Frigo Carloフリゴ・カルロ神父へ
(教え子、サレジオ会員、中国の宣教師)
チマッティ神父は以前から宣教師になろうと望んでいたが、かなえられなかった。1912年から1919年までトリノ駅付近の聖ヨハネ教会附属のサン・ルイジのオラトリオ((教会学校))に勤めた後、この手紙を書く半年前にヴァルサリチェの高等学校に戻り、一層宣教師になる希望に燃えていた。宛先のフリゴ神父は、中国の宣教師であった。サレジオ会が中国に入ったのは1910年からであった。そこには、チマッティ神父の数名の教え子たちがいた。
トリノ1920年3月20日
親愛なるフリゴ神父様
先日、届いた1個の小包を開けてみると、偶像とカレンダーが出てきた。書いてある字が読めなかったが、分かったのは扶助者聖母の姿だけであった。「これは、フリゴ神父に違いない」と思い、下を見ると、君の署名があった。ありがとう! これは、大切なことを私に思い起こさせてくれるものだ。
わが偉大なるカルロ君。一体、いつになったら、私が宣教師となれるお恵みをマリア様からもらってくれるのか。そうなれば、私は必ず君に会いに行き、君は私に中国語を教え、私はおとなしくよい子になって見せる。君が学校時代にしていたように、迷惑をかけることは絶対にしないよ。
とにかく、君が送ってくれたものを見て、全てが分かった。君のマリア様に対する愛、君の使徒職への熱意、君が何か便りを待っていることや、ヴァルサリチェで思い出してほしいという願い。(略)
最愛なるカルロ君! どうして君を思い出さずにいられようか。私は、ここ20年来、死にそうなほど、君が置かれている立場になりたいと願い続けた。でも、仕方がないさ! 私はそれにふさわしくないのだろう。だが、死ぬ前に、マリア様は私が宣教師になるお恵みを手に入れてくださるに相違ない。もし、それが神のみ心にかない、私の魂のためになるなら、マリア様は、きっと、そのお恵みを手に入れてくださると思う。
お願いだ。余り熱心にならずに、私のためにも何かの仕事を残してください。いな、君は今、人々を神に導くため全力を捧げなさい。それにしても、最後の雇われ人の私が入り込む、ちょっとした場所は残るだろう。
ところで、いつも明るい気持ちで、よく働いているか。太ったブルジョアになってはいけないよ! 常にサレジオ会員らしくありなさい。そして、特に今、マリア様を愛するようにしなさい。他に、何を書けばいいのか。君も知っているとおり、私は、人の話を聞くのが好きだから、君たちから教わりたいのだ。ヴァルサリチェで化石化している私たちは、君たちが払っている犠牲や、その働きぶりから大いに学ぶことがある。でも、今は、主がこれを望んでおられるのだから、御心のままに! きっと、何かわけがあるのだろう。
では、頑張ってください。 ノスタルジーにとらわれずに、偉大な聖フランシスコ・ザビエルの功績に倣うように! いつも目上たちと共に君のことを心から思い出している私のためにも、どうか祈ってほしい。君のためにあらゆる善いことを願っている長上たちからもよろしく。
心からあなたの V. チマッティ神父
Albera Paoloアルベラ パオロ神父へ
(1910年から1921年までサレジオ会総長)
1920年7月、チマッティ神父はヴァルサリチェの師範学校の校長となり、管理職のわずらわしさを体験して、宣教師になる気持ちが一層切実になってきた。既に41歳であり、1905年3月18日司祭に叙階されてから、15年経っていた。1920年12月3日
尊敬すべき総長アルベラ神父様
今日、宣教師の保護聖人〔聖フランシスコ・ザビエル〕の祝日にあたり、また、私たちの善き母マリア様のみ手に抱かれて(12月8日、無原罪の祝日に)生まれたサレジオ会の誕生日に合わせて、私は、私たちの指導者であり、父親であられる総長様に、会員としての自分の気持ちを打ち明けたいと思います。(略)
今、私の魂を喜ばせてくれるのは、司祭叙階15周年記念のことです。この一年、心の中で静かに神に感謝しながら熱意を千倍にし、私の数多い欠点を改め、サレジオ会員によりふさわしい生き方を身に付けたいと思います。ああ、どれほど総長様のお祈りと忠告を必要としていることでしょう。どうか、私をお助けください。
私は、どなたよりも先きに総長様にこの記念のことをお知らせして、お心に留めていただきたいと思います。今年こそ、私が兼ねてから望んで来た宣教師になるお恵みを、主がお与えくださるのではないかと願っています。親愛なるアルベラ総長様、信じてください。私の思いは、もうそこに行っています。使徒的活動以外、もはや私の心をひくものはありません。ああ、どれほど計画を立てたり、想像をめぐらしたり、祈りを捧げたりしたことでしょう。私は、貧しく、粗野で、見捨てられた人々の間で聖務を果たしたいのです。(略)「どうぞ、私を派遣してください」という私の願いを、主は、いつ聞きいれてくださるのでしょうか。私は、このお恵みを主からいただけると確信しています。それは、明白、当たり前のことにみえます。もちろん、聖人になるためにしなければならないことは、まだまだ山ほどありますが、宣教生活ならば、私の多くの欠点をきっと清めてくれるでしょう。
包み隠さずに申し上げます。私は、特に教育委員会当局との付き合いにおいて、形式的かつ、いつも正直とは言えない学校運営の中にあって、いささかうんざりしています。澄んだ空気、よその土地の新鮮な空気、辛くて骨の折れる労働の中でなければ、私は無為に人生を送り、腐ってしまう気がします。物質的、精神的貧しさの中に置かれて、それがひどく、惨めで、不幸なものであればあるほど、私は、より幸せになれるように思います。これが、25年来ずっと、抱き続けてきた望みです。これこそ、自分の長上を通して、神に請い願っていることです。
どうか、私の魂のためにお祈りください。神が、私のために御心のとおりにしてくださいますように。どのような結果になろうとも、私には、すべての覚悟ができています。(略)
私のこの手紙を宣教師の保護聖人と、私たちの無原罪の聖母、そして、今日、その日にあたるイエスの聖心に委ねます。どうか私を祝福し、私のためにお祈りください。
敬愛を込めて ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Luchelli Alessandroルケ-リ・アレサンドロ神父へ
(所属管区の管区長)
1922年3月上旬、チマッティ神父は、母の危篤を知らされ、故郷ファエンツァに駆けつけた。その折、自分の母校だった現地のサレジオ会の学校の依頼で、マリア像に冠を被せるための歌を依頼され、『Corona aurea, 黄金の冠』を作曲した。その曲には、母も天国で栄光の冠を受けることになる、という思いが込められていた。
ファエンツァ1922年3月5日
敬愛する管区長様
