Frigo Carloフリゴ・カルロ神父へ
(教え子、サレジオ会員、中国の宣教師)
チマッティ神父は以前から宣教師になろうと望んでいたが、かなえられなかった。1912年から1919年までトリノ駅付近の聖ヨハネ教会附属のサン・ルイジのオラトリオ((教会学校))に勤めた後、この手紙を書く半年前にヴァルサリチェの高等学校に戻り、一層宣教師になる希望に燃えていた。宛先のフリゴ神父は、中国の宣教師であった。サレジオ会が中国に入ったのは1910年からであった。そこには、チマッティ神父の数名の教え子たちがいた。
トリノ1920年3月20日
親愛なるフリゴ神父様
先日、届いた1個の小包を開けてみると、偶像とカレンダーが出てきた。書いてある字が読めなかったが、分かったのは扶助者聖母の姿だけであった。「これは、フリゴ神父に違いない」と思い、下を見ると、君の署名があった。ありがとう! これは、大切なことを私に思い起こさせてくれるものだ。
わが偉大なるカルロ君。一体、いつになったら、私が宣教師となれるお恵みをマリア様からもらってくれるのか。そうなれば、私は必ず君に会いに行き、君は私に中国語を教え、私はおとなしくよい子になって見せる。君が学校時代にしていたように、迷惑をかけることは絶対にしないよ。
とにかく、君が送ってくれたものを見て、全てが分かった。君のマリア様に対する愛、君の使徒職への熱意、君が何か便りを待っていることや、ヴァルサリチェで思い出してほしいという願い。(略)
最愛なるカルロ君! どうして君を思い出さずにいられようか。私は、ここ20年来、死にそうなほど、君が置かれている立場になりたいと願い続けた。でも、仕方がないさ! 私はそれにふさわしくないのだろう。だが、死ぬ前に、マリア様は私が宣教師になるお恵みを手に入れてくださるに相違ない。もし、それが神のみ心にかない、私の魂のためになるなら、マリア様は、きっと、そのお恵みを手に入れてくださると思う。
お願いだ。余り熱心にならずに、私のためにも何かの仕事を残してください。いな、君は今、人々を神に導くため全力を捧げなさい。それにしても、最後の雇われ人の私が入り込む、ちょっとした場所は残るだろう。
ところで、いつも明るい気持ちで、よく働いているか。太ったブルジョアになってはいけないよ! 常にサレジオ会員らしくありなさい。そして、特に今、マリア様を愛するようにしなさい。他に、何を書けばいいのか。君も知っているとおり、私は、人の話を聞くのが好きだから、君たちから教わりたいのだ。ヴァルサリチェで化石化している私たちは、君たちが払っている犠牲や、その働きぶりから大いに学ぶことがある。でも、今は、主がこれを望んでおられるのだから、御心のままに! きっと、何かわけがあるのだろう。
では、頑張ってください。 ノスタルジーにとらわれずに、偉大な聖フランシスコ・ザビエルの功績に倣うように! いつも目上たちと共に君のことを心から思い出している私のためにも、どうか祈ってほしい。君のためにあらゆる善いことを願っている長上たちからもよろしく。
心からあなたの V. チマッティ神父
Albera Paoloアルベラ パオロ神父へ
(1910年から1921年までサレジオ会総長)
1920年7月、チマッティ神父はヴァルサリチェの師範学校の校長となり、管理職のわずらわしさを体験して、宣教師になる気持ちが一層切実になってきた。既に41歳であり、1905年3月18日司祭に叙階されてから、15年経っていた。1920年12月3日
尊敬すべき総長アルベラ神父様
今日、宣教師の保護聖人〔聖フランシスコ・ザビエル〕の祝日にあたり、また、私たちの善き母マリア様のみ手に抱かれて(12月8日、無原罪の祝日に)生まれたサレジオ会の誕生日に合わせて、私は、私たちの指導者であり、父親であられる総長様に、会員としての自分の気持ちを打ち明けたいと思います。(略)
今、私の魂を喜ばせてくれるのは、司祭叙階15周年記念のことです。この一年、心の中で静かに神に感謝しながら熱意を千倍にし、私の数多い欠点を改め、サレジオ会員によりふさわしい生き方を身に付けたいと思います。ああ、どれほど総長様のお祈りと忠告を必要としていることでしょう。どうか、私をお助けください。
私は、どなたよりも先きに総長様にこの記念のことをお知らせして、お心に留めていただきたいと思います。今年こそ、私が兼ねてから望んで来た宣教師になるお恵みを、主がお与えくださるのではないかと願っています。親愛なるアルベラ総長様、信じてください。私の思いは、もうそこに行っています。使徒的活動以外、もはや私の心をひくものはありません。ああ、どれほど計画を立てたり、想像をめぐらしたり、祈りを捧げたりしたことでしょう。私は、貧しく、粗野で、見捨てられた人々の間で聖務を果たしたいのです。(略)「どうぞ、私を派遣してください」という私の願いを、主は、いつ聞きいれてくださるのでしょうか。私は、このお恵みを主からいただけると確信しています。それは、明白、当たり前のことにみえます。もちろん、聖人になるためにしなければならないことは、まだまだ山ほどありますが、宣教生活ならば、私の多くの欠点をきっと清めてくれるでしょう。
包み隠さずに申し上げます。私は、特に教育委員会当局との付き合いにおいて、形式的かつ、いつも正直とは言えない学校運営の中にあって、いささかうんざりしています。澄んだ空気、よその土地の新鮮な空気、辛くて骨の折れる労働の中でなければ、私は無為に人生を送り、腐ってしまう気がします。物質的、精神的貧しさの中に置かれて、それがひどく、惨めで、不幸なものであればあるほど、私は、より幸せになれるように思います。これが、25年来ずっと、抱き続けてきた望みです。これこそ、自分の長上を通して、神に請い願っていることです。
どうか、私の魂のためにお祈りください。神が、私のために御心のとおりにしてくださいますように。どのような結果になろうとも、私には、すべての覚悟ができています。(略)
私のこの手紙を宣教師の保護聖人と、私たちの無原罪の聖母、そして、今日、その日にあたるイエスの聖心に委ねます。どうか私を祝福し、私のためにお祈りください。
敬愛を込めて ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Luchelli Alessandroルケ-リ・アレサンドロ神父へ
(所属管区の管区長)
1922年3月上旬、チマッティ神父は、母の危篤を知らされ、故郷ファエンツァに駆けつけた。その折、自分の母校だった現地のサレジオ会の学校の依頼で、マリア像に冠を被せるための歌を依頼され、『Corona aurea, 黄金の冠』を作曲した。その曲には、母も天国で栄光の冠を受けることになる、という思いが込められていた。
ファエンツァ1922年3月5日
敬愛する管区長様
昨日の午後2時、私の母が天国に旅立ちました。原因はインフルエンザでしたが、かなりの高齢のため、それを乗り越えることができませんでした。彼女の魂の冥福のためにお祈りください。南米のペルーにいる私の兄ルイジにもできるだけ早く知らせるため、本部の長上にもお伝え願いたいと思います。
いずれにせよ、明日、葬儀が終わり次第、私も兄に手紙を書くつもりです。
年老いた母のことを、いつも心におかけくださったことを、深く感謝いたします。どうか、彼女のために、そして、私のためにもお祈りください。
もはや、私をこの世につなぐものは、何もありません。私の聖性や私たちの修道会のために、神様が命を与えてくださる限り、新たな熱意をもって働いていきたいと思います。
敬意を込めて ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ
(1922から1931までサレジオ会の総長。福者になっている)
お母さんが召されてから、1922年10月、チマッティ神父は校長の他に、ヴァルサリチェの修道院院長にも任命された。当時の総会長は、アルベラ総長の後を継いだ福者リナルディ神父だった。ちょうど、1925年チマッティ神父を日本に派遣し、1931年まで日本から毎月チマッティ神父の報告の手紙を受けとった方である。1923年7月、ローマの聖座から総長宛てに日本の宣教地の一部を引き受けてほしいとの要請が届いていたが、以下のチマッティ神父の手紙は、聖母マリアの祝いに参加してくださるよう、総長を招待するために書かれた。結果的に、チマッティ神父が日本に派遣されるきっかけとなったと思われる。
トリノ1923年11月9日
尊敬すべき総長リナルディ神父様
(略)どうか私のためにお祈りください。そして、私が行ける宣教地として、より貧しく、より苦労の多い、より見捨てられた場所をお見つけください。どうも! 居心地の良い場所は(大したことではないにしても)、私には合わないのです。どうか、今度こそ、願いをお聞き入れください。
敬愛する V. チマッティ神父
Minguetti Giovanniミングエッティ・ジョバンニ神父へ
(所属管区の管区長)
校長と院長の任務を兼ねていたチマッティ神父は、自分はその立場に向いていないと思い込み、下ろしてくれるように、また宣教師の道を開いてくれるようにと、管区長に願っていた。以下の手紙から見ると、管区長は、あまり賛成ではなかったようである。
ヴァルサリチェ1925年5月25日
敬愛する管区長様
私に対する父親のような日頃のご愛情に対して、心から感謝すると共に、管区長様のため、多くのお祈りをお約束いたします。同時に、私に(不幸にも!)任せられているこの学校がうまくいくため、ご配慮いただくべきことをお知らせいたします。
・まず、管区長様は、私が校長職から下ろされるようにご配慮してくださるとお約束なさいましたが、結果はひとつも見られません。ご存知のとおり、私の心情は“死の一歩手前”の状態です。
・次に、私が宣教師になることに対して妨げをなさらない、とお約束くださいましたが、実際は大きな妨げを置いていらっしゃいます。それは、そのために祈ってくださらないからです(最近のお手紙でもそうおっしゃっていました)。どうか、私と一緒に、こうお祈りください。「主よ、もし、神のより大きな栄光や、チマッティ神父の霊魂のためになるならば、彼が宣教地に派遣されるよう、その祈りをお聞き入れください!」と。
〔続いて、学校運営についてのいろいろな問題にふれます。〕(略)
敬愛をもって、ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Braga Carloブラガ・カルロ神父へ
(中国の宣教師、教え子、トリノの聖ヨハネ支部のオラトリオで一緒に働いた)
チマッティ神父が日本に派遣されることを知らされたのは、1925年6月18日であった。同じ年に彼は、『教育者ドン・ボスコ』という著書を出版している。
1925年6月 初旬
親愛なるブラガ神父様
『教育者ドン・ボスコ』を贈るから、君の批評を聞かせて欲しい。
イエス様が君を愛しておられるのだから、いつも努力し、「よき兵士として働きなさい・・・」。
でも、次のことを心得ていなさい。実際に働いておられるのは、イエス様ご自身、イエス様だけ、いつもイエス様であること、それも、マリア様を介して働いておられるのだ、と。
私の手紙は、行方不明になったのかもしれない。とにかく、信じてください。私は、特に祈りの中で、また、〔以前一緒に働いた〕聖ルイジのオラトリオ〔教会学校〕の昔の生徒たちと顔を合わせるとき、いつも君のことを思い出している。あの子たちがこれほど私たちを愛してくれているとは、予想もしなかったことだ。本当にすばらしい友だちだ。写真からも分かるであろう。
恐れることなく、前進しなさい。光を放って、周りを照らしなさい。
もしかしたら、会えるかもしれない。と言うのは、皆、私の名前を挙げて、東洋に行くだろうと言っている。でも、私は、まだ何も知らない...。待つことにしよう。もし私の時が来たのであれば、イエス様が祈りを聞き入れてくださったことになる。さもなければ、引き続き、人類のため、この教育の畑でいそしもう。
明るく、まじめにやりなさい。私の生活はいつも同じだ。私には、それ以外できないのだから。時々、ひとつの疑問が湧いてくる。宣教地にも、暇な時間を強いられることがあるのかしら、と。それなら、私にとって滅びだ!...。しかし、私のカルロ神父よ、君には、暇な時があるまい! それに比べれば、私たちは話にならない! 赤面するばかりだ。
私のために祈ってくれ。イエス様が、御心の月である今月、私たちをご自分のものにしてくださるように。
いつもあなたの V.チマッティ神父
Grigoletto Giuseppeグリゴレット・ジュセッぺ神学生へ
(教え子、サレジオ会員、後の日本のための大協力者、一番多くの手紙をもらった人)
当時、神学生だったグリゴレット神父は、幼い時に両親を失い、父親のようにチマッティ神父を慕い、一生の間、恩師に協力した。調布のチマッティ資料館にある数多くの化石を贈ってくれたのも、同神父である。彼はチマッティ神父から一番多くの手紙を受け取り、そのうち323通が保存されている。以下に挙げられるいくつかの手紙の中に、日本へ発とうとするチマッティ神父と教え子たちの美しい師弟関係を見ることができれる。別れの辛さも感じられる。
1925年10月15日
愛するジュセッぺ君
今日をもって、院長の任期が終わる。これから、新しい考え、新しい志...。日の出ずる国、桜の花、菊の花、びわ、柿、米、蚊、火山、地震...。素晴らしい自然の宝庫。喜びの涙が出る! (略)
どうか、私のために祈ってくれ。今こそ、私は祈りを必要としている。私は、東洋に向けて、全てを方向転換する。多くの笑いや喜びがあるだろう。もとより、苦しみも多々あろう。神に感謝!
もし、何らかの形で(君なら分かるね!)、私の貧しい宣教地を助けてくれる良い人を見つけたら、神様は、君とその恩人を祝福してくださるだろう。
私のジュセッぺ君、おバカちゃん、明るく、落ち着いていなさい。そして、度重なる数多くの小さな犠牲で自分の意志を鍛えなさい。君の上に神様の祝福を祈る。
君の V.チマッティ神父
Galbusera Giovanniガルブセーラ・ジョバンニ神学生へ
(教え子、サレジオ会員)
トリノ1925年11月3日
親愛なるジョバンニ君
君の寛大な援助を受け取って、言葉で言い尽くせないほど喜んでいる。今日、君のことを思い出して祈る。マリア様が祝福してくださり、君の魂と家族にあらゆる善きものを与えてくださるように、よき母マリア様に委ねる。
これから、孤独、苦しみ、欠乏の中に入っていこうとするこの私の意向を、どうかイエス様が聞き入れてくださり、私の魂の救いのために助けてくださるよう、私のために祈ってほしい。
すべて君のものである V.チマッティ神父
Marchisio Carloマルキジオ・カルロ神学生へ
(教え子、サレジオ会員)
1925年11月13日
親愛なるカルロ君
君の手紙にとても感動し、その親切に感謝する。これから、新しい生活を始めようとしているので、いかに小さく、いかに意味がないと思われる愛情のどんなしるしでも、私にとってとてもありがたく、心を打つものである。(略)
いつも君の V. チマッティ神父
Fracchia Italoフラッキア・イタロ氏へ
(教え子、イタリア国軍の幹部)
フロジノーネ1925年11月25日
親愛なるイタロさん
トリノまで来てくれたと聞きましたが、会うことができませんでしたね。残念です。けれども、そちらに戻ったら、何とかして会いたいと思います。
私は、今、姉に挨拶するためにフロジノーネ市に来ています。姉と一緒に君と君の奥さんのことを、懐かしく思い出して語り合いました。これからも、私が君を思い出し、君が私を思い出してくれることは、言うまでもありません。
親愛なるイタロよ、主があなたを祝福し、すべての良きもので満たしてくださいますように。私のためにも祈ってください。もし、日本という私の新しい宣教地に関心ある人がいたら、教えてください。君も、困難きわまるこの貧しい宣教地を、心に留めてください。
では、あと数日、会えることをお楽しみに。天使のようなお子さんたちにキスを贈ります。
あなたの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生へ
(教え子、サレジオ会員、音楽の先生としてチマッティ神父の後を継いだ)
ローマ1925年11月25日
親愛なるフランコ君
挨拶のカード、ありがとう。私は、聖女チェチリアの祝日を〔心の中で〕ヴァルサリチェの君と音楽の仲間たちと一緒に過ごし、その前日、〔サン・カリスト〕カタコンブにある聖女の祭壇とお墓の前で音楽家たちと最良のフランコ君のためにたくさん祈った。(君たちのことを思うと、心の中に感じることを君は想像もできないだろう)。願わくは、聖女が初代キリスト者や自分の家族に対して使徒であったように、フランコ君も仲間たちに対してそのような人であってほしい!
すまないね、わがフランコ君。書きながら、ついつい愛情のあまり、あれこれを語りたくなる。もう十分だ! さもないと、心が爆発して、あとは気分が悪くなる。どうか祈っておくれ。(略)主よ、もう充分、充分、充分です! あなたを愛している者は、なんと快いことを味わうのでしょう! イエス様よ。あなたの小さな私たちに、どれほどの良いことを行わせてくださるのでしょう!
すまないね、フランコ君。自分でも何を言っているのか分からなくなってしまう!
君が他人のために尽くしたいことを、よく知っている。働け、働け、働け!
魂、魂、魂! イエス様は、君のもとにどれほど多くの魂を送ってくださることか! 愛情に弱い私を、すまなく思う。私のためにどうか祈ってください。(略)
君の チマッティ神父
Valentini Eugenioヴァレンテイ―ニ・エウジェニオ神学生へ
(教え子、サレジオ会員、後にトリノのサレジオ神学院の院長として活躍した)
1925年12月20日
親愛なるエウジェニオ君
この手紙の紙に気をとめず、書いている手と心を考えなさい。最近受け取った多くの手紙の中で、特に君の手紙はありがたく思った。おそらく、私たちの魂ほど、互いに深く理解し合い、イエスを愛するため、互いに助け合い、努力した魂はないだろう。覚えているか。どれほどたくさんのことを、共に神の御心に秘めておいたことか。それは、私にとって、ヴァルサリチェでの、真の、唯一の慰めだった。
私のためにわざわざ祈ってくれて、特に、十字架や苦しみを願ってくれていることを感謝する。さらに、辱めも付け加えてもらいたい。これらによってこそ、私たちは、屈辱で満たされた主イエスに近づくことができるだろう。
君は、私のことを過大評価しているのだよ。残念ながら、私はそんな者ではない。むしろ、言葉や行ないをとおして、君に対して行なったかもしらないさまざまな悪についてこそ、跪いて許しを乞わねばならない。でも、意向だけは聖なるものであったことを、主がご存知だ。
主のために、祈り、働き、犠牲を払いなさい。そして、私が宣教生活を願ったことによって目指している目的を、善き主が果たさせてくださるよう、祈ってください。
30日、航海中、君の霊名日を思い出そう。イエス様が、聖なるサレジオ会員にしてくださるように祈る。君を祝福し、主において抱きしめる。
よいクリスマスを。そして、他の人たちにも、私のお祝いの言葉を伝えなさい。
主において君の V.チマッティ神父
Craviotto Vincenzoクラヴィオット・ヴィンチェンツォ神学生へ
(教え子、当時サレジオ会員、後に社会人となった)
1925年12月24日
わがヴィンチェンツォ君
君が私を思い出させる名を持っているのだから、このチマッティ神父を忘れないでくれ。すべてのことに勝利者となりなさい。〔注。Vincenzoは“勝利者”の意味〕
イエス様と、私たちの優しい母を愛しなさい。特にこれから君が出会う試練の中で、自分の霊魂の救いをマリア様に委ねなさい。
主に対して寛大であり、恐れずに前進しなさい。謙遜の業に励みなさい。
あなたを心から祝福している私のために祈りなさい。
君の兄弟 ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Giordano Antonioジョルダーノ・アントニオ、その他の神学生へ
(教え子、サレジオ会員、神学生のアシスタントだった)
1925年クリスマス
親愛なるジョルダーノ君と神学生の皆さん
出発を前にして、日本という私の宣教地と私自身に対して示してくれた寛大な愛のしるしに感謝し、心からの挨拶を送る。イエス様が報いてくださるように! 君たちが善いことを行なうために協力してくれたのだから、その功徳も分かち合うことになるだろう。この考えに支えられて、祈り、精神的・物的協力の業を続けなさい。
愛の模範である私たちの保護聖人フランシスコ・サレジオに捧げられた月、同時に尊者である私たちの父(ドン・ボスコ)の死を思い起こすこの月(1月)を目の前にして、君たちに次のことを提案する。
1.聖フランシスコ・サレジオは、愛徳や真摯な態度の聖人、聖なる宣教師、ドン・ボスコが与えてくださった保護者である。私たちは、一人ひとり彼に倣い、この月の間、特に神、長上、同僚、そして、それぞれに任されている若者たちとの関係において、愛徳を身につけたい、と決心すべきである。これこそ今、一人ひとりにゆだねられている宣教の場において、各自ができる最高の使徒職である。
2.次は、ドン・ボスコ! この名は、修道誓願のときに神に誓ったことを各自に思い起こさせ、父の聖なる生き方、いかに私たちの修道会を創立したか、ご聖体におけるイエス、扶助者聖母、教皇に対しや、人々の救いのために、いかに大きな愛を抱いていたかを、思い起こさせてくれるのである。
わが神学生の皆さん、特にこの月、ドン・ボスコへの贈り物として、会憲をよく守るようにしようではないか。
聖フランシスコとドン・ボスコに対する私のお礼として、また、君たちへの感謝として書いたこの手紙を受け取るとき、私はすでに日本に向って航海中だろう。どうか、私のことを思い出してほしい。
私のために祈りなさい。善きイエスが、その限りない憐れみによりこの地上で私たちを兄弟にしてくださったように、天国でも、ドン・ボスコと扶助者聖母のかたわらに、私たち皆、皆、皆を居合わせてくださるように、と。
君たちの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Giordano Antonioジョルダーノ・アントニオ神学生へ (前出)
1925年12月28日
我がトニーノ君、〔注.トニーノとは、Antonioの親しい呼び名〕
最後の挨拶は君のため。私たち2人ほど互いに理解し合えた者は、他に余りいないだろう! イエス様が、私たちを聖化し、愛し、助け、功徳を募らせてくださるように。
君が病気だと耳にしたが、その苦しみをイエスに捧げなさい。2人のうち、先に天国に着いた者は、残された者に知らせに来るのだね。分かったか。
アントニオ君、何もかも、ありがとう。私たちの愛情も、あらためてイエスに捧げることにしよう。距離的に離れれば離れるほど、ますます、生き生きとそれを感じるだろう。とりあえず、私の宛て先を上海にしなさい。そこから転送するように頼んでおく。私の住所がはっきりしたら、また連絡する。
同封した祈りを唱え、広めなさい。〔注.イタリア語で印刷した、日本のための祈り〕
明るく、謙遜でありなさい。イエス様が、使徒職のために共に励むことができるよう、早く一つにしてくださるように祈る。君を抱きしめて、祝福する。
君のV.チマッティ神父
Galbusera Giovanni ガルブセーラ・ジョバン二神学生へ (前出)
1925年12月28日
親愛なるガルブセーラ君
心からありがとう。君のことを、愛を込めて、祈りの中で思い出す。イエス様が、君を祝福してくださるように。
さあ、出発だ!(略)もし、君の知り合いの中に、だれか私の貧しい宣教地に関心のある恩人がいれば、よろしく。明るく、善良でありなさい。愛を尽くし、犠牲を払い、働き、祈りなさい。
いつも君の Ⅴ. チマッティ神父
Sordo Antonioソルド・アントニオ神学生
(教え子、サレジオ会員)
1925年12月
わがソルド君
君があのコインへの執着を切って、私にくれた善意に対して感動した。君にとって大切なものだった、とよく分かっている。それよりも、会って挨拶することもなく別れたことは、主が求められた最大の犠牲であったろう。信じてほしい。私にとっても本当に犠牲だった。イエス様が、報いてくださるだろう。
我がアントニオ君、私を慕ってくれて、ありがとう。これから私のために捧げてくれる祈りにも感謝したい。思い出としては、何を残していこうか。- 会憲を愛し、細かいところまでそれを実行しなさい。そして、主において喜びのうちに進みなさい、と。
主において君を抱きしめる。主がその寛大さを報いてくださるように。君を思い出すというのでは、余りにも物足りない。それよりも、私のちっぽけな心の中に、君は特別な位置を占めると言いよう。
さよなら、トニーノ君。ヴァルサリチェの時代に、君が完全なサレジオ会員として生きられるように、より上手に助けてあげられなかったことを、どうか許してください。常に勇気をもって進め。すべてにおいて聖母のご加護があるように。
主において君の V.チマッティ神父
教え子たち諸君へ
チマッティ神父は、自分の写真と共に、この挨拶文をはがきに印刷して、すべての教え子たちに送った。その一枚が保存されている。
トリノ 1925年12月
親愛なる教え子の皆さん
日本の宣教地のためやってくださったことを、ありがとうございます。神が十分に報いてくださいますように。感謝の気持ちで、心から君たちを思い出します。言葉と行ないにおいて、ドン・ボスコのふさわしい弟子であるように努めなさい。
いつも君たちの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
17-Cimatti Santina Sr. Rafaellaチマッティ・サンティーナ、シスター・ラファエラへ
(チマッティ神父の姉)
チマッティ神父の姉サンティーナは、ラファエラの修道名でシスターになっていた。出発の日、チマッティ神父はジェノバから最後の挨拶を送り、思い出としては亡くなった母と、自分自身の中学時代の写真を贈った。これらは保存されている。
愛する姉さん
片付けながら、姉さんにとって思い出深い写真を見つけたので、送ります。
ジェノバから、心を込めてこの挨拶を送ります。1月3日、ポート・サイドに着く予定です。
私が少しでも人に役立ち、ふさわしい者となれますように、イエス様のお恵みを祈ってください。皆、皆、皆によろしく。お姉さんを祝福します。
あなたの D. ヴィンチェンツォ
ジェノバ 1925年12月29日
(母親の写真の裏に書かれた言葉)
サンティ-ナへ
あなたに贈る最も優しい思い出。
あなたの V. チマッティ神父より
チマッティ神父の日誌より
(これから、日誌を引用するとき、「日誌より、と日付」と書く。)
チマッティ神父は、手紙の他に、宣教地の長としての『日誌』を書いた。これは、日常の出来事、また師の心の中を知るためには、とても貴重な文献である。五つの帳面と、タイプで打った補足ページ等からなっている。空白の部分もある。正式に始まるのは、目的地に着いた1926年2月からである。終わるのは、管区長を辞めた1949年11月末である。以下のとおり、別紙で加えた出発前の状況についての文書がある。これを見ると、一行のメンバーは互いにほとんど面識がなかったことが分かる。
1925年12月29日、最初の宣教師のグループは、ドイツの客船「フルダ号」に乗り、日本を目指してジェノバを出港した。九州(大分と宮崎の両県)を離れるパリミッションの神父たちの後を継ぐためであった。これは、長崎教区のコンバーズ司教が、パリミッションの長上モンシニョール・デガブリアン師の同意の上で、サレジオ会と教皇庁福音宣教省に依頼したことだった。最初の宣教団の構成メンバーは、次のとおりである。〔参考のため、それぞれの年齢も加える〕
ヴィンチェンツォ・チマッティ 司祭 〔46歳〕 (イタリア人)ヴァルサリチェ支部より
ジョバンニ・タンギー ” 〔45歳〕 (フランス人)スペインより
アントニオ・カヴォリ ” 〔37歳〕 (イタリア人)ペルージャ支部より
ピエトロ・ピアチェンツァ ” 〔26歳〕 (イタリア人)ランツォ支部より
レオーネ・リビアべーラ ” 〔30歳〕 (イタリア人)ローマ支部より
アンジェロ・マルジャリア ” 〔27歳〕 (イタリア人)エジプト アレクサンドリアより
ルイジ・グアスキーノ 修道士 〔32歳〕 (イタリア人)アオスタ支部より
アルフォンソ・メルリーノ ” 〔24歳〕 (イタリア人)トリノ マルティネット支部より
ジョバンニ・デ・マッティア ” 〔37歳〕 (イタリア人)ファエンツァ支部より
一行の派遣は、サレジオ会の海外活動50周年の記念すべき年に行われた。今回の日本への派遣は、新規事業だったので、長上たちは一行がローマに赴き、教皇の特別な祝福を受けてから出発することを望んだ。教皇は、忘れ得ぬ特別な謁見の中で、私たちに次のような言葉を述べられた。
「皆さんは、長上や善意の人びとに祝福されて出発しますが、私も皆さんの宣教を祝福します。皆さんが派遣される場所は、これからとても期待され、過去には多くの実りをもたらし、偉大な宣教師たちが蒔いた種の跡が残っている地域です。ですから、あなたがたの召し出しと宣教活動に要求される確固たる信念を抱きながら出発しなさい。(ここで教皇は、私たちを祝福された)。皆さんが出発するのは、〔サレジオ会の〕最初の宣教師がアルゼンチンとパタゴニアに派遣された輝かしい記念の年です。日本への派遣が同様の成果をもたらしますことを祈ります。イエス・キリストに派遣された使徒たちと同じように、出発しなさい。彼らと同じ心の姿勢を持って、委ねられた人びとの心の中に神のみ国を広めるために働きなさい。」
一行の団長は、教皇庁福音宣教省の長官バン・ロッスム枢機卿とその協力者たちにも挨拶した。
〔サレジオ会出身〕のカリエーロ枢機卿のことも忘れなかった。彼は、日本の宣教地一番の恩人であり、この派遣の実現のために尽力し、最初の旅費も出してくださった方である。
宣教師たち一人一人も、公演を開催したり、友人、恩人、教え子、卒業生たちなどに手紙を書いたりして、あらゆる方法で支援を依頼し、贈り物や寄付が寄せられるよう、宣教地の友人の輪を広めるようにした。
出発前の感動的な派遣式や、旅の支度、友人や恩人たちへの最後の挨拶、長上たち、特に尊敬すべきリナルディ総長の思い出の言葉など、あれこれするうちに、あっという間に12月29日、ジェノバを出港する日が来た。
Margiaria Angelo マルジャリア・アンジェロ神父の証言
(日本に派遣された一行のメンバーで、後にテノールとしてよくコンサートに参加した)
出発前、総長リナルディ神父は、わざわざ私たちのためにドン・ボスコの部屋でミサを捧げてくれて、次の言葉を残してくれた。「あなたたちは、文化的にも経済的にも発展している、遠い国へ出発しようとしています。あなたたちに期待されることは、ただひとつ。イエス・キリスト、十字架に付けられたキリストの愛をもたらすことです!(T,4,35)
日本への旅 (1926年)
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ (前出)
この手紙は、チマッティ神父が旅立ってから総長に宛てた最初の手紙。文中にあるとおり、船には、日本に向かう9人の他に、インドや中国に向かう20人のサレジオ会員と3名のサレジアン・シスターズが乗っていた。なお、後に友だちになった上原専禄氏という若い日本人も登場する。ジェノヴァを出て、スエズ運河を通り、ポート・サイド、ペリム、コロンボ、シンガポール、香港、上海に停泊し、最後に門司港に上陸した。チマッティ神父は、各港から手紙を出している。
ポート・サイド1926年1月2日
敬愛なるリナルディ神父
無事にポート・サイドに着きました。(略)乗組員は皆プロテスタントですが、とても親切、まじめです。すべてにおいてよく世話してくれます。
乗客もほとんど外国人。イタリア人は、我々サレジオ会員29人と3人の扶助者聖母会のシスターズ、また演奏のために日本と中国に向かうイタリア歌劇団の人々(その中のひとりは、ミラノのサレジオ学校の卒業生)、合わせて50人余りです。皆、キリスト信者らしく、イタリア人らしく元旦を祝いました。ウィーン大学で勉強してきた若い日本人も、一緒にミサに参加しました。(略)
違う環境にあって、私たちはできる限り規則正しい信心業を行ない、快活さ、働きをとおしてサレジオ的生き方を保つようにしています。残念ながら、聖櫃におけるイエス様なしの生活を強いられています。しかし、世間の便宜や雑音の中にあっても、できるだけ心の平安を保ち、修道生活を積極的に営むようにしています。
私個人としては、イエス様に自分自身を犠牲として捧げ、与えてくださった能力や、毎日寛大に与えてくださる善意を捧げるようにしています。何でも知っていると思うこの傲慢な私は、今述べたこと以外に何もできません。私は、イエス様だけ、また、任せてくださる人びとの魂を愛し、出発をもって断ち切った執着から完全に清められるよう努力しています。イエス様が私の奉献を受け入れてくださいますよう、お祈りください。私の魂が救われ、神のお恵みにより日本人の心が開かれるためです。
目上の方々によろしく。私たちは、毎日、皆さんを思い出しています。皆を、特に誰よりも必要とするこの私を(これは本当です!)祝福してください。
敬愛するあなたの子 V.チマッティ神父
Cavoli Antonio カヴォリ・アントニオ神父の証言
1955年
カヴォリ神父は、9人のひとりで、チマッティ神父の指示により1937年宮崎カリタス修道女会を創立した者である。同じロマーニャ地方出身、従軍司祭の経験を経て入会した人で、規律と権威を重んじていた。2人が初めて出会ったのはトリノでの派遣式の時であった。カヴォリ神父は、1955年、チマッティ神父の叙階金祝に際して出された“Jubilaeum”という記念号の中に、乗船した時の雰囲気と最初の印象を、こう証言した。
「一行はフルダ丸に乗船し、夕方に舟は出港しました。チマッティ神父様は“Solchiamo un mare infido 波浪をけたてて”という聖母の賛歌を元気一杯で歌い出し、一同も信心深くこれに唱和しました。歌が終わると、チマッティ神父様は各々の手をとって“さあ、踊ろう”と促し、ピエモンテ州の民謡に合わせて踊り始めました。私は、その有様を見て、驚きもし、また、あきれてしまい、 “全くこの人は一行を指導できるような人ではない”と思い込んでしまいました。さて、この旅は45日もかかりました。師の態度にも変わりはなく、私の考えも依然として同じでした。ああ、私は父のような、否、母のような優しい心を理解していなかったのだ。師は、己を忘れて、私どもを楽しませ、故郷を後にする者の寂しさをできるかぎり少なくするように気遣っていたのでした。後になってから段々、その人柄を理解するようになりました。謙遜、そして言葉に尽くせないほどの慈愛、この2つの徳は長上としての師の姿を特色づけるものです。」
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
これは、イタリアのBolettino Salesiano 「サレジオ・ニュース」に載せられた最初の記事。総長に宛てられた手紙に添付されていたものの中から編集部が選び、ほとんど原文のまま載せられた。チマッティ神父が責任者だった1949年まで送られたのは234通、記載されたのは124通である。これらを通して、日本のことをイタリアに知らせるようにしたのである。この手紙が出されたペリムという港は、紅海の南、アラビア半島の一番南の地点である。
ペリム1926年1月6日
敬愛なるリナルディ神父
物資補給のために、今、船がペリムに停泊しています。(略)
私たちは、規則正しく団体生活を続けていますが、世間的な生き方は、私たちを運ぶこの貝殻のような船の中にも姿を見せています。(略)
同じ航海をした多くの人々が伝えたこと以外に変わった情報はありません。次々と目の前に現われるのは、右手にアフリカ、そして遥か彼方にイエス様の国や、アラビア半島!(略)おお主よ、まだあなたを知らない人々が、どれほど多くいることか。一方では、感嘆すべき壮大な自然、他方では、驚くべき人間の技術の業! それと同時に、植民地となった国々に対する搾取、日没に向かってひれ伏し自分の祈りを唱えるイスラム教徒の敬虔な姿。そして、共同生活を営んでいる私たちの傍ら、たわいない空虚な生き方をしている多くの乗客。
今日は、キリストのご公現祭です。イタリア歌劇団のメンバーたちが加わって、一緒にミサ〔ペローシのTe Deumミサ曲〕を歌いました。おそらく世界中どこを探しても、航海中の船上でイエス様がこれほどすばらしい音楽で称えられた所はどこにもないでしょう。聖なる幼子にお捧げできることは他にあったのでしょうか! 私たちは皆、自分のすべてを幼子にお捧げしました。(略)
私自身は、どうでしょうか。神のみ手に抱かれて安心して進み、神との一致を保つように努力しながら、落ち着いて仕事に励んでいます。(略)神の愛が私たちの魂や、特にこのあなたの子の心に残っている欠点を焼き尽くしますよう、お祈りください。
V.チマッティ神父
ヴァルサリチェの神学生へ
この手紙は、紅海で書かれ、「Dal Mar Rosso、紅海から」というすばらしい曲が同封された。文中、後に一橋大学初代学長になった上原専禄氏と知り合ったと書いてある。氏は、ウィーン大学でヨーロッパ中世史および社会学を専攻し、船上で自ら一行に日本語を教えることを提案し、最初の日本語の教師となった。
ペリム1926年1月15日
親愛なるヴァルサリチェの皆さん
恥ずかしくないのか! ここでは日が昇っているのに、君たちはまだ眠っている!(略)ただ今、私たちは沖にいる。どこを見ても空と海!今回、日本に向かう私たちと上原専禄という方と一緒に撮った写真を贈る。この善良な若い先生は、自発的に、神秘な日本語の美しさを教えてくれると提案してきた。み摂理は、なんと素晴らしい! 私たちは、もう結構なところまで進み、文章も少し分かるようになった。神に感謝! 願わくは、神様が信仰の恵みをもってこの恩人を報いてくださるように。(略)
君たちの兄弟 V.チマッティ神父
上原専禄氏の証言
1969年1月19日の録音による
「日本語の勉強のお世話をしようと言いだしたのは、私の方からでした。『これはほんとうにみ摂理によるものだ』とすぐチマッティ神父は言われました。それ以来、毎日、1、2時間、日本語の授業をすることになりました。」
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
チマッティ神父は、この手紙をもって初めて、サレジオ会の会憲に命じられている毎月の報告を、規定の項目に従って総長に送っている。以降、長の責任を負った1949年まで、毎月、報告を忠実に書き、その中に自分の心の中までを率直に打ち明けている。こういう手紙は類のない記録になる。
シンガポール1926年1月26日
親愛なる私のパパ
まず、コロンボで感じたことを簡単に書きます。(略)世界中どこへ行っても、皆同じ人間です。肌の色、服装、多少とも景色の美しさは変わりますが、アダムの子らとその背負っている重荷はどこでも同じです。ここに来て、(多分彼らはそのことを意識してないでしょうが)一層そのことを強く感じます。それは、キリスト教文明の日差しに少ししか照らされていないからでもありましょう。奴隷そのものの生活です。そのように呼ばなくても、現実にはそうです。私は、嫌悪感を覚え、心がしめつけられる思いで船に戻ってきました。主よ、こんな有様が、一体、いつまで続くのでしょうか。」(略)
私たちの上原専禄先生がラテン語の聖書がほしいと願ってきましたので、ヴァルサリチェでいただいた最新の聖書をプレゼントしました。短い献辞を添えて、聖ペトロの座の記念日にプレゼントしました。とても喜んでくれました。専禄先生は、日本語のレッスンのためにその聖書を使い、いろいろな箇所を日本の標準語に訳してくれています。(現在の日本語訳聖書は文語しかない、と言っています。)イエス様の照らしが彼の上にありますように。(略)
私の報告を付け加えさせていただきます。
1) 健康について。良好です。ちょっとした不調はありましたが、イエス様にそれをお捧げしました。皆の不調の分をわが身に引き受けたいのですが、おそらく、耐えられないから、イエス様は私にお与えにならないのでしょう。
2) 仕事について。時間をよく使っているつもりです。1人だったら、もっと仕事ができると思いますが、共同生活や若い会員の世話のため、共にいることが必要です。
3) 信心業について。規則正しく秘跡を受けるようにしています。なお、これから、共に生活することになるカヴォリ神父を聴罪司祭に選び、とてもためになっています。
4) 誓願と会憲の遵守について。皆に良い手本を示すように努力し、特別なことはありません。もちろん、私は、常に傲慢と感受性をコントロールしないといけません。このためにも、宣教師になることを願いました。私は、会員や神学生、また、ヴァルサリチェ師範学校の学生たちをあまりにも慕っていました。けれども、わが主イエスよ、こんな心を与えてくださったのですから、私はどうすればよいのでしょうか。完全にあなたのものでありたいと願っています! 総長様、良いサレジオ会員になるため、常に支えと助言を必要とする教え子たちのことを思うとき、涙が出るほど感動を覚えます。あまりにも彼らを慕っていたのです! チマッティ神父が与えられなかった良い指導が実現するため、イエス様が私のささいな犠牲を受け入れてくださいますように。
5) 兄弟愛について。皆に対してとても仲良くしている、と思います。
6) 共同体に直すべき問題があるかについて。今のところ、皆立派にやっていると言えます。今後、気づいたことがあれば、ご報告いたします。
総長様、お願いです。ご遠慮なく、ご忠告、ご意見をおっしゃってください。私の足りないところをお委ねします。それも祝福してください。(略)ただいま、客室で、ベットの元に跪いて書いています。(略)私のために、イエス様とお母様〔マリア〕、また、できれば、ヴァルサリチェのドン・ボスコにもひと言おっしゃってください。〔注.当時、ドン・ボスコのお墓はヴァルサリチェにあった。〕主において、わが良いお父様を抱きます。
あなたのこの惨めな V.チマッティ神父
上原専禄氏の証言
1969年1月19日の録音による
「チマッティ神父が私にプレゼントしてくださった聖書は、今でもとってあります。そこには献辞として次のように書かれています。『上原専禄先生へ、感謝を込めて、日本の宣教地に派遣された最初のドン・ボスコのサレジオ会員より、フルダ号にて』」
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
日本に向かう一行は、最初の1年間、中国サレジオ管区に属していた。管区長はCanazeiカナゼイ神父であった。師は、一行より2年前に日本の下見に訪れたことがあった。文中にあるとおり、一行は、シンガポールで初めて彼に出会った。
香港へ向かう船上で執筆1926年1月28日
親愛なる私のパパ
(略)シンガポールで、タイ国の視察を終え、帰国途中の親愛なるCanazeiカナゼイ神父が待ってくれていました。皆の喜びをご想像ください。私たちは、何人か人力車、何人か自動車で、ポルトガルのカトリック教会へ案内されました。次は、町中のカトリック教会をも見学させていただきました。皆の親切に対して、感動しました。
必要なものを買って船に戻りましたが、私は、例のとおり、支配者たちの傲慢な態度を見て、言い表しようのない嫌悪感と不愉快さに襲われました。支配者たちは、人民の経済的状態を改善しようとはするにしても、精神的、道徳的な面ではまったく無視しています。私は、自分の傲慢な性格を見せ付けられたかのようでした。原住民たちは、支配者たちの物質的な贅沢を見て、自分たちも同じ状態になろうとして、神から離れてしまいます。(略)
イエス様の愛においてあなたの V.チマッティ神父
追伸 (略)今、ペンを走らせている間、船はサンチャン(上川)島の前を通っています。聖フランシスコ・ザベリオのことが頭に浮かんできます! きっとこの聖人は、微笑みをもって、同じ名の聖フランシスコ〔サレジオ〕を保護者として仰ぐ私たちを歓迎し、将来の活動の上に神のゆたかな祝福を求めておられることでしょう!
私を祝福し、私のためにイエス様から謙遜、仕事の精神、そして、聖フランシスコ・サレジオの愛徳を祈ってください。
あなたの子 V.チマッティ神父
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
一行は、香港で中国行きの会員たちと別かれて、最後に、上海でサレジオ会員にお世話になった。この手紙に出てくるLo-Pa-Hong氏は、社会福祉に財産を注いだ熱心なカトリック信者であった。以降、チマッティ神父の大恩人となり、1931年宮崎までに訪れてきたのである。
上海から1926年2月2日
親愛なる私のパパ
(略)12月30日7時30分、マカオへ行く会員たちと修練者の感動的な別れでした。正午、お告げの祈りでマリア様を称えながら、私たちは香港を出ました。(略)
2月2日、途中で日本語を教えてくださった親切な専禄先生に感謝の気持ちを表すため、フランス語の作文を読みあげて小さなパーティーを開き、〔ワインの〕ビン2本を差し上げました。とても喜んでくれて、一人ひとりに拍手してくれました。この方との出合いは無駄ではなかったでしょう。
V.チマッティ神父
追伸 3日7時、上海に上陸しました。Garelliガレリ神父〔注.当時、上海でサレジオ会学校の学校長〕とLo-Pa-Hong氏の息子が、車で私たちをサレジオの学校まで案内してくれました。歓迎の楽器の音と生徒たちの拍手に包まれて、上海の兄弟たちと抱き合いました。疲れも、退屈も、長旅の後の倦怠感も、すべて忘れ去りました。ふたたび、サレジオ会の兄弟たちの間に戻ってきたのでした。お聖堂に行って、イエス様にご挨拶し、扶助者聖母のやさしい微笑みを目にすることができたのです。(略)
4日午後、パリミッションの事務所を訪れ、門司の宣教師たちに、到着を知らせる電報を打ちました。東京の教皇使節やイタリアの大使館にも通知を出しました。(略)
上海では、経験ある宣教師たちは、私たちが日本に向っていることを聞いて、異口同音に、日本の布教活動はさまざまな面で「大変困難だ…非常に貧しい」と語ってくれて、何かにつけ「すごく、とても、大変等など」といった最上級の形容ばかり出てきました。私は、(困難が多いということで)大きな慰めを心に覚えました。イエス様がその光栄を表すために私たちを日本の庭に派遣してくださるということは、何と大きな慈愛のしるしでしょう。(略)
リナルディ総長様、何百万人もの人が、どれほどの精神的、物質的貧しさの中に住んでいるかをご覧になりましたら! お祈りください、また、皆が祈ってくださるようにおっしゃってください。
V.チマッティ神父
Costa Luigiコスタ・ルイジ神父とヴァルサリチェの会員一同へ
コスタ神父は、ヴァルサリチェの院長職を退いたチマッティ神父の後を継いだ人である。この手紙をとおして、チマッティ神父は旅中に体験したアジアの人々の状況を報告し、教え子たちが宣教生活に備えるための有効な勧めを与えている。
上海1926年2月4日
コスタ神父様、およびヴァルサリチェの兄弟の皆さん
(略)先日、上海の街を廻って、特に私たちの支部が置かれている中国人地区を見てきました。諸外国やフランスの地区は、ヨーロッパの街と変わりありませんが、中国地区は、蟻の巣のように仕事と混雑でうようよしています。隣に贅沢や裕福があるのに、ここは、最悪の貧困やごみの中、人間的に劣悪な状態で人たちが密集しています。豪華な邸宅やあらゆる品物に溢れる商店街の側、茣蓙(ござ)で覆った小屋、ごみと不潔の中にいかに多くの大家族が生きていることか。(略)おお、何百万人の人々が、いかに見捨てられている状態にいるのか! もし、君たちが上海の若者や子供たちの大群を見ることができましたら!(略)
この旅の終わりが近づいて、ためになるいくつかの結論を述べてみたいと思います。
1) 若いうちにあらゆることに慣れるように、料理にこだわらず、ドイツ、イタリア、中国など、どんな食事でも食べられるようにしなさい。でなければ、後は、大変苦労することになります。
2) 主な外国語を学ぶようにしなさい。でなければ、後は、大変苦労、苦労、苦労することになります。
3) どんなベットにも慣れるようにしなさい。それは、固いほうがよいです。でなければ、後は、大変苦労、苦労、苦労することになります。
4) いつも、神との一致を保つようにしなさい。でなければ、後は、以上の習慣を身に付けなかったことから来る困難や恥ずかしさに耐えられなくなるでしょう。
5) あらゆる科目を勉強、勉強、勉強しなさい。東洋には、特に自然科学、デッサン、技術や外国語が高く評価され、一番要求されているものです。
6) できるだけ、良い習慣や聖徳を身に付けるようにしなさい。他のことなら、補うことはできるが、聖徳だけは、欠かせない最善の条件です。
残念ながら、こういうことを書いている私には、これらの多くのことが不足しています。だから、これらの欠点を補うためにも、皆さんの祈りを願っています。神が皆さんを祝福し、ご協力に対して私が十分に報いられるためのお恵みを祈っています。
君たちの兄弟 V.チマッティ神父
日本との最初の出会い
1926年2月
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
当時、九州全体は長崎教区に属していた。そのため、門司港に上陸した一行は、コンバーズ司教に挨拶するため汽車で長崎に赴き、1週間ほどそこに滞在し、有名なラゲー神父の案内でキリシタンや日本の宗教などについて多くのことを学んだ。2月17日、宮崎の目的地に着いてから、チマッティ神父は、日本の文化、自然、生活習慣を知らせるため、日本と最初の出会いを報告した。この長い手紙は、3回にわたってBollettino Salesiano に記載された。
宮崎1926年2月19日
甘美なる私のパパ
私たちの希望、仕事、犠牲の場所に着いた私たちは、「神に讃美! 神に感謝!」と叫ばずにはいられませんでした。やっと、宮崎に来ました。話したいことはいっぱいありますが、順序よく、すべてを話すように努めます。
2月6日 上海の会員に挨拶して、また旅につきました。
2月7日 今日、旅の最後の日。私たちは、一緒に過ごしたすばらしい日々を振り返りながら、上陸の準備に大わらわです。
上原先生は、私たちが質問に答えられるように、一番必要な単語を書いて、それらを覚えさせてくれました。さらに、駅まで案内したいと言って、神戸で降りる予定を変更し、親切にも門司で一緒に上陸してくれました。
2月8日朝8時 〔門司港に上陸〕
ついに門司港に入港しました。濃霧が、瞬間的に太陽から照らされるすばらしい景色を遮ったりしますが、まもなく霧が晴れ、うっとりと眺めいる目に、美しく輝く陸が見えてきました。言葉で描くよりも、想像していただいた方がいいでしょう。陽の光りに輝き、雪に覆われてそびえ立つ真っ白な山々、生い茂った木々につつまれた島々、前方には広い湾に面した産業豊かな門司市、幾つもの煙突と、山麓にまでのびている家並みの、壮大な光景が現われてきます。神に感謝! 日本万歳!
