画に人生を集中させ、態度や生き方を修正して、福音と調和するようにするためのキリスト教的な提案です(マタイ18:15-20、ガラ6:1-5)。奉献生活では、兄弟的忠告は、修道会との交わりと養成の手段として、また、召命の忠実さにおける個人的な成長と共同体的な成長の助けとして提案されています43。
私たちの生活規則は、会員が兄弟的関係の成長のために兄弟的忠告を受け入れること(C52)、 継続的な回心の助けとして(C90)、召命の忠実さを成長させるための手段として(C121)を説明しています。
兄弟的忠告の実践は容易ではありません。GC25 14, 15, 54 と GC27 48, 68.2 は、それをサレジオ会生活の中で直面すべき課題と呼んでいます。このような方法で私たちの召命の忠実さを養うことの有効性は、共同体の雰囲気に大きく依存しています。
82. 忠告のさまざまな方法
兄弟的忠告を行使する方法は、日常生活でのちょっとした観察から、重要なテーマについての支部会議中に実施された識別力まで、多くの異なる方法があります。時には、良い例を示すだけで十分な場合もありますが、それ以外の場合には、改善が必要な生活の側面を評価するために支部の会議が必要になります。時には、共同体に共通の基準を思い出させるために公の場で介入する必要がありますが、そうでない場合には、個人的に会員と話をするか、他の誰かに介入してもらう必要があります。
しかし、常に、兄弟的忠告は一定の条件を前提としています
・忠告を行う者の信仰と祈りの精神、そして多くの愛情。
・識別力、開放性、謙虚さ。
・聞く力、理解する力、受け入れる力、助ける力、許す力。
・攻撃、否定的な判断、非難、傷つけようとする気持ちを避けること。
・愛によって動機づけられ、愛をもって提供される忠告。
・院長は、兄弟的忠告に必要な基本的な技能(対話、傾聴、赦し、コミュニケーション…)の養成を促進する。
・院長は、共同生活の様々な側面についての評価をプログラムする:福音的勧告、兄弟愛、祈り、司牧的な働き…
・院長は対立や意見の相違を解決するのを助けることができる人々の調停を促進する。
5.2.7 支部日誌と文書管理
83. 家族の歴史を大切にし、よい運営をする
会則で院長とその評議会に託された任務の一つは、「公文書保管所の整理と保管文書の完備を心がけ、支部日誌をみずから書くか、あるいは他の者に書かせなければならない」(R 178)です。(R 178) これは官僚的な要件というよりも、共同体が家族の歴史を大切にし、正しい記録をもって常に要求や挑戦に対応できるようにすることです。整然とした公文書保管所は、適切な文書化が必要とされる状況にタイムリーかつ適切に対応することを保証します。これは、優れた運営と統治のための賢明な予防策です。
5.3 アニメーション(活性化)の構造
5.3.1 支部評議会
84. 共同体のよいアニメーション(活性化)と統治のために不可欠なもの
支部評議会(会員の集会も同様に)は、共同体が支部評議会と同じメンバーでない場合には、支部評議会は、よりよく評価され、尊重されるべきであるシンプルでありながらも貴重な識別、養成、共有の組織です。それは、教会法と私たちの会憲・会則によって確立されており、共同体のよいアニメーションと統治に不可欠です。には、支部評議会は、よりよく評価され、尊重されるべきであるシンプルでありながらも貴重な識別、養成、共有の組織です。それは、教会法と私たちの会憲・会則によって確立されており、共同体のよいアニメーションと統治に不可欠です。
院長の奉仕の鍵の一つは、支部評議会の能力を尊重し、促進し、共同体の成長を促進する能力を活用しながら、チームで仕事をする能力にあります。したがって、評議員と支部会の会議は、単なる要件を満たすためのものではありません。彼らが積極的に機能すれば、共同体の生活と使命の実り多き可能性が広がるのです。44 「シノダリティー(協議性)」は、教会がすべてのレベルで従うように召されている道となります。
支部評議会の任務は、会憲178-186条に規定されており、会則180条 にはその会議の具体的な内容が示されています。さらに、共同体とサレジオ会の事業との関係がどのように考えられているかという多様な方法を考慮に入れて、管区が確立したそれぞれのサレジオ会の事業所の生活と統治のモデルの中で、さらなる詳細を示す必要があります。(後述の第Ⅲ部7.2.2を参照)
評議会のメンバーの中には、共同体で果たす役割を理由に評議会に所属する者もいれば、共同体の特定の状況に応じて任命される者もいます46 。
ここで私たちは、多数の小さな共同体の場合には、すべての会員が支部評議会の一部を構成しており、支部評議会と支部会の間に実質的な違いはないことを認識しなければならない。この場合、共同体の生活と活動を円滑に運営するための役割と構造を管理する上で、会憲はより柔軟性を持たせる可能性を与えています。
「諸般の事情で例外が必要な場合、管区長は関係支部の意見を聴き、管区評議会の同意を得た上で、特に会員数の少ない支部の場合、その支部内での通常機構と役割を変更することができる。(C 182)」
85. 評議員の責任はその性質上カリスマ性がある
支部評議会のメンバー間のチームワークを促進することは重要である(傾聴、対話、コミュニケーション、企画メンタリティ、責任の共有…)。支部議会は、運営機能や管理機能だけではない。ドン・ボスコの精神と修道会の指針に従って、共同体とサレジオ会の使命に奉仕するように召されているため、メンバーの責任はカリスマ性を持っています。
支部評議会とEPCの評議会、または事業所の評議会との関係は、管区によって定義されています。
様々な分野を担当する信徒、校長、専門学校の校長、教会の理事などが、サレジオの使命と事業に様々な形で参加しています。GC27 47 の精神と指針、および GC28 48の招集書簡に沿って、意思決定プロセスへの参加は、活動の通常の運営の一部でなければなりません。
地域の文脈や状況が多種多様であることを考えると、この問題に関する具体的な方向性は、管区レベルで定義されるべきであり、他の基準は管区長訪問の間に最終的に決定されるべきです。
GC26 の審議では、信徒の管理者は、投票権がなくても支部評議会に参加するよう招かれることができることを覚えておかなければなりません。(GC26 121 参照)
養成支部の院長は、すべての養成指導者が支部評議会のメンバーではないことを考慮して、養成チームの会議も定期的に招集するようにします。
・院長は、効果的なチームワークの要素を確保する:会議の事前準備と招集、事前情報、会議の質と効率性、決定と議事録の明確化、意思決定における責任の共有、処理された事項の裁量。
・院長は共同体の会員に評議会の前後に、会議について知らせておく。会議の前には、自分たちの考えを会議に貢献することができるように、会議の後には、共通の関心と確定した決定事項について知らせることができる。(R 180)
・評議会のメンバー間での分かち合い、養成、祈りのためのイニシアチブを確保する・評議会の機能を定期的に評価する予定を立てる。
・必要に応じて、院長は、EPCに特別な責任を持つ信徒や、信徒の管理者を支部評議会に招待する。
5.3.2 副院長
86. 院長の第1の協力者
院長の職務は、様々な人や組織の支援や助言を受けて行われています。その中でも副院長は重要な人物であり、「院長の第一の協力者」です。(C183、R182)
副院長は「通常の代理権」を持っていますが(特別に彼に委託されている事項では、および管区が別の方法を提供するまで、院長が不在または妨げがあるときに通常の統治に関わるすべての事項で)、教会法上、彼は「修道会の上長」ではありません。経験上、副院長の役割は、大部分が、院長によって彼に割り当てられた事項によりますが、支部の計画を実行し、支援するための副院長自身の能力にもよることを示していますが、何よりも2人の間のある程度の快適さと親しみにもよります。
副院長との相互理解、信頼、責任の共有の精神、共同体の生活に対する関心と会員の召命を確立することは、院長次第です。院長は副院長と会って対話する機会を見つけ、共同体の生活や会員の問題だけでなく、計画、改善のための提案、副院長が引き受けられる可能性のある仕事を副院長と共有します。
副院長の方では、忠告、修正、異論や提案を行うだけでなく、院長をサポートするためのイニシアチブを取ります。
院長が父と呼ばれている我々の伝統は、副院長が規律や組織の問題を特別な方法でケアし、院長を積極的にサポートすることを示唆しています。
・副院長は、「通常の代理権」に加えて、院長から特別な任務を与えられている。
・院長は,共同体における副院長の姿と役割を明らかにし,副院長に割り当てられた任務と,それに関連した特有の権威と責任を会員たちが知ることができるように配慮する。
5.3.3 支部会
87. 共同体の識別の訓練
支部会は、「支部共同体の全サレジオ会員を一堂に集める。院長は、共同体の生活と活動に関する主要な問題について諮問するため、これを招集し主宰する」。(C 186) これは、参加と共同責任の価値観の表現であり(C 123)、何よりも共同体の識別力の行使である。
しかし、すでに述べたように、今日では、その数の少なさを考えると、支部会と支部評議会の間に実際的な違いがない共同体が数多く存在しています。
法的に義務づけられた機関であることに加えて、家族的な精神は、集会を、生活の中で、そして共通の使命の中で、共有し、見極め、計画し、評価し、養成し、再責任を共有する兄弟愛的な出会いにしています。
支部会の責任は会憲184条に示されているが、これは兄弟的生活の質と会員の参加に応じて発展させることができます。
・院長は、支部会の準備(情報、議題、設定、議事録など)に気を配る。
・院長は、責任を共有し、帰属意識、識別と家族の風土を醸成する。
・支部評議会と一緒に、彼は支部会の結論を関心を持って取り上げ、決定を伝え、実行に参加者を巻き込み、その実現の説明をする。
5.4 会員たちへの個人的な配慮
88. 各会員の具体的な状況への配慮
院長はまた、一人ひとりの会員に対して直接の責任を負い、会員がその召命を全うし、任務を果たすよう支援する。」(C 55) 院長のこの任務は、さまざまな方法で遂行することができるが、常に各会員の具体的な状況に注意を払うことが必要です。会員の個人的な状況には、多くの状況が影響を与えます:人格、家族の状況、養成過程、サレジオ会生活の旅路、共同体と司牧の経験、霊的経験、計画、困難、賜物と資質…. しかし、常に家族のように、兄弟は歓迎され、愛され、共同体に統合されるべきです。(C 52)
5.4.1 サレジオ会司祭とサレジオ会修道士
89. 2つの形の補完性、カリスマ的な宝。
私たちの修道会の特別な特徴の一つは、サレジオ会共同体の生活と行動における司祭と修道士の間の相補性です。私たちは、尊いカリスマの宝として、私たちのサレジオの召命の二つの形態の相補性を大切にしています。
GC26とGC27は私たちの召命における共通の要素を主張してきましたが、本会は二つの形式について幅広く考察し、相補性を生き、促進するための指標を提供してきました:サレジオ会修道士のアイデンティティーについての知識、特定の能力についての考察、すべての会員のための基礎的で同等の養成、司祭と修道士の特定の養成のための提案、良好な兄弟愛関係です。50
相補性は、権威の奉仕に関する会憲に定められた基本原則に従って、意思決定のプロセスにおいても評価されるべき資源です。 共通の召命は、会員がひとり残らず、支部、管区、会全体の生活と活動に、責任を持って、実際に参加するよう要求する。会員は、実施の面でも、企画・組織・点検の面でも、各自の役割と管轄範囲に応じて参加する。この共同責任によって会員に求められる参加は、最も適した方法で種々の段階の長上を選び、彼らの下す重要な決定を練り上げることである。権威を行使する者の務めは、じゅうぶんな情報を提供し、個人的対話と協働の検討をとおして、会員の協力を促し、指導することである。(会憲 123条)
・院長は、特に教育司牧共同体において、たとえ自分の共同体にサレジオ会修道士がいなくても、両方の形態を促進し、可視化すること
・司祭は、私たちの二つの形における一つの召命について、学びと振り返りの時間を確保する。
・差別的な言葉(例:「サレジオの神父たち」など)を避けるように注意する。
5.4.2 初期養成における会員
90. 初期養成の最も特徴的な段階である実地課程
FSDB と管区名簿の養成部門に沿って、各初期養成の支部にはそれぞれの養成計画があります。
サレジオ会の観点からは、実地課程は初期養成の最も特徴的な段階です。(FSDB 428) その主な焦点は、サレジオ会生活の基本的な要素を「強力にまとまった生活設計」 (C 21) に統合することであり、主な養成的役割はまさに院長の役割であり、実地課程生がサレジオ会の召命の価値観を経験することによって学ぶのを助けるのです。(C 98) これは、院長の最も重要でデリケートな責任の一つです。51
91. 叙階および終生誓願後5年以内の期間:活発な司牧生活への移行に同伴する
新司祭と新修道士にも特別な配慮が求められています。これは、教育者としての養成から、教育司牧共同体の中での活動的な生活への移行に合わせて、彼らがサレジオ会生活の 基本的な基準に照らして新たな約束を果たすことができるようにするためです。
管区の名簿には、FSDBに示されているように、実地課程と新司祭と新修道士に関して共同体が推進している取り組みについて言及されています。会員自身は、これらの養成段階の重要性と、便宜と評価の必要性を認識しており、これらの段階の目的を個人の人生計画に含めるように、また、管区が提供する養成の取り組みに参加するように注意を払っています。
院長は、若いサレジオ会員の近くにいて、実りある養成経験のための条件(個人面談、個人的な霊的同伴、特別な養成の提案、友情、支援、誓願更新にむけて3か月ごとの評価など)を確保します。
5.4.3 異文化間の交流
92. 御国における兄弟愛のしるし
奉献生活には、異なる場所や文化的な文脈の中で召命を生きる可能性が含まれています。個々の修道者の側では、これは適応と統合の能力を必要とし、共同体の側では多様性を 歓迎し、祝う能力を必要とします。(NW 13, 40) このようにして、私たちは御国における兄弟愛のしるしとなり、多様性の中での一致のしるしとなるのです。
異文化間の経験は私たちにとって新しいものではありません。最初の宣教共同体の時代から、それは修道会の中で現実のものとなり、第二バチカン公会議以前にはすでにいくつかの場所に異文化間の養成共同体が存在していました。しかし、公会議以来、本会は、教会の他の部分と一緒に、地域の文化的文脈に対する新しい感覚の時代を生きてきました。GC27とアンヘル・フェルナンデス・アルティメ総長が繰り返し呼びかけていることは、今、私たちが、一致と牧者の愛のあかしとなる異文化体験を持つ国際的な共同体を促進することです。(GC27 29, 75.5)
93. 共同体は円滑な統合を促進する
異文化からサレジオ会員を受け入れる共同体は、物質的(衣類、食料、財政管理、公的書類、言語や文化を学ぶ機会など)、関係的(共同体の内外)、霊的(和解の秘跡へのアクセスと霊的同伴の確保)、司牧的、新管区の生活への導入(教育司牧共同体を含む共同体への紹介、会員への紹介)など、スムーズな統合を促進します。共同体の院長は、これらの会員の統合を促進し、新管区および出身家族との関係を維持するという重大な責任を負っています。
共同体は、会員の文化的多様性を大切にし、共通の生活と使命に対する各会員の貢献を歓迎します。それは、すべての共同体は、対話と歓迎する能力を開発し、多様性を理解し、他の人を大切にし、有益でない態度を克服するのに役立ちます。差別を避け、異なる民族的、文化的、社会的背景を持つ会員の間での兄弟愛的平等を促進します。
5.4.4 困難な時期にある会員たち
94. 院長と共同体が適時、適切な方法で介入する
会員の生活の中では、疑念や弱さ、意欲の欠如などの瞬間が生じることがあります。会員自身がオープンで透明性のある態度をとることに加えて、院長と共同体が状況を察知し、適時に適切な方法で介入することが重要です。
祈り、養成、兄弟的忠告、集会、支援などの兄弟的生活の質の高さは、会員を支援する第一の方法ですが、それだけでは十分ではありません。院長は他の方法も探さなければなりません。例えば、個人的な援助や専門センターでの適切な養成の提案、特定の会員との親密さ、仕事量の調整などが挙げられます。
しかし、最初の介入が必ずしも実りあるものとは限らないので、多くの忍耐強さと粘り強さ、信頼、そして恵みの実践への信仰が必要です。
5.4.5 高齢の会員
95. 老いは、よろこばれる贈り物
「奉献生活」は、高齢は奉献生活において歓迎され、評価されるべき賜物であると語っています。教皇フランシスコは、この考えを繰り返し述べています。サレジオ会の伝統は,共同体が高齢会員を思いやりと愛情をもって取り囲んでいることを思い起こさせ(C 53),彼らができる限りの方法で共同体と宣教のために奉仕し, 喜びをもって召命を全うし続けることを示唆しています53 。「苦しみと十字架は常に人生の中に位置していますが、キリストの死と復活の秘義に照らされて生きていれば、病気や限界のある期間も、特定の活動と同じように実りあるものであると、すぐに言わなければなりません。」54
召命の旅路、霊的・司牧的な経験、健康状態などの違いにより、共同体への統合は各会員に特有のものとなります。優雅に年を重ねるための生涯養成は、常に有益なものです。年配のサレジオ会員との対話は、年配のサレジオ会員が家族の一員であると感じるのを助け、彼らの可能性と限界を認識し、共同体の生活と宣教に貢献するための具体的な行動分野と方法を示してくれます。もちろん、この対話は必ずしも簡単なものではありません。忍耐と明快さが必要であり、共同体や司牧計画と対立する可能性のある個人の願望に対して毅然とした態度で臨まなければなりません。
96. サレジオの世界におけるさまざまな状況
高齢会員は、彼らの健康と心理的、精神的な幸福のために、注意深く個人的な注意を払う必要があります。院長はこのような同伴に責任を負っています。院長は高齢者を愛し、愛されるように助け、共同体の他のメンバーを招待して、ケアと関心を表明するために、また、訪問という手段を用いて、高齢者を支援します。一方、高齢者もまた、しばしば、後輩の会員たちにさまざまな種類の支援と援助を提供することができます。
私たちは、高齢者会員に関して言えることは、修道会の地域によって状況が大きく異なることを認めなければなりません。ほとんどすべての高齢会員を持つ管区は、年を重ねることで得られる経験と知恵を逃しています。また、高齢会員が多い地域では、院長には別の種類の課題があり、ここでは、共同体の質的・量的な整合性を保ち、他の解決策を見つける責任が管区長たちにあります。
5.4.6 病気の会員
97. 病気という召命を生きるための時
病気を経験することは、召命を生き抜くための時でもあります。もちろん、それぞれの状況は異なりますし、それぞれの人がそれぞれ違った生き方をしています。特に、助けを求めていることをどう表現したらよいかわからない会員がいる場合、兄弟愛は、院長と会員たちが最初の一歩を踏み出して問いかけ、耳を傾け、助けてくれることを求めています。このような病人への感受性と配慮は、兄弟愛の偉大な表現の一つです。
いずれにしても、私たちは会員が自分の状況を受け入れ、信仰の精神(C 53)の中でそれを生きることができるように、会員が自分の祈りと、キリストの苦しみと一緒に自分の苦しみを捧げることの司牧的な実りを見出すことができるように支援します。
病気の会員には、医学的、心理的、霊的に、さまざまな種類の注意が必要です。会員が共同体の中で生活を続けるとき、それは兄弟愛と家庭的精神をあかしする機会となります。どのような家族でもそうですが、これは他の会員の側に特別な献身を求めています。他のケースでは、会員は高齢者や病人のケアのための家に収容されています。この家の院長と他の人たちは、支部と管区共同体の親密さも促進しようと、兄弟愛的な関心を持ってこれらの会員をフォローアップします。
98. 自分の限界を受け入れることが難しいと感じている会員
ある会員は、自分の限界や介護者や医師の指示を受け入れることが難しいと感じることがあります。ここでは、親切であると同時に毅然とした態度で臨む必要があります。医療関係者を含め、信頼できる人は、たとえ自分の好みや願望に反していても、困難な決断を受け入れるのを助けることができます。
ここで忘れてはならないのは、管区長や病人の家族との絶え間ないコミュニケーション、他の会員や共同体の訪問やコミュニケーションの重要性です。さらに、管区が病気の会員が試練の特定の瞬間を受け入れて生きていくことを支援することを目的とした養成の取り組みを提供できるならば、それは素晴らしいことです。
5.4.7 特別な注意を必要とする会員
99.問題、依存症、または統合の特定の困難を持つ会員
また、様々な問題のために、または依存症(アルコール、ギャンブル、インターネットなど)のために、心理学的または精神医学的な治療を受けているか、または統合の特定の困難を持っている会員たちがいます。上記の病気の会員への適応は、彼らにも適用されますが、院長と共同体の側には、より一層の機転が求められます。
これらの会員が従うべき治療の条件を明確に定義し、会員だけでなく院長や共同体にも具体的な指針を示すことが必要です。
問題のある状況の兆候を可能な限り早期に発見することが理想的です。共同体の家庭的な雰囲気、率直で誠実な関係、兄弟的忠告、友好的な話し合いなどが、予防のために、また特別な注意を必要とする会員の受け入れのために、一般的ではあるが効果的な手段です。
我々は特別な治療を受けている会員がいるとき、それは共同生活のリズムとお互いの関係の調整を行うことが必要な場合があります。どんな普通の家族でも、誰かが病気になったときには、真剣な調整をしなければならないことに気づくでしょう。
100. 制限中の会員やその他の特別な状況にある会員
院長は、児童の保護に関する修道会と管区のガイドラインと方針についての知識を確保し、予測可能な抵抗を克服しながら、明確かつ断固としてそれらを適用します。55
管区レベルの管轄当局との調整を行いますが、その際、法的側面やコミュニケーションの分野にも注意を払います。
共同体は、修道会や教会の方向性とは異なる生活様式や考え方を持つ会員、また、様々な理由で教会法のプロセスを経たり、不規則な状況に置かれたりしている人々にも同様の注意を払います。
院長と共同体は、常に会員の家族にも注意を払って同伴します。すでに述べたように、さまざまなレベルでの協力関係と取るべき行動を明記した管区の文書化された方針が最も重要です。頻繁に開催される院長会議は、この分野での生涯養成のための貴重な機会です。
5.5 財政管理
101. 院長:財政管理の第一の責任者
カリスマ性と霊性の優先順位には、経済的次元と効率性への配慮が含まれています。56ここでも、教会と修道会の指針に従って、院長はその責任を負っています。ここでも、教会と修道会の指針に従って、院長はその責任を負っています。ここでも、教会と修道会の指針に従って、院長はその責任を負っています。ここでも、教会と修道会の指針に従って、院長はその責任を負っています。ここでも、教会と修道会の指針に従って、院長はその責任を負っています。ここでも、教会と修道会の指針に従って、院長はその責任を負っています。ここでも、教会と修道会の指針に従って、院長はその責任を負っています。ここでも、教会と修道会の指針に従って、院長はその責任を負っています。