昨日の午後2時、私の母が天国に旅立ちました。原因はインフルエンザでしたが、かなりの高齢のため、それを乗り越えることができませんでした。彼女の魂の冥福のためにお祈りください。南米のペルーにいる私の兄ルイジにもできるだけ早く知らせるため、本部の長上にもお伝え願いたいと思います。
いずれにせよ、明日、葬儀が終わり次第、私も兄に手紙を書くつもりです。
年老いた母のことを、いつも心におかけくださったことを、深く感謝いたします。どうか、彼女のために、そして、私のためにもお祈りください。
もはや、私をこの世につなぐものは、何もありません。私の聖性や私たちの修道会のために、神様が命を与えてくださる限り、新たな熱意をもって働いていきたいと思います。
敬意を込めて ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ
(1922から1931までサレジオ会の総長。福者になっている)
お母さんが召されてから、1922年10月、チマッティ神父は校長の他に、ヴァルサリチェの修道院院長にも任命された。当時の総会長は、アルベラ総長の後を継いだ福者リナルディ神父だった。ちょうど、1925年チマッティ神父を日本に派遣し、1931年まで日本から毎月チマッティ神父の報告の手紙を受けとった方である。1923年7月、ローマの聖座から総長宛てに日本の宣教地の一部を引き受けてほしいとの要請が届いていたが、以下のチマッティ神父の手紙は、聖母マリアの祝いに参加してくださるよう、総長を招待するために書かれた。結果的に、チマッティ神父が日本に派遣されるきっかけとなったと思われる。
トリノ1923年11月9日
尊敬すべき総長リナルディ神父様
(略)どうか私のためにお祈りください。そして、私が行ける宣教地として、より貧しく、より苦労の多い、より見捨てられた場所をお見つけください。どうも! 居心地の良い場所は(大したことではないにしても)、私には合わないのです。どうか、今度こそ、願いをお聞き入れください。
敬愛する V. チマッティ神父
Minguetti Giovanniミングエッティ・ジョバンニ神父へ
(所属管区の管区長)
校長と院長の任務を兼ねていたチマッティ神父は、自分はその立場に向いていないと思い込み、下ろしてくれるように、また宣教師の道を開いてくれるようにと、管区長に願っていた。以下の手紙から見ると、管区長は、あまり賛成ではなかったようである。
ヴァルサリチェ1925年5月25日
敬愛する管区長様
私に対する父親のような日頃のご愛情に対して、心から感謝すると共に、管区長様のため、多くのお祈りをお約束いたします。同時に、私に(不幸にも!)任せられているこの学校がうまくいくため、ご配慮いただくべきことをお知らせいたします。
・まず、管区長様は、私が校長職から下ろされるようにご配慮してくださるとお約束なさいましたが、結果はひとつも見られません。ご存知のとおり、私の心情は“死の一歩手前”の状態です。
・次に、私が宣教師になることに対して妨げをなさらない、とお約束くださいましたが、実際は大きな妨げを置いていらっしゃいます。それは、そのために祈ってくださらないからです(最近のお手紙でもそうおっしゃっていました)。どうか、私と一緒に、こうお祈りください。「主よ、もし、神のより大きな栄光や、チマッティ神父の霊魂のためになるならば、彼が宣教地に派遣されるよう、その祈りをお聞き入れください!」と。
〔続いて、学校運営についてのいろいろな問題にふれます。〕(略)
敬愛をもって、ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Braga Carloブラガ・カルロ神父へ
(中国の宣教師、教え子、トリノの聖ヨハネ支部のオラトリオで一緒に働いた)
チマッティ神父が日本に派遣されることを知らされたのは、1925年6月18日であった。同じ年に彼は、『教育者ドン・ボスコ』という著書を出版している。
1925年6月 初旬
親愛なるブラガ神父様
『教育者ドン・ボスコ』を贈るから、君の批評を聞かせて欲しい。
イエス様が君を愛しておられるのだから、いつも努力し、「よき兵士として働きなさい・・・」。
でも、次のことを心得ていなさい。実際に働いておられるのは、イエス様ご自身、イエス様だけ、いつもイエス様であること、それも、マリア様を介して働いておられるのだ、と。
私の手紙は、行方不明になったのかもしれない。とにかく、信じてください。私は、特に祈りの中で、また、〔以前一緒に働いた〕聖ルイジのオラトリオ〔教会学校〕の昔の生徒たちと顔を合わせるとき、いつも君のことを思い出している。あの子たちがこれほど私たちを愛してくれているとは、予想もしなかったことだ。本当にすばらしい友だちだ。写真からも分かるであろう。
恐れることなく、前進しなさい。光を放って、周りを照らしなさい。
もしかしたら、会えるかもしれない。と言うのは、皆、私の名前を挙げて、東洋に行くだろうと言っている。でも、私は、まだ何も知らない...。待つことにしよう。もし私の時が来たのであれば、イエス様が祈りを聞き入れてくださったことになる。さもなければ、引き続き、人類のため、この教育の畑でいそしもう。
明るく、まじめにやりなさい。私の生活はいつも同じだ。私には、それ以外できないのだから。時々、ひとつの疑問が湧いてくる。宣教地にも、暇な時間を強いられることがあるのかしら、と。それなら、私にとって滅びだ!...。しかし、私のカルロ神父よ、君には、暇な時があるまい! それに比べれば、私たちは話にならない! 赤面するばかりだ。
私のために祈ってくれ。イエス様が、御心の月である今月、私たちをご自分のものにしてくださるように。
いつもあなたの V.チマッティ神父
Grigoletto Giuseppeグリゴレット・ジュセッぺ神学生へ
(教え子、サレジオ会員、後の日本のための大協力者、一番多くの手紙をもらった人)
当時、神学生だったグリゴレット神父は、幼い時に両親を失い、父親のようにチマッティ神父を慕い、一生の間、恩師に協力した。調布のチマッティ資料館にある数多くの化石を贈ってくれたのも、同神父である。彼はチマッティ神父から一番多くの手紙を受け取り、そのうち323通が保存されている。以下に挙げられるいくつかの手紙の中に、日本へ発とうとするチマッティ神父と教え子たちの美しい師弟関係を見ることができれる。別れの辛さも感じられる。
1925年10月15日
愛するジュセッぺ君、
今日をもって、院長の任期が終わる。これから、新しい考え、新しい志...。日の出ずる国、桜の花、菊の花、びわ、柿、米、蚊、火山、地震...。素晴らしい自然の宝庫。喜びの涙が出る! (略)
どうか、私のために祈ってくれ。今こそ、私は祈りを必要としている。私は、東洋に向けて、全てを方向転換する。多くの笑いや喜びがあるだろう。もとより、苦しみも多々あろう。神に感謝!