でも、急に不安に襲われてきました。「これからはどうなるのでしょうか。もし、出迎えもなく、誰も助けに来てくれないなら...。」
しかし、リナルディ神父様、信じてください。この旅行中ほど、子供のような単純さで、神のみ腕に自分を任せたことはありませんでした。み摂理は、私たちを助けるために大きな奇跡までも行われました。そう考えると、「主よ、そうです。あなたは私をあまりにも甘やかせすぎるのではありませんか。イエス様、あなたの思う通りになさってください」と言わざるをえません。
実際、そんな不安も、束の間でした。私たちを見つけるや、遠くから微笑みながら手をふってくれる、髭の神父が見えました。彼は、まっ先に乗船して、私たちを抱擁してくれました。長崎司教から送られたパリミッションのMartinマルタン神父でした。フルダ号の上で、彼の助けをかりて私たちが入国手続きを済ませるには12時までかかりました。ここの日本人たちの目に入らないものは、一つもありません。税関で乗客たちの持ち物を細かく調べている様子を見ながら頭に浮かんできたのは、私たちが持ち込もうとしている40個のトランクと20個のカバンのことでした。けれども、検査官は、カバン1個ずつを開けさせただけでした。私たちの正直な、陽気な態度や、自分たちの貧しい私物をさらけ出す姿をみて、何も隠そうとしないことが分かったようで、旅の途中で開いてしまったトランク1個の中を調べただけで、すべてが済みました。私たちは、喜びのうちに教会へ向かいました。
ここで、初めて、日本の家に入りました。日本の風習を身に付けなければなりませんので、まず、玄関でヨーロッパの靴を脱ぎ、スリッパを履く大仕事をしなければなりませんでした。神父様は、笑いながら見ていました。助ける人たちも、好奇心で見ていました。続いて、かわいい祭壇の前に導かれて、 “テ・デウム”〔感謝の歌〕を歌い、迎えてくれた日本の地を感激の気持ちで接吻しました。次は、聖務日課を唱え、楽しい語らいの後、長崎に向かう23時30分の列車に間に合うように、駅の食堂で夕食をとることにしました。食事は、中身は日本料理、マナーはヨーロッパ風でした。とても美味しかった。マルチン神父は、気を利かせて、たくさんのパンを持ってきてくれました。日本の習慣に従い、サービスはきわめて礼儀正しいものでした。お米で作った酒は欠かせませんでしたが、熱いうちに出され、とても美味しいと思いました...。アルコール分もかなり強いです。
私たちは、荷物がすぐに宮崎に届かないので、全員、司教を喜ばせるために長崎に赴くことにしました。
〔長崎に向かう汽車の中〕
皆に挨拶して、長崎に向かう汽車に乗りました。三等車もわりあいに便利で、暖房がきいており、満員でした。どちらかというと、私たちにとって狭い感じでした。この愛すべき日本人たちは、履き物をぬいで、好んで座席の上に座ります。食事などを済ませると、残ったものを床に落とし、時々係りの人が掃除に回ります。鼻をかむとき、紙のハンカチを使います、そして、気持ちよさそうに眠ります。
汽車は、特急とはいえ、たびたび駅に停まりながら、のろのろと進んでいきます。気分が優れないタンギー神父を除いて、他は皆ぐっすりと眠りました。夜明けになって目を覚ましますと、興味をもって辺りの風景を眺めました。冬でも、日の出ずる国は心を奪われるところです。緑の丘々や山々の間に、大小の川に潤された静寂として小さな渓谷の連続です。いたる所が、松、杉、椿や、花が開こうとしている梅など、ありとあらゆるおい繁った木々で覆われています。あちこちにみえる平地は、すべて見事に耕され、美な面から見ても整然としています。広くはない平野では、米や、麦、野菜などが作られ、どこも、目を休ませる整頓と清潔さがみられます。
あちらこしら、緑の樹木の中に、一軒家や小さな集落が散らばり、こんもりとした茂みの中に寺院や先祖たちの墓が見えます。農家はすべて一階建ての木造で、屋根は藁葺きです。裕福な家は、二階建てになっており、特製の瓦を使っています。セメント建築は(工場をのぞいて)非常にまれです。
汽車は煙を上げながら、森に覆われた尖った火山性の山の坂を昇り、再び心地よい谷間を下り、次々と入れ替わるすばらしい景色の海岸にそって走ります。大小の島々、岩、入江、湾などが次々と現われ、そのほとりには集落、村、町がつづき、昇ってくる太陽の光線を浴びています。
おお、聖フランシスコ・ザベリオと多くの宣教師たちの使徒的活動によって聖とされ、数多くの殉教者の血にうるおされた日本よ! 神は、何と不思議な美しさで湾くださったのでしょう!
2月9日~15日 〔長崎での滞在〕
朝8時半、長崎到着です。パリミッションの世話役、ティリー神父に温かく迎えられ、間もなくカテドラルに着き、コンバーツ司教の客になりました。ごミサの後、司教様は父親のように私たちを迎え、私を抱擁し、私たちがその教区を助けに来たことに対して大きな喜びと感謝を表してくださいました。
私たちが教会法に定められている誓いを立てた後、自分の権限にある宣教師へのすべての権能を与えてくださいました。そして、荷物が宮崎に着くまで自分の所に留まるようにしてくださり、その間、長崎の教会を見学させ、自由に司教館の豊富な名図書館を利用し、博学な宣教師ラゲ師〔日本語文語訳新約聖書の訳者〕の指導のもとで日本語や難しい日本の布教についての手ほどきを受けられるようにしてくださいました。こうして、学び、観察しながら、2月15日まで大変有意義な日々を送ることができました。
〔見学した場所〕
1)パスポートのため、イタリア領事館を訪れました。
2)マリア会経営の学校を見てきました。非常に盛んで、700人の生徒がいます。そのうち、50人がキリスト信者です。政府の認可を受けていて、すばらしい資料室があり、コンクリートの立派な建築です。長崎の郊外には、広い敷地の中に養成のための小神学校もあり、生徒数60人ほどいます。
3)日本26聖人が殉教した丘にも行きました、また、長崎の郊外にある、先祖代々のキリシタンが密集している浦上天主堂を見てきました。ちょうど600人ほどの母親たちが黙想会中でした。
4)神学校も訪れました。美しい建物は、静かな、良い場所にあり、40人余りの神学生がいます。
5)日本人のシスターたちが経営する養護施設、また、フランスのシスターたちの寮と修練院も訪問しました。
このように、宣教師たちが手がけているカトリック事業は、盛んで、困難の中にあっても良い実を結び、良い召し出しも期待できることを示しています。日本人は、大変知識欲が旺盛で、開かれた心を持ち、活発です。
では、子供たちや、青少年たちはどうでしょうか。
おお、リナルディ神父様、多い、多い、多いです。あらゆるスポーツ(特にテニス)や運動をこなす者です。長崎の信者の子供たちをご覧になりましたら! いかに信心深く祈り、喜んでミサ仕えをして、両親の手本もあっていかによく歌っていることか。家庭では、親はあまりチヤホヤせず、ある程度厳しく子供たちを教育しています。
長崎付近には6万人ほどのカトリック信者がいます。日本全体の8万人の大部分を占めています。数からいえば、宣教師は少ないです。しかし、方々に分散している信徒を世話するために、老齢にもかかわらず、感嘆するほど1人数倍働いています。
6)他の重要な名所、国家神道や仏教の寺院も見てきました。ここの異教徒は、自分たちの寺院や神仏に対してとても深い崇敬の念を抱いています。もし、一部の私たちのカトリック信者が同じ尊敬の念を持っていれば、なんと素晴らしいと思うほどです。
11日、建国記念日で国祭日であり、どこでも旗、行列や学校の遠足でにぎわっていました。人々は、祈る時に鐘つきで神を呼び、礼拝、献金、祈りを捧げます。その行動は非常に真剣です。間違った信仰のことは別にして、すばらしい手本を示しています。
2月16日 〔宮崎への旅〕
ついに荷物が宮崎に届いたという知らせがあったので、私たちは、温かく迎えてくれた巣を立って、生活の現実に向かうために準備にかかりました。司教様が全員や各自に最後の教訓と祝福と励ましの言葉をお与えになった後、私たちは勇気づけられて、宣教の地に向かうことになりましたが、主は、私たちを試してくださいました。グアスキーノ修道士が、数日前から喉の痛みと熱のため、病に倒れてしましまったのでした。そのため、司教様にお願いして、マルジャリア神父を付き添いとして長崎に残すことにしました。
15日13時30分、ティリー神父が駅まで送ってくださり、出発しました。(略)
途中で、次々、美しい景色が目に映りましたが、夕方6時、久留米に着き、一旦下車して、パリミッションのRaoultロール神父の教会に寄り、翌日の日中に宮崎に着くため、夜半過ぎまでここで待つことにしました。
夜中1時、一行を起こして、再び出発でした。ところが、再び不意なことが起りました。今度は、リヴィアベラ神父が、急に持病で倒れてしまったのです。そのため、次の汽車に乗せてくれるようにと教会の宣教師にお願いして、私たちだけが出発しました。
途中、乗り換えねばなりませんでしたが、日本人はとても紳士的です。私たちのわずかな言葉でも、すぐに言いたいことを察してくれて、助けるため骨折ってくれます。汽車の車掌たちは、大変親切です。車両のドアを開け、入ってくると、まず深いお辞儀して、『まことにご面倒でございますが、切符を拝見させていただきます』とか、『ただいま、何々駅でございます。お荷物など、お忘れございませんように』と知らせてくれます。
もし、途中で1人の信徒に出会えば、何千人の中でもすぐに見分けがつきます。何のためらいもなく近寄ってきて、両手を膝に当てて丁寧に深いお辞儀します。もし、帽子をかぶっているなら、まずそれを取り、それからお辞儀します。すべて微笑みながら、ごく自然にするのです。これは、大勢の異教徒の中にあって、すばらしい信仰告白です。子供たちの方は、もっと勇気を出します。私たちの前に立って、きれいにお辞儀します。そして、どの挨拶でも、いつもため息しながらお辞儀します。何か良いものを吸っているかような感じがします。(略)
2月17日 〔宮崎に着く〕
午前11時頃、宮崎に着きました。何名かの信徒と共にパリミッションのBonnecazeボナカーズ神父が駅で待ってくれていました。何人かの子供たちが、カテキスタの先生から前もって知らされて、早く私たちを見るために駅の100メートル先から「万歳!万歳!」と叫んでいました。駅から出たところ、まっ先に微笑んでお辞儀してくれたのは、2人の小さい子供でした。ドン・ボスコは、自分の子らに最初の挨拶をするのは、自分とイエス様のみ心から一番愛されている子供たちであることを望まれたのでしょう。
そこから行列が始まりました。私たち6名は人力車に乗り、カヴォリ神父は先頭、私はしんがりで教会に向かいました。すでに新聞で私たちの到着が報じられていました。市民たちが好奇心のまなざしで私たちを見、警官たちが警備しながら信者たちに情報を聞いている中で、私たちは堂々と進んでいきました。
教会に着いたら、夢を見ている感じでした。教会は、日本式の素晴らしい建築です。天国から落ちてきたかのようでした。教会の前で6名で「テ・デウム」〔感謝の賛歌〕を歌い、日本の聖母、殉教者の元后、キリスト信者の助けの称号で尊ばれているマリア様に、私たちを捧げました。ドン・ボスコの聖母は、日本でも、キリスト信者の扶助者の称号で尊ばれたいのです。神に感謝! ふたつの意味で、故郷に来たような感じです。
晩になって、主任司祭は信徒(約100名)を集めて荘厳な聖体讃美式を行ない、その後、壮年の男子が私たちに挨拶しました。通訳を通して、私が神が勧めてくださった言葉を話した後、昔なじみの友人であるかのように、互い例のお辞儀をして別れました。
今日は、聖ヨゼフに捧げられた月の始まりで〔3月17日まで〕、教会も聖ヨゼフに捧げられています。これ以上、望めることはあるのでしょうか。
2月18日
今日は、灰の水曜日。灰の式に駆けつけた信者たちの額に灰を塗りました。この人たちこそ、大きな期待を抱かせる選ばれた一握りの信者です。戦いながら異教徒の間に生きているここの信者は、強く、たくましく、自分の務めを果たすことに厳格です。閉鎖的とも言えます。特にこの宮崎で。大多数は農家からなるこの共同体は、余り好まない都会生活や学問から離れる傾向があります。この現象は、特に聖フランシスコ・ザビエル時代の古い信者の子孫に見られます。確かに、彼らは大きな困難を抱えています。前述の状況からも解るように、彼らは貧しく、心細い日々を暮らし、はばかりも見られます。すべてを許すプロテスタントや異教と比べれば、カトリックは厳しく感じられます。物質面で裕福に暮らし、出世しようと思えば、公の宗教である神道が欠かせないようです。他にもいろいろな理由がありましょうが、この土地にまだ慣れていないので、まだつかめません。とにかく、一見したところ、将来のために素晴らしい実りが期待できそうです。
目下、私たちには、活動するための一番必要な手段、すなわち言葉が欠けています。聖フランシスコ・ザビエルが手紙で書いたことは、私たちにも当てはまります。「この民の間で、私たちはまるで沈黙の像のようです。人々が私たちについて話し、論じたりしているのに、私たちは返す言葉がありません...。」この年になって、言葉を習得しながら、幼子に戻ったかのようです。願わくは、子供たちのように純真で素直になれますように。
私たちは、建物の2階の4つの部屋で共に寝起きし、勉強しています。少々窮屈ですが、もっと悪い状況の人を考えれば、まだましです。1階には食堂があり、他の部屋はパリミッションの神父様が使っています。
順調にいけば、22日の月曜から本格的な時間割に入ります。それについては、次回にご報告しましょう。
昼食の時、日向新聞の編集長がインタビューにやって来て、私たちの写真を撮し、どういう者か、何のために来たのかを聞きました、私は、すぐに話した方がいいと思いました。
そして、今日、新聞にその記事と写真が載りました。(翻訳を送りますが、十分には表現できていないと思います。日本人の頭の中を理解するのは、しばしばとても難しいことです)。これは、日本において、初めて公に出たドン・ボスコ、サレジオ会の記事です。
午後、タンギー神父と一緒に、県知事、市長、警察の長官に挨拶に行きました。3人とも丁寧に迎えてくださり、必要とあれば、いつでも協力すると約束してくれました。県知事は、お茶を出してくれました(日本の習慣で砂糖は入れません)。ここでも、他の場所と同様に、お辞儀やお礼の言葉が延々と続きました。とにかく、私たちの訪問は皆から喜ばれたようで、こちらにとっても有益でしょう。夕方、やっと元気になったリビアベラ神父が宮崎に着きました。
2月19日
リビアベラ神父は、目の痛みを訴えています。目医者に診てもらった方がいいと判断しました。ここの医者でも、日本式の礼儀です。靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、人々に深々とお辞儀する。病人は、診察室に入るときも、またスリッパを脱ぐ。お医者さんの奥様が紹介されるときも、またご挨拶を繰り返し(膝をついて、這い這いする子供のように手を床につけて深く3回頭を下げて、すすめられた座布団に踵の上に座る。そして、100語中3,4語しか解らない楽しい語らいが始まって、皆ニコニコと微笑む。別れるとき、お医者さんがまた玄関まで見送ってくれて、ヨーロッパ人が靴はきの体操をする様子を見ながら楽む、という具合でした。
今度は、カヴォリ神父が病気になりました(リューマチから来るひどい熱でしょうか)。
今日、マルジャリア神父とグアスキーノさんが一行に加わり、やっと全員そろいました。
晩に行われた十字架の道行には50人余りの信者がとても信心深く参列しました。その中の数人は、毎日ごミサにもあずかり、ご聖体をいただいています。
2月20日
カヴォリ神父の熱はなかなか下がりません。お医者さんに往診してもらいしたが、はっきりしたことはひとつも分かりません。胃腸障害と言っていますが...しばらく様子を見ることにしましょう。今、いたるところでチフスが流行っています。
これで、全部書いたと思います。これからは、仕事です! 私たちのため、また若者たちのためにすぐに始めたいのですから!(略)
私個人のことは、どうでしょうか。- まあ、とても落ち着いています。集中することにいつもの困難を感じますが、健康は良好です。どうか、仕事、信心、犠牲の精神において、聖人になれますよう、お助けください。
聖ヨゼフの祝日のために、お祝いを申し上げます! 私と、私たちの宣教地のために祈ってください。
ここの人たちは皆、異口同音に話していること、言ってくれていることは、まず、言語習得は大変困難だ、と。使徒職はさらに困難だ、と。司教様も、環境に慣れる難しさについて話してくださいました。ですから、生活の急激な変化を避けるため、経済的犠牲が伴うにしても、食事をもう少し豊富にし、少しワインを出した方がいいと思います。(管区長も賛成です)(略)
どうか私を祝福し、聖ヨゼフの取り次ぎにより私のために謙虚さ、集中の精神、仕事に励む力、また、自分自身や愛する兄弟たちのために、心の中にイエス様を保つ恵みを祈ってください。総長様を、そしてすべての愛する長上の方々を心から抱きしめます。
あなたの取るに足りない息子 V.チマッティ神父
日誌より - 1926年2月
宮崎の落ち着いた環境の中で、信心業を規則的に行ない、日本語の勉強をしながら、私たちは自分たちの霊的・知的準備を始めた。助けてくれるのは、主任司祭と、最近プロテスタントから改宗してきた阿部氏という、ちょっと面白いカテキスタである。(略)
私たちは、教会としては長崎教区に属し、コンバーズ司教と教区秘書ティリー神父の管轄のもとにある。修道会としては、中国準管区に属し、カナゼイ管区長の管轄下に置かれている。
日誌より - 2月26日
仕事計画 それは、日本語の勉強と日本の生活に慣れることである。指導者は、ボネカーズ神父と阿部氏である。
勉強方法 尋常小学校の教科書を使う。(午前中は読み書き。午後は会話と暗記のための書き取り)。各自、さらに自由に勉強の機会を増やし、能力があれば、より多くのことを学ぶ。
これが良い方法かしら 十人十色である。皆、必死でやっているが、当然、得意な者もいれば、苦手な者もいる。先生や私たちが互いに理解し合う難しさゆえに、進みぐあいが遅く、誤解や間違いも多々ある。それでも、進歩しているのは確かである。修道士の中に、後ずさりする者(グアスキーノさん)が出てきている。
修道生活 会憲や会の伝統を厳しく守るようにし、自分たちの聖性に一層力を入れるようにしている。
最初の15日間、日本の冷たい食事を摂り、風土に慣れていないためか、ほとんど全員が1週間にわたり高い熱を出し、伝染病ではないかと心配したこともある。
けれども、一番大きな犠牲は、否応でも、話せない子どものように戻ってきたことである。皆、ある程度年を取っていて、勉強の魅力というよりも、義務感や意志によってのみ支えられている。何も理解できず、何もできない状態である。聖フランシスコ・ザビエルの言葉を借りると、まるで大理石の像のようだ。どうか、主が助けてくださいますように!
このような犠牲は、余り人々に理解されていない。本には、宣教生活の素晴らしさや冒険のみが強調されているが、一番辛いのは、切り離されている状態にあって、何もできず、屈辱的な、気力を消耗する生活を送っていることである。
会員は、戦争の生き残りがほとんどで、その受けた悪影響が犠牲を一層大きくしている。
毎日の単調さに変化をもたらすため、遠足、イタリアのボッチェ(bocce)の試合〔玉転がしのゲーム〕、写真コンクール、晩のコーラス、興味ある場所への見学、家の仕事、教会の祝いの飾り付けなどが役立っている。日本の典礼暦にはイタリアの祝日が入っていないので、物足りなさを感じる。何かの活動ができる近い将来のため、何をやったらよいかを今考えている。
音楽や侍者の奉仕によって、教会の祝日をより荘厳にできる方法も考えている...。日本語の片言を話せるようになったら、人びとのために何かをしたいなあ、という気持ちで一杯である。
午後、子供たちを集めて、皆、何かをしようとしている(話し合いとか、物語を語ること、音楽を演奏するなどである)。こうしたことで、なんとかして主任司祭を助けようと務めている。
別紙の記事 「日本におけるイエスの宗教」から抜粋
1926年2月
同年6月号のBolettino salesianoに記載された長い記事である。いろいろな本を参考にして書いたと思われる。その中に日本人の性格についてこう述べている。
「日本の自然の中に見られる調和は、この国民の紳士的な態度、公共施設や個人の家や、道、交通機関の適切な手入れ、こまやかな礼儀作法、持ち物の美的な装飾にも見られる。
日本の国民は、開かれた高い知性と理想の持ち主である。活動的であり、上手に物事をこなし、繊細な感覚があり、親切である。常に威厳を保ち、顔に微笑を浮かべているが、その態度の裏に、心の中の感情を上手に隠しているのである。美しい自然の中に育っているため、自然を愛する雰囲気も育んでいるのである。
愛国心が熱狂的であり、思いと心が大胆で、勇気がある。彼らの目には、美しいまた良いのは、自分の故郷だけ、また帝国の繁栄だけである。それゆえ、自らの知性も能力も命も、すべて、そのために捧げる覚悟でいる。」
日本語と日本文化への挑戦
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
1926年3月3日頃
敬愛なるお父様
ただいま、月の「良き死の練習」〔月の静修〕の日ですから、会員各自の報告を聞き終わったところです。ここには、良きお父様に私自身の月の報告をいたします。
1)健康は、あらゆる面で良好です。今のところ、この土地の気候に慣れることに何の困難も感じません。今まであらゆる困難な状態に慣れてきたのですから、どんな気候のもとでも元気でいられるようです。
2)勉強と仕事に関しては、日本語の勉強や長上たちとの文通のほか、もらった手紙への返事を出すようにしていますが、昨日まで、外国からの手紙は1通も届いていません。
3)すべてのため時間が十分にあり、熱心にやっているつもりです。ありとあらゆる面で修練期に戻った気分です。いえ、幼児期に戻ったと言った方がいいのかもしれません。
4)信心業に関しては、難しいことはなく、すべて共同体皆と一緒にやっています。勉強を除けば、今のところ、霊魂のこと以外に考えることはありません。神に感謝! 信心業を果たす時には、気を散らさないように努力しています。
5)秘跡に関しては、規則的にあずかっています。
6)私たちの聖なる会憲を実行するように努力しています。難しいことはひとつもありません。
7)皆を兄弟のように愛しているつもりです。
8)支部の中は、今のところ、すべてはうまくいっています。(略)
会員について - カヴォリ神父は、霊的には立派ですが、旅行中、健康面で一番試練を受け、今のところ、この土地に慣れつつあります。今になって初めて、戦時中かなり病んでいた(心臓と頭にリューマチによる合併症があったこと)が明らかになりました。確かに、少々神経質であり、少しかっとなってしまうことがあるので、仲間と小さな衝突やいさかいが起こりました。体力増進のため、何か手段を考えます(本人からも頼まれました)。長上方へのお願いですが、会員を派遣される前に、どうか前もってこうしたことを調べてほしいのです。こちらに来てからの治療は大変ですから。幸い、今は、比較的にゆっくりできる時期になっています。こちらの気候に順応するまで、司教と管区長の勧めに従って、一時、次のようにしたいと思います。四旬節の断食を免除して〔注。当時、とても厳しかった!〕、朝食にはコーヒーと牛乳、また希望する人には卵1個を出します。(略)
今のところ、特に必要なものはありません。ただ、畳の生活に慣れていないので、少しマットレスを準備しました。これで、皆、少し楽になりました。(略)
金銭に関しては何も心配していません。天の会計(主)が配慮してくださるからです。
宮崎は農業が中心で、人口は4万ほどですが、さらに増加しつつあります。日本では、ピエモンテ地方に対する南イタリアとサルデニア島のような状態です。お役人や公務員の最初の任地は、宮崎から始まります。漁業や農業が盛んで、食生活に関しては問題ありません。お金さえあれば、何でも買えます。生活費の面では、総合的に見て、私たちの人口の多い都会とほぼ同じです。早く現地の食生活に慣れれば、それ以下で済むでしょう。
住まいは静な所にあり、養成支部に適しています。遠足のため、いくらでも変化に富む目的地があります。信者のほとんどが農家であり、教会に対して好意的です。パリミッションのボネカーズ神父との関係もとても良好です。この方の健康が優れないので、栄養と陽気さで元気付けるようにしています。(略)
会員たちは、模範的にサレジオ会の共同生活を送っており、あらゆる面で満点です。
私は、他人を指導しながら、自分を見失うことがないように、どうかお祈りください。
総長様や長上方お一人お一人に、ご復活のお喜びを申し上げます。
敬愛をこめて あなたの息子 V.チマッティ神父
追伸 - 今日、聖ヨゼフの祝日を準備するため、子供たちと一緒に歌ミサの練習を始めました。声の方は、まあまあ良さそうです。うまくいきますように。
今月は次の2つの講話をしました。
・われわれ宣教師、特に宣教を始めようとする者にとって、会憲を守ることがいかに大切であるか。今、規律に関して気を配る困難はなく、もっぱら、自らの聖性と勉強に従事するようにしよう、と。
・ドン・ボスコやドン・ルアの教えに従って、毎月の「良き死の練習」〔月の静修〕をよくするようにしよう、というテーマでした。
Caviglia Alberto カヴィリア・アルベルト神父へ
カヴィリア神父は、ドン・ボスコの有名な研究家で、この手紙に出てくる著明音楽家Pagellaパジェラ神父と共に、トリノの聖ヨハネ支部でチマッティ神父と一緒に働いた同僚また先輩である。Tonelliトネリ神父は、チマッティ神父と一緒に叙階され、ヴァルサリチェの高等学校で自然科学の教諭、博物館の館長を務め、チマッティ神父から多くの標本を送ってもらった親友である。Colombo Sistoコロンボ・シスト神父も、同学校の文学の名教諭であった。
宮崎1926年3月5日
親愛なるカヴィリア神父様
トネリ神父に送った箱の中に、あなたのために多くの「人称代名詞」を入れました。〔注.日本のお茶は、イタリア語で “te`”と言う。それは、「あなた」という「人称代名詞」の意味でもある〕。届くでしょう。自分の手で摘んできたのだから、本物ですよ。(前もって手をよく洗ったんだよ!)。役立てば、嬉しいです。そうでないならば、日本には美味しいお茶がないということになります。
でも、私には好きではありません。砂糖なしで出すのですから。初めに味わったのは、上海で中国の茶を飲んだ時でした。Lo Pa Honの夕食で、一口ずつ12品のものが出た後、お茶が出ました。断ることはできませんでしたが、ピアノを弾いたのち、皆が感激したためか、またお茶が出ました。いくら断っても、飲まざるをえませんでした。宮崎に着いてから(きれいで、静かな町ですよ!)知事を訪問したら、待合室でまたお茶が出ました。終わりだと思ったら、知事はもう一度入れさせてくれました。慣れるために、砂糖なしでも変な口しながら飲み込んでしまいました。
親愛なるカヴィリア神父、パジェラ神父やシスト神父にも言ってください。本に書いてある日本のこの小さい人たちについての、特に話すときや振舞うときの遠慮深さと丁寧さは、読んでは信じられませんでしたが、ここに来てみたら、本当に大変なことです。訪問する時、こうなります(これは、医者を訪問した時の実話です)。まず、靴を脱ぐ(私のような紐靴の場合、不幸だなあ!)。入口に女中が深い辞儀をして勧めるスリッパを履いて、中に入る。病人を診察する医師がご婦人を紹介したいのですから、探しに行く間、スリッパを脱ぎ、部屋に入って(靴下がきれいであることに注意!)、待っている間、女中は座布団を敷く。医者が入り、ひざまずいて3回お辞儀をして、挨拶が始まる。
- こんにちは、とお辞儀して彼は言う。
- こんにちは、とお辞儀してお客は答える。
- 今日、いい天気ですね(あるいは、悪い天気ですね)、とお辞儀してまた彼は言う。
- はい、とてもいい天気ですね(あるいは、残念ですね!)、とお辞儀してお客は答える。
- お元気ですか、とお辞儀して彼は言う。
- まあ、まあ(あるいは、とても元気です)、とお辞儀して私は答える。
- どうぞ、お座りください、と彼は言う。
そのとき、客は丁寧に50センチ四方の座布団の上に座る。正式な座り方は、ひざまずいて、組んだかかとの上に座ること。痛くてたまらない。そのまましゃべりだす。調子に乗ったとき、貴婦人が入って来る...また初めからの挨拶が始まる。おもしろい世界ですよ!
終わったら、出口まで案内されて、またスリッパを履ぎ、それを脱ぎ、靴を履く。先生は、ヨーロッパの靴を履く苦労を見ながら微笑んで見てくれる。
もう十分! イタリアに帰ったら、話すことはたくさんある! 日本は、すべての面で美しい。この季節は、咲いているつばき、梅、あんず、桜は素晴らしいです。その後は、どうなるかをみましょう。気候は、今のところ、ピエモンテ地方に似ています。
整頓、清掃は行き届いていて、人々は細かいところまで気付きます...まあ、結構です。子供たちはもう近づいてきます。聖ヨゼフの祝いと復活祭のため、歌わせるつもりです。声は悪くない。遊び、音楽、演劇に夢中です。全世界の子供たちは、どこでも同じです。
今のところ、神のお導きにより、とても希望がもてます。しかし、まず言葉の問題を解決しないといきません。
心から抱きしめます。
尊敬を持って チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父へ
リカルドーネ神父は、当時、サレジオ会の副総長として宣教地を担当していた。1927年、日本の宣教地を視察し、1931年には次期総長となった。1949年までチマッティ神父から282通の手紙を受け取った。
1926年3月5日
私の良きピエトロ・リカルドーネ神父様
1-8(略)
9 宮崎の人口は4万ほどですが、さらに増加しつつあります。ここは、役人や公務員の最初の任地となっています。役人はとても熱心で、細かいところまで知りたがります。私たちは、すでにあらゆる角度からインタビューを受け、後はどうなるか分かりませんが、全般的に見て、大事にしてくれています。私は、肩書きをすべて訊かれて、どれほど多くのお辞儀をしてくれたことか! そして、いろいろな外国語も話せることを知ると、天から落ちてくるぐらいに感心します。ここは、農業の盛んな土地で、農業高校もありますが、まだ訪ねていません。けれども、(建物の美しさなど、外観は別として、 “煙もくもく、焼肉わずか”という感じです〔注.あまり中身がない、という意味〕。私が訪問した長崎のマリア会の学校から見ても、学問の水準を恐れることはありません)。資料などについても、私たちのヴァルサリチェの学校の方が何倍も価値があります。
日本中どこへ行っても、平らな土地さえあれば、整然と、日本人独特の器用さで手入れされ、耕されています。肥溜めが大いに使われているので、空気中、悪臭がたちこめます。水田も、それに伴う蚊も豊富です。といっても、滞在期間が短いので、はっきりとした判断はできません。(略)
11 野菜畑と、うさぎ小屋、鳥小屋を充実させました。宮崎にいる3人の修道士たち、もしくはそれ以上いても、仕事が十分にあります。宮崎では、一般的に言って、何でも(お米、魚、くだもの、肉、牛乳、卵、パンなど)見つけることができます。これ以上、何を望みましょうか。
12 宮崎の信者は、添付した紙の上では200人以上いますが、今のところ、実際に通っているのは100人ちょっとでしょう。復活祭の時を見ましょう。子供たちは、イタリアの子供と変わりありません。まあまあ上手に歌ってくれます。聖ヨゼフの祝日と復活祭には、荘厳ミサを歌い、少し幻燈をやる予定です。子供たちは、遊び、歌い、劇をするために生まれてきたようなものです。一応、彼らとのつながりができました。ちょっと恥ずかしがりやですが、なぜでしょうか。いずれか分かることになるでしょう。(略)
結論としては、日本までの旅、到着後の生活、人々の歓迎、最初の接触のすべてにおいて、説明しきれない、驚くほど神のみ摂理を感じています。その御手は、私たちを日本に導き、すでに大きな収穫を垣間見させてくれるかのようです。
宮崎に関して申し上げますと、世話されていない子供たちは、アリのようにあふれています。とくに下町でそのことを見ました。ああ、わが神、われらの母(マリア)、ドン・ボスコよ、どうか、一日も早く、この小さなサレジオ会員たちの舌がほどけるようにしてください!
確かに、今日までのところ、イエス様は私たちを手袋をはめて大切に扱ってくださいました。これからは刺もやってくるでしょう。是非とも、そうなりますように! しかし、神のみ国が勝利を治めますように!
簡潔にすべてを申し上げたつもりです。日本については、まだ少ししか分かりませんが、上塗りをはがせば、下には欲望や、多くの徳を備えた、生身の人間が潜んでいるでしょう。
この国でも民主化運動の風が強く吹きはじめ、今や多くの古いものを捨て去ろうとしています。十進法をとり入れ、英語も勉強し、職場でも学校の生徒たちも洋風な格好をするようになりました。よい方向に進歩することになるのでしょうか。どうか主よ、お助けください。
要理研究や聖書物語の教材として、カラースイラストを調達してくれる方があれば、うれしく思います…。
今、作曲したかわいい民謡や、他の歌をいろいろ集めているところです。
神父様を強く抱きしめます。皆さんにご復活のお祝いをお伝えください。会員たちは、とてもよくやっています。どうか私を祝福してください。ああ、扶助者聖母の行列に(5月24日)私たちもそちらにいたいということを覚えていてくださいね!!!
ヴィンチェンツォ神父
Giardini Marioジャルディーニ・マリオ司教、教皇使節へ
ジャルディーニ司教は、1922年から1931年まで、日本でローマ教皇庁使節として務め、チマッティ神父と深い友情を結んだ。同使節は、チマッティ神父が困難に出あった時に彼を支え、その良い恩人になった。チマッティ神父から受け取った47通の手紙が残っている。
宮崎1926年3月18日
敬愛するジャルディーニ使節閣下
すでにお伝えしましたとおり、ドン・ボスコの子らは宮崎に着きました。1カ月経った今、簡単なご報告を申し上げるべきでしょう。
何よりもまず、教会と我がサレジオ会の保護聖人聖ヨゼフの美しい日にあたって、主イエス・キリストの代理者〔教皇様〕を思い起こさせてくださる使節閣下に、会員にも代わって、母なる教会とその教えに対する私たちの子らとしての、深い無条件の愛をお伝えしたいと思います。(略)
ただいま、私たちは、熱心に日本語の勉強に励んでいます。しかし、いつになったら舌がほどけ、委ねられた場で実りある仕事ができるようになるかは分かりません。とにかく、私たちは皆善意に満ち、健康にも恵まれて、勉強に専念しています。
現地に着いて、期待以上のものを見出しましたので、今、私たちは、バラの花の上を歩いているような気分です。毎日、少しずつ子供たちに音楽の手ほどきをし、聖ヨゼフの祝日に何かできるよう準備し、信者は、できる人は準備の9日間の祈りにも参加しました。私たちが、本格的に仕事に取り組める日を、主が早めてくださるよう、そのお助けをお願いたします。閣下も、どうかご忠告とお祈りをもってお助けください。私たちが閣下のことを忘れることはございません。
さて、閣下にお願いがありますが、(どなたにお願いしたらよいか分かりませんので)、できましたら、日本の宣教の歴史を取り上げた本(記録、研究、統計データなど)がありましたら、教えていただけないのでしょうか。(略)
また、和英と和仏辞典は手に入りましたが、フランス語か英語かの、ローマ字で書かれた日本語の辞典が見つかりません(今の私たちにとって、日本字は堅いパンです)。もし、あまりご面倒をかけずにお手配いただければ、本当に美しい愛徳の業になります。
どうか、主がお助けくださいますよう、閣下の心からの祝福をお願いいたします。
敬愛の心をもって V.チマッティ神父 サレジオ会員
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
この手紙の中に、聖ヨゼフに対するチマッティ神父の深い信心がうかがわれる。宮崎の聖堂は、聖ヨゼフに捧げられていた。主任司祭との考え方の相違が次第に現われてきつつある。
宮崎1926年3月19日
私の良きパパ
聖ヨゼフの祝いです! 今日、私の魂は深く感動し、とても甘美な痛みを味わっています。どういうわけか、イエス様のみ前に行くと涙が出るのです。兄弟たちに見られないようにしなければなりませんが、まあ、何でしょうか。そのことで、まだご報告の日ではなくても、お手紙を差し上げたい気持ちになりました。
今のこの状態で、思うように聖ヨゼフの祝日を荘厳に祝えなかったことからくるのでしょうか。一応、主任神父が私たちの願いに応じてくれて、できるだけのことをやったつもりですが、見解の相違はどれほど大きいのでしょう!...とにかく、9日間の祈りはなんとかしてできましたし、信者たちも参加してくれました。日本語でロザリオを一緒に唱え、聖ヨゼフへのラテン語の賛歌「Te Joseph」も歌いました。私は、この機会に、『聖ヨゼフ、われらのために祈りたまえ』という最初の日本語の歌も作曲し、皆それを歌って、喜んでくれました。神に感謝!
今度の日曜日は、荘厳ミサを行ないます。信者たちも、私の小さな友だちも、皆そろって歌います。私は、まだ十分に話ができませんが、彼らはもう遠慮しなくなってきました。
ああ、イエス様、マリア様、宮崎教会の保護者聖ヨゼフ様が、子供たちのかわいい声を聴いてくださいますように! また、私が、彼らのため、そして宣教地のためにお願いすることを聞き入れてくださいますように! 今日、皆に聖ヨゼフの御絵をプレゼントしたいと思っています。
これは、作戦の始まりにすぎません。これからは、5月に向けて、機関銃と大砲を準備して、本格的な戦いを進めます。5月には、扶助者聖母がこの愛する人々の心と、親しく知り合う時を迎えるようにしたいのです。そのとき、(正式ではなくても)サレジオ会の日本入場の時を迎えさせたいと思います。(略)
・ああ、教会の保護者、教皇様の保護者、聖ヨゼフ!
・私たちの修道士、職業学校の生徒を思い起こさせてくれえる、聖ヨゼフ!
・サレジオ会の保護聖人のひとりであり、聖フランシスコ・サレジオが愛し、聖務日課の本にその御絵だけを入れ、『神愛論』をが彼に捧げた、聖ヨゼフ!
・私が初ミサを捧げた記念日の聖人、聖ヨゼフ!
・宮崎教会と中津教会の保護者、聖ヨゼフ!
(大分教会の保護者は、聖フランシスコ・ザベリオです)
もしかしたら、私の甘美な涙の原因は、心の中に渦巻くこれらの思い、またこの祝日が日本では守るべき祝日に入っていないことにあるのかもしれません。なぜか分かりませんが、主任司祭が言うには、キリスト割礼、キリストのご聖体、無原罪の聖母、聖ペトロと聖パウロの祝日も、同様に守るべき祝日に入っていません。それが本当ならば(これは暴言でしょうが)、だからこそ、日本の回心が起こらない理由が分かる気がします!
最近のニュース!
1)日本語の勉強は、根気よく続けています。神様のお恵みで、うまく行っていると思います。確かに、いろいろな面でこの言葉は難しいです。ヨーロッパの言葉と共通する点がなく、文の構造もまったく独特です。扶助者聖マリアに唱える射梼をお聞きください。「キリスト信者の助けなる聖マリア、われらのために祈り給え。イタリア語に訳すと、Cristiani dei aiuto Santa Maria, noi per pregare degnati」。このとおり、後ろから訳すことになるのです。文の構造は、すべてこんな調子です。それに合わせて、考え方も全部入れ替えないといけないのです。まあ、少しずつ目標に達することができるでしょう。
2)今度は、ピアチェンツァ神父が病気になりました。日射病にかかったようです。高熱が続いていましたが、今日、聖ヨゼフの祝日に下がりました。神に感謝!
3)~6)(略)
7)他の会員たちは、みな元気です。日々、総長様、長上の方々、そして皆さんのためにお祈りしています。皆さんも、そうしてくださっていると確信しています。その証拠は、今感じている本物の魂の平和です。自分の人生の中で、今ほど強く感じたことはありませんでした。他の兄弟たちも、皆同じように修道者らしくやっていると思います。神に感謝!
遠くにいるあなたの息子は、心からあなたを抱きしめます。主の内にこの上なく総長様を愛しております。いつもこの上なく総長様を慕っているあなたの息子 V.チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父へ
リカルドーネ神父は、当時、サレジオ会の副総長として宣教地を担当していた。1927年、日本の宣教地を視察し、1931年に次期総長となった。1949年までチマッティ神父から282通の手紙を受け取った。
1926年3月19日
私の良きピエトロ・リカルドーネ神父様
今日、聖ヨゼフの祝日です! お手紙を出したいインスピレーションを感じて、良いことですから、実行に移しました。
1.写真をお送りします。郵便が届くかどうか分かりませんので、ヴァルサリチェのトネリ神父を通してお送りします。彼には、機会があって、自然の標本も送っています。
2.今のところ、新しいことはなく、神のお助けにより全てがうまくいっています。〔注.ここに五線譜を加える〕『聖ヨゼフ、われらのために祈り給え!』という短い射梼が、どれほどの盛り上がりをみせるかを、歌ってみてください。次回、いくつかのかわいい日本の歌をお送りしましょう。すべての言語の中で、もっとも甘美な...、はい、この上もなく甘美なこの日本語が分かるまで、少しお待ちください。なんと素晴らしい音楽になるでしょう!(ところが、イタリアでは余り口にしないほうがよいと思います!)〔注.それは、誤解を招く言葉が多いからです。〕
もう始めました...。『Che bel buchin』というイタリアの歌を『蟻の目…』という題で日本語にしました。しかし、彼らには“L”という発音がないので(そして、Ti(ティ)もない)、イタリア語の「la, la, la」を「ラ、ラ、ラ」と歌わせています。また、彼らの歌には「ピョンピョン」をよく使いますが、私たちのこの歌の「ピュ、ピュ」が気に入ったようです。
この子たちは、将来の希望です。きたない時も、またいつも鼻水をたらしていても、なんともいえない賢そうで、その小さな魂は天使のように可愛いのです。どれほど良い素質があるかを、分かって頂きたいのです。彼らは、私たちの話に耳を傾け始めました。ああ!この舌が、早く早くほどけて、話せるようになりたいのです!
会員たちは、みな元気、陽気で、本当に良くやっています。ピアチェンツァ神父の調子が良くありませんでしたが、今日、聖ヨゼフの祝日に熱が下がりました。
どうか、私たちのために、お祈り、お祈り、お祈りしてください。
心からの愛情を込めて、主のうちに神父様を抱きます。
いつもあなたの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年3月20日
親愛なるお父様
マカオからの管区長の文書を通して、〔私たちの〕カリエロ枢機卿の訃報を知りました。神様のみ心が行われますように! 青天の霹靂でした。ここ数日、枢機卿様のことが私たちの間に随分話題になっていました。枢機卿様がどれほどこの宣教地のために貢献してくださったかは、よくご存知です。長上や他の会員の深い悲しみに心を合わせ、私たちの宣教地の最初の恩人のためにお祈りを捧げます。(略)
今朝、女子高の卒業証書授与式に与かりました。知事の左に宮崎大社の神主さんが座り、その後ろに私が座りました。私の後ろにプロテスタント教会の牧師さんが座っていて、今晩、私を訪ねて来ました。
どうか私のために、お祈りと祝福をお願いいたします。
ヴィチェンツォ・チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父へ(前出)
宮崎1926年4月2日
親愛なるリカルドーネ神父様
良き死の練習[月の静修]にあたって、報告をまとめます。(略)
1)日本人は皆、何でも読みます。ドイツ語・フランス語の本は山ほど訳されています。カトリック関係の出版物はとても少なく、ゼロに近いです。(ドン・ボスコが始めた)「カトリック講話集」なら、きっと、大成功すると思います。私が知っているかぎり、他の修道会の中、印刷所を持っているものはいません。(略)
3)所有権の法律により、外国人には所有権がなく(帰化すれば別ですが)、私立小学校は持てません。シスターたちは、幼稚園を持つことはできます。これも考える必要がありましょう。教会学校は、放課後に開くなら、毎日でもできます。
困難なのは、信者たちを使徒職の面で養成することです。彼らは、私たちが異教徒のために働くことに対して、大変嫉妬心を感じます。まるで自分たちの立場が失われるかのようです。(略)
今の時期は、よい時です。教育のためにするあらゆる活動は、良く見なされ、高く評価されています。こういう活動は少なく、見た範囲では、大したことはありません。
日本人は、吸収するのはとても上手ですが、、、。これ以上、口にすることはできません。調べてみたのですが、私たちの郵便物はどのような扱いを受けるかまだ分かりません。とにかく、日本の教養水準は余り心配することはないでしょう。これが大体の私の印象です。リナルディ神父にも同じようなことを伝えました。
私の文章は、ご理解いただけるのでしょうか。今私は、(日本語を覚えるために)自分の考えをねじったり、ひっくり返したりしていますので、「やさしい、響きのよい、純粋なイタリア語」はどうなってしまうのかと思うことがあります…。(略)
日本での今の季節の美しさを理解するには、自然の中のいちばん美しいものを想像してみてください。どこでも、緑と花。家より高い所は、どこでもそうです。また子供たち、女の子たち、女性たちが蝶々のように着飾っています...。畑の耕作も見事です(大麦が穂を出し、くわ、豆類、菜の花畑、田植えなどの準備が進められています。)この位申し上げれば、十分でしょう。
聖母月にあたり、マリア様がすべてを照らし、明らかにし、しめくくってくださいますように。主の内に神父様を抱きしめます。
あなたのもの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
宮崎教会日誌より -
1926年4月5日 復活の月曜日
皆で日南海岸の青島へ遠足に出かけた。チマッティ神父にとって、トリノへ送る海藻や貝類を収集する良い機会となった。おもしろかったのは、チマッティ神父とボネカ-ズ神父と数人の会員が、藤さんという信者を訪問したことであった。彼は、この近辺の唯一の信者ではあるが、立派な仕事をしている。家は、少数ベッドのある小さな病院のようである。病人への処方箋は、減食、近辺に涌き出る鉄分の多い水の摂取、そして心の平安。これらの処方箋の他、療養期間中、患者に質問したり、アドバイスを与えたり、カトリック要理を教えたりして、その心に入るようにする。この治療は、かなり効果をあげ、患者のほとんどがよくなるか、あるいは完治して退院する。今まで12-13人がカトリックの信者になった。
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年4月8日
私の良きお父様へ
神父様は、私が出す手紙は親密すぎる、“Bollettino Salesiano” の記事に使えない、とおっしゃっていますが、私にとって他の書き方は無理です。お伝えしたいことや、お父様が知るべきことは、山ほどあるからです。
ですから、こうしましょう。ニュースのようなものは別紙に書きます。その中から、公表できるとお思いになることを、誰かにお頼みになって直してもらってください。ただ、批判と思われるような内容に気をつけてください。私たちは、日本人から、またそれ以上外国人から見られているからです。日本には、完璧に組織されているものは3つあります。警察、教育、そして鉄道と郵便。これらは、外国にまで及んでいます。
私の良きパパ、お手紙をありがとうございます。大分と中津から帰ってきて、すぐに会員にそれを読んであげました。父親のような配慮で復活祭を一緒に過ごしてくださったカナゼイ管区長様は、最初の折衝のため、私も一緒に行ったほうがよいと頼んできたので伴にしました。とても疲れて(いえ、退屈です...、鉄道がのろのろ遅いですから)家に帰ってきました。しかし、心には大きな喜びがあります。以下は、その簡単な報告です。
神様のお思し召しにより小さなドン・ボスコの子らに委ねられた地域は、とても広範な場所です。二つの県とも人口がどんどん増えています。宮崎は天皇家の出身地だと自慢する所です。大分には聖フランシスコ・ザビエルの働きの思い出があります。サレジオ会員が司牧のために回るとき、古くからの信者を見つけ出す期待があります。中津は教養は高くはありません、また仏教が完全に支配している地域です。大分と中津の教会や司祭館は宮崎より小さいですが、今のところ住まいとしては十分でしょう。(略)
大分は小さな港があり、漁業と商業の町です。人口は4-5万、方々から集まってきた人たちです。あらゆる類の学生がいて、プロテスタントが深く根づいています。カトリック信者は町には少なく、むしろ地方にいます。大した数ではありません。中津の場合も同じです。大分の司祭館は商業地域の中で最も小さい建物で、主任司祭は拡張した方がいいと勧めています、が...。
中津教会は住宅地域から孤立しており、建物の右には警察署、左には市役所、裏には県庁の出張所、前には学校があります。人口は2万5千人、大分から2時間半、宮崎から8-9時間のところにあり、静かな町です。
中津と大分の間には有名な別府があります。日本の海水浴所の観光地で、あらゆる類の温泉で有名です。大勢の日本人、信者も、さまざまな治療のためにこの町に駆けつけ、今では名所になりつつあります。現地の信者や観光客を助けるためにも教会があるといいです。信者になる人たちも出てくるでしょう。病気の人たち(特に結核や精神患者)にとって、精神療法はたいへん効果的です。こうした精神療法を使って病気の回復を目ざす新興宗教は、どれほど多いでしょう。この点も一度ご検討ください。さもなければ、日曜日のための分教会でもよいと思います。
大分と中津の気候はピエモンテ地方の気候に似ています。この間、管区長と一緒におおまかな活動方針を決めました。あとは長崎の司教とお会いして相談なさると言っています。だいたい次のようにまとめることができます。
1)パリミッションの神父様たちが引き上げるので、建物の修復などはしないでしょう。そこで、緊急な修理を必要とする箇所があれば...。
2)管区長は、サレジオ会が8月にその教会に入れるよう(15日だといいね、何故かお分かりですね!)、信者も含めて、司教様に提案なさると言っています。言葉の面では準備は不十分でしょうが、思いきって水に飛び込まなければ...。もちろん、言葉はずっと続けて勉強する必要があります。言葉こそ、私たちの宣教活動の最も難しい点の一つです。ですから、早く、将来のことも今のうちに考えなければなりません。
3)とりあえず、宮崎では教会学校を開いて子どもたちを世話しようと思っています。(日曜に限らず、毎日でもできる)。場所のためには、庭の一部をつぶそうと思っています。後は、主が考えてくださるでしょう。これは、すべてボネカ-ズ神父が難色を示さない場合です。宮崎の信者の家族を失わないために、少年少女たちを世話することは急務です。(シスターたちの手配も、どうかご検討ください)。14-15歳まではまだ子どもですが、継続的に世話しないならば、迷い出て、間違いは深刻になります。彼らが夢中になる遊びのためのスペースや、常設の図書館、移動図書館が必要です。彼らは本を食いつくす者です。信仰教育も必要です。(略)
他に何を申し上げるべきでしょうか。
1)健康は、今は皆良好です。最後に寝込んだのはメルリ-ノ修道士でした。
2)先日、強い地震がありました。(震度4-5度が2回)震源地は宮崎でした。日本の家は柔軟性があり、ぐらぐら揺れてもヨーロッパのようなショック、恐しさ、パニックは感じません。
3)今、日本は桜の季節です。日本人は、喜び祝って、花見や遠足に出かけます。
4)マリア様の月や扶助者聖母のお祝いがうまくいくことを願っています。
5)サレジオ会の”Bollettino”のための記事を用意します。とりあえず、お届けしたものがお役に立つことを願っています。
どうか、私たち皆のためにお祈りください。特に、これほど主から愛されているのに、その恩恵に十分に応えていないこの私のためにお祈りください。すべての長上方と共に、心からお父様を抱きます。
敬愛するあなたの V.チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生へ(前出)
1926年4月15日頃
わが良きフランコ君
ありがとう、ありがとう、ありがとう! 君が手紙をくれるたびに、私は大変喜ぶ。何を言っているのか。時間は...。うまくそれを使えば、何をするにも十分にあるよ。私の送ったもので何が届いたのか知らないけれど、今のところ、私のもとには、ヴァルサリチェからの君の封筒以外、何も来ていない。これも、離脱だなあ。
琴という日本独特の楽器を使っての音楽は、まだ聞いていない。できるなら、私が琴を習おうかなあ。東洋的で、さびしい感じのメロディーだ。こんな風に...〔ここに1行5線譜で音楽がついている〕。この歌は、子供たちにも教えたが、まあまあ上手に歌っている。今度、イタリア語の歌の歌詞を送ってくれれば、日本のメロディ-をつけてあげよう。学校では、音楽の時間があり、西洋音楽も歌っている。復活祭のため“Regina coeli, 天の元后喜びたまえ”を日本語で作曲した。よくできた。5月に向けて作曲したいものも一緒に送ってあげよう。
ところで、君の方は、リラの竪琴をひっかいていないのか。さあ、さあ、恐れずにガンバレ! 他のことは、恐れないで善意をもってやれることをやったなら、あとは神様にまかせなさい。神学生や、心を閉じている人、また落ち込んでいる人に、話し、話し、話しなさい。そして、院長のもとに送りなさい。前もってお知らせしてから、「院長様、たれたれさんにここへ来るように言っておきました...」と。
わがフランコ君、君の言うことは、全部理解している。君は、チマッティ神父において良いことばかりを見すぎて、そのみじめさを知らないのだ。私がここへ来たのも、そもそも、自分のみじめさを隠すためだよ。神様が助けてくださるように。
日本のことを考えるのは結構だが、好きなように色づけても、この国の外面的美しさは想像しきれないと思う。まったく独特で、世界のどこを探してもこんな所はどこも存在しないだろう。信じてください。これは、けっして、詩ではない。しかしながら、その魂はどうだろうか。魂は、かわいそうだと思う...。でも、主がなさることを見よう、見よう、見よう。
祈って、祈って、祈ってほしい。なさるのは、主だから。主がなさるべきなのだ。
君が寝る頃、私はここでごミサをあげている。特にこの時、心を合わせよ。
お母さん、そしてお父さんによろしく。心から君を抱きしめる。何か君に役立つことがあったら、言いなさい。いつでも、言うとおりにするつもりだ。
君の兄弟 V.チマッティ神父
Giardini Mario ジャルディ-ニ・マリオ司教、教皇使節へ(前出)
宮崎1926年4月20日
敬愛する教皇使節閣下
心待ちにしていた閣下の今月16日のお便りを、この上ない感謝のうちに共同体に読みあげました。今度は、閣下においでいただけるという願ってもみない光栄に、感謝の念でいっぱいです。
さて、私共の現状をご報告申し上げるのは私の務めです。
おかげさまで、みな元気でやっております。風土に慣れるために皆少し病気にもなりましたが、今は心配なく進んでいます。
a) まず、規則正しい共同生活を送りながら、信仰生活においてたえず成長し、私たちの聖なる会憲を忠実に守るように努めています。
b) また、日本語の勉強も進んでいます。もはや尋常小学校の教科書第2巻を終え、カタカナに慣れて、漢字の習得を始めました。この勉強方法はいいと判断し、小学校の教科書12巻を全部見ていきたいと思っています。それは、一通り、日本で教えられている内容を知るためでもあります。一度読み書きの道を覚えたら、後はひとりでも遠くまで歩けるでしょう。毎晩、先生がいろいろな対話を通して新しい単語を教え、日本人の思考の構造に慣れるようにしてくれています。
私たちは、いつそれぞれの支部に別れていくのでしょうか。私たちのためや人々のためにどの時が一番良いかを、閣下が父親としてお勧めくださいますようお願いいたします。
1.-2.(略)
3.話によりますと、コンバース司教様は、9月の黙想会に併せて、パリミッションの神父様方に手を引いていただきたいようです。その頃、信者たちに損がないように、私たちは引き継ぎのための準備が十分にできているのでしょうか。善意に満ちていても、今のところ、まだ何とも言えない気持ちです。
4.でも、何らかの日程を決めなければなりません。私たちは、自由な状態にならない限り、問題を起こさないで若者のために効果的に働けないのです。反面、完全に準備ができる日を待てば、いつまでもその日が来ないでしょう。ドン・ボスコが言うように、「泳げるには、水に飛び込まないといけない」のです。(略)
5.(略) 閣下にご負担をおかけしていると存じますが、どうかお導きださい。宮崎において、蟻のように溢れている若者たちのためにドン・ボスコの精神をもって働くことができるように、私たちのすべてを、み手にお委ねいたします。(略)
なお、これからシスターたちの協力も私たちに必要になると思います。
この土地の経験がほとんどないので、頭に浮かんできたまま、あれこれを申し上げました。宮崎で試してみた限りでは、信者の若者たちにとても良い結果が出て、みな全面的に応えてくれています。未信者の若者たちも来てくれると思います。でも、ゆっくり行かないと、〔長崎の〕司教様からしかられそうです。カナゼイ神父の最近の手紙によりますと、すでにそれらしき注意をいただいたそうです。しかし、そう言われても...! 若者たちを目の前にして、ただじっとしていることは、我々サレジオ会員にとって無理な話です。
どうか、お許し、お許しください。そして、お助け、お助けください。閣下の祝福は、ますます私たちを力づけてくださいました。私たちのためにお祈りください。私たちも日々、閣下のことを心から思い出しております。そして、無理なお願いでなければ、最後に生まれたお子さんである私たちを、末っ子とお見なしになって、可愛いがってください。心からの尊敬を込めて
教皇使節閣下の僕、サレジオ会員 ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年5五月2日
いつも敬愛なるわたしの良いパパ
今月の「良き死の練習」〔静修〕です。だから...少しご報告いたします。
1)健康はすべての面で良好。食欲も、睡眠も。
2)勉強と仕事は、できるだけ力を入れています。義務ですし、またよい手本も示さないといけないのですから。しかし、よくご存知のとおり、このかぼちゃ(頭)は、相変わらず固いのです。イタリアのびわのように、熟するには時間がかかります! 今は、教科書第3巻まで来ています。国鉄でも使われているカタカナが十分にできて、今は、ひらがなと当用漢字を覚え始めました。毎晩、日本語の文章とその構造を覚えるため、会話しています。文の構造は本当に大変です。昼食や夕食の時、箱から漢字1つを引いて、各自小さな文章を作り、皆の前で発表することにしています。
今月の終わり頃、少なくとも短い時間、食堂で日本語で話すことを義務付けられると希望しています。言葉は、仕事のため欠かせない武器です...皆それを研ぐようにしています。しかし、思ったより固いですね。将来の人たちのために、このことを覚えておくべきです。子供たちとの話は...後に申し上げることにいたします。(略)
旅行中送った手紙に対しては、ヴァルサリチェからの返事以外、トリノから1つも届いていません。印刷物はいろいろ来ますが、Bollettino Salesiano サレジオ・ニュースもまだ見えていません。
至急にご返事を願いたいことがあります。教会隣接の土地が売られているようです。私たちやシスターたちのためによい機会です。購入の可能性を打診してもよいのでしょうか。
シスターたちの派遣もお考え願います。その助けが必要です。たくさんの仕事ができるでしょう。(略)
教会学校(oratorio)は、日曜日だけでなく、毎日も定着しそうです。言葉を話せるようになったら、また私たちの教育法が要求する場所を整うことができれば、宮崎市内の多くの若者が集まってくるでしょう。試してみたところ、確信を得ました。しかし、まず、私たちが自由に動けることと...資金が必要です。まあ、神様はお金持ちです!