支部の財政管理は、支部財務にゆだねられ、院長とその評議会の下で管理を行う。支部の各部門の経済上、財政上の行為はすべて院長の行為も含めて、重要性および複雑性に応じて組織される管理事務室をとおさなければならない。(R198)
新しい院長の就任時および訪問時には、管区は明確に院長の役割と責務を提示します。
権威の奉仕は、使命のために管理の質と透明性を監督する責任があります。「監督と適切な管理は、組織の自律性を制限する手段として意図されたものではなく、また信頼の欠如を示すものでもありません。むしろ、それらは、管理のデリケートな任務を担う人々を保護すると同時に、交わりと透明性の奉仕を表現しています」57 GC26 は、「連帯の精神に基づいた責任ある財産の管理」を行うよう私たちに呼びかけています。「支部、管区、世界レベルで必要なチェックとバランスを取りながら、使命の目的に沿った責任ある透明性のある方法で財産を管理する。」 (GC26 94)
102. 院長の監督下にある側面
院長とその評議会の管理下にある主な財政管理面は以下の通りです。
・財政の奉仕の正しい機能を評価する。
・事業の実行可能性と持続可能性を確保するための財源の計画。
・予算を承認し、会計をフォローアップする。
・サレジオ会の事業に関わる人たちのフォローアップ(人選と業績の評価)・支部の公文書館の保存、機密性とデータ保護の保証、支部日誌の作成
・本部事務局、管区財務部、または管区指導書の指示により、歴史的・芸術的遺産の保存を行う。(R 62)
これらの資産の管理に関する一般原則は、R198-202で規定されており、管区指導書の「清貧と財務管理」の項でさらに規定されている(R190)。院長は管区長に責任を持ち、これらすべての管区のガイドラインに従い、整然とした効果的な司牧と教育の奉仕の観点から、それらを周知させ、実施されるのを見守ります。
管区指導書の規定に従って、協働者の財務管理者はもとより、事業の各部門を担当する協働者にも、投票権を持たずに、必要とされるときにはいつでも支部評議会の会議に参加するように招かれています。(GC26 121 参照)
・院長は、評議会と定期的に、経済と行政に関連した規定や、管区の名簿の関連セクションを研究する。(GC26 88)
・共同体は、年次予算と財務諸表の作成に関与する。・共同体は、年次予算と財務諸表の作成に関与
・共同体は、「利用可能な余剰金」を管区に手渡す。(R197, GC26 88
・共同体は年に一度の清貧の点検を行う。(R 65, GC26 88)
・サレジオ会員の財務がいる場合、院長は自らの月次決算を彼に提出する。
第6章 生涯養成
103. 召命の忠実さに不可欠なもの
奉献生活における生涯養成は、各会員と共同体の召命の忠実さのために不可欠です。ここ数十年の間に、生涯養成と養成の取り組みに対する反省が強まってきました。58
この分野では、権限のある奉仕を任された人は、正確な責任を持っています:
権威者の側で今日最も重要であると常に考えられている仕事は、彼らが生涯にわたってケアするために 呼ばれている人に付き添うことです。これは、起こりうる問題を解決したり、起こりうる危機を管理するための助けを提供するだけでなく、「長い間にわたって保たれる精神の若さ」(VC 70)を保証するために、人生のあらゆる段階や季節において、それぞれの人の正常な成長に注意を払うことでもあるのです。奉献された人は、「キリスト・イエスが抱いておられた思い」にますます適合するようになります。(Phil.2:5)
それゆえ、人生から学ぶ能力と同様に、養成されることへの高いレベルの開放性を保つことが、 権威を持つ者の責任となるでしょう。特に、他人に自分を養成させる自由と、自分が他人の成長に責任を感じることが重要です。この両方は、伝統によって受け継がれてきた共同体の中での成長の手段を利用することによって、また、今日、霊的養成の分野で確かな経験を持つ人たちが特に推奨している、み言葉の分ち合い、個人と共同体の計画、共同体における識別、自分の人生の見直し、兄弟的忠告などを利用することによって、育成されていきます。(FT 13g)
6.1 共同体の中で
104. 「養成」は主に「生涯養成」を意味し、院長はその第一のアニメーターである
このトピックに特化した私たちの会憲の2つの章では、「養成」は主に「生涯養成」を意味しています。それは神の召命に対する私たちの日々の応答であり(C96)、生涯にわたるものです。(C98) それは、聖霊の声を識別する能力であり、このようにして、良いことも悪いことも含めて、人生のあらゆる経験から学ぶことができます。(C98, 119) したがって、生涯養成は、人生のあらゆる状況における識別の個人的な態度であり、何よりもまず支部共同体の中で行われます。(GC25 49-62)59
教会と同様に、修道会もまた、教育司牧共同体のサレジオ会員と協働者の共同養成を促進し、指導する責任を院長に思い起こさせています。:
院長は、自分の共同体における生涯養成の経験の第一のアニメーターである。その役割に相応しい準備をして、院長はその役割を果たす。;院長は、自分の共同体における生涯養成の経験の第一のアニメーターである。その役割に相応しい準備をして、院長はその役割を果たす。;
・ 共同体の日常生活を充実させる風土と内外の関係のパターンを育てる(「共通の霊的指導、講話、ボナ・ノッテ、非公式な会合」R 175);
・この目的のために院長は教会やサレジオ会の文書を自分の好ましい情報源として知ってもらい、それを利用し、管区や修道会との交わりを育む。
・支部会と支部評議会がそれぞれの責任を果たすことを保証し、兄弟愛、更新、休養に貢献する会議を奨励することによって、サレジオの使命を活性化する。
・サレジオ家族と教育司牧共同体との関係と養成のプロセスを促進し、サレジオの教育司牧計画におけるサレジオのカリスマを守り、サレジオの共同体が活性化の具体的な役割を果たすように奨励する;サレジオのニュースや具体的な経験の共有などの活性化の手段を知的に利用する。(FSDB 544)
105. 生涯養成のための共同体の計画
本会は、生涯養成の分野で努力してきましたが、同時に、この召命の責任を引き受けることの難しさを認識しています。60 各管区は、養成委員会、管区指導書、管区養成計画を通じて、個々の会員、共同体、EPC のための手段と養成的な提案を策定します。
この管区の枠組みは、生涯養成のための有意義な提案を含むように、院長たちと共同体が共同体計画 61 を作成するのを助けるものです。これらの枠組みは、会員が自分のアイデンティティーと召命の中で成長することを奨励し、読書、内省、執筆の文化を促進します。計画に含めることができる分野(人間的、霊的、知的、司牧的)は、文脈や状況に応じて指定されています。GC25 57では、人間性、関係性と愛情の成熟、キリスト信者とサレジオ会員としてのアイデンティティー、予防教育法の深化、チームワークと計画的なメンタリティーへの養成、文化的背景と青少年の現実の知識、福音とサレジオのカリスマの文化的受容がテーマとして挙げられています。
これらの他にも、広報や人間科学、司牧の更新、奉献生活、霊性…そしてもちろん各共同体の固有のニーズなど、多くのテーマがあります。会員が今日の若者に同伴し、新福音化のための手段としてインターネットとデジタル技術を十分かつ適切に利用するためには、デジタルの世界についての理解を深める必要があるでしょう。62
106. サレジオ会員と協働者の共同養成
教育司牧共同体におけるサレジオの使命を共有する人々の養成は、絶対的な優先事項です。それが、会員と協働者の間の共通の関心と献身の結果であればあるほど、私たちの存在の最初の受益者である、私たちが派遣される若者たちから始まる、すべての人にとって有益なものとなります。これは先の総会の明確な要求事項です。
それゆえ、院長がサレジオ会の支部評議会および EPC と共に追求する最初の目的の一つは、SEPP およびサレジオ会支部共同体の年間計画と調和した、サレジオの使命を分かち合うすべての人のための現実的な養成計画を策定することです。64
さらに、家庭生活に焦点を当てた2回のシノドスと、その後の使徒的勧告「愛のよろこび(Amoris Laetitia)」によって促された、社会と教会における家庭の基本的な役割に対する新たな認識に沿って、EPC の一部を構成する父母の養成も必要とされています。教育の分野では、親ほど重要な位置を占めている人はいません。65 この分野では、共同体、管区のアニメーションチーム、その他の教会的・社会的現実の間のネットワーク作りが非常に役立ちます:多くの場所で親は前例のない課題に直面しなければならず、支部共同体は、適切な対応を考え出し、質の高い養成を提供することが自力では困難です。
養成支部の院長とその養成チームは、サレジオ会員と協働者の共同養成に関して、特別な役割を果たすべきです。カリスマの核となる価値観の中で成長する有意義な経験は、関係者全員が関心を持ち、共に歩み、共に働く能力を育むことを可能にします。私たちが共通して持っている賜物、例えば、予防教育法のような賜物の他にも、協働者が若いサレジオ会員に(その逆も)提供できる特別な賜物や能力を持っている分野がたくさんあります。
これらのプロセスを効果的なものにするためには、管区レベルで、管区養成委員長と管区養成委員会の指導の下に、優れた計画を立てる必要があります。
・院長は、管区のガイドラインに従って、共同体の計画を現実的に作成し、定期的に評価するように共同体を指導する。
・共同体は、パスクアル・チャベス師の手紙「召命と養成、賜物と献身」(AGC 416);養成委員の指針;『養成は生涯にわたる』」(AGC 425);FSDB 第 12 章について振り返りをする。
・院長と支部評議会は、生涯養成に貢献する共同体生活の要素の質を保証する。すなわち、一人一人の祈りとレクチオ・ディヴィナ、司牧的、教会的、社会的経験の共有、ボナ・ノッテ、これらのテーマを深める方法についての継続的な情報提供、共通の霊的読書のための十分に選りすぐられた資料などである。(R 71)
・支部共同体は図書の世話をし、教会文書、サレジオ会文書、司牧的文書に容易に触れられるようにする。
・協働者との関係を学ぶために彼らの必要性を認識して、会員は、協働者との共同養成の機会に参加する。
・養成共同体の院長は、サレジオ会員と協働者の共同養成が初期養成の期間にすでに始まっていることを確認する。
・院長とその評議会は、さまざまなレベルでの養成活動への参加を保証する:初期養成、叙階と終生誓願5年以内の期間、成熟期の召命強化期間、老年期への準備、誓願や叙階の記念日の際の特別な活動、司牧的奉仕のための特別な準備、など….
6.2 院長自身のために
107. 院長も生涯養成と同伴を必要としている
御父のために奉仕する兄弟の中の兄弟として、院長もまた、召命の忠実さを強めるために、生涯養成を必要としています。院長は自分に託された奉仕を遂行するために自分自身の養成の世話をし、個人的な同伴を求め、「盲人が盲人を導く」(ルカ6:39)のではなく、導かれる指導者となるように、個人の人生計画を立てます。院長は管区と修道会への強い帰属意識を持ち、有機的管区計画と管区サレジオ会教育司牧計画を常に参照しながら働きます。また、励まし、支援、指導のために管区長と様々な評議員に頼ることができることを知っています。
院長に共通する最も一般的な困難の一つは、仕事の過重な負担と任務による時間の不足です。これは多くの人にとって深刻な課題であり、重荷になることもあります。院長に関連する識別能力では、特に2つの能力が重要であり、開発・強化される必要があります。
責任と任務を委任し、共有する能力、そして 優先順位をつける能力で、何が重要で、何を怠ってはいけないかを明確に区別すること。重要で放置できないものと、緊急ではあるが、より効果的な方法で対処すべきものとを区別し、優先順位をつける能力です。この忠告は、ドン・ボスコが修道会の最初の総会で院長に話したときに、ドン・ボスコ自身から来ていることは興味深いことです。:
2つの特定の状況は、過去に私たちの家の円滑な運営を妨げてきました:1.人材不足のために、院長は、おそらく彼がスムーズに家を運営することができなかったので、仕事にひどく負荷がかかっていました。この状況は徐々に改善されてきていますが、まだスムーズな運営はできていません。私たちの基本原則は次のとおりです:院長は院長であること、つまり、仕事の過程で他の人に指示することです。彼は仕事に自分の手を入れることなく、監督し、計画を立てるべきです。ある仕事のために十分な資格を持った人を見つけられない場合は、資格のない人でもよいが、よりよい仕事をしてほしいという願望に屈してはなりません。院長は、誰もが自分の任務を遂行するように見守らなければなりませんが、自分はどの任務にも関与してはなりません。私が十分に強調してこなかったことを実行するための時間を確保するためです。 (BM XIII, 189-190)
108. 院長の養成を計画している管区
院長はまた、サレジオの精神と使命が多くの協働者やサレジオ家族のメンバーと共有されていること、そして、その使命の主体が教育司牧共同体であり、その中でサレジオ会修道共同体が活動的な核の一部を形成していることを強く認識しています。院長は、教育と宣教が、若者が教会と社会の中で自分の居場所を得て、愛の召命として人生を生きるための準備をする問いかけであることを知っています。院長はまた、今日の教育の手段は数多くあり、その中でも社会的なコミュニケーションの手段とデジタルの世界が主なものであることを強く認識しています。これらの要因の一つ一つが 院長自身の養成やEPCの養成にも意味を持っています。
しかしながら、我々の総会は、院長がその奉仕のための事前準備をしていないことが多く、また、管区が体系的な方法で院長の養成を行っていないことを認めています。66
そのためには、各管区で真剣に検討し、GC25 65で要請され、GC27 69.10で繰り返されたように、管区または地域レベルでの院長養成のための計画を立てる必要があります。
管区レベルでの院長の養成のための優れた計画は、主に組織と事業の問題に特化した院長会議のリスクを克服し、質の高い院長の養成を保証するものです。地域のセンターが開催している院長の生涯養成は、院長の養成のために貴重な助けとなっています。ネットワーク化と資料の共有を促進するデジタル技術もまた、院長の養成に大きな助けとなっています。
109. 院長の任命に至るまでの諮問と識別の向上
規定として決められている院長任命のための諮問(C 177、R 170)は、支部のニーズと新しい院長への期待について、管区とその評議会のための情報源となっています。また、院長が各共同体や支部の優先順位やニーズを把握し、取り上げるのにも役立ちます。
院長マニュアルの改訂を踏まえて、院長、管区評議会、共同体、個人の会員の間で行われた2016年の分ち合いでは、院長の任命につながる識別だけでなく、諮問の方法を改善したいという要望が明らかになりました。「諮問においては、推薦に至る前に、良い共通の基準、各支部の状況と会員の状況に関するより深い知識に基づいた、より良い方法論が必要とされています。院長候補者が、責任を共有し、他人に任せることができるかどうか、そしてリーダーとしての能力に特に注意を払う必要があります。」67同様に、新院長のより良い準備に重点が置かれており、地域レベルでの計画を策定し、特に「会員と協力者の同伴、共同体の活性化、積極的な傾聴、霊的な父性、変化と移行の管理」に焦点を当てて養成されることを要求しています。これらの側面は、他の管理運営上の問題と比較して注意が払われるべきです。また、すべての地域から、EPC と協力して働く能力を持つ院長を強く求めていました。共同体を調整し、活気づけるのは院長であるべきだからです。
110. 院長の養成:主な領域
院長の養成のための管区の計画と、院長自身の個人的な養成プログラムを考慮して、次のような主な分野に注意を払う必要があります。
・霊的生活: 院長の修道生活(奉献されたサレジオ会員として、サレジオ会共同体およびEPCにおける教育者、牧者、司祭として)。
・人間的成熟: 自己認識;個人とグループ、チーム、共同体のダイナミクスを理解し、導くための心理学の要素。人間関係の要素;人間関係のスキル。心の強さ、忍耐力、孤独と批判の耐久性、困難な会員と人々に直面するための養成。会員たちによって指摘された特定の欠陥(権威主義、事務的、関係の冷たさ、ひいき、個人的な利益、権力への渇望、意思決定の弱さ、リーダーシップの欠如….)を克服すること。
・会員、協働者、若者の霊的な活性化。同伴と識別のための養成
・一般的な文化的準備と若者の文化の知識
・奉献生活、サレジオ会霊性、奉仕職、神学
・サレジオ的な権威のスタイル:交わり、共同責任、ネットワーク、協力、計画的思考、管区の計画、信仰教育を基本的な目的とした司牧的側面の活性化。
・活性化と統治の方法論:リーダーシップ、チームワーク、コミュニケーションのための養成、傾聴、チームの指導(共同体、管区、EPC、サレジオ家族において)、計画的思考、共同体と責任の共有、紛争管理70。
・支部共同体と管区共同体の両方で直面している状況と問題に応じた具体的なテーマ
・経済的、財務管理的、法的問題
・市民団体、マスメディア、社会団体への対応
・特別なケース(未成年者の保護、司法の問題、教会法上のプロセス、不規則な状況にある会員、あるいは奉献生活における不適切な態度など)への対応(市民当局との関係で管区が示したプロトコルに従って)
・管区長と管区評議会による司祭の養成と同伴
111. 管区長とその評議会が、院長の養成と同伴のために心に留めておくべきいくつかの点
・院長任命のための諮問を注意深く調査する。ベッキ師が提案し、チャベス師が繰り返し提案した3つの焦点を心に留めておく。71
・適切に計画された訪問、会合、談話、…. を通じて、管区側と管区評議会側の同伴と親密さを図る。
・この点での管区間の取り組みも活用しながら、院長の養成のための管区計画を策定すること。
・多様な方法論(理論的、経験的など)を用いて、新たに任命された院長を養成する。
・院長の定期的な会合は、共有し、管区計画の感覚を強化し、結束を深め、再責任を共有し、具体的な問題に直面し、共に反省し、共通の方向性を見出すためのものであり、院長の養成を計画するためのものでもある。このため、管区は、これらの会議が真の意味での養成の機会であり、単なる「仕事」の会議ではないことを確認する。
・院長のための具体的な霊的養成の取り組み:毎年の黙想会、静修、サレジオ霊性の日、ドン・ボスコの地への巡礼、聖地での養成体験など。
・未成年者の保護に関する管区の方針を毎年周知する。
・オンライン資料の推進、院長と管区評議会の間で共有するシステムの構築(電子メール、デジタル・マガジン、メッセージ、院長のWhatsAppグループ、振り返りの資料など)。
・将来のための養成:特に司祭志願者を対象に、共同体と司牧的な活動、リーダーシップ、計画的なメンタリティー、チームワーク、責任の共有、サレジオの使命を共有する協働者との協力などの分野で、初期養成のための会員の準備を行う。
112. 修道会全体のレベルでの取り組み
修道会全体のレベルでは:
養成部門は、院長の養成のためのオンライン資料(文書、視聴覚のハイパーリンクなど)を提供し、地域や管区レベルでも同様のことを推進する。
■注
(1) 霊的体験、兄弟愛、使命という3つの次元は、これらの用語または類似した用語で、奉献生活に関する教会文書(『奉献生活』【Vita Consecrata】、『権威の奉仕と従順』【Faciem Tuam】)を構成していて、GC27の振り返りにも見られ、すでにわたしたちの会憲に見出すことができる:「使徒的使命、兄弟的共同体、福音的勧告の実践は、わたしたちの聖別奉献の分けられない要素であって、神と兄弟への愛に生きるただ一つの行為をなしている。」(C 3) しかし、私たちは、私たちの生活の強い統一性を心に留めています:私たちの使徒的聖別奉献は、使命と聖別奉献が全体化し、互いに定義し合うものであり、単にサレジオ会生活のある特定の分野だけに限定することはできません。(GC22, 20参照)
(2) FT 13a. FLC 50は同じことを言っています:もし、奉献された者が神の全面的な奉仕に身を捧げているならば、権威はその奉献を促進し、維持します。ある意味で、権威は「神のしもべのしもべ」と見ることができます。権威は、「神が何よりも求められ、愛される兄弟的共同体」の兄弟姉妹の結束を築くことを主な任務としています。したがって、上長は何よりも霊的な人でなければならず、個人生活に関しても、兄弟的生活の発展に関しても、霊的なものの重要性を確信していなければなりません。/ このように、上長の主な任務は、自分の共同体の霊的、共同体的、使徒的な活性化である。
(3) GC27 2-3、35-36;SAC 12-13
(4) FT 13b: 「権威の立場にある人々は、共同体が毎日、誰もが努力することによって、共同体が小さくても一定の歩みで神に近づいていることを意識して、共同体の日々の祈りへの忠実さを見守りながら、共同体に祈りの時間と質を保証するように召されており、聖別された者は神に結ばれている範囲でお互いに役立つことができます。」
(5) 修道会は、考察を提供し、サレジオの祈りの生活を活性化するために多くの努力をしてきました:最近の例としては、養成のための総評議員が提供した考察「祈りとしての生活」(AGC421)32-42を参照してください。また、GC25 26, 30-31 のような多くの分析や文書も参照してください。GC27 1 は次のように述べています:「私たちは、個人として、また共同体として、サレジオ会の聖性と若者たちの本物への渇望に 悩まされながら、生活の中で神に優先権を与えたいと願っています。私たちは、御言葉、秘跡、隣人を通しての神との個人的な出会いだけが、教会と社会において、私たちを意義のある真の証人にすることができることを、より深く認識しています。同時にGC27 3は、私たちの欠点を認識しています。「同時に、私たちは、私たちが誰であるか、私たちが何をするかということが、常に信仰、希望、愛に根ざしているようには見えず、主導権は神から始まり、常に神に帰するということを明確に示していないことに気付きます。交わりが交わりの源であり、交わりを支えるものとして見られたり、経験されたりすることがないこともありますし、兄弟的生活を構築し、強化する共通の祈りは、あまりにも簡単に脇に置かれています。特に私たちの若者とその家族は、私たちの霊的なルーツと召命の動機について私たちに問いかけ、私たちの中に聖別された者としてのアイデンティティーと私たちの教育司牧の使命を再認識させてくれます。
(6) ドン・ボスコの列聖される過程で、フィリップ・リナルディ神父は宣誓のもとに、ドン・ボスコが午後2時から3時の間に、深い祈りのうちにいるのをよく見たと証言しています。BM XIX, 369. BM III, 24; BM IV, 130も参照。
(7) サレジオ資料、1138; 1198-1199; 1214; 1248; 1294-95
(8)ジョヴァンニ・アラタ神学生(Giovanni Arata)(1858‐1878)、以下を参照:http://www.donboscosanto.eu/oe/biografie_dei_salesiani_defunti_negli_anni_1883_e_1884.php
チェザレ・ペローソ神学生Cesare Peloso(1860 . 1878)、以下を参照:http://www.donboscosanto.eu/oe/societa_di_san_francesco_di_sales._anno_1879.php#_Toc228457543 {71}[39]}).