もし、何らかの形で(君なら分かるね!)、私の貧しい宣教地を助けてくれる良い人を見つけたら、神様は、君とその恩人を祝福してくださるだろう。
私のジュセッぺ君、おバカちゃん、明るく、落ち着いていなさい。そして、度重なる数多くの小さな犠牲で自分の意志を鍛えなさい。君の上に神様の祝福を祈る。
君の V.チマッティ神父
Galbusera Giovanniガルブセーラ・ジョバンニ神学生へ
(教え子、サレジオ会員)
トリノ1925年11月3日
親愛なるジョバンニ君、
君の寛大な援助を受け取って、言葉で言い尽くせないほど喜んでいる。今日、君のことを思い出して祈る。マリア様が祝福してくださり、君の魂と家族にあらゆる善きものを与えてくださるように、よき母マリア様に委ねる。
これから、孤独、苦しみ、欠乏の中に入っていこうとするこの私の意向を、どうかイエス様が聞き入れてくださり、私の魂の救いのために助けてくださるよう、私のために祈ってほしい。
すべて君のものである V.チマッティ神父
Marchisio Carloマルキジオ・カルロ神学生へ
(教え子、サレジオ会員)
1925年11月13日
親愛なるカルロ君
君の手紙にとても感動し、その親切に感謝する。これから、新しい生活を始めようとしているので、いかに小さく、いかに意味がないと思われる愛情のどんなしるしでも、私にとってとてもありがたく、心を打つものである。(略)
いつも君の V. チマッティ神父
Fracchia Italoフラッキア・イタロ氏へ
(教え子、イタリア国軍の幹部)
フロジノーネ1925年11月25日
親愛なるイタロさん、
トリノまで来てくれたと聞きましたが、会うことができませんでしたね。残念です。けれども、そちらに戻ったら、何とかして会いたいと思います。
私は、今、姉に挨拶するためにフロジノーネ市に来ています。姉と一緒に君と君の奥さんのことを、懐かしく思い出して語り合いました。これからも、私が君を思い出し、君が私を思い出してくれることは、言うまでもありません。
親愛なるイタロよ、主があなたを祝福し、すべての良きもので満たしてくださいますように。私のためにも祈ってください。もし、日本という私の新しい宣教地に関心ある人がいたら、教えてください。君も、困難きわまるこの貧しい宣教地を、心に留めてください。
では、あと数日、会えることをお楽しみに。天使のようなお子さんたちにキスを贈ります。
あなたの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生へ
(教え子、サレジオ会員、音楽の先生としてチマッティ神父の後を継いだ)
ローマ1925年11月25日
親愛なるフランコ君、
挨拶のカード、ありがとう。私は、聖女チェチリアの祝日を〔心の中で〕ヴァルサリチェの君と音楽の仲間たちと一緒に過ごし、その前日、〔サン・カリスト〕カタコンブにある聖女の祭壇とお墓の前で音楽家たちと最良のフランコ君のためにたくさん祈った。(君たちのことを思うと、心の中に感じることを君は想像もできないだろう)。願わくは、聖女が初代キリスト者や自分の家族に対して使徒であったように、フランコ君も仲間たちに対してそのような人であってほしい!
すまないね、わがフランコ君。書きながら、ついつい愛情のあまり、あれこれを語りたくなる。もう十分だ! さもないと、心が爆発して、あとは気分が悪くなる。どうか祈っておくれ。(略)主よ、もう充分、充分、充分です! あなたを愛している者は、なんと快いことを味わうのでしょう! イエス様よ。あなたの小さな私たちに、どれほどの良いことを行わせてくださるのでしょう!
すまないね、フランコ君。自分でも何を言っているのか分からなくなってしまう!
君が他人のために尽くしたいことを、よく知っている。働け、働け、働け!
魂、魂、魂! イエス様は、君のもとにどれほど多くの魂を送ってくださることか! 愛情に弱い私を、すまなく思う。私のためにどうか祈ってください。(略)
君の チマッティ神父
Valentini Eugenioヴァレンテイ―ニ・エウジニオ神学生へ
(教え子、サレジオ会員、後にトリノのサレジオ神学院の院長として活躍した)
1925年12月20日
親愛なるエウジェニオ君、
この手紙の紙に気をとめず、書いている手と心を考えなさい。最近受け取った多くの手紙の中で、
特に君の手紙はありがたく思った。おそらく、私たちの魂ほど、互いに深く理解し合い、イエスを愛するため、互いに助け合い、努力した魂はないだろう。覚えているか。どれほどたくさんのことを、共に神の御心に秘めておいたことか。それは、私にとって、ヴァルサリチェでの、真の、唯一の慰めだった。
私のためにわざわざ祈ってくれて、特に、十字架や苦しみを願ってくれていることを感謝する。さらに、辱めも付け加えてもらいたい。これらによってこそ、私たちは、屈辱で満たされた主イエスに近づくことができるだろう。
君は、私のことを過大評価しているのだよ。残念ながら、私はそんな者ではない。むしろ、言葉や行ないをとおして、君に対して行なったかもしらないさまざまな悪についてこそ、跪いて許しを乞わねばならない。でも、意向だけは聖なるものであったことを、主がご存知だ。
主のために、祈り、働き、犠牲を払いなさい。そして、私が宣教生活を願ったことによって目指している目的を、善き主が果たさせてくださるよう、祈ってください。
30日、航海中、君の霊名日を思い出そう。イエス様が、聖なるサレジオ会員にしてくださるように祈る。君を祝福し、主において抱きしめる。
よいクリスマスを。そして、他の人たちにも、私のお祝いの言葉を伝えなさい。
主において君の V.チマッテイ神父
Craviotto Vincenzoクラヴィオット・ヴィンチェンツォ神学生へ
(教え子、当時サレジオ会員、後に社会人となった)
1925年12月24日
わがヴィンチェンツォ君、
君が私を思い出させる名を持っているのだから、このチマッティ神父を忘れないでくれ。すべてのことに勝利者となりなさい。〔注。Vincenzoは“勝利者”の意味〕
イエス様と、私たちの優しい母を愛しなさい。特にこれから君が出会う試練の中で、自分の霊魂の救いをマリア様に委ねなさい。
主に対して寛大であり、恐れずに前進しなさい。謙遜の業に励みなさい。
あなたを心から祝福している私のために祈りなさい。
君の兄弟 ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Giordano Antonioジョルダーノ・アントニオ、その他の神学生へ
(教え子、サレジオ会員、神学生のアシスタントだった)
1925年クリスマス
親愛なるジョルダーノ君と神学生の皆さん、