其れに対する最初の困難は、信者たちから来るでしょう。まず、使徒職についての彼らの考え方を改めないといけません。私たちが異教徒を相手にする時、信者の子や大人たちはどれほど気にすることか...! 大変な問題です! けれども、理解していただかないといけません。なんとかなるでしょう...。もし、私たちの熱意が目を暗ませ、主が願望だけで満足させよとお望みでなければ、収穫が熟していると私は見ています。
経済、法律、言葉から来る困難は少なくないですが、扶助者聖母マリアは、これ以上のことも実現してくださるでしょう。5月は、ちょうどその月です。環境の準備ができていないので、公に大したことはできません。もしかしたら、その名での祝いもできないでしょう。かまいません! マリア様の子らの私たちは、何とかします。他のことができなければ、少なくとも、扶助者聖母を知らない何百万の日本人に代わって、私たちがマリア様を愛し、自分たちを聖化するように努力します。これは、今、最善の修練になります。
神父様、トリノで、マリア様の前で私たちに代わって、お母様にこうおっしゃってください。「日本にいるあなたの子たちは、やむを得ず、置かれている状況により、人々があなたを愛するようにすることができませんが、あなたを知らない人々に代わって心からあなたを愛し、私の手を通してあなたに自分たちの魂を捧げ、清い、美しい心で、愛に燃える人になりたいのです。」
神父様は、Bollettino Salesiano サレジオ・ニュースのための記事を書くように、と願っていらっしゃいますが、日本については良いことを書くか(それは、いつも真実で、適当でもないと思います)あるいは黙るかです。今は、少しお待ちください。口頭なら、日本の良いところ(それは、たくさんあります)また欠点も言えます。今は、このぐらいにして、将来のために準備しながら、祈ることにしましょう。
早めに、シスターのことと、これから派遣される人々の言葉の勉強を考えるべきです。でなければ、何年もの間、何もできない状態に置かれることになるでしょう。(略)
日本には、皆熱心な愛読者ですのに、出版事業を持っている修道会はありません。きっと、カトリック出版は大成功するはずです...。フランスやドイツ文学や哲学のあらゆるひどいものが翻訳されています。学校では、人間がサルからできたと、どこでも教えています。(略)
会員の心は、祈りをとおして、私と共に神父様の側にいます。
あなたの V.チマッティ神父
Valentini Eugenio ヴァレンティーニ・エウジェニオ神学生へ(前出)
宮崎1926年5月2日
親愛なるエウジェニオくん
マリア様の月、5月の初めに、待ちに待った君の手紙が届いた。君が述べていることについて、当然だと思う。私は驚かないし、何の問題も見ない。もし死ぬ5分前、嫌な考えから解放されるならば、神様に感謝すべきだと思う。ミサの中、いつも君を思い出している。時差は9時間だから、君が夕の祈りを唱えて寝に行く時、私はここでミサを立てている。互いに思い出すことにしようね。
君自身のこと。聖人になっているかどうかは、知らない方がよい。余計なことを考えずに、働け、働け、働け。主が望んでおられるのは、理屈ではなく、実践なのだ。でなければ、君は、死に瀕している病人の様態を科学的に診察する医者のような人になる。
実践、実践しろ! 実践する人は、間違うこともあろうが、注意を受けて改善すれば、心配しないでそのまま進めば良い。なお、任せられた生徒のためによく祈りなさい。
受験のこと。できるだけよく準備し、子どものようにマリア様とイエス様に任せなさい。未来がうまく行くか行かないかを心配するのは、何のためになるか。これから五分後まだ生きているかどうかを知らないのに...。博士号や地位は、永遠の生命のために何に役立つだろうか。自分の責任を増すことになるだけだよ。大した儲けだね、おばかちゃん!
イエス様の前で、より素直になれ。そうすれば、すべてはよりうまく行く。君は考えすぎるのだ。何でも自分の目で見たいのだ。こう言いなさい。「もし主のお望みであれば、大学教授、王様、司教様、教皇様になって...最後は、蛙のように膨らんで...、どうなるかなあ...。」さあ、さあ、笑って、自分自身に言いなさい、「ばかばかしい!」そして、手をこすり、もう少し謙虚になって、まっすぐに進むようにしよう。
日本のニュースがほしか。日本と言う国は、花の国、メルヘンの国、すばらしい景色の国、すべての意味で美しい国。しかし、この地上の楽園には、蚊、蛙もいるし、神を知らない何百万人の魂も住んでいる。いつ神を知るようになるのだろうか。ああ、神の御国が日本にも実現するように祈りなさい。
いつも快活であれ。皆、皆、皆によろしく。Burlandoブルランド神父にも。もちろん、院長様と会員にもね。私のために祈ってください。イエスの御心の月をよく祝ってください。「イエスの至聖なる御心よ、われ等を憐れみたまえ!」君を抱きしめます。
V.チマッティ神父
Giordano Antonio ジョルダーノ・アントニオ神学生へ(前出)
この手紙をもらった時、ジョルダーノ神学生はノヴァーラのサレジオの学校で教育実地課程中であった。他の教え子たちも、彼と一緒にいた。
宮崎1926年5月18日
いつも親愛なるアントニオ君
昨日、君の最初の手紙が届いた。今、午前4時、イエス様と共に君とノヴァーラの友だちのために長く祈った後、テーブルに向かって、蛙と雄鶏の鳴き声が静けさを破るなか、返事を書いている。日本の家が戸と窓ばかりだから、戸を開ければ、30分ほど離れている太平洋の波の音が聞こえる。
君は、私が管区長や院長を通して各自に送ったお勧めを受け取っただろう。けれども、最後の手紙には、私から何かほしいか、具体的に何も書いていない。
1)思い出してほしいということか。もちろん、主がご存知のとおり、君たちを思い出しているよ。良いサレジオ会員であってほしいのだから、君たちのために命を捧げたことを、主はよくご存知だ。我が兄弟たち、神学生よ、君たちを思い出し過ぎているのだ。私は、君たちを慕い過ぎたので、人間的な気持ちが入り込んでしまったのではないかと、心配しているぐらいだ。けれども、その時、またこれからも、ただ君たちの魂のためにやったのだと、イエス様もマリア様もよくご存知だ。そうよ。君たちを思い出しているのだ。こことの時差が9時間だから、君たちが一日の仕事を終え、功徳とお恵みを積んで寝に行く時、私はミサ中で君たちめいめいを思い出しているのだ。これ以上、何を言えばよいのか...。このぐらいにして置こう、でなければ...。
2)私から手紙を書いてほしいというのか。私は、はっきりした方針を持っていて、最期までこれに従うつもりだ。それは、回勅みたいなものは要らない、と。また、受け取ったら、すぐに返事を書く、ということだ。だから分かったね...。
では、皆に何を書けば良いのか。日本についての情報か。それは、どんな本にも書いてあるよ。細かいことを除けば、知られていないことは何もない。日本は、世界に例のない国だ。物質面では栄え(先進国で、いろいろな面で私たちを追い越している)、同時に自分の伝統をよく守っている。西洋化しているというよりも、西洋の文化を日本の趣味と利益に合わせているのだ。よく分かったかね。特別な情報がほしければ、それを言えばいいのだ。どうも、私はそのような人だから。ヒントがなければ、頭は反応しない。君たちがヒントをください。
3)君の手紙には、これは4番だと書いてある。そうなら、他はどこに行ってしまったのか。ここには届いていない。献金のことも書いてあるが、修道者だから、長上の定めたことに従うようにしなさいね。(略)
Bavaバヴァ君は、どうしているのか。親友だったのに、1行も書かない...。「しばしば書きたいが、神父様はお忙しいので...」と言っているようだが、それには賛成しない。言い訳に過ぎない。私はぜんぜん忙しくない。勉強すること、祈ること、子供たちに少し歌を教えることぐらいだけだ! 自分の人生において、これほどの暇な時はなかった...。ともかく、君が書くなら、私は必ず返事するのだ。
我がアントニオ君、がんばっておくれ。イエス様とマリア様が君をあらゆる良いことで満たしてくださるように! この前送った8月までの毎月の良い勧めをもらっただろう。お母さんのためにも祈る。多くの祈りと共に、心から君を抱きしめる。
V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年5五月30日
敬愛なる私の良いパパ
いつもこの名前で呼ばせてください。これによって、私がより良いサレジオ会員である気がするからです。今日、5月30日、私たちは、お母さん〔マリア様〕の月を締めくくりとして、月の「良い死の練習」〔静修〕を行っています。ここは午前6時30分、向こうは晩の9時‐10時頃です。神父様は、テーブルに向かって、もしかしたら、私たちのことを考えながら、書いたり、祈ったりしていらっしゃるでしょう。その姿が目に浮んできます。私は、もうミサを立て、30分の黙想も終わって、今月の報告と会員の内部情報を送りたいと思います。
1)健康について 私は、神に感謝して、すべての面、睡眠も食欲とても良好です。というのは、雑草はね...。あの方〔神様〕がこうしてくださったのですから...神に感謝! この点でも良い手本を示したいと思います。
2)勉強と仕事について 今、日本語の勉強に全力を入れています。頭が少し固いのですが、失望はしていません。言葉を消化し暗記するには、時間がかかりますが、マリア様を称えるために、後でも申し上げますように、奇跡を行いました! 日本語は、表面的にはやさしいですが、軽く見てはいけません。単語が豊富で、文章はひねっていて、文の構造が変わっています。否、あまりにも論理的です。日本人の考え方は独特で、私たちには変と思われます。けれども...がんばります! 必要なら、神様は奇跡を行なってくださるでしょう。ともかく、務めですから、もっと力を入れたいと思います。マリア様は助けてくださるでしょう。実際に働かれるのは、彼ら〔イエス様とマリア様〕です。努力を止めずに、いや、努力を増しながら、今慰めになるのは、聖フランシスコ・ザビエルが私たちほど話せなかったということです。最近の伝記には、日本語ができなかったと書いてあります。それでも、聖人だったので、あれほどの成果を上げました。日本にいる、総会長様の子たちも、聖人となりたいのです。当然!
他の仕事としては、私は今、神学を復習し、『ドン・ボスコの予防教育法』の翻訳を始めようと思っています。(活動を始める時に宣伝できるように、会員にも似たような小さい課題を与えています。)会員をよく指導するようにも努力しています。特に修道士たちのため、毎日曜日、信仰の課題についての講話をしています。こうして、将来の仕事の展望を見ながら、この小さな家族は順調に進んでいます。
3)自分の務めについて すべての面で果たせますし、一層勤勉に果たすようにしています。時間をよりよく使う必要があると感じます。会員の指導についても同様です。(そのため、タンギー神父やピアチェンツァ神父はよく協力してくださっています...この二人こそ本当の聖人です!)
4)信心業について これは、私の命です。より確実なものにするため、改善するように努力しています。一応、規則正しくやっていますが、意識的ではないにしても、気が散ることがよくあります。そのため、奮闘し毎週決心を改め、マリア様とイエス様の御手に委ねることにしています。あるとき、(特別な祝いや講話などに際して)、心を込めてミサを立てながら、涙が出ることがあって...、「ヴィンチェンツォがこんな人であるのに...なぜ、イエス様はこうしてくださるのか」と自問することがあります。その時、落ち着いて、他のことを考えるようにしないと、心臓にわるい影響があると感じます。傲慢な考えが浮ぶこともあります。「涙の恵みなのか」と。まあ! 言葉の意味以外、何も分かりません。もしかしたら、神経質か、身体の弱さによることでしょう。ともかく、その時、天国のような喜びを味わいます。この現象が人の目に付かないよう、隠してくださるようにと主に願っていますが、困ってしまうときがあります。24日、お母さん〔扶助者聖母マリア〕の祝いにあたって、言い表せない喜びを感じました。第2のミサを立てた後、マリア様への奉献の祈りを唱える前に、一言を話そうとしたら、...泣き出してしまいました。ああ、歳になったなあ! 特別なこと、と思わないでください。ご存知のとおり、残念ながら、この私は、聖徳からよほど遠い者です。でも、熱烈な憧れがあります、また、イエス様が愛してくださっておられることを確信しています。
ゆるしの秘蹟に関しては、規則正しくそれを受け、力と支えとなっています。
6)会憲について 忠実にそれを守り、困難を感じませんが、任せられた物品をもっと大切にする必要があります。経済面では、無駄はなく、行き過ぎもありません。
純潔の面では、特別なことはなく、目を慎むようにしています。日本人は、特に夏には、服装に関してとても自由です。しかし、礼儀正しく、人の前では品位を保っています。
7)兄弟愛について 心から皆と一致しています。
8)支部に関して 今のところ、特記すべきことはありません。ここの教会は法的には私たちの物ではないし、どんな条件で譲ってもらえるかも分かりません。今は、一般的なことしか言えません。
他の徳については、敬愛なる私のパパ、 リナルディ神父様よ、主は私を導いてくださり、日増しに明確な形で私の惨めさを感じさせてくださっています。以前からもそのことを確信していましたが、それが一層明白になるよう、主は、数えきれないほどの細かい出来事をとおして、「見ろ、自分は何であるか」と諭してくださっています。自分の想像の中に描いていた〔自画像の〕台は、次々と壊れて行きます! ああ、もし目上でない状態になれば! これが私の恥です。神に感謝! 苦行になります! 私のほしいことがありますが...、(私の予感では)、何も不足していない今、多くの精神的な苦しみが待っている、と主は感じさせてくれます。これからは、夏の猛暑、湿気、蚊などが訪れてきます...(楽しみだなあ!)。それらは、大したことないでしょう! でも、私独りではありませんから、他人が苦しまないようにしないといけません。(略)
もし、私たちはすべてにおいて日本に適応できれば、生活費は安くなりますが、日本食が特種なので、非常に難しいことです。(略)
前の手紙で話した宣教師とは、司教が決めるまで私たちと一緒に同居しているパリミッションのボネカーズ神父のことです。管区長の相談の上で、毎週の生活費を私たちが払っています。神父様は33歳で健康が弱いのですが、丈夫になりつつあります。先生と一緒に通訳してくださっています。この先生は、良い信者の方で、神父の家に住み込み、私たちは、月に15円を支払っています。(略)
別紙に一般のニュースを加えます。Bollettino Salesiano サレジオ・ニュースのため、現在の私たちのデリケートな立場にあって、何を書けばよいのでしょうか。日本についてですか。信者のためにやった仕事ですか。私たちは、いくらか働いてはいますが、責任を任せられるまでは何も言わないほうが懸命だと思います。司教は、すべてにおいてボネカーズ神父に服従しなさい、と勧めています。今までできたわずかな仕事は、少し無理してやったことです...。しかし、若者を見て、何もしないでいるのは、なぜできるのでしょうか。サレジオ会員についていろいろ言われそうですが...。皆、私たちはどんなものであるか、まだ分かっていません。ここの神父も、今になって、ドン・ボスコのことを知りはじめました。いつか、サレジオ会員になりたいと言い出すなら、私は驚くことはしません。
ともかく、お送りするものが役立つかどうかは、ご判断ください。大切なことは、日本について良いことを書くことです。私も、そのことに値する国民だと思っていいます。
最後に、わが良いパパよ、出発した時と同じように、あなたの前に跪いている私たち皆を祝福してください。あなたの腕に抱いて、大切にしてください。私たちがあなたの末っ子であることを、思い出してください。皆、皆、皆、思い出してほしいのです。
私は、いつも、あのいたずらっ子のサレジオ会員 チマッティ神父
追伸 - 次は、毎月送っている一般的なニュースです。
1)(略) 話によると、非常に大事な宗教団体法が今準備である。近いうちに発表される。作成には、僧侶8名、プロテスタント1名、カトリック1名が参加している。2人のクリスチャンが入っていることは意外である。(略)願わくは、この法律が神の御摂理の導きにより、日増しに宗教問題に目覚めつつあるこの優れた国民の中にイエス様の勝利をもたらすために役立つように(すべての新聞もこれについて話している)。日本は、今、キリスト教を知り始めている、少なくとも、話題にし始めていると言える。この新しい法がカトリック教会に障害にならないことを期待する。余りその心配はなさそうである。東京では、カトリックが良く見られているし、皇太子の侍従山本信次郎師はカトリックであるし、準備委員会にも日本人のカトリック司祭が入っているのである。邦人司祭は、話す時に遠慮していない。もし、外国人の私たちが議論の中で少し強い言葉を使えば...大変なことになる(その意味で、外国人は別な目で見られている!)。日本人司祭は、どれほどのきつい言葉を同国民に対して使っていることか...。ともかく、期待して祈ることにしよう。
2)言葉の勉強に関しては1歩1歩ではあるが、確実に進歩している。それもやむをえないことである。発音を除けば(これでも随分助かる!)、文の構造は完全に違う。将来、日本に来る人たちには、よくこのことを知らせるべきである。
この前、どんな大変なことをやったかを聞いてください!!!...練習のため、また恐れを吹っ飛ばすため、(そして他のことはできないから)マリア様の月と祝日にあたって聖母を称え、その助けを求めるため、9日間の祈り中、信者たちに短い講話をした。書いた文を直してもらい、暗記して話してみた。皆、理解した、と言っている。神に感謝! これほどの説教者がそろった聖堂は、世界中にどこにもないと思う。課題は、次のとおり。
1.私は導入として、なぜこのような講話をするか、また、信者の基本的な務めについて。
2.タンギー神父は、無原罪の聖母とルルドについて。
3.ピアセンツァ神父は、ドン・ボスコの夢について。
4.カヴォリ神父は、クリストフォロ・コロンボとマリア様について。
5.リヴィアベラ神父は、5月の花について。
6.マルジアリア神父は、ドン・ボスコが行なった奇跡について。
7-8.最後に私は、マリア様の月の実りを保つためにその信心を大切にし、秘蹟に与かり、信者の務めを果たし、異教徒のために祈り、彼らに良い手本を示すことについて話した。
主任司祭は、扶助者聖母の御像を出すことに賛成しなかった。これにより多くのことが遅れると、私は思う。マリア様が太陽にならなければ...。ともかく、話ができたし、子供たちにも御絵を配った。この機会に、『聖母マリア日本の元后、殉教者の元后、キリスト信者の助け、我等のために祈りたまえ』という祈りを作曲して歌ってもらった。なお、24日、私たちだけで第2ミサを立て、マリア様へ私たちを奉献することで結んだ。こうして、毎日、朝晩2回儀式が行われ、参加者や秘蹟を受けた者は少なくなかったのである。
もちろん、これで十分に話せるようになったわけではない。教会の中は雄弁家でも、外に出ると魚のように無口である。マリア様は、助けてくださるように。
3)宣教地の現状について。正式なデータは手に入っていないが、出席者数から見て、宮崎教会の現在の信徒数は120-150名であろう。名簿上はもう少しいる。町の近辺には、いないようである。大分と中津の場合、はるかに少ない、しかも散らばっている。
宮崎教会の中核は良いと思う。男女とも毎日御聖体をいただく者がいる。週日10人、日曜日は20-25人、祝いの時はもっと多くいる。しかし、いろいろな理由で迷っている羊もいるし、至急に男女の青年たちを集めるようにしなければ、散ってしまう危険がある。やはり、サレジオ会的な仕事が必要である。シスターがいれば、女子のためにもたくさんの仕事ができる。
日本人は、読書欲が旺盛である。そのため、図書館が必要である。これは、異教徒を引っぱるためにも役立つであろう。また、遊び場、サークル、クラブを作り、これらを固め、発展させる必要がある。将来、召し出しの可能性のある人にも目を付けている。(略)
日本は、服装に関して西欧化しつつある。公務員、学校、銀行などは皆そうである。どこでも木造・木材が建築に使われ、機械化も大事にされている。
書籍は、生活の基本条件といえる...。サレジオ会の事業を考えると、ドン・ボスコが始めたLetture cattoliche 「カトリック講話集」が頭に浮んでくる。しかし、これには、優秀な人材と資金が必要である。私たちは、彼らよりもよくやらないといけないのである。
日本の一番よい建築は、学校である。緑に囲まれ、体操のための広い運動場があり、体操がとても重視されている。(略)
4)環境 - ここには、信心や貞潔のしっかりした人材が必要である。夏になると、服装はとても自由である。彼らにとっては自然だが、慣れていない私たちにとっては、特に子供たちを遊ばせる時、問題になりうる。小さい時からおんぶに慣れている子供たちは、とても懐こく、すぐに愛着し、べたべたしてくる。
また、忍耐強い人が必要である。カットなって腹を立てれば、癒しにくい敗北になる。日本人にとって、怒ったり、忍耐を失ったりすることは、最大の弱さ、信頼を失わせる原因となる。このため、人を転勤させなければならなかった修道会もある。ここの人たちの心の中を読み取るのはとても難しい。子供は違う、また私たちの信者も違う...でも、彼らも...。表情を変えないで、あなたを観ていて、あなたが笑うなら彼らも笑うが、あなたを観察し、評価している。私たちはどう評価されているかなあ! まあ、これから分かることになるであろう。(略)
チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父様へ(前出)
宮崎1926年6月2日
敬愛なる私のリカルドーネ神父様
リナルディ神父様に先日書いたことを、ここでまとめてご報告いたします。
1.~3.の5)(略)
6)財務関係のことですが、まとめた図をご覧になってください。現在、手元にあるのは5000円ぐらいです。神父様が御摂理の使いとなりますように! 詳しく書きましたわけは、物価のことをご判断できますためです。
会員たちは、洋食が良いと言っています。もちろん、パン、肉、牛乳、ぶどう酒の値段は高いです。管区長と相談し、司教様の勧めもあって、大きな危機を伴う新しい気候に適応期間中、負担が大きくても、不足しないようにしました。時が経てば、もう少し節約する必要もあるでしょうが、今は、こうすることは私の務めだと考えています。実際、旅により、雑草みたいに平気であった私を除けば、皆惨めな状態になってしまいました。和食にしたら、節約ができることは確かですが、ヨーロッパ人はそれに慣れにくいのです。私だけだったら、喜んでそれにします。でも、他の人に押し付けることはできません。ご指導ご鞭撻をお願いいたします。なお、大分に行けば、物価はもっと高いかもしれません。その時に判断しましょう。
生活費の基準は11人分、すなわち、私たち9人、主任司祭と、日本語の先生とまかないさんを1人分と計算します。この2人は、和食ですから、比較的に安くなります。
他に、修繕費も私が負担しています。本当のことを言えば、修繕を要するところはたくさんありますが、やるべきのか、やった方が良いのでしょうか。木造の司祭官やお御堂は、特別な手入れを必要としていますが、私たちに譲られることが決まった時から、手を加えないで良い、と司教様が指示なさったようです。つまり、数年前から何もしていません。その他に、電気代も、日本語の先生やカテキスタの月給も私が払っています。
蚊が多くて、会員が夜眠れないので、簡単な蚊帳を買いました。会員たちがいらいらして、昼間眠ってしまうからです。管区長の許可を得て、少しコーヒーとぶどう酒も購入しました。通信費の中に、私が気晴らしに採集しているいろいろな物も含まれています。
将来、巡回宣教が始まったら、任せられたこの地方を研究しましょう。ここは貧しい所ですが、農業、鉱山、天然水、漁業等の資源の面では日本の1つの一番良い地域です。天皇家もこちらからのご出身です。(略)ドン・ボスコの子らの働きや扶助者聖母マリア様の取次ぎによって、将来、イエス様の勝利もこちらから出ることを願っています。神様がそうなさいますように!
先月、地震で宮崎が揺さぶられた火山もこの近くにあり、世界一のカルデラを持っている阿蘇という火山もこの地方にあります。これで終わり! でなければ、面白くなってたまらなくなります。(略)
7.これまで、3回もヒヨコを孵化させて育てました。今度は、鴨の番です。しかし、猫がヒヨコ6羽を食べてしまい、グアスキノさんはかわいそうでした! この前の遠足の時、彼は乾板を入れないで2枚の写真を撮ったことがあって...残念です!(略)
これで十分にしましょう! でなければ、日本語の勉強は、、、。
心から神父様を抱きしめます。いつものとおり、私は狂喜です。特に主と共にいる時に楽しくやっています。扶助者聖母マリア様には、お急ぎください、とおっしゃってください。皆、皆、皆神父様を思い出しています、また、思い出してほしいと言っています。
あなたの V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年6月29日
いつも敬愛なる私の良きパパ
今日、6月29日、聖ペトロの祝日です。さまざまな考えが浮かんできています。ローマと聖なるカトリック教会、教皇様とドン・ボスコ。また、父ドン・ボスコの熱意に見習う私たちがなすべきこと、日本に教皇様のことを知らせるために身に付けるべきこと(大変な仕事です!)など、いろいろ浮かんできます。
今日は、月の「良き死の練習」なので、いつものように個人的な報告と家族の指導状況についてお知らせし、さまざまな出来事とニュースを別紙に書き添えます。
1)健康(略)
2)勉強と仕事は、不足していません。日本語は軌道に乗りつつありますが、漢字を別にしても、なかなか固いです。漢字の勉強には一生かかるでしょう。他に、神学を復習したり、長上方にニュースを送ったり、手紙の返事を書いたりして、主の内に明るく進むようにしています。
3)自分から先に良い手本を示すようにし、会憲を守り、守らせるようにしながら、果たすべき務めを果たせていると思います。
4)~8)信心業、愛徳など(略)
主は、私がそれに値する以上、祝福してくださっています。ああ、私が多くのお恵みを無駄にしないで、功徳を積み、自分の魂を救うことができますよう、どうか良きお父様、私をお助けください。
私たちの小さな家族について、簡単にご報告いたします。
タンギー神父 いつも、すべてにおいて立派にやっています。本当に宝物です。注意深く、経験あり、本物のサレジオ会員です。最近、ときどき頭痛や歯痛を訴えましたが、一時的なものでした。根気よく勉強し、きっと成功するでしょう。
ピアチェンツァ神父 彼も、すべてにおいて立派です。特記すべきことはありません。
カヴォリ神父 健康があまり優れていません。神経質で、よく眠れず、こちらの風土にまだ慣れないようです。元気な時は性格も良く、明るいです。優れた能力の持ち主です。目下の状況では、言語の習得は難しく、勉強にも継続性がありません。健康を取り戻し、精神的に落ち着くように、治療や療養が必要でしょう。他の面では立派です。
リビアベーラ神父 健康があまり優れていません。一週間前、持病の発作が出ました。その他の点では、とても良いです。若者たちのために中心となり、リードする素晴らしい能力を持っています。
マルジャリア神父 やや虚弱な体質です。胃袋の調子を整える必要があるでしょう。最近、精密検査を受け、だいぶ落ち着き、元気になりました。日本語はよくできます。他についてはすべて良いです。 (略)
今日から、小学校3年の教科書に入ります。すでに(尋常小学校)国語読本と修身の本6冊を読み、勉強しました。修身とは、日本の伝統と習慣に基づいた礼儀作法を教えるに過ぎず、先祖をお祀りするため家庭祭壇(どこの家にもあります)で祈るように勧めている程度です。逸話や詩のようなものが出てきますが、内容は乏しく、勇敢な闘いの精神を育むためのものです。最後に読んだところは、嫌なほど復讐心を称える内容でした。日本語の善良な先生も、「神父様たちは、こういう内容が早く削除されるように働きかけてください」と言っていました。神様がそうしてくださいますように!(略)
昨夜の11時頃、ちょっとした地震がありました。けれども、会員の大半は気持ち良く眠っていました。その中に私も含まれていました。
あなたの愛する D.V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ (前出)
宮崎1926年6月30日
敬愛なるリナルディ神父様、
今月のニュースをお送りします。(略)
6月12日 日本の保護者、汚れなき聖マリアの御心の祭日です。1884年、日本の知牧区の最初の教区長となったフォルカーデ神父が立てた誓願によるものです。
この頃、枇杷の初物が姿を見せています。ヨーロッパよりも大きく、瑞々しいです。
6月13日 聖アントニオの祝日。カヴォリ神父の霊名日を祝いました。
6月17日 大淀川にそって遠足に行きました。素晴らしい眺めでしたが、景色よりも素晴しかったのは、貧しい、大勢の若者たちでした! ああ、主よ、いつから、若者たちを相手に仕事を始めさせて頂けるのでしょうか。(略)
6月18日 宣教師Boulteauブルトー神父が私たちを訪ねてくれました。こうした“神の人”との付き合いから、常に学ぶことがあります。皆、私たちを見たい、知りたいと言っています。同神父が住んでいるのは、政府のハンセン氏病患者(500人以上)がいる枇杷崎の診療所です。このような病院における回心の難しさ、結婚のトラブル、異教徒の男女間の付き合いの乱れなどについて話してくれました。生まれてくる子供たちは、フランシスコ会のシスターたちに任せられています。神父の考えでは、日本人が宗教に関心を持つようになるのは、物質的な世話をすることを通してです。
私の意見では、若者を相手に間接的布教に力を入れて、邦人司祭を養成することがもっとも大切なことです。なお、今の信者たちをより良く組織し、もっと教会の「外」に出るようにすべきです。能力ある邦人司祭たちが講演のためにもっと回ればよいとも思っています。ところが、そのための手段を持っていないようです。
もう一つ、天皇崇拝について、司教や宣教師たちの間に意見の食い違いがあり、(道徳の細かいことについても同様です)未解決の難しい問題があります。キリスト信者がこのような儀式に参加して良いか、ということです。宗教行為だ、と言って、許されないと主張する人がいます。最近、3人のカトリック兵士が自分の信念に反すると感じて誓いを拒否したことがありました。政府は、このことをどう捉えているのでしょうか。また、使節閣下は、どのように受けとめておられるのでしょうか。まあ、上部の人たちは、これに矛盾を感じているようです。(最近、政府も、検定教科書から神話のような部分を排除した方が良い、と考えるようになったようですが)。
一方、天皇崇拝は、ちょうど私たちイタリアのファシストの敬礼のようなものだ、と言って、別にかまわないではないかと考えている人がいます。学童や青少年に学校ではこれが義務付けられているし、国民もそろってそれを行なっているのです。したがって...。
6月21日 聖アロイジオの記念日。グアスキ-ノ修道士の霊名日です。彼は、支部主催の写真コンクールや、ボッチェ〔注.イタリアのボールころがし〕のコンクールに優勝しました。日本では、イタリアは尊敬されていて、ムッソリーニが若者に送ったメッセージも評判でした。これも我々に役立つもので、御摂理の計らいにおいて、きっと意味のあるものでしょう。最近、イタリアは、日本に飛行船を売却しました。今のところ、日本にいるイタリア人は少数です。(私たちを除いて、15人くらいでしょう)。(略)
6月28日~29日 7月から、主任神父は私たちに日曜日の説教を任せてくださいます。7月4日の日曜日、私がまず聖ペトロと教皇様について話します。その後、交代で説教を担当することにします。言葉はまだおぼつきませんが、とても良い訓練です。どうか主が私たちを祝し、守り、ご加護をくださいますように! 扶助者聖母のお助けにより、少しでも上手にできますようにお祈りください。
イエス・キリストのうちに敬愛を込めて V.チマッティ神父
Grigoletto グリゴレット神学生へ(前出)
宮崎1926年7月4日
私の良きグリゴレット君
君からの手紙をもらって、どれほど慰めを得たかは、言葉では言い表せない。
ただ今、聖堂から戻ってきたが、今日、日本では聖ペトロの祝いなので、私は、偉い人がするように、聖ペトロについての説教を読み上げた。信者たちに分かってもらえたのだろうか。私もそのことを願っている。しかし、読み上げるよりは、早く暗記できるように祈ってもらいたい。そうなれば、この大変な言葉をマスターし始めたことの証拠になる。
君は、私に手紙を書く負担をさせたくない、と言う。なぜだろうか。君は、国を離れた人たちにとって、まず神様、そして友達、否、兄弟たちとの繋がりが最高の慰めであることを知らないのか。
君への私の勧めはこれである。
・信仰をもって、神と聖母マリアのみ手に自らを委ねなさい。
2)勉強でも、何でも、言われたとおりきちんとやりなさい。
3)落ち着いて働くようにしなさい。私が日本で探している動植物の珍しい標本のように、自分は特別な存在だ、と思うな。そうではなく、君もドン・ボスコを愛する小さなサレジオ会員だ。任せられている場所で、知っていること、できることをやっているだけだ。私たちは皆、それぞれ神様からいただいた恵みを持っていて、ある人はこれだ、ある人はあれだ。分かったか、おバカちゃん!
私に手紙を書かなくてもよい、時間とお金の無駄になる。だって、自分はもう変わらない者だ、と君は言っている。さあ、私が書いたとおりに実行しなさい。そして、心配するな。君ができないことは、主とマリア様がなさるのだ。(略)
私の誕生日を思い出してくれるのは、姉のほかは、君が最初で、ただひとりだろう。繊細な心遣いをありがとう。イエス様が報いてくださるように。
そう、75歳ぐらいまでは元気でいたい。なぜなら、(初代総長)ルア神父から任された任務があり、君がそう願ってくれているのだから。(略)でも、一番良いことは、子供のように神の御手に自分をお任せすることだと思う。(略)
どうか、皆、皆、皆によろしく、と伝えてもらいたい。君を心から祝福し、抱きしめる。いつも君の兄弟である、
V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年7月4日
敬愛するリナルディ神父様
昨日、父親のような心で1日半一緒に過ごしてくださったジャルディーニ駐日教皇庁使節閣下が、出発されました。私たちのために、また宣教地のために提案してくださったことを早速まとめ、ご報告申し上げるのは私の務め、また有益なことであると思います。
使節は、木曜日の夜10時頃、到着されました。駅には、私たちの他に、信者一同が指示がなくても大勢整列し、いつものお辞儀で迎えました。車で教会に案内され、軽い食事をとられた後休まれました。朝6時、歌と伴奏を交えた荘厳ミサがあり、大勢がご聖体を拝領しました。朝食後、宮崎県知事、市長、県警長官など、市当局を訪問し、県知事が使節のために用意された車で神武天皇を祀った神社をはじめ、考古学博物館などを回り、夕方には熱帯植物が繁る青島にも出かけました。
修道院に戻ってからは、共同体のために素晴らしい講話をし、我々に委ねられた人々の間に「御国が来ますように」活動を続けなさいと励まし、日本での、特に私たちの宣教地での宣教の難しさを話してくださいました。日本人の性格、昔からの伝統、優越感、豊かさ、宣教師の少なさ、外面的丁寧さの背後にある道徳的乱れなどを話し、さらに、私たちに任された地域での今までの成果・実りの少なさ、言葉の問題など、いろいろ話してくださり、御摂理が必ず私たちを助けてくださるから、全面的に信頼するように、と励ましてくださいました。夕方の荘厳な聖体讃美式の中でフランス語で信者たちに挨拶し、主任神父様がそれを訳しました。信者たちには、おメダイをプレゼントされました。
翌日、県知事が使節を昼食に招いてくださったので、私もボネカーズ神父様も一緒に参加しました。午後2時頃、使節は出発されました。信者たちは、とても良い印象を受け、県知事の丁重なもてなしにも歓心を示し、会員一人ひとりにとっても使命をよく果たすための準備を進める大きな刺激になりました。
現地の新聞も使節の訪問を記事にして、神武天皇の神社で参拝された、とも書きました。そのことで、不安に陥った信者もあり、主任神父様は教会でその事についてきちんと説明しました。真実は次のとおりです。
知事は、使節が神社を訪問する際、榊(さかき)の枝を捧げるよう勧めました。この行為は、全く宗教的な行為ではないと、前もって説明されました。一方、東京の明治神宮で以前に花を捧げたことのあった使節は、今回も境内に入りました。が、進みながら神主が傍らにいたので、礼拝をしている誤解を招いてはならないと思い、脱帽しただけでした。
この神社参拝のことは、一番議論されている問題の1つです。政府のはっきりした見解では、神社は、天皇と日本国の英雄たちを祀る記念碑、それを守る神主はただの公務員、そこで行なわれる行為は市民としての行為であるに過ぎない、と言っています。ところが、国民や聖職者(司教や特に邦人司祭)の大部分は、それを宗教的な行為・礼拝と見なし、信者たちにそうしないように、と勧めるべきだと考えています。
最近あった実例。宗教に関する新しい法律を検討する委員会の席上、宗教の代表者は、なぜ神社礼拝についてひと言も触れていないか、と文部大臣らに質問しました。これに対し、担当大臣は、上記の政府の見解をもって答えました。そのため、議論が持ち上がり、3日間も続きました。上手にこの状態を脱するため、大臣は、この問題はとても重要であり、深く研究する必要がある。折を見て、特別委員会を設置して討する。とりあえず、任された議題を討議しよう、と回避しました。確かに、もし、神社参拝は宗教行為だ、という考え方が優位になって、政府が国民にそれを義務付けるならば、キリスト信者はそれを拒否することになる、そして、迫害がおこるでしょう。
政府は、このままでは若い世代が何も信じないで育ってしまうことをみて、人々の良心を育てるべきだと言っています。また、カトリックの教えに好感を示しています。と言うのは、権威者への忠誠を教えているからです。今のところ、反対の命令が出ない限り、私たちは(質問を受けた場合)司教様や主任司祭が教えているとおり、このような儀式に市民としての意味しかない、と教えることにします。
では、教皇使節閣下と交わした長い話の内容をまとめて、簡潔に、忠実にお伝えします。
1)宣教師たちをはじめ、カトリックの中でサレジオ会の活動を知っている人々は皆、ドン・ボスコの子らが来日したことを喜んでいる。すぐにでも東京に来てほしいと考えている。できるだけ早く行かれるよう準備すべきだ、と。九州は、経験を積み、人材を整え、将来のため養成の場となるでしょう。
2)今は、時期は良い。目下、日本では若い労働者を世話する人がいない。職業教育に従事する人もいない。
3)使節は、私たちが知識を得、研究し、適応するため、日本の職業教育に関する法律などの資料を送ってくれる。自分としては、まず、印刷学校、また、日本で高く評価され要求されている機械学校を進める。
4)(略)
5)サレジオ会員は、自分たちの会憲や方針に忠実であるべきだ。使節は、若者や庶民の教育に役立つものなら、何でも無条件で賛成する、と。(略)
6)できるだけ早くシスターのことを考えるべきだ、と。並行して女子の若者のためサレジオ会員を支援し、ある面では男子会員よりも、特に幼稚園を初め、教会学校、女子の職業訓練校などでもっと働けるのだ、と。日本の女性は、裁縫などの手先の仕事に熱中し、とても手先は器用だ、と。(略)
7)召し出しに関しては、日本人は堅忍が問題である。長崎の司教様は(今、健康を害して、もう余り長くないと言われる)、自分が叙階した司祭の内、少なくとも年に1人辞めて行くと言う。日本人は、比較的に体力が弱く、テンポの速い勉強に耐えられない。我々が2年間でやることを、3、4年かかる。体力を強めるため、栄養面でヨーロッパに倣う必要があろう、と。
8)いろいろな購入に関して、信者でもあまり信用しない方が良い。過去には、宣教師に2倍の値段で売りつけたケースがある。(略)
9)なお、私が今までしてきた市当局との付き合いに関しては、賛成である。今後もぜひ続けて、さらに輪を広げ、他の宣教師たちとも近隣関係も大切にしなさい。一度、他の修道会の学校や事業を訪ね、実際にこの目で確かめてみるのは無駄ではない。都合をみて、東京の政府の中央機関とも関わりを持つ機会を設けてくださる、と話してくださいました。
私は、私たちの立場について、会員たちが司牧(特にゆるしの秘跡)の全責任を負う準備がまだできていないことを感じている、と伝えました。少なくとも12月まで期限を延ばし、12月8日からにしてはどうか、と申し上げました。その理由がお分かりでしょう。〔注.無原罪の聖母の祝日ですから。〕(略)
使節閣下は、現地の宣教師たちを引き上げてもらう日程として、12月を提案する。その後、しばらくの間、特別な時に手伝ってもらえるよう司教様に書面で願う、とおっしゃいました。
私個人としては、水の中に飛び込まない限り、泳げないという考えです(これも傲慢なのでしょうか。)それでも、このぐらいの延期に賛成するのは、a) 協力者であり、私よりも経験や聖徳を積んでいるタンギー神父とピアチェンツァ神父がそのように考えていること、b)言葉を身につけるのに2、3年はかかる。1年足らずで準備できたはずはない、と言っている他の修道会に対して、サレジオ会員は大事なことを軽率に急いでやろうとしている印象を、与える危険があること、c)もう少しよく状況を把握した上で、将来の仕事の計画を立てることができる、と判断したためです。
その他のニュース
7月1日 宮崎の気象局を訪問してきました。風速、気温、湿度のための機器、特に地震を計るための最新の機器が揃っています。(略)
7月3日 初めて宮崎の小学校の合唱コンクールに参加しました。児童数は男女合わせて4000人、その内2000人が大きな講堂に集いました。他の宣教地なら素晴らしいと思われる演劇やさまざまな催しでも、ここでやっていることと比べれば、大したことではない、と思われるでしょう。音楽もダンスもとても上手で、目を見張るほどの才能を発揮しています。斉唱も自然な感じで、上手にやりこなしています。
私の良きパパ、どうか私のためにお祈りください。イエス様が、私を本当にご自分のものにしてくださいますように、また心を集中して祈り、謙虚で、清く、人々を心から愛する者となれますように、お祈りください。それを本当に必要としています。(略)どうか、子供の愛をもって父の前にひざまずく私たち皆、皆、皆を祝福してください。誰よりもそれを必要としている
あなたのこの V.チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生へ(前出)
宮崎1926年7月25日
親愛なるフランコ君
私のことを思い出してくれて、君の善意にどう感謝すればいいのだろうか。日々、君とご家族のことを思い出すことによって感謝しよう(実際、そうしているよ。)我がフランコ君、神様は、私に優しすぎる心を与えてくださったのだ。自分でもそう感じる。一旦だれかの魂に入ってしまったら、心身ともそこから抜け出せなくなるのだよ。君と君の聖なる家族に対してもそうだ。日々、主に感謝しよう!
1) 音楽の五線紙を送ってくれてありがとう。大部分、君たちのために埋め尽くすつもりだ。今は、日本的音楽に取り組んでいる。もう幾つも貯めてあるが、君たちに分からないから、送っても役立たないだろう。この次、ヴァルサリチェの仲間たちがまた手紙をくれる時、日本の美しい歌を送ろう。共同体に送った手紙にも添付したから、見てほしい。日本人は、寂しい、短調階の曲を好む。学校では音楽は必須だが、一部の独自の歌の他、ドイツやフランスのメロディーに日本の歌詞を付けた幾つかの歌集がある。イタリアの音楽は好きだと言う。すぐに覚えてしまう。
被昇天祭のため、信者一同で歌ミサ〔注。ここにグレゴリオ聖歌のミサ“cum jubilo” の初の旋律を記す〕、また日本語の賛美歌を歌わせよう、と思っている。日本人は、音楽に夢中になり、仕事をしながらも歌っている。子守りをする人も、子供をあやしながらきれいな歌を口ずさむ。ちょうど昨日、教会の池の前で若い女性が同じアリアを何回も繰り返しながら、自分の宝物の子を休ませるようにしていた。〔注.旋律の5線が続く〕
2) 我々の宣教地のために土曜日の祈りを捧げてくれてありがとう。この土地の特徴は、どう考えても想像できないだろう。次のような特徴を合わせてみてご覧。異教の教えと、経済、社会、政治的繁栄と。子供たちの自由な振る舞い(家の中の子どもは王様であり、イタリアで隠そうとすることを何でも見せる)、慎みある美しい着物と、完全に自由な服装と(時には、まるでマットグロッソにいるような感じがする)〔注.チマッティ神父の仲間がいるブラジルの原始林を指す〕。国民の高い教養の水準と、全く無知な面、である。続ければ、明日まで続けられる。この国民は、逆説的であり、変と思われるかもしれないが、同時に正確で、細かく、何というか...まあ、どうなるかを見ていよう。本当に祈ってもらいたい。
3) 音楽に関しては、私の経験では、今、そちらの学校の事情を考えて、もっと良い要員が来ない限り、君がやっているようにやるのが一番良い。少ない曲を、よくやること。(私は、ここの子供たちを相手に同じことを体験している)。良いプログラムを上手にやることだ。私の作曲したものに関しては、気にしないで、何でも自由に使っても結構だ。(略)
君の作曲は、素晴らしい。でも、傲慢になるわけはない。クラシック音楽やモダンな音楽と比較してみれば、よく分かるだろう。芸名は、自由に「ヘンリ」を使っても結構だよ〔注.ヘンリとは、チマッティ神父のミドルネームEnricoのこと。初期のころ、彼は芸名としてよく使っていた〕。私にとってそれは名誉となる。
一般の人の音楽的趣味については、こう思いなさい。多くの人は、中身よりも作者の名を追っている。音楽を聴くと、まず、「誰の作品ですか」と訊く。そして、有名な人の名前が出れば...、ああ、素晴らしい! と言う。(略)
君は、自分には能力がない、怠け者だなど、と考えるな。自分の知っていること、やれることをやったなら、あとは恐れることはない。君の心の状態についても、同じことだ。
読書としては、聖フランシスコ・サレジオの手紙を勧める。(略)それを読めば、君が私に書いた悲観的な考え方の無駄なことが分かる。何を言っているのか。罪人、傲慢、感情的、役立たずのサレジオ会員だ、とは! 神様はそのことをご存知ではない、とでも思っているのか。我々がこの世から離れたのも、そのためではないか。神に対して信仰の薄い者よ、元気を出せ。君は、自分を信じすぎているのだ。神に委ねなさい、委ねなさい。これに関して、頭で理解すること、哲学することなんかは要らない。知っていることを、その場で、できる方法で、神様を愛するために、やることだけだよ。 他のことは、全部誘惑、不信、無駄な計算にすぎない。明るく前進、前進、前進しなさい。
とにかく、フランコ君、勇気を出せ。仕事をしながら、聖人になるように努めるのだ。そのためにこそ、ドン・ボスコは君を自分の側に置いたのだ。〔注.当時、ヴァルサリチェにドン・ボスコのお墓、ご遺体があったことを指している。〕解ったか。ドン・ボスコは、君にこう言っている。「フランコ君を私の側に置いたのは、他の支部に行けば、より大きな危険に遭ったからである。ヴァルサリチェなら、仕事、快活さ、私の子らを喜ばせる、信心生活を実行することによって、聖性を目指すことができるからである」と。
解ったね。私のおバカちゃん(どうか怒らないでね!)それでも恐れるのか。さあ、ピオヴァの林間学校〔注.チマッティ神父も夏休みによく行っていた場所〕から帰ってきたら、ドン・ボスコのところへ行って、私に代わってキスをしてあげて感謝しなさい。
お父さん、お母さん、ヴァリサリチェにいたお兄さんにも心からよろしく。ピアニストや合唱団の皆さんにも。そして、君には、私からの大きな抱擁とこの上ない大きな祝福を。
君のヴィンチェンツォ神父
Costa神父院長とヴァルサリチェの共同体一同へ(前出)
宮崎1926年7月27日
敬愛するコスタ神父様と会員の皆さん
私の返事が遅くなって、皆さんに対して借りができました。聖人ぶっているあの神学生たちが手紙をくれるかと思って、今まで待っていたからです。これ以上待てないよ。そうだ...彼らの損だよ。まったく手紙をくれないなんて。よくそんな勇気があるのだなあ。そうなら、私が書こう。
コスタ神父様がおっしゃる通り、皆さんはまだ離れていることに慣れていないのだなあ。1ヵ月、40日間、君たちにとって大した事ないね。ゆくゆくは、いつか、ラジオでも手に入れることにしようなあ!