カルロ・ベッキオ神学生(1844 – 1877)、以下を参照:http://www.donboscosanto.eu/oe/societa_di_san_francesco_di_sales._anno_1879.php#_Toc228457543 {37[5]})
(9) SAC 28-29; FT 19; GC27 45.
(10)C 95;AGC 421 32-42参照
(11)C 45; GC26 55, 74-76;AGC 424 65-75
(12)FT 13e:「権威を持つ者は、自分の修道家族のカリスマを生き生きとしたものにしておくよう召されています。権威の行使には、特に総会(または類似の会議)が提供する計画と方向性に従って、自分が属する修道会の適切なカリスマのために身を置き、それを慎重に保ち、共同体や管区、あるいは修道会全体でそれを現実のものとすることも含まれています。権威者に求められるのは、修道会のカリスマについて十分な知識を持ち、修道会のカリスマを自分の一部として、共同体生活との関係で、また教会的・社会的な文脈の中でのカリスマの位置との関係で、修道会のカリスマをよりよく理解することです。
(13)教皇フランシスコの叫び「共同体を奪われることを許してはならない!」(EG 92) (EG 92)は、『共同体における兄弟的生活』、『キリストからの再出発』、『権威の奉仕と従順』、『新しい革袋の中の新しいワイン』など、さまざまな文書に表れた教会の願いを反映しています。FLC 54-57、FT 22 などは、兄弟的生活が表現される具体的な方法に言及しており、兄弟愛を築く努力があかしへと変容し、このような生き方を信頼できるような宣教へと変容することを主張しています。
(14)FT 22;FLC 54-57 を参照。
(15)GC27 は、私たちの兄弟的生活における光と影について語り(8-21, 39-51)、適切な行動指針を提案している。院長は兄弟愛の預言を実現するための特別な勧告を与えられています。「院長は中心的な人物であり、管理者というよりも、交わりと使徒的な奉仕の中で家族を一つにする父親である」(GC27 51) (GC27 51)
パスクアル・チャベス師は、GC27(AGC413 35)の招集の手紙の中で、次のように述べています:「それゆえ、私たちの修道生活とサレジオ生活の深い刷新は、共同体における兄弟的生活の深い刷新によっても達成されるでしょう。そのために特に重要なのは、霊的権威としての役割を担う院長の活動と統治のスタイルであり、次のような方法で、会員たちの召命の歩みを助けます。まず、生き生きとした知的な形での共同体の活動と気配りのある個人的な同伴によって、;それから、私たちの使命の特徴である教育と福音化の目標に向かって、すべての人々、活動、財源を導き、指示する司牧的権威をもって、;さらに必要な決定を下す方法とその実行を保証する権威をもって。」
(16)FLC 50:「一致を助長する権威とは、分かち合いと共同責任に有利な環境を作ること、すべての人がすべての仕事に貢献することを奨励すること、会員が責任を負い、それを尊重することを奨励すること、人間を尊重することに よって自発的な従順を促進すること、会員の話に喜んで耳を傾け、事業所と教会の利益のために会員の調和のとれた協力を促進すること、対話に従事し、時宜を得た出会いの機会を提供すること、困難な時に勇気と希望を与えること、宣教のために前を向いて新たな地平を指し示すことに関係している権威のことである」。祈りと仕事、使徒と養成、仕事と休息の間で、共同体生活の様々な側面の間でバランスを保とうとする権威。上司の権威は、修道院の家が単なる住居の場所ではなく、個々の歴史を生きる民の集まりではなく、『キリストにある兄弟愛の共同体』となるように働きます。
(17) ここでは、GC25 15 の示唆が役立ちます。
共同体は、共同体生活の特定の機会、例えば、一緒に祈ること、集会、黙想会、生活の見直し、評議会、レクリエーションの時間、共同体の日などを奨励している。適切な取り決めを介してこれらの中で会員に次のことをするために役立っています。
・自分自身の内的生活の経験の豊かさを表現する。
・自分自身の悩みや問題、計画、教育司牧的活動を共有する。
・傾聴、対話、異なる意見の受け入れ、兄弟的な忠告を実践する。
パスクアル・チャベス師は、GC27(AGC413 33-34)の招集の中で、共同体の中での人間関係を条件とするある種の状況と、成熟した宗教的な方法で対応する必要があることを述べています。
共通の生活と共有された使命の中で実現される交わりなしに、サレジオの修道生活を想像することはできません。兄弟愛の必要性は、私たちが同じ父の息子であり、キリストのからだの一員であるという事実から生じます。典型的なサレジオの立場から言えば、私たちは、ドン・ボスコが望んだように、家族の精神を創造し、それを生きていくように召されています。
もちろん、修道生活の他の分野と同様に、ここにもいくつかの危険性があります。例えば、単に機能的であったり、階層的であったり、あるいは偽りの民主的であったりするような人間関係を組織することです。むしろ、私たちの関係は兄弟的で友好的なものであるべきであり、それは私たちがすべてを共有する範囲でお互いを愛するように導くものです。この基準は、共同体が交わりによって養われ、交わりにつながるとき、共同体が十分に理解され、生きていることを見るのに役立つ。交わりのない共同体は、たとえ受容、感謝、尊敬、相互扶助、愛のすべてを意味していて、人々が居場所を持っていても、実際には孤立したままの集団に還元されてしまいます。一方、修道生活において、共同体のない共同体は、個人主義の微妙な形態であるため、ナルシスト的な生き方であり、結果的に矛盾しています。
今日、修道者は共同体を作るために大きな努力を共有しなければなりませんが、そこでは、霊的な次元、人間的な資質、そして各メンバーの使徒的な献身が、人生が本当に良く、美しく、幸せであることを意味します。言い換えれば、人間的な次元、霊的生活の質、使徒的献身がなければ、真の兄弟愛はありません。
(18) 会則176条の示唆は簡潔です。教会は、権威の奉仕が、さまざまな方法で傾聴、対話に好ましい雰囲気、共通の任務に責任を持って参加すること、各会員と共同体に与えられる注意、共同体を見極める態度を促進することを示しています。(FT 20参照)
コミュニケーションや生活の交わりに重要な側面を加えています。:物質的な財を共有するだけでは十分ではありませんが、それ以上に重要なのは、財と個人的な能力の共有であり、才能や素質、直観や霊感の共有であり、さらに基本的なことであり、促進されるべきは、霊的な財の共有であり、神の言葉に耳を傾けること、信仰の共有です。中心的で重要なものを共有すればするほど、兄弟愛の絆は強まるのです。(FT 20)
(19) 奉献生活年を迎えたすべての奉献された人々に向けた教皇フランシスコの使徒的書簡(2014 年 11 月 21 日) 4.
(20) GC27 13-17、39-51、70-71。
(21) FT 25.
このことはすべて、権威が、それぞれにふさわしいカリスマに忠実に、使命を果たす上で重要な任務であると認識されることを意味しています。これは単純な仕事ではなく、困難と曖昧さのない仕事でもありません。過去には、権威を持つ者が主に仕事の管理に向けられ、人の世話をしない危険性がありました。今日では、リスクは、むしろ、他人の感情を傷つけることへの過度の恐怖から来るか、または共通の目的に向かっての統一された動きを弱め、権威の役割を挫く能力と責任の断片化から来る可能性がある。しかし、権威を持つ者は、共同体の活性化だけでなく、使命に関連した様々な能力の調整にも責任を持つ。したがって、彼らは役割を尊重し、会の内部規範に従う。
文書は、権威の奉仕を託された者が配慮すべき他の側面を示している。(a) 人々が責任を負うことを奨励し、一度責任を負うとそれを尊重する (b) 交わりの精神で意見の相違に立ち向かうように招く (c) 奉献生活のさまざまな次元のバランスを保つ (d) あわれみ深い心を持ち、(e) 正義感を持ち、(f) 協働者との協力を促進する。
(22) 世界代表司教会議 第15回通常総会『若者、信仰、そして召命の識別 準備文書』(2018)2. CV 第 9 章参照。
(23) GC26 34、38、43、48、106、109。
(24) FoR 160-162。GC26 は、その反省と提案のテーマの一つを 「召命司牧の必要性」に捧げた。 GC27 75.1 は、若者へのこの重要な奉仕を思い起こさせています:「召命の文化を発展させ、サレジオの生活への召命の世話をし、同伴の技術を育成し、若者の霊的な導き手となるためにサレジオ会員と協働者を準備する。」5 FT 20b:
権威を持つ者は、信頼の環境を作り、個人の能力と感受性の認識を促進することに 関心を持たなければならない。さらに、彼らは言動によって、共同体が参加を必要とし、それゆえに情報を必要としているという確信を養う。
聞くことに加えて、権威者は、誠実で自由な対話を大切にします。感情、視点、計画を共有します。その結果、一人ひとりが自分らしさを認識し、人間関係をより良くすることができます。権威者は、実りある協同を実現するための最善の方法を探し、決定し、作業し、一緒に引き受けることから生じやすい問題を認識し、受け入れることを恐れません。それどころか、可能な限り共有された解決策を提案する方法を知りながら、あらゆる可能性のある不安や誤解の原因を探します。さらに、彼らは、あらゆる形の幼稚さを克服する方法を見つけることに専念し、責任を回避したり、大きな公約を回避したり、自分の世界と自分の利益の中で自分を閉じたり、孤立した方法で仕事をしたりしようとするいかなる試みも阻止するでしょう。
(26) FT20 で規定されている基本的な指針は、次のとおりである:対話、分かち合い、
共有された責任に好ましい雰囲気を創り出すこと、万人の関心事に対する万人の貢献の勧誘、個人と共同体のための奉仕である。
(27) NW 19-21, 41-45; FLC 47-53を参照のこと。使命に関連して、FT 25 は次のように述べています。
今日、使命のために人々のエネルギーを調整するという役割において、権威の立場にある人々に投げかけられている挑戦は多々あります。ここでもいくつかの大切な役割をあげます…
a) 権威の立場にある人々は、共同体のメンバーが責任を担うことを奨励し、引き受けられた責任を尊重する
責任に対して恐れを感じる人もいます。したがって、権威の立場にある人々は、自分の協力者たちに、困難に立ち向かい、恐れやあきらめの姿勢を乗り越えるため、キリスト者としての力と勇気を伝えなければなりません。
権威の立場にある人々は、情報だけでなく、責任をも共有することに関心を払い、一人ひとりの正当な自律を尊重します。権威の立場にある人々は、忍耐強く調整のために働き、奉献された人々は共に働くために、誠実に開かれた姿勢で応えます。
権威の立場にある人々は、共同体のメンバーのうちに互いに支え合う感覚を養うために、必要なときに「共にいる」必要があります。それは子どもっぽい依存とも、また自己充足的な自立とも全く違うものです。この支え合う関係は、あの内的な自由の実りです。この内的自由によって、一人ひとりは働き、協力し、お互いの代わりを務め合い、積極的に役割を果たして独自の貢献をします。表に出ない隠れた奉仕においても。
権威の奉仕を行使する人は、個人的な自己充足の誘惑に負けないように目覚めていなければなりません。すべてが自分にかかっていると思うこと、共同体の参加を培うことが重要でもなければ、役に立つことでもないと思う誘惑です。共に歩む一歩は、一人で歩む二歩、あるいはそれ以上の進歩に勝っています。
(28) これらの原則は、MSD50-53(対話への参加と責任の共有を促進する権威)、163-167(真の共有された責任の風土)、133-156(共有された責任と司牧的連携)に説明されています。GC24 106-148 は、取り組みの分野として、関与の拡大、責任の共有の促進、コミュニケーションの活用を示しています。
(29) この点で、『愛のよろこび』、特に第 7 章にある教育的な視点を見ることは有意義なことです。それは、あらゆる種類の指導者にとって刺激的なものであり、権威の奉仕を行う方法でも教育者や牧者となるように召されている私たちサレジオ会員にとっては、なおさらです。「仮に成熟が、あらかじめ遺伝情報に組み込まれているものを発達させることだけのことならば、なすべきことは多くはないでしょう。思慮、正しい判断、良識派、成長因子の量だけではなく、その人格の内側で総合される諸要素の連なりに左右されます。より正確に言うならば、それらは、そのひとの自由意志の核にあるのです。どんな子も、そうした自由意志から生まれる計画ーーそれはわたしたちの物の見方を打ち砕くものですーーでわたしたちを驚かせてくれるのは当然のことで、それはよいことです。教育には、責任ある自由ーー岐路に立ったとき、良識と知恵をもった選択をわきまえることーーを育成する務めがあり、それは、自身の生活と自分が属する共同体の生活は自分次第であること、その自由途方もない宝だと、躊躇なく理解する人を育てるということです。」(AL 262)
(30) 世界代表司教会議 第15回通常総会、「若者、信仰、そして召命の識別」 最終文書(2018)73-76を参照
(31) FT 20e.
「真の意味での、ふさわしい識別は最も重大な決定のために取っておかれますが、識別の精神は、共同体にかかわるすべての決定の過程を特徴づけるべきです。正しく神に喜ばれることを共に選ぶためのいくつかの大切な姿勢とともに、すべての決定に先立って、個人の祈りと共同体で共に振り返る時間がなければなりません。いくつかの大切な姿勢として、次のものがあります。
‐神のみ旨だけを求めようという決意。聖書、そして会のカリスマの歴史のうちに見られる神の働き方からインスピレーションを受け、また福音的論理は、成功・効率・人の評価を求める人間の論理をしばしば「ひっくり返す」ものであるという認識をもって。
‐兄弟・姉妹一人ひとりのうちに真理を見出す力を認める、開かれた心。たとえその真理が部分的なものであっても、その実りとして、神のみ旨を共に見いだすための仲介として、一人ひとりの意見を喜んで迎えること、ほかの人の考えを自分の考えよりよいものとして認めることができるほどの開かれた心。
‐時のしるしに注意を向けること。人々の期待、貧しい人々のニーズ、福音化の緊急な必要性、全教会のまた地域の教会の優先事項、総会、総長から出される指針に注意を向けます。
‐偏見、自分の考えに過剰に執着すること、柔軟性のない、あるいはゆがんだ物事のとらえ方、意見の多様性を阻害するような強固な主張などから自由であること。
‐自分の考えをしっかりと地に足の着いたものしながら、新しいものの見方にも開かれ、自分の視点を変えることのできる勇気。
‐最終的な決定がどのようなものであっても、あらゆる場合に一致を保つことを揺るぐことなく求めること。
(32) MSD 247-265 は、修道会の始まり以来のサレジオ会生活における親しみのある対話の歴史を提示し、危機的状況と更新の必要性を認識しながら、多くの具体的な指標を提供しています。GC25 65とGC27 42は、サレジオ会生活のこの活性化の手段を再発見するよう私たちを招いています。このテーマに関する貴重な研究は、ピエトロ・ブロカルドの「Maturare in dialogo fraterno. Dal rendiconto di don Bosco al colloquio fraterno (Rome: LAS, 2000)」にあります。
(33) Marco Bay著「Giovani Salesiani e accompagnamento. Risultati di una ricerca internazionale(ローマ:LAS、2018)
(34) 傾聴の態度について FT 20a で与えられた示唆は、院長との対話にも応用できる。
「耳を傾けることは、長上たちの主要な奉仕職の一つであり、何よりも、孤立を感じている者、注意を向ける必要のある者のため、長上たちは常に応じる姿勢を持たねばなりません。実際、耳を傾けるということは、相手を無条件に受け入れること、自分の心のうちに、相手のために場を作ることを意味します。この耳を傾けるということは、愛情と理解を伝え、相手の価値を認めていることを宣言し、相手の存在や意見を受けとめていることを表すのです。
上に立つ者は、兄弟や姉妹に耳を傾けない者は神に耳を傾けることもできないということ、注意深く耳を傾けることによって聖霊が共同体に与える力や賜物をより有効に調整できること、また決断を行うときは、一部のメンバーの限界や抱えている困難について、念頭に置かねばなりません。耳を傾けることに費やした時間は決して無駄にならず、耳を傾けることによって、個人のレベルでも、共同体のレベルでも、しばしば危機や困難の時を回避できます。
(35) MSD264:
院長との友好的な話の本質は、厳格な秘密保持と守秘義務を求めている。「院長は、たとえ他の手段である会員の欠点を知っていたとしても、その欠点を他の人に明かさないように気をつけましょう。自分に託されたことのを尊重することができることを、支部の会員たちに明らかにしましょう。少しの軽率な行動で、彼らが院長に示した信頼を弱め、もしかしたら完全に破壊してしまうかもしれません。(ドン・パオロ・アルベラの院長の手引書131)
あなたの職責に固有の理由から、あなたは、ある会員や他の会員についての意見を管区から求められることがありますが、そのような場合には、客観的かつ責任を持って必要な情報を提供しなければなりません。しかし、それはもっぱら当該会員の外面的な行動と、その会員について他の人が言うかもしれないことに基づくものでなければなりません。個人的な話の中で与えられたかもしれない秘密は、厳格な秘密、すなわち、nihil, nunquam, nulli [何も、決して、誰に対しても]によって保護されています。
(36) Bay 63、98、146、201、279、316、408。
(37) FT 13g.
権威の立場にある人々は、生涯養成の道のりを共に歩むように呼ばれています。権威の立場にある人々の最も大切な務めとして常に理解されるべきものは、生涯にわたって世話するように呼ばれている人々と、共に歩むことです。それは、問題がある場合にそれを解決したり、危機があればそれに対処したりするために助けを提供するというだけでなく、人生のあらゆる局面、人生の四季における一人ひとりの健全な成長に注意を払うことでもあります。「長い間にわたって保たれる精神の若さ」(『奉献生活』70)と、奉献生活者が「キリスト・イエスにも見られるもの」(フィリピ2・5)に、ますますかたどられることを保証するためです。
(38) これは、私たちのサレジオの文献のさまざまな場所で取り上げられている問題です。MSD 265-278 は、初期の養成と生涯養成の両方において、サレジオ会の生活において、ドン・ボスコの経験との伝統を思い起こしながら、同伴と霊的指導についてのいくつかの示唆をまとめています。FSDB 260-263 は、サレジオ会生活における同伴と霊的指導の特徴をいくつか示しています。
(39) ACS 244 97への言及を含むFSDB 292、『若いサレジオ会員と同伴:方向性と指針』 (2019) 197 を参照。
(40) 「人生の個人的なプロジェクト」と題した養成部門の未発表コメント、聖性への創造的忠実の旅」(2003 年)を参照。非常に有用なのは、Giuseppe M. Roggiaによる論文「l progetto di vita personale,” in Formazione affettivo-sessuale. Itinerario per I seminaristi e giovani consacrati e consacrate, ed. P. Gambini, M.L. Llanos and G.M. Roggia (Bologna: EDB, 2017) 341-347.