出発を前にして、日本という私の宣教地と私自身に対して示してくれた寛大な愛のしるしに感謝し、心からの挨拶を送る。イエス様が報いてくださるように! 君たちが善いことを行なうために協力してくれたのだから、その功徳も分かち合うことになるだろう。この考えに支えられて、祈り、精神的・物的協力の業を続けなさい。
愛の模範である私たちの保護聖人フランシスコ・サレジオに捧げられた月、同時に尊者である私たちの父(ドン・ボスコ)の死を思い起こすこの月(1月)を目の前にして、君たちに次のことを提案する。
1.聖フランシスコ・サレジオは、愛徳や真摯な態度の聖人、聖なる宣教師、ドン・ボスコが与えてくださった保護者である。私たちは、一人ひとり彼に倣い、この月の間、特に神、長上、同僚、そして、それぞれに任されている若者たちとの関係において、愛徳を身につけたい、と決心すべきである。これこそ今、一人ひとりにゆだねられている宣教の場において、各自ができる最高の使徒職である。
2.次は、ドン・ボスコ! この名は、修道誓願のときに神に誓ったことを各自に思い起こさせ、父の聖なる生き方、いかに私たちの修道会を創立したか、ご聖体におけるイエス、扶助者聖母、教皇に対しや、人々の救いのために、いかに大きな愛を抱いていたかを、思い起こさせてくれるのである。
わが神学生の皆さん、特にこの月、ドン・ボスコへの贈り物として、会憲をよく守るようにしようではないか。
聖フランシスコとドン・ボスコに対する私のお礼として、また、君たちへの感謝として書いたこの手紙を受け取るとき、私はすでに日本に向って航海中だろう。どうか、私のことを思い出してほしい。
私のために祈りなさい。善きイエスが、その限りない憐れみによりこの地上で私たちを兄弟にしてくださったように、天国でも、ドン・ボスコと扶助者聖母のかたわらに、私たち皆、皆、皆を居合わせてくださるように、と。
君たちの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Giordano Antonioジョルダーノ・アントニオ神学生へ (前出)
1925年12月28日
我がトニーノ君、〔注.トニーノとは、Antonioの親しい呼び名〕
最後の挨拶は君のため。私たち2人ほど互いに理解し合えた者は、他に余りいないだろう! イエス様が、私たちを聖化し、愛し、助け、功徳を募らせてくださるように。
君が病気だと耳にしたが、その苦しみをイエスに捧げなさい。2人のうち、先に天国に着いた者は、残された者に知らせに来るのだね。分かったか。
アントニオ君、何もかも、ありがとう。私たちの愛情も、あらためてイエスに捧げることにしよう。距離的に離れれば離れるほど、ますます、生き生きとそれを感じるだろう。とりあえず、私の宛て先を上海にしなさい。そこから転送するように頼んでおく。私の住所がはっきりしたら、また連絡する。
同封した祈りを唱え、広めなさい。〔注.イタリア語で印刷した、日本のための祈り〕
明るく、謙遜でありなさい。イエス様が、使徒職のために共に励むことができるよう、早く一つにしてくださるように祈る。君を抱きしめて、祝福する。
君のV.チマッティ神父
Galbusera Giovanni ガルブセーラ・ジョバン二神学生へ (前出)
1925年12月28日
親愛なるガルブセーラ君、
心からありがとう。君のことを、愛を込めて、祈りの中で思い出す。イエス様が、君を祝福してくださるように。
さあ、出発だ!(略)もし、君の知り合いの中に、だれか私の貧しい宣教地に関心のある恩人がいれば、よろしく。明るく、善良でありなさい。愛を尽くし、犠牲を払い、働き、祈りなさい。
いつも君の Ⅴ. チマッティ神父
Sordo Antonioソルド・アントニオ神学生
(教え子、サレジオ会員)
1925年12月
わがソルド君、
君があのコインへの執着を切って、私にくれた善意に対して感動した。君にとって大切なものだった、とよく分かっている。それよりも、会って挨拶することもなく別れたことは、主が求められた最大の犠牲であったろう。信じてほしい。私にとっても本当に犠牲だった。イエス様が、報いてくださるだろう。
我がアントニオ君、私を慕ってくれて、ありがとう。これから私のために捧げてくれる祈りにも感謝したい。思い出としては、何を残していこうか。- 会憲を愛し、細かいところまでそれを実行しなさい。そして、主において喜びのうちに進みなさい、と。
主において君を抱きしめる。主がその寛大さを報いてくださるように。君を思い出すというのでは、余りにも物足りない。それよりも、私のちっぽけな心の中に、君は特別な位置を占めると言いよう。
さよなら、トニーノ君。ヴァルサリチェの時代に、君が完全なサレジオ会員として生きられるように、より上手に助けてあげられなかったことを、どうか許してください。常に勇気をもって進め。すべてにおいて聖母のご加護があるように。
主において君の V.チマッティ神父
教え子たち諸君へ
チマッティ神父は、自分の写真と共に、この挨拶文をはがきに印刷して、すべての教え子たちに送った。その一枚が保存されている。
トリノ 1925年12月
親愛なる教え子の皆さん、
日本の宣教地のためやってくださったことを、ありがとうございます。神が十分に報いてくださいますように。感謝の気持ちで、心から君たちを思い出します。言葉と行ないにおいて、ドン・ボスコのふさわしい弟子であるように努めなさい。
いつも君たちの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Cimatti Santina Sr. Rafaellaチマッティ・サンティーナ、シスター・ラファエラへ
(チマッティ神父の姉)
チマッティ神父の姉サンティーナは、ラファエラの修道名でシスターになっていた。出発の日、チマッティ神父はジェノバから最後の挨拶を送り、思い出としては亡くなった母と、自分自身の中学時代の写真を贈った。これらは保存されている。
ジェノバ 1925年12月29日
愛する姉さん、
片付けながら、姉さんにとって思い出深い写真を見つけたので、送ります。
ジェノバから、心を込めてこの挨拶を送ります。1月3日、ポート・サイドに着く予定です。
私が少しでも人に役立ち、ふさわしい者となれますように、イエス様のお恵みを祈ってください。皆、皆、皆によろしく。お姉さんを祝福します。
あなたの D. ヴィンチェンツォ
(母親の写真の裏に書かれた言葉)
サンティ-ナへ
あなたに贈る最も優しい思い出。 あなたの V. チマッティ神父より
チマッティ神父の日誌より
(これから、日誌を引用するとき、「日誌より、と日付」と書く。)
チマッティ神父は、手紙の他に、宣教地の長としての『日誌』を書いた。これは、日常の出来事、また師の心の中を知るためには、とても貴重な文献である。五つの帳面と、タイプで打った補足ページ等からなっている。空白の部分もある。正式に始まるのは、目的地に着いた1926年2月からである。終わるのは、管区長を辞めた1949年11月末である。以下のとおり、別紙で加えた出発前の状況についての文書がある。これを見ると、一行のメンバーは互いにほとんど面識がなかったことが分かる。