1. 扶助者聖母の祝日と、御心の祝日おめでとうございます。ピオヴァの林間学校のためにもね...! ああ、そのことは考えない方が良い! 私が感受性の強い者だから、(笑い事ではないよ!)でも、まだホーム・シックにかかっていないよ。今、1926年7月25日午後3時。温度は36度、蝉は自分たちの仕事に励んでいる。窓からは時折涼しい風が入って来るが...、ピオヴァの山々を思い出すと、とても懐かしく思う...。(略)
2. 先日、宮崎で一番の金持ち、有名なお医者さんの家に夕食に招かれた私を想像してみてください。時間はきっちり! いつもの礼儀! 入り口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、再びスリッパを置き、例のお辞儀(膝をついて3度頭を下げる)、最初の挨拶!
夜八時、氷の入った冷たい水が出される。なんとおいしい食前酒!
家族のメンバーが部屋に入り、またお辞儀と深いため息、ワインを味わうときのように! ため息が多ければ多いほど良いそうです。でも、お辞儀のほうは楽しい。望めば望むほど、左右のぺこぺこの運動です。
やっと、食事の時が来た。食べることなら、私もとても上手です。まず、食卓に就くようにと言われた。全部で6人。フランス人神父2人、私、奥様とお子さん2人(お医者さんは会議があって、最後に来られた)。ご夫人は、食事もせずに、娘たちと一緒に給仕し、伝統的な扇子で客を仰ぐ(なんたる名誉!) 食事の時、女性は男性と同席にしないそうです。テーブルの高さは30センチ余りで、幸いにその下に脚を伸ばすことができて、少し楽になりました。
今度は、左隅に茶色塗りの蓋がしてあるお椀ののった、金縁の漆塗りの四角いお盆が出される。中身はなんでしょうか。それは秘密! 特に、初めて本格的日本食をいただく私には! 側に小皿があり(コーヒー用の皿に似ている)、その中に貝殻が載せてあり(素晴らしい鮑です。トネーリ神父の採集に欲しいでしょう!)、その中に料理した貝がうす切りして入っている。さらに小さな皿には、料理した貝をつけるためのソース。その側にもう1つの皿とゆでた魚とそのためのソース。また、もう1つの皿には、刺身とそのためのソース。更にもう1つの皿には、かぼちゃ(ここのかぼちゃは繊維が多い!)とそのためのソース。もう1つの皿には、美味しそうに焼いた鯉とそのソース。最後に、紙に包まれたかの有名な箸が置かれている。
一応、ひととおり、全部試すべきだと言われました。お椀をあけて、箸を握って(初めてでした)、お汁の中をさぐると、少しの野菜と一緒に魚のひと切れが浮いていた。お箸をあやつって(やってみたら、おもしろい!)音を立てながらすすり(これは、美味しいことの印)、魚を1口1口食べて、空になりました。
続いて、ひととおり皿全部を見回して、もし食欲に従ったら、4口で全部終わったでしょう。でも、礼儀正しく威厳を保って、きちんと振る舞うことにしました。ご夫人は、私がお箸を上手に使っていると誉めてくれた!!(余談ですが、日本に来たら、お世辞に注意しなさい。いつも逆を考えるべだ! ここでは、何世紀も前から、聖フランシスコ・サレジオの勧めを実行している。「誰かが誉めてくれたら、あなたをだまそうとするか、あるいは、もうすでにだました」のである)。〔略〕途中で、ご飯のお釜が持ち込まれ、白いお碗によそわれて、その近くにうなぎの載った器が置かれた。これは、日本人にとって大好物で、尊いお料理です。味付けなし、ただゆでただけのもの。私には、とても好きです。お箸をあやつりながら、ご飯1塊と魚を一緒に口に運んで飲み込む。私は、ご飯のお替りもしました。では、パンは...どこにも見当たりません。
ご夫人は、残ったご飯に熱いお茶を注いで、お茶漬けにするとおっしゃいました。それで、お茶碗もきれいにし、ご飯も1粒も残らないようになります。
食後、フルーツとしてメロンの半分が出され(日本のメロンは、イタリアのズッコッティ〔小さいかぼちゃ〕よりちょっと大きいです)、コーヒースプーンで食べました。
飲み物としては、ビール(ヨーロッパ人が好きだと知っています)そして、キュール用の小さなグラスに、ワインが出されました。
本当に、ピオヴァの林間学校のスープとポレンタが懐かしいなるね!
最後に、絵の好きなご主人が戻り、とてもきれいな水彩画のスケッチを見せてくださいました。なお、私がお琴を見たいと言ったら、(日本人にはとても好きな楽器です)、それを持ってきてくれて、お嬢さんに弾かせてくれました。お琴は、長さ1.6~1.8メートル、幅20センチほどの空箱で、上にはソノメータのように13本の弦が張られています。音の高さを調整するため、弦の下にいろいろな距離で脚を置き、(音合わせにはかなり時間がかかります!)、指または専用の爪で弦をはじいて、メロディーの分だけを弾きます。音は、私たちのギターに似ています。その音を耳にすると、皆この上なく喜びます。
夜11時20分、家に戻りました。もし、この善良な異教徒が友だちになり、味方にすることができれば、教会にとってとても良いことでしょう。どうか祈ってください。
今日は、これで十分! これで満足してください、でなければ、本何冊も必要となります。君たちは、確かに素晴らしい者です。しかし、ここの人たちに対する私たちの務めの方は、より素晴らしい。なお、日本語は、難しくても、君たちより素晴らしいのです。
次の歌を聞いてください。そして、私のフランコ君、もしできるなら、弾いてみてください。〔注.楽譜が記載されている〕
虹 〔資料館、370番イタリア語、635番日本語〕
1)あれ!あれ!虹がたっている。森も小山も下に見て向こうの田から大空の雲まで届く弓のなり。だれが架けたか虹の橋。
2)さて!さて!虹は美しい。赤、黄、緑が紫と、七つの色を並ばせて、空の絵絹へ一筆に。だれが描いたか虹の橋。
3)さて!さて!虹がおもしろい。雨の晴れ間にちょっと出て、用ありそうに天と地の、遠きをつなぐ雲の上。だれが渡るか虹の橋。
4)あれ!あれ!虹が消えてゆく。あの鮮やかな色どりも、しだいに薄くなり、小山の方はもう見えぬ。だれが消すのか虹の橋。
この言葉をよく黙想してみれば、虹の現象がよく目の前に現われてできます。また、言葉を分析してみれば、日本人の魂も観えてくるでしょう。不動で、平然と、心の中のことを少しも表に出さず、それでも考えはするし、問いもする。しかし、残念なことに、神様なしでは答えは出せません。
ああ、兄弟たちよ、何を言っているか、私にも分かりませんが...ただの奇麗事だけだと思われたくない。私の心の中に、日本人を“自分の魂の喜び”と呼んだザベリオの優しい言葉が響いてきています。
1人ひとりを抱きしめます。イエス様が、皆、皆、皆を聖化し、特にこの私を、
あなた方の V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年7月31日
私の最愛なるパパ
(略)日本という独特な国民の中で生活し、風土に慣れれば慣れるほど困難が深まってくる私たちは、お父様のお勧めをいただき、思いと祈りの中で通じ合えることは、なんと素晴らしい、大きな励ましです! 長上の皆様、愛する会員や生徒の皆さん、ありがとうございます。協力者の皆様、感謝いたします。私たちは、ここまで道が開けて、やっていけるのは、皆様のお蔭です。どうかこれからも私たちを思い出し、愛し続けてください。
1.2.3.(略)
4.先日、数人の宣教師たちが宮崎を通りかかって、ドン・ボスコの子らを知りたくて私たちを訪れ、経験の浅い私たちに、長年使徒職に従事した貴重な体験を分かち合ってくれました。この聖なる宣教師たちに接することにより、どれほど多くのことを学ぶことができることです! 彼らは、たくさんの善を行ない、多くの種を蒔き、あちらこちらで拠点を築き、日本の教会を成長させる苗を植えてきました。
中でも、特に宮崎でよく知られているJolyジョリー神父〔注.以前、宮崎教会の主任司祭だった方〕の訪問について触れてみたいと思います。(略)
ジョリー神父と一緒に、以前宮崎で校長を務めてきた方のもとを訪れました。健康がすぐれていないとのことでしたが、この地域のことをよくご存知の方で、これからはよい指導をいただけると思います。
また、最初の頃、調子が悪かった会員たちを親切に診察してくださったお医者さんが、私たち(ジョリー神父、ボネカーズ神父と私三人)を夕食に招いてくれました。異教徒ではありますが、宮崎では大きな影響力があり、大金持ちで、教会に対して好感を抱いています。私にとって、日本の夕食をいただくのは初めてでした。すべては、魚とソース、ご飯とお茶を基盤とする。(長くなるので書きませんが)例のお箸も使ってみて、正直に言いますと、苦行しました。でも、これも神様への愛、人々への愛、私たちの事業への協力を得るためになるのです。
さらに、数年前開校した農業高校を一緒に訪問しました。木造のすばらしい建築です。1人の立派な先生が案内してくれました。化学と飼育部門を特に大事にしています。そのうち、良いお付き合いができて、助けになるでしょう。
総長様もおっしゃるとおり、私たちが何か良いことができるのは、私たちの方法、ドン・ボスコの(予防教育)法によってのみです。特に、私たちの父(ドン・ボスコ)の清い生き方、節制、信仰の精神、つまり、聖徳を通してです。学問を通してではありません。それが手段として必要であるにしても...。私は、このことを確信しています。親愛なるリナルディ神父様、全くそのとおりです。私は、会員に常にこのことを強調していますが、今後来る人たちのためにも、同じことを強調なさいますようお願いいたします。
私は、神のみ手の中にいます。自分が無に等しい者であると自覚しながら、子供のように完全にすべてを神に委ねるようにしています。どうぞ、私を祝福し、私の兄弟たちも祝福してください。彼らは、聖性への道において、私の導き手、励ましになっています。
あなたの子 V.チマッティ神父
Caviglia Alberto カヴィリア・アルベルト神父へ(前出)
宮崎1926年7月31日
親愛なるカヴィリア神父様
これほどお忙しいのに、私のことを思い出してくださることは、ご迷惑でしょう。私としては、思い出してくれる方がいらっしゃると思えば、特に愛し合っている方ならば、感慨無量です。私の人生を振り返ってみますと、長年共に働き、苦労と喜びを分かち合った(トリノの)聖ヨハネ支部とその会員たちほど、心に深く刻まれている者はいないでしょう。もちろん、神父様のことは、言うまでもありません。これは、決して、お世辞ではありません。私の愛するアルベルト神父様よ、私は毎日、神父様と聖ヨハネの支部を思い出しています。
では、私たちの問題にゆきましょう。
1)神父様がおっしゃる日本のお茶のこと。私にはとても理解できません。私の手で摘んだものですし、私たちも毎日それを飲んでいます。まず、日影で乾燥させて、それから沸騰したお湯を掛けて、飲むのです。砂糖なしで! 試してみてください。ともかく、この次、トネリ神父にまた植物の標本を送るとき、新しいものを入れます。ここでは、通常の飲み物です。健康にはとても良いです。そのお陰で、私たちは皆元気になっています。昼食も夕食も日中もそれを飲み、どんな家庭へ行ってもそれが出ます。飲むときは、少しずつ飲んで、できるだけ音を立てる。美味しいという意味です。美味しくないと思っていても、そうする。少ししか入っていない茶碗を手にして、1時間でも話さないといけません。ときどき、茶碗を口にあて、音を立てながら飲むふりをし...また話を続けます!
それでも、宴会の時のやり方は気に入りません。食事の最後に日本の主食であるご飯が出ます(日本では、すべてのものに敬語を付けます。ご飯のように、猫、犬にも)。お箸でご飯粒を掴むことができない程少なくなったとき(お箸も素晴らしい発明です!)、女主人はお碗にお茶を入れてくれます。これで、飲みながら食べるのです。最後に、お椀を洗うために、また入れてくれます。これで、礼儀の行き着くところは、お碗を洗うことです。先日、初めて、家の女主人の指導のもとで、宮崎でこの儀式を体験しました。ご婦人は、私の前に座って扇子で扇ぎ、お嬢さんは後ろで扇いでくれました。日本にしか見られない親切さです! これ以上言わないことにしよう。戻る時のための特種にしておきます。
2)~4)(略)
5)数ヵ月が経てば、パリミッションの宣教師たちは発って、私たちがこの宣教地を受け継ぎます。その時、どうなるかまだよくわかりませんが、おそらく、すべてを持っていくでしょう。その場合、またご協力が必要となり、お煩わせすることになりましょう。(略) 最後に、我がアルベルト神父様、すべてのためにありがとうございました。
〔音楽家〕Pagellaパジェラ神父様には、特によろしく言ってください。そして、お伝えください。日本の琴と三味線は、言われるほどのものではありません。日本の音楽も、どう言えば良いかなあ、私たちの音楽と比べれば、大したことないと思います。(略)
皆によろしく。心から抱きしめます。
いつまでもあなたの V.チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生 (前出)
宮崎1926年8月5日
私の良いアメリオ君
神の御摂理は、私がまた手紙を出すことをお望になった...。ここに、素晴らしい純粋な日本のメロディー2曲を送る。できるだけ歌いやすいようにしたが、コーラスでは少々難しかろう。それよりも、ソロか、ピアノか、ヴァヨリンかで良いと思う。
琴のためのメロディーだが、私はとても好きだ。Ubaldi ウバルディ神父にも味わせてみてください。歌詞を書いてくれる人をいればなおよろしいが、でなければ、歌詞なしでも口すさみすれば良い。もし、三部合唱にするなら、バスと第2テノールがpianissimo で歌うように言いなさい。でなければ、この素晴らしい宝石がだめになってしまう。
今日8月5日、雪の聖母の日に、当然、君たちを考えないではいられない。祈っておくれ。試しの時が近づいてくるから...まあ! 心配はいらないよ。
私が無に等しい者だとよく知っているのだから、彼(イエス様)に向って、すべてをなさるように、と申し上げる。あとは、お母さんマリア様の手に抱かれて...お休みなさい!
ともかく、いつも快活で、よくやっておくれ。マリア様に、よろしく言ってください。
君の V.チマッティ神父
Grigoletto Giuseppe グリゴレット・ジュセッペ神学生へ (前出)
宮崎1926年8月
我がグリゴレット君
君の最後の手紙に返事する。まず、君の試験のために今までも祈ったし、これからも祈る。さて、
1) 君たちの展示会のこと、ずっと心にかけている。今までも、できるだけ写真を送ったし、そして、毎月、トネリ神父に自然界の標本を送ったりして、ずっと協力してきだ。今のところ、余り回れない状態にあって、手に入った物を送っただけだ。どうも、言葉という欠かせない道具が手にない限り、回っても何もならない。植物、昆虫、蝶々などは、ちょっとした違いがあっても、およそイタリアの物によく似ているが、火山岩、魚類などの素晴らしい採集ができる、そして、是非やってみたいと思う。
2)~4)(略)
5) 円に対するイタリア・リラのチェンジは、10-12リラとなっている。すなわち、1円にするために、イタリアの10リラが必要となる。
6) Calabria カラブリア神父様〔注。ヴェローナの人で、既に聖人になっている〕が私たちのために祈ってくれるよう頼んできたことは、ありがとう。素晴らしい! 私は、皆の祈りを必要としているのだ。
7) 君が私に送る手紙を、書き直さないで結構だ。時間の無駄だ。心配しないで、ちゃんと読めるよ。(略)
10) 恩人からもらった25リラを手紙に入れた、と君は言っているが、開けてみたら何も入っていない。今度は、その方の住所も書きなさい。分かったか、おばかちゃん! なお、君が送ってくれた歌詞は、残念ながら音楽には適さない、だから...。
最後に、言われるとおりにしなさい。マリア様を信頼して働き、私のために祈りなさい。心から君を抱きしめて祝福する
君の チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年9月2日
私の最愛のパパ、リナルディ神父様
私たちの状況をご理解いただくよう、また良いお勧めとお導きにより勇気づけていただくために、今月のニュースを簡潔に申し上げます。
先日の素敵なお手紙をありがとうございました。会員たちへの講話にとても役立ちました。
今月の生活 ちょっとした不調を除いて、健康は全般的に良好です。今、私たちは熱心に日本語を勉強してきて、人がゆっくり話せば、いくらか分かるようになりました。説教は別として、紙を見ないでも片言が言えるのです。しかし、ゆるしの秘跡はまだ授けられません。私たちにとって、まだ未熟な渋柿です。忍耐を持って時機を待てば、熟するでしょう。少し読めるようになったので、いくらか基礎ができて、自分で少し歩けるようになりました。ご存知のとおり、日本語は語彙が豊富で、思考構造は変わっています。(日本人は、細かいところまで独特の言い回しで考えを表します。)また、カタカナとひらがなの他に、大半が中国から来た漢字、という三種類の文字があります。本は、ほとんど漢字で書かれています(漢字を良く知っている中国の会員たちは、日本語が読めなくても、漢字を見ておおまかな意味が分かるでしょう)。私たちが目下取り組んでいるのは、この漢字です。ローマ字(ローマの文字)で書かれた本は、ないに等しく、漢字を習得しなければ、一般の本は読めないのです。何かが分かるために、最低2500字が必要です。
8月1日 メキシコのために償いの祈りを捧げました〔注.教会に対する迫害のため。〕
8月2日 メルリーノ修道士の霊名日を祝いました。このような場合、いつも会員に対して総長様と長上の皆さんの祝辞を代弁し、特別なお祈りを約束します。とても喜ばれることですし、愛徳の絆を育てるためになります。
一人の信者さんが亡くなりました(ご主人と4人の子供がいる立派な方で、家族の中でたった1人信者でした)。未信者の葬儀について他の手紙でも書いたかもしれません。信者の場合、似たような儀式をします。家までご遺体を迎えに行きません。家族がご遺体を教会へ運び、通常の式が終わると、墓地まで行列が行なわれます。先頭は長い竹棒の先に旗をかかげる人(未信者の場合、2つの大きなちょうちんも下げます)、次は、花瓶で花を運ぶ人、花輪を持って進む人(花や花輪の数は、家族の格を示します)、次は、人力車に乗った司式者(お坊さんなど)が続き、最後に、遺族に取り囲まれた棺(ひつぎ)が来ます。この人たちは白い服を着る、あるいは、少なくとも白い被り物をかぶる。そして、棺から出る白く長いリボンを手に持ちます。列の最後は、親戚や友人、また好奇心のある人が来ます。大半が話したり、笑ったりしますが、祈る習慣がありません。
8月5日 ボネカーズ神父が司教様から呼ばれて私たちだけを残し、黒島に出かけました。私たちのこの状態について司教様と長崎のパリミッション事務担当の神父様に手紙を出しましたが、(次のことからもお分かりの理由で)返事がありませんでした。(略)
8月18日 健康が既に気がかりだった長崎のコンバーズ司教様が帰天なさった悲しい知らせが届きました。父親以上に私たちを歓迎し、ご自分の教区で宣教活動へ導き、お勧めやお祈りを通して助けてくださったこの祝福された方のために、皆で祈りを捧げました。私も告別式に参列すべきだと思い、ピアチェンツァ神父と一緒に出かけていきました(タンギー神父は出発の前夜に調子が悪くなった)。この聖なる方は、どれほど周りの人々から尊敬され、愛されていたかを見て、とても感動しました。東京、大阪、ソウル、テグ(韓国)の司教様方をはじめ、宣教師たち、マリア会の長上と会員たち、トラピストの長上や神言会の長上なども参列しました。私にとって、これは貴重な出会いのための機会となり、改めてパリミッションや、邦人司祭たちのすばらしい働きを見ることができました。神に感謝! 内々にですが、辞任した東京の司教のあと、日本人司教が選ばれる、また、長崎教区は2つに分かれて、1つは日本人司教(長崎)、もう1つはパリミッションの司教(福岡)になるだろうという噂が流れています。長崎の司教代理は、長崎のパリミッション宣教事務所担当者、司教秘書ティリー神父が選ばれました。
さて、司教様が亡くなって、私たちの状態はどうなるのでしょうか。現在は、
a)主任司祭がいない状態。私たちがまだゆるしの秘跡を授けられませんので、近くの神父様に臨時に来ていただいています。(略)
b)主任司祭がいつ戻って来るか分からないでいる。少なくとも、戻って来るか来ないか、はっきり知らせてもらえるとありがたいです。(略)
c)いつ移転したらよいか分からないでいる。そのこともあって、長崎やバチカン使節と連絡をとり、時期を決めてくださるようにお願いしました。最近の手紙では、無原罪の祝日を提案しましたが、今のところまだ返事がありません。(略)
8月15日 今日、被昇天の祝日にあたり、主任司祭が働いた畑で私が収穫して、マリア様のみ手を通してイエス様に熟した麦の束を捧げ、日本で初めてドン・ボスコの子らの手により、1つの家族に洗礼を授けました。この家族は2年にわたり公教要理を勉強し、教会に模範的に通いました。ボネカーズ神父は(自分が居合わせない犠牲を払って)、私が洗礼を授けるように望みました。本当に感激して、夢を見るようでした。大きな瀬戸物の店を持っている両親は、前の日曜のミサの前にプロテスタントから改宗し、夕方は条件付きの洗礼を受けました。今日、被昇天の祝日、5人の子供(男の子4人と女の子1人)に荘厳に洗礼を授けました。両親がその霊名を選び、アシジの聖フランシスコ帰天700周年、宣教活動の記念と、ドン・ボスコを称えるため、娘さんには小さき花の聖テレジア、息子さんたちには、それぞれアシジの聖フランシスコ、ヨハネ・ボスコ、フランシスコ・ザビエル、フランシスコ・サレジオの霊名を付けました。日付と名と動機をお考えください。被昇天の祝日、ドン・ボスコの生誕日、そして、神の恵みを仲介する道具はドン・ボスコの子らであったこと! この家族は、私たちの事業をまだ知らなくてもドン・ボスコに好感を持ち、1人の子のためにその名を望んだ。私は、ここに神様の導きを感じます。(略)
さらにこの日、要理の勉強に通った子供たちにご褒美を与える慣わしです。やり方はおもしろいです。ご褒美は、お菓子(日本人は、お菓子が大好きです)と文房具です。ご褒美を買うためのお金は、家族の間で集められる。でも、今年は、家族が貧しいため、お菓子を買うために充分なお金が集まらず、私たちが足りない分を出した。皆とても喜びました。1人1人の子に、出席点として何枚かのカードが与えられます。ご褒美の品は、よく見える場所に飾り、お父さんの1人が、ご褒美の品(ランドセル、ノート、鉛筆、紙など)1つを手に取り、大きな声で言います。「これは、OO点です」と。2人以上の子供が同じものを望んだ場合、せりのように、点数の高い子の方が勝ちとなります。(略)
以上が今月のニュース。他は、すべて順調で、修練院か神学校に戻ったかのようです。
愛するお父様、どうかすべての長上の皆様と共に、私たちのこともお心に留めていてください。私の方は、完全に神のみ手の内におります。(略)
サレジオ会員 ヴィンチェンツォ・ チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ペトロ神父様へ (前出)
宮崎1926年10月1日
最愛なるリカルドーネ神父様
一般の情報についてリナルディ神父に書いたことをお読みになったのでしょう。神父様の部門に関するニュースは次のとおりです。(略)
1.兄弟たちは皆、物心両面うまくいっています。皆修練期のさ中にいるかようであり、この邪魔者の私を除けば、全員、満場一致で誓願を許されることになっています。
2.私たちが置かれている状況を、リナルディ神父様に説明いたしました。目下、難しい、難しい、難しい日本語を、勉強、勉強、勉強しています。進歩もしています。ただ、たくさん勉強するだけでなく、話す、話す、話すことが必要です。ところが、今のままの状態にいるかぎり、それが得られません。むろん、自分たちの力だけでは、何から何までできるわけではないことを、よく分かっています。
おもしろいのは、私たちが保護下の身分でありながら、もう1カ月以上も(すでに2カ月になりますが)自分たちだけで生活してことです。長崎の司教様が亡くなられたので、事態が長引くことが予想され、最終的な決定がいつ下されるか分かりません。私が知りたいには、原則としてこうした状態がいつまで続くか、ということです。まあ、仕方がないでしょう。東洋では、急ぐべからず、と言われています。...それで結構です。
3.-(略)今のところ、至急に援助を送っていただく必要はなさそうです。最悪の場合、緊急なことのためなら、上海から援助を送ってもらえると、Garelliガレリ神父が約束してくれました。それに、それに...彼、イエス様がおられます。もし、イエス様が耳を傾けてくださらないならば、私たちには、何の咎めもありません。いつもイエス様に申し上げています。もし、この不安定な状態を望んでおられるならば、私たちには、何の咎めがあるのでしょうか。私たちを造ったのは、私たちではなく、彼です。これが、現状に対する私の哲学なのです。(略)
どうか、神様が私たちを守り、目下のところ、一番の難点である言葉の壁を乗り越えさせてくださいますように。他のことは、心配していません。
言葉とお祈りをもって、常にリカルドーネ神父様のことを愛の内に思い出しています。すべては順調です。私たちのために、お祈り、お祈り、お祈りください。そして、日本での宣教が、言葉をはじめ、他の色々な面でも、難しい、難しい、難しいことを、お忘れにならないでください。でも、神様は全能です。また、扶助者聖母とドン・ボスコも、神の栄光とみ国の発展をこの国にももたらしてくださるでしょう。
信じてください。この国は、世界中、最も特徴のある国、最も美しく、心を奪う国、そして同時に、最も必要をかかえている国です。聖フランシスコ・ザビエルが異教徒について語った祈りをお読みになってください。そのまま、日本に当てはまります。神父様を心から抱きしめます。
皆に代わって、あなたの V.チマッティ神父 サレジオ会員
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父総会長様へ(前出)
宮崎1926年10月8日
最愛なるお父さん、リナルディ神父様
今月の私たちの状況をまとめ、主に感謝しながらご報告いたします。健康、仕事、信心業、会憲の遵守、愛徳の実践など、すべて規則正しくうまくいっています。神様とマリア様に感謝! いつものように、日を追って、今月の主な出来事をご報告いたします。
9月1日 日本語の勉強を続けています。この言葉は、日本人にとってもしゃぶりにくい骨ですが、私たちにとっては、なおさらです。でも...心配せずに進みましょう。
9月8日 聖母マリアの誕生の祝日。私たちの家族の中でそれを祝って、海岸で夕食をとることにしました。果てしない太平洋を前にしてアメリカにいる兄弟たちのことを思い、彼らのために祈り、また遠い故郷イタリアのことを考えながら、誰もいない海岸で歌声を響かせることは、なんと素晴らしい!
この季節、日本の子供たちの遊びは凧上げ(紙で作ったもの)、メンコ(いろんな絵が書いてある)、サルスベリ木の実を弾にした竹鉄砲などです。さまざまな種類の遊びを好み、飽きも早いですが、目新しいものがあると、またすぐに元気を取り戻します。ヨーロッパの遊びもよく知っています。(場所により多少異なりますが、中にはとてもおもしろいものがあります)。
9月17日 鹿児島で(聖フランシスコ帰天700周年記念のため)ピアノ、ハーモニウム、歌の大コンサートを行いました。鹿児島を担当しているフランシスコ会の神父様方がイタリアの偉大な聖人を称え、カトリックを宣伝するため、私たちの協力を願ってきました。喜んで応じました。神様のお陰で、皆が期待した以上のものでした。フランシスコ会の立派な神父様方の助けにより、人びとを熱狂させました。マルジャリア神父とリビアベーラ神父と共にイタリアの歌のプログラムを進め、間にはフランシスコ会の神父様方がフランス語や英語の歌を折り込み、2部に分けて、ピアノやハーモニウムのソナタも入れました。大きな劇場において、午後3時は高校生(500人以上)を対象に、午後7時からは一般向けに(2000人以上)開かれました。神に感謝! イエス様とマリア様、アシジの聖フランシスコとドン・ボスコを称え、イタリアを思い出し、「神の軽業師」と呼ばれた清貧の聖人(聖フランシスコ)や、子供のためにサーカスごっこを辞さなかったドン・ボスコを思い出しました。
これは、神のご計画による、サレジオ会宣教活動のおもしろい始まりです。皆、敬虔な姿勢で、注意深く1曲1曲を聞き入れました。そして、終わる時や始める前に、演奏者が深々とお辞儀すると、拍手が沸きました。神に感謝! 神に感謝! 音楽も良い手段となります。日本の音楽は、感情や、明るい寂しさに溢れていますが、日本人は、その正反対であるヨーロッパの音楽も好んで鑑賞します。
9月24日 宮崎の工業高等学校を訪問しました。
10月3~7日 鹿児島で行なわれたフランシスコ会の荘厳な式典に、カヴォリ神父と一緒に参加し、音楽と、報道会館での講演を引き受けました。会館は500人以上で満席でした。イタリア語で「古今のイタリア」というテーマで話し、イタリアの偉大さがどの時代でも、古代ローマの伝統と、使徒継承のローマ・カトリック教会の教えによるものだと強調しました。聖フランシスコを記念しながら近代のイタリアのことも語り、ドン・ボスコのことを忘れませんでした。忠実な通訳者、早坂神父は(イタリアに留学したことがある)私の考えを完璧に表し、良い種まきになりました。
式典には、ジャルディーニ教皇使節も参加し挨拶され、日曜日は堅信式がありました。夕方には、教会の庭で荘厳な行列があり、たくさんの異教徒も参列しました。月曜日は司教の荘厳なミサがあり、祝賀会には鹿児島のお偉い方々も参加しました。異教徒やプロテスタントの人たちの口から、私たちの宗教や、アシジの聖フランシスコ、またイタリアを称える話を聞いて、感激しました。水曜日は、しめくくりの講演がありました。ある町の新聞は、2週間以上にわたってこの式典、またイタリア、聖フランシスコについて記事を記載しました。イエスのみ国が広がりますように!
教皇使節と一緒に菊の展覧会(略)と、桜島と同名の火山を見てきました。今でも1914年の大噴火の跡を留めています。島津家の庭園と博物館も見学しました。以前、音楽会に際して、殉教者の墓や、聖フランシスコ・ザビエルと有名な討論を交わした僧侶の墓も訪問しました。
こんな具合に、少しずつ人々との関わりを深め、できるだけ人の助けながら、根気よく日本語の勉強に打ち込むようにし、何よりも聖性を心がけ、将来の宣教活動に備えるようにしています。(略)
今、田んぼの稲の穂が美しく黄ばんでいます。主の叫びが思い浮かびます。「ああ、日本も良い畑です。主よ、どうか、収穫を無駄にするようなことがありませんように!」
私の最愛なるパパ、この国にいるお子さんたちは、あなたを思い出し、あなたを愛し、特にあなたの祝福、長上方、兄弟、生徒、協力者たちの祈りにより、支えを願っていることを思い起こしてください。多くの殉教者を出したこの地に、早く神のみ国が訪れますように。あなたの子であるこの私は、どれほどこのことを渇望していることか!
あなたを心から愛している V.チマッティ神父
Giordano Antonio ジョルダーノ・アントニオ神学生 (前出)
宮崎1926年10月13日
親愛なるアントニオ君
君が今、ボルゴマネーロの学校にいると、デ・マルティン神父から聞いたが、私の今回の手紙は、君の8月24日付の手紙への返事だ。今頃、前の手紙への私の返事が届いているだろう。今回の手紙は、きっと、君は気分のよくない時間に書いたものだ。気分発散のためだとは言え、不平不満ばかりで、私はその中に余り愛徳を感じない。知っているとおり、私にとって...なんと言うか(これは傲慢だなあ!)、否、主にとって、愛徳はすべての根本だ。もっと愛徳を持ちなさい。チマッティ神父の考えは、次のとおりだ。
a.私たちは、皆人間だから、誰でも間違うことがある。
b.人は誰も、自分の問題の審判者にはなれない。「裁くな、そうすれば裁かれない。」
c.君は、良いこともしたが、あまり良くないこともした。
d.もし、あることに100面があって、99が悪い、1つだけが良いなら、悪い99面を置いて、良い1面を検討すべきだ、とサレジオの聖フランシスコは言っている。
c.ところが、チマッティ神父は、良いところが一つもないくせに、人に助言し、教えようとしている。教えてもらうべきなのは、私自身だなあ!
結論は簡単だ。君の決心には賛成だ。ただ、1つお願いがある。君は、何年も前から悩んでいることに成功したいのなら、聖なる煉獄の霊魂と守護の天使に深い信心を持ちなさい。きっと、大きく前進することになるだろう。
君は、自分が屈辱を受けたことについて文句を言っている。おバカちゃん! 自分から進んで謙虚にならないから、神様が君にこの機会を与えてくださったのだ。そして、君はそれを不満に思う...。ガンバレよ!...内緒を打ち明けてあげようか。だが、ぼくたちの間だけのものにしてほしい。...でも、君は、自分のことや人のことを皆にしゃべる! よく聞いて! 私は、一生の間、君が受けたような、ありとあらゆることを偲んできた。君には、想像もつかないだろう。そんな時、何が私を助けてくれたのだろうか。それは、私がドン・ボスコが言った次のことを実行したことである。
・過ぎ去った水は、もう水車を回さない〔注.過去は、過ぎたことだ、という意味。〕忘れる、忘れる、忘れるべきだ。
・未来は、神のみ手の中にある。余り考えたり、心配したりするのは無駄なことだ。
・現在だけが君の手の中にある。それは、瞬間にすぎないが、それを活用せよ。
もし、神様と、自分自身と、人々との間に平和を保ちたいなら、ドン・ボスコの次の言葉を聞きなさい。 “Laetari et benefacere, e lasciar cantar le passere”、すなわち「明るい気持ちで善いことを行い、スズメが鳴くのをそのままにしておく」〔注.人の言うことを気にしないで、言いたいことを言わせておく〕
人生の瞬間毎に、上記のことを実行しなさい。具体的に言うと、今、君はノヴァラの学校にいないね。だから、もうノヴァラのことを考えない。その代わり、ボルゴメナーロにいるのだから、そこでやるべきことを考える。それだけで、充分だ。チマッティ神父も、大したことでもない自分の人生において、そうするようにしてきたのだ。
ボヴィオ君〔注。後に日本の宣教師になった人〕のことは、もう聞いている。当たり前のことだ。いきすぎたのだから、(イタリアの諺で言うとおり)「壊した人は代価を払い、壊れた破片は自分のものになる」と。君も、もしよく考えないなら、同じことになる。
バヴァ君からは、やっと手紙が来た。彼の霊名日の手紙を君に託す。君への手紙も、私が君のいる所が分からなかった時、彼に託したことがある。必ず届くようにしてね! 彼の調子が悪いと聞いたが、当たり前だ。気をつけないと、早く天国へ行く時まで、病気が長引くだろう。ヴァリサリチェにいる時、何回も彼にこのことについてお説教した。
会員に対する君の評価に関しては、既に私の考えを述べた。君には愛徳が必要だ、と...。それだけだ。
皆に短いメッセージを送ることについては、今、私の意見と願いは次のとおりだ。この手紙をもって、それを最後にする、と。他の友だちにもこのことを伝えなさい。でも、手紙をくれる人には返事を出す、と。こうすることは、各自のため、また、支部全体の秩序のためにも、一番いいことだと思うのである。気を悪くしないでね。でも、君たちには、もう親雌鳥がいらない。今までそう考えてきたのは、私の傲慢のためだったのだ。
私のアントニオ君、どうか、私のために祈ってください。当然、君を思い出しているよ! なお、君に課する償いについては、私が帰る時のためにとっておく。たくさんあるのだよ。また厳しいものだぞう! さあ、明るく、真面目に生き、マリア様に信頼しなさい。
もし、この手紙が着くのが遅れるなら、君をはじめ、ボルゴマネーロ支部の友人たちにも、クリスマスと新年の挨拶を伝えてほしい。心から君を祝福する。
君のV.チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生 (前出)
宮崎1926年10月20日
親愛なるフランコ君
便りをありがとう! しかし、君の手紙の行間を読むと、君の心にはまだ完全な落ち着きがないように感じる。安定した仕事ができるためには、それが必要だよ。だから、
1)今置かれている所で安心しなさい。主は、今、君をそこに置かれたのだ。
2)長上たちに言われたとおりに従いなさい。
3)射祷や、心の思いを捧げることによって、神様との一致を保ちなさい。
4)傲慢になったとき、次の射祷を繰り返しなさい。「イエス様、あなたのためです」と。
完全さの頂点を自分の目で見ようとするのは、ダメ、ダメ、ダメだ。それを見ることはできないし、そこに到達することもできないのだから。分かったか、おバカちゃん!(すまないね。君は、この言葉の意味が分かる!)繰り返して言う。
a) 過去は、過ぎ去ったものだ。過ぎ去った水は、もう水車を回さない。
b)未来は、それを知ることはできない。神のみ手の中にある。
c)今の瞬間だけが、君のものだ。それをよく活用しなさい。上も下も、右も左も見ないで、結果も見ようともしない! だって、大した結果ではないのは、当たり前のことだ。結果を確かめたいという思いを捨てて、ただ、今の瞬間において、彼(主)のため、彼と一緒に働く、働く、働くのだ。それが、安心し、神に喜んでいただくための道だ。これこそ、聖フランシスコ・サレジオの霊性であり、ドン・ボスコが実行した霊性でもある。
君は、こんな簡単なことが分からないほど、石頭なのか。
以上のことを全力投球で実行しなさい。
でも、君は言うだろう。周りの人は何を言うのだろうか。- 何を言いようとも、それはどうでも良い。君は、ただ、自分のすべきことをするのだ。もし、心が暗くなることがあれば、その時、イエス様のもとへ走っていき、聖櫃のいい空気を少し吸って、5分ぐらい楽器でも弾き、笑って、踊って、手をこすって、それで終わりだ。
君の家族の心遣いをありがとう。しかし、日本では、お金よりも祈り、祈り、祈りを必要としていることを覚えていてほしい。
ピオヴァの林間学校との別れが辛い! これは、新しい話ではない。私は30年間もその辛さを体験してきた。とにかく、上に述べた道を実行すれば、平穏で喜びの内にいられるだろう。なお、友達の辞令のことは、もう聞いていた。出発により善が広がると思うと、喜ばずにはいられない。でも、知らせてくれてありがとう。
音楽に関しては、今ヴァルサリチェでは、やれることをやるしかない。将来は、本当に音楽に向いている人々がそれに従事できるという理想的な環境ができればいいなあ、と思うことがあるが、これからは、クロチェッタの新しい神学院で4年間も勉強できる人たちは、もしかしたら...。
私が作曲したものを、できる時に送ってあげよう。聖歌隊については、今持っている糸で生地を編むしかない〔注.持っている人材で、やれることをやるという意味。〕三部の代わりに二部にしたりするとか、音程を下げたりするとか...。ピアニストを上達させたければ、音楽理論や読譜法を身につけさせなさい。基本的なことが分かっていないままに進まない方がいい...。先も言ったように、ヴァルサリチェでは、やれることをやるしかない。
とにかく、元気を出して、私のために祈っておくれ。
私の良きPiccaピッカ神父様にくれぐれもよろしく。彼は、本当にすばらしい人だ!
トネーリ神父様には、他の人と一緒に、月末に手紙を送る、と伝えなさい。
君を心から祝福し、イエスにおいて君のことを思い出している。
君のV.チマッティ神父
Giordano Antonio ジョルダーノ・アントニオ神学生へ (前出)
宮崎1926年10月30日
親愛なるアントニオ君
何を言っているのか。「短調階の状態になった」とは、(君は、短調階のことが分かっていないのに)! また、「星が没してしまった」と! 少し謙虚になって、一層進むのだ。すぐに神様と和睦しなさい!
「過ぎた1年は、無駄だった」と...。おバカちゃん! 揺らぐ葦、無駄な考えにふけっている者など、などと言いたくなる。
「理解してくれる者はいない」と言う。では、主はいないのか。さあ、元気を出せ! まず、環境をよく理解するようにしなさい。年度が軌道に乗れば、無駄な考えも消えてしますだろう。環境をよく知るようになれば、協力してくれる人も見つかるだろう。そのためなら、私も一緒に考えるようにしよう。考えてみると、マルティン神父が良いのではないかと思う。後でどうするかを見よう...。
君のこの話を聞いて私ががっかりして、両手で髪の毛を掴んだ、とでも思っているのか。私に髪の毛がなく、または短すぎるのに...。君は、がっかりする理由は何もない。マリア様は、君をご自分のものにしたいのだ。さあ、私のために祈り、安心しなさい。
いつも君の V.チマッティ神父
Vallunga Teresa ヴァルルンガ・テレサ従姉妹へ
宮崎1926年10月31日
親愛なる我がテレサさん
お母様から、神様が望んでおられる結婚の日が近づいた、と聞きました。これは、私のお勧めです。
1- 心から父母を愛しなさい。あなたの存在は、神様の次に、ご両親によるからです。
2- 心から主人を愛しなさい。彼は、既に立派ですが、あなたの親切、忍耐、祈り、仕事により、一層立派になるでしょう。
3- 神様から賜る子供たちを信仰においてよく教育しなさい。これは、あなたの務めです、あなたの光栄にもなるからです。
4- もし神様が何かの十字架を送ってくださるならば、神様の愛のためにそれを忍耐強く忍びなさい。この世には、刺のない薔薇がないからです。
心から皆さんを思い、祝福いたします。
あなたの従兄弟 V.チマッティ神父
Amerio Franco アメリオ・フランコ神学生へ (前出)
宮崎1926年11月上旬
親愛なるアメリオ君
先日、(10月23日、24日)宮崎県人吉市でやった音楽コンサートのプログラムを送る。大成功だった。神に感謝! 日本においても音楽が役立つのだなあ。
ところで、この手紙の目的は、もし間に合うならば、君と音楽の仲間たちに聖セシリアの祝いの喜びを申し上げることだ。彼らにこう言いなさい。
a) 聖セシリアを愛しなさい。ドン・ボスコの教えでは、若者の潔白の模範であるから。
b) 聖セシリアを愛しなさい。音楽の保護者であり、そのためにドン・ボスコがサレジオ会の音楽の保護者にしたのだから。
c) 私のために祈りなさい、と。
快活でありなさい。また、最後の手紙に書いたことを実行しなさい。
君の V.チマッティ神父
Valentini Eugenio ヴァレンティーニ・エウジェニオ神学生へ (前出)
宮崎1926年11月7日
我がエウジェニオ君
この手紙を書こうとしたとき、君の手紙が届いた。(略)
新しい任務はよかったね。マリア様ご自身が、君が望むとおり、自分の養成を完成できるために、〔サレジオ会発祥地であるトリノの〕オラトリオに送られることを望まれたのだろう。今までのように、良いサレジオ会員になるため、正しい道を進み、できるだけ多くのドン・ボスコの著作を読みなさい。そこは、たくさんの著作が揃っている場所だ。
君は言う、「いつ私の心は、イエス様の愛に抵抗しなくなるのだろうか」。
それは、間違いなく、君がそう決める時だ。寛大であるようにしなさい。そして、イエス様が何かをお望みになる時、「はい、どうぞ!」と答えなさい。また、自分の心がこの世のものに愛着しないように警戒しなさい。(略)
その他は、安心しなさい。新年と、クリスマスと、無原罪のお祝いをおめでとう。この手紙が着いたら、時間があって、すぐに扶助者聖母マリアの大聖堂に行って、マリア様の前にこの祈りを読みあげなさい。「マリア様、チマッティ神父は、私がここに来て、こう申し上げるよう願いました。- マリア様、私たちは、あなたを愛しています。イエス様にこうおっしゃってください。私たちは、心身とも、今も、いつまでも、あなたの者でありたいのです」
心から君を抱きしめて、祝福する。快活、善良、勤勉、献身的でありなさい。
君の V.チマッティ神父
Caviglia Alberto カヴィリア・アルベルト神父へ (前出)
宮崎1926年11月21日
親愛なるカヴィリア神父様
お手紙をいただいて、感激しました! 他人を理解し、理解されることはなんと美しいこと! 私たちは互いに理解し合ったに違いありません。恩返しのため、私は多くの祈りを捧げ、信仰を込めて祈ります。それには、たくさんの理由があります。
a) 神父様が私に示してくださった愛情と、神様だけがご存知、私に対する数多くの良いことのため。
b) 特に、今、神父様が手がけていらっしゃる多くの仕事を成し遂げられるためです。今、神父様がドン・ボスコの著作の出版を担当なさることを聞いて、私の心は本当に喜び踊りました。信じてください(お世辞でも、他の卑劣な目的のために言う言葉でもありません)、もし私がその担当者を選ぶ立場であったならば、きっと、神父様を選んだのです。心から神に感謝! 何回も私が黙想会で表明してきた望みがこれによって実現されることは、とても嬉しいことです。親愛なるアルベルト神父様、本当に喜びます。いつかその研究の成果を読めることを楽しみにしています。これは、ドン・ボスコを称えるため、扶助者聖母マリア大聖堂前の広場に建てられた記念像よりも良い方法です。ドン・ボスコに及ぶ名誉や、そこから生じる計り知れない善は、神父様にも及ぶことでしょう。神に感謝!