(41) F. Cereda「サレジオ共同体計画。識別と共有のプロセス」『管区長とその評議会および養成委員長への手紙』、ローマ、2002年10月13日」GC25 72-74 のイタリア語版では「progetto comunitario」という表現が使われていて、英文では「community project」と表現されていますが、セレダの書簡では「community plan」と訳されています。しかし、GC25 72-74 は、共通のビジョンを描き、共通の目標を採用するように共同体に 呼びかけているのは明らかであり、単に(議題や年間カレンダーを決めるという意味での)プログラムに限った ことではありません。
共同体は企画性に基づいたメンタリティーをもって働く習慣を身につけます。
-会員たちの間で、共同体の計画について、共同・共有のビジョンを発展させ、一人ひとりが自分の能力や資質を発見し、ふさわしい価値を置くことができるように助ける。共同体は、長所と限界を持つ一人ひとりの会員を受け入れ、各自の役割や分かち持つ責任を決める。
-会員たちの日常生活から出発する共同体の歩みとして、計画を生きる。目的は、計画の最終的な達成だけでなく、特に、目的・価値・期待されることの継続的な評価を行うことによって、会員が共に暮らし働くことを実践することである。
-対話の時間(会員の集い、支部評議会)と、神のみ旨の識別(祈りの時間、Lectio Divina 聖書深読を通して神のみ言葉を聞くこと、教会と会の教えに依拠すること)を奨励し、管区の有機的組織的編成計画(POI = Progetto Organico Ispettoriale)との調和のうちに、各共同体は、共同体の計画の進展について、合意、立案、毎年の見直しを行う。
-特に次の側面について自問してみる。今日、支部共同体として、私たちはどのような存在でありたいか。支部共同体として、修道的・サレジオ的なあり方でどのように存在し、教育・司牧共同体を活性化し、福音的あかしとなれるか。共同体にとって、具体的にどのような結果が得られるだろうか。私たちは今、どのような選択を行わなければならないか。個人、共同体として、私たちにはどのような養成が必要か。(GC 25 73)
(42) 同上。
(43) FLC 32.
霊的な賜物を分かち合い、伝える方法はたくさんあります。すでに述べたもの(み言葉と神の経験を分かち合う、共同体の識別、支部計画)のほかに、兄弟的忠告、生活の見直し、その他の伝統に特徴的な形を思い浮かべるべきです。これらは、他の人のために奉仕する具体的な方法であり、共同体の構築と世界での宣教のために聖霊が豊かに与えてくださる賜物を共同体に注ぐ方法です。FT 13g (権威の立場にある人々は、生涯養成の道のりを共に歩むように呼ばれています。):
したがって、養成されることに対して、徹底して開かれた姿勢を保つこと、そして生活から学ぶ力を保つことは、権威の立場にある人々の責任になります。このことは特に、他者から養成されることに自分を任せる自由に関して、また一人ひとりが他者の成長に責任を持つために大切なことです。そのいずれも、共同体における成長の手段として、伝統によって受け継がれてきたもの、また霊的指導の分野でしっかりとして経験のある人々によって特に推奨されるものを活用することにより、促進されます。それは、みことばの分ち合い、個人・共同体の計画、共同体の識別、個人による生活の振り返りと兄弟愛をもって相手を正すことなどです。
(44)「権威は、交わりの奉仕以外の何ものであってはなりません。実際、兄弟姉妹の間で話し合い、関係する個々の人の話に耳を傾けることは、福音的な権威の奉仕を行うために不可欠な 機会となります。(NW 41)
(45)世界代表司教会議 第15回通常総会、「若者、信仰、そして召命の識別」 最終文書(2018)118と、注にある教皇庁国際神学委員会『教会生活と宣教における協議性』(2018年3月2日)9、64の引用を参照
(46) C 179、180、186 を参照。
(47) GC27 15、70.2、88c
(48)GC28招集の手紙の大3部で、アンヘル・フェルナンデス・アルティメ師が、ミッション・パートナーとの共有された使命を明確に強調していることを参照。(AGC427)
(49) C45、GC26 76、AGC 424
(50) サレジオ修道会の旅路についての説明と、GC27 28、69.7、およびそれ以前の GC21 と GC26 の要請による考察については、AGC 424 65-75 を参照のこと。サレジオの召命を生きる二つの方法を大切にするために、また、それぞれの会員が何者であるか を大切にするために、院長が心に留めておくべき基本的な指針については、MSD169-171 を参照してください。
(51) C 115:「初期養成の全期間を通して、学問だけでなく、わたしたちの使命の司牧活動にも重要性が与えられています。実地課程期間は、サレジオの教育と司牧活動をより深く生きた形で経験する機会を提供します。この間、若い会員は予防教育法、特にサレジオ的なアシステンツァを実践します。院長と共同体の支援を得て、彼は自分の活動と召命の基本的な価値観を統合することができる。(R. 86, 96参照)
(52) VC 44、FLC 63、NW 47 を参照。
(53) GC26 34, GC27 69.4.
(54) AGC 377 8. G.Basanes、2018 年 11 月 11 日の書簡(病人と高齢者の会員に宛てたもの)も参照。(55) この問題について、支部に送付されるべき手引きについて言及しているAGC 425 22-24を参照のこと。
(56) CICLSAL、「奉献・使徒的生活会省における資産管理のためのガイドライン」(2014 年)12 を参照
(57) CICLSAL「資産管理のためのガイドライン」10.
(58) VC 69-71、NW 16-35 SAC 15. を参照:
私たちが生きている時代は、もはや人生の一時期に限定されない、奉献された男女の養成の一般的な再考を求めています。それは、しばしば熱狂的なリズムで変化する現実の中に自分自身を挿入することができるようになるためだけではなく、さらに重要なことに、奉献生活自体が、その性質上、それに 召された人々の絶え間ない開放を求めているからです。実際、聖別された生活がそれ自体が「キリストの心にしだいに形作られていくこと」(VC 65)であるとすれば、そのような道は生涯にわたって続くものでなければならず、人類の利益のために御父にご自身をささげる御子に似せて、心、精神、思い、(マタ 22:37 参照)人間全体を巻き込んで、人を再養成しなければならないことは明らかであるように思われます。このように理解されるように、養成はもはや誓願の準備のための教育期間であるというだけではなく、それ自体が「御子の心の状態を形づくる御父の働きに参与する」終わりのない養成であるという、奉献生活の神学的な考え方を表しています。(VC 66)
このように、すべての奉献者が、あらゆる年齢と季節、あらゆる人間の環境と文脈において、あらゆる人とあらゆる文化から、自分の周りにある真理と美の断片から教えを受けることができるように、生涯を通じて学ぶ自由の中で養成されていくことが重要になります。しかし、何よりも彼らは、日常生活、自分の共同体、兄弟姉妹、日常的な事物、平凡なものと非凡なもの、祈りと使徒的疲労、喜びと苦しみの中で、死の瞬間まで、日々の生活によって養成されることを学ばなければなりません。
(59) FSDB の 12 章のほかに、AGC416 3-56 と、AGC425 25-37 に示されている指針も参照してください。
(60) GC25 49-54;GC27 7-8、36;AGC 425 25-37
(61) FSDB 543、553。FSDB 543 は、共同体における生涯養成を組織するためのいくつかの提案を提供している。
ここにあげるのは、共同体を真に生涯養成の場とするためのいくつかの方策である:
― 共同体の内に、個人と共同体全体の成長を促すような雰囲気と生活・仕事のあり方を創りだす:
・家庭的精神によって、共同体のメンバーは、他のメンバーたちと出会うように開かれ、人に耳を傾け対話する心構えを持ち、皆の体験をもとにしながら共に探求し識別する精神が創り出され、メンバーは毎日の体験を通して学ぶようになる;
・信仰と祈りの雰囲気は、内的な動機を強め、徹底した福音の道において、使徒的な寛大さをもってそれを生きるようにさせる;
・仕事そのもの、共同体と司牧計画、そして評価のあり方がよく調整されていることによって、サレジオ会員は、修道生活に対する自分の姿勢と自分の仕事のやり方を見直す過程に取り組むよう促され、生活と使命における質の探求に再び力を入れるよう励まされる。
― 共同体生活が提供するあらゆる機会、手段、側面を活用して生涯養成を促進する:
・黙想、霊的読書、ボナ・ノッテ、毎月あるいは三ヶ月に一度の静修、評価・参加・責任の共有を行う機会(特に共同体の日を含む)など、共同体での祈りの時(第23回総会222参照);
・管区共同体、また修道会全体とのコミュニケーション、そしてその両者から出される勧告、指針を受け入れる心構え
・情報、読書、今日の状況に即して整えられた図書室;
― 生涯養成のための年間計画を作成する;
― 振り返り、計画、評価を通して、またサレジオ家族のほかのメンバーたちと分かち合う取り組みを通して、養成が教育司牧共同体の中で共に行われるようにする;
—必要とする会員のために、刷新と新しい状況への適応のため、特定の企画やプログラム(取り組み、体験場、学習コースなど)に参加する機会を提供する。
(62)世界代表司教会議 第15回通常総会『若者、信仰、そして召命の識別 準備文書』(2018)34-35;57-58
(63) GC24 13、55、101、103、136-148;GC25 26、31、39、46、50、57、60、70、80;GC26 10、11、24、38、39、49、68、101、111;GC27 15、67、71;GC28の招集状、2.3.3「サレジオ会員と協働者の共同養成」、AGC 427 28-29。 また、GC27 の反省を解釈するための第 7 の鍵である「共有された使命の緊急性の中で協働者と共に」に関 する、GC27 閉会時のアンヘル・フェルナンデス・アルティメ総長の挨拶も参照してください。(AGC 418 128-129)
(64) FoR 133.
内容や技能や技術の習得にのみ焦点を当てた養成的なプログラムは不十分であることが示されています。私たちは、教育者が教育の仕事にその人全体と関わることの重要性をますます確信するようになってきています。コミュニケーション・スキルと教育は、教育者自身のアイデンティティーに深く根ざしたものでなければならず、真の人格的な旅の一部でなければなりません。すべての情報を持ち、最新の方法論や教授法を習得し、すべての資料と専門的なアプローチを持つことは可能ですが、それだけでは十分ではありません。サレジオの教育者の専門的な訓練のプロセスは、最終的には教育者自身のアイデンティティーと証しの賜物を発揮します。教育者は、若者が自分の人格的な成長の道を真似ることによって、若者が自分のアイデンティティーを示す模範となるのです。教育に奉仕する召命には、自分自身に問いかけ、自分の最も深い信念、動機、期待について問いかけられることを許容する能力が必要である。自己認識は恐怖を取り除き、自分のアイデンティティーを強化します。
(65) 『愛のよろこび』第七章「子どもの教育の強化」参照。
(66) GC25 54, 64, 65 および GC27 14, 51
(67) 2017 年 5 月 26~31 日にローマで開催された第 2 回国際セミナーで発表された「院長マニュアル」の改訂のための地域別データ集より
(68) 同上。
(69) 同上。
(70) この文脈で有用。BM XIII, 258; Lettere circolari di don Michele Rua ai salesiani (n. 26 of 1902)(Torino: Direzione Generale delle Opere Salesiane, 1965) 323-325; 院長に関してはGC21(cf. 46-57)をEPCに関しては. 63-67を参照。
(71) AGC 372 31; GC27 pp. 79-80.
■第3部
協働者と分かち合うサレジオ会使命と院長
~海辺の砂浜のように大きな心~
湖、舟、網…… ペトロが初めてイエスに呼ばれたのは、漁をしているときでした。そして復活された方が、同じガリラヤの湖で再び求めます。限界をもうけることなく、羊の群れを養うようにと。その群れに、私たちもすでに数えられていました(ヨハネ21章)。
分かち合われるサレジオの使命は、ペトロが招かれたときと同じ地平の広がりと神の国への信頼が求められます。神の国は成長し続けており、その中で、院長によって活気づけられるサレジオ会共同体は、若者をはじめ多くの人と共に歩む小さな道具にすぎません。その人々のうちに神の霊はおられ、教会の中で、また外で、絶えず働いておられます。
第7章 教育司牧共同体
113 .EPCとSEPP – 公会議後の考察の実り.
教育司牧共同体(EPC)とサレジオ教育司牧計画(SEPP)については、『サレジオ会青少年司牧の手引き』に詳しく提示され、解説されています。私たちが目指すのは、そこに述べられているすべてを繰り返すことなく、今日、院長とサレジオ会修道共同体が、EPCの中でサレジオの使徒的プロジェクトを遂行するよう呼ばれていることに光を当てることです。(1)
(1) FoR=Frame of Reference『サレジオ会青少年司牧の手引き』は、それまでのサレジオ会の方向性、指針の総まとめになっています。『院長とともに歩む共同体』のこの第3部にFoRの引用が多いのは、そのためです。
7.1 EPCと教育司牧計画
7.1.1 予防教育法の現代化
114. サレジオの使命の主体は教育司牧共同体
サレジオの使命の主体は教育司牧共同体です。会憲第47条は述べています:「わたしたちは、自分の事業の中に教育・司牧共同体をつくりあげる。この共同体は家庭的雰囲気の中で、青少年とおとな、親と教育者をその活動に参加させ、教会を体験させる場、神の計画を表すものとなる。私たちの仕事に参加する社会人は、この共同体の中で……独自の貢献をする。わたしたちは彼らの協力を受け入れ、促進するとともに、彼らがサレジオ会精神と予防教育法の実践について認識を深めることができるよう、機会を提供する。また、彼らの霊的成長を助ける……」
支部のサレジオ教育司牧計画(SEPP)を、管区のサレジオ教育司牧計画に調和させ、作成するのは、EPCの評議会です。(会則第4条)
SEPPとEPCは、特に第二バチカン公会議以降、会が行ってきた予防教育法の現代化における重要な要素です。SEPPとEPCは第21回総会で初めて提言され、第22回総会で会憲と会則の承認によって認可され、第24回総会でより詳細に定められました。
115.第24回総会‐公会議後のサレジオ会教導の中心、「交わりの教会論」へのカリスマにもとづく応答
題そのものが一つのプログラムを包含する第24回総会「サレジオ会員と協働者(=ライチ)‐ドン・ボスコの精神および使命における両者の交わりと分かち合い」は、公会議後のサレジオ会教導の中心にあり、第二バチカン公会議の「交わりの教会論」への、私たちのカリスマにもとづく応答です。この総会は、生み出されてきた最良のものを集めるため過去に目を向け、また考えと行動の新しい使徒的な、共同体的なスタイルを差し出すため、未来へと目を向けます。この新しいスタイルの二つの主要な要素は、使命にたずさわる人々(EPC) と、分ち合われる計画(SEPP)です。『サレジオ会青少年司牧の手引き』はこの二つに、非常に興味深い二つの章をあてています:EPCに関する第5章、そしてSEPPに関する第6章です。これらの章は、霊的、教育的な体験としての予防教育法に関する第4章と共に、私たちのカリスマの支柱を今日成すものについて述べています。
第24回総会のうちに結晶した刷新の根源は、すべてドン・ボスコのうちにあります。ドン・ボスコは、若者の教育と福音化の責任を担う人々の幅広い運動をおこしました。しかし第24回総会もまた、後戻りできない、新たな出発点、「現実の状況下にあって実践しうる唯一のモデル」(第24回総会文書 39)なのです。総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父が第28回総会招集の手紙で述べているように、残念ながら、第24回総会の受けとめは、第二バチカン公会議が提示した交わりとしての教会のモデルへの目立つ抵抗もあり、会の中でまちまちです。(最高評議会報427 23-31)
7.1.2 予防教育法に不可欠な文化受容
116.多様な現場で実現される一つの使命
予防教育法の現代化は、その文化受容にも関わることです。会は、世界各地で会員が働く現場の多様性の認識を徐々に成長させてきました。必ずしも、その認識が、すぐに会の考え方や言葉を形づくったわけではありませんが。
第24回総会文書の初めの部分のすばらしい言葉から始めましょう:
使命は唯一であるが、その実現には種々の形があり、その種類は、若者が暮らしている歴史的、地理的、宗教的、文化的状況ならびに背景の種類に対応する。
Progetto educativo pastorale salesiano(PEPS)〈サレジオ会教育・司牧計画〉は、あらゆる側面とあらゆる文化とにおいて、同一使命の歴史的な仲介と実践的な手段との役割をはたすものである。
従って、この計画は単に技術的な事柄ではない。それは、常に注意の目を向けるべき展望であり、カリスマの必要不可欠なインカルチュレーション(=文化的諸状況への適応)から要求される一種の文化的展望である。これはすべてのサレジオ会事業において、Comunita educativa pastorale(CEP)〈教育司牧共同体〉と呼ばれる共同体によって検討され、実践されるのである。この共同体は、若者、とりわけ、より貧しい若者を福音化するために共に働く人々の集団である(若者とおとな、両親と教育者、修道者とライチ、他の宗教界および民間の諸施設の代表者たち、また、他の諸宗教の信徒たち、善意の男性、女性)。(GC24 5)
サレジオ会のカリスマは、世界のために教会の中で起こされたものであるから、若者と庶民層に奉仕するため、能力を発揮するために、種々の文化的状況に「受肉」すべきである。サレジオ・カリスマはさまざまな文化と出会うことによって、自らの活力を発揮することができるし、新しい、また、他を富ませる諸特徴を身に着けることができる」(GC24 6)
117.『サレジオ会青少年司牧の手引き』が語る予防教育法の文化受容
第24回総会によって開かれたこの窓は、『サレジオ会青少年司牧の手引き』の中で取り上げられ、さまざまな形で確認されています:
・サレジオの使命は一つ:福音宣教と教育から成る使命です。満ち満ちた人生、人間の幸せはすべての人のための神の計画であること、すべての人の召命は、愛すること、自らを贈りものとすることであると、確信しつつ。(FoR59, 61; シノドス2018「作業用文書」参照)
・この使命は、多様な文化、宗教的伝統の中に受肉させることができます。実際、予防教育法は、世界のさまざまなところで、多文化、多宗教の状況の中に受肉されてきました。(FoR 87)
・EPCは、私たちの教育と司牧の活動の主体であり、対象です。(FoR 116)
・EPCは、新たな構造 あるいはただ単に私たちの事業の組織というよりも、サレジオ的な活気づけの方法です。教育は、共同体の中で、意味深い人間関係のネットワークの中で行われるという事実を認識するものです。(FoR 117)
・EPCは、同心円から成る共同体です。若者が中心にいて、サレジオ会修道共同体、家庭、さまざまな役割の協働者、サレジオ家族のメンバーがその中に含まれます。(FoR 118)
・EPCは、教会の生きた体験です。予防教育法は一人ひとりのためでありながら、同時に、深く共同体的です。『サレジオ会青少年司牧の手引き』の実現における第一の鍵は共同体であり、本物の交わりはそれ自体、教会の体験です。(会憲第44‐48条;会則第5条;FoR 116)
118.SEPP:サレジオのカリスマと使命を文化受容させるための具体的な道具
明らかに、EPCは特定の地域における、教会の生きた体験です。すべての人に開かれ、すべての人‐地元の教会、青少年の善益のために働く同じ地域のすべての人‐と協力して働く共同体です。EPCは、キリスト教が大勢をしめる社会、かつてキリスト教だった社会、多宗教、多文化の社会の中に存在します。場所によって、協働者のほとんどがキリスト教徒のところもありますが、ほかの文化や宗教に属する人々がかなり多く共に働いているところもあります。(FoR 121)
第24回総会文書 184にこのようにあります:
私たちは諸宗教に帰依しているライチを、種々の状況および文化に適用可能な教育計画において私たちに協力してくれるよう招き入れることができる。「ドン・ボスコの教育法の原点である宗教的超越性の側面は、すべての文化に適用可能であるばかりでなく、キリスト教以外の諸宗教にも効果的に適応可能なのである。」(『青年の父 Iuvenum Patris』11)
「そのような地(=福音が初めて届く諸地域)においてこそ、カトリック教会に属していないライチと共に効果的に働くことが可能なはずである。しかし、そのための必要条件は、ドン・ボスコの体験を十全に生き抜くすべを知り、また、予防教育法と使徒的精神の両方を十全的に再提示するすべを知ることである。」(第24回総会へのヨハネ・パウロ二世のメッセージ)
そうであるなら、EPCは、あらゆる個別の状況において教会の存在であり、愛の共同体である祝された三位一体を反映する交わりの体験です。
第21回総会は、「私たちが働くさまざまな場の、働き手、内容、目的、スタイル、手段に関して」(GC21 14)、予防教育法の見直しと現代化を呼びかけました。それは1986年の「院長の手引き」が、「予防教育法の現代化によって」(サレジオ会院長の手引きMSD 109~)使命を達成しようという呼びかけのうちにこだまさせたものです。先に見たように、第24回総会は、SEPPがサレジオのカリスマと使命の文化受容、状況適応のための、歴史的仲介、実践的な手段であると宣言します(GC24 5)。このことは、管区SEPPについて言えることですが、支部SEPPについては、さらに確かなこととして言えます。多様なメンバーを擁するそれぞれのEPCで作り上げられるからです。
119.文化受容とデジタルの世界
今日、最も急を要する文化受容は、世界規模で広がる、遍在的、横断的なデジタル文化に関わるものです。
第27回総会は、この分野で積極的に関わるよう、強い呼びかけを行っています。(2) 若者、信仰、召命の識別を取り上げたシノドスでも、同じ呼びかけがなされています。(3)
(2) 第27回総会文書(GC27)62 ; 25および75も参照.
(3) 第15回通常シノドス司教総会, 若者、信仰、そして召命の識別:最終文書 21-24; 145-146. 『キリストは生きている』(CV)86-90も参照.