1925年12月29日、最初の宣教師のグループは、ドイツの客船「フルダ号」に乗り、日本を目指してジェノバを出港した。九州(大分と宮崎の両県)を離れるパリミッションの神父たちの後を継ぐためであった。これは、長崎教区のコンバーズ司教が、パリミッションの長上モンシ二ヨール・デガブリアン師の同意の上で、サレジオ会と教皇庁福音宣教省に依頼したことだった。最初の宣教団の構成メンバーは、次のとおりである。〔参考のため、それぞれの年齢も加える〕
ヴィンチェンツォ・チマッティ 司祭 〔46歳〕 (イタリア人)ヴァルサリチェ支部より
ジョバンニ・タンギー ” 〔45歳〕 (フランス人)スペインより
アントニオ・カヴォリ ” 〔37歳〕 (イタリア人)ペルージャ支部より
ピエトロ・ピアチェンツァ ” 〔26歳〕 (イタリア人)ランツォ支部より
レオーネ・リビアべーラ ” 〔30歳〕 (イタリア人)ローマ支部より
アンジェロ・マルジャリア ” 〔27歳〕 (イタリア人)エジプト アレクサンドリアより
ルイジ・グアスキーノ 修道士 〔32歳〕 (イタリア人)アオスタ支部より
アルフォンソ・メルリーノ ” 〔24歳〕 (イタリア人)トリノ マルティネット支部より
ジョバンニ・デ・マッティア ” 〔37歳〕 (イタリア人)ファエンツァ支部より
一行の派遣は、サレジオ会の海外活動50周年の記念すべき年に行われた。今回の日本への派遣は、新規事業だったので、長上たちは一行がローマに赴き、教皇の特別な祝福を受けてから出発することを望んだ。教皇は、忘れ得ぬ特別な謁見の中で、私たちに次のような言葉を述べられた。
「皆さんは、長上や善意の人びとに祝福されて出発しますが、私も皆さんの宣教を祝福します。皆さんが派遣される場所は、これからとても期待され、過去には多くの実りをもたらし、偉大な宣教師たちが蒔いた種の跡が残っている地域です。ですから、あなたがたの召し出しと宣教活動に要求される確固たる信念を抱きながら出発しなさい。(ここで教皇は、私たちを祝福された)。皆さんが出発するのは、〔サレジオ会の〕最初の宣教師がアルゼンチンとパタゴニアに派遣された輝かしい記念の年です。日本への派遣が同様の成果をもたらしますことを祈ります。イエス・キリストに派遣された使徒たちと同じように、出発しなさい。彼らと同じ心の姿勢を持って、委ねられた人びとの心の中に神のみ国を広めるために働きなさい。」
一行の団長は、教皇庁福音宣教省の長官バン・ロッスム枢機卿とその協力者たちにも挨拶した。
〔サレジオ会出身〕のカリエーロ枢機卿のことも忘れなかった。彼は、日本の宣教地一番の恩人であり、この派遣の実現のために尽力し、最初の旅費も出してくださった方である。
宣教師たち一人一人も、公演を開催したり、友人、恩人、教え子、卒業生たちなどに手紙を書いたりして、あらゆる方法で支援を依頼し、贈り物や寄付が寄せられるよう、宣教地の友人の輪を広めるようにした。
出発前の感動的な派遣式や、旅の支度、友人や恩人たちへの最後の挨拶、長上たち、特にに尊敬すべきリナルデイ総長の思い出の言葉など、あれこれするうちに、あっという間に12月29日、ジェノバを出港する日が来た。
Margiaria Angelo マルジャリア・アンジェロ神父の証言
(日本に派遣された一行のメンバーで、後にテノールとしてよくコンサートに参加した)
出発前、総長リナルディ神父は、わざわざ私たちのためにドン・ボスコの部屋でミサを捧げてくれて、次の言葉を残してくれた。「あなたたちは、文化的にも経済的にも発展している、遠い国へ出発しようとしています。あなたたちに期待されることは、ただひとつ。イエス・キリスト、十字架に付けられたキリストの愛をもたらすことです!(T,4,35)
日本への旅 (1926年)
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ (前出)
この手紙は、チマッティ神父が旅立ってから総長に宛てた最初の手紙。文中にあるとおり、船には、日本に向かう9人の他に、インドや中国に向かう20人のサレジオ会員と3名のサレジアン・シスターズが乗っていた。なお、後に友だちになった上原専禄氏という若い日本人も登場する。ジェノヴァを出て、スエズ運河を通り、ポート・サイド、ペリム、コロンボ、シンガポール、香港、上海に停泊し、最後に門司港に上陸した。チマッティ神父は、各港から手紙を出している。
ポート・サイド1926年1月2日
敬愛なるリナルディ神父
無事にポート・サイドに着きました。(略)乗組員は皆プロテスタントですが、とても親切、まじめです。すべてにおいてよく世話してくれます。
乗客もほとんど外国人。イタリア人は、我々サレジオ会員29人と3人の扶助者聖母会のシスターズ、また演奏のために日本と中国に向かうイタリア歌劇団の人々(その中のひとりは、ミラノのサレジオ学校の卒業生)、合わせて50人余りです。皆、キリスト信者らしく、イタリア人らしく元旦を祝いました。ウィーン大学で勉強してきた若い日本人も、一緒にミサに参加しました。(略)
違う環境にあって、私たちはできる限り規則正しい信心業を行ない、快活さ、働きをとおしてサレジオ的生き方を保つようにしています。残念ながら、聖櫃におけるイエス様なしの生活を強いられています。しかし、世間の便宜や雑音の中にあっても、できるだけ心の平安を保ち、修道生活を積極的に営むようにしています。
私個人としては、イエス様に自分自身を犠牲として捧げ、与えてくださった能力や、毎日寛大に与えてくださる善意を捧げるようにしています。何でも知っていると思うこの傲慢な私は、今述べたこと以外に何もできません。私は、イエス様だけ、また、任せてくださる人びとの魂を愛し、出発をもって断ち切った執着から完全に清められるよう努力しています。イエス様が私の奉献を受け入れてくださいますよう、お祈りください。私の魂が救われ、神のお恵みにより日本人の心が開かれるためです。
目上の方々によろしく。私たちは、毎日、皆さんを思い出しています。皆を、特に誰よりも必要とするこの私を(これは本当です!)祝福してください。
敬愛するあなたの子 V.チマッティ神父
Cavoli Antonio カヴォリ・アントニオ神父の証言 1955年
カヴォリ神父は、9人のひとりで、チマッティ神父の指示により1937年宮崎カリタス修道女会を創立した者である。同じロマーニャ地方出身、従軍司祭の経験を経て入会した人で、規律と権威を重んじていた。2人が初めて出会ったのはトリノでの派遣式の時であった。カヴォリ神父は、1955年、チマッティ神父の叙階金祝に際して出された“Jubilaeum”という記念号の中に、乗船した時の雰囲気と最初の印象を、こう証言した。