では、神父様から出された問題に答えます。
1)今、私が知っている限り、日本にはキリスト教的美術は余りありません。現在日本にある聖堂は、あらゆる様式のものです。大部分フランス人の司祭たちが建てたのですから、フランス様式か、あるいは様式無しのものといえます。日本的なのは、畳と木材ぐらいでしょう。信者たちが畳に座りますので、ほとんどの教会はベンチがありません。より日本的にするには、神道や仏教の寺院を真似すればよいのでしょうが、信者はそれで喜ぶと思います。寺院の中に、鮮やかな装飾(真赤な漆、黒、金、銀色)が施されていて、本当にきれいなものがあります。使われている貴重で頑丈な木材も素晴らしいです。何枚かの絵はがきを同封します。
将来、私が何かを建築することになれば(もう2つのものを考えているのですが)少し仕事を頼むことになりましょう。その場合、早めにお知らせいたします。今のところ、すぐに墓地のための小さなチャペルのスケッチをお願いできましたら...。信者の墓地がなく、仏陀や神々の間にお墓を作っているからます。20×10メートルぐらいの長四角のもの、真中に十字架があるものが、どうだろうかと考えています。目立つものが良い。見る人に、「カトリック信者は、自分たちの死者を大事にしている!」と言わせたいのです。これは、急ぐものです。初めは、木造でも結構です。日本人は、この面での技術はとても優れています。ここでの瓦は、特別な土で作り、形は少し波型、両縁が丸く立ち上がり、色は黒灰色です。しかし、銅版の屋根でもよいのです。その近くに、木も茂っています。
2)(略)
3)私のささやかな著作〔注.『Don Bosco edudatore,教育者ドン・ボスコ』のこと〕の文献は、完全なものではありません。トリノ市、オラトリオやヴァルサリチェの図書館を探してみれば...。あっちこっち会員にも問い合わせてみれば...しかし、彼らはなかなか返事はしません。(ロッシ神父は、当時、オクスフォードにおもしろい文献を見つけたと言っていましたが、もらっていません)。なお、Bollettino サレジオ・ニュース、また中央評議会の図書館にも(何かあるでしょう)。他はありません。私がまだ日本に来ることを思っていなかった時、機会があって補足しようと思っていましたが、集めた資料が手元にありますので、ここに同封します。乱筆や紙切れの状態を許しください。
4)お茶のことは、こうしなさい。炊事場に行って(略)少しの間沸騰したお湯に葉っぱを入れて、軟らかくしてください。その葉を取り出してから乾かして、粉々にして、お茶を作ってみてください。うまく行くでしょう。私は、毎日、すべての食事で、それをお腹一杯飲んでいます。でも、次は、トネリ神父に標本を送るとき、きちんと準備したものを送りましょう。
5)親愛なるカヴィリア神父様、この私を余り高く評価しないで欲しいです。自分たちの魂を救うことが一番大切であり、他は...。
6)Pagella パジェラ神父に、音楽のことをおめでとう、と言ってください。宣教地のため作曲した歌の楽譜一部を送ってくださいませんでしょうか。(略)
皆、皆、皆にお祝い申し上げます。私にとって、トリノの聖ヨハネ支部は、大したことではできなかったにしても、サレジオ会員として具体的な活動ができた場所です。しかし、それができたのは、素晴らしい会員の皆さんが心身とも支えてくださったからです。毎日、皆さんを思い出してお祈りしています。今は、それしかできない立場です。
アルベルト神父様、あなたに心から大きなキスを送り、抱きしめます。ドン・ボスコの光栄のために働きなさい。それは、マリア様と神様の栄光にもなり、この地上の教会の光栄にもなります。これからも、私のために祈り続けなさい。毎日、心と、考えと、祈りをもってあなたの側にいます。
あなたの V.チマッティ神父
私のイタリア語の文体を許してください。この大変な日本語を覚えることによって、私の母国語はおかしくなってしまいます。
Giardini Mario ジャルディーニ・マリオ司教、教皇庁使節へ
宮崎1926年11月22日
尊敬すべき使節閣下様
先日、お送りくださった書物は無事に届きました。心から感謝いたします。
私は、よくお祈りし考えた上で、閣下の119番(11月18日付)のお手紙に対しご返事いたします。私の意見をご検討くださいますようお願いいたします。
まず、お願いしたいことは、この手紙をお読みになった後、ドン・ボスコの子らに対する今までと同じ愛情をもって、ご遠慮なく「こうしなさい」とおっしゃってくださることです。私たちは、閣下が人の救いのためにお決めなることに喜んで従います。
閣下が(アシジの聖フランシスコを祝う東京式典のために)提案してくださったことは、私にとって大きな名誉です。また、ご期待に応えるためにできるだけのことを尽くしたいと思っています。反面、次のことをご検討をお願いいたします。
1)私たちの音楽の才能を、余り当てになさらない方が良いでしょう。特に今の季節において! ちょっとした風邪でもすぐに消えてしまうことがあるからです。
2)私たちが言葉を修得するためにどれほど苦闘しているかを、よくご存知でしょう。特に年度の今の時点において10日間でも勉強できなければ、悪影響を及ぼすことになりましょう。先日も、黙想会のためにそうせざるを得なかったのでした。
3)正直に申し上げますと、私の能力はその目的に及ばないと感じます。決して、これは通常で言う謙りの言葉ではありません。
以上、私が申し上げたいことです。信じてください。謙虚さ、または他の理由から申し上げるのではなく、音楽の面でも、勉強の面でもこれが私の本当の状態であるからです。
閣下は、主においてご判断し、ご遠慮なくお決めください。私は、おっしゃるとおりに喜んで従います。会員には、この話を伝えていません。何をお決めになっても、何の問題もありません。なお、もし、閣下は、何かの必要があって既にお約束なさり、霊魂の救いのために私がそちらに行くことが必要だとご判断なさるならば、私は、すぐにおっしゃるとおりにいたします。
ご存知のとおり、無原罪の聖母の祝日が近づいています。それは、私たちのサレジオ会の誕生日に当たります(1841年12月8日)。その日、マリア様のもとで私たちを思い出し、お励ましのお言葉と祝福をいただければ、皆に喜ばれる素晴らしい愛徳の業です。私は、当日、会員に発表することにいたしましょう。
これから日本で活動を始めようとするサレジオ会員は、閣下に対する子どもとしての従順と感謝の心を表明し、祈りを約束いたします。閣下の祝福をお願いいたします。
敬愛を持って。あなたの子 チマッティ神父 SDB
Vallunga Teresa 従姉妹ヴァルルンガ・テレサ様へ (前出)
宮崎1926年11月25日
親愛なる我がテレサさん
あなたの幸せの大事な日が来ました。あなたは、夫となる良いヨゼフを愛し、立派なご両親が教えてくださったように、信仰深い母親になるようにしなさい。そうすれば、いつまでも幸せになるでしょう。
イエス様、マリア様、ヨゼフ様の苦しみを思い出してください。
毎日、私のためにお祈りください。
あなたの従兄弟 V.チマッティ神父
Morelli Giuseppe モレリ・ヨゼフ様へ
(上記ヴァルルンガ・テレサの夫)
宮崎1926年11月25日
拝啓、モレリ様
私は、まだお目にかかったことはありませんが、帰国する時、そのような機会はあると期待しています。私たちの良いテレサがあなたの者になると聞いて、心から喜んでいます。あなたは、彼女にとって、マリア様の保護者であられた聖ヨゼフのようになりなさい。そうすれば、神様の祝福がいつまでもあなたたちの家庭に留まるでしょう。
心から握手いたします。
あなたを敬愛する V.チマッティ神父
Vallunga Teresa, Morelli Giuseppeヴァルルンガ・テレサ、モレリ・ヨゼフへ(前出)
宮崎1926年11月25日
ヴァルルンガ家の皆さん
遠く神秘的な国、日本から、皆さんの数多くの恵みに対して心から感謝いたします。
皆さんは、結婚式に際して、従兄弟の宣教師から、お祝いの言葉を望んでおられます。お2人の心が結ばれるこの日に祈りを捧げ、幸せを願い、心をもって共にいるようにいたします。
私は、新しい家庭を作るために誓いを立て、司祭の祝福により結ばれる新郎新婦のお2人に、聖ペトロと聖パウロと共に、こう言いましょう。
新郎新婦よ、イエス・キリストが教会を愛したように、お互いに愛しなさい。
我がテレサさんよ、夫に服従し、尊敬しなさい。
我がヨゼフさんよ、自分の体のように、自分自身のように妻を愛しなさい。
テレサさん、あなたは、つつましい身なりや、慎みと貞淑、特に善い行いをもって身を飾りなさい。静かな態度、完全なる従順と心の落ち着き、良い母親としてお務めを果たすことこそ、あなたの飾りとなります。
ヨゼフさん、あなたは、家庭の頭としての責任を自覚し、仕事、手本、心強さをもって、神様に任せられた人々を支え、保護しなさい。
今日、神様や、皆さんの指導者であり、祝福をくださる主任司祭、また証人となる親族や友人の前で交わした荘厳な約束を忠実に守りなさい。
神様が喜ばれますよう、人生の日々をキリスト者として熱心に過ごしなさい。
もし、これらの勧めを実行し、お2人が自分の務めを忠実に果たすならば、私は、神様の名により、この地上と天国の幸せを約束いたします。これが、私の心からの願いです。お2人が、物心両面で幸せでありますよう!
心と祈りにおいて皆さんと一致している私たちも、実り多いキリスト信者にふさわしい生活の後、愛するすべての者たちと共に、天国で一緒に会うことができますように。
心から、主任司祭を通して私の祝福をお送りいたします。
いつまでも皆さんを思い出し、心からお祈りいたします、日本の宣教師 サレジオ会員V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ総会長へ (前出)
宮崎1926年12月8日
親愛なる最愛のパパ、リナルディ神父様
送ってくださった良い勧め、また副総長リカルドーネ神父を視察に送ってくださるという良い知らせをありがとうございました。ちょうど今、日本のあなたの子どもたちが天のお母さんを祝って、聖堂から戻ってきたところです。今回、主任司祭の指導の下にあって、私たちは望むままにできなかったのですから、自分たちだけで祝いました。今度の日曜日は、信者たちと共に何かやろうと思っています。しかし、大したことはできないでしょう。どうも、ここは、荘厳な形で祝う習慣が無いようです。9日間の準備とか、善行や祈りの花束とか、歌とあか、特に天のお母さんへの熱意のある人などはいないようです...。
それでも、神様が慰めてくださいました。お祝いの日に、フランシスコ会の神父1人が来られ、意外なことに、信者でない1人の子がミサに与りました。頭の中に浮かんできたのは、トリノの聖フランシスコ聖堂で、ドン・ボスコが最初に子どもに出会った時のことです。会員たちにそのことについて話しながら、希望や祈りに満ちた深い感動を心の中に覚えました。
ああ、私たちが罪を遠ざけ、聖人になれますよう、マリア様の御助けを願います。すべての会員、特に修道士たちを救ってくださるよう、私の命を捧げたいとイエス様に申し上げました。
もう十分です。でなければ、聖なる喜びのゆえに心が耐えられなくなります。天のお母様、ありがとう! イエス様、ありがとう! 天の喜びを味わうことのできるこの国に送ってくださった総会長様にも、心から感謝いたします。
では、簡単な月の報告。(略)
教皇使節と司教代理と打ち合わせたうえで1月の未定の日に中津と大分の環境を下見に行って、少し状況が分かれることになるでしょう。言葉は余りできないので大したことはできませんが、水に飛び込まなければ、いつまでも泳げないでしょう。ドン・ボスコとマリア様が助けてくださるはずです。悪魔が妨害しないよう祈ります...。(略)
カヴォリ神父は、調子が回復し、言葉に関しても軌道に乗りつつあります。教会の使者会を始めてくれるように願ったら、さっそく、今朝5時30分のミサに2人の子どもが現れてきました。喜びの余り、朝食に招いてカフェラッテを出してあげました。貧しい我が子たちへの最初の朝食です...。本当に貧しいです。日本の大部分の信者もそうです。ああ、貧しい私の信者たち! 先日、主任司祭と一緒に家庭訪問をしたら、なんと貧しい住まいか! イエス様がお生まれになったベツレヘムの小屋でさえも、これほどではなかったでしょう! よろしい、よろしい! これこそ、私たちのいるべき所。「貧しい人々に福音が述べ伝えられる」のです。(略)
12月に入ってから、天皇陛下のご様態が危ないと言われるようになりました。
気候はよく、朝7時、最低気温は7℃、昼間は15~18℃。今日は、風雨が強いです。
ちょうど今、東京から、使節閣下からのお祝いの言葉が届きました。こう述べています。「皆さんが成功するための土台と保証は、創立者の精神です。ドン・ボスコの教えやサレジオ会の伝統である、目立たない自然な振る舞いと、堅固な信仰に支えられて、熱心に献身的に働けば、皆さんの努力は勝利を収めることになるでしょう。その保護の下に受け入れてくださった無原罪の聖母が、日本のドン・ボスコの子らにご愛情を示してくださいますように。」神に感謝!
主が示してくださる愛情に応えられるよう、お助けください。ああ、神の御摂理の不思議なこと! なぜ、私たちをこれほど大切にしてくださるのでしょうか。総会長様、十分に神様に感謝できますよう、お助けください。
兄弟たち皆に代わって、クリスマスと新年のお祝いを申し上げます。真のサレジオ会員でありたい決意を新たにいたします。今日、世界中で、マリア様を最初に祝ったのは私たちです。日本の時間がイタリアより9時間早いので、生活のあらゆる面で私たちはいつも一番。また、すべてにおいて一番でありたい日本の精神に従って、良いことや、サレジオ会生活においても、一番でありたいのです。どうぞ、祝福、祝福、祝福を与えてください。あなたの前に跪いて、お父さんの腕に抱かれて、イエス様の前に無に等しい、あなたの前にも無価値なこの私、
あなたの子 サレジオ会員 V.チマッティ神父
Grigoletto Giuseppe グリゴレット・ジュゼッペ神学生へ (前出)
宮崎1926年12月11日
我がグリゴレット君
嬉しかった君の手紙への返事と共に、クリスマスと新年の祝いをおめでとう。私のためにやってくれることをありがとう。きっと、天国のためになるだろう。
試験をパスした良い知らせと採集した素晴らしい物も感謝する。日本の自然も素晴らしいよ。今まで、毎月、トネリ神父宛に小包みで植物、昆虫等の標本を送ってきたが、巡回を始めるようになったら、もっとたくさん送れると思う。
ドイツ語にも上達していることは、素晴らしい。ドン・ボスコは、自分の子らが多くの外国語を学ぶことを望んでいた。それにより、多くの人を救うことができるから。
日本語も学びたいと言っているが、文法だけでは大したことはできない。特に読むために、漢字が必要だ。
今、君は学校に勤めている。勤勉に働き、よく勉強し、生徒にもよく勉強するように指導しなさい。しかし、いつも、キリスト教的、サレジオ会的にやりなさい。(略)
日本にもカボチャがあるよ〔注.ここではZucca baruca と言うが、これは、宮崎県産のカボチャのことでもある。グリゴレット神学生のあだ名としてよく使っている〕。味が良くて、甘い。形は、凸凹で、イタリアのメロンのように扇型に分かれている。(君の出身である)ヴェネチア地方のカボチャより美味しいかどうかは分からない。そちらの物を食べたことがないから。
私のために祈りなさい。イエス様に、私が聖人になり、早く言葉を覚えられるように願ってちょうだい。皆にクリスマスと新年おめでとう。あなたを抱きしめて祝福する。
君の V.チマッティ神父
Marchisio Carlo マルキシオ・カルロ神学生へ (前出)
宮崎1926年12月19日
親愛なるカルロ君
心からありがとう。でも、君が言う私への恩返しは、よしなさい。それは、君の良い心からくる言葉だよ。互いのために祈り、兄弟のように愛せば、全部済んだことになる。私だって、君とお母さんに対してどれほど恩返しがあるか。もうこのことを言わないことにして、主において働き、恐れずに進むことにしようね。
私のために祈りなさい。私にとって唯一の必要なことは、聖人になることだ。これがなければ、宣教地では大したことはできないだろうが、日本では、何もできないのだ。君たちは、この地特有の難しさは、理解できないだろう。これは、日本全体のことで、簡単に説明できないことだ。
日本の国民は、教養があり、考えられないほど伝統的である。裕福の中に生き、微笑みながら、お礼しながらも外国人を憎む。だが、外国人は役立つから、無しにはいられないから、忍ぶことにしてでいる。極端に異教と物質主義に染まり、人間のすべての欲望を知っている。組織面では、真似できないほど進んでいる。天皇陛下を崇拝し、今はご病気だから、演劇、娯楽、映画など全部止まっている。お亡くなりになれば、商売も完全に停止する。私たちには考えられないことだが、これらは、一番目立つことを言っただけである。
私が聖人になり、日本語を良く覚えられるように祈ってちょうだい。日本の切手とお母さんへの手紙を同封する。そうすれば、君はお母さんに手紙を書くことになるだろう。1人ひとりによろしく。君を抱きしめて祝福する。
V.チマッティ神父
Sordo Antonioソルド・アントニオ 神学生へ (前出)
宮崎1926年12月23日
親愛なるアントニオ君
1月の君の洗礼名の祝いに間に合いたいなあ。君の便りを読んで、大変喜んだ。なかなか便りが来ないから、あきらめようと思っていた。今は、希望ではなく、確信を持っている。君たちがまだ文面でも私を思い出してくれる、ということ。他のことについては疑ったことはない。
では、君のことはよろしい、よろしい、よろしい。いつも私の良いアントニオ君だなあ。君に必要なのは、次のこと。
・快活さと仕事、仕事、仕事。
・短い祈り、射祷をもって神様との一致を保つこと。
・口の中の筋肉を動かすipoglossoという、舌の下にある神経を、よくコントロールすること。わたしが言いたいことが分かったね。
生徒に対しては、祈りながら彼らを愛しなさい。目を配って、問題があれば、責任ある人に報告しなさい。そして、献身的に彼らのために働くこと。
日本には、君のために場所があるが、条件は、今書いたことを守ることだ。
ボヴィオ君〔注。後に宣教師として日本に来た、当時の神学生〕について、また君たち幾人かがしでかしたことについて、もう聞いている。良いサレジオ会員になっておくれ。上から厳しい叱りを受けたのは、当然のことだ。それは、主が送ってくれたことだ。私も、君たちよりもいたずらだった時、何回ももらったことだ。寂しければ、ちょっとだけ聖堂に行って、良い空気を吸いなさい。そこであれば、イエス様に話しかけながら、ipoglosso の神経をいくら活用しても結構だ。(略)
私に関しては、すべての面で順調だ。元気で、明るくやっている。この大変な言葉を学ぶために、もう一度生徒に戻った。既に5回コンサートをやり、2回2000人以上の人の前でアッシジの聖フランシスコやイタリアについて、イタリア語で公演した。来年、活動を始められると、まず、信者を探し、強め、土台を固める。その後、新しいものを建て、マリア様とドン・ボスコを知らせる。私の小さな歌手たちは、ドン・ボスコとマリア様の歌を上手に歌えるようになった。いくらか寒いが、ストーブのことは誰も考えない。雨も風もイタリアと同じぐらいだが、余り長く続かない。どこでも緑、微笑み、お辞儀。
音楽に関しては、欲しい物を言ってくれれば、送ってあげる。
私のために祈りを続けなさい。決して、君とヴァルサリチェの仲間たちを忘れない。君たちの当時の院長が「狂喜の頂点」〔Cima 頂点 dei matti 狂喜の、と書いている〕だったので、君たちも違う者ではないはずだ。1人ひとりによろしく。皆を祝福する。
君の V.チマッティ神父
Amerio Franco アメリオ・フランコ神学生へ (前出)
宮崎1926年12月
親愛なるアメリオ君
ちょっとした楽譜を送る。いつも喜びをもって皆のために働きながら、前進しなさい。特に音楽家たちによろしく。コーラスの皆さんに、お祝いの挨拶と共にこう言いなさい。
・歌う時、音符1つひとつを神様に捧げなさい。
・歌うことは祈ることだから、歌っている言葉の意味をよく考えなさい。
なお、ピアノを弾く人たちには、
・よく学びなさい。音楽をとおしてたくさんの良いことができる。
・音符1つひとつを神様に捧げなさい。
さらに、皆にこう言いなさい。
常に快活、勤勉、謙虚であれ。これこそ、サレジオ会員音楽家の特徴なのだ。
私のために祈りなさい、また祈ってくれるように言いなさい。
君の V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父様へ (前出)
宮崎1927年1月6日
親愛なる私のパパ、リナルディ神父様
神父様が神様からたくさんの贈り物で満たされますよう祈りながら、日本の子らは、占星学者のように「遠くから来る」この手紙をもって、自分たちの贈り物をお送りします。人を救うための愛の「黄金」、祈りの「乳香」、犠牲の「もつ薬」です。犠牲とは、今、思うように活動できないということです。神様はその辛さはご存知です。御心のままに!
私たちは、(小さな不調を除けば)皆元気です。皆この難しい言葉を懸命に勉強し、次第に舌が解け、だんだん分かるようになりました。しかし、十分と話せるには、少なくともあと2年かかるでしょう。皆、まだ宮崎にいますが、今月は何か決まるでしょう。
今回のニュース。
クリスマスの深夜ミサをやる許可を得、教会は人で一杯になりました。長い間やっていませんでした。多くの異教徒も、ことの珍しさや音楽に引かれて、参加しました。布教の効果を期待します。24日から1月10日まで冬休みに入り、信者の生徒も落ち着いてミサに参加できました。日本の休みは季節ごとに分かれていますが、夏は1ヵ月です。年度が2月に終わるので、3月に春休みがあります。神に感謝!
一番大きな出来事は、天皇陛下のご病気とご死去です。長年のご病気のため、実権を既に皇太子に譲っていました。お亡くなりになったのは12月25日午後1時。町のサイレンがお知らせを伝えました。国民は、ご病気中でも案じていましたが、お亡くなりになったので、1月1日までご死去を悼みました。公や個人の娯楽が全部中止され(大都会ではご病気中でもそうでしたが)祈りが捧げられ、一部の人々は体を傷つけたり、腹切りしたりするという狂信的な態度も見られました。故人を記念するために、3000万イタリアリラに相当する予算が決まり、おそらく、神社を建てるでしょう。亡くなられて2時間後、後継ぎの就任式が行われました。日本は、天皇陛下無しではいられません。新しい天皇陛下は信仰のために期待されています。人気があり、既にオープンカーや歩きで東京に姿をお見せになりました。信じられないことのようです。その侍従は、立派なカトリック信者、山本信次郎さんです。常に天皇陛下の傍らにいます。そのためにも、天皇陛下はカトリックに対してご好意をお持ちのようです。
ここ数日、帝国東京大学法学部の教授、田中耕太郎師がカトリックに改心したことが大ニュースになっています。私たちは、人間的に観て、祈りと仕事をもってこの良い時を活用し、必要な資金と人材を投じ、絶対に遅れないようにすべきです。
天皇陛下のが死去のため、日本独特のお正月の祝いも中止されました。ただ、お餅を配ることだけが許されました。(お餅とは、お米で作る、パネットーネと同じような意味のものですが、味は全然違います!)日本人は大好物ですが、私にはなぜかよく解りません。教会では大量にもらいました。今、処理するため、毎日、鉄網の上にのせて焼き、少しずつ飲み込むようにしています。
小さなクリスマスツリーも準備していましたが、ご公現祭まで飾ることを延期しました。ところが、日本では、この祝日は守るべき祭日ではありません。
ニュースはここまで。長上の方々や、私たちのことを尋ねる人々に、よろしくお伝えください。マリア様、ドン・ボスコ、聖フランシスコ・サレジオが私たちを助けてくださいますように。心を込めて、このいたずらっ子を祝福してください
敬愛をもってあなたの子 V.チマッティ神父
Giordano Antonioジョルダーノ・アントニオ 神学生へ(前出)
宮崎1927年1月6日
親愛なる我が子ジョルダーノ君
君の新しい任地からの手紙を待ちわびていたと言っても、大げさではない。なぜか、分かるね。今日、ご公現祭で、教会から戻ってきたところだ。イエス様が、私たちの心にご自身を現してくださるように! 君は私の考え、心と祈りの中に、毎日、何回も入っている。ある時、どういうわけか、急に君のことを思い出す...。このとおり、神様のお恵みで、私たちは思うよりも一致している。いろいろなニュースをありがとう。(略)
君の魂に関しては、
1.過去は過ぎ去ったことだ...。君が過去に叱られたことをまだ思い出すのなら、それは、私たちの傲慢によることだ。よく覚えておけ。きっと、そのためだよ。
2.もちろん、日本に来て欲しい。だが、はっきり言っておく。誘惑の多いこの環境の中で迷わないため、君の弱点である愛着心に関して、丈夫にならないといけない。だから、マリア様に信頼して、恐れずにがんばりなさい。
3.今、私が何をやっているかを知りたいのか。 - 勉強したり、音楽を弾いたり、原稿を手にして説教したり、そうしなければ...君は分かるね。また、食べたり、笑ったり(日本では、心の中に嵐があっても、ニコニコしていなければならない)、ちびっ子たちとお相撲を取ったり(君とボヴィオ君がここにいれば面白いや!)、祈ったり...(多くの君たちと心が結ばれているのだから)、寝たりもする。このとおり、良い生活ではないか。しかし、早く違う生活を始めたいよ。それは、探検だよ...! どこも廻って行きたいのだ...、そして、もしある日、チマッティ神父は崖、または火山の中に落ちてしまった、と聞くことがあったら、驚かないでくれ。
無原罪の聖母の祝日はとてもよくできた。でも、身内だけで祝った。なぜなら、日本では守るべき祝日ではないから。ここでは、日曜日に当たらない限り、守るべき祝日は4つしかない。だからこそ、日本は回心しない、と私は思う。もちろん、その日は、私の心は友だちである君たちと一緒に、ヴァルサリチェにあったのだ。
君は、生徒の面倒を見ながら祈っていると言う。素晴らしいこと! こうすれば、神様との一致を保つのは、それほど難しくないだろう。定めたある行いの間、何回も同じ短い祈りを唱える決心を立て、1週間、1ヵ月、1年間、その練習を続け、習慣になるようにしなさい。良心の究明についても、同じようにしなさい。大事な行ないの後、1日何回も究明をしなさい。不可能なことは、何もない。簡単なことで満足すれば、大きなことができるようになるだろう。
君は、「僕は、いつも同じ者だ」と言うが、私は聞く。「善意があるのか。良くなりたい心があるのか。 “はい!”と言えるなら、安心して進みなさい。」
我がアントニオ君、特定の行いの中に短い祈りを唱えることで満足し、1ヵ月、1年続けなさい。神様との一致を保つこと、これこそ聖徳だ。もちろん、同時に会憲と誓願を守らないといけない。なお、自分の院長を信頼し、毎月、規則正しく報告をしなさい。ゆるしの秘蹟も規則正しく受けなさい。そして、安心して進みなさい。(略)
神様の恵みのうちに良い年を過ごせるように祈る。その恵みは、決して不足しない。今年は、それに応えるようにしよう。今日は、占星術の学者たちを記念したが、彼らも神様の恵みに応えたからこそ、祝福を受けた。元気を出して、快活・勤勉で、長上を信頼し、自分を過信しないように。心から君を祝福し、主において抱きしめる。
君の V.チマッティ神父
Ghetti Giorgio ゲッティ・ジョルジョ先生へ
(生まれ故郷Faenza の医者、友人であり恩人である)
宮崎1927年1月13日
尊敬すべきゲッティ先生
ご公現祭の1週間後に届いた12月19日付の、クリスマスと新年の祝いのお言葉に対して心から感謝いたします。頂いたご恩に対して他に報いる方法がないので、毎日、先生とご家族のために、心身とものご健康でありますようお祈りしています。
私に関しては万事順調です。多くの友人のお祈りのお陰で、新しい環境に慣れることには困難がありませんでした。ここの気候は、すべての面でイタリアより忍びやすいです。イタリアより変わりやすいのですが、暑さも寒さも余り気になりません。これは、私の母が小さい時から甘やかさなかったことによるのでしょうね...。
食生活に関しては、他人の健康を預かっているので、できるだけ洋風にしています。そのため、庭には野菜を作り、鶏、ウサギを飼っています。ぶどう酒も牛乳も手に入り、家でパンを焼く設備を整えました。私ひとりだったら、喜んで和食にします。大好きです。近いうちに巡回宣教が始まり、その時は、それでいくつもりです。ご飯、魚、野菜といろいろな果物、また日本茶です。日本人と一緒にいれば、当然、適応しないといけません。正直に言って、最近、ぶどう酒の代わりにお茶を飲むことにしています。質の問題もあるでしょうが(南アフリカやフランスのぶどう酒です)、少し飲むと(値段が高いので、コップ一杯しか出しませんが)、頭がフラフラして、関節にリューマチの痛みを感じます。お茶を飲めば、とても元気です。ここでは、それを飲む習慣がありますので、いいと思います。
先生が考えていらっしゃる「宣教師のための講演会」のことは感謝いたしますが、今のところ、どのように協力したらよいかまだ分かりません。今まで、この大変な言葉を学ぶために私たちは閉じこもった生活を送り、余り回ることはできず、日本の国民を余り知りません。先生が求めていらっしゃる本はありますが、私にも分かりにくい日本語です。一般の知識なら、イタリアの本にもあります。来年にならなければ、どこまで先生に役立つ資料を探すことができるか分かりません。ここに同封したページは、現時点においては、私のできる僅かな貢献です。出典が分かっていますので、内容について保証できます。
何よりも、次の大切なことを念頭に置いていただきたいのです。日本人は耳が良くて、自分たちについて言われることは、特に公なら、全部知っています。警察の組織は一流です。内外どこでも大変な権力を持っています。宣教師の立場からみて、言葉に最高の賢明さが必要です。友達同士で言えることは、公には言えません。
具体的に申しあげますと、
1.日本は、異教の国なので、ローマ時代に異教がもたらしたと同じような堕落、特に性道徳に関して、特に裕福な人たちの中に見られます。すべての町には(宮崎にも)、私たちが想像できないほど、公の売春の家があります。結果はお分かりでしょうね。女性は、まだ奴隷のような状態です。第三者が結婚を決めることはよくありますから、女性が不幸のどん底に落とされることは多々あります。
2.この国の風土病は、特に脚気(かっけ)、ハンセン氏病、アルコール依存、マラリアと胃腸病、特にチフスです。先生は、私よりもその原因がお分かりでしょう。栄養不足の他、性的堕落、アルコール飲酒、飲み水の不十分な管理などがもたらす結果です。
アルコール中毒は、特に北日本でひどいようです。北海道の先住民のアイヌという民族は、そのために既に絶滅してしまいました。ここで飲まれるのは、特に日本酒です。それは、イタリアのぶどう酒と同じ形のアルコール中毒を次第にもたらします。
町には、火災予防のための溜り水を貯蔵している他があり、生活汚水も下水に流されています。そこから何が生じてくるかは明らかです。
日本の法律は、父親の認知に関して明確ですが、それでも捨て子が多いです。離婚、優生の考え方(一昨日の新聞には奇形児を処分すべきだと教えられていた)、そして、翻訳されているフランス、ドイツのあらゆるひどい小説も上記の状態の一因となっています。
ハンセン氏病患者は、公立病院の他に(日本人は、自分たちの病人を世話しないと言われたくはないので)シスターたちが運営する病院に収容されます。残念ながら、その数は少ない、規模も小さいです。孤児についても同様です。私は、まだ現状を十分に把握していませんが、宮崎で見たところでは、森の中の貧しい小屋に放置されている病人もいます。
日本には、階級制度による差別がまだ根強いです。
聞いたところでは、東京の近くの町に、籠に入れられて、少女を売り飛ばすところがあるそうです。彼女たちは、家族を支えるために身を売るべきだと教えられています。
迷信については、切りがありません。病気に関してはよく分かりませんが、特に期日の吉凶については多いのです。
日本の家屋はほとんど木造です。そのため、ネズミや虫の巣になりやすく、衛生は欠かせません。人々は、着物を着ますので、あまり下着を使いません。しかし、家の掃除は徹底されていて、ほとんど毎日お風呂に入ります。けれども、公の清掃は余り行き届いていません。なお、貧しい人々は、不潔な状態に住んでいます。
これらの情報は、医者の立場からみて、すべて興味あるとは限りませんが、私の置かれている状態をお知らせするためです。(略)
今までのことはありがとうございました。チマッティ神父ができないことは、イエス様、扶助者聖母とドン・ボスコが報いてくださるでしょう。義兄とご親切な奥さんによろしく。私に代わって、天使のようなお子さんたちにキスしてください。いつも先生を思い出している私のためにお祈りください。
敬愛を持って V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ総会長様へ (前出)
宮崎1927年1月29日
親愛なるパパ、リナルディ神父様
日付からお分かりのとおり、私たちの保護者の祝日にこの手紙を書いています。〔注.当時、聖フランシスコ・サレジオの記念日は1月29日になっていた。〕この日を選んだのは、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコを祝う日に、神父様や私たちの修道会との一致を示し、皆に代わって会憲とドン・ボスコの精神に忠実でありたい決心を更新するためです。保護聖人とドン・ボスコの祝福を得るため、この日にこの手紙を書き始めましたが、後に申し上げます報告をこの手紙に添えるため、今日、出さないことにいたします。
まず、私個人の報告。
1.健康 あらゆる面で良好です。ぶどう酒の代わりにお茶を飲むことにしました。健康には最高です。寒さは忍べますが(最低-7℃)、一部の会員に必要だから、足を温めるため、ここで使われている湯たんぽを買うことにしました。とても良いです。
2.勉強と仕事 相変わらずです。2月、3月から仕事が増えます。否、新しい状況のため、仕事が変わってくるだけです。
3.会憲の遵守と務めのこと できるだけやっています。私の傲慢な心は逆を思わせようとしていますが、どうも、私は、目上の職に向いていないと感じます。まあ! 神様が考えてくださいますよう! ドン・ボスコの精神を実現することは私の理想ですが、私自身どれほどそこから離れていることでしょう! お祈りでお助けください。
4.信心業 いつものとおり、努力を続けます。
5.誓願の遵守 私は感受性を抑えないといけません。けれども、我が主よ、私に余りにも優しい心をお与えになったのですから、どうすればよいのでしょうか!
6.愛徳 皆と仲良くして、心から皆を愛していると思います。
会員について(略)
カヴォリ神父 健康状態に上下があり、皆の前で、夜驚症を感じることがあり、1人では寝られないと言っています。良いことでしょうか、悪いことでしょうか! まあ、どうなるかを見ましょう。一応、能力があり、良い方です。しかし、眠れないとき、いやいや神経質になりがちです。午前中の勉強から免除しました。高く評価しています。
マルジャリア神父 健康状態に上下があるのは、おそらく、早く食べすぎるので、胃がもたれているためでしょう。日本語は良くできます。霜焼けができました。議論のとき、自分の意見に執着し過ぎます。とても良い方です。
リビアベーラ神父 夜、寝ながら、持病の発作がありました。心配し過ぎる性格です。彼も、霜焼けができました。とても良い方です。
私の親愛なるパパ、一生懸命に働きながらすべてを神様に委ねるべきだということを、皆に解らせるのは、なんと難しいことか! もしかしたら、私自身、他人に説得できるほどこの徳を身に付けていないためでしょう。(略)
主は、お望みのままに、1歩1歩私たちを導いてくださっています。ご安心ください。特に、この私に対する主のお計らいは、なんと素晴らしい。言葉が無いほど驚いています。これほどのお恵みにふさわしく応えられますよう、お祈りください。心から祝福をお願いいたします。
あなたの子 V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ総会長様へ (前出)
宮崎1927年1月30日
私たちの親愛なるパパ、リナルディ神父様
やっと、私たちの立場についてより明確にお知らせすることができます。教区の司教代理と共に、次のことが決まりました。
2月1日、正式に宮崎教会に入る。20日は中津に、3月10日は大分に。神に感謝!
使節閣下の祝福に、神父様のお祝福もお加えください。私たちには本当に必要です。私たちは、準備不足を自覚してはいますが、この大変な言葉が話せるために少し水に飛び込まないといつまでも泳げないでしょう。私たちとしては、最善を尽くすつもりです。行き届かないところは、扶助者聖母マリア様とドン・ボスコが補ってくださるでしょう。むしろ、彼らがなさった方が良いのです。彼らがなされば、きっと、うまくいきます。
29日、タンギー神父とピアチェンツァ神父は下見と最初の折衝のため、中津と大分へ行きました。報告をここに添えておきます。その日、私は宮崎で聖フランシスコとドン・ボスコについて講演をしました。日本では、サレジオ会についての最初の講演です。神様のお計らいにより、私たちの聖人の記念日に、サレジオ会の活動が始まったわけです。
私たちの修道生活に関しての情報。
1.これからも、平常の時間割に従い、信心業を中心とします。
2.午前中、授業2時間を続け、20日まで尋常小学校の教科書第12巻を完了できると期待しています。この12巻を身に付ければ(その中の2巻を暗記しました)、大部分の日本人が修得していない話す書くための大切な手段を手に入れたことになります。私たちのほとんどは既に「公教要理」と他の本も読み、日曜日の説教も大体準備しました。足りないのは話す練習です。これも数ヵ月でいくらか楽になるでしょう。神父様たちは、ゆるしの秘蹟を授けるために「良心の究明の手引き」の用語を覚えるために一生懸命です。幸いに、信者たちもこれに基づいて告白します。彼らにこう言いましょう。「私たちが分かるのは、これだけです」。その中に神学全部入っています。主の名において出発しましょう!
はっきり言って、私たちが1年間これらの本を覚えてきたのはよかったと思います。他の方法に従ったならば、もっと話せたのかも知れませんが、読むことはできなかったでしょう。読むことができれば、自分でやれる鍵を握っているので、より遠く進むことができます。これによって、将来の道が開かれたわけです。それにしても、高ぶってはいけません。十分に日本語ができるには、あと2年、真剣に勉強しなければなりません。でなければ、竹馬に乗って歩くときのように、自信を持つことはできないのです。
日本語は、話すのも書くのも難しいです。私たちの言葉と共通点がなく、勉強した数千の単語の中、2つだけイタリア語に似ています。「パン」(日本にはないので、日本語ではありません)と「たんと」(これは、イタリア語と同じように「たくさん」の意味です)。結局、何千語も暗記しないといけないのです。文章の構造も随分変わっています。少しラテン語に似ているところがありますが、敬語や強調するための表現は、数え切れないほどあり、とても長がったらしい言い回しを使っています。
3.健康に関しては、避けられない小さな不調を除けば、すべては良好です。朝-7℃ですが、梅がすでに咲いています。でも、ストーブは考えられません。ああ、日本の火災の恐ろしいこと! 風があって、1つの家から出火すれば、逃げるしかありません。一昨日、県内の火災で5000人が家を失いました。宮崎市の近くでも、1000人が同様でした。夜、人が回って太鼓で火の用心を呼びかけますが、木造、しかも脂を含んだ木造の家を想像してみてください。火の勢いは言葉で表現できないほどです。
4.これからは、共同体が分かれて新しい生活に慣れるまでは、いくらか乱れが生じるでしょう。そのため、しばしば会員を訪れ、祈りと勉強の時間を守るように勧めながら指導したいと思います。状況を把握するため、それぞれに役割を与え、単調になりがちな最初の生活に変化を持たせ、孤独を避けるようにしたいと思います。
次は、興味ある幾つかの情報。
- 掛け物の展示会を見てきました。部屋に飾る額に当たるものですが、和紙か布かに描かれた、細長い形のものです。これを見て、日本画を少し理解できました。非常に丁寧で、自然の捕らえ方も詩的で、慎み深いものです。(略)
- 奄美大島の女子校校長、フランシスコ会員カリスト神父と話す機会があって、そこでコンサートをやってくれと頼んできました。(略)おもしろい情報を話してくれました。
a)新しい天皇陛下はカトリックに対して好意的です、と。
b) 以前の天皇陛下と違って、伊勢神宮への参拝をご辞退なさった。そこには、ご神体は存在しない、とおっしゃったそうです。
c) 仏教とプロテスタントは、新しい宗教法に対して猛烈に反対しているそうです。(略)
残りのニュースは、ピアチェンツァ神父とタンギー神父が戻ってからにしましょう。(略)
これからは、イタリアのBollettino Salesiano サレジオ・ニュースのため、定期的に寄稿するつもりです。ただ、次のことを念頭に置いてください。- 日本人は、私たちの書くことを読み、すべての情報を手に入れている。警察は、欧米人がやることをすべて知っている。びっくりするほど、上手に、丁寧に情報を手に入れる。私たちが余り外に出なくても、彼らは私たちが何を食べているかも知っている。もしイタリア語が分かれば、私たちが話すことまでも知るようになる。したがって、この素晴らしい国については、良いことを言うか、あるいは黙る。イラストも、日本人が格好良く見えるものだけを記載する、と。
このとおり、私も次第に日本人になってきましたね! 私の説教を聞けば...! 日本の文書には、必ず、お月様のこと、小鳥のこと、桜の花のことが出てきます! 先日、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコの説教には、私も、良い日本人として、「フランシスコは、小さき侍でございました」。「春が近づき、梅が咲き、お子さまは花のように美しゅうございます」と言いました。笑わないでください! 私も日本人になったのです!
ピアチェンツァ神父とタンギー神父が中津、大分から戻ってきました。口頭で受けた報告によれば、次の状態です。別紙で、それぞれの手紙を添えます。
1.現地は、放ったかされた状態で、宣教師の報告を聞いてもはっきりしません。正直に言って、宮崎のことも把握できません。したがって、信徒と接して、信仰教育を深め、教会に通うための便宜を計り、根本からやり直さなければならないのです。
2.家屋の手入れも放置され、何年も何もしていない、と。木造の家は、毎日目を配る必要があり、私は宮崎のお御堂の窓を全部点検しました。中津の家を借りていた人は、電球、床、鶏など、全部持って行きました。大分の人も自分が所有している建物を持って行くと言っています。日本には、驚くことはありません。転居する良い場所が見つかったら、家を分解して...そのまま持って行くのです。大分の神父様は(宮崎もそうするでしょうが)、自分の所有するものを持って行くと言っています。あるいは、家具などをそのまま教会に売却するでしょう。
結論。 去年持ってきた資金がほとんど底をついていますので、予測しなかったこれらの緊急な出費のため、それに相当するご協力を必要とします。ここは、期待できる収入はありません。この手紙が着くとき、私の財布はもう空っぽになっているでしょう。良いと思われる方法でお助けください。銀行では、アメリカ通貨が交換しやすいです。
17日、18日頃、会員を中津教会へ案内し着任させます。その後、大分の番です。そして、私たちだけになります...否、イエス様、マリア様、ドン・ボスコが一緒です。数多くの良い方の祈りのお陰で、働くことになるのでしょう。
ご覧のとおり、聖ヨゼフに捧げられた中津教会の仕事は、その祝いを準備する月が始まる日に開始されます。大分も、聖フランシスコ・ザビエルが列福された9日間の間です。聖フランシスコは、そこで働いたのです。宮崎は、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコの日に始まりました。ここまで漕ぎつくのに、どれほど苦労したかをよく知っている私は、このことに御摂理のしるしを見ています。これも、私たちが頼りにしているイエス様とマリア様の愛とお導きの新たな証拠です。もし、私たちが愚かにも傲慢にならなければ、マリア様はお母さんとして今後も導いてくださるでしょう。
もう一度お願いです。私たちのためにお祈りください。サレジオ会の名誉にかかることですから、特別なお助けを必要とします。いろいろな意味で、多くの人々は日本のサレジオ会の事業に注目しています...。よくご存知のとおり、私が必要としているのは、祈り、物的援助、良い勧めです。お祝福をもって、特に私をお助けください。主において神父様を抱きしめます。
あなたの子 V.チマッティ神父
後書 - ノビレ将軍〔注.飛行船で最初に北極地点に着いた有名な探検家〕が東京に着きました。すべての新聞にそのニュースが載りました。私たちも伝統に従って電報を打ち、親切な返事をいただきました。宮崎を訪問してくれるとのことです。
聖ヨゼフのお祝いを申し上げます。
リカルドーネ・ピエトロ (Ricaldone Pietro) 神父副総長へ
リカルドーネ神父が本部にいなかったため、チマッティ神父が手紙を書いても返事が来ない。そのため、チマッティ神父のあせりが募る。
宮崎一九二八年二月十二日
親愛なるリカルドーネ神父様
やるべきことについて私たちを照らし、架空の世界に生きることなく、具体的な決断をするにあたって正しく計らうことができるため、お手紙を熱望しています。
イタリアのGazzetta del PopoloやMomentoの新聞に、神父様のインタビューが誤解され、日本やその都市についての誇張された数字があるのを読んで、私たちは深い悲しみと驚きを覚えました。これが読まれれば、イタリアと外国で私たちの事業が損なわれ、笑われることになり、日本でもそうなります。安全のため、こちらが書いたもの以外、何も発表しないようにと指示しました。
リナルディ神父や管区長に書いた同じことを、私の手紙が届かない場合、神父様のためにもここでまとめます。
① 宮崎教会の墓地のために一反の土地を購入しました。信者の献金によって既に事業がほとんど完成され、市役所の許可が出た時、もう少しきれいにします。今、新しい市長が任命され、神父様がお話しなさった前市長は、政治的な理由で逮捕されました。お話なさった知事と副知事も、同じような理由で交代しました。
② 申し上げましたとおり、宮崎教会の信者の集会や信者でない人を集めるために、集会場が必要です。見積もりはまだ出ていませんが、小さな規模のものでも一五〇〇円前後です。
③ 田野には、良い機会を失わないため、信者が使う小聖堂を造るための二反の土地を購入しました。一五〇人を収容できる聖堂の見積もりは、一五〇〇-二〇〇〇円となります。
④(……)⑤ 別府には、療養のために訪れる信者や求道者が多く、彼らが切に望んでいる司牧を始めるため、月二十円で家を借りました。この近代的な町には、仏教や神道の先入観がなく、未来性があると思います。今のところ、できる時には日曜日にミサを立て、大分のカテキスタが二、三回求道者のために訪れています。
他に申し上げることはありませんが、お願いがあります。
a) 今すぐ、言葉を学ぶための人材を送ってください...。他の所に援助を送っていらっしゃるのに、なぜ、言葉を学ぶには苦労が大変であるこの所に人を派遣するためにこれほど時間がかかるのでしょうか。よく念頭に置いていただきたいのです。一九二八年に来る人は、一九三〇年の終わりまで活用できません。そうしないと、中途半端な人を作ることになるからです。
b) 修練院のことですが、長上に何を提案すればよいのでしょうか。おもしろいことです! ここの会員の長を命じられて、何をすればよいかが分からないこと...。神父様は「ゆっくり、ゆっくり!」とおっしゃいますが...、日本がこの状態であるのは、宣教師たちも「ゆっくり、ゆっくり!」と言っているからです。これでは時間が経つばかりで、何もなりません...。チマッティ神父が皆を回心させ、日本を変えるつもりだとお思いにならないでください...。とんでもないことです! 私が望むのは、ただ、よく耕された土地にできるだけ良い種を蒔く、蒔く、蒔くことです。しかも、ドン・ボスコがやっていたように。(次は暴言なら...、叩いても結構です...。だって、遠いから、届きません!)ドン・ボスコは「ゆっくり、ゆっくり!」と言ったことはないはずです。「仕事、仕事!」と言っていたのです。
神父様は、私をよくご存知です。大げさなことを言う人、礼儀正しくない人、言葉が分かりにくい人...。でも、私の意見は申し上げたとおりです。もちろん、経験はなく、能力もないから...、最後は長上のおっしゃるとおりにします...。我がリカルドーネ神父様、こうしましょう。長上はお急ぎください。ゆっくりする必要があれば、主がお考えになります。そう、そう! 信仰を持ちましょう。そうすれば、主は長上を祝福してくださいます。私が願っているのは、聖フランシスコ・ザビエルが願っていたのと同じことです。そして、彼はそれを得ました。毎年、三人を送ってくだされば、すべては解決です。なお、もし修練院をお望みであれば、これは宣教地の問題ではなく、修道会の問題です。
申し上げました様々なことをご自分でご判断ください。
いつまでもあなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
後書 - 司教様の許可を得て、三月から小さな機関紙を出せると期待しています。 〔訳者注 五月二十四日から出た『ドン・ボスコ』誌のことです。〕
機関紙『ドン・ボスコ』の計画-会員への勧め
宣教師への手紙
この手紙に、計画中の機関紙の具体的な話が出る。来日して二年しか経っていないのに、既にこの大きな計画を立てているこの人たちの勇気に驚く。実際、その機関紙は五月から始まったのである。
宮崎一九二八年二月十二日
親愛なる兄弟たち
① ローマからの総会長の手紙には、皆さんによろしく。向こうでは私たちのことを話し、希望があるとおっしゃっています。でも、チマッティ神父個人の感じでは、まだまだです...。こう書いてあります。「皆さんは、主において、主の前で働きなさい。人を回心させれば、皆さんの功徳です...。安心して、主と共に進みなさい」。また「人材やシスターズを派遣することについて、後にリカルドーネ神父と検討します」と。ですから、心配せずに落ち着いて働きましょう...。すべては主のために!
② 『ドン・ボスコ伝』のために届いてきた感謝の手紙は、とても喜ばしいです。いつか皆さんにも見てもらいましょう。とても慰めと励みになります。
③ 計画中の機関紙の執筆分担ですが、宮崎の私たちは当教会関係のニュース、典礼関係(祝祭日、記念、聖人など)と社説(もし皆さんが準備なさったものがあれば、提供してください)。中津の会員は、自分たちの教会のニュース、家庭教育の問題、宗教に関する記事、問答(本物や想定したもの)。大分の会員は、自分たちの教会のニュース、御教えや要理関係、若者のページを担当すればよいのです。もちろん、他の項目についても、もし何か良い材料があれば、どなたでも月の半ばまで大分に送り、次の月に印刷が間に合うようにしましょう。
問題点は次のことです。
① 漢字だけで書くと、果たして読まれるかという疑問があります(少なくとも宮崎の多くの人が読めないでしょう)。私たちの狙いは、皆、子どもにも読まれることです...。費用は高くなるでしょうが...、どう思いますか。
② 『サレジオ会機関紙ドン・ボスコ』という題は、サレジオ会にも司教様の前にも危ないようです...(許可された時、同類の出版物に刺激にならないように、目立たないようにしなさいと言われました)。私たちの狙いは、散っている信者をまとめ、皆に良い言葉を届け、できれば、信者でない人にも読まれることです。『兄弟の声』、『心の声』、『良い種』などはどうでしょうか。今のところ、私たちの色彩をあまり出さない方が良いのです...。どう思いますか。
次のことを確認できるまで、始めることを少し遅らせればどうでしょうか。
a) 材料がそろっているか(皆の協力をお願いします)。
b) 読者に効果をもたらすためにどうすれば良いのか。
c) 私たちがでしゃばる印象を与えないためにどうすれば良いのか。
このためにも祈りましょう。大きな仕事を引き受けることになり、一度始めたら手を引くことができなくなるからです。
仕事の話ですが、ご覧のとおり、神様のお恵みにより不足していません。むしろ、ますます増えるので、責任が重くなります。それで、ドン・ボスコの名により、皆さん自身のためにも次のことをお勧めします。
a) 仕事が増えれば増えるほど、祈りも増やすこと。
b) 落ち着いて働くこと。
c) 特に自分の力が許すまで働き、健康を大切にすること。これはドン・ボスコの言葉です。
したがって、
a) 夜には働かないでください。
b) 従順に従って、秩序を守りながら働きなさい。ドン・ボスコの次の言葉「最善は善の敵だ」ということを念頭に置きましょう。〔訳者注 完全主義は善を妨げる、という意味です。〕
c) 春が近づき、医師の意見も聞いたうえで、血を清める方法を考えましょう。
d) 手がけた仕事を見放さないようにしましょう。我が兄弟たちよ、神様は、私たちの善意、人々の救いのために働きたいというそれぞれの熱意をご覧になります。しかし、神様が望んでおられるのは、皆が自然に、落ち着いて、秩序をもって、信仰をもって、御手にすべてを委ねながら働くことです。皆さんの魂を愛しているこの私が申し上げることをよく聞いてください。
皆さんにカヴォリ神父様、また出来物を患っているグアスキーノさんからもよろしく。
主において皆さんを抱きしめる ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
兄ルイジのこと
マルキシオ・カルロ(Marchisio Carlo)神学生へ
宮崎一九二八年二月十三日
我がカルロ君
この機会にチマッティ神父と一致したいことを望んだ君の善い心に、どう感謝すればよいのか。神様がこの愛徳の業を報いてくださるように!(……)
私の兄ルイジが天国にいることを期待している。その確信を与えてくれるのは、その取り次ぎによって教え子たちが得た恵み(自然の一致かもしれないが)、また、亡くなって間もなく、その管区が得た大きな恵みです。それでも彼のために祈りを捧げましょう。(……)
君は、落ち着いて、神との一致を保ち、よく仕事し...、安心しなさい。天のお母様が私たちを自分のものにしてくださるように。
君のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
自分は皆無である-人間関係の悩みと新しい計画
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)総会長様へ
宮崎一九二八年二月二十八日
親愛なるお父様
静修の日ですから、少し報告いたします。(……)
信心業は、規則正しくやっています。この頃、自分の中に新しい現象を体験し、神様の恵みであることを願っています。それは、チマッティ神父があらゆる意味で皆無に等しい者であることを一層自覚していることです。どうしてこんな気持ちになるのでしょうか。他の会員がよくやっていることを見ているためなのか。チマッティ神父のやることが取るに足りないのだと感じているためなのか。より深く自分の魂の貧しさを理解するようなったためなのか。
時には、サレジオ会の教えのとおり、もっと若者と一緒にいたいと感じますが、一緒に話しても通じないので、黙った方がよいかと感じることもあります。またしばしば、今まで体験したことがなく、「こうしなさい」と命じる声が心の中に聞こえ、話すべき言葉も勧めたり、それに動かされるような気がすることもあります。しかし、なぜか分かりませんが、その声に従うことができず、原因は怠慢か、恐れか、傲慢かなのでしょうか。きっとそれです。そのため、後になって後悔することがあります。何でしょうか。より深く自分の責任を感じるようになったことなのでしょうか。
先日、かっとなったカヴォリ神父は、「うまく行かないことについて、チマッティ神父が反省すべきだ」と言ってくれました。ああ、命令できず、指導できないのは何と辛いことか! これが、私の体験している新しい現象です。願わくは、悟ることができるように神様が私を照らし、良い勧めに従わせてくださいますように。(……)
皆に対して愛徳を尽くし、誰に対しても反感などを抱いていないと思います。会員たちの仕事の成功を喜び、自分の無能力を認め、もの足りなさを自覚できるように神様に祈り、明るく進むようにしています。時々、特に食卓で無口になり、もっと温かく付き合うべきだと思います。他に問題はありません。今年は院長の任期が終わるので、もし長上が私を解放してくださり、他の人の下に働かせてくだされば、心の重荷が取れます。
カヴォリ神父は健康面で良さそうです。とても活発で、良くやっています。主はその仕事においてお恵みを現しておられます。私を気遣ってひとりで全部やろうとしますが、これも私にとって謙虚になる良い機会です。今は、彼にとって良い時です。(……)
新年度の目標は、
①②(……)
③ 信徒の共同体をまとめること。新年には、三つの新しい共同体が実現できるでしょう。高鍋、田野、別府です。お祈りとご協力をお願いいたします。
④ 『ドミニコ・サヴィオの伝記』、『扶助者聖母マリアに対する信心』の小冊子、また月刊の機関紙もできるでしょう。『ドン・ボスコ伝』のより大きなものと『合併福音書』も訳し始めました。特にこの二つの本を心がけています。
⑤ 信者でない人たちに近づくための仕事を進めていますが、デリケートで難しい課題です。なぜなら、信者の子どもたちは、信者でない仲間と付き合ってはならないと言われているからです。考え方を改めさせ、信徒使徒職の意識を培わないといけないのです。昔の信徒には、これが欠けているところですが、慎重に進まないと失敗する危険があり、公に言えないことでもあります。この状態を脱するためには、信者でない地域に日曜学校でも開こうかと思うこともありますが、神父様が手段を送ってくださらなければ、何もできません。
幸いなことに、神様のお恵みにより理解してくれる一部の父親たちが動き出しています。信者でない人を招いて、高鍋では信徒の家で幻灯の会を始めました。しかし、リカルドーネ神父様にお願いしたスライドはまだ来ていません(ああ、この聖なる長上の方々!)。我がお父様、覚えておいてください。他の宣教地に関するスライドも素晴らしいですが、ここには宗教教育、福音書、公教要理、典礼などに関するもの、しかも、分かりやすく、基本的なものが必要です。
さあ、動き出して、お助けください。私が何を願っているかよく御存知です。それは、すぐに言葉の勉強を始める人、また皆さんのご指導、簡単な指示、そして実行、実行、実行です。議論だけでは何もなりません。
我がドン・ボスコ、天国で何をしていますか。あなたが愛しているこの国を憐れんでくださるよう、長上たちの固い心を回心させてください...。聖フランシスコ・ザビエルにもひと言言ってください。マリア様も動いてくださるようにしてください。ご覧のとおり、チマッティ神父は何もできないのです。
我がお父様、すみませんね。人を送るために天からの声や十人の博士の協議が必要であるまい、とドン・ボスコが言っておられるような気がします。催促するのは私の務めですから、私は全力をもって催促します。
見放されている家族の保護者であられる我が聖ヨセフよ、また信者でない青少年たちを委ねられているドミニコ・サヴィオよ、あなたたちがお計らいください!