これに効果的に応えるには、よいネットワークを作り上げなければなりません。EPCは、デジタル世界が差し出す計り知れない可能性を評価しながら、インターネットで高度に結ばれたこの時代の挑戦に対し教育と福音宣教の意味深い応答を生み出す場の一つであるに違いありません。
EPCは、管区共同体の中で、サレジオ会地域レベル、地域を超えたレベルで、サレジオ家族の中で、教会や超教派のさまざまなグループとの、若者の教育、福祉に関わるほかの団体との、積極的で実り豊かな体験の分かち合いのうちに、助けを見いだすことができます。ドン・ボスコは、「できるかぎり多くの霊魂を救うため」、さまざまな人々の建設的な力を集めることに大変長けていました。ドン・ボスコの模範は、「創立者の創造性と均衡にならい、時代の変化に即して行動し、その動きと取り組む」(会憲第19条)よう私たちを促します。
7.1.3 EPC評議会と事業の評議会
120.EPCと事業の評議会
いくつもの活動部門を持つ複合的な事業ではEPCが複数存在しえます。EPCが一つだけなら、評議会は一つです。EPCが複数あればそれぞれに評議会があり、その代表から成る、事業の評議会が設けられます。
事業の複雑さが増すと、それに応じて院長の役割も複雑になることは想像に難くないでしょう。さらに、さまざまな部門の長として協働者がいる場合、その人々はしばしば非常に有能で専門性に優れていることがあります。そして、実際の責任の共有は、院長の人柄やその文化における一般的な権威モデルを含む、ほかのいくつかの要素が合わさって機能します。
明らかに、真剣な養成の努力が必要です。それにはサレジオ会員と協働者ミッション・パートナーの合同の養成も含まれ、個人的、あるいは文化的な要素の影響を少なくするためです。しかし、第24回総会が賢明にも求めたように、EPAの評議会、事業の評議会における院長の固有な役割を正確に定義することも、その助けになるでしょう(GC24 161)。支部のサレジオ会共同体との対話のうちにその定義を行うことは、管区長と管区評議会の務めです。(GC24 169)
・院長は、院長養成の管区の取り組みに参加する。
・予防教育法の文化受容と状況への適用の手段としてEPCとSEPPを理解するため、支部の評議会と共に、またEPCの中で、『サレジオ会青少年司牧の手引き』を研究する。
・院長と支部評議会は、置かれている状況がキリスト教的なものであれ、かつてキリスト教的だった社会、あるいは多宗教の社会であれ、開かれた心、対話、創意工夫の精神をもってEPCを促進する。
・EPCのメンバーは、今日における文化受容のために、デジタル世界に生きることを学ばなければならないことを忘れない。若者と共に歩むための、また福音宣教のための肥沃な土地として、デジタル世界を活用するためである。
7.2 EPC の中のサレジオ会修道共同体
7.2.1 活性化の中核
121. 活性化の中核の構成
会則第5条は、サレジオ会修道共同体がEPCの活性化の中核であるという趣旨を述べています。他方、第25回総会は次のように指摘します。「教育・司牧共同体の活性化の中核には、ますますサレジオ会員以外の人々(若者、ライチ、サレジオ家族のメンバー、地域教会や地域社会からの代表者など)が参加するようになっています。彼らは私たちの霊性と使命を共に分かち合い、活性化に取り組んでいます。」(GC25 70)そして続けて、サレジオ会共同体は活性化の中核と同一ではないものの、EPCの活性化の中核の重要な部分を成し、そのカリスマの拠りどころであると述べています。(4) これは、J. E.ベッキ神父が1998年の書簡「一致の交わりのための専門家・あかし人・職人 サレジオ共同体‐活性化の中核」で次のように述べ、活性化の中核の理解を広げたことを承認するものです:
(4) GC25 70, 78. FoR 125-126, 275.
「活性化の中核」と言うとき、それは何を意味するのでしょうか。それは、サレジオの使命、教育法と霊性に自らを一致させている人々のグループであり、その人々は一緒になって、ある仕事に関心を持つすべての人を集め、動機を与え、巻き込んでいく、という役割に取り組みます。そのようにして、人々と共に教育共同体を形成し、若者の福音化と教育の計画を、実行に移すのです。(5)
(5) 最高評議会報363 I.2, サレジアニタ第47号,これについてGC25 79, 注49に言及あり.
『サレジオ会青少年司牧の手引き』は、あらゆる教育・司牧共同体において、サレジオ会員も、協働者も‐若者とその父母を含めて‐皆がその活性化に参加する、しかし、一部の人々は、すべての人が貢献できるように促し、活性化の質と連携調整に配慮し、サレジオのアイデンティティーと、教育、福音宣教の質に特別に注意を払う固有の役割を負う、と説明しています。その人々が、EPCの活性化の中核を構成します。(FoR 125)
122.EPCが良く機能するために鍵となるもの
EPCが良く機能するために鍵となるのは、活性化の中核‐あるいはEPC評議会‐です。したがって、この中核の霊的な質、良い教育ができること、司牧への情熱を保証することが重要です。活性化の中核の質に何らかの変化があれば、EPC全体が変化し、やがてその変化は周囲に、そして部分教会に及びます。(6)(6) これは「草の根から」の原則として知られています:身近なより複雑でないレベルで変化を起こし、より高い、複雑なレベルでの変化を促します. 参照 M. Vojta., Progettare e discernere. Progettazione educativo-pastorale salesiana tra storia, teoria e propste innovative (Roma: LAS, 2015) 281.
さまざまな困難に直面するときも、事業を健全に運営するために、EPCの評議会が良い働きをするよう必要な注意を払うことが、実に決定的なこととなりえます。EPC全体で計画を立てることができない場合、活性化の中核の人々で、あるいは参加できる人々だけでも計画を立てることができます。事業全体としてSEPPを実施できない場合、より小さなグループで人の成長を助けるような学びのプロセスを作り出すことはいつでも可能です。(7) 最後に、養成は活動を通しても行われるということを覚えておくとよいでしょう:「分かち合いと共同責任とに向けて自己を養成し、他者を養成するための、第一の、そして、最良の方法は、CEPを正しく機能させ、運用することである」(GC24 43)。要約すると、適切なリズムをもって働き、会合で集いながら、考え、評価を行い、計画を立てることのできる、安定し、良く養成された活性化の中核が、EPCの働きの鍵になります。
(7) Vojta. 314.
7.2.2 サレジオ会共同体と事業のさまざまな関係
123.多様な状況
しかし、私たちは、「共同体と事業の関係」に関しては、さまざまな状況を前にしています:
A. サレジオ会共同体と協働者の合同の働きにゆだねられた事業
B. 管区の指導の下、協働者にゆだねられた事業(8)
(8) 最高評議会報363 p.9-10. ベッキ神父が活性化の中核を形作る二つの可能な方法について語っているのは興味深いことです。一つは奉献されたサレジオ会員と協働者で構成されるもの、もう一つは協働者のみによるもので、後者は「補助的」とされています:
私たちがここで扱う活性化の中核のタイプは、再配置や規模変更のための管区計画を実施に導くようなもので、会員の人数・質共にそろったサレジオ共同体の存在があり、何人かのライチと共に、教育共同体とプロジェクトを活性化するというものです。それには、会員の人数や役割によって、さまざまな実施スタイルがありえます。
もう一つのタイプ、すなわち、活性化の中核を直接的に構成するのがライチだけの場合は、補足的なものです。それは、人員や取り組みに関する特定の問題を解決するための一つの可能性であり、常に「サレジオ会の中核」を、導きを受ける規範、支えとしています。(最高評議会報363 1.2, サレジアニタ47号)
すでに述べたように、第25回総会はベッキ神父による活性化の中核の拡大理解を確立させ、承認しましたが、事業・活動の種類については述べませんでした。(GC25 70, 78-81)
代わりに、第26回総会は、活性化の中核の拡大にはなぜか目を向けていませんが、次のことを認めます (a) 「より幅広い教育司牧共同体のアニメーションの中核であるサレジオ会共同体によって運営される事業」;(b)「第24回総会文書180-182に示される規範に従い、サレジオ会から協働者に全面的にゆだねられ、管区計画のうちに認められている活動」;(c)「単一のモデルに還元することのできない運営の多様なモデルで、支部共同体と事業の結びつきは保たれながら、事業(あるいはその一部の部門)が協働者によって運営されているもの」(GC26 120. FoR 126-127, 273-280)
「サレジオ会員のみ」で構成される第三のモデルがないことに留意することが大切です。それは第二バチカン公会議以前、唯一可能なモデルでした。
A.サレジオ会共同体と協働者の合同の働きにゆだねられた事業
124.活性化の中核の中のサレジオ会共同体
サレジオ会修道共同体と協働者の合同の働きにゆだねられた事業では、共同体はEPCの活性化の中核の重要な部分を成し、その司牧的アイデンティティーを指し示すモデルになります。サレジオ会共同体は修道生活のあかしを差し出し、若者と共にいることによってサレジオのカリスマにおけるアイデンティティーを守り、家庭的精神を促進し、SEPPの作成に参加します。交わり、参加、協働を促進します。霊的、サレジオ的な養成、召命の養成に主要な責任を担います。(GC24 159)
このようにドン・ボスコの精神と使命を協働者と分かち合うことは、私たちのカリスマの発展における新たな段階です。このことから、サレジオ会修道共同体がEPCにおける自らの比較的新しい役割について考察し、これを十全に引き受ける必要が生じます。サレジオ会共同体は、特にEPCがまだ根づいていないところで、協働者を司牧において、霊性において養成する務めを引き受けながら、事業の責任を占有し協働者が補助的な存在にとどまることから、積極的なミッション・パートナーとしての協働者と効果的に責任を共有する方向へ移行するよう、呼ばれています(FoR 274-275)。そのとき、ピラミッド型の権威の構造からより参加型のスタイルへの重要な移行が起こります。参加型のスタイルにおいては、人と人の関係や過程の歩みが最も大切になります。さらに、EPC/事業の評議会の自律性が保証されなければなりません。これは会憲第124条によく表現されている補助性と権限分散の原則に従うものです:
いかなる種類と段階の権威であっても、下級の機関や個人がそれぞれの管轄内で決定し、実施できることがらは、彼らの創意にまかせる。こうして個人も共同体も生かされ、実行への意欲が高められる。
補助性の原理は権限の分散を要求する。こうして、一致が確保されるとともに、種々の統治機関におけるそれぞれの権限の適正な自律と公正な配分が可能となる。(9)
(9) PL 893-895の解説 参照
125.管区がサレジオ会共同体とEPCの関係を定める
サレジオ会共同体と事業、あるいは事業の諸部門との関係の具体的な形は、単一のモデルにとどめることはできません(GC26 120)。『サレジオ会青少年司牧の手引き』は、場合により管区が事業におけるサレジオのアイデンティティーと連携調整の責任を担うことを勧めます。その一方、しばしば少人数になっている支部共同体は、第24回総会文書、164項に示される規範に従い、可能な場合はサレジオ家族のメンバーと協力して働く、司牧アニメーター、スタッフの養成と同伴の担当者として、サレジオ会員を任命することができます(FoR 279)。あらゆる場合に、サレジオ会共同体と事業の関係について正確に、また院長の権威について、管区および支部のSEPPに明文化します。
こうして、それぞれの管区は、その社会環境や多様な現場、事業にしたがい、指針を状況に適用しながら、サレジオ会共同体とEPCの、可能な最良の協働に寄与する方法を特定し、企画します。支部評議会とEPCの評議会の関係;院長と、事業所長、校長、部門責任者、そのほか重要な役職を担当する人々との関係;管区諸部門担当者と支部のアニメーターとの関係について、指針となる原則が示されなければなりません。
管区長の支部訪問の際、事業に関わるさまざまな人や部署の正当な自律への十全な尊重のうちに最良の協力を促進するため、具体的な覚書をまとめることができるでしょう。
・サレジオ会共同体は、EPCの活性化の中核における自らの役割を果たすため、考察、振り返りによって、会の関連する文書や指針(第24回総会文書、『サレジオ会青少年司牧の手引きFoR』など, また管区、支部のSEPP)の内容を吸収することによって、自らを養成する。
・院長と支部評議会は、管区長・管区評議会と協力し、支部の活性化と統治のモデルを打ち出す。その中で、EPC/事業の評議会の構成の規範を示し、事業における各部署およびサレジオ会共同体のそれぞれの権限を規定する。
・院長は会員に、EPCのさまざまな歩みに同伴することを奨励する。
・管区長と管区評議会は院長に同伴し、各支部共同体のEPCとの具体的な関係に則して、院長を支える。
・青少年司牧、養成の管区責任者は、それぞれの管区委員会と共に、教育・司牧にたずさわるさまざまな支部共同体と連絡を取りながら、院長の養成、またサレジオ会員と協働者合同の養成のために、ふさわしいプログラムを準備する。わるさまざまな支部共同体と連絡を取りながら、院長の養成、またサレジオ会員と協働者合同の養成のために、ふさわしいプログラムを準備する。
B.管区指導の下、協働者にゆだねられた事業
126.協働者のみで構成される活性化の中核
第26回総会は「第24回総会文書180-182に示される規範に従い、サレジオ会から協働者に全面的にゆだねられ、管区計画のうちに認められている活動」について語っています。この場合の二つの不可欠な条件は、(1). サレジオの活動のアイデンティティー、交わり、意義の規準が満たされること;(2).管区長と管区評議会による同伴です(FoR 279)。事業は、どのサレジオ会支部共同体とも直接の結びつきがなく、活性化の中核は協働者のみで構成されます。「修道共同体のないところのサレジオ会事業の協働者には、可能な方法で、運営、管理への、また活性化の中核が担うあらゆる役割への、真の参加と責任を持つことが保証されなければなりません。」(FoR 126)
この場合も、管区長と管区評議会がその事業の活性化と統治のモデルを定め、サレジオ会共同体が存在する場合と同様の形で、そのために任命された会員の助けを得て、また年毎の管区長公式訪問を通して、活性化と統治を行います。(詳細はFoR 280参照)
・管区長または任命された会員は、青少年司牧責任者、養成責任者の助けを得て、EPC評議会の設置とSEPPの作成をフォローし、これに同伴する。
・SEPPは、協働者である事業の長、管区担当者、EPC評議会、管区評議会の相互の関わりのあり方を示す。
・さまざまなレベルにおけるEPCのメンバーのサレジオのアイデンティティーへの養成は、SEPPが定めるさまざまな歩みに含まれ、その事業への管区担当者は、その養成を丁寧にフォローする。
7.3 サレジオ会共同体:EPCにおけるカリスマの基準点
127.サレジオ会修道共同体:カリスマの基準点
サレジオ会修道共同体は、どこであろうと存在する場所で、活性化の中核のメンバーである協働者と事業の責任を常に共有すると、私たちは述べてきました。しかし、そのような状況におけるサレジオ会共同体の位置と役割とは何か、と問うことができるでしょう。修道共同体が、今日、教育と使徒的使命への情熱を分かち合う協働者にもたらすよう呼ばれている固有のものとは何でしょうか。今日、サレジオ会員が決定的な、間違いのない有能さを発揮しなければならないサレジオ会員本来の専門的資質とは、何でしょうか。第25総会はとても明快な答えをくれます。『サレジオ会青少年司牧の手引き』に次のようにあるとおりです:
(GC25 70)(10)
(10) FoR 126. GC25 78,80も参照
128.院長、カリスマにおけるアイデンティティーの守り手
修道共同体の中で、院長は「……使徒的活動……の第一の責任者」(会憲第176条)であり、「共同体が使徒的計画を実施するにさいして、会員が一致と忠実を保って行動するよう、共同体の行う司牧上の識別を指導」(会憲第44条)します。続いて第24回総会は、院長を、管区長と共に、ドン・ボスコの精神と使命を協働者と分かち合うためのととらえています。(11)「サレジオ会院長は、EPCの第一の責任者として、アニメーターたちを活気づけ、事業の全体的な一致を守ります。」(FoR 275)このように院長は、特別な意味で、EPCのカリスマにおけるアイデンティティーの守り手としての責任を担うのです。
(11 )GC24 172; 169-171参照
129.院長は権威の新しいあり方を促進する
院長は、使徒的活動と共同体の資産の管理のため、またEPCのため、自らが第一の責任を担っていることを意識します:「忍耐深い探求の後にではあるが、最終的かつ決定的な言葉を発するのは院長の権限である。とはいえ、これは常に評議会の話し合いを経てのことである。」(GC24 172)しかしまた、自らが、第24回総会文書(107-148)の4つの言葉に要約される権威の新しいあり方の促進者であることも知っています。
4つの言葉とは
・参加の輪を広げる
・共同責任を促進する
・コミュニケーションの最良の活用を図る
・養成の質を高めです。
130.サレジオ会員の召命の特徴であるアニメーターの活気づけ
第24回総会は、サレジオ会員一人ひとりがアニメーターであると述べました(GC24 159)。ベッキ神父は言います。「したがって、ドン・ボスコの使命と霊性とに関わる人々による活動を活性化する者であるということは、特定の場合に付け加わる役割のようなものではありません。それは、奉献されたサレジオ会員あるいは共同体の、アイデンティティーの一部を形成する召命の特徴であり、司牧的実践の主要な部分なのです。」(最高評議会報363,サレジアニタ第47号,p.134)したがって、サレジオ会共同体にとり、活動の第一の目的はEPCであり、第一の奉仕は、霊的、サレジオ的な活気づけです。「私たちは、ふさわしい方法によって、教育者や協力者のグループに発展性をもたらすために呼ばれているだけでなく、『教会の体験』を呼び起こすため、召命という現実を呼び起こし発展させるために呼ばれています。それは、ただ単に、私たちの手元にある、たとえば信徒の人材のような、人的・物的資源をよりよく活用するという問題なのではなく、信仰とサレジオ霊性を伝えることなのです。このようにして、活性化は、私たちの使命の主要な部分、そして私たち独自の一致の交わりの生き方となります。」(最高評議会報363、サレジアニタ第47号、p132)
7.3.1 霊的活性化
131.福音宣教の専門家
私たちは奉献生活者として、教育的な環境・教育が行われる場で霊的アニメーター、または福音宣教の専門家であるよう呼ばれています。アニメーターとしての私たちの働きかけは、ただ文化的、社会的なものにとどまらず、スポーツや遊びを活気づけるだけのものでもありません。それは、主の霊に従って活気づけることです。「そのため、最高の知識はイエズス・キリストを知ること、最大の喜びは、キリストの神秘の測り知れない富をすべての人に示すことである。」(会憲第34条)
ここで「霊的」というとき、それは意味を限定することと捉えるべきではなく、活気づけのほかのすべての側面を、ある視点のもとに統合することです。したがって、霊的活気づけは、私たちの事業の司牧の質に配慮します。教育と福音宣教が相互に浸透し合うように配慮するのです。
私たちは自らの霊性を、確信をもって生き、喜びあふれる発露によってそれを表現しなければ、霊的アニメーターにはなれません。信仰を自らの存在の大いなる源泉として生きるのでなければ、信仰を伝えることはできません。「霊的刷新と司牧刷新は、互いに浸透し合い、依存し合う二つの側面である。」(第23回総会文書 217)
132.分かち合われる聖性
「ライチの、そしてライチと共にある養成の目的は、聖性を分かち合うことです。」(最高評議会報363, サレジアニタ第47号, p.139)第24回総会は思い起こさせます。「…ヴァルドッコにおいて特別な雰囲気がかもしだされていた…。すなわち、聖性は共に築きあげられ、分かち合われ、相互に伝達され合って存在しており、そのため、一方の人々の聖性は、もう一方の人々の聖性を抜きにしては説明不可能であった。」(GC24 104)
133.祈りの教育
霊的活気づけを行えることの前提となるのは、祈りの体験です。祈りは、キリストと共にあることの味わいと使命の意味を、取り戻させてくれます。共同体は健全な祈りの生活によって、「キリストとの親しい関係に導くような祈りの教育を打ち立てる」ことができるようになります。それは単発的な体験を提供することからさらに進み、「霊性の道における、同行の友、信頼性ある証人、リーダー、水先案内人」(最高評議会報363, サレジアニタ第47号, p.138)になることです。
教会は、奉献生活者に次のように期待しています。「すべてのキリスト者が抱く完徳への望みを促進し支える手段として、今日ほど、奉献された人々が聖性への願望を新たにすることが必要とされている時はありません。……奉献された人々は、神との親交の深まりに応じて、……有益な霊的活動をとおして、兄弟姉妹をいっそう助けることができるようになります。」(『奉献生活』 39)
キリスト教の環境では、院長と共同体は、次の重要な要素に注意が払われるように計らいます:信仰の体験、「個人の生き方の計画」、召命の動機、牧者の愛、使徒的献身、教会の感覚、教皇への忠実、教会の使命の感覚、秘跡を生きる生活、祈りにおける成長、一人ひとりが聖霊から頂いたカリスマ・賜物の識別、教会とサレジオの召命におけるマリア、など。院長と共同体は、若者と協働者が私たちの祈りに参加することを、彼らを祈りに導き入れ、祈りの味わいを体験させる意味深い方法としてとらえます。
134.霊的同伴
院長とサレジオ会共同体は、霊的同伴に特別に心を配ります。院長と共同体は、私たちの伝統に照らし、またシノドス「若者、信仰、そして召命の識別」に力づけられ、共同体と個人の同伴の生き生きとした補完性を促進します。この奉仕を進んで提供し、この奉仕に備えるため、自らと協働者を養成します。(12)『キリストは生きているChristus Vivit』は、第8章を召命に、第9章を識別にあて、若者に同伴する人のために重要な指針を提供しています。(『キリストは生きている』242-247参照)
(12 )世界代表司教会議シノドス第15回通常総会, 若者、信仰、そして召命の識別:最終文書, 95-97.