「一行はフルダ丸に乗船し、夕方に舟は出港しました。チマッティ神父様は“Solchiamo un mare infido 波浪をけたてて”という聖母の賛歌を元気一杯で歌い出し、一同も信心深くこれに唱和しました。歌が終わると、チマッティ神父様は各々の手をとって“さあ、踊ろう”と促し、ピエモンテ州の民謡に合わせて踊り始めました。私は、その有様を見て、驚きもし、また、あきれてしまい、“全くこの人は一行を指導できるような人ではない”と思い込んでしまいました。さて、この旅は45日もかかりました。師の態度にも変わりはなく、私の考えも依然として同じでした。ああ、私は父のような、否、母のような優しい心を理解していなかったのだ。師は、己を忘れて、私どもを楽しませ、故郷を後にする者の寂しさをできるかぎり少なくするように気遣っていたのでした。後になってから段々、その人柄を理解するようになりました。謙遜、そして言葉に尽くせないほどの慈愛、この2つの徳は長上としての師の姿を特色づけるものです。」
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
これは、イタリアのBolettino Salesiano 「サレジオ・ニュース」に載せられた最初の記事。総長に宛てられた手紙に添付されていたものの中から編集部が選び、ほとんど原文のまま載せられた。チマッティ神父が責任者だった1949年まで送られたのは234通、記載されたのは124通である。これらを通して、日本のことをイタリアに知らせるようにしたのである。この手紙が出されたペリムという港は、紅海の南、アラビア半島の一番南の地点である。
ペリム1926年1月6日
敬愛なるリナルディ神父
物資補給のために、今、船がペリムに停泊しています。(略)
私たちは、規則正しく団体生活を続けていますが、世間的な生き方は、私たちを運ぶこの貝殻のような船の中にも姿を見せています。(略)
同じ航海をした多くの人々が伝えたこと以外に変わった情報はありません。次々と目の前に現われるのは、右手にアフリカ、そして遥か彼方にイエス様の国や、アラビア半島!
(略)おお主よ、まだあなたを知らない人々が、どれほど多くいることか。一方では、感嘆すべき壮大な自然、他方では、驚くべき人間の技術の業! それと同時に、植民地となった国々に対する搾取、日没に向かってひれ伏し自分の祈りを唱えるイスラム教徒の敬虔な姿。そして、共同生活を営んでいる私たちの傍ら、たわいない空虚な生き方をしている多くの乗客。
今日は、キリストのご公現祭です。イタリア歌劇団のメンバーたちが加わって、一緒にミサ〔ペローシのTe Deumミサ曲〕を歌いました。おそらく世界中どこを探しても、航海中の船上でイエス様がこれほどすばらしい音楽で称えられた所はどこにもないでしょう。聖なる幼子にお捧げできることは他にあったのでしょうか! 私たちは皆、自分のすべてを幼子にお捧げしました。(略)
私自身は、どうでしょうか。神のみ手に抱かれて安心して進み、神との一致を保つように努力しながら、落ち着いて仕事に励んでいます。(略)神の愛が私たちの魂や、特にこのあなたの子の心に残っている欠点を焼き尽くしますよう、お祈りください。
V.チマッティ神父
ヴァルサリチェの神学生へ
この手紙は、紅海で書かれ、「Dal Mar Rosso、紅海から」というすばらしい曲が同封された。文中、後に一橋大学初代学長になった上原専禄氏と知り合ったと書いてある。氏は、ウィーン大学でヨーロッパ中世史および社会学を専攻し、船上で自ら一行に日本語を教えることを提案し、最初の日本語の教師となった。
ペリム1926年1月15日
親愛なるヴァルサリチェの皆さん
恥ずかしくないのか! ここでは日が昇っているのに、君たちはまだ眠っている!(略)ただ今、私たちは沖にいる。どこを見ても空と海!
今回、日本に向かう私たちと上原専禄という方と一緒に撮った写真を贈る。この善良な若い先生は、自発的に、神秘な日本語の美しさを教えてくれると提案してきた。み摂理は、なんと素晴らしい! 私たちは、もう結構なところまで進み、文章も少し分かるようになった。神に感謝! 願わくは、神様が信仰の恵みをもってこの恩人を報いてくださるように。(略)
君たちの兄弟 V.チマッティ神父
上原専禄氏の証言 1969年1月19日の録音による
「日本語の勉強のお世話をしようと言いだしたのは、私の方からでした。『これはほんとうにみ摂理によるものだ』とすぐチマッティ神父は言われました。それ以来、毎日、1、2時間、日本語の授業をすることになりました。」
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
チマッティ神父は、この手紙をもって初めて、サレジオ会の会憲に命じられている毎月の報告を、規定の項目に従って総長に送っている。以降、長の責任を負った1949年まで、毎月、報告を忠実に書き、その中に自分の心の中までを率直に打ち明けている。こういう手紙は類のない記録になる。
シンガポール1926年1月26日
親愛なる私のパパ、
まず、コロンボで感じたことを簡単に書きます。(略)世界中どこへ行っても、皆同じ人間です。肌の色、服装、多少とも景色の美しさは変わりますが、アダムの子らとその背負っている重荷はどこでも同じです。ここに来て、(多分彼らはそのことを意識してないでしょうが)一層そのことを強く感じます。それは、キリスト教文明の日差しに少ししか照らされていないからでもありましょう。奴隷そのものの生活です。そのように呼ばなくても、現実にはそうです。私は、嫌悪感を覚え、心がしめつけられる思いで船に戻ってきました。主よ、こんな有様が、一体、いつまで続くのでしょうか。」(略)
私たちの上原専禄先生がラテン語の聖書がほしいと願ってきましたので、ヴァルサリチェでいただいた最新の聖書をプレゼントしました。短い献辞を添えて、聖ペトロの座の記念日にプレゼントしました。とても喜んでくれました。専禄先生は、日本語のレッスンのためにその聖書を使い、いろいろな箇所を日本の標準語に訳してくれています。(現在の日本語訳聖書は文語しかない、と言っています。)イエス様の照らしが彼の上にありますように。(略)
私の報告を付け加えさせていただきます。
1) 健康について。良好です。ちょっとした不調はありましたが、イエス様にそれをお捧げしました。皆の不調の分をわが身に引き受けたいのですが、おそらく、耐えられないから、イエス様は私にお与えにならないのでしょう。
2) 仕事について。時間をよく使っているつもりです。1人だったら、もっと仕事ができると思いますが、共同生活や若い会員の世話のため、共にいることが必要です。