今のところ、新しいことはありません。近いうちにいくつかの新しいコンサートを予定しています。聖ヨセフの祝いのために司教様が宮崎に来られます。会員たちは主において会憲の精神に従って皆よく働いています。
我がお父様、私たち、特にチマッティ神父のためお祈りください。私はその祈りをとても必要としています。
以上のとおり、神父様のお指示とあらゆる面でのお助けを待っています。御祝福をお願いいたします。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
宣教師たちへの指導
宣教師への手紙
この手紙にあるとおり、一九二八年のサレジオ会住所録には、日本の事業が「準管区 Visitatoria」として記載され、中国管区から分離されたことになっていた。ところが、本部の設立文書が一九二八年一月一日であっても、チマッティ神父の準管区長としての任命は一九二八年八月一日であり、聖座が準管区を承認したのは一九二九年六月九日である。こういうわけで、正式の任命が来ない限り、チマッティ神父は中国の管区長に従うと述べている。
宮崎一九二八年三月七日
親愛なる兄弟たち
聖ヨセフの祝いが近づいて来ています。自分の心が勧めることや教会の指導に従って、自分自身、また信者たちにもこの聖人を思い起こさせるようにしましょう。復活祭も近いです。これは、「祭日の中の祭日 solemnitas solemnitatum」です。一層その準備を進めるために、
a) 自分自身のためには、① この秘儀を深く黙想すること、② 会憲・会則を忠実に守ること、③ この季節に信者が守るべきことを神学や公教要理の中で復習するようにしましょう。
b) 信者のためには、① 要理教育を徹底し、特にゆるしの秘跡の正しい受け方を教えること、② 犠牲を惜しまずに信者が復活祭の務めをはたす便宜を図るようにしましょう。
皆さんも、信仰から離れている信者をみて、深く悲しんでいるでしょう。原因は、教会が遠くて、通うことができないためか、また信仰が弱まって失われる状態にあるためか、時には思うとおり信仰が守れない状態にあるということのためです。私たちの重要な課題は、この信者たちのために最善を尽くすことです。彼らは「迷った羊」なのです。皆さんは、その羊のために善い牧者イエス様がなさったことを、よくご存知です。
今年度の目標を固く守り、毎月か、また三ヵ月毎か、直接か間接か、あらゆる方法で信者を訪問するようにしましょう。その際、できるだけ秘跡を受ける機会を与え、必要があれば、日曜日や祝日には二回ミサを立て、私たちにできる限り、任せられた信者を霊的に世話するようにしましょう。
時には拒否されたり、困難や冷淡に遭ったりすることがあるでしょう。ある意味で、この信者たちはそれぞれ違った病気にかかっています。医者は、それぞれに合った治療法を勇気をもって施すべきです。
信者でない人を儲けても、もし既に神様の者である者を失うならば、おかしい話になります。(……)おお! いつになったら、この哀れな信者たちを世話するために駆け回る熱心な司祭、修道士、カテキスタを与えられるのでしょうか! そのために祈りましょう。これこそ、主に願うべきひとつの最高の恵みです。この第一の務めを忘れるよりは、仕事が増えても新しい仕事を後回しにして、それを制限し、一時的に停止した方が良いと思います。
我が兄弟たちよ、このことを強調しても驚かないでください。宮崎で悪魔が魂にもたらす害を見て、真剣にこの問題を考えざるを得ません。他の所で程度の違いがあっても、同じような状況があると思います。この哀れな魂のために祈り、働くことにしましょう。本部の長上に切に願った人材の派遣が早く実現するようにも主に祈りましょう。これ以上は延ばせないことです。新しい人が来ても、二年後からしか使えないからです。
カヴォリ神父は、皆さんの良いニュースを伝えてくださいました。皆さんが元気で働いていることを喜びます。神様がいつも守ってくださいますように。
機関紙は、復活祭から始められるのでしょうか。そのための記事はもうできているのでしょうか。二号分までの基本的なものができていなければ、始められません。安心して主の名において始めたいのです。また、全国ではなく、私たちに任せられた信者たちを対象にします。(……)
いろいろな意見をまとめてと、次の結論になります。
a) 私のせいで遅くなったし、内容もより明確にする必要があります。
b) 正直に言って、私自身はまだ何も準備していません
c) サレジオ会員は、すべての活動をマリア様の保護の下に置く習慣があります。したがって、支障がなければ、マリア様の月、五月から始めましょう。
大分の皆さんは、翻訳する先生が私たちの考えを忠実に訳すように気を付けてください。きれいな文章より、分かりやすい文章が大切です。ラテン語がよくできていた聖アウグスチヌスは、「理解されない文章より、文法の間違いがあった方がましだ」と言っていました。
変化をもたせるために、日本人の友だちの協力を願っても良いです。その場合、先生は記事を変えてはなりません。以上は、注意すべきことです。
サレジオ会の新しい住所録には、日本は「準管区 Visitatoria」となっていますが、トリノの本部の指示には「正式の通知がない限り、何も変えてはならない」とあるので、その通知が来ない限り、チマッティ神父はそのまま中国の管区長に従うことにします。
五月一日からは、東京から下関までのコンサート一周を引き受けました。まだ早いですが、前もってお知らせします。マルジャリア神父やリビアベラ神父は声を鍛えてください。十五日間不在になりますので、機関紙のこと、予定のこと、残る人たちの仕事の分担を前もって計らいましょう。タンギー神父とピアチェンツァ神父は早めに仕事をお決めください。取りやめになる可能性もありますが、引き受けた以上、神様にお委ねします。落ち着いて、祈りのうちに...。
ティリー司教様が宮崎に来られますので、その訪問の成功、また準備の短い黙想会のためにもお祈りください。宮崎に来たい人は、寝るための必要な物を持参してください。私は貧しく、新しい買い物をして財布の中身をこれ以上減らすことができませんから。不足する物を借ります。我慢してください!
元気を出し、主において進みましょう。信仰をもって、特にいつも余計なことを言う私のために祈ってください。
あなたがたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
会員への指導
メルリーノ・アルフォンソ(Merlino Alfonso)修道士へ
宮崎一九二八年三月七日
親愛なるアルフォンソさん
お手紙や良い便りをありがとうございます。
炊事場で助けてくれているミサオさんについて、ドン・ボスコのことを思い出しなさい...その忍耐と、優しく勧めていたドン・ボスコの姿勢を! また、何も分かっていなかった使徒たちに対するイエス様の態度を...。考えてご覧。もし、聖霊が使徒たちの上にお降りにならなかったとしたら...。
現実は、こんなものです。ですから、元気を出しなさい。ミサオさんを指導するために使う時間は、天国のための黄金になります。私を信じなさい。
お手紙の中に、言葉の勉強のためにあまり時間がないと言っていますが、一番良い勉強は、対話です。ですから、恐れないでください。
準備している演劇の成功を祈ります。私たちも、聖ヨセフの祝いのために六場の『ヨセフ』を上演するかも知れません。〔訳者注 どの作品か不明です〕
服装は、どうしますか。教えてください。
快活で、毎日誓願のことを思い出し、会憲を復習しなさい。毎日、祈りの中であなたを思い出します。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
関東・関西でのコンサート-カヴォリ神父の落胆
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)総会長様へ
宮崎一九二八年三月八日
親愛なる私たちのお父様リナルディ神父様、
この手紙で神父様と他の長上の方々に心からお祝い申し上げ、祈りをとおして私の愛情と、会憲を忠実に守り、神様の栄光と霊魂の救いのために働きたい決意を表したいと思います。(……)
神父様が常にご慈愛を示し、ご指導やあらゆる面でのご協力をくださいますようお願いいたします。今回、イエス様のみ教えに従って、① もう一度、言葉を学ぶ人材を、 ② 預金が少なく、日常のパンのため必要ですから、いくらかお助けをお願いいたします。仕事が増えれば、必要も増えるのです。
前の手紙以降新しいことはなく、会員は皆あらゆる面で元気です。神に感謝! 一番病気なのは、チマッティ神父です。身体の病気ではなく、別な面の病気です...。主は、私が建てた聖徳の城がいかに架空であるかを次第に示してくださり、私自身が皆無であることを以前よりも体験させ、明らかにしてくださっています。神に感謝! この惨めな私のためにお祈りください。
何名かの宣教師から頼まれたので、その事業を助けるために、支障がなければ、東京から門司まで十五日間のコンサート一周を引き受けました。彼らの気持ちを害せず、私たちをあまり偉い者にしないで(もちろん、音楽面では大した力がないことを彼らに言いましたが)、サレジオ会員、否、ドン・ボスコを知らせるためや、先輩たちの仕事を知るためにも、承諾した方が良いと判断しました。
先日、京都のある仏教新聞には「最近、日本には、新奇、かつ、独創的な方法で布教を始めた僧侶たち(私たちのこと!)が現われた」と書いてありました。ドン・ボスコ万歳!
時間があったら、以前から夢見てきた計画を神様のお恵みで実現したいと思い、今まで作曲した尋常小学校の教科書の歌を仕上げて、使節閣下を通して日本の教育界に紹介したいと思います。お祈りください。魂の救いのためであれば、成功するでしょう。
東京での演奏は、どうでしょうか...。まあ、東京人はあまり感激しないと思います...。でも、主の名によってやってみます。最悪の場合、「外国人だから、かわいそうだ!」と言って、喝采してくれるでしょう。しかし、しなくても...神に感謝!
神父様、私のためにお祈りください。それを必要としているからです。また祝福してください。
あなたの子ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
後書 - ただいま、この手紙を出そうとするとき、主は、サレジオ会員としての私の生涯の中で、一番辛い形で恥じるようにしてくださいました。善いカヴォリ神父は、自分の召し出しに疑問があり、帰国したいと言ってきました。神父様にも手紙を出すでしょう。原因はよく分かりませんが、私が彼を理解していないとか、宣教活動がうまく行かないとか、私があれこれを命令すべきだなどと言っています...。とても驚きます!
我が善いイエス様よ、チマッティ神父もやるべきことを見ています。でも、言葉の困難、知識不足などのため、やれないことを知っています。弱く冷淡な信者に対してもっとやれたのかも知れませんが...。私がいつも言うとおり、チマッティ神父はこの役目に向いていません。踊ったり、歌ったり、働いたりする者にしてくださればよいのに...、このような出来事で心身とも痛みます。
総会長様や管区長様にも手紙を出すように勧めました。そして、ドミニコ・サヴィオ(明日、その記念日です)と聖ヨセフが助けてくださるように祈っています。ああ、何と辛い、何と大変なこと!
7 宮崎県・大分県の「独立宣教区」
教区長チマッティ神父の新課題-日本の学校教育
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)総会長様へ
この手紙にあるとおり、この時点で宮崎県と大分県の宣教地区は福岡教区から分離され、「独立宣教区」にされた。これでサレジオ会の行動が聖座直属とされ、もっと自由になり、チマッティ神父は「教区長」となる。
宮崎一九二八年四月三日
親愛なる私のお父様
月の終わりですから、私の務めをはたします。
①(……)② 枝の主日に使節閣下の電報により、私たちが「独立宣教区 Missione indipendente」となったことを正式に知らせてくださいました。その手紙を待ち、やるべきことについての長上の指示やご指導を待っています。
リカルドーネ神父は、日本にとって死んだのでしょうか。
再度、言葉を学ぶ人材を派遣してくださるようお願いいたします。現在の会員は、毎日増え、難しくなる仕事に負われています。神父様は、彼らの健康状態はご存知です。このままでは、数年したら...お分かりでしょう。これは良い結果と言えるのでしょうか! 手紙で申し上げましたように、「送ることはできない!」とか、「ただいま準備中だ」とか、神父様かリカルドーネ神父がお書きになるのは、それほど難しいことでしょうか。そうなされば、私たちはどうすれば良いか分かります。しかし、今の状態では、どうみてもいけません!
③(……)中津と大分の会員は心身ともよい、と聞いています。神に感謝! カヴォリ神父は、時々神経の苛立ちを発散する必要があるようです。落ち着いてくると期待しています。他の面ではよろしいです。
チマッティ神父に関しては、(……)兄弟愛はすべてにおいて良いと思います。
愛情を強く感じますが、主がそうしてくださったのですから、戦いながらいつも自分自身を警戒しています。自愛心の面もそうです。自分の無知、未経験、力不足を明確に見てはいますが、神様の助けにより全く安心です。
今、他の問題はなさそうですが、皆は、信者が信仰に生き、そうでない人が信仰に導かれるように接したりして、私たちの事業が知られるように努めています。どうも、日本では集団よりも、個人的な働きが必要です。異教徒の中に生きているキリスト信者には継続的、否、日常的な支えが必要です。十五年、二十年も見放されてしまった信者たちには、根本からの立て直しが必要です。彼らが知っているのは、ただ洗礼を受けたことだけです。生活面では他の人と同じ、あるいは無関心で、迷った羊です。でも、関係を結ぶことはまだできます...。宗教教育、良い出版物、学校、先生、教会が必要です。信者の小さい群れのある所には、司祭や教会がなければ、日本では何もできません。
それなのに、神父様は、以前からこれらのことをご存知であっても、私が聖フランシスコ・ザビエルの手本に倣い願っている毎年三人の宣教師を、一人も送ってくださいません。これで私たちは、一九三〇年まで助けがないことになりますが、これは、ダメ、ダメ、ダメです。チマッティ神父は、これについて良心の呵責はありません。うるさくなるまで、繰り返しお願いいたします。
時間が経つにつれて、困難は一層明らかになってきます。私たちと同じように、親愛なるリカルドーネ神父も日本について素晴らしい印象を受けました。残念ながら、現実は随分違います...。日本の美しい漆の上塗りの下に、何と酷い現実があるのか! 今、中津では、子どもたちが教会に来ないように小さな迫害が始まりました。今まで熱心だった子たちは、急に消えてしまいました...。これはありうることですが、良いしるしです。でも、どうすべきでしょうか。トリノの本部から指示はなく、チマッティ神父の頭は余り知恵がありません...。
聖ヨセフの祝いに堅信を授けるためにティリー司教様が来られ、満足なさったようです。神に感謝!
最後に、マリア様の月、五月が良い月でありますように。その間、私たちはコンサートのため本州に渡り、神様の賛美を歌い、本会の事業や宣教活動を知らせ、信仰を伝えるようにします。東京、横浜、大阪、京都がドン・ボスコの子らを見、扶助者聖母マリアやドン・ボスコが大活躍なさるでしょう。私たちはジャガイモを投げられても結構です。でも、神様が称えられますように。私は東京の大きな会館で十二世紀の美しいイタリアのメロディー「Cristo risusciti in tutti i cuori キリストがすべての心に復活するように!」と歌いたいのです。その時、主がドン・ボスコと同じく、効果ある言葉を授けてくださいますように!(……)
もし早坂司教様を宮崎まで来させることに成功したら、マリア様のために大きな出来事となりましょう...。(……)
私のためにお祈りください。他の会員は皆善い人ばかりです。神父様は、この私の必要なことをよくご存知です。祝福してください。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
別紙 「日本の学校教育」〔一九二八年九月号Bollettino Salesiano 誌に記載〕
日本の学校教育について少し知りたい友だちのために書きましょう。
私たちが働いているこの日本の偉大さの要因の一つは、間違いなく教育に力を入れたことです。五十年前までこの国には学校制度がなかったのに、今は完璧な教育制度があり、学校の設備や附属施設が整備され、子供たちが喜んで、祭りへ行くかのように学校に通うため、家庭や国が学校を大事にし、法律でも奨励しているのは驚くべきことです。どんな市町村でも一番きれいな建物は塀や緑に囲まれた学校であり、日本帝国の文化を発展させた最大の要因が印刷物と学校教育の普及であると言えます。(……)
学校で行なわれる「運動会」を見て欲しいです。皆の顔や心を輝かせる彩りの飾り、歌、体操、喜びの祭りです。広い運動場に面しているどんな小さな学校でも、運動会は何日もかかって準備され、開催されます。
学問を高く評価し、献身的に教育に取り組むこの国民の姿勢がどれほど効果的であるかは、国家が教科書を通して宗教や道徳教育を規定していることからも分かります。(……)小学校では、修身、国語、歴史、地理、図画の教科書が文部省から出版され、全国のため統一されています。他の教科の教科書は自由ですが、文部省の検定を通らなければ使えません。
宗教教育は、公立、私立学校を問わず、中立であるべきだと規定されています。なお、強い国民を育てるために、宗教を無視してはならないという考え方も定着しつつあります。「日本帝国は、国を創った神々と先祖を敬うことを土台とし、道徳の基本は忠君と親孝行である。その目的は、国の威厳を高め、家族や国民の繁栄をもたらすことである。」と書いてあります。
教科書は、神道の土台であるこれらの原理に基づいて作られ、それらに仏教の土台である死後の生まれ変わりと報い、また人生の空しさの教えが加味されています。
修身の教えは、一八九〇年、明治天皇より発布された教育勅語に基づきます。有名人の模範、日常生活の良い手本、未来の市民を形成するための名言などがそれを説明するために用いられています。
年度の初めと国の祭日には、敬虔にそれを聞く全校生徒の前で天皇陛下の勅語が朗読されます。(……)〔注 ここで教育勅語の一部が引用されている〕
以上のことを少しでも考えれば、これらが宣教活動の進展を妨げる一つの原因であることがお分かりになるでしょう。このためにも、この国の宣教のために多くの方々の祈りと協力が必要です。
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
宣教師への手紙
宮崎一九二八年四月四日
親愛なる兄弟たち
次はローマから届いた電報です。「教皇様は宮崎県と大分県を福岡教区から分離し、独立宣教区とされた。ガスパリ枢機卿Card. Gasparri。」
何かを決定する前に、設立の公式文書を待ちましょう。それにより条件が分かるからです。祈りながら働き、聖人になるようにし、まだ外部の人に話さないようにしましょう。
もうすぐ復活祭です。兄弟たちよ、私たちもイエス様と共に、より充実した聖性、仕事、祈りの生活へと復活し、何も恐れないで働きましょう。「Qui seminat in lacrimis, in exultatione metet, 涙のうちに種蒔く人は、喜びのうちに刈り取る」...。この地上で刈り取らないにしても、天国で刈り取ることになるでしょう。
皆さん一人ひとりの魂の必要に応じて、神様のお恵みがあるように祈ります。私のためにもお祈りください。アレルヤ。
皆さんのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
悲しい出来事
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)総会長様へ
この手紙には、大分教会で起こった不幸な出来事が報告されている。問題を起こした修道士D.M.氏について、今までも「まじめで孤独を好む」と書いてあったが、事後の調査では、以前、家族に精神病の例があったことが明らかになった。十月に帰国し、次年イタリアで亡くなった。
宮崎一九二八年四月八日
親愛なる私のお父様
復活祭の儀式が終わり、静かなひと時を利用して、神父様と共に喜びと苦しみを分かち合いましょう。
① まず、独立宣教区設立の電報をお知らせします。(前ページと同じ……)
② 使徒職から得た喜びには、今日授けた二つの洗礼があります。
③ 日常生活の苦しみは不足しませんが、その中には神父様の心を深く悲しませるタンギー神父の同封の手紙が伝える大変重大な出来事があります。話題の病人〔D.M.修道士〕は、今、快復していると言うより、前ほど悪くない状態です。それにしても、自殺に関して世界一だと言われる日本では、お分かりのとおり、もし神様がこのような災いをお許しになれば、私たちの信仰や修道会にとって完全に痛手となるでしょう。どうすれば良いのでしょうか。緊急なことなので、この類の病院が日本にあるかを調べていますが、(どうも、治る見込みのある人だけを受け入れ、他は家族に任せるようです)、ご承知のとおり、この類の病気は再発する傾向があります。どうしましょうか。すぐにドン・ボスコと扶助者聖母マリアに九日間の祈りを指示し、聞き入れてくださると信じます。しかし、チマッティ神父が未経験であり、とても遠いので、ご指導が必要です。
千ドルを送ってくださったことを感謝いたします。しかし、他に寄付が来なければ、どのぐらい持つかお分かりでしょう。ここの収入源は、使節閣下や米国のボストン宣教協会が送ってくれるミサの意向の献金しかありません。それも、いつもあるわけではありません。でも、神様の御心はこれまで不自由をさせてくださいませんでした。これからも助けてくださるでしょう。(……)
天のお母様が長上の皆さんにこの宣教地のための良い解決策を勧めてくださいますようお祈りします。すぐにでも、シスター方の派遣をお考えになっても良いです。その活動のために広い道が開かれています。まず、幼稚園や裁縫学校が始められます。我がお父様、待てば待つほど時間は無駄になります。特に、言葉の難しさと戦っているこの地の場合、遅れることは大変な損です。小さな一歩で始めて良いのですから、どうか、始めましょう。
私のために神父様の特別な祝福や、皆のためのお祈りをお願いいたします。
あなたの子ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
後書 - 神様に召された私の兄のための祈りを感謝いたします。
私も小さき聖テレジアを愛しています。この小さな聖人を大変尊敬している宣教師〔ブスケBousquet神父〕に頼まれて、日本カトリック信者の最初の詩人三木露風氏が作詞した歌詞に基づいて、八つの歌を作曲しました。
扶助者聖母会の志願者のグループも、この聖人の保護の下に置かれています。
〔訳者注 聖テレジアの八つの歌が載っている『小さき花を讃美する歌』という本は、昭和三年五月十日、兵庫県西宮天主公教会シルベン・ブスケにより出版され、五十五頁である。これらの歌と三木露風の詩を紹介するCDは二〇〇四年にできた。〕
ジャルディーニ・マリオ(Giardini Mario)司教、教皇庁使節へ
宮崎一九二八年二月十日
尊敬すべき使節閣下、
先日送ってくださった独立宣教区設立のお知らせとお勧めを感謝いたしながら、私たちの家族を襲ってきた悲しい出来事をお知らせし、ご指導を願いたいと思います。
チマッティ神父はいつもご迷惑をおかけいたしますが、今回、長上に連絡したうえ、イタリアが遠いので、またお助けとお勧めをお願いいたします。
実は、大分教会の私たちのD.M.修道士は、心身とも衰弱し、先日の夜、発作的に自分の腕を傷付け、動脈を切ろうとしました。幸いに感染していませんが、衰弱状態にあり、どうしても休息や転職、また場合によって帰国を必要とします。これは、心配や恐怖感からくる精神的な病です。司教様はこのような事件の重大さがよくお分かりです。特にこのような国で、教会や修道会にとって大変な結果が生ずる危険があります。
どこか、治療できる場所がありませんでしょうか。長上の返事が来るまで、何を勧めてくださいますか。このかわいそうな人を助けるためにお願いいたします。私たちはこの兄弟のために熱心に祈っていますが、人間的な計らいも必要です。喜びの時も悲しみの時も、どんな場合でも「主の御名が賛美されますように、Sit nomen Domini benedictum!」
ティリー司教様は、お送りになった電報を受け取った、と知らせてくださいました。十七日に別れのコンサートのために長崎へまいりますが、人々の救いのために一層一致したいと約束いたしました。
十字架をもって試されているこの宣教地と私のためにお祈りください。閣下がおっしゃったとおり、「Dant vulnera vires、傷付いたら、力が湧く」のです。
尊敬をもってヴィンチェンツォ・チマッティ神父
8 関東・関西でのコンサート
大成功だった二十二回のコンサート
ジャルディーニ・マリオ(Giardini Mario)司教、教皇庁使節閣下へ
この手紙で、関東や関西地区で行なわれたコンサートのことを報告する。これらのコンサートが可能となったのは、使節閣下の推薦によることであった。
西宮一九二八年五月十六日
敬愛なる司教様
本州を離れる前に、神様がこの活動を成功させてくださったことをはじめ、親切な心で応援してくださった使節閣下に感謝いたします。二十二回コンサートを開催し、二回宗教儀式を司式しました。来場者は一回平均千人と推定されます。大阪のカスタニェー(Castanier)司教は小冊子を準備し、『明治天皇御製(ぎょせい)』と『昭憲皇太后御歌(みうた)』と一緒に皆に配り、二万部すぐに品切れになりました。どこでも喝采、アンコール、花束...皆良い印象を受け、霊的な効果もあったと思います。
宣教師たちの収入は幾らだったか分かりませんが(私たちに関係のないことです...)、私たちには献金が僅かで、気苦労は多かったのですが、出会いも多く(人、場所、良いや良くないこと)、人々の救いのために協力できたことの喜びは大きかったのです。
私個人の印象。
a) 東京教区の宣教師たちの一致が足りないようです。
b) 大阪教区の方は真の兄弟愛が見られました。
c) コンサートにより、宣教師たちは以前入れなかった場所や知らなかった人々と関係を結び、近づけなかった一般市民に話しをすることができ、良い宣伝になりました。
d) 将来、サレジオ会員にとってコンサートは収入源になるかもしれませんが、現地の宣教師たちとの利害関係があり、慎重にやる必要があります。
e) 多くのことを学ぶ良い機会でした。神に感謝! これも応援してくださった司教様のおかげです。それがなかったならば、私たちだけでは動くことができなかったでしょう。
コンサートの開催場所と回数は、横浜二回、東京二回、西宮とその付近四回、北野一回、舞鶴二回、加悦一回(信者がいない所)、和歌山二回、柏田一回、神戸一回でした。(……)
司教様の御祝福をお願いいたします。
敬愛をもってヴィンチェンツォ・チマッティ神父
コンサートが行なわれた日時と場所
『カトリックニュース』(当時のカトリック新聞である)
昭和三年六月十七日号には、関東地区で行なわれたコンサートが紹介されている。日程は次のとおりである。
四月二十八日、二十九日 横浜山手御心天主堂建設のため、紅蘭女子高等学校において
五月一日 昼夜二回、大森カトリック教会主催、鎌倉の訪問会の病院建設のため、明治神宮外苑日本青年館において〔注 山本信次郎師が一行を紹介した〕
五月三日 静岡で一回
大阪カスタニェー(Castanier)司教の小冊子
二万部も配布された小冊子には、関西地区のコンサートの日程が次のとおり記載されていた。
五月五日と六日 午前中と午後三時より、西宮夙川教会において
両日とも夙川聖テレジア天主堂建築のため〔注.この時、『小さき花を讃美する歌』が発行された〕
七日 大阪市北野教会伝道館において
八日 午後二時より舞鶴明倫小学校の生徒のため
午後七時より府立舞鶴高等女学校講堂において一般市民のため
九日 午後一時より宮津暁星裁縫女学院の生徒のため
午後七時より同じく、同窓会主催で一般市民のため
十日 午後七時より加悦町の青年団主催で、小学校講堂において一般市民のため
十二日 午後七時より大阪玉造教会主催で、朝日新聞社後援、朝日会館において
十三日 午後一時半より奈良公会堂において、ビリオン神父の六十周年祝いのため
十四日 午後二時より和歌山師範学校講堂において、同校生徒のため
午後七時より同じく、和歌山教会主催で一般市民のため
十五日 午後二時より大阪府泉南郡岸和田教会主催で、高等女学校において
十六日 午前十時より西宮教会主催で、西宮市立高等女学校において
午後一時より甲南高等女学校のホールにおいて
十七日 午前九時より神戸下山手教会においてミサ聖祭とコンサート
午後七時より神戸県会議事堂において
宣教師たちへの感謝と新しい課題
宣教師たちへの手紙
宮崎 一九二八年五月二十日
兄弟たちよ、
あと数日で、お母様のお祝いです。この機会に皆さんのために心を込めて祈り、私たちや人々の心の中に、扶助者聖母マリアに対して、子のような信心を培うようにしましょう。(……)私たちが寛大であれば、女王であられるマリア様も私たちに対して寛大でしょう。
私たちに関係のある幾つかのことをお知らせし、扶助者聖母マリアの祝いが近く、聖霊降臨祭準備の九日間中、ご意見を伺いたいと思います。マリア様が私たちを助け、聖霊が熱意を燃え立たせてくださるように。
① まず、コンサートの仲間たちに心から感謝します。主がその犠牲をご存じですから、大いに報いてくださるでしょうが、特に留守番の兄弟たちに感謝したいと思います。彼らの仕事が増え、負担も大きかったからです。ご苦労を分かっておられる主が報いてくださいますように。
② リカルドーネ神父からの手紙には、人材の派遣、シスターの派遣、事業の発展のため、養成支部を考えてくださると書いてあります。そのために敷地の購入、建物の設計、予算の確保が必要です。
これらの新課題を目の前にして、どう準備すれば良いのでしょうか。
a) まず、必要な人材の選択のために、み摂理が長上を導いてくださいますよう祈りましょう。
b) 派遣される会員が言葉を学び、宣教生活に慣れるために、あらゆる方法で協力しましょう。
具体的に何が役立つのでしょうか。修練者と哲学生のため、四、五十名を収容できる建物が必要でしょうが、他の必要なことも考えるようにしましょう。
本州への旅は、教会や宣教師たちを知り、私たちの事業を知らせるために役立ちました(だが、やるべきことはまだ山ほどあります)。宣教師たちの素晴らしい仕事、世界や、宣教活動を導かれるみ摂理の道を知るための良い勉強にもなりました。私たちがドン・ボスコに忠実であれば、主がどれほど広い活動の場を準備してくださるかということも知ることができました。
皆さんは必要な休息を十分に取るようにし、善いサレジオ会員として元気を出して、扶助者聖母が恵みを取り次いでくださいますよう祈りましょう。いつも皆さんのことを想っている私のためにもお祈りください。
皆さんのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
名誉職への強い抵抗を表す
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)総会長へ
チマッティ神父は、以前から自分が長上の役目に向いていないと主張しているが、いつか設立される宮崎と大分の知牧区(準教区)の教区長に選ばれる可能性があり、閣下(monsignore)〔注 カトリック教会の長上、司教などに対する敬語〕にされることを耳にした。この手紙で自分の気持ちを表す。
宮崎 一九二七年六月九日
敬愛なるお父様
前にお知らせしたコンサート一周は、多くの方の協力と祈りのおかげで大成功で終わりました。そのために便りが遅れてしまったのです。(……)今回、申し上げたいことはたくさんあります。まず、私個人の報告です。
今月は独りで静修を行ない、前の晩の黙想を忘れてしまいました。
健康は良好です。コンサートのおかげで若返ったような気がします。
勉強と仕事はあり余る程ありますが、成し遂げるために何が必要であるかは、主はご存じです。(……)これから助け手が来てくれるので、慰めになります。でも、実際に使えるのは...。ともかく、神様がお考えになるでしょう。やれることをやるようにしても、残念ながら、すべてには及びません。(……)
会憲や誓願の遵守については重要なことはありません。やはり、自分の感覚をもっとコントロールする必要があります。目や想像がいつも働いていて、心が散漫になります。意図的ではありませんが、いつも心がつまらないところに行ってしまうのです。
私の務めのことですが、私が目上の役目に向いていないので、人の指導はできません。神父様のお手紙では大変なお説教をいただきましたが(是非、しばしばそうしてください!)、私が提起した良心上の問題の解決にはなりません。何回も同じ問題を出すのはそのためです。私の心の中に何があるか私にも分かりません...。生まれ故郷ロマーニャRomagna 地方の革命的精神なのでしょうか...。私は、目下の立場で仕え働いている人が好きで...、必要により長上の立場にある人を哀れんでいます。そして、自分がその一人だと考えると(自分の傲慢を誘うことがあるにしても)強い抵抗を感じます。嫌だと思うからこそ、抗議したり、文句を言ったりします...。私にとって、長上がこの世の中の一番かわいそうな人であるのに、なぜ、チマッティ神父はその立場にならないといけないのでしょうか。
もうひとつの問題は、閣下monsignore〔注 カトリック教会の長上、司教などに対する敬語〕やその服装です。(暴言になるのでしょうが、言わせてください。)私にとって、これらは芝居、喜劇です(神父様の霊名の聖人である聖フィリポが枢機卿の帽子をもらったとき、なぜ、あんなことをした〔帽子を窓から投げた〕のですか)。神父様は、色鮮やかな服を着飾ったドン・ボスコやルア神父を想像できますか。考えられませんね! 私も! さらに困るのは、その立場の人は教皇様の任命や許可があるにしても、事実上サレジオ会から半分出たことになることです。良い結果ですね! 神父様は、きっと、「信仰をもって十字架を運びなさい」と私におっしゃるでしょう。決定があったら、そうしましょう(けれども、自分の考えに従いたい人ならば...。実際、拒んだ聖人の例がありますし、そうする権利もあると思います)。
チマッティ神父は、言われたことに従います。けれども、心の中に以上述べたことをはっきりと自覚し、能力がないことも確信し、遠隔地に飛ばされたことも感じていますから(それ以上のことに値する者です!)、お父さんの心を持っておられる神父様は、私の気持ちがお分かりでしょう。
チマッティ神父の霊魂は、違うことを必要としています。神父様は、「従うことだけが必要だ!」とおっしゃるでしょう。私はそうします。でも、事実が明白ですから、主が命を与えてくださる限り、同じことを繰り返します。たくさんの悩みを持っていらっしゃる神父様にこれも加えるのはよくありませんが、やむを得ないことです。(……)
誓願のこと。従順に関しては(前述のことは従順に反しないと思います)また貞潔に関しては、問題はありません。清貧に関しては(前述のことにも関係がありますが)私は財務に向いていません。これも明らかです。その役目を経験したことがないのです。私は、もしも必要のある人見たら、お金があれば、すぐに上げます。その結果、いつも財布が空っぽです。(……)
お金の問題は、私にとって一番の悩みです。私の心を打ち明けましょう。私はとても貧しい家庭で生まれ、重大な役目に慣れていません。いつもドン・ボスコのオラトリオでの初期の英雄的な生活を夢見ています。主が丈夫な体を与えてくださったので、特別な配慮が要りません。私の心の中には、清貧の精神に基づいて食べ物や建築などに関してどこまで許されるかという疑問を感じ、常に戦っています。トリノの本部やクロチェッタ(Crocetta)の神学院の建築や便宜さなどが目の前に浮びますと、ドン・ボスコの生き方と比べてしまいます...。もちろん、法律や家庭の要求などを考えるべきですが...、正直に言って私にはよく分かりません。ですから、長上の立場で判断すると、いつも惑うのです...。
私個人ならば、大した物は要りません!...しかし、ここの会員たちはほとんど皆病弱です。彼らに対してドン・ボスコがこの場合に勧めていた待遇が必要です...。神父様は、「会則に書いてあるとおり、建築に関しては長上が承認したこと、待遇に関しては会則に書いてあることを守りなさい」とおっしゃるでしょう。当然、忠実にそうします。しかし、ご存じのとおり、紙の上のことと現実とは違うことがあります。ですから迷うのです。(……)
他の新しいニュースは、別紙でサレジオ会ニュース(Bollettino Salesino)
のために詳しく書いています。前述のコンサートにより貴重な出会いができ、多くの宣教師の模範的な仕事に触れ(素晴らしいことですが、人材や手段が満足に無いので、目的達成には時間がかかります)、サンモール〔雙葉〕のシスターや聖心のシスター、マリア会の大きな学校〔暁星〕を見学しました。彼らは上流階級のために働き、数千人の生徒や多くの収入があります。信仰面では直接の効果は少ないでしょうが、間接的な実りが多いようです。建築は五十万、百万円のもの、大都会の土地は坪当たり百円、二百円、四百円、五千円まで高いものです。
関東地区のカトリック団体は強いですが、仕事に関して団結が弱く、それぞれ別々に働いています。その面、大阪教区の方は団結も兄弟愛も強いのです。
サレジオ会員は望まれ、期待されています。パリ外国宣教会の年配の宣教師たちはパリでドン・ボスコを見たことを思い出す人が多いですし、皆ある程度私たちの事業を知っていますが、理解は深くありません。(……)
サレジオの『協力者会の会則』を翻訳し始めました。この組織も始じめないといけないでしょう。ドン・ボスコの列福のため、より詳しい『ドン・ボスコ伝』も準備中です。翻訳には四百~五百円かかりますが、使節閣下がご自分で負担してくださるとおっしゃっています。東京の青年会も印刷を考えてくれると言っています。もちろん、著作権は彼らのものになります。私は払うお金がありません。また、とても役立つものだと思うドン・ボスコが著した『ドミニコ・サヴィオの伝記』の翻訳も完成しました。しかし、資金が無くて...。五千リラかかるので、あちらこちらの団体の協力を願っています。年内に出版できると期待しています。宮崎・大分両県の信者をまとめるために『ドン・ボスコ』という機関紙も始めました。離散している信者が多く、月一回でもみ言葉を聞かせたいのですが、それができず、少なくとも印刷物を通して届けることにします。これを維持するためにどうすれば良いか分かりませんが、とても必要ですから...。異教の環境の中にいる信者たちは本当にかわいそうです!(……)
世界中で、宣教の面で日本ほど放置されている国はありません。私にはとても不可思議です! 長崎の九万人の信者は善い人ですが、使徒ではありません。多くの島々に固まり、飢えを忍んでいます。もし他の所に移ったら、信仰面で自立できず、自分に閉じこもるか、あるいは信仰を失います。生きるために工場地帯に移住する多くの青年たちの信仰は失われます。
我がお父様、これが私たちの生きている現実です。信者がいる所に、特に大都会に、もし教会、宣教師、若者のための施設がないなら、日本の回心を望むことは不可能です。女性の哀れな状態については言うまでもありません...、そのためにシスターが来てくれるならば、神様に感謝いたします。私は、決して、大げさなことを言っているのではありません。お願いです、東洋を救う鍵を握っているこの日本を至急にお助けください。
今回は長すぎたかも知れません。私の言葉は分かりにくく、失礼だと思われることもありましょうが、私がお話しているのは、私たちや任せられた人々の救いのためにご理解の心をおありになる善いお父様です。決して、話すために首を伸ばす必要のある方、高い燭台の上位に座っておられる方に向かって話をしているのではありません。(……)
親愛なるお父様、これで終わりです。書いたことは、決して口先だけではないことが、よくお分かりです。私や任せられた人々のために大きな利益をもたらしますよう、この文書をマリア様にお委ねします。
神父様の祝福を願いながら、心から抱きしめます。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
ソルド・アントニオ Sordo Antonio 神学生へ
宮崎 一九二八年六月十二日
我がアントニオ君
明日、君の霊名の聖人の祝日だ。君は長い間手紙を書いてくれないが、君と一緒に短い時間を過ごすことは私にとって快いことだ。他にも書いてくれない人がいるが、君もその仲間か! 親友がチマッティ神父に書かないのは、仕事のために書く暇がないためか(それは通らない理由だが)、あるいはチマッティ神父に知らせたくない何かあるためだろう。君は、どっちの方だろうか。
我がアントニオ君、君の手紙がどれほど私にとって励ましになるか分かっているか! 当たったか。君にはうまく行かないことがあるためなのか。あるいは今ひと時、心が暗くなっているためか。なぜ、書かないのか。チマッティ神父が怖いのか。
さあ、君の健康、勉強、音楽、そして望むならば心の状態についても書きなさい。ヴァルサリチェ時代のように、イエス様は君のことを喜んでおられると思う。我がソルド君、イヴァルディ(Ivaldi)君には、君に拳骨をくれるように頼んだ。それは、チマッティ神父を思い出すためだ。
私のために祈り、祈りなさい。
君のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
教え子への霊的指導
ゴバト・ジュセッペ Gobbato Giuseppe 神学生、教え子へ
宮崎 一九二八年六月十五日
親愛なるゴバト君
友だちの名前にその近況を添えてくれたことを感謝する。祈りの中で彼らを思い出すためになる。皆を思い出して考えたりしているのだよ! 君の祈りもありがとう!
君がチマッティ神父を十分に知らないから、私と同じような人になりたいと言う...。主が許してくれるように! もし君がチマッティ神父を知っていたら...。私をよくご存じである主は、私が二万キロ離れていたら、我がジュセッペ君に悪い影響を与えなくなることがお分かりになったのだ。
お手紙ありがとう。快活で、私のためにたくさん祈り、仕事、仕事、仕事をしなさい。
君のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
宣教地の現状報告
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
前述のとおり、日本のサレジオ会の事業が中国から分割され、準管区にされこれについて通知がなかったため、チマッティ神父の心に誤解が生じた。
なお、この手紙には、宣教師のための日本語の文法を作ったと書いてあるが、これは、一九三〇年イタリアのFoglizzo Canavese で印刷された“Appunti di grammatica giapponese” という小冊子である。チマッティ資料館に一冊が保存されている。
宮崎 一九二八年七月九日
敬愛なるリナルディ神父様
時々、遠くにいる子たちにお手紙を書いてくださることを感謝いたします。
チマッティ神父は知りたいことがあります。
① 中国の管区長に関して、私たちの立場が変わったのでしょうか。カナゼイ(Canazei)神父は変わったと言っています。けれども、指示を受けない限り、また自分の権限を知らない限り、それが変わらないと、チマッティ神父は思っています。たとえば、今、メルリーノ(Merlino)修道士の誓願の問題があります。また、長上から送られてきた年間報告の用紙についても、私は管区長に送るべきものだと思い、管区長に送りました...。
② 独立宣教区に関しても、正式の設立文書が来ない限り、私たちの長上は福岡の司教だと思っています。使節閣下も同意見です。
次は、今月の私の報告です。
健康は良好です。
仕事は、髪の毛の先まであります。今、来日する新しい人たちのために伊和辞書を準備しています。文法はもうできました。典礼用語の辞書もできています。(……)
私たちの仕事は少しずつ進み、求道者の数も増えました。しかし、日本の受洗者の数は他の宣教地と同じ基準で判断してはなりません。言葉や資金等に関して困難が多く、教育事業もありませんし、それができるまでは何年もかかるでしょう。
我が善いお父様、信じてください。イタリアでの宣教地のためのキャンペーンは、日本のためにやるべきです。ここでは、お金は億単位で必要です。人材も、とくに邦人の人材がとても必要です。召し出しに関してはどう言いましょうか。志願者を試して見ましたが、三人来て三人去ってしまったという結果でした。今は、さらに四人の青年が希望しています。今日は、その中の一名を大分に送ります。もしかしたら、来年、一名を神学校に送ることができるのかも知れません。日本人の若者の一番大きな困難は、傲慢と移り気だと思います。情欲もあるでしょうが、特に移り気が問題です。修練院ができれば、召し出しも増えるでしょう。
シスターのための召し出し数名に目を付けていますが、同じような困難があるでしょう。
人材とお金があれば、高鍋(八つの家族)と田野(信徒五十名)の二つの新しい教会が始められます。今、やむを得ず、ミサのため、田野には月二回、高鍋には一回それぞれ行くことにしています。かわいそうな信者! この状態では信仰を守るのは大変です。宮崎県には、離れた所に住んでいる同じ状態の信者が百人ぐらいいて、その多くは名だけの信者です。神父様は、「これ以上悪い状態の宣教地がたくさんある」とおっしゃるでしょう。それにしても、これほどの精神的困難を抱えているこの日本が、一番見放され、一番宣教師の少ない国です。長上に助けをお願いいたします。
以上は、私たちの現状です。仕事が停滞していることが私たちの責任ではないにしても、霊魂が失われて行くことは納得できません。もし、言葉の難しさをよくご存じの長上が助け手を送ってくださったならば、今はこの状態ではないはずです。今年は、一グループを送ってくださるようですが、実際活動できるようになるのは一九三〇年です。そう思うと、悲しくなります。
これで終わりです...、でなければ切りがありません。個人的な問題には触れないことにしましょう。ただ、皆が安心できますように、最初の二つの質問に早くお答えください。イタリアの会員たちにお話なさる時、難しい環境にあるこの宣教地のために祈ってくださるようお勧めください。困難に打ち勝つには、祈るしかないからです。
私のためには何も願いません。ただ、祈り、祈りと特別な祝福を。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
教え子への霊的指導
グリゴレット・ジュセッペ Grigoletto Giuseppe 神学生へ
宮崎 一九二八年七月十七日
我がグリゴレット君
君の病気のことを聞いて悲しんでいる。天国のための功徳を積むことになるだろう。君が日本のために尽くしたことは、病気になったことに関係あるのかしら。心からありがとう!
バルビ教授のことを気にするな。君を慰めるために、今、私たちが完成した仕事の見本を君に送る。これから、実践を通して改訂し仕上げてから、数年後これを印刷するつもりだ〔注.前述の文法のことである〕。今は、さらに辞書を手がけている。バルビ教授は一度も手紙を書いてくれていないが、これは君の責任ではない。
落ち着いて、心配するな。私が君に赦すべきことは、何もない。もしどうしても赦してもらいたいのなら、赦しと共に天のお母さんの祝福も送る、また君を抱きしめて、毎日兄弟として君のために祈る。
私のために祈ってくれとは言わない。やってくれていることを確信しているから。快活で、健康の快復に気をつけ、良い黙想会ができるように、また新年度がうまく行くように君のために祈る。今度は、神学の勉強を始められるのか。
ここは、新しいことは何もない。仕事が増えるばかりので、千人の宣教師がいても皆のために仕事がある。実りはどうだろうか。主がそれをご覧になれば結構だ。日本では、仕事の実りを見たい宣教師は不幸だ。そういう人は、自分の国に残ったほうが良い。私は、人の形成のために三十年も働いてきたが、日本人のような特徴のある人々に出会ったことはない。
神様は、きっと助けてくださる。祈りなさい、また人が祈るようにしなさい。モリャノ(Mogliano)の支部の会員皆、皆、皆によろしく。
君のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
中国サレジオ管区との関係-別府の地獄-ロス司教の叙階式
リナルディ・フィリポ (Rinaldi Filippo)神父へ
この手紙の別紙にあるとおり、別府教会のための活動は、一九二八年にさかのぼる。なお、同じ所にヨハネ・ロス司教の叙階式への参加とコンサートのことが書いてあるが、当時の広島教区の司教館は岡山にあった。イエズス会員のロス司教は、チマッティ神父の親友であった。
宮崎 一九二八年七月二十九日
親愛なるリナルディ神父様
近日、もう一度私たちのことについて書きます。今は、正直に言って、メルリーノ修道士の誓願の手続をどうすれば良いか分かりません。管区長が書類を送り返してきたので、私はトリノに送ります。もしこのことで拳骨に値するのであれば...喜んでいただきます。(……)
ご覧のとおり、私たちは、管区からも教区からも見放されたため中途半端になり、今は前よりも悪い状態になってしまいました。管区長の方は私たちを切り離したし、司教に対しては私の方が間違いを侵さないために何も変えていません。私たちの立場はハッキリしないわけです。
ご照会ください。私としては、いろいろな理由で楽しんでいますが...、メルリーノのこともあるし、会員たちも「私たちは誰に属しているか」と質問しています。チマッティ神父は差し出がましいことはしたくないのですが、これは、傲慢なのでしょうか。私が狂っているのでしょうか。しかし、長上に対する管区長の手紙も正しくありません。私が願うのは、自分の新しい任務を教えてくださることだけです。それは、にも書いてないのです(お手紙が迷子になったのでなければ...)。この状態での私の義務は、長上の助けを願うことです。そして、長上の務めはそれを与えること(すみませんね)。これはまた、私の権利です(これもすみません!)。こう申しあげるのは、私個人のためではなく、愛すべき会員たちのためです。
近いうちに、また手紙でお目にかかりましょう。私のためのお祈りと祝福をお願いいたします。
全くあなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
別紙 〔Bollettino salesiano 記載一九二九年一月号〕
(……)地獄の中 - 親愛なる神父様、この言葉を聞いて驚かないでください。こう呼ばれるのは、裕福な日本人が休息や健康快復のために訪れる素晴らしい海岸に恵まれ、日本一の温泉を有する、海に面した大きな町にある場所です。「地獄」と呼ばれる場所には熱い湯が湧き出、日本人がその中に入れた赤鬼が煮ているかのに時々姿を現わします。
この町には、数家族の信者しかいませんが、季節になりますと、他の地方からも信者が集まり、外国人の信者も来ます。それで、み言葉を蒔くための良い土地です。別府というこの町は、娯楽の場所、また苦しみの場所でもあります。苦しむ時、人々は人生の問題に気付き、よりよく理解できるようになります。
ある日、フランスの大使だったポール・クロデール氏が別府を訪れ、歓迎してきた市当局者に「この町に、「カトリック教会がありますか」と質問しました。そういうわけで、私たちは、自分たちに任せられているこの町で活動が始められるように小さな家を借り、日曜日と水曜日に、大分の会員たちが福音宣教のために訪れることになりました。
この新しい事業を知らせるためにコンサートを開催してみたら、多くの人々が集まってきました。そして、鬼たちがお湯の中で煮ている間、私たちは、人々の心の中にイエス様が植え付けられるように、扶助者聖母マリアとドン・ボスコの助けを願いました。(……)
親愛なるお父様、ただ今(八月七日)、マルジャリア神父とともに岡山市から戻ってきたばかりです。岡山では、(八月五日)代理区の新教区長に任命されたイエズス会のヨハネ・ロス(Ross)司教の叙階式に音楽をもって協力しました。夕方には町の大ホールでコンサートが開催され、大部分キリスト信者でない千六百人ほどの入場者の前で、邦人として最初に司教となった早坂久之助師の素晴らしい講演が行なわれました。主が日本に新しい牧者をくださり、教会のチャンピオンであるイエズス会に任せられたこの大事な地域に豊かな実りがもたらされ、新しい活力が吹き込まれることになるでしょう。
親愛なるお父様、神の国が広められていることをお喜びください。けれども、日本が宣教師を一番必要とする国であることを忘れずに、お助けくださいますようお願いいたします。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
日本の学生の夏休み
ヴァルサリチェ学院の神学生たちへ
この手紙を宛てられたヴァルサリチェ学院の神学生とは、チマッティ神父の教え子たちではなく、来日後入学してきた新入生である。指導していた先生は、トネリ(Tonelli)神父という理科の先生、チマッティ神父の同僚であった。
宮崎 一九二八年八月二十日
ヴァルサリチェの我が友、学生の皆さん
楽しい夏休みを! 試験の準備により休息の時間が無くならないことを期待しています。立派に試験をパスした人たちも本を忘れないでください。
日本の仲間たちの夏休みは七月二十日から八月三十一日までです。過ごし方は世界中どこでも余り変わりません。海や山へ行くことが同じですが、日本には海も山も多いので、簡単に行けるのです。できる人はハイキングもしますが、大部分は月謝のためにアルバイトしたり、勉学欲が落ちないよう、いろいろな報告もあって、定期的に登校させられています。テニスやサイクリングもしますが、一番好むのは水の中にいることです。勉強は、それほどしないようです。日本の学生はおとなしい性格です(彼らにとって、私たちはあせっています)。言葉が彼らにとっても難しいから、ゆっくり進みます。この頃、軍からの一時的召集もあり、休み中でも生活は普段とあまり変わりません。
私は今、少しの涼しさを楽しんでいます...、片手にはハンカチを(夏には何に使うかお分かりですね)、片手にはペンを握りながら...、開けた窓から夕暮れの涼しいそよ風が入って来ることを願っています。(……)
毎日、君たちを思い出しています。嫌でなければ、また長上が許せば、喜んで毎月手紙を通して会うことにしましょう。
君たちのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
教え子への霊的指導
ソルド・アントニオ Sordo Antonio 神学生へ
宮崎 一九二八年八月二十六日
我が親愛なるソルド君
お手紙ありがとう。私が使う便箋に驚かないでね。手元に青年会の今月のプリントしかないのだから。私は、君の返事が遅れていることに驚くことはない。君はいつもそうだったのだから...安心しなさい。チマッティ神父に書くため、睡眠不足にならないように気をつけなさい!