135.キリスト教でない、あるいはかつてキリスト教であった環境で
大多数がキリスト教でない、あるいはかつてキリスト教であったけれども現在はそうでない社会では、EPCの霊的活気づけには、特別な創意工夫と勇気ある大胆さ(parrhesia)が求められます。これは私たちの奉仕職の文化受容の領域の一つです。その際、第24回総会が示したように、予防教育法が規範、土台になります:「神を受け入れない人々に対しては、私たちは予防教育法の中に現存している人間的諸価値および世俗的価値に基づいて、彼らと共に歩んでいくことができる。神を超越者と認める人々に対しては、更に進んで、宗教的諸価値の受容を勧めることができる。また、教会に対してではなくキリストに対する信仰を私たちと共有する人々に対しては、私たちは福音の道をさらに効果的な仕方で歩んでいくことができる。」(GC24 185)院長とEPCによる霊的、司牧的活気づけの、文化受容され環境に適応させた奉仕職の土台となるのは、人間的価値、宗教的価値、福音的価値です。
重要なことは、すでに述べたように、EPCのキリスト者が自らの召命に、またサレジオのカリスマにのっとり教会の福音宣教の使命に、忠実に生きることです。(GC24 183-185)
136.アニメーターのアニメーターである院長
アニメーターのアニメーターである院長は、キリストとの絆をあらゆることのうちに、あらゆる場で表し、単純な、謙遜なしかたで活気づけを行います。院長は、兄弟会員、協働者、若者を自分に託しているのはキリストであると意識します。自らの弱さや限界をよく認識しながら、また前もって計らい、包み、支えてくださるイエスの愛への大きな信頼をもって、院長職を遂行します。院長は何よりも、識別の人です。教皇フランシスコの教導職の重要な要であるこの賜物は、今日ますます必要となっています。多様な状況、それぞれの類ない人生の物語やニーズを持つ多様な人々を、私たちは前にしているからです。EPCの活気づけにおいて、おそらく識別が、院長の最も重要な資質であると言えるでしょう。
7.3.2 兄弟愛の預言
137.交わりの中心性
交わりよりもむしろ競争が支配的な枠組みであるグローバル化したナルシシズムの文化の中で、惜しみない心で生きる兄弟愛は、まさに「預言」となります。「真の交わり、分かち合い、共同責任のうちに働くサレジオ会員と協働者のグループによって活気づけられる教育、司牧の事業は、兄弟愛の生きた預言、実現している交わりの教会の輝かしいしるし、そして事業のすべての受益者:子どもたち、思春期の若者、青年、家庭、部分教会の光となる教育的な道しるべです。」(13)交わりは宣教へと至り、それ自体、宣教となります。(『奉献生活』46)(13) Rossano Sala, “Il segno della Comunita Educativo-Pastorale. Profezia di fraternita nello spirit e nella missione salesiana oggi”, Fare de ogni Cep la casa e la scuola della comunione. Atti Convegno Nazionale sulla Comunita Educativo-Pastorale, Salesianum . Roma, 16-19 febbraio 2017 (Roma, 2017) 66-67.
交わりに決定的な貢献をもたらすのは、サレジオ会共同体のあかし、また交わりの人であり交わりの価値の重要性を深く確信する共同体のリーダーです。修道共同体はconfessio Trinitatis三位一体の告白、signum fraternitatis兄弟愛のしるしであり、教会における交わりのしるしです。私たちは召命によって、EPCのうちに交わりを生み出し保たせるよう呼ばれている者なのです。
したがって院長は、共同体に助けられながら、EPCの中の、また若者の善益に貢献するすべての人の間の、一致と家庭的精神を促進します。院長は、自分と同じような考え方を持つ人、あるいはほかの理由で自分に近い人の小さなグループをEPCの中に作る誘惑を退けます。共同のプロジェクトを中心とする一致、事業のさまざまな部門の連携、良い人間関係、多様性における一致、サレジオ家族の参加に配慮します。
院長は、交わりの教会のイコンであるマリアに目を向け、多様性を統合するだけでなく、多様性を祝うことのできる、交わりの専門家となります。
・サレジオ会共同体は院長に導かれ、EPCを活気づける存在としての自らの質について、定期的に評価を行う。
・サレジオ会共同体は、祈りの教育の機会を設ける。共同体の祈りに若者と協働者を招くことによっても。
・共同体と個人の霊的同伴に、特別に配慮する。その奉仕のためにサレジオ会員と協働者の両方を養成することによっても。
・EPCのうちに家庭的な人間関係を促進し、その「兄弟愛の預言」の質の定期的な評価を行う。
・EPCの司牧の質に注意を払い、メンバーの養成の機会を確保する。特に『サレジオ会青少年司牧の手引き』がその助けになる。
・院長は、権威の新しいスタイルを生きるための自らの養成に高い意識をもち、管区などが提供するあらゆる機会を活用する。
7.4 サレジオ会共同体とSEPP
138.計画性のあるメンタリティー
教育司牧計画の作成は、第23回・第24回総会の指針を実施に移すために打ち出された司牧奉仕の「モデル」の一環を成しています。(14) 計画の作成は、管区レベルでも、支部レベルでも行われます。「管区共同体と同様に、支部共同体も、明確な計画性のあるメンタリティーをもって活動するよう呼びかけられています。目を向けるべき優先的領域を特定し、事業のさまざまな部門における人々の生活と活動を方向づける基本的な選択を行うよう、共同体を導くメンタリティーです。」(FoR 268)
(14 )参照 最高評議会報363 p.4-7. モデルにおけるそのほかの要素は、EPC, 活性化の中核, 若者の状況やメンタリティーについての知識です。
139.支部のSEPP
計画性のあるメンタリティーは、教育司牧共同体の中で教育司牧共同体によって作り上げられたSEPPのうちに具体的に表れます。私たちの司牧事業は、まず支部のSEPPに依拠します。「SEPPは、事業のすべての部門、領域における青少年司牧の指針を示します。SEPPは、サレジオの教育司牧計画を特徴づける4つの次元を結び合わせ、明確化します。」(FoR 268)SEPPの第一の目的は、共通の考え方と明確な基準、目標をもって働くよう支部共同体を導き、さまざまな司牧の歩みを共同で運営できるようにすることです(FoR 145)。その全体の説明は、『サレジオ会青少年司牧の手引き』の第6章にあります。
140.院長とその評議会の責務
同文書によれば、サレジオ会共同体が協働者と共に事業の運営にたずさわる所では、「院長と支部評議会は事業の統治と司牧的活性化の主要な責任を担います。青少年司牧の連携調整と運営の基本的な責任が、その手にゆだねられています。人々を参加させ、優先事項を特定し、手段・資源を配分し、振り返りを率先して行うことへ向かう歩みを、院長と支部評議会は促進しなければなりません。」(FoR 268)責任の真の共有は、7.2.2に述べられている権限の移譲と非中央集権化の原則に従い、管区が定め支部SEPPに明文化される支部統治のモデルのうちに具体化されます。
141.サレジオ青少年司牧の全体性を保たせる
院長は支部評議会と共に、サレジオ青少年司牧のさまざまな次元がSEPPの中にあることを確認します:
・信仰教育の次元:私たちは若者のありのままの現状から出発し、イエス・キリストのうちに見いだされると信じる、満ち満ちた豊かないのちと愛に向かって共に歩む。
・教育、教養の次元:若者の持つあらゆる人間的資質の成長を促し、生きることの意味に心を開くよう若者を助けることである。
・グループの体験、社会性の体験の次元:若者にとって、コミュニケーションの意味を発見し大切にする助けとなる体験である。教会はコミュニケーションのしるしであり、秘跡である;
・召命の次元:神が計画された美しいものへとこの世界を変容させることを目指して、それぞれの人生の計画を見いだすため、一人ひとりの若者と共に歩むことを意味する。
さらに院長は、『サレジオ会青少年司牧の手引き』が示すように(FoR 163-173)、あらゆる部門に横断的に関わる教育的、司牧的な働きに注意を払う:
・使徒的召命の活気づけ:教会における信徒、修道者、司祭としての召命のしるしの見られる若者のために同伴を確保する。(会則第9条)
・宣教の活気づけ:すべてのキリスト者、すべての共同体の、本来の生き生きとした活力として。(15)
(15) 参照 宣教部門、養成部門, ドン・ボスコのサレジオ会員の宣教への養成(2014)
・広報:広報は私たちにとり、単なる教育の手段にとどまらず、活動の重要な分野であり、サレジオの使命の使徒的優先事項の一つである(会憲第43条)(16)。院長はデジタルの世界に特別に目を向けます。それが今日の若者のアイデンティティー、また若者の生き方の非常に重要な部分であり、人間論的、文化的に深い影響を与え、善にも悪にも向かいうる、大きな可能性を持つからである。
(16 )参照 広報部門, サレジオ会広報システム(2011)
142.計画性のメンタリティーを強める
計画性のメンタリティーがまだ根づいていないところでは、院長はまず、計画が必要であることを確信するようEPCを導きます。ここで、次の点が役に立ちます:
・SEPPは、それぞれの環境に予防教育法を適用する手段になる。多文化、多宗教の環境、さらに、かつて宗教的だったけれども今は世俗化している環境も含まれる。
・計画があることにより、私たちが教育、司牧の事業で何を目指しているかを定義することが可能になり、継続性が確保され、表面的な即興に陥る危険から私たちは解放される。共有する目的の枠組みの中で、協力して働くことが可能になる。帰属意識が強められ、事業や行事の評価のための、共通の指針が提供される。(MSD111-112)
・選択や計画は、識別の心で時のしるしに目を向け、あらゆる建設的な価値に開かれながら(会憲第57条、第17条)、若者の体験と実際のニーズに基づいて行う(会憲第41条、第7条;会則第1条、第4条)。
・困難な状況を前にしたときは、牧者の愛と司牧の感性の実りである創意工夫を余すところなく発揮する。(会憲第7、10、18、19、40、41条)
・SEPPはまた、院長あるいはほかの要の人が交代する時に継続性を確保する手段でもある。管区はそのために、ふさわしい「引き継ぎ」の手続きも定める。
143.挑戦、困難
SEPP作成の際の挑戦や困難の中には、内部の要因によるものがあります。会が多様な文化、歴史的、地理的な環境へと世界的に広がったこと、暮らし・働きのさまざまな形、修道共同体と事業のさまざまな関係、EPCにおいて果たすようサレジオ会員が呼ばれている新たな役割、私たちの起源との時間的、文化的、さらに言語的な距離が大きくなっていること、などの要因です。
そのほか、外的な要因による挑戦や困難もあります。若者の状況が絶えず新たに変化すること、コミュニケーション・メディア、デジタル世界を含む、教育の「担い手」がさまざまあること、文化、宗教の多様性に加え、多様性、自由、参加といった価値観、宗教への無関心の増大、などの要因です。
私たちの召命そのものが、開かれた姿勢で、現実世界との対話のうちに、教育者、コミュニケーターとしての実際的で創意工夫豊かな感性をもって生きるよう私たちに求めるものであることを、院長は忘れません。院長はこの姿勢を自ら培い、そして兄弟会員のうちに、EPCのうちにも培います。それは、イエスの光、ドン・ボスコの精神にしたがって生きるイエスの福音の光のもと、体験を通して学ぶことです(会憲第98条)。ドン・ボスコの精神は、識別の姿勢であり、日々の出来事と私たちを取り囲む世界のうちに、聖霊の声を聞き取るものです。(会憲第119条)
144.SEPP作成の指針
『サレジオ会青少年司牧の手引き』には、事業の各部門における支部SEPPの作成とその評価を行うための提案があります。その提案は、院長とEPC評議会 および/あるいは 事業の評議会にとっても、奉仕の教育的、司牧的な質を確保するための指針になるでしょう。
145.事業における院長
サレジオ会のすべての事業、現場は、SEPPの指針に基づくそれぞれの組織を持ちます。院長が特定の権限をもって支部のすべての現場や部門に関わることが理想的ですが(第24回総会文書172)、特に高度に複合的な事業の場合、院長は可能なかぎり権限を委任できなければなりません。院長が心得るべきこととして、EPC評議会が数多くある場合、各評議会の権威を尊重しながらも、院長は立場上の権限によって評議会に参加し、その場合、EPC評議会/事業の評議会の議長を務めます。
146.青少年司牧コーディネーター
管区の方針によって、特に事業が複合的である場合、院長は、支部の青少年司牧コーディネーターが任命されるよう計らいます。コーディネーターは、サレジオ会員、あるいは協働者で、サレジオ会員と協働者から成るチームに支えられます。(『サレジオ会青少年司牧の手引き』276-277)
支部コーディネーターはチームと共に、常に院長と密接に協力して働きながら、支部SEPPに打ち出されている目的と、EPC評議会、事業評議会の指針と規範に沿って、事業の司牧活動を計画、組織し、連携調整させます。(『サレジオ会青少年司牧の手引き』277-278)
・院長と支部評議会は、支部SEPPの作成に積極的に参加する。予防教育法に基づき、その枠組みの中で、文化、宗教の多様性に配慮し、対話の精神のうちに。
・院長(または院長から委任された人)は、教育、司牧のすべての現場の運営に参加し、EPC評議会/事業評議会の会合の議長を務める。
・院長とEPC評議会は、支部SEPPに照らし、各部門のSEPPの作成に同伴する;また、毎年、各部門の報告の評価を行い、そうすることで支部SEPPの現代化のための改訂に備える。
・新院長はSEPPの継続性を促進し、またすでにたどられた計画の歩みを尊重するよう、心がける。
・院長は、管区の定めた活性化と統治のモデルが実施されるように計らい、サレジオ会員とサレジオの精神において養成された協働者をその担い手として確保する。
・院長は、SEPPのサレジオのアイデンティティーを保証する。サレジオ精神の諸要素を養成と活動のうちに統合させながら、SEPPの作成を導く。
・院長は、サレジオ会員と協働者の合同の養成の歩みを促進する。特に、サレジオのカリスマ本来の教育-司牧の分野で力量を高めるために。
・院長は、『サレジオ会青少年司牧の手引き』を理解吸収し、適用するための歩みを提案する。
・院長は、あらゆる活動においてサレジオ青少年司牧の全体が一貫性をもって保たれるように計らう。
・管区の方針に沿い、院長は、支部青少年司牧コーディネーターとサレジオ会員、協働者から成るそのチームの任命に配慮する。(『サレジオ会青少年司牧の手引き』276-277)
・院長は、既存の協働者の選任と養成の規範を用いる。EPC評議会/事業評議会がこれに関わるようにする。
・院長は、管区の「青少年保護の指針」、また「プライバシー」に関わる現行法が、周知され実施されるように計らう。
第8章 開かれた共同体
147.管区、会、サレジオ家族、教会、世界に開かれた共同体
会憲は、サレジオ会支部共同体を「管区の生きた部分」(会憲第58条)、会全体、サレジオ家族の生きた部分であると定義しています。共同体は「部分教会と交わりながら活動」し、「この世の価値を受け入れ、使徒的活動の場としての文化的背景を考慮する。また、共同体を取り巻く人びとと連帯して友好関係を深める。」(会憲第57条)
共同体の司牧活動は、さまざまなレベルで考えることができます:
・サレジオ会員と協働者‐特にサレジオ家族のメンバー‐のいるEPCの中で行われる活動;
・教会の活動として。EPCが特定の場で教会の具体的な姿であり、教会を文化受容させるという意味で、また、共同体が部分教会のさまざまな組織や団体と協働するという意味で;
・社会環境における活動。
したがって支部共同体は、より幅広い交わりの中で生活し、責任を分かち合って働きます:会の中で、管区と共に、総長と最高評議会と共に;サレジオ家族とその各会と共に;世界の、また地方の教会と共に;そして、部分的にでも同じ目的を達成するために働くすべての人と共に。
8.1 管区共同体と修道会全体
148.サレジオ会員であることは、会の一員であること
普遍教会がさまざまな部分教会や基礎共同体の多様性のうちに表現されるように、サレジオ修道会も諸管区共同体から成り、諸管区は支部共同体によって構成されます。支部共同体はサレジオ会召命が実現する具体的な場と実際の形を提供します。(SGC506)
支部共同体は孤立した島ではありません。兄弟的交わりと共通の使命によって結ばれた管区共同体の生きた一部分です。すべての会員は、支部共同体、管区共同体の一員として、修道誓願を立てた日からあずかる者となった会全体の一員として生きます。(会憲第59条参照)
サレジオ会召命は、普遍的な次元を持っています。サレジオ会員になるということは、創立者自身が境界のないものとして予見した大いなる共同体に入ることです。世界的なこの広がりは、サレジオ精神の、最も際立つ、福音的な特徴です。
世界に開かれた姿勢をこのように生きることは、会が普遍教会に差し出す、精神、あかし、奉仕の交わりに根ざすさまざまな責任を、意識的に引き受けることを意味します。(会憲第59条参照)
総本部から諸管区、そして個々の共同体へと価値を伝え、またその逆の流れを促進するあらゆることは、また、私たちの交わり、召命の体験、使命の効果を豊かなものにします。会憲によって、総長、管区長と管区評議会、司牧・役務を果たすさまざまな組織にゆだねられた活性化と統治の務め、また会の中のコミュニケーション(会憲、総会文書、総長および最高評議員によるさまざまなコミュニケーション、会内部のコミュニケーションのさまざまな手段や部署)について、ここで考えることができます。あらゆることは、また、私たちの交わり、召命の体験、使命の効果を豊かなものにします。会憲によって、総長、管区長と管区評議会、司牧・役務を果たすさまざまな組織にゆだねられた活性化と統治の務め、また会の中のコミュニケーション(会憲、総会文書、総長および最高評議員によるさまざまなコミュニケーション、会内部のコミュニケーションのさまざまな手段や部署)について、ここで考えることができます。
・院長は、支部、管区、世界のレベル間のコミュニケーション、滞ることのない情報の伝達を促進する。
・院長は、管区計画に真摯に忠実であること、また計画に応える各人の姿勢を促進する。
・院長は、管区共同体との連帯を育む。(会則第58条、第197条)
8.2 サレジオ家族
149.サレジオ会はサレジオ家族を必要とする
理想的には、EPCは、可能なかぎりサレジオ家族のさまざまなグループ、メンバーも参加するものであるべきです。しかし、サレジオ家族をサレジオ会事業のEPCに参加するだけの存在にとどめることができないことも確かです。そのため、院長、サレジオ会共同体、そしてサレジオ家族の関係について、話し合う場を設けることが大切です。
召命によって求められるものへの、そして同時代の若者の必要へのドン・ボスコの応答の一環として、サレジオ家族は生まれました。今日、「サレジオ会員は、教会における自分たちの召命を、自分たちとともに創立者の意志のにない手となっている人々を考慮に入れることなくしては、全面的に再検討することができない。このため各自の真の相違にもかかわらず、全員のよりよい一致を探求するのである。」(SGC151)
サレジオ会は、サレジオ家族のほかの会を必要としています。サレジオ家族は、教会のレベルで、福音宣教者としての私たちの召命の固有な性格を再考、再発見するため、また真にサレジオ的なものを改めて評価するため、良い機会となってくれます。(第21回総会文書73)またEPCでも、サレジオ家族のメンバーの存在は、活性化の中核を強め、私たちのカリスマと精神への忠実を確かなものにします。
150.サレジオ会はサレジオ家族において特定の責務を担う
他方、サレジオ家族は、創立者が明確に表した望みにより、サレジオ会を必要とします。サレジオ家族において、「創立者の意志により、わたしたちはこの家族に対して特別な責任を負っている。それは、相手も自分も豊かにし、より効果的に使徒職を行うため、同じ精神を保ち、対話と兄弟的な協力を促進する責任である。」(会憲第5条)同じ精神を保ち、対話を促進し、兄弟として協力して働くことを促進する:これらは、総長、管区長、そして院長が、それぞれのレベルで担う三つの務めです。これに会則第36条を加えることができます:「管区長と院長は、それぞれの顧問の協力を得て、サレジオ家族における管区・支部共同体の役割を果たすために、それらの意識を高める義務がある。」
私たちはまた、会則第38-40条に従い、サレジオ家族の32のグループのうち5つのグループに対し特別な責任があることを忘れてはなりません:サレジアニ・コオペラトーリ、ドン・ボスコ同窓会、ADMA、ドン・ボスコ女子在俗会(VDB)、ドン・ボスコ男子在俗会(CDB)です。
ドン・ボスコのカリスマに従いこれらの務めを果たすために、私たちは教育と福音宣教の重要性を強調するだけでなく、いくつかの手段を提示します。
第一に、支部のサレジオ家族諮問委員会の会合 (17)。管区レベルのサレジオ家族諮問委員会の働きを補う同委員会は、院長が招集し、主宰します。参加者は、そのサレジオ会支部の範囲にあるサレジオ家族各グループの責任者です。同委員会は、諸グループのカリスマにおける一致の表現です:交わりを促進する手段となり、サレジオのカリスマの成長を保証します。さらに、サレジオの使命の実現のために、対話、振り返り、計画、協力を育む恵まれた機会になります。
(17) 『ドン・ボスコのサレジオ家族 アイデンティティー憲章』46
第二に、支部のサレジオ家族の日。この日、サレジオ家族の諸グループは、共に祈り、養成を行うために集います。互いによりよく知り合い、ドン・ボスコの家族である喜びを祝うためです。
第三に、協力して働くこと。協力はさまざまな形が可能であり、サレジオ家族の管区責任者の存在によって大いに促進されます。院長自身がサレジオ家族の、あるいはサレジオ家族のいずれかのグループの支部責任者であることがよくあります。
『ドン・ボスコのサレジオ家族 アイデンティティー憲章』(2012年)は、今日、サレジオ家族とその重要性を理解するために欠かせません。サレジオ家族を生き生きとした活力あるものにするために、よりよく知られ、研究される価値のある文書です。
151.サレジオ運動
ここで、サレジオ運動について触れることもまた重要です。会憲第5条は、「青少年の救いをめざして種々の方法で活動する人びとの幅広い一つの運動が、ドン・ボスコとともに始まった」と語ります。サレジオ家族の憲章は実際、家族への所属にさまざまなレベルがあると述べています。3つめのレベルは、特定の資格による人々から成ります。すなわち「幅広いサレジオ運動に参加し、サレジオ家族のうちにその活性化の中核を見いだす人々です。この中に含まれるのは、ドン・ボスコの友、SYM、さらにより一般的には、サレジオ・ボランティアの奉仕活動(VIS)、また幅広い範疇の人々、教育者、カテキスタ、さまざまな分野で働く人々、賛同する政治家、協働者、他の宗教・文化の人々さえ含まれ、この人々は世界中で働いています。」(18)
(18 )『ドン・ボスコのサレジオ家族 アイデンティティー憲章』3
院長は、帰属意識の促進とサレジオ家族への十分な同伴の保証のために基本的な役割を果たします。それぞれの場所での教会、社会におけるサレジオ家族の活力と意義は、院長がどれほどの愛と配慮をもって同伴と活性化の務めを果たすかに大きくかかっています。
・院長は支部のサレジオ家族諮問委員会を招集、主宰し、さまざまなグループの協働を促進する。
・院長は、毎年のあるいは定期的なサレジオ家族の日が支部で祝われるよう、計らう。
・院長は、共同体の計画にサレジオ家族の活動を組み込む。
・院長は、サレジオ会共同体による、またサレジオ家族諸グループによる、『ドン・ボスコのサレジオ家族 アイデンティティー憲章』の学びを促進する。
・院長と共同体は、温かく迎える姿勢をもってサレジオ家族のメンバーに接する。
・院長は、修道院のスペースを、事務所や会合の場として、コオペラトーリと同窓会に提供する。
・院長は、サレジオ家族のすべてのメンバーの召命司牧への積極的参加を促進する。特に、私たちのカリスマに結ばれた召命のために。
8.3 教会
152.教会の営みにおける私たちの位置
積極的に生きる教会の感覚sensus ecclesiaeは、サレジオの生きた伝統の本質的な一部分であり、サレジオ会精神を構成する要素と捉えられなければなりません。(会憲第13条参照)
院長とEPCは部分教会を、共同体が暮らし使徒的取り組みを表現する歴史的な場として捉えます(会憲第48条参照)。部分教会は実際、「このような神の民の人間的富を神に向かわせ、その富を贖罪的恩恵の特別な表現として役立てるというオリジナルな役割をもつ。」(SGC 80) 特別総会は、教会の営みの中に位置を見いだすよう私たちを促しました。孤立主義のメンタリティー、誤って理解された自律、言い換えれば、ほかの人々と働くことへの不安と独りよがりの自己完結の、どちらにも陥らないようにしながら支部共同体は、教会とサレジオ会が同じ目標を目指していることを喜びのうちに受けとめます。支部共同体は、司牧活動を行う際、教区の、また司教協議会の指針に沿うよう常に心がけます(会憲第48条参照)。言うまでもなく、部分教会との協働においては、大きく時間を取られることのない、普段あるいは折々の協力と、より責任ある関わりを求められ管区長の承認を必要とする協力とを、区別します。
歴史の若い教会では、私たちは固有の奉仕によって参加します。青少年を優先する精神、また宣教活動を通してです。宣教の働きは、私たちの会の本質的な特徴です(会憲第30条参照)。宣教事業は、サレジオの使命を遂行するのに望ましい場です。(19)一方、宣教の次元は、会としてのアイデンティティーを構成する本質的な特徴でありつづけます。
(19 )GC27 p.129
153.カリスマを通しての協働
会憲は、部分教会との協力について明確に述べています:「わたしたちは、サレジオ会事業と教育法によって部分教会に協力し、教会から指針と支えを受ける。より有機的に連携するため、わたしたちはサレジオ家族の団体や他の修道会と創意を交換する。」(会憲第48条)院長は、第二バチカン公会議が促進する交わりの教会論の光に照らし、このような協働を本質的な価値として、会員とEPCに示します。それは言うまでもなく私たちのカリスマを通しての協働です。実際、部分教会には私たちの使命に親和する部門があります。例えば、青少年と召命のための司牧活動、職業の世界、貧しい地域に関わること、また文化や広報の分野における働きです。
154.全国また教区における諸修道会協議組織への参加
院長はまた、全国あるいは教区における諸修道会協議組織への参加を促進します。Mutuae Relationesは、これらの協議組織の存在を認識するだけでなく、その重要性を認めています:「教区レベルの諸修道会協議組織は大変有用であり、したがって奨励されるべきです。」(MR 59)教皇フランシスコが強調しているように、カリスマは、交わりのためにあるのです。(20)
(20) 教皇フランシスコ 使徒的書簡, 奉献生活年にあたりすべての奉献生活者へ(2014年11月21日)3.