3) 信心業について。規則正しく秘跡を受けるようにしています。なお、これから、共に生活することになるカヴォリ神父を聴罪司祭に選び、とてもためになっています。
4) 誓願と会憲の遵守について。皆に良い手本を示すように努力し、特別なことはありません。もちろん、私は、常に傲慢と感受性をコントロールしないといけません。このためにも、宣教師になることを願いました。私は、会員や神学生、また、ヴァルサリチェ師範学校の学生たちをあまりにも慕っていました。けれども、わが主イエスよ、こんな心を与えてくださったのですから、私はどうすればよいのでしょうか。完全にあなたのものでありたいと願っています! 総長様、良いサレジオ会員になるため、常に支えと助言を必要とする教え子たちのことを思うとき、涙が出るほど感動を覚えます。あまりにも彼らを慕っていたのです! チマッティ神父が与えられなかった良い指導が実現するため、イエス様が私のささいな犠牲を受け入れてくださいますように。
6) 兄弟愛について。皆に対してとても仲良くしている、と思います。
7) 共同体に直すべき問題があるかについて。今のところ、皆立派にやっていると言えます。今後、気づいたことがあれば、ご報告いたします。
総長様、お願いです。ご遠慮なく、ご忠告、ご意見をおっしゃってください。私の足りないところをお委ねします。それも祝福してください。(略)ただいま、客室で、ベットの元に跪いて書いています。(略)私のために、イエス様とお母様〔マリア〕、また、できれば、ヴァルサリチェのドン・ボスコにもひと言おっしゃってください。〔注.当時、ドン・ボスコのお墓はヴァルサリチェにあった。〕主において、わが良いお父様を抱きます。
あなたのこの惨めな V.チマッティ神父
上原専禄氏の証言 1969年1月19日の録音による
「チマッティ神父が私にプレゼントしてくださった聖書は、今でもとってあります。そこには献辞として次のように書かれています。『上原専禄先生へ、感謝を込めて、日本の宣教地に派遣された最初のドン・ボスコのサレジオ会員より、フルダ号にて』」
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
日本に向かう一行は、最初の1年間、中国サレジオ管区に属していた。管区長はCanazeiカナゼイ神父であった。師は、一行より2年前に日本の下見に訪れたことがあった。文中にあるとおり、一行は、シンガポールで初めて彼に出会った。
香港へ向かう船上で執筆1926年1月28日
親愛なる私のパパ
(略)シンガポールで、タイ国の視察を終え、帰国途中の親愛なるCanazeiカナゼイ神父が待ってくれていました。皆の喜びをご想像ください。私たちは、何人か人力車、何人か自動車で、ポルトガルのカトリック教会へ案内されました。次は、町中のカトリック教会をも見学させていただきました。皆の親切に対して、感動しました。
必要なものを買って船に戻りましたが、私は、例のとおり、支配者たちの傲慢な態度を見て、言い表しようのない嫌悪感と不愉快さに襲われました。支配者たちは、人民の経済的状態を改善しようとはするにしても、精神的、道徳的な面ではまったく無視しています。私は、自分の傲慢な性格を見せ付けられたかのようでした。原住民たちは、支配者たちの物質的な贅沢を見て、自分たちも同じ状態になろうとして、神から離れてしまいます。(略)
イエス様の愛においてあなたの V.チマッティ神父
追伸 (略)今、ペンを走らせている間、船はサンチャン(上川)島の前を通っています。聖フランシスコ・ザベリオのことが頭に浮かんできます! きっとこの聖人は、微笑みをもって、同じ名の聖フランシスコ〔サレジオ〕を保護者として仰ぐ私たちを歓迎し、将来の活動の上に神のゆたかな祝福を求めておられることでしょう!
私を祝福し、私のためにイエス様から謙遜、仕事の精神、そして、聖フランシスコ・サレジオの愛徳を祈ってください。
あなたの子 V.チマッティ神父
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
一行は、香港で中国行きの会員たちと別かれて、最後に、上海でサレジオ会員にお世話になった。この手紙に出てくるLo-Pa-Hong氏は、社会福祉に財産を注いだ熱心なカトリック信者であった。以降、チマッティ神父の大恩人となり、1931年宮崎までに訪れてきたのである。
上海から1926年2月2日
親愛なる私のパパ
(略)12月30日7時30分、マカオへ行く会員たちと修練者の感動的な別れでした。正午、お告げの祈りでマリア様を称えながら、私たちは香港を出ました。(略)
2月2日、途中で日本語を教えてくださった親切な専禄先生に感謝の気持ちを表すため、フランス語の作文を読みあげて小さなパーティーを開き、〔ワインの〕ビン2本を差し上げました。とても喜んでくれて、一人ひとりに拍手してくれました。この方との出合いは無駄ではなかったでしょう。 V.チマッティ神父
追伸 3日7時、上海に上陸しました。Garelliガレリ神父〔注.当時、上海でサレジオ会学校の学校長〕とLo-Pa-Hong氏の息子が、車で私たちをサレジオの学校まで案内してくれました。歓迎の楽器の音と生徒たちの拍手に包まれて、上海の兄弟たちと抱き合いました。疲れも、退屈も、長旅の後の倦怠感も、すべて忘れ去りました。ふたたび、サレジオ会の兄弟たちの間に戻ってきたのでした。お聖堂に行って、イエス様にご挨拶し、扶助者聖母のやさしい微笑みを目にすることができたのです。(略)
4日午後、パリミッションの事務所を訪れ、門司の宣教師たちに、到着を知らせる電報を打ちました。東京の教皇使節やイタリアの大使館にも通知を出しました。(略)
上海では、経験ある宣教師たちは、私たちが日本に向っていることを聞いて、異口同音に、日本の布教活動はさまざまな面で「大変困難だ…非常に貧しい」と語ってくれて、何かにつけ「すごく、とても、大変等など」といった最上級の形容ばかり出てきました。私は、(困難が多いということで)大きな慰めを心に覚えました。イエス様がその光栄を表すために私たちを日本の庭に派遣してくださるということは、何と大きな慈愛のしるしでしょう。(略)
リナルディ総長様、何百万人もの人が、どれほどの精神的、物質的貧しさの中に住んでいるかをご覧になりましたら! お祈りください、また、皆が祈ってくださるようにおっしゃってください。
V.チマッティ神父
Costa Luigiコスタ・ルイジ神父とヴァルサリチェの会員一同へ
コスタ神父は、ヴァルサリチェの院長職を退いたチマッティ神父の後を継いだ人である。この手紙をとおして、チマッティ神父は旅中に体験したアジアの人々の状況を報告し、教え子たちが宣教生活に備えるための有効な勧めを与えている。
上海1926年2月4日
コスタ神父様、およびヴァルサリチェの兄弟の皆さん