君が黙想会で心を整理し、立てた決心により少なくとも次ぎの黙想会までがんばれると、私は期待している。今の神学生は、自分の時代とは違うと君は言っているが...、どうだろうか。君たちが最高だったと思うのか。それなら、進歩はどうなるのか。
私との関係が薄れて行くことを君は不思議に思っているようだが、それは当然だ...。「目から離れると、心も離れる」という諺のとおりだ。いつまでも絶えない友は、イエス様ただお一人だ。
① 神学の勉強に真剣に取り組むようにと、もう一度頼む。それは土台だ。将来、後悔しないため、今、よく勉強しなさい。
② 音楽に関しては、君はチャンピオンになったことはない。それは、管区長の言うとおりだ。
③ 長上に関する君の判断を聞いて、私は笑いたくなった。君は問題をよく分かっていないから疑問に思っているのだ。現在、メキシコで教会を迫害しているカリエスCalles でさえ、神の権威を代理していることを思いなさい。
a) 下にいる私たちの務めは、長上を裁くことではなく、会憲に従って命令された時、従うことだ。...それだけだ! もし、君の意見で、長上が間違った命令をしたのなら、君は正しく従いなさい。最後の報告の時、神が君にお問いになるのは、他人が何をしたかということではなく、君が何をしたかということだ。
b) 信頼には、自然的な面(シンパティー、気が合うことなど)と、意思による面とがある。前者がなくてもかまわないが、後者は必要である。会憲が要求する報告なら、誰でもできる。また、必要な時、管区長もいるし、会の長上もいるのではないか。
c) 問題になる司祭や神学生のこと...これは惨めな人間のことだ。我が神学生たちよ、もし自分たちの務めを果たしていれば、このような問題が起こるはずはない。長上にとって「無駄な神学生」はいないのだ。大切なのは、悪魔に戦いを挑むこと...。さあ、蹴っ飛ばしなさい。
d) 「洗濯をする女たちは、自分の使う石にいつも満足しない」というピエモンテ地方の諺がる。君もそうだ。仕事が変われば、すべてがうまく行くと錯覚している。修道者の幸せは、従順にある。三十二年も修道生活を営んできたチマッティ神父に言わせなさい。いくらか分かっているつもりだ。若者が自分を慕ってくれることで満足するな。これは感情にすぎない。主から愛されることを望みなさい。
ボヴィオ(Bovio)君は完全に沈黙している。いつか書いてくれるのかしら...。また、魚のように無口な人は他にもいる。ジョルダーノ君は時々書いている。でも、君たちが私のために祈ってくれることだけでも十分だ...。
では、我がアントニオ君、安心して、快活でまじめにやりなさい。きっと、主に喜ばれるのだ。
いつも君のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
9 教区長と準管区長チマッティ神父の抱負
新しい責任を負う
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
この手紙にあるとおり、チマッティ神父は、ついに独立宣教区の教区長の任命書、またサレジオ会の準管区長の任命書を受け取った。役職を嫌っていた師は、従順にこの命令に従い、同時に両立場を兼ねることになった。
宮崎 一九二八年九月十一日
敬愛なる我がお父さん、リナルディ神父様
任命書と権限の委嘱を受け取り、福岡の司教の元で命じられた誓いを立てました。これから、新しい責任を果たすため、組織や直接宣教の仕事に一層取り組みます。神に感謝!
これで独立したのですが、...私としては、これからもご指導の下に居たい者です。ですから神父様も気をつけてほしいのです...。チマッティ神父には、飾りや彩の服装などは似合いません...! 変な態度を取らせないでください。
今は、黙想会中です。中国管区のガレリ(Garelli)神父が指導してくださっています。気晴らしのためにもここに来させたのです。今回は、私や会員について新しい情報がなく、詳しい報告は次の手紙にいたしましょう。
① 私たちは、リカルドーネ神父の約束どおり新しい人材やシスターズを送ってくださり、助けてくださることを期待し、信じています。前にも書きましたが、誰が来るかを知らせてくだされば、中津や大分に派遣し、助かります。あゝ、もし長上が早く聞き入れてくださったならば...! 本部はまだ古いやり方だ、と神父様はおっしゃるのですが、少し近代化なさったらどうでしょうか! 私はインドの必要性を否定しませんが、日本が宣教師の一番少ない国だというきれい事を本部が承知していても、三年経った今まだ助けが来ないのでは、どうしたら良いのでしょうか。しかも、今送っていただいても、役に立つのは二年後です。今、二つの新しい教会を開く必要がありますが、どうしましょうか...。
② おかしいのは、来るのは近いと言われるのに、その会員やシスターズについて何の知らさもないということです。約束は、口先だけだったのでしょうか。私は、助けてくださるという神父様のお手紙やリカルドーネ神父の日本に対する熱意もあるのですから、悪く思いたくはありませんが...。
③ 神父様が準管区長の務めについて少し教えてくださることをお願いいたします。最後のお手紙によりますと、マカオから分離されて総長様を代表し、総長様に従い、報告する者だ、と書いてあります。私としては、今までのとおりです。もしそれ以上やるべきことがあれば、教えてくださいますようお願いいたします...。私が困るのは、法的な手続のことです。(……)
④ D.M.修道士の問題を解決するためにお助けください。帰国させる必要がありますが、一人では旅ができません。まして、海に酔う人ですから。ガレリ神父は、家庭の問題のためにイタリアに帰る必要があると話してくださいました。もしそれが実現するならば、喜んで伴にしてくださると言っています。これは最善の解決策です。この親愛なる会員を救うためにお助けください。
最後に、この哀れなチマッティ神父、またその新しい務めの重荷をよくご存じでいらっしゃる我がお父様、特別な祈りをお願いいたします。
心からいつまでもあなたの子ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
サレジアン・シスターズのための折衝
扶助者聖母修道女会の総長へ
この手紙は、サレジアン・シスターズが来日するための、チマッティ神父の最初の直接の折衝である。本部の長上が仲介してくれると期待していたが、動きがないのを見て、ついに自分で書くことにしたのである。
宮崎 一九二八年九月十二日
尊敬すべきマーデレMadre 様
マリア様の御名の祝日にあたり、甘美なる天のお母様にこの便りをお委ねいたします。
総長様は、直接にお目にかかったことはありませんので、チマッティ神父をご存じでいらっしゃるか分かりません。それはかまいません。私の自己紹介は簡単です。「この世で一番取るに足らない者、今は、聖座や長上の命令により日本でサレジオ会の宣教活動を始めてきた者です」。
私の長上は、尊敬すべき扶助者聖母マリアの姉妹たちが今年、この宣教地に協力するため、日本に来られると約束してくださいました。
私がどれほど皆さんを待ち望んでいるか、主や扶助者聖母マリアはよくご存じです。そのため、総長様に幾つかの情報を申しあげることは無駄ではないだろうと判断しました。
a)日本の気候は良く、イタリアに似ています。夏は湿気が多いので、リューマチを患う人は要注意です。冬はよろしいです。最低気温は五度ぐらいです。
b)社会環境がキリスト教ではありませんので、貞潔や信仰の堅固な人でなければなりません。日本人の性格はとても難しいです。怒りっぽいシスターはイタリアに残ったほうが良いです。
c)和食が合わない人のためには(現在のサレジオ会員もそうです)何でも手に入れることができます。
d)日本人は勉強熱心なので、特別な才能、免許状等を有する人は成功します。
e)シスターのためには、幼稚園から福祉事業まで限りない働き場があります。
f)言葉は難しいですが、二年ぐらい勉強すれば、どのシスターでも覚えられます。
g)シスターの霊的世話は不足することはないでしょう。
h)初めは家を借りたほうが賢明だと思います(既に目を付けている所があります。シスターズの人数が分かれば、すぐにでも確保できます)。
i)シスターズの生活習慣が分かりませんが、節約すれば、私たちが働いている宣教地の一日の費用はおおよそトリノ、ミラノ、ローマ等の大都会と同じです。けれども、団体の場合、特に野菜を作ったり、鶏等を飼えば、もっと安くなります。
j) k)(……)
l)今年の三月から私たちは独立宣教区となり、教区長はサレジオ会員です。
m)早く良い召命も見出されるでしょう。既に待っている数名の少女がいます。姉妹たちが喜ぶように、私は、その中の一人にイタリア語を教えています。主は、扶助者聖母マリア修道女会のために、素晴らしい働き場を準備してくださっています。
n)日本は、米国とイギリスに次ぐ世界三番目の国であるとお思いください。原始人の中の宣教ではありません。便利な交通機関、郵便等があり、無いのはイエス様の信仰だけです。
尊敬すべき総長様、ためらわず、早く良い人材や多くの資金をお送りください。主は、サレジオ会のと同じように、扶助者聖母マリア修道女会のためにも奇跡を行なわれるでしょう。
主においてサレジオ会員ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
天皇陛下の戴冠式の意味
ヴァルサリチェ学院の学生たちへ
これからは、いくつかの手紙をとおして、その年の十一月に行なわれた昭和天皇の戴冠式についての詳しい紹介が出てくる。チマッティ神父は、受け入れてくれた日本国民に対して、深い尊敬の念を抱いていたことの証拠である。
この手紙に初めてドン・ボスコの列福を話が出て来るが、当時、ドン・ボスコの墓はまだヴァルサリチェ学院の中にあった。
宮崎 一九二八年九月十九日
ヴァルサリチェの我が友、学生の皆さん
試験の良い結果を喜んでいます。最後の勝利も得られるように祈りましょう。
これからは皆さんの新年度が始まりますが、在校生にとってはこれは新しい学年、新入生にとってはヴァルサリチェの新しい環境であり、皆にとっては、この一年は、身体、精神、道徳のすべての面で、自分の養成のために積極的に働く一年であってほしいのです。なお、このことを話しているのは宣教師だから、皆さんは宣教活動のためにもがんばってほしいのです。
もしかしたら、来年はドン・ボスコの列福が実現します。思うだけでも嬉しくなりますが、皆さんは、ドン・ボスコのお墓の側にいますので、この機会を大いに活用してください。
十一月十一日、日本にとって大きな祝い、天皇陛下の戴冠式です。全国民が心をひとつにして、この喜ばしい出来事を祝います。無事に行なわれますように祈りなさい。現在の天皇陛下は、カトリックを悪く思っていません。以前フランス語の先生だったカトリック運動の会長、海軍大将山本信次郎師が側にいます。また、皇后陛下のフランス語の先生も日本の貴族、聖心女子大学を卒業したカトリック信者です。けれども、天皇陛下を取り囲む人たちからの圧力が大変です。天皇陛下の好意が増し、保たれるように祈りましょう。
私のためやここの宣教師たちのためにお祈りください。皆さんが望めば、今年は月一回手紙を書きましょう。また、勉強のために役立つ何かの情報が欲しければ、教えてください。喜んで書きます。
毎日皆さんを思い出しています。日本人のお友達は「さようなら、Arrivederci」と挨拶します。皆さんの先生である私の教え子たちにもよろしく。
心からヴィンチェンツォ・チマッティ神父
活動の報告
カヴィリア・アルベルト(Caviglia Alberto)神父へ
チマッティ神父の同僚カヴィリア神父は、イタリアの歴史、文学、美術の研究家として高い評価を受け、最後にドン・ボスコの研究に全力を注ぎ、特に『ドン・ボスコの著作全集』を出版したことで知られている。
宮崎 一九二八年六月六日
親愛なるアルベルト神父様
新聞や雑誌を通してあなたの凱旋のことを聞きました。偉大な人になったね!(聖トマスのような大きなお腹で...当然でしょう!)でも、いくら賞をもらっても、私にとってはいつもドン・カヴィリア、ドン・アルベルト、ベルト神父です。
では、私たちの問題へ!
① 日本では、税関通過は難しいです。物は一箇所に集められ、担当者は二人。教会への贈呈を証明する手紙があれば、物品は無税になり、早く通ります。私たちがこのことを知ったのは最近です。誰も教えてくれないので、自分の経験で学ぶのです。西洋人に対する警戒心がはとても強いです。文面に書けないことがあるのはあなたも分かるでしょう。
② 彫刻家ルンガルディエ(Rungaldier)氏からの写真が届いていません。聖テレジアの小さなご像が欲しいのですが、いくらするのでしょうか。
③ イタリアで行われている宣教師のためのキャンペーンについては、私も同感です。長上にも丁寧にそのことを書きました。チマッティ神父が違う意見であることは、何かの理由があるでしょう。神様が許してくださいますように! でも、最終的に同じ結果になるでしょう。「責任ある者が考えるように!Videant consules! 」
④ マレスカルキ(Marescalchi)神父〔注.チマッティ神父のいろいろなオペレッタの脚本を書いた人〕の完全な回復のために、聖テレジアの取り次ぎを願っています。私は、この聖女を扶助者聖母マリアの秘書にしています。
⑤ 働きすぎに注意しなさい。(……)
⑥ 新聞の記事は嬉しく思いました。また、ドン・ボスコについての研究が読める時を楽しみに待っています。やっと、ドン・ボスコが光栄を受けられる時が来ました。私にとって、天国にいるような感じです。この重大で必要な仕事を完成するまで、神父様の長生きを聖テレジアが取り次いでくださいますように! まず、八十歳まで同じカヴィリア神父であってください!...後は、考えましょうね。(……)
先日、東京、横浜、神戸、大阪等の大ホールで、私たちドン・ボスコの宣教師たちは姿を現しました。音楽を宣伝するためではなく、私たちの信仰とサレジオ会の名前を伝えるためでした。絶えない喝采、アンコール、花束、プレゼントを山ほど受けましたが、最も大切なのは、多くの人々に会えたことでした。十八日間で二十二回もコンサートを開き、プログラムと一緒に二万部の宗教に関する小冊子を配り、何回も話をして、三万人ほどの人々が初めて「イエス、しかも十字架にかけられたイエス、Iesum et hunc crucifixum」を聞くことができました。私たちは喜びに溢れて「キリストがすべての心に復活するように、Cristo risusciti in tutti i cuori」という歌を歌いました。もしトリノの聖ヨハネ教会の大コーラスとオルガンがあったならば...。神に感謝!
我が親愛なるアルベルト神父様、これで十分です! 私のためにお祈りください。チマッティ神父はあなたを忘れません。すべての友だちにもよろしく。
心からあなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
感謝の心
トネリ・アントニオ(Tonelli Antonio)神父へ
トネリ神父はチマッティ神父と共に叙階された親友、ヴァルサリチェ学院の自然科学の教授、自然博物館の担当者、神学生に手紙を書くようにと勧めた人である。
宮崎 一九二八年九月二十日
我が親愛なるトネリ神父様
神学生たちに対して、この兄弟に手紙を書くように促してくれたことを感謝します。私は、ヴァルサリチェ学院に多少愛着を感じますが、前のように学生に手紙を書きたい者だと思われたくはありません...。我がトネリ神父様よ、それはとんでもないことです。今の私の任務には、休む暇もないほどの大変な仕事があります。私たちが修道者だからこそこの仕事の理由が分かりますが、そうでなければ、お手上げしたくなるでしょう。
チマッティ神父が手紙を書く本当の理由は、空気のように祈りが必要であるからです。神学生は祈れる、また祈り方をよく知っているので、これによって私は目標を達成できるのです。よく分かったですね。
神学生に伝えなさい。チマッティ神父は、彼らの顔を知らなくても(でも、心は知っています)彼らの祈りを信頼し、みな私の愛する兄弟と見なしているのだ、と。
我がトニノ〔注 アントニオの愛称〕、立派な使徒職の業を行なったことを、また友人の情報を送ってくれたことを、感謝します。(……)新聞でヴァルサリチェの試験の結果を読みました。神に感謝!
誰が日本に来るかは、まだ知らされていません。時が来れば、知らせてくれるでしょう。派遣される人のことが分かった時、オリーブ〔注 苗のことでしょう〕などのことを考えましょう。
私たちが準管区と独立宣教区にされたことによって、こちらの立場が明らかになりました。人材があれば、三つの新しい教会を開くことができるのですが、それを見込んで二軒の家を借りてきました。神に感謝!
いつか学校を開くことになれば、生徒が蜂の大群のように集まってくるでしょう。神様にお任せします。チマッティ神父ができることではないからです。
最近、台風のような嵐があって、根こそぎにされた大木の根っこの中から無数の黄色い粒を見つけました(それは、マホガニーの木です)。この次、拾ってきたそういう物を送ることにしましょう。
十月上旬、東京で修道会の責任者たちの集会があるので、上京することになります。活動の横連絡が話し合われるようです。今回、これだけにしましょう。
いつもあなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
教え子への霊的指導
ヴァレンティーニ・エウジェニオ(Valentini Eugenio)神学生へ
この手紙の内容を理解するには、同じ人への前の手紙が参考になる〔...ページ〕
宮崎 一九二八年九月二十一日
我がヴァレンティーニ君
君の手紙、またこの古い友が手がけている神様の事業のために協力してくれることを感謝する。君の手紙には次のとおり答える。
① 自分がやったことの結果を気にするよりは、主がそれを見せないで、やるための善意を保たせてくださることを願いなさい。
② 自分自身を神様に委ねなさい。
③ 勉強の時間を活用し、知っていること、できるだけのことをやりなさい。友人バヴァ君について、それぞれが持っている良いところを羨ましく思うな。数えきれないほどいる聖人には、二人の同じ聖人はいない。
私が書いた「自分の信心が皆に好まれるものであるようにしなさい」という言葉の意味は、これである。公には、目立つことを避ける。個人では、やりたいままにやる。私は、聖人の評判のあった君たちの先輩ベルトラーミ(Beltrami)神父が公に祈るところを見たことがあるが、頭を下げるだけであった。けれども、個人的にやっていた時、違う態度だったと思う。(……)
勉強の前後、自分の祈りをし、機会があれば、相手が誰であろうとも自由に信仰のことを話す。これは、悪いことではなく、良いことだ。言葉で言えない場合、少なくとも良い手本を示す。だが、わざとらしくではなく、自然に、良い習慣としてやる。そして、人が何を言おうとも、気にするな。
自分の決心には、もし良いと思えば、次のことを加えなさい。
第一には「...黙ることにする、または離れる。しかし、少しでも良いことができると思えば、話し合いに参加する」と。
第二には「...必要であればやることにする」と。
写真をありがとう。でも、それがなくても、君はいつも私の目の前にある。
抱きしめながら君を祝福する。君も私に対してそうしなさい。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
現状の報告
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
チマッティ神父は、教区長として東京で開かれた司教会議に参加し、これから日本の教会の状況をより身近に知ることができるようになる。今回の会議の報告は、次の総長への手紙で報告する。
宮崎 一九二八年九月二十六日
親愛なる我がお父様、リナルディ神父様
この1日を締めくくる前に少し報告いたします。今日、二回目の黙想会が終わりました。少ない人数で二回やったのは、支部を空けて置かないためでした。ガレリ神父が講話をし、私は黙想を指導しました。メルリーノ修道士が終生誓願を立てました。(……)すべてはうまく行ったと思います。
今〔十月一日から〕東京にいます。司教館に宣教地の責任者たちが集まり、互いの協力を話し合うことになっています。
さて、私たちのことですが、健康はすべての面で良好です。
仕事は、特に全責任を負うことになった今、不足しません。長上があらゆる方法、お祈りやご指導をもって助けてくださるようお願いいたします。
一応、このままの体制で行きますが、状況が少しはっきりしたら、職務を分けるべきだと思います。違う分野で一人が二つの役を兼ねるのは、少なくともチマッティ神父の頭であれば、芝居になる危険があります。私はテーブルに座り、「今、おまえは準管区長だ」「否、独立宣教区の教区長だ」と考えたり、会員たちが来て、「お話したいのは、準管区長ですか、それとも教区長ですか」と聞くことになれば、おもしろい芝居になりますね。今は、疑問があれば、「愛しなさい、そして自由にやりなさい、Ama et fac quod vis」という解決策で行きます。独立している者ですから...。
自分の務めに対しては、その場その瞬間、知っている限りできる限りやるようにしています。もっと大きな奮発心や熱意が必要ですが...。(……)
ここで便箋を変えさせていただきます。日本では祝いのために使う和紙ですが、これではうまく書けません...。
自分の黙想会は、説教しながらやってきました。ゆるしの秘跡をよく受けましたが、主は、私の心を乾いた状態にして置かれました。時々、そうなるのです。今回、完全に乾いた、冷淡で、嫌になるほどの状態でした。もちろん、私はこれ以上のことに値しますが、大変な時でした。ますます自分の感受性や傲慢を自覚します。すべてを、もっとよくやるべきです。一応、私の決心を改め、信心業、神との一致、責任感を深めるようにします。我がお父様、お祈りをもって、お助けください。
会員たちについては万事よろしいです。皆、善意に満ち、仕事や良い業に励んでいます。仕事が増えていますので、日本をお忘れにならないでください。
病んでいるD.M.修道士が帰国しますので、家事のために代わりの人が必要です。でなければ、また女性を雇わないといけないことになります。経済面での協力もお忘れなく...。この状態が続けば、いつまでも収支予算が成り立たないことでしょう。皆さんの困難な状況が分かりますが...。
遅くなりましたので、祝福をお願って終わりといたします。
あなたの惨めな子ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
各自に、経済問題への協力を願う
聖フランシスコ・ザビエル準管区の会員たちへ
準管区と独立宣教区が認可されたことにより、チマッティ神父には、サレジオ会員としての立場(サレジオ会の聖フランシスコ・ザビエル準管区)と宣教師としての立場(宮崎と大分独立宣教区)を区別する必要が生じてきた。そのため、この時点から、宣教師たちへの手紙とサレジオ会員への手紙を分けることにした。
宮崎 一九二八年十月四日
親愛なる皆さん
黙想会の恵みのために神様に感謝しながら、一緒に話し合って決めたことを、念のためまとめてみました。
①-④(……)
⑤ 経済問題のことに関しては、会員一人ひとりまた支部ごとに、増えている私たちの必要に応えるため、あらゆる方法、また友人や恩人から援助を探し求めるようにしましょう。もちろん、宣伝、教会学校の美化、また献金を願うための出費は、無駄遣いではありません。私たちの信仰、聖なる生き方、また御摂理を促す努力に応じて、献金も集まってくるでしょう。修道士や他の会員も、適切な節約や家の中の小さな工夫によってそのために貢献できます。皆でこの緊急課題を自覚し、解決のために協力しましょう。
皆さんのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
宣教活動の基本方針の再確認
宮崎独立宣教区の宣教師たちへ
この手紙では、今までの基本方針を再確認し、より具体的なものにする。その中に、「信徒台帳」の作成や「月二回、チラシを発行する」計画が出てくる。実際、この一九二八年から出され始めた。一九三一年まで数十枚が出され、チマッティ資料館に保存されている。
宮崎 一九二八年十月四日
新年度のための活動プログラム
この宣教地を任せてくださった聖座は、宣教活動を引き受けた私たちに奮発をもって使徒職に全力を尽くし、固く聖座との一致を保ち、父親の心であらゆる手段をもって、自分の魂と同じように信徒を世話し、信仰を広め、迷った羊を連れ戻すように勧めています。
① 信徒に対しては、今までやった仕事を固め、特に遠くに住んでいる人々や迷った人々に近づくようにし、声をかけたり、毎月、または三ヵ月ごとに訪問したりするという直接な手段、また手紙や印刷物等を送るという間接な手段を活用しましょう。信者でない人や求道者に対しては、経験が勧めるあらゆる有効な方法を使いましょう。
② 信仰を広めるためにこの一年間効果があった手段、また一層活用できる手段は次のとおりです。
a) 家庭や青空での幻灯(スライド)上映すること。特に遊び、音楽、小話、印刷物の配布を合わせる時に好まれるようです。
b) 訪問する場所の著名な人の協力を得ること。
c) コンサートを開催すること。この場合、講演を合わせるのも良いことです。
d) 良い印刷物を配布し、地域新聞を活用すること。
e) 機会があれば、あらゆる方法で御言葉を述べ伝えること。
③ 以上述べた活動プログラムの他に、宣教活動を始めるまた強化する郡を定め、その地域を研究し、一番適切な方法を考えるようにしましょう。(……)
④ カヴォリ神父は、信徒台帳のための登録用紙を準備してくれます。
サレジオ会支部の日誌の他に、九月から宣教地の日誌や歴史を記録し始めましょう。この大事な任務の担当者は、各教会の責任者とします。
⑤ 次に述べることは、布教のための提案です。
a) 今年から、資料が集まり次第、月に二回チラシを発行することを目指す。宮崎教会がそのまとめ役となります。神戸の若い信徒のグループから既にそのようなものが出ています。見本を頼み、もし良ければ、それらを活用することもできます。私たちの教会の名前もそれに印刷してくれるようです。
b) 配布方法としては、新聞折り込み、私たちや信者、または人を雇って配布するという方法があります。ただし、違反とならないように気を配るべきです。
c) 宣教地に対する外国での関心を起こすためには、サレジオ会の機関誌Bollettino SalesianoとGioventu` missionaria 誌という〔若者のための機関誌〕に記事を載せること、また個人の手紙が役立ちます。皆、積極的に協力しましょう。
d) 宣教地への経済的援助については、準管区の手紙に書いたことをご覧ください。
⑥ 邦人の召し出しのために働くことは、私たちの重大な義務です。次のことをお願いします。
a) 講話や霊的読書でこれに関する長上の指導を読み直し、実行すること。
b) 召し出しを起こすための方法を研究すること。
c) 今のところ、志願者のために三つの道が可能です。東京の神学校か、長崎の神学校か、または私たちの支部で準備することです。今年からこの事業が始められるように、主に願いましょう。どの道が一番良いかは、後に決めることにしましょう。
では、神様、扶助者聖母マリア、ドン・ボスコや新しい保護者である小さき聖テレジアと共に、仕事に励むようにしましょう。
あなたがたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
東京での司教会議-天皇陛下の戴冠式-人材の問題
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
特に天皇陛下の戴冠式に際し、国に対するカトリック教会の立場を明確にする必要があった。これは、東京で行われた司教会議の一つの課題であり、チマッティ神父は教区長としてそれに参加した。この時点で、国に対するカトリックの立場を説明するチラシも出した。
なお、この手紙で、長上に対して新しい人材の必要性を強い言葉で訴えている。
宮崎 一九二八年十月八日
親愛なる我がお父様、
二日間東京に行って、一週間不在でした。そこでは、司教や各修道会の責任者たちが、幾つかの問題(天皇陛下の戴冠式、近いうちに提出される宗教団体法案、カトリック出版など)を打ち合わせるために会合を開きました。そのおかげで多くの人を知るようになり、多くのことを学ぶことができました。私たちの事業を望む司教が多く、一部が余り私たちを知らないにしえも、皆、私たちを愛してくれています。神に感謝!
東京の大司教は福祉事業を私たちに任せたいと言っています。私は、直接、長上に書くように勧めました。私たちは、地方の宣教地を忘れずに、都会を目指すべきです。私の意見はこうです。機会があれば、提供された事業を受け入れ、現地を研究しながら働くようにすべきです。待ったり、躊躇したりするならば、サレジオ会は、躍進する日本に追いつかなくなり、人々の救いのために何もできないことになります。
私が感じていることを打ち明けましょう。(暴言と思われるでしょうが...)、長上の皆さんは、日本が必要としていることが本当にお分かりでしょうか。それに応えておられるでしょうか。三年目になって、最初のグループの人数や力が衰え、仕事が減る代わりに増えています。止まることは不可能ですし、仕事を削減すれば、今までの宣教師たちと同じ状態になり、得たものを失ってしまいます。この状態で、どうすべきのでしょうか。毎年、長上がこの国のことを本気でお計らいになることしかないのです。でなければ、いつまでも出発点に留まり、(暴言を言いますが)日本に来ない方がましだったのです。
神父様は、「かわいそうな我が子よ、お前は、長い旅行で頭が疲れてしまったのだ」とお考えになるでしょう。実際、往復それぞれ三十六時間汽車に乗るという楽しいことにより、神様のお陰で余り影響を受けませんでした。問題は、次のことです。今、人が送られても、私たちがすぐに使えば、中途半端な人にしてしまいます。結局、一九三〇年まで助けにならないのです。是非、私たちをお忘れにならないでください。(次のことも言わせてください...。今回、本当に大変なことを言ってしまいます。)日本より可愛がられている宣教地は、長上や教会にはもっと大きな慰めをもたらしているでしょう。日本は、雨が多くても実らない、地震や火山が多い国です。けれども、私たちはできるだけのことをやっていますし...、長上も何かをやってくださることを願っているのです。
このことを書きながら、私は大変落ち着いています。喜びに満たされているのです。なぜなら、今日、小さき聖テレジアを祝って、その保護の下に初めて「マリアの子の会」の志願者を集めたからです。私は、自分の悩みをこの聖女に打ち明け、今年建てる最初の小聖堂のため必要である資金を集めるのに助けてくだされば、聖テレジアに捧げたいと約束しました。次のことも聖女に願いました。今年やこれから毎年、長上の固い心を少しでも日本に向かわせてくださるように、と。ドン・ボスコ、天のお母様、聖テレジアに私たちの問題を任せれば、万事はうまく行くと確信しています。
経済的な助けもお願いいたします。ここの出費が重なり、現地の収入は少なく、外国で探しても、送られてくる寄付は僅かです。トリノでの私たちの貯金が貯まることを期待しています。今、カテキスタとして働ける人を見つけましたが、毎月、給料が必要です。神父様、私たちのために御摂理となってください。
あゝ、我が日本の宣教地! 手段や人材に乏しく、善意だけが富んでいます。神様の祝福があらんことを祷ります。これがあれば十分です。でも、務めを果たすためにこれだけでは足りません。(……)
最後に、この私のためにお祈りください。最近、数日間、今まで体験したことがないほど、つまらない想像がしつこく続いています。悪魔の奴は、私から何を得ようと思っているのか。祈りながら落ち着くようにし、神様の御手に身を委ね、(聖テレジアの言葉だと思いますが)こう祈りました。「我がイエスよ、今、あなたはどこにおられるのですか...。私の頭に浮んでくるものは、あなたがお創りになったものです!」
私のために特別にお祈りください。さあ、喜びのうちに進もう! 心の善い神様は助けてくださるでしょう。心から神父様を抱きしめます。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
別紙 - 日本の天皇陛下の戴冠式(Bollettino Salesiano一九二八年十二月号記載)
日本は、長い間、天皇陛下の戴冠式を準備し、首都はそれに全力を注ぎ、道府県や個人もその祝いと記念事業のために寄付を募っています。
キリスト信者も、宗教儀式や市民行事への参加をもって天皇陛下に対する敬意や服従を表わそうとしています。これは、自然の感情であり、私たちの教えでもありますが、日本人にとって、天皇陛下は国民の考えと希望を代表される方です。(……)
ご即位の式は十一月十日から十四日まで京都で行なわれます。その間、毎日、古代の伝統に従って厳かな儀式が執り行われます。
天皇家の創始者は神武天皇とされています。今の即位の式次第がA.D.九二七年に初めてまとめられ、現在の形で決定されたのは一八八九年でした。(……)
即位式は、前天皇ご逝去後三年目に執り行われますが、ご逝去のすぐ後、簡単な式で引継ぎが行なわれ、今回、一九二六年十二月二十六日に行われました。(……)
十一月六日、東京からのご出発により祝いが始まります。八世紀の服装に着飾った京都までの行列は、形容し得ない荘厳な美しいものです。(……)
式が締めくくられるのは、神道のひとつの一番古い儀式、初物奉納の祝いによってです。六、七世紀のものを再現する新しい神社において、夜、大昔の祭服を着て、かがり火の光の下で奉納が行なわれます。ご飯を炊き、八つの食卓の上に全国から届けられた初物を飾り、神楽を奏でながら神々に初物を供えます。天皇陛下がお祈りを捧げ、別な食卓でいろいろな食物をお召しになります。これで儀式が修了するのです。
続いて、数日にわたって外交官のため、そして役人のためのパーティーが開かれ、東京では十一月末軍のパレード、十二月には海軍の閲覧をもってご即位の祝いが修了します。
この出来事を祝うことにより、日本は自分の偉大さを示そうとしています。現代の物質文明の先端を行く国々と共に並ぶ日本がそのために古代の宗教儀式を使うことは、今の現実と、古い考え方のコントラストを象徴しているといえます! このことからも、考え方の発展が遅いことや、宣教活動が難しいことは理解できると思います。
サレジオ会宣教師ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
イタリアで行なわれる総会への参加の問題
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
この手紙には、一九二九年イタリアで開催される総会へのチマッティ神父の参加について書いてある。参加しないための理由を並べているが、最終的に参加することになったのである。
宮崎 一九二八年十月二十五日
親愛なる我がお父様、
近日、月の報告をお送りするつもりですが、なぜか分かりませんが、すべては遅れてしましました。
① 私自身、聖徳の道に遅れています。そして、日本では聖人でないと何もできません。
② 仕事にも遅れています。(……)
今回、必要の多いこの特殊な宣教地に協力してくださった長上の善意に対して感謝いたします。私たち皆、祈りながら、お送りくださった助けが来るのを待っています。というのは、トリノから上海に届いた情報によりますと、十一月十三日、東洋に向かってフルダ号に乗った四人のうちの三人が日本のためであると聞いたからです。神に感謝! 前もって分かっていれば、旅行中のために何かを願ったでしょうが...、これでも結構です! また神に感謝いたします!
③ 準管区長の権限が分かりました。(……)
④ 総会への出席については、私の率直な意見を申しあげます。
a) 総会のためであるとはいえ、三年しか経っていないのに私が帰国するのは、会員たちはどう思うでしょうか。
b) 私にとって、とても必要であるこの僅かな日本語を、全部忘れてしまうのではないでしょうか。
c) 総会において私が貢献できる光は、煙たいろうそくの光ぐらいでしかありません。
d) 既に重荷を負っている会員たちの肩には、私の仕事もかかってしまうことになります。
確かに、イタリアでの仕事は、直接私がやれば、早く済みますが、今申し上げた重要な理由により、私をここに残してくださるようお願いいたします。もし、どうしても行かなければならないことであれば、「来なさい」とはっきりとおっしゃってください。今すぐにも出発します。理解ある会員は、補ってくれるでしょう。その場合、幾人かの人事異動が必要でしょう。たとえば、宮崎のカヴォリ神父には、助けが必要になります。(……)
今日は、このぐらいにいたします。あ、ひとつ忘れました。十一月、上海からヴィミナーレ号に乗って帰国する中国の宣教師と共に、D.M.修道士が出発します。これは、御摂理の計らいです。日程が分かり次第、お知らせいたします。イタリアのLloydの船ですから、宣教師として食費だけを払い、他は無料です。神父様のご協力により、旅行に必要な費用はあります。言うまでもなく、皆、神父様を思い出しています。特に
あなたの子ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
サレジアン・シスターズの来日を願う
扶助者聖母マリア修道女会の総長へ
宮崎 一九二八年十月二十九日
尊敬すべき総長様
この私をご存じであることは嬉しく思います。また、人材確保の困難な時代に、聖フランシスコ・ザビエルの苦労や多くの殉教者から耕された日本に、天のお母様扶助者聖母マリアが貴修道会のために準備しておられる広い畑で早く事業を始めたいお気持ちを伺い、とても喜んでいます。
しかしながら、シスター方の派遣についてまだ何も決まっていないことをお手紙で聞いて、とても驚きました。私は、リナルディ神父や、現地をご覧になったリカルドーネ神父にこれについて書きましたし、私が望んでいるならシスター方が来てくださるという返事も受けていたので、とても希望に燃えていました。信者たちもそのことを聞いて大変喜び、既に家を探しているところです。
まあ、これも神様の御摂理のご計画でしょう。神様のお望みより先走りして、この国でドン・ボスコやマリア様の事業を発展させたい私たちの傲慢さを辱めるためです。
すべてを主にお委ねしますが、もし、宮崎宣教区の責任者から、貴本部に対して何かの手続きが必要であれば、すぐにお知らせください。一年を失えば、取り戻せないからです。シスター方が効果的に働けるには、二年間言葉を勉強しなければならないのです。
私は、準管区長としてではなく、(この立場なら、再度サレジオ会の長上に手続きをしますが)、宮崎の独立宣教区の教区長として、扶助者聖母マリアのシスター方がこの宣教地に早く働きに来られるよう、正式にお願いいたします。ここでは、すぐに幼稚園や教会学校で働けます。少女たちは、場所が足りないほど多くいます。小さき聖テレジアの保護の下にある扶助者聖母マリアの会の志願者は五十人、マリアの子の会は三十人、信者の母の会は五十人もいます。これらの会は、最後の二年間に設立されたものです。どれほど多くの仕事がシスター方を待っているのでしょう!
総長様が賛成してくださることを熱望しています。そうでなければ、信者をこの状態に置かず、また信者でない人々の救いを遅らせないために、他の修道女会を呼ばないといけないことになります。それは、周りの人々からおかしく思われることでしょう。
この願いが良い結果をもたらしますよう、扶助者聖母マリアの御手にお委ねします。
尊敬の念をもってヴィンチェンツォ・チマッティ神父
宮崎独立宣教区の教区長
天皇陛下の戴冠式の準備
ヴァルサリチェの神学生へ
宮崎 一九二八年十月二十九日
我が友、神学生の皆さん、
新入生を含めて、皆さんのために良い年度であるようにを祈ります。来年、皆さんに顔を合わせ、日本の私たちが恩人と見なす皆さんに感謝できると思います。私たちのために働きと祈りを続けてくさい。私たちも皆さんのために祈ります。
今日本では、天皇陛下の戴冠式の準備中です。イタリアの新聞にも詳しく記載され、Bollettino Salesianoでもこの感嘆すべき式の報告が読まれると思います。これは、神道の豪華さを示す伝統であり、国民を結ぶ強い絆でもあります。もしこの絆が切れれば、それに代わる強いものがない場合、すべてが崩れてしまうと思います。
この期間中、事件が起こらないように祈りなさい。日本にも革命的思想が浸透し、思わぬ早さで勃発する危険性があるからです。
この季節には、皆さんの仲間、高校生たちは運動会に励んでいます。長い準備のため、勉強に専念することができなくなります。ここの体操は、パレードというよりスポーツ、訓練です。高等学校の場合、軍人が体操を教え、生徒たちは武器(鉄砲など)の使い方を習い、武器を担いで軍のパレードに参加します。本当の兵役の準備といえます。
徴兵は、二十一歳からです。呼び出しの方法は私たちのと違いますが、結果は同じです。現役でない人には、定期的に(季節ごとか、祝いの時か分かりませんが)知らせ、訓話、指導などがあり、一日、一週間、一カ月も集合に参加させられています。政府は、集会、新聞、映画、本、講演などあらゆる方法を通して軍隊の精神を培うようにしています。
君たちも、キリストの良い兵士、家庭においてや、イタリアのために良い兵士となりなさい。心からよろしく。皆さんのためにお祈りします。
あなた方のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
この時点での切実な悩みと希望
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
宮崎 一九二八年十一月六日
親愛なる我がお父様、
無事に過ぎた諸聖人の祝日に、長崎の邦人司教ヤヌアリウス早坂久之助師が私たちの教会を訪れてきました。今、少し落ち着いたところで、いつものようにご報告いたします。
① 健康について 最高の状態です。食べ、飲み(水を好むようになった)、眠り、そして、神様のお恵みにより常に仕事に従事し、すべては順調です。残念ながら、過労死するほどの仕事がありません。ただ、目上の職務は、私にとって最悪です。私は、そのために十字架にかけられています。慰めになるのは、一人ではないということです。実際、神父様は私よりもその状態になっておられます。そうかといって、大した慰めにならないのです。
② 勉強と仕事について 私が持っていない髪の毛の先まで追われています。けれども、もし言葉をよく話せて、外国の友だちにまでこの美しい日本のことを思い出させる必要がなければ、もっとたくさんの仕事ができるでしょう。長上に関してもそう言えます。地図の上でしか日本をご覧にならないので、小さく見えます。そして、「長上は、小さいことを余り気にすべきではない、De minimis non curat praetor」という考えに従っていらっしゃるようです。私が思うには...、まあ、ここで話を止めます。でなければ、文句を言ってしまうことになります!
私の務めを果たせるかについては、息がある限り、私は次のことを繰り返し申しあげましょう。「目上の役目は、私にはできません。」これが問題です。そのために私は大変つらい時を過ごし、命令ができないから、会員たちにもそうさせます。結果は、すべてがうまくいかないことです...。一生懸命にやってはいますが、できないことはできないのです。長上の皆さんがお助けくださるようお願いいたします。従うことは、美しく、聖なることなのに、なぜ、チマッティ神父が命令しないといけないのでしょうか。私には、今までこの大変な問題を理解したことはないのです。私は、傲慢のゆえに自分が偉い者だと思いたくなりますが、実際は、命令すべき時に命令できない、責任が重なってくる、目が届かない、また分からないことが多いから人に委ねる、そのためまた、愛徳の業だと思い、望まないで会員と衝突することになる...。
③-⑤(……)
⑥ 兄弟愛について 神様の愛に基づいて皆と仲良くしようとするのは私の唯一の望み、私が努めているところです。けれども、前述の目上の役目が果たせないためことは思うように行かず、時々、私たちの小さな共同体が曇ってしまうことがあります。これは、言い表せないほどつらいことです。確かに、意識的、わざとではありませんが、晴れるまでには何日もの間、嫌な気持ちが残ります。
私のこの不適性のため、アントニオ〔カヴォリ〕神父は大変苛立ってしまうことがあります。我がお父様、私ができないのですから、どうすれば良いのでしょうか。アントニオ神父もこのことについて手紙を送ってくださったそうですから、私は安心です。
⑦ 他の問題点 私の愚かさから来ること以外、何も見当たりません。
私は、神父様に対する子どもの信頼をもって、もう一度、大切にしていることを強調いたします。こう申し上げることも、実行することも(その必要がないように神様に願っています!)従順に反することではないと思っています。つまり、司教などMonsignoreの服装や飾りのことです。多くの聖人や立派なサレジオ会員がそうしました。私は、決して、聖人、善いサレジオ会員だとは思いません。この私は、他人においてそのようなものを尊敬し、称えることもしますが、私に限って、そのようなものを心から忌み嫌っています。もしかしたら、神父様は、「お前がこう考えているのは、思い上がり、傲慢のためだ」とおっしゃるかもしれませんが、私は、ドン・ボスコの教育法に従って、予防したいと思っています。このことを申しあげて、すみませんね。強調する必要があると思ったからです。
会員について カヴォリ神父は、苛立つ時、話さなくなり、食べなくなります。原因が私にあると認めます。私がはっきりと命令せず、正すべき時に正さず、前もって見通して計らわないからです。お祈りで私を助け、この大変な状態から解放されるようにしてください。
今度来てくれる新しい人材を待っていますが、トリノから何の情報もないのは不思議です。これは伝統なのでしょうか...、それとも習慣ですか。エスクルセル(Escursel)神父の小包が来始めているのは、他から聞いたことは本当だということのしるしです。善意に満ちた人のようですから、神に感謝!
先ほど、カヴォリ神父と一緒にいろいろ話し合いました。結論はこれでした。「我がアントニオ神父様、問題は私にあるのです。兄弟愛をもって、すべてにおいてお助けください。主はお分かりです。長上も見ておられます。私の願いを聞き入れてくださるでしょう。」
ご覧のとおり、私が申し上げましたとおりです。お願いです...。もし、より簡単な解決のために私がイタリアにいた方が良い、または場所を変えて、必要があれば地球のどこでも良いですから、「どうぞ、お送りください、Ecce ego, mitte me!」
私を祝福してください。心から神父様を抱きしめます。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
後書 - 院長たち、すなわち、チマッティ、タンギー、ピアチェンツァ神父の任期は満了です。これは良い機会です。我がお父様、この問題をお考えになり、私を信じてください。人の救いのためには、思っておられるより緊急な問題です。神父様には秘書が必要ではありませんか。私には理想的な立場です。
教え子への霊的指導
ジョイエウザス・アベレ(Jojeusaz Abele)神学生、教え子へ
宮崎 一九二八年十一月十三日
我がアベレ君、
お手紙、また私を思い出し祈りを捧げてくれることを心から感謝する。私も、君のために祈る。当時、私たちの魂は主において一致し、今も主から分かれることのできない状態になっている。君との出会いにより、私は良いものを得たのである。
ニュースをありがとう。次は、君のための私の勧め。
「完徳において、あせってはならない。また、過去のこと、良かったか悪かったか、余り気にしてはならない。」ドン・ボスコの言葉に従いなさい。「流れた水は、もはや水車を回さない。将来は、主の御手にある。自分の手にあるのは、現在の瞬間だけである。できるだけそれを活用し、喜びを持って進むのだ。」
一緒に夏休みを過ごした所を思い出してくれて、神に感謝! 神様の御心を行なったものなら、夏休みにも万歳! 本の中に書いてあるとおり、宣教師の生活が大変だと思わないでください(私が言うのは、日本のこと。他の所が分からない)。(……)
昔のように、心から君を抱きしめて祝福する。
心から君のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
ヴァルサリチェ学院の神学生へ
宮崎 一九二八年十一月二十日
親愛なる神学生の皆さん
クリスマスと新年に際しお祝いを申し上げ、ご家族や皆さんの勉強のためにお祈りします。主が私の祈りを受け入れてくださいますように!
皆さんは、天皇陛下の戴冠式のことを知りたいでしょう。新聞でも読んだと思いますが、私もサレジオ・ニュース(Bollettino Salesiano)のために書いたし、また書く予定です。国民全体が式典のために心をひとつにしていることは素晴らしいことですが、ここで暮していなければ想像もできない、また大げさに思うことでしょう。
この機会に、一般市民は貯めておいたきたお金を全部使い果たし、一週間、歌ったり、踊ったり、食べたり、飲んだりして、祭りの雰囲気になりました。
京都の祭典には参加できませんでしたが、宮崎でより小規模の祝いに参加しました。どこでも万歳と乾杯があり、二千人のための大宴会もありました。この場合、日本では折り詰め弁当を持ち帰るだけです。その日、宮崎の街中、祝いのために正装した紳士たちや偉い役人たちが、天皇陛下から賜ったお弁当を風呂敷に包んで幸せそうに持ち帰っていました。
東京では、一万人の招待者がいましたが、これも日本なら簡単です。皆一緒に乾杯してから、一人ひとりがお弁当を持ち帰るのです。(……)
今回はこの程度にしましょう。他の友だちにも書かないといけないからです。これから一週間もコンサートのために出かけます。これによって、教会に入らない一万、一万五千人の市民に良い言葉を述べ、感動させることができるでしょう。もしイタリアだったら、椅子、またはそれ以上の物を投げるのではないかと思いますが、まあ、世の中はこうなっているのです!