155.教会と教皇への愛
私たちはすべての大陸、数多くの国に存在する教皇庁立の修道会として、普遍教会への強い帰属意識を養い、共に働く人々、特にカトリック信仰を共にする人々のうちに教会への愛を育みます。
私たちは創立者に忠実に、ペトロの後継者への子としての特別な献身を培います。サレジオ修道会の最高の長上は教皇です。従順の誓願によっても、会員は教皇の権威に子として従い、普遍教会の善益のために献身する用意があります。教皇の教導を温順に受けとめ、その教えを受け入れるよう信徒、特に青少年を助けます。(会憲第125条)
院長は、支部評議会に支えられながら、教会と教皇への子としての愛のこれらカリスマ的次元を、自らに与えられた活性化の手段を通して促進します。的次元を、自らに与えられた活性化の手段を通して促進します。
・院長は、講話や会議、その他の活性化の機会に、部分教会への帰属意識を促進する。
・院長は、部分教会との連絡を積極的に保つことによって、教区の司牧計画にどのように参加するか、方法を考える。
・教区の、また全国的な諸修道会協議組織の取り組みに自ら参加し、会員の参加を奨励する。・院長は、mission ad gentesのための具体的な取り組みとしても、修道共同体およびEPCにおける宣教精神、宣教の意識を促進する。
・院長は、普遍教会への帰属意識を養い、育み、教皇による教導が知られ、受け入れられるよう働きかける。
8.4 共同体が暮らす地域
156.市民的、社会的なネットワーク、人権擁護・支援活動
EPCによって行われるサレジオ会事業そのものが、ある地域における私たちの活動です。しかしながら、地域に関連して、さらに語ることができるでしょう。特に、会憲第48条によれば、「(わたしたちは)教育と社会の向上を目的とする公共ならびに民間の組織と協力する用意がある」からです。
このような協力は、特定の地域、地理範囲、領域において教会に奉仕する方法でもあります。私たちは可能な場合どこでも、市民的、社会的な営みに参加します。キリスト者としてそこに存在し、可能な場合、法の分野でキリスト教的な影響をもたらすためです。今日、私たちが召命に忠実であるには、そのような参加が求められます。特に、サレジオ会修道士の「信徒」としての存在を通して、協働者、サレジオ家族のさまざまな会を通してです。特別総会が次のように述べているとおりです。「教会のダイナミズムに参与して共同体は兄弟たちへの奉仕に遣わされ、それに向かって開かれ、主が共同体を満たす恩恵を全員に提供する。共同体は、親類関係、インスピレーション、仕事、理想、正義の務、礼儀、友情、愛徳などによる人や環境との諸関係をよろこんで培い、信仰をもってそれを生かす。」(SGC507)
157.社会、政治の教育
暮らす地域に関わるということは、「誠実な市民/社会人」を育成するため、社会、政治に関する教育を行うことも意味します。社会、政治に積極的に参加することを自分の倫理的責任の一環として捉え社会に参加し、世界市民となる必要性をわきまえる「誠実な市民/社会人」です。(21)第26回総会は「ソーシャルワーカー的なメンタリティーから、貧しい青少年たちが自分たちの成長の舵を取り、社会政府的な分野で貢献できるように彼らをかかわらせるやり方」(第26回総会文書104;98も参照)へ移行することについて語っています。近年の教皇たちは皆、愛徳の高潔な表現として政治に関わる召命に献身するよう、カトリック信徒に勧めています。例えば、ベネディクト十六世は、社会のさまざまな分野で責任を負うことのできるカトリック信徒を養成するよう、繰り返し呼びかけてました。「特に政治の分野で。政治の分野は、すべての人、特に若い人々の善益のため、また善益に奉仕する『良き生き方・営み』を築き上げることのできる人々を、ますます必要としています。実に、キリスト者、天の国へ向かいながらもすでに地上であ永遠を望み生きる巡礼者は、この責任を免れることはできないのです。」(22)教皇フランシスコも、政治に関心を持ち、創意をもって参加するよう、信徒に呼びかけ、新しい社会の建設にキリスト者として答えるため、「若く熱い心」をもつ者であるよう、若者に呼びかけました。(使徒的勧告『キリストは生きている』168-174
(21) Pascual Chavez, “Don Bosco’s Educational System Today”, Divyadaan: Journal of Pilosophy and Education 21 (2010) 6-7.
(22 )ベネディクト十六世, アキレイア第2回教会大会参加者へ, 2011年5月7日, アキレイア大聖堂にて, http://www.clerus.org/bibliaclerusonline/en/ctx.htm
158.デジタルの世界
さらに今日、「暮らす地域」が物理的なものにとどまらず、デジタルの世界にもあることを忘れてはなりません。ドン・ボスコの時代、サレジオの事業は「閉じられ、外界と隔てられた、政治と無関係の、自律した」団体としての秩序の中で運営されました。「そこでは、あらゆることが明確で自己完結的な教育空間の中で起こり、公認の先生はドン・ボスコとその『息子たち』であり、単一の素朴な文化が行き渡っていました。それはカトリックの庶民的な文化であり、その唯一の希求は、天の報いを待ち望みながら、この世で生きていくために十分な手段を身につけることでした。」(23)今日、もはやサレジオ会が教育の唯一の担い手ではないことは明らかです。それは、サレジオの使命を担っているのがEPCであるというだけでなく、新しい情報技術‐デジタルの世界‐が今や圧倒的な力で教育の担い手になっているからでもあります。新しい情報技術は、文化と人間論の変化にも影響を与えています。(最高評議会報427, 17-19)
「デジタルの世界、『現代の新たなアレオパゴス』(ヨハネ・パウロ二世『救い主の使命』37)は、若者の教育者である私たちに挑戦を投げかけます:それは、私たちの参加を要求する『新たな運動場』、『新たなオラトリオ』であり、福音宣教と教育の新たな形を見いだすよう私たちを促します。」(第27回総会62)したがって、若者に仕える者であるということは、デジタルの世界に入っていく姿勢を持つということです。「若者にとって慣れ親しんだデジタルの世界で、効果的な、教育的取り組みを行う。会員と協働者の適切な、専門的、倫理的な養成を確保し、サレジオ会広報システム(SSCS)を適用する。」(第27回総会文書75.4)『キリストは生きている』は、青少年司牧におけるデジタルの世界の幅広い可能性を認めています。(『キリストは生きている』86-90参照)
(23) Chavez, “Don Bosco’s Educational System Today” 5.
・院長はEPC評議会と共に、市民として社会にどのように参加するか、また教育と社会向上の分野で働く市民組織とどのように協力して働くか、検討する。
・院長とEPC評議会は、若者への社会-政治教育の提案を企画し、実施する。
・院長とEPC評議会は、自らデジタル世界の分野における養成を受ける。この「新たな遊び場」、「新たなオラトリオ」での教育と福音宣教の働きによりよく備えるためである。
■結び
159.教会、会の呼びかけ、教えを取り入れる
『院長の手引き』の新しい版は、過去30年の教会と会による呼びかけ、教えを取り入れるように努めました。それが果たせたか、成功の度合いはさまざまです。内容の構成そのものが、最近の何回かの総会が目を向けた事柄を明らかにします‐私たちの使徒的奉献がもたらす展望(GC26とGC27)、サレジオ修道共同体における院長(特にGC25)、EPCにおける院長と修道共同体(GC23とGC24)です。
160.兄弟たちの中の兄弟、信仰と喜びの人
私たちの伝統における院長の役割の中心性を考慮しても、『手引き』は一人の人にあまりに多くを求めているように思われるでしょう。しかしながら私たちは、関係性を築く権威のモデルを念頭に置く必要があります。権威の役割の中心性から兄弟的絆のダイナミズムの中心性へと移行しながら。今日、どれほど優れた人でも、権威の重荷のすべてを担うことはできません。サレジオ会院長は、自らの権威を保ちながらも、兄弟たちの中の兄弟であり続けます‐深く信じ、希望する兄弟です。ペトロのように、愛の賜物を与えられたと知っているからです。院長は自らの限界、共同体の人々の限界をよく認識しながら、兄弟姉妹への、特に社会から疎外された若者のニーズへの、深いサレジオ的感性をもって生活します。
したがって院長は、自分にゆだねられた奉仕には苦しみが伴うことを認識し、ドン・ボスコ、マンマ・マルゲリータと共に十字架に目を向けます。しかしまた、この世が救われていることを知る者のほがらかな心と喜びをもって生活します。院長は、諸文書‐また会員や協働者のミッション・パートナー‐に期待される賜物をすべて持っていないかもしれませんが、自分が信仰の人、一人の兄弟にいつもなれると知っています。温かいもてなしの心で人を迎え、同心円のように広がる交わりへとすべての人に扉を開いて迎えるものとして共同体を保つ兄弟です。院長はもちろん、自らの役割が統治に関わるものであることを認識し、自分の気質にしたがいながら、役割に伴うすべてを受け入れます。
161.マリアと私たちの天の保護者への謙遜なゆだねのうちに
院長は兄弟会員と共に、私たちの天の保護者、先立ったすべての先達、そして特に、マリアに自らをゆだねます。マリアは、母、先生、勇気ある女性であり、助けを求めるべき時、十字架のもとに立つべき時、ただ心のうちに物事をとどめるべき時を知っておられます。父のみ旨の光輝く雲の前をいつも歩みながら。
ミケーレ・ルアは26歳のときに、ミラベッロで会の最初の院長になりました。ドン・ボスコはドン・ルアに、直筆による最初の「院長の手引き」を与えました。そこに貴重な言葉、”Studia di farti amare” ‐「愛される人になりなさい」が記されており、その言葉は今、
終生誓願の際、会員一人ひとりに与えられる十字架に刻まれています。「生ける会憲」と呼ばれたルア神父は、ドン・ボスコがサレジオ会員、サレジオの院長に求めたものの、第一の最良の理解者です。私たちは、「私がはじめた仕事をあなたが完成させるのです。私がスケッチをし、あなたが色を塗るのです。」というドン・ボスコの言葉を耳に響かせつつ、福者ルアの取りなしを願います。私たちが、父、創立者の思いの忠実な理解者となりますように。
■付録1 ドン・ボスコの院長への「秘密の注意事項」
ドン・ボスコの院長への「秘密の注意事項」の最後の印刷物をここに紹介する。
この文書は、ドン・ボスコが亡くなる約1年前の1886年12月8日に印刷されたものである。1
この文書の原型は、1863年、ドン・ボスコがトリノ以外の最初のサレジオの支部であるミラベロの院長職を依頼したルア師宛ての手紙である。ルア師への手紙の原文の26項目は、その間の年月を経て、新たな内容で充実したものとなった。
○自分自身のために
1. 何事にも邪魔されないようにしなさい。
2. 食物の緊縮を避けよ。苦行は、自分の職務に精励し、他人の迷惑を我慢することである。毎晩7時間の睡眠をとること。但し、合理的な動機があれば、自分も他人も多かれ少なかれ変わるものである。これは、あなたとあなたの共同体の健康のために有用である。
3. ミサを捧げ、教会の祈りを信心深く、注意深く、敬虔に(pie, attente ac devote)唱えましょう。これは、あなたとあなたの共同体のためです。
4. 毎朝、黙想を欠かさず、日中は聖体訪問をすること。その他のことについては、会則に示されたとおりにすること。
5.自分が恐れられるのではなく、むしろ愛されるようになる方法を学ぶこと。常に慈愛と忍耐をもって、命令し、矯正し、あなたの言動によって、あなたが求めているのは魂の善であることを誰もが知るように行動しなさい。罪を防ぐためなら、どんなことでも我慢しなさい。あなたの関心事は、神の摂理があなたに託した若者の善に向けられるようにしなさい。
6.重要な問題については、決断する前に、必ず心を少し神にささげよ。何か報告を受けたときは、すべて耳を傾けるが、事実をよく見極め、両者の話を聞いてから判断するようにしなさい。最初に聞いたときは、物事が丸太のように見えて、単におが屑に過ぎないことがよくある。
○先生方と
1. 先生たちが衣食住に関して必要なものを欠いていないことを確認すること。その努力に注意し、もし病気や単に体調が悪いだけなら、すぐに誰かを送って授業に代わらせること。
2. 先生たちとよく話し、個人的に、あるいは一緒に、やることが多すぎないか、衣服や本が不足していないか、身体的あるいは道徳的に心配なことがないか、クラスに矯正すべき生徒がいないか、あるいは生徒に教えるレベルや教え方について特に懲戒の必要がないか、確認しなさい。何らかの必要性を感じたら、すぐにできる限りのことをする。
3. 適切な会議で、授業中の質問がすべての生徒を区別なくカバーするように勧める。一人一人の作品を順番に読むようにする。特定の友人関係やえこひいきは避け、生徒や他人を自分の部屋に入れてはいけない。一人の作品を順番に読むようにする。特定の友人関係やえこひいきは避け、生徒や他人を自分の部屋に入れてはいけない。
4. 生徒に課題や助言を与える必要がある場合は、そのために用意された部屋やホールを使用すること。
5. 聖母、町や学校の守護聖人のノヴェナやその他の典礼の大きな祝祭日があるときは、あらかじめそれについて一言述べ、決してそれを怠ってはならない。
6. 教師が生徒を決して学校から追い出さないように目を配り、どうしても必要な場合は、長上の同伴を確認すること。非行の少年や怠慢な少年を決して叩いてはならない。何か重大なことが起こった場合は、直ちにが教務主任または支部の長上に報告すること。
7. 校外では、教師は生徒に対していかなる権限も行使することはできず、助言、警告、あるいはせいぜい忠告にとどめ、愛をもって行うという意味合いを持たせるようにする。
○アシステンテおよび寮の責任者について
1. 教師について述べたことの大部分は、寮の責任者にも適用できる。
2. 教師にも寮の責任者たちにも、勉強に専念できる時間とゆとりができるように、仕事の分担に努めること。
3. 寮の責任者たちと積極的に交流し、寮生の行動について彼らの意見を聞くこと。彼らの任務の最も重要な点は、少年たちが休息、学校、仕事、レクリエーションなどのために集まってくる場所に、時間通りに到着することである。
4. もし、彼らのうちの一人が生徒と特別な交友関係にあったり、彼の役割やモラルが損なわれる恐れがあると感じたら、慎重に彼の任務を変更すること。
5. 時々、教師、助手、寮の責任者を集め、悪い会話を防ぐ努力をし、あらゆる本、文章、画像、絵、あるいは美徳の女王である純潔を危険にさらすものを締め出すように言う。(ここに知恵がある)良い助言を与え、誰に対しても慈愛の心を持つようにしなさい。
6. より危険な生徒を発見することを共通の関心事とさせ、発見したら、その生徒が誰であるかを知らせるよう励ますこと。
○修道士や職員と共に
1.毎朝、彼らがミサを受け、会の規則に従って秘跡を受けることができるようにする。職員は、2週間に1回、あるいは少なくとも月に1回は告解を受けるように勧める。
2. 大いなる慈愛をもって命令を下し、その言葉と行動によって、あなたが彼らの魂の幸福を望んでいることを人々に知らせること。また、少年や外部の人と親密にならないよう、特に注意すること。
3. 慈善事業や絶対に必要なことでない限り、女性を寮や台所に入れたり、家の中で人と接することを許さないこと。この条項は最も重要である。
4. 職員、アシスタント、少年、その他の者の間に議論、論争が起こった場合は、それぞれの意見を親身になって聞き、通常は自分の意見を別々に伝え、一方が他方について何を言われているか聞こえないようにすること。の意見を親身になって聞き、通常は自分の意見を別々に伝え、一方が他方について何を言われているか聞こえないようにすること。
5. 職員の長には、誠実と言われている修道士を任命し、彼らの仕事と道徳的行動を監視させ、盗みや悪い会話がないようにする必要があります。また、親族や外部の人と、誰であろうと仕事を請け負ったり、業務に携わったりしないように、特に注意すること。
○若い生徒と
1. 他の寄宿舎から追放された生徒や、素行が悪いと判断した生徒を受け入れてはならない。もし、注意したにもかかわらず、このような生徒を受け入れてしまった場合は、その生徒と一緒にいて、決して目を離さないような信頼できる仲間を指名してください。彼が何か不品行に手を染めたときは、少なくとも一度は忠告し、また失敗したときは直ちに帰宅させること。
2.生徒にあなたを知ってもらいなさい。あなたは可能な限り生徒と一緒に過ごし、必要性を感じたときにあなたが最もよく知っている耳元でどんな言葉でも愛情表現をして、少しずつ生徒を知るようにしなさい。これこそ、あなたが彼らの心の主人になる大秘訣である。
3. そのような言葉は何ですかと聞かれるかもしれません。むかし、あなたに言われたのと同じ言葉です。例えば、「元気ですか?」「元気です。」「あなたの心も?」「まあまあ」 「素晴らしい仕事を手伝ってほしいのだが、手伝ってくれるか?」「はい、でも何でしょう?」「自分を善人にする」あるいは「魂を救う」あるいは「少年たちの中で一番になる」 そして荒くれ者には 「いつから始める?」「何を始めるの?」「聖アロイジオのようになってくれたら嬉しいな」 「秘跡に抵抗がある子には 「いつ悪魔の角を折るの?」「どうやって?」「良い告解をすることです」「いつがいい?」「なるべく早く」 他の機会にも 「いつ掃除する?」「悪魔の角を折るのを 手伝ってくれるか?」 「私たち2人をソウルフレンドにしたいですか?」 Haec aut similia.