皆さん、祈りとあらゆる方法で私が少しでも人々のために役立つようにお助けください。すべては、皆さんのお陰です。
クリスマスと新年おめでとうございます。
あなた方のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
天皇陛下の戴冠式の報告
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
天皇陛下のご即位の式典を報告するこの手紙は、一九二九年三月号のBollettino Salesiano に記載された。式典に際し、チマッティ神父は天皇陛下の上に神様の祝福を願う『大礼奉祝の歌』を作曲し、教会で歌わせた。十一月号の『ドン・ボスコ』の第一面に、天皇陛下が皇太子の時にバチカンをご訪問された写真やお祝いの言葉を載せている。
宮崎 一九二八年十一月二十一日
親愛なるリナルディ神父様
前の手紙では、十一月十日から十七日まで一週間にわたって大式典が行われる予告を書きました。この出来事は、日本大帝国全体の日常生活を変え、その期間中、国民は昔の考え方、信仰、習慣、祭りの雰囲気に戻りました。
遠い九州にいる私たちは、東京、京都、その他の大都会の式典は見ることができませんでしたが、宮崎で行なわれたことから判断しますと、すべての町、村、家庭がこの麗しい出来事で歓喜に満たされたことが分かります。中央から出された指令は、驚くべき正確さと敬虔な態度で全国で実施され、十一月十日午後三時、天皇陛下がご即位を宣言された瞬間、ご臨席の人々の万歳三唱に合わせて、全国民も広場や学校、工場、家の入口に立ち、心、考え、尊敬の念をひとつにして、天皇陛下の写真の前で一斉に万歳を三唱しました。ごく自然に、敬虔な姿勢や喜びをもってひとつの指示で、祝砲の轟きやサイレンが響く中で、何千万人もの人が一斉に天皇陛下を称えたのです。
ドン・ボスコの子らも、第二の祖国である日本の喜びに心を合わせ、市民と共に万歳三唱の声を上げ、市の大ホールでの式典で天皇陛下のために乾杯しました。日本人は、私たちの礼儀正しい、当然の尊敬の態度を歓迎し、新聞でも記載しました。イタリアやドン・ボスコのための名誉となったのでしょう。
十四日、全国のカトリック信者も司教様たちの勧めに従い、教会の式の中で感謝の賛歌(Te Deum)を歌い、天皇陛下、皇族、祖国の上に神の祝福を願いました。祝いのために飾りつけられた私たちの教会でも、信者やそうでない人々が荘厳な儀式、行事、イルミネーションをもって天皇陛下を称えました。(……)
何よりも、一般庶民の祭りの雰囲気が目立ちました。人々は想像力や才能を発揮し、知っていること、できること、やれることを全部やった、またやろうとしました。町や村、家、店、工場を飾り、仮装行列で歴史を再現し、人が一番集まる所で歴史的人物の姿に扮し、演劇をしたりして、独特な楽器、琴、三味線、琵琶の音に合わせて伝統的な歌を披露しました。
過去の思い出の中にモダンな日本の姿が入りまじり、人々の想像力が鮮やかな装飾や昔を思わせる歌や音楽を生み出し、一週間も明日のことなど考えないで、過去の思い出や目の前の酒に酔う庶民的なお祭り騒ぎを繰り広げました。
今は、祭りが終わり、その思い出が何かの公共事業に残っています。日常生活のリズムが戻り、宣教師たちも自分たちの仕事を続けています。私たちは、これらの出来事の結果を考え、神様がこの偉大な国民の救いを早めてくださるように祈っています。そのためにもイタリアの友だちの祈りも願っています。
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
10 宣教活動の新しい発展を目指して
新しい発展と人材の必要を訴える
リカルドーネ・ピエトロ(Ricaldone Pietro)副総長へ
長い間沈黙を守ったリカルドーネ神父への返事である。内容は箇条書きで、具体的である。リカルドーネ神父は、チマッティ神父の字が小さく、ばらばらの紙切れに書かれていることで読むのに疲れると忠告してきた。
チマッティ神父が気にしているのは、リナルディ総長が、人材や経済的な困難のため事業の発展を停止すると指示したことである。
宮崎 一九二八年十一月二十三日
親愛なるペトロならびに尊敬すべきリカルドーネ神父様
神父様が私の責任で大切な時間を費やされたことを心から悔やみます。これからは、できるだけ読みやすく書くようにいたします。
私たちは、神父様が死んだのかと心配していました。今も何があったか分かりませんが、途中で思わぬ事件にお遭いになったことを聞いた後、沈黙...、その後、東洋に派遣される四人中の三人が日本のためだという上海からの情報...、次は、長上への私の文句の手紙...、続いて、待ち憧れていた神父様のお手紙が届きました。その中に十分な説明があるとは言えませんが、まあ、どうなるかを見ましょう...。もしかしたら、届いていない手紙があり、その中に新しい人たちについてどこで上陸する、なぜ上海回りで来るか等の説明があるのかも知れません! まあ、ここまでにします! でなければ、また文句を言ってしまう! 長上が決めたのなら、良いことであるはずです!
では、私たちのことを。
① 〔私の字が読みにくいとおっしゃるから〕今、手書きしていた分を破きました。けれども、長上が判断できるように、私は送るべきだと思う必要な情報をお送りします。
② 独立宣教区や準管区の問題に関しては、すべてはっきりしました。神父様やリナルディ神父様の説明や、聖座から与えられた権限により、間違いを犯さないで歩むようにします。何か疑問があれば、質問ができるでしょう。まあ、チマッティ神父は、どうすべきかを知る必要があり、分かっていれば、実行します。失敗したり、どうしようもない状態になることもあるでしょうが、一応、指示されたことや、打ち合わせたとおりに実行したならば、神様の前で安心します。
リナルディ神父様やリカルドーネ神父様は、私の一番大きな悩みをご存知です。私は、息がある限り、自分のため、また会員たちのためにも、自分が長上の役目から解放されることを願いましょう。私は、従順の功徳以外、この役目に何の意味も見出しません。従順を損なわない限り言わせてください。私にとって、長上であることは、この世で一番無意味なことです...。まあ、言い過ぎないようにしましょう。もっと酷いことを言わないためにここで止めます!
③ お手紙に何回も「トリノに来る時」とありますが、私は、リナルディ神父様にも自分が来るための難点を説明しました。長上が「来なさい」と命令すれば、私は良心上で安心です。私にとって、日本語を忘れること、会員たちに負担をかけてしまうこと、日本に来てまだ日が浅いこと、会員に悪い手本を示すことなどは、私がここに残るための十分な理由だと思います。私の気持ちをよくお分かりの神父様は、どうすべきかおっしゃってください。もし行くべきのなら、いつ、何を準備すべきかを教えてください。
④ ご援助をありがとうございます。長崎の早坂司教の協力により、早く小神学生の小さいグループが始められると期待しています。東京のシャンボン司教からも、邦人司祭のための後援会があることを伺いました。神父様がおっしゃったとおりにいたします。
⑤ 大阪や東京の司教がサレジオ会を誘致したいことに関しては、長上の皆さんにお任せします...。総長様の回書を読んで、ふっとこう思いました。
a) 幸いなことに、同じ事情でルア(Rua)総長やアルベラ(Albera) 総長が事業拡張停止を決めた時、神様のみ摂理によりそうなりませんでした。今、手元に歴史の資料がありませんが、証明は難しくないと思います。願わくは、宣教地の発展を促進させることを決められたリナルディ神父の任期中、主がこのような致命的停止をお許しにならないように! チマッティ神父は政治的対策が分かりませんが、もし、日本でこれからの四、五年、宮崎、大分、中津でしか活動できないということになれば、皆を呼び戻した方がましです。
b) これ以上言わないことにしましょう。私にとって、歴史を見れば、先ほど申し上げましたことは明白です。これからも安心して眠ります。申し上げましたとおり、これは、ふーと浮かんだ考えです。このことを申し上げて、悪かったのではないのでしょう。
c) 教材を送ってくださることに感謝いたします。一番緊急である宗教を教えるための具体的な教材、大きな図柄、きれいな幻灯等を期待しています。
d) シスターズについてはどう言えば良いのでしょうか。残念ながら、今年はもう遅いです。私たちの状態を考えれば、私と会員たちのために不安です。まあ、もし、神のみ摂理により資金が手に入れば、幼稚園でも始めます。これは、信仰を持たない人や家庭に近づくため。一番良い方法です。日本人の信者の中でも十分な人材が見つかります。もし、足りないならば、他の女子修道会を宣教地に誘致します。やはり、我がリカルドーネ神父様、あらゆる方法で試さないと、善のチャンスが失われ、人々の魂が失われます。神様が与えてくださるこれほどの恵みを放って置いてはなりません。お考えください。日本の文化を理解するための言葉の難しさや、三年経ってまだ一人も来ないことを...。これで、三年も失われました! 一人の会員が戻ったし、身体の弱い者もいます...。それでも万歳! 主において喜びましょう! 困難が多く、大変ですが、動けば、何とかなるでしょう。かえって、溜り水のようになれば...。
先ほど別れた父親の会の一人の信者が、今度の日曜日、信仰を持たない家庭で行われる幻灯会において、宗教についての話をします。「今まで、宣教のために何もできませんでしたが、今は、皆さんのお陰で、私にも話する機会が与えられました。ありがとうございます!」と言ってくれました。
日本とお別れなさった時、リカルドーネ神父様はとても感激なさっていました! そのお気持ちを持ち続け、私たちの必要をお考えください。日本のためやり過ぎだと、お思いにならないでください。これは総長様の回書に反することであるか分かりませんが、来年、是非、修練院も、シスターズの来日も実現するようにしましょう。まさか、四、五年も待つことはないでしょう。
⑦ 田野教会の認可を感謝いたします。(……)
⑨ 今回、イタリア人らしく、明解に書きました。その点では、日本人らしくないのです。彼らは、明解に書くことは得意でないようです。私の字が読みにくいのは、使った紙によるのかも知れません。しばしば切れ端を使うからです...。まあ、このことも改善するように努力します。
最後に、親愛なるリカルドーネ神父様、私のためにお祈りください。私にとって、日本に来たことは精神的にとても役立ちました。私の状態について目を開かせ、自分の能力や聖徳の無さを悟らせてくれたからです。これは、明白なことですから、本気で言えます。神に感謝!
私が神様のお恵みを無駄にしないようにお助けください。クリスマスおめでとうございます。主において抱きしめます。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父、サレジオ会員
田野教会のための補助願い
宣教聖省(Propaganda Fide)へ
チマッティ神父は、宣教地の責任者として新しい事業を始める時、バチカンの宣教聖省に援助を願う。今回は、田野教会の建設のためにそうした。この聖堂の落成式は、チマッティ神父のイタリア滞在中、一九二九年六月十六日に行なわれた。サレジオ会が建てた最初の教会で、海の星(聖母マリア)と小さき聖テレジアとに捧げられたものである。
宮崎 一九二八年十一月二十五日
枢機卿閣下
(……)宮崎県の田野という小さな町に、二年前から五十名ほどの信徒が共同体を結成しました。その世話をするために、私たちは大きな犠牲を払って、今年から週二回の要理研究や、月二回のミサを立てています。やむを得ず、信徒の家でします。
信徒や、そうでない人々の間で得た実りを固めるために、また費用や時間を節約するため、小さな聖堂が必要です。それを幼きイエスの小さき聖テレジアに捧げたいと思います。
土地、また一五〇~二百人のための建築の見積もりを取ってみたら、二万五千イタリア・リラとなっています。
方々、援助を探してみましたが、今のところは何も得られませんでした。一応、この地区の開拓を促進してくれる宮崎県は、建築が完成したら、五、六千リラの補助を出してくれると約束しました。ただし、今年度の三月まで建築が竣工しないといけないという条件が付いています。
ここの人々の救いや宣教地の保護者聖テレジアの光栄、また始まったばかりのこの宣教地の発展のために、閣下に特別な補助をお願いいたします。(……)
尊敬をもってヴィンチェンツォ・チマッティ神父、サレジオ会員
大分でシューベルト百周年のコンサート
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
この手紙は、チマッティ神父が聖フランシスコ・ザビエルの祝いのために大分に来ていた時に書かれたが、日誌や新聞記事を見ると、その時、シューベルト百周年記念にあたり、十一月二八日は大分県公会堂で二回、三十日は臼杵の劇場でさらに二回記念コンサートを開いたことが分かる。そのために出したシューベルトを紹介するチラシも残っている。手紙の一部が見当たらない。
大分 一九二八年十二月二日
親愛なるお父様
ご覧のとおり、大分から書きます。ここに来たのは、聖フランシスコ・ザビエルの祝いのためです。
①(……)
② トリノから来るはずの三人を待っています。誰であるか、いつ、どこで上陸するのかまだ分かりません。二十日上海に着く予定であることを間接的にガレリ(Garelli)神父から聞きましたが、確実ではないし、私たちは上海まで迎えに行かれないでしょう。この三人を送ってくださった神父様に感謝いたします。来年、さらに三人とシスターズをお願いいたします。
③ 月の終わりなので、ご報告をいたします。健康は相変わらず良好です。勉強も仕事もいつものとおり。信心業は、共同で行えば規則正しくできますが、一人でやると、時々一部を忘れたり、居眠りすることがあります。時には、冷淡になり、嫌になることもあります。けれども、止めることはしません。
時々、主が私をお試しになります。いかに私がまだまだ悪い者であるか!
会憲や誓願に関しては特別な困難はありませんが、私には、まだ目のコントロールや節制の精神が必要です。
勤めについては、ご存知の困難があります。仕事は拒みませんが、指導ができず、命令もできません。それは、傲慢のためか、怠けのためか、憎まれ役を避けたいためか、分かりません。どうやったら良いのでしょうか。
支部の中の問題点については、後も述べますが、あっちこっち衝突が見られます。それも、私が十分に注意しないためでしょう。
兄弟愛に関しては、私は皆と仲良くしていますが、皆が善を行なおうとして私と意見が一致しているわけではありません。どうすれば良いのでしょうか。私は、鞭は使えません。ある人から見れば、私のやり方には蜜が多すぎる、ある人によれば...。まあ、我がイエス様、私は自分さえも指導できません。他人を指導できないのは不思議ではないでしょう。
中津教会 順調だと思います。善いリビアベラ神父は、持病〔てんかん〕による発作がありました。また、サレジオ会に向いている一人の善い青年がいて、ラテン語の勉強のためにピアチェンツァ神父に任せました。メルリーノ修道士は、日曜学校の指導をとても上手にやっています。
大分教会 新しい修道士が着いたら、大分に送ります。タンギー神父とマルジャリア神父は、互いに合わないことがあります。マルジャリア神父は、まだ若く、養成期間も短かった。反面、言葉は良くできる、歌も上手です。そのため、男女の青年たちに受け入れられます(ああ、早くシスターズが来れば! 人々を救うために宣教師たちが出発するのは、どうしても十月、十一月でないといけないのでしょうか!)。彼に何かを注意すると、自分の使徒職にブレーキをかけられると思い込みます。一方、タンギー神父は、イタリア語が不十分なので表現が足りず、きつい言葉を使うこともあります。そのため、空が曇り、仕事上の連絡がうまく行かにことがあります。二人とも身体が丈夫ではないので、焦ると疲れます。これもまた、健康や他の意味で良くないことです。
宮崎教会 時々、カヴォリ神父とグアスキーノ修道士が互いにぶつかることがあります。原因は様々ですが、第一は私のやり方でしょう。グアスキーノさんがすべてには目が届かないので、カヴォリ神父は(善を実現するつもりで)強い言葉で注意します。それにグアスキーノさんが口答えすれば、兄弟愛は吹っ飛んでしまいます(先日も、私が不在の時そうだったとカヴォリ神父が書いてけれました)。そのことで二人は悩み、私も悩みます。一番残念なのは、これによって神様のみ心に背いてしまうこと、また悪い手本になることです。一応、和解させるように努めますが...、私たちの間にこんなことがあるとは! また、私がこんなことに巻き込まれるとは! 私は、煉獄で長い時間を過ごさないといけないでしょうが、これもその一部です。ある日、御み堂で泣きながらイエス様に申し上げました「どうすれば良いのでしょうか」と。神父様はどう思いますか...。
〔続きのページが紛失〕
〔ヴィンチェンツォ・チマッティ神父〕
要理のチラシの実現を促進する
宣教師たちへ
一九二八から始まったチラシは、四ページのもので、保存されているもののリストは本の巻末に記載されている。新聞に折り込んだり、コンサートなどに配ったりして、広く配布されていた。それぞれの教会が単独で出したものもある。
宮崎 一九二八年十二月十八日
親愛なる兄弟の皆さん
遅くなりましたが、十月四日の手紙に書いてある第五項目(福音宣教の宣伝のためのチラシについて)の提案を具体化する必要があります。
お願いしたいのは、知人や友人に、書いてもらう課題を提示することです。宮崎教会は、神の存在、自殺、教皇の課題を担当します。望まれるのは、日本人に興味がありそうな課題です。地域によって、たとえば、仕事、勉強、貯金のような社会問題なども良いです。その場合、各教会は何枚を予約しますか。
初めとしては、二月に各教会から一課題ずつ必要です。続いて『ドン・ボスコ』という機関誌の記事の他に、各教会は一年に八課題を準備することになります。これなら、発行できます。でなければ、不可能です。ドン・ボスコの子らとして、仕事にかかりましょう...。引き受けたら、何があっても手を引けません。もしできなければ、始めないで、他の道を探すことにしましょう。
皆さんのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
11 一九二九年 新しい態勢を整える
無原罪の聖母とクリスマスの祝い
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
この手紙は、一九二九年五月号のBollettino Salesianoに記載された。次の手紙と一緒に送られたと思われる。
宮崎 一九二九年一月一日
親愛なるお父さま
この手紙において、私たちの宣教地の年末までの出来事をまとめます。
日本の偉大な使徒聖フランシスコ・ザビエルの祝いを大分で行った後、無原罪の聖母の祝日の準備に全力を注くことにしました。今年の二つの特徴をご紹介しましょう。
① まず、九日間の講話には、初めて対談形式を取り入れることにしました。話の内容はキリスト教的な生活に関する教えと実践のことでした。信者の多くが仕事から解放されるこの季節、去年のマリア様の研修会で約束したとおり、信仰の勉強を深めることにしました。宣教師たち、カテキスタや信徒が行った講話や対談形式の新しさもあって、信者は注意深く、関心をもって聞いてくれました。多くの人は、頭をあげ、顔にも興味を示しましたが、これは、日本人には珍しいことです。いろいろな質問も出されて、答えることにしました。
② その際、「マリアの子」の祝いもしました。このグループに一年間働きかけた結果、彼女らは月一回の講話、要理研究会、祝いの準備、少女たちの世話が、献身的にできるようになりました。扶助者聖母会が来日したら、きっと、シスター方に大きな慰めを与えるでしょう。
次は、クリスマスでした。これは心の祝いであり、各教会で心を込めて祝いました。この機会に、教会から遠い所に住んでいる信者も多数参加しました。幾つかの洗礼も授けられ、宣教師たちの慰めとなったのです。
今年は初めて、信者が馬小屋の模型を見ることができました。イタリアとは比べものになりませんが、日本人もここから学ぶことができ、特に子供たちの心に大きな影響が与えられました。多くの人が見に来て、質問もしたり、祈ったりして、イエス様に小さなプレゼントを捧げました。宮崎教会で飾った人形は、イタリアの心優しい技術家が彫刻し、プレゼントしてくれました。お陰様でイエス様が知られ、愛されるようになった、と喜んでいます。(……)
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
経済的な困難-新しい宣教師三名の到着
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
以前もチマッティ神父は経済的な困難を訴えていたが、これからはこの訴えは一層深刻になる。一つの原因は、一九二九年・一九三〇年に起こった世界経済大恐慌であった。イタリアの本部も大変な状態になったのであろう。
なお、この手紙にあるとおり、十二月二十八日、三名の新しい宣教師が到着した。後で分かるように、三人とも健康などの理由で数年後国に帰ることになった。人選に問題があったのであろう。
宮崎 一九二九年一月十日
親愛なるお父さま
今回は遅れました。理由は、年末の仕事や、来るべき人たちに関する心配や情報不足、また今、生活費の心配のためです。(見てご覧なさい、いかに私が信仰薄い者であるか!)というのは、着いた人たちが持ってきたのは千円ぐらいしかないからです。(私たち、また増えてきた家族の必要なことを考えれば、この程度の金額は煙のようにすぐに消えてしまいます。そのため、もう一度電報を打ち、長上の助けを願うようにしたのです。)
私の心境を神父様に打ち明けましょう。
a) 新しく着いた会員たちは、二人の神父は宮崎で、修道士は大分で、それぞれ気持ちよく仕事に就きました。
b) 私たち皆が気にしたのは、何の知らせも無かったことです(もしかしたら、手紙が途中で紛失したのでしょう。)修道士の名前を知ったのは上陸の時でした。また、ルチオニ(Lucioni)神父の名前はリビアベラ神父のお父さんから、エスクルセール(Escursell)神父の名前は本人の手紙から知ったのでした。なお、三人の学歴や必要な情報などについては何の書類も無く、彼らも何も持ってきていません。これらの情報があれば、本人たちも私たちも仕事が楽になります。そうお思いになりませんか! もちろん、三人は報告してくださったのですが、よくご存知のとおり...。
エスクルセール神父は勉強は済んでいますが、今度は五年の実施課程に入ります。再度そのプログラムをお願いいたします。前にも頼んだことがありますが、途中で紛失したのでしょう。
ルチオニ神父はコロンビアに行きたかったと言っています。本人が言うには、頭が固く、理屈っぽく、時々おかしく振舞うこともあります。胃を患ったこともあるそうです。神学の勉強が終わっていないそうです。しかし、具体的なデータはありません。ゆるしの秘跡を授けるための試験も受けていません。
マカリオ修道士は、炊事を少し学ぶように宮崎に来ています。
以上のことを申し上げるのは、長上の皆さんが、現実を知らせてほしいとおっしゃるからです...。しばしば会員の本当の状態をご存知でないようですから...、また、お知らせするのは、私の務めであると信じているからです。不満を申し上げているとお思いにならないでください。とんでもないことです。むしろ、感謝いたします。ただ、良心上、知らせるべきだと思っているのです。
エスクルセール神父が言うには、「何かの誤解で、ほとんど無一物で出発させられました」と。「団長のグアローナ(Guarona)神父がすべてを考えてくれる」とリカルドーネ神父から言われたからです。ところが、出発してから、同神父は「日本のために何ももらっていません」と言って、ペレグリーニ(Pellegrini)神父にすぐに知らせました。
私は、ピアチェンツァ神父やタンギー神父と一緒に会計の問題を片付けようと、真剣に予算を考えていましたが、この窮乏の状態ではすべてが吹っ飛んでしまいました。皆さんの困難も分かりますが、もし、(教皇様がおっしゃるとおり)前線にいる宣教師たちが軍用品の心配をする状態に置かれるならば、当然、活動できないことになります。総会での討議や決議は結構ですが、まず助けをお願いいたします。イタリアへ行くための旅費もなく、もしここに残る会員が少なくとも三、四ヵ月の資金がないならば、どうすれば良いのでしょうか。
c) 次は、私自身の報告です。
健康は、神様のおかげで良好です。
仕事と勉強は、相変わらずですが、もし、皆の志と祈りを支えるべき長が、宣教活動が根付く時まで生活の手段を探さないといけない状態にあるならば、落ち着いて使徒職に専念できるはずはないでしょう。
信心業は、共同で行なっています。一人でやる時、相変わらず気が散ったりします。秘跡は、規則正しく受けています。
会憲や誓願に関しては特別なことはありませんが、私の困難はご存知です。
自分の務めについては、毎日、神様は私の惨めさや、皆が認めている私の無能力を自覚させてくださっています。そのためにも感謝いたします。すべては、私にとって謙遜、忍耐、苦行の機会となります。
会員との関係に関しては、時々カヴォリ神父から注意を受けます。私は、彼が言うことは正しいと思っていますが、どうすれば良いのでしょうか。彼は、総会長様にも手紙を書いたが、納得できる返事が得られなかったと言っています。そして、私が本当のことを書くようにと願っています。つまり、彼が私と合わないこと。また、グアスキーノ修道士が支部に役立たない、ここにいる理由がない、と言っています。私は、今度総会のためにイタリアへ行きますから、どうすれば良いか教えてくださいと願いましたが、彼は、イタリアへ帰りたいと言い出しました。もちろん、落ち込んだ時にそう言ったと思いますが、それにしても、チマッティ神父はどうすれば良いか分かりません。私は、自分が受けた教育によりこのような人です。自分が長上になるべき、またはなりたいと思ったことはありません(でも、心の中にそういう気持ちはあったでしょう)。今は、長上になって、部下が私よりよくできるのを見て、長上の意識はありません。どうすれば良いのでしょうか。
ご覧のとおり、カヴォリ神父は自分の魂のためにこのことを願っています。私と合わない、私が原因だと言っているのです。我がお父さま、本当に困ったことです。大変な時を過ごしています。その嵐の後、凪になりますが、小さなことですぐまた荒れてしまいます。チマッティ神父は、良い勧めを与えることができても、厳しく要求する必要がある時、要求できません...。恐れているためか。経験がないためか。ご覧のとおり、聖人ではなく...まだ寛徳のABCの段階にあります。ともかく、助けてください。
カヴォリ神父は、日本語の勉強を再開しました。活発で、熱心です。物事を良く見ています。そして、それを実行しようとして、同じ目標を目指して共に働いている人々を省みずに、真っ直ぐに進みます。そのため、時々、カッとなることがあります。最終的に問題は片付きますが...。
私たちの仕事は進んでいます。けれども、固める、具体化する、明らかにするために、物心両面の心配が妨げになっています。リカルドーネ神父にも幾つかのお願いをしました。神父様にも知らせてくださるでしょう。
心を打ち明けるために助けてくださった神様に感謝いたします。文章の表現を赦してください。あなたのこの子を祝福してください。
一番不足だと自覚している ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
ドン・ボスコの列福を準備する
カヴィリア・アルベルト(Caviglia Alberto)神父へ
この手紙にドン・ボスコの列福の話が出てくるが、実際、列福式がローマで行われたのは一九二九年六月二日であった。チマッティ神父は、総会に参加するためにイタリアへ出発する前に、日本で祝うための必要な物を注文した。
宮崎 一九二九年一月十六日
我が親愛なるアルベルト神父様
神父様が大変な仕事に追われているこの時期に、チマッティ神父が邪魔しに行きます。ドン・ボスコの列福を早めに考えないといけないからです。そうでなければ、距離、船旅、税関を合わせると、一九三〇年になってしまいます。
ほしいものは次のとおりです。
① 祭壇の上に飾る、光栄のドン・ボスコの絵。大きさは二メートル×一メートル四十センチ。
② もしあれば、奇跡を描いた二つの絵、一×一メートル半の大きさ。
③ 教会の表にかける旗。大きさは三×二メートル半。これは、屋外に出しますから、色が落ちないものでないといけません。難しいことでしょうか。
ドン・ボスコの光栄を表す絵はお任せします。神父様は良くお分かりですから。なお、ここはトリノ市内ではないから、絵だけは急ぎます。
私は、毎日の祈りをもって感謝しながら抱きしめます。近いうちにお目にかかってまた抱きしめたいのです。皆、皆、皆によろしく。
サレジオ会員 ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
パンなどのこと
宣教師たちへの手紙
この手紙で分かるように、当時、パンはまだ普及していなかった。大分や中津の宣教師たちは宮崎からもrっていた。値段は高かったようである。
宮崎 一九二九年一月十七日
親愛なる兄弟の皆さん
パンの清算のため、今後、〔パン屋さんの〕戸成さんが請求書を入れることにします。確認した上で、皆さんは宮崎教会へ送ってください。直接私たちが支払います。一応、このとおりやって見ましょう。ピアチェンツァ神父は、門司でのパンの値段も確かめてみます。
ドン・ボスコの列福の祝いのため、幻灯、ご絵、ハガキ、おメダイメダイ、ご像などを注文しました。他の物を加えた方が良いのでしょうか。
私たちの保護者聖である柔和なフランシスコ・サレジオとドン・ボスコの祝いのために人々の心を準備するように努めましょう。
心を込めてヴィンチェンツォ・チマッティ神父
教え子への霊的指導
ヴァレンティーニ・エウジェニオ(Valentini Eugenio)神学生へ
チマッティ神父の教え子ヴァレンティーニ・エウジェニオは、神学の学位を修得するため、ローマのグレゴリオ大学へ送られていた。
宮崎 一九二九年一月二十一日
親愛なるエウジェニオ君
お手紙ありがとう。君がローマにいることを喜ぶ。美しい、大事なものである神学を勉強するために行ったのだから、心を込めて学びなさい。神様を勉強するのだから。君の立場を羨ましく思う人がたくさんいるだろう。
他のことについては、
① 年が経つにつれて、偉くなりたい気持ちがいかに無駄、いかに狭いかが分かってくるだろう。
② 落ち着いてやりなさい。小さなことを大切にし、それで満足しなさい。私たちが小さな者だから...。もし不親切な行い一つでも一年で直せるなら、大きく進歩したことになる。
③ ローマのニュースをありがとう。
今年の目標が欲しいのか。総長が提示したものが素晴らしいではないか。ともかく、次の名言が役立つと思う。「一線を進まない日がないように...、水の一滴は岩を掘る。Nulla dies sine linea…,gutta cavat lapidem。」意味が分かるね。一線や一滴は、いかに小さいかを考えてご覧。
神様のお望みなら、顔と顔を合わせて話せるだろう。
君より貧しいこの私のために祈りなさい。君を祝福する。
君のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
日本での受け入れの条件
扶助者聖母修道女会の総長へ
宮崎 一九二九年一月二十四日
尊敬すべきマードレ様
ご覧のとおり、マリア様が私の願いを守ってくださるように、宣教地の長として、またサレジオ会員としてお送りするこの手紙を、二十四日に書きます。
お約束のとおり、総長様は日本のための良いグループをお選びください。多ければ多いほど良いですが、長上になる方はいくらか年配の方が良いと思います。私たちは、できるだけ、またそれ以上も助けるつもりです。
条件に関しては、私の未経験をお許しください。もし、前例の雛型があるのであれば、お知らせください。私としては、現地の収入が本当に些細なものであり、すべてをヨーロッパの御摂理から待っている者ですから、どうすれば良いかを教えてくださるようサレジオ会の長上にお願いしました。
総長様がお選びになった方々は、言葉を学んだ後、家事、裁縫、刺繍等、また幼稚園や福祉事業、教会学校(oratorio)で活動ができる者であるようお願いいたします。音楽のできる人も必要です。才能があればあるほど良いのです。
初めは、借家が良いと思います。
私がイタリアに行く命令を受けたのですから、もしその時までまだ生きているのであれば、そこで細かいことについて打ち合わせができましょう。
日本という偉大な国には、扶助者聖母マリアのシスターズのために素晴らしい活動の場が開かれています。マリア様が、その保護の下に置いてくださいますようにお祈りしましょう。
尊敬をもって ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
追伸 ― できることであれば、扶助者聖母修道女会を紹介する小冊子をお送りください。間に合うようにそれを訳して、宣伝や召し出しのために役立つようにしたいのです。
報告と願い
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
この手紙の初めにチマッティ神父は、冗談で聖フランシスコ・ザビエルと同じ姿勢で手紙を書く、と言っている。日本の畳を知らなかったヨーロッパ人は、聖フランシスコ・ザビエルが跪いて聖イグナチオに手紙を書いていたので、尊敬のためにそうしていた、と解釈していた。
宮崎 一九二九年二月十日
親愛なるお父さま
ただいま、高鍋に来ていて、この小さいグループの信徒のためにミサを立てて来ました。汽車を待っている間、神父様に手紙を書きますが、やむを得ず、聖フランシスコ・ザビエルが聖イグナチオに書いていた時と同じ姿勢で書きます。残念ながら、私はその使徒の聖徳からよほど離れている者です。
私の健康は最善の状態です。他に関しては変わりありません。善くなりたい気持ちは相変わらずですが、残念なことにあまり実行できません。身に付けなけないといけない徳が多いことは明白です。私のためにお祈りください。
誓願や会憲に関しては特別なことはありません。人の魂を愛するあまり、身体にも愛着を感じ、時々内的な戦いを体験することがあります。
自分の務めを果たすにあたって、人の魂のためにもっと熱意を注ぐべきです...。けれども、できないのは、ある程度、長上の責任でもあると思います。なぜなら、多くの物質的なことに心を配る必要があり、それを考えたりして、やむを得ず多くのことが後回しになります。幸いなことに、他の会員はよく働いてくれています。でも、このような状態で宣教師になれば、詩的な気持ちがしおれてしまいます。神父様が「長上も、修道会のために同じことをやっている」とおっしゃるでしょうが、チマッティ神父は「皆さんは上手にやれます。私はやれません」とお答えいたします。(……)
会員たちは皆、ドン・ボスコの忠実な子として働いています。使徒的仕事が拡がり、手段があればもっとできるはずですが、神様は私たちが直面している困難をご覧になり、きっと助けてくださるでしょう。神父様もお助けください。
会員たちに心配をかけないため、援助を待っています。田野教会の建設や修練院の用地購入のための資金、またイタリアへ行くための船賃も待っています。でなければ、動けません。もし三月半ばまでに援助が来れば、三月末に出られます。でなければ、四月になるでしょう。その場合、命令のとおりの五月には到着できません。
私のためにお祈りください。宣教師としての生活のおかげで私は多くのことを悟りました。神に感謝! たとえ〔日本に〕戻れなくなることがあっても、私の心にどれほどの利益があったかは、神様のみご存知です。〔一九一二年に〕ヴァルサリチェから聖アロイジオのオラトリオ(Oratorio San Luigi)に飛ばされた時と同じ心境です。その時、サレジオ会員としての一番素晴らしい時でした。
私のためにお祈りください。神様の御心であればお目にかかり、直接、お話できるでしょう。私を祝福してください。
敬愛を持って ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
日本での結婚式の披露宴
ヴァルサリチェ学院の神学生へ
この手紙で、当時の宮崎での披露宴の習慣を紹介する。
宮崎 一九二九年二月十一日
親愛なる神学生の皆さん
復活祭が近づいています。その時、私が旅行中であるかも知れませんので、今、務めを果たします。神様の祝福に充ちたお祝いでありますように! 皆さんが日本の宣教地のために働いてくださることを神様が報いてくださいますように。これからもお願いいたします。
ただいま、ちょうど結婚の披露宴から戻って来たところです。これについて書きましょう。今回、信者同士で、中流家庭の結婚式でしたが、お二人の父親や親戚が信者ではありません。教会の儀式を除けば、すべては日本の伝統に従って行なわれました。教会の式は皆さんが知っているとおりですから、披露宴について説明しましょう。
お嫁さんの独特な衣装を描くのは難しいことです。絵はがきを見つけたら、送ることにしましょう。披露宴は、大きな長四角の畳の部屋で行われました。長い面には新郎と男性、向かいの面には新婦と女性、そして短い面には招待客が並びました。日本の場合、一番偉い客は真中ではなく、角の席に着きます。今回、一番偉いのは私だったのですから(すみませんね!)角にいることを想像してみてください。
皆が席に着いたら、お祝いの言葉の後、儀式に移りました。特別な盆に三つの杯が重ねられ、まず、丁寧なお辞儀をして一番偉い客の前に置かれます。あなたは、両手で杯を上げ、お酒が注がれます。あなたはお辞儀をしながらゆっくりと額まで杯を上げ、お酒をいただきます。そして、杯を返し、同じ儀式に従って次々とすべての客に回されます。日本人は急ぎません。十五人ぐらいいたのですから、計算してみてください。
第二の儀式。今度は、多くの小さな皿から、肉、魚、野菜、海藻などを一口ずついただきます。自分の側に、お茶を注いでくれる人が常にいます。もし、誰かに特別に挨拶したいならば、自分の杯を送って、それから飲ませます。相手も同じように杯を返し、次々あなたも飲む、私も飲む...。注意しないと、大変なことになります。日本では、もし誰かを酔わせたいならば、簡単です...。皆で打ち合わせて、皆その人に杯を送ることにするのです。
皿の中のものがなくなれば(ゆっくりしないといけませんが...)、次の物が持って来られます。これですべてが終わったと思ったら、また持ってきます。しかし、その時、だれもそれに手を触れません。小さな箱も一緒に出されて、給仕する人が食物をその箱に入れます。そして、白い風呂敷で包んで、家の子供たちへのお土産になります。
第三の儀式。最後に、新婦が立ち上がり、主婦の特別な服を着、お客様たちにお茶をもてなします。一緒にお菓子も出されて、家族への楽しみとしてそれを風呂敷に包みます。それから御礼をして、風呂敷を下げて家に帰ります。誰もその格好をおかしく思いません。むしろ、羨ましく思うのでしょう。
包まれた物には伊勢えびが入っていました。何か特別な深い意味があるのかと聞いて見たら、「宮崎にはないのですが、私の村なら、良い意味ではありません。後ろに歩くのですから。」という返事でした。なるほど、こういうものにも何かの意味があるのですね。
今回、ここまでにしましょう。その時、信者でない人が一緒にいたので、カトリックの司祭や宣教師、また宗教について話しをするきっかけとなりました。彼らが一番感心するのは、祖国や家族を離れて、主イエス・キリストの教えを伝えるために独身の道を選ぶことです。
私のためにお祈りしなさい。神様の御心であれば、今度、お目にかかれるでしょう。
感謝を込めて皆さんのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
ドン・ボスコの列福とバチカン市国成立
カヴィリア・アルベルト(Caviglia Alberto)神父へ
この手紙では、バチカン市国の独立が承認されたという大ニュースに触れる。一八七〇年、イタリア統一に際してローマと教皇領土が武力で併合され、不服だった教皇がバチカンに閉じこもり、イタリアとの対立が五十年も続いた。一九二九年二月十一日、ムッソリーニと教皇ピオ十一世との間に和解条約(ラテラン条約)が署名され、現在の「バチカン市国」が生まれた。このニュースは、写真付きで『ドン・ボスコ』紙にも詳しく報じられ、チマッティ神父の気持ちを知ることができる。因みに、一八九三年度、ムッソリーニは一年間チマッティ神父と一緒に同じファエンツァのサレジオ会の学校にいた。ムッソリーニは小学三年生、チマッティ神父は五年生だった。
宮崎 一九二九年二月二十六日
我がアルベルト神父様
お祝いの手紙を出してきたばかりで、二十三日、あなたの二月三日の手紙が届きました。すぐ返事します。日本の郵便はよく組織されています。特にヨーロッパ人の物に関して、面子を失わないようにしています。
ニュースをありがとうございました。
頼んであるドン・ボスコの額と旗をよろしく。正確な寸法を書いてみましたが、自由にしてください。日本の考え方が特別なので、ドン・ボスコと若者たちだけでよいという意見もあります。マリア様やドミニコ・サビオなどとの関係を理解させるのは難しいからです。日本人は単純です。日本のとは違う私たちのシンボルは、彼らにはあまり通じません。ですから、お任せします。キリスト教のことを何も知らない人たちもいることを念頭に置くべきです。私が思うには、子供たちに囲まれたドン・ボスコなら(心の優しいイエス様のように)皆に通じます。(でも、頭の回りのあの後光! フライパンみたいなあのものを飾らないといけないのは残念です。正直に言って、私はどんな聖人、マリア様にも好きではありません)。私は、日本語でドン・ボスコをこう紹介します。「これは、ドン・ボスコです。この方は、子供と青年の教育のために熱心に働きました。御覧なさい!」そして、皆、目を見張って、口を開いて「なるほど!」と言う。分かったという意味です。やはり、世の中は、ありのままに取るべきです...。
費用については、神様が考えてくださるでしょう。(……)
もう一つお願いです。あのジェラポリとかジェロポリとか〔名義司教になること〕についてはもう話さないでください。もし神父様が叙階してくれれば、賛成するかも知れませんが...〔訳者注 ありえないことだから!〕。でなければ、絶対に賛成しません! そのようなことを断っても、必ず天国に行けるのです。(……)
バチカンの問題の解決については、日本の新聞は次のように伝えました。
a) 独立国家として一定の国土が認められた。
b) イタリアは、弁償として、毎年、何百万リラの金額を支払う。
c) ムッソリーニとガスパリ(Gasparri)枢機卿により、一九二九年二月十一日に正式に署名された、と。
もう一度お祝い申し上げます。海に沈まなければ、お目にかかれるでしょう。我がアルベルト神父様、神様が祝福してくださいますように。心から抱きしめます。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
追伸 今、ラジオを通じて、東京からニュースの詳細が入りました。神に感謝!
トネリ・アントニオ(Tonelli Antonio)神父へ
宮崎 一九二九年二月二十七日
復活祭のお祝いを申し上げます。お目にかかったら、山ほど話すことがあります。ヴァルサリチェの博物館のためにいろいろな物を持って行きます。この宣教地のためにやってくれたことに対して、主がお恵みで満たしてくださいますように。神に感謝! ローマの問題について、教皇の使節からも詳しい情報が入りました。神に感謝!
心からあなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
日本庭園について
ヴァルサリチェ学院の神学生へ
この手紙にチマッティ神父は、日本庭園と生け花についてイタリアの学生に説明している。日本の伝統文化に対する師の興味が分かる。
宮崎 一九二九年二月二十七日
親愛なる神学生の皆さん
ご復活おめでとうございます! すべての意味で復活しましょう...。精神面ではより善い人になるため。活動面では学期末試験を良く準備するため。この時期に、皆さんから恩を受けた人々は、皆さんのために一層祈っています。
今は春ですから、日本庭園や生け花について少し話しましょう。
日本人の自然に対する畏敬の念は、仏教に関係があります。死後、人間の魂が動物、植物、鉱物の形で生まれ変わり、すべての存在と繋がりがあると考えられているからです。
日本は、庭にあらゆる植物(高木、低樹、盆栽、花が咲く、または咲かない叢など)を活用しますが、庭の特徴は次のとおりです。
① 左右不均整であること。
② 砂、石、岩がその骨組みとなること。
③ 種々の美的流派に従って、自然、池、山、寺院などを縮小し再現すること。
④ すべての物に象徴的な意味(老い、平安、清さなど)を与えること。
⑤ 時には、庭の中にいろいろな生き物を住まわせること。
⑥ 大きな庭が造れない人は、縮小した形でそれを造ること。
驚かないでください。数平米のこのような庭は、一万リラもすることがあります。大きな庭なら、千リラ札が数えられないほど多く必要です。
庭では、盆栽が注目を引きます。普通の鉢の中に五十センチの高さ、四、七センチの直径の百二十歳の松の木、二百歳のもみじの木、百歳の小さな木が植えられています。この形に縮小するためには、日本人はとても小さな鉢に種を植え、根が土を全部吸い込むまで残します。次にもう少し大きな鉢に移し、同じようにし、三回目も同じことを繰り返します。こうして根が強制され、木は独特な姿になります。さらに、剪定したり、枝を曲げたり、波形にしたりして、その小さな木を丸型、ピラミッド型などにします。こういう目的に一番適しているのは松柏科です。双子葉植物は、こういう栽培に抵抗しますが、日本人は、その独特な忍耐により、これにも成功しています。時には、接木をしたり、他の木の幹にかけたりすることもあります。
盆栽の発展した技術は、動物の形や、他の物の形に植物を変形させることです。これには、日本に多いシダ類の根っ子がよく使われます。
また、素晴らしいのは日本人の生け花です。飾られる花は、まさに縮小した景色に見えます。日本の花束は、私たちのと違って、鉢の中に創られ、自然の姿を真似します。時には、枯れているように見える枝までもが加えられますが、数日したら、その枝に芽や彩りの花が現われてきます。鉢の形や、それが飾られる場所、また周りの色との調和にも象徴的な意味があります。基本的な規則は、均整を避け、使われる花の種類や飾られる形を、目的に合わせることです。
我が友の皆さん、私たち西洋人には、もしかしたらこのようなことが理解しにくいでしょうが、心をよりデリケート、より親切にするためには、このような趣味を身に付ける必要があると思います。私たちは、皆から良いところを学ぶべきです。これが、私がしばしば繰り返す言葉です。
この愛すべき日本人のために祈り、働くようにしましょう。彼らは、私たちよりもいろいろな面で真の美に近いのです。私のためにもお祈りください。
あなた方のヴィンチェンツォ・チマッティ神父
現況を報告し、心を打ち明ける
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
宮崎 一九二九年二月二十八日
親愛なるお父さま
月の終わりですから、私と兄弟たちの報告をいたします。
① 健康は、神様のお恵みにより良好です。少し風邪を引いていますが、大したことではありません。
② 勉強と仕事に関しては、相変わらずです。今、出発の準備も加わってきています。会員たちが奇跡を行っていますので...心配はいりません。私がいなくなれば、かえって、邪魔者がいなくなって、もっとうまく行きます。
③ 信心業は、相変わらず良くやるようにしています。(……)でも、主は満足しておられるのでしょうか。
④ 誓願に関しては、大事なことはありません。心も頭も踊ることがありますが、踊ってもかまいません...。相変わらず、頭、心、感覚をコントロールする必要があります。また、神の御摂理の助けを得るために、もっと節約する必要もあります。
⑤ 自分の務めについては、私の愚かさや無能力により、いつものような問題が起こります。(……)
⑥ 兄弟愛に関しては、特記することはありませんが、愛がいつも、また皆の間に保たれるようにするのはなんと難しいこと! 私個人としては何もなく、神様のお恵みにより、愛徳を守るために自分自身を皆の足の下に置くようにしています。神様が愛であり、それを得るためなら、チマッティ神父はどうなってもかまいませんから...。ところが、私が長上として役目を果たせないのですから、自分が愛だと思っていても、時々他から弱さと思われることがあります。神に感謝! 神様はご存知です。他は問題ありません。
カヴォリ神父の健康は今は良さそうです。よく働き、善いことをやっています。しかし、神経も心臓も弱く、体質的に合わないことがあるので、彼のために落ち着いた環境が必要です...。(……)
今、多くの慰めをもたらしてくれた神父様のお手紙が目の前にあります。私としてはできるだけやっていますが、実際に働いておられるのは神様とマリア様です。日本にいる私たちには、このことは明らかです。以前も書いたことがありますが、私の皆無を悟らせてくださった神様に感謝いたします。進めば進むほど、その事実が一層よく分かってきています。
ご忠告をありがとうございます...。これだけでなく、これ以上も私に必要です。自分もそれに気付いています、会員たちも指摘してくれています。神に感謝! いつも、いつも、いつも明るい気持ちで前進を!
以前、より素直だったのに、今は通じないところがある、と神父様はおっしゃっています。それは当然です。当時、何も分かっていなかったからです。今は、分かり始めました。私たちについて人々が言っていること、私たちの徳も欠点も ― 人々の心の状態やその道徳的惨めさも ― キリスト信者においてもそれが大変だということも ― 善を行い、悪を償うために私たちが熱意に燃えないといけないということも ― いろいろな分野で何が必要であり、何が緊急であるかということも ― それに応えないと自分の務めを果たしていない気がするということも分かってきたのです。そのために、以前は子供のように考えていたのに、今は人間的な見方が強くなり、少し神経質になっているのでしょう。私たちも少し反抗期に入ったのでしょうかね。
文章で書けないことを口頭で話しましょう。順調に行けば、三月二十九日、上海から船で出発します。でなければ、四月半ばになります。出発の前にもう一度手紙を書きましょう。神父様は、もう書かないでよろしいです。おそらく、私がいないことになるからです。
最後に、私が聖人になれるように、また命じられた帰国が宣教地や会員たちのためになりますように、祝福してください。長上の皆さんが私のために多くの仕事を準備し、魂の救いのために協力してくださいますようお願いいたします。復活祭のお祝いを申し上げ、神父様を抱きしめます。
あなたの子 ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
『うたへやうたへ』と『ドメニコ・サヴィオ傳』
リカルドーネ・ピエトロ(Ricaldone Pietro)副総長へ
この手紙に、チマッティ神父は、自分が一九二六年、尋常小学校の教科書の中から作曲した歌を出版したと報告している。これは『うたへやうたへ!』という小冊子、チマチ博士作曲、大分市上紺屋町ドン・ボスコ和洋樂友社の出版である。第一集は昭和四年二月二十日、第二集は同五月一日に発行された。
ドン・ボスコ著『ドメニコ・サヴィオ傳』の翻訳もできた。一八九ページ、一九二九年三月九日(ドミニコ・サヴィオの命日)、宮崎市天主公教会発行である。前年の『尊者ドン・ボスコ傳』に継ぐ二番目の本である。
宮崎 一九二九年二月二十八日
親愛なるリカルドーネ神父様
大きな慰めを与えてくださったお手紙をありがとうございます。こちらのための援助もお計らいになったと期待しています。お目にかかって、多くの大切なことをお話しするつもりです。
①―②(……)
③ 私は、長上の皆さんに自分の無能力のことを書くのは時間の無駄使いだと思いません。これは私の性格です...。長上の皆さんに実際のことを知ってほしいからです。我がピエトロ神父様、日本にいらっしゃった時、私は、神様の裁判の前に立つ時、余り長い時間をかけないで、すぐに責任の所在をはっきりしたいと申し上げましたね。神父様は笑いましたが、あなたも責任者の一人です。私は、やれることをやっていますが、全部見ているわけではありません。私が見えないこと、私の不足、私の無能力を会員たちが見せてくれています。そのため、私は神様にも会員たちにも感謝しています。そして、指導、慰め、忠告を得るために、長上であり、お父さんであられる皆さんにこれらのことを打ち明けています。もちろん、いつも喜びの内に生きているのですよ...。
私が喜びに溢れていることを示すために、『うたへやうたへ』という、私たちの日本語の『Su cantiam』をお送りします。この本がためになるだけでなく、また多くの道を開いてくれると期待しています。歌詞は尋常小学校の教科書のものです。舞台の上で、「歌手」や「博士」である私たちがこれらを披露し、日本人に大きな感激を与えました。見てご覧なさい、神父様が来られた時「偉い人」と呼ばれましたが、私は「チマチ博士」と呼ばれていますよ!(私の名前は日本語で、こう誤って発音されています!)もちろん、この本は私の作曲です。巻末に、日本人の大好きなハーモニカの伴奏も付いています。
ドミニコ・サビオの伝記の日本語訳もお送りします。ドン・ボスコが書いたもので、よくできていると思います。
もしまだ送金していらっしゃらないならば、早くお願いいたします。他のことは、直接に話しましょう...。親愛なるピエトロ神父様よ、この惨めな私、また会員たちについても話したいことは山ほどあります。
私を祝福してください。皆に代わって復活祭のお祝いを申し上げ、熱心な祈りを約束いたします。心から神父様を抱きしめます。
あなたのヴィンチェンツォ・チマッティ神父
追伸 この手紙には返事を書かないでください。評議会と相談して、次の人事を決めました。宮崎には、カヴォリ神父、マルジャリア神父、ルチオニ神父、グアスキーノ修道士。大分には、タンギー神父(私の代行も兼任します)、エスクルセール神父、マカリオ修道士。中津には、ピアチェンツァ神父、リビアベラ神父、メルリーノ修道士。
佐世保教会のための扶助者聖母像
リナルディ・フィリポ(Rinaldi Filippo)神父へ
チマッティ神父は三月二十五日長崎からイタリアへ出発した。長崎で早坂司教と会い、この手紙に出てくる約束をしたと思われる。
出発に際し、自分の代わりにカヴォリ神父を宮崎教会の主任司祭とした。これで、チマッティ神父の主任司祭としての任務が修了する。次は、また主任司祭として務めるのは、戦時中の東京三河島教会の時である。
上海 一九二九年三月二十八日
親愛なるお父さま
ただいま上海にいます。いつここから出発できるかはまだ分かりません。
日本を離れた時、会員は皆元気で、仕事に追われていました。しかし、一文無しでした。溺れることがないため、もし一定の期間中何も来ないなら、神父様に電報を打つようにと、ピアチェンツァ神父に言い残しました。(……)
今回は、また大変なことをやってしまいました。けれども、マリア様に関係があることですから、神父様が片付けてくださり、赦してくださることを期待しています。
というのは、長崎教区の佐世保にイエスの御心に捧げられた聖堂が建築中であり、その一つの祭壇は扶助者聖母マリアに捧げられることになりました。私は、そこの宣教師と早坂司教様に、サレジオ会が扶助者聖母マリアのご像をプレゼントするようにします、と約束しました。これで、日本人の望みにより、マリア様は荘厳に長崎教区に入ることになり、その後はサレジオ会の協力者もできるようになるのでしょう。
さて、教会が大きいので、司教様は等身大のご像がほしいとおっしゃいました。これで、ドン・ボスコの後継者でいらっしゃる神父様には、マリア様を称える機会が与えられるようになったのです。チマッティ神父の大変な過ちのため(しかし、これを後悔しません!)、サレジオ会は手を引くことができなくなったのです。神父様の寛大な心によりマリア様は喜び、私たちの事業のために長崎への道が開かれることになります。日本は、宣教師たちや、おそらく司教様たちも、皆が縄張り意識の強い国です。何かきっかけがなければ...。
私のためお祈りと祝福をお願いいたします。いつお目にかかれるのでしょうか。
ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