4. 私たちの支部では、院長が通常の聴罪司祭です。ですから、あなたは誰でも喜んで告解を聞きますが、もし彼らが望むなら、他の人に告解に行く自由を十分に与えるようにしましょう。あなたが善行に対して与えられる点数には一切関与しないことをよく知らせ、あなたが告解で言われたことを利用したり思い出したりしているのではないかという疑いを一切持たれないようにしなさい。告解をする人が、他の人よりもある人のほうがひいきされていると感じるようなことが、少しもないようにすること
5.侍者、聖アロイジオ、聖体、無原罪の聖母の各信心会を、奨励し、促進するべきです。入会した人には好意と満足感を示すが、あくまでも推進者であって、監督者であってはならない。このようなことは、少年たちのためにあるものと考えなさい。それらのことはカテキスタに運営を委ねられているのである。
6. 重大な非行を発見したときは、罪を犯した者または容疑者をあなたの部屋に呼び、最もこころをこめて、自分の過ちと犯した悪事を認めさせるようにしなさい。そして、彼を正し、良心を整えるように誘いなさい。このように、生徒を親切に援助し続けることで、素晴らしい結果が得られ、思いもよらないような改善が見られるのである。
○外部の人と
1. 私たちは、慈愛と国家の任務とが許す限り、特に私たちの支部がある小教区では、いつでも喜んで宗教的奉仕、説教、人々のためのミサの司式、告解を聴くことに力を貸す。しかし、支部を離れなければならないような仕事や、各自が持っている役割に影響を与えるようなことは決して引き受けない。
2. 礼儀として、外部の司祭を説教に招いたり、祭日や音楽の催しなどに招待することがある。同様の招待は、当局や、私たちに好意を寄せている、あるいは寄せてくれそうな善良な慈善家にも行うことができる。
3. 慈愛と礼儀正しさは、内外の人々に対する院長の特徴である。
4. 物質的な問題については、たとえ多少の不利益があっても、争点となるもの、あるいは慈愛を失うようなものを遠ざけ、できる限り同意すること。
5. 霊的なことであれば、疑問は常に神により大きな栄光を与えるもので解決すること。あなたの課題、あるいは頑固さ、復讐心、自己愛、議論、見栄、また名誉など、すべては罪を避けるために犠牲にされるべきものである。
6.重大な問題については、祈る時間を求め、敬虔で思慮深い人から助言を受けるのがよい。
○会員と
1. 会則を正確に守り、特に従順であることがすべての基本である。しかし、他人に従順を求めるなら、自分も目上の人に従順でなければならない。従順でない者は、指揮官にはふさわしくない。
2. 誰にも負担をかけず、各自が自分に任されたことを忠実に行うように、物事を分担するようにしなさい。
3. 会員は誰も契約書を作ったり、金銭を受け取ったり、親類、友人、その他の人に貸し付けたりしてはならない。また、修道院の長上の直接の許可を得ずに、金銭を保管したり、一時的な事柄を管理したりしてはならない。この条文を守ることによって、他の修道会で起こった致命的な問題のいくつかを、私たちから遠ざけることができる。
4. 会則のいかなる修正も、毒のように忌み嫌うこと。その正確な遵守は、いかなる変更よりも優れている。最善は善の敵である。
5.勉強、時間、経験によって、貪欲、利権、見栄が、繁栄する修道会や立派な修道会を破滅させるということを、私は直接知ることができた。また、時間が経てば、おそらく今は信じられないとしか思っていない真理を見ることができるようになる。
6. 言葉と行いによって、共同生活を育むことに最大の注意を払うこと。
○命令を与える際には○命令を与える際には
1. 人々の力を超えていると判断したもの、あるいは人々が従わないと思われるものは、決して命じてはならない。反感を買うような命令は避けるようにする。できれば、彼らが楽しんでできるような役割を与え、各人が持っている傾向を支援するよう、最大限の注意を払うこと。
2. 健康を害すること、必要な休養を妨げること、他の仕事や他の長上の命令と重なることは、決して命じてはならない。
3. 命令するときは、常に慈愛に満ちた温和な言葉と態度で行うこと。脅しや怒り、ましてや暴力は、常に言動から遠ざけておくこと。
4. 難しいことや嫌なことを命じなければならないときは、例えば次のように言う。「他にもこんなことができないかな。」あるいは「難しいことなので、できればやってもらいたくないのですが、あなた以外にできる人がいません。時間も健康もあるのだから、他の仕事から遠ざかることはないでしょう」等々。このようなアプローチが非常に有効であったことは、長年の経験が物語っている。
5. 何事も経済的に、しかし病気の人には何一つ不足のないようにすること。これは、私たちは清貧の誓願を立てているのだから、何事にも安楽を求めず、望みもしないということを人々に知らせるものである。私たちは貧しさと貧しさに伴うものを愛さなければなりませんから、衣服、書籍、家具、旅行などの不必要な出費を避けなければなりません。これは、私が各支部の院長に宛てた遺言のようなものです。もしこの助言が実践されるなら、私は幸せな死を迎えるでしょう。なぜなら、私たちの修道会が人々の前でさらに栄え、主から祝福され、その目的である神の大いなる栄光と魂の救いを達成することを確信するからです。
イエス・キリストのうちに親愛の情をこめて。
ヨハネ・ボスコ神父
トリノ、1886年、無原罪の聖母の祭日、オラトリオ創立45周年記念日に
■付録II
カトリック新教会法典における地域の上長
ここでは、教会法のうち、地方上長の項目に言及しているものを紹介します。
規範となる階層は、会憲第191条に示されています。「共同体および会員の生活と活動は、教会の普遍法と本会の固有法によって律せられる。本会の固有法は、会の基本法典である会憲、一般会則、総会決議、会の指導書と管区の指導書、ならびに諸管轄機関の決定に明示されている。」
より詳細な解釈については、『カトリック新教会法典の解説』や各言語による特定の研究を参照することができます。
○権力、権限、義務、責務
・第596条 個人と団体の権限
(1)会の上長と議会は,会員に対し,普遍法と会憲によって規定された権限を有する。
(2)更に,聖座法による聖職者修道会では,会の上長及び議会は,外的法廷においても内的法廷においても教会的統治権を有する。
(3)第1項所定の権限については,第131条,第133条及び第137条から第144条までの規定が適用される。
・第608条 修道院
修道共同体は,法律の規定に従って任命された上長の権威のもとに,適法に設立された修道院に住まなければならない。各修道院には,少なくとも,ミサが行われ聖体が安置される礼拝堂がなければならない。それは真に共同体の中心となるべきものである。
・第617条 権限行使の様式
上長は,普遍法及び固有法の規定に従い,自己の任務を遂行し,権限を行使しなければならない。
・第618条 奉仕の精神
上長は,教会の奉仕職をとおして神から受けた自己の権限を奉仕の精神で行使しなければならない。任務を果たすに当たっては神のみ旨に従い,服属者を神の子として統治し,人格に対する尊敬の念をもって彼らの自発的な従順を推進すべきであり,進んで服属者のことはに耳を傾け,会と全教会の善益のための彼らの協力一致を涵養すべきである。ただし,なすべきことを決定し,かつ命令する上長自身の権威は保たれなければならない。
・第619条 上長の義務
上長は,自己の職責を勤勉に遂行し,自己にゆだねられた会員と一致して,キリストにおける兄弟的共同体の建設に尽くし,すべてに超えて,神が求められ愛されるように努めなければならない。したがって上長は,会員をたびたび神のことばの糧によって養い,聖なる典礼の執行に導かなければならない。上長は徳を培うことにおいて,また会の法及び伝統を順守する点において,服属者の模範とならなければならない。会員の個人的必要に適切に応じ,病者を世話し見舞うことについて配慮し,平和を乱す者を叱責し,小心者を慰め,すべての者に対し忍耐深くなければならない。
・第623条 任命
会員が上長たる任務に有効に任命又は選出されるためには,終生若しくは最終誓願の後に,固有法により,又は上級上長に関する場合会意によって定める適切な期間が必要である。
・第624条 任期
(1)上長の任期は,会の性質及び必要に応じ一定かつ適切な期間でなければならない。ただし,総長及び自治修道院の上長について会憲に別段の定めがある場合はこの限りでない。
(2)固有法は,一定の任期をもって就任した上長が統治の職務に連続してあまりに長期にわたり従事することのないよう,適切な規定を設けておかなくてはならない。
(3)上長は,任期中であっても,固有法に規定されている事由で職務を解かれ,又は他の職務に移されることがある。
・第627条 評議会、義務と責任
(1)会憲の規定に従い,上長は自己の顧問会を有し,任務遂行に当たってはその協力を求めなければならない。
(2)普遍法のなかに規定されている場合のほかに,固有法は,第127条の規定に従い有効要件とされる同意又は助言を求めなければならない場合を定めなければならない。
・第629条 居住義務
上長は自己の修道院に住まなければならず,固有法の規定によらずに修道院から離れてはならない。
・第630条 ゆるしの秘跡と良心の管理
(1)上長は,会員に,ゆるしの秘跡と霊的指導に関し正当な自由を認めなければならない。ただし,会の規律は順守されなければならない。
(2)上長は,固有法の規定に従い,適切な聴罪司祭を置き,会員がしはしば告白できるように配慮しなければならない。
(3)隠世女子修道院,養成の修道院及び比較的多数の会員をもつ信徒修道会の修道院は,会員の意見を聴いたうえで,地区裁治権者によって承認された通常聴罪司祭をもたなければならない。ただし,会員はその聴罪司祭のもとに行く義務はない。
(4)上長は,会員から自発的に求められない限り,服属者の告白を聴いてはならない。
(5)会員は信頼をもって上長のもとに行き,自由かつ自発的に上長に心を開くことができる。上長はいかなる方法であろうとも会員に良心を開陳するようにしむけることは,禁じられている。
・第636条 上級上長と区別される会計係
1.(1)いずれの会及び上級上長によって統治される管区にも,上級上長とは別に,固有法の規定によって会計係が設置されなければならない。会計係は,それぞれの上長の指図のもとに財産の管理を行わなければならない。地区共同体においても,可能な限りその地域の上長とは別に会計係が任命されなければならない。
(2)固有法によって規定された時及び様式に従って,会計係その他の管理者は,権限ある権威者に財産管理の報告をしなければならない。
・第661条 会員の生涯養成ための然るべき配慮
修道者は,全生涯を通じて自己の霊的,教理的,実践的養成を熱Lに追求しなければならない。上長は修道者にこのための手段及び時間を与えるよう配慮しなければならない。
第665条 不法に修道院から逃れている会員の捜索
(2)会員が上長の権限から逃れようとする意図で不法に修道院を不在にする場合には,上長は入念にその会員を探し出し,会員が修道院に戻って,自己の召命に徹するように援助しなければならない。
・第687条 禁域法免除を受けた会員への配慮
禁域法免除を受けた会員は,その新しい生活条件と相容れない義務から免除された者とみなされる。その会員は上長に従属し,かつその配慮のもとにあり,特に聖職者については地区裁治権者にも従属しかつその配慮のもとにある。会服は禁域法免除のゆるしに別段の定めがない場合には,これを着用することができる。ただし,選挙権及び被選挙権を有しない。
・第703条 修道院からの即時除名 *1
会員は,外的重大なつまずき又は会をおびやかす極めて重大な損害がある場合には上級上長により,又は危険が急迫する場合には地区上長によりその顧1問会の同意を得て,直ちに修道院から追放されることがある。必要な場合には,上級上長は,法の規定に従って除名手続の開始をはかるか,又はこの件を使徒座に照会しなければならない。
・第911条 病気の会員への臨終の聖体拝領
(1)臨終の聖体拝領のために至聖なる聖体を病者に運ぶ義務及び権利は,主任司祭,助任司祭及び団体付司祭がこれを有する。聖職者修道会又は使徒的生活の会においては,会の家に居住するすべての者に対して当該上長がこれを有する。
(2)緊急の場合,又は主任司祭,団体付司祭若しくは上長の許可が少なくとも推定される場合,すべての司祭又は他の聖体授与の奉仕者がこれを行わなければならない。ただし,その授与については後に報告しなければならない。
・第1179条 死去した会員の葬儀
修道者又は使徒的生活の会の会員の葬俵は,一般に,当該会員の教会堂又は礼拝堂で,聖職者奉献生活会又は聖職者使徒的生活会の場合はその上長によって,しからざる場合はその団体付司祭によって執行されなければならない。
・第1196条 私誓願を免除する権限
ローマ教皇以外に次の者は,正当な理由の存する場合,私誓願を免除することができる。ただし,その免除が他者の既得権を侵害しない場合に限る。
1.地区裁治権者及び主任司祭は,自己のすべての従属者に対して,かつ滞在者に対しても。
2.修道会又は使徒的生活の会が聖座法による聖職者会である場合その会の上長は,会員,修練者及び修道院又は会の家に昼夜居住する者に対して。
3.使徒座又は地区裁冶権者から免除権を委任された者。
・第1203条 約束の宣誓を免除する権限
誓願の停止,免除及び変更のできる者は,同じ理由に基づいて,約束の宣誓についても同様の権限を有する。ただし,宣誓の免除がその義務の解消を拒む者に損害を与える場合は,使徒座のみ,その宣誓を免除することができる。
・1245条 聖なる時
第87条所定の教区司教の権利を妨げることなく,主任司祭は,正当な理由の存するときは教区司教の規定に従って,個々の場合に守るべき祝日若しくは償いの日の順守義務を免除し,又は他の信心行為をもってこれに替えることができる。聖座法による聖職者会においては,修道会又は使徒的生活の会の上長も,自己の従属者及び昼夜その家に居住する他の者に対して同様のことができる。
○教区の教会と使徒的活動
・第463条 教区のシノドスへの参加
(1)次の者は議員として教区代表者会議に招集され,これに参加する義務を有する。[……]
9.教区に会の家を有し,教区司教の定める員数と様式に従って選出される修道会及び使徒的生活の会の数名の上長。
・第677条 会の固有な使命と事業への忠実性と賢明な刷新
(1)上長と会員は,会の固有の使命と仕事を忠実に維持しなければならない。ただし,それを時と場所の必要性を考慮し,新しく,かつ適切な手段を用いることによって,その使命と仕事をこの必要性に賢明に適合させなければならない。
(2)会は,その会に結はれたキリスト信者の会を有する場合には,その会の真の家族精神に満たされるように,特別な配慮をもってそれを助けなければならない。
・第678条 教区司教との信頼関係
(1)修道者は,司牧,公的な神の礼拝の執行及びその他の使徒的活動に関する事項については,司教の権限に服する。司教に対しては,恭順と尊敬の意を表さなければならない。
(2)修道者が外部の使徒職を実践するに際しては,自己の属する会の上長にも服従し,かつ会の規律に忠実に踏みとどまらなければならない。司教は,必要な場合には,この義務を強調することをなおざりにしてはならない。
(3) 修道者の使徒職の活動を規整する場合には、教区司教と修道会の上長は協議を重ねたうえで取り運ばなければならない。
・第778条 信仰教育への配慮
修道会及び使徒的生活の会の上長は,自己の教会,学校又はその方法の如何を問わず自己に託された他の事業の場において,信仰教育が熱心に施されるよう配慮しなければならない。
・第968条 告白を聴く権限
(1)職務上,地区裁治権者,ゆるしの秘跡の祭式者,主任司祭及び主任司祭を代理する者は,自己の管轄区域において告白を聴く権能を有する。
(2)職務上,修道会又は使徒的生活の会の上長は,聖座法による会の聖職者会の会員であり会憲の規範に従って統治執行権を有する場合,その従属者及び昼夜会の家に居住する者の告白を聴く権能を有する。ただし,第630条第4項の規定を順守しなければならない。
・第969条 地区裁治権者の権能と権限
(1)地区裁治権者のみが,各司祭に対していかなる信者の告白をも聴く権能を与える権限を有する。ただし,修道会員である司祭は自己の上長の許可が少なくとも推定されるのでなければ,それを行使してはならない。
(2)第968条第2項所定の修道会又は使徒的生活の会の上長は,その従属者及び昼夜会の家に居住する者の告白を聴く権能をいかなる司祭に対しても与える権限を有する。
○同意が必要な行為、意見、許可
・第119条 選挙とその他の団体行為
団体的行為に関しては,法律又は規則によって別段の定めがない限り,
1.選挙に関する場合,招集されるべき者の過半数が出席し,その絶対多数の賛成を得た場合,法的効力を有する。二度の投票で結果の出ない場合,相対多数を獲得した2人の候補者,又はそれ以上の候補者の存する場合には年長者の2人について投票が行われなければならない。三度目の投票後に同数である場合は,年長者が選出された者とみなされる。
2.他の事柄に関しては,招集されるべき者の過半数が出席し,その出席者の絶対多数の賛成を得た事項が法的効力を有する。二度の投票で,賛否同数である場合は,議長がいずれかに決定することができる。
3.全員一人ひとりに関係する事項は,全員によって是認されなければならない。
・第127条 一定の団体又は集団の同意若しくは意見を必要とする行為 *2
(1)上長が法律行為を行うために,一定の団体又は集団の同意若しくは意見を必要とすることが法律によって規定されている場合,第166条の規定によって,団体又は集団が招集されなければならない。ただし,意見を徴することのみに関しては,局地法又は固有法に別段の定めがある場合には,この限りでない。行為が有効であるためには,出席者の絶対多数の同意が得られるか,又は全員の意見が徴されなければならない。
(2)上長が法律行為を行うために、一定の者の一人ひとりの同意又は意見を要することが法律において規定されているとき、
1.同意が必要とされる場合に,上長がその者の同意を得ずに,又は,その者全員若しくは一部の意見に反して行った上長の行為は無効である。
2.意見聴取が必要とされる場合に,上長がそれらの者の意見を聴取せずに行った行為は無効である。上長は,それらの者の意見が全員一致するときでも,その意見に従う義務を有しない。ただし,自己の意見がそれに勝るものと自ら判断する理由がない限り,それらの意見,特に全員一致した意見に反して行動すべきではない。
(3)同意又は意見を求められたすべての者は,誠実に意見を述べ,かつ,事柄の重要性に応じて,厳格に秘密を順守する義務を有する。上長は,その義務を果たすように促すことができる。
・第307条 修道会の会員の会への入会許可
(3)修道会の会員は,固有法の規定に従って,かつ自己の上長の同意を得たうえで会に入会することができる。
・第638条 特別の管理行為又は譲渡とその他の法的取引を実行する許可
(1)通常の管理の目的及び様式を超える行為を定め,かつ,そのような特別の管理行為を有効に行うために必要なことを規定するのは,普遍法の範囲内において固有法のすることである。
(2)支出及び通常の管理の法律行為は,上長のほかに,固有法においてその目的のために任命されるその職員は,その任務の範囲内で有効に行うことができる。
(3)譲渡及び法人の財産状態の悪化を来たすおそれのあるいかなる取り引きも,それが有効であるためには,法の規定に従い,権限を有する上長が,その顧問会の同意を得て与える書面による許可を必要とする。ただし,それぞれの地域について聖座の定める最高額を超える取り引きの場合,また誓願により教会に贈られるものの場合,芸術,歴史上貴重なものの場合には,更に聖座の許可をも必要とする。
・第665条 修道者が修道院を不在にする許可
(1)修道者は,自己の属する修道院に居住し共同生活を守らなければならず,上長の許可を得ない限り,そこから離れてはならない。長期にわたって不在にする場合には,上級上長は,顧問会の同意を得かつ正当な理由に基づいて,会員に対しその会の修道院外に居住する許可を与えることができる。ただしこの許可は病気療養,勉学又は会の名によって行う使徒職による場合を除き,1年を超えてはならない。
・第671条 修道者が会以外の任務又は職務を引き受ける許可
修道者は,適法な上長の許可がなければ,自己の会以外の任務又は職務を引き受けてはならない。
*1 この条項は、緊急かつ臨時のものであり、除名と混同してはならない。
*2 会憲第181条; 会則第180条,181条を参照。
教会法第127条の正統な解釈は、1985年7月5日にラテン典礼教会の教会法の正当な解釈のための教皇庁委員会によって制定され、上長が法律行為を行なうために、一定の団体又は集団の同意若しくは意見を必要する場合、上長は、他の者と共に投票する権利を持たず、最終的な引き分けに決着をつけることさえできない。
その代わりに、その行為(例えば、修道誓願や聖職への入会、退会の許可)が、評議会の同意を得て、管区の上長の責任であり、評議会を持つ支部の上長の意見が求められる場合、その場合、支部の上長は、他の評議員と一緒に投票する。
3 この規範に基づけば、棄権は正当化されない。