(略)先日、上海の街を廻って、特に私たちの支部が置かれている中国人地区を見てきました。諸外国やフランスの地区は、ヨーロッパの街と変わりありませんが、中国地区は、蟻の巣のように仕事と混雑でうようよしています。隣に贅沢や裕福があるのに、ここは、最悪の貧困やごみの中、人間的に劣悪な状態で人たちが密集しています。豪華な邸宅やあらゆる品物に溢れる商店街の側、茣蓙(ござ)で覆った小屋、ごみと不潔の中にいかに多くの大家族が生きていることか。(略)おお、何百万人の人々が、いかに見捨てられている状態にいるのか! もし、君たちが上海の若者や子供たちの大群を見ることができましたら!(略)
この旅の終わりが近づいて、ためになるいくつかの結論を述べてみたいと思います。
1) 若いうちにあらゆることに慣れるように、料理にこだわらず、ドイツ、イタリア、中国など、どんな食事でも食べられるようにしなさい。でなければ、後は、大変苦労することになります。
2) 主な外国語を学ぶようにしなさい。でなければ、後は、大変苦労、苦労、苦労することになります。
3) どんなベットにも慣れるようにしなさい。それは、固いほうがよいです。でなければ、後は、大変苦労、苦労、苦労することになります。
4) いつも、神との一致を保つようにしなさい。でなければ、後は、以上の習慣を身に付けなかったことから来る困難や恥ずかしさに耐えられなくなるでしょう。
5) あらゆる科目を勉強、勉強、勉強しなさい。東洋には、特に自然科学、デッサン、技術や外国語が高く評価され、一番要求されているものです。
6) できるだけ、良い習慣や聖徳を身に付けるようにしなさい。他のことなら、補うことはできるが、聖徳だけは、欠かせない最善の条件です。
残念ながら、こういうことを書いている私には、これらの多くのことが不足しています。だから、これらの欠点を補うためにも、皆さんの祈りを願っています。神が皆さんを祝福し、ご協力に対して私が十分に報いられるためのお恵みを祈っています。
君たちの兄弟 V.チマッティ神父
日本との最初の出会い
1926年2月
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
当時、九州全体は長崎教区に属していた。そのため、門司港に上陸した一行は、コンバーズ司教に挨拶するため汽車で長崎に赴き、1週間ほどそこに滞在し、有名なラゲー神父の案内でキリシタンや日本の宗教などについて多くのことを学んだ。2月17日、宮崎の目的地に着いてから、チマッティ神父は、日本の文化、自然、生活習慣を知らせるため、日本と最初の出会いを報告した。この長い手紙は、3回にわたってBollettino Salesiano に記載された。
宮崎1926年2月19日
甘美なる私のパパ
私たちの希望、仕事、犠牲の場所に着いた私たちは、「神に讃美! 神に感謝!」と叫ばずにはいられませんでした。やっと、宮崎に来ました。話したいことはいっぱいありますが、順序よく、すべてを話すように努めます。
2月6日 上海の会員に挨拶して、また旅につきました。
2月7日 今日、旅の最後の日。私たちは、一緒に過ごしたすばらしい日々を振り返りながら、上陸の準備に大わらわです。
上原先生は、私たちが質問に答えられるように、一番必要な単語を書いて、それらを覚えさせてくれました。さらに、駅まで案内したいと言って、神戸で降りる予定を変更し、親切にも門司で一緒に上陸してくれました。
2月8日朝8時 〔門司港に上陸〕
ついに門司港に入港しました。濃霧が、瞬間的に太陽から照らされるすばらしい景色を遮ったりしますが、まもなく霧が晴れ、うっとりと眺めいる目に、美しく輝く陸が見えてきました。言葉で描くよりも、想像していただいた方がいいでしょう。陽の光りに輝き、雪に覆われてそびえ立つ真っ白な山々、生い茂った木々につつまれた島々、前方には広い湾に面した産業豊かな門司市、幾つもの煙突と、山麓にまでのびている家並みの、壮大な光景が現われてきます。神に感謝! 日本万歳!
でも、急に不安に襲われてきました。「これからはどうなるのでしょうか。もし、出迎えもなく、誰も助けに来てくれないなら...。」
しかし、リナルディ神父様、信じてください。この旅行中ほど、子供のような単純さで、神のみ腕に自分を任せたことはありませんでした。み摂理は、私たちを助けるために大きな奇跡までも行われました。そう考えると、「主よ、そうです。あなたは私をあまりにも甘やかせすぎるのではありませんか。イエス様、あなたの思う通りになさってください」と言わざるをえません。
実際、そんな不安も、束の間でした。私たちを見つけるや、遠くから微笑みながら手をふってくれる、髭の神父が見えました。彼は、まっ先に乗船して、私たちを抱擁してくれました。長崎司教から送られたパリミッションのMartinマルタン神父でした。フルダ号の上で、彼の助けをかりて私たちが入国手続きを済ませるには12時までかかりました。ここの日本人たちの目に入らないものは、一つもありません。税関で乗客たちの持ち物を細かく調べている様子を見ながら頭に浮かんできたのは、私たちが持ち込もうとしている40個のトランクと20個のカバンのことでした。けれども、検査官は、カバン1個ずつを開けさせただけでした。私たちの正直な、陽気な態度や、自分たちの貧しい私物をさらけ出す姿をみて、何も隠そうとしないことが分かったようで、旅の途中で開いてしまったトランク1個の中を調べただけで、すべてが済みました。私たちは、喜びのうちに教会へ向かいました。
ここで、初めて、日本の家に入りました。日本の風習を身に付けなければなりませんので、まず、玄関でヨーロッパの靴を脱ぎ、スリッパを履く大仕事をしなければなりませんでした。神父様は、笑いながら見ていました。助ける人たちも、好奇心で見ていました。続いて、かわいい祭壇の前に導かれて、“テ・デウム”〔感謝の歌〕を歌い、迎えてくれた日本の地を感激の気持ちで接吻しました。次は、聖務日課を唱え、楽しい語らいの後、長崎に向かう23時30分の列車に間に合うように、駅の食堂で夕食をとることにしました。食事は、中身は日本料理、マナーはヨーロッパ風でした。とても美味しかった。マルチン神父は、気を利かせて、たくさんのパンを持ってきてくれました。日本の習慣に従い、サービスはきわめて礼儀正しいものでした。お米で作った酒は欠かせませんでしたが、熱いうちに出され、とても美味しいと思いました...。アルコール分もかなり強いです。
私たちは、荷物がすぐに宮崎に届かないので、全員、司教を喜ばせるために長崎に赴くことにしました。
〔長崎に向かう汽車の中〕
皆に挨拶して、長崎に向かう汽車に乗りました。三等車もわりあいに便利で、暖房がきいており、満員でした。どちらかというと、私たちにとって狭い感じでした。この愛すべき日本人たちは、履き物をぬいで、好んで座席の上に座ります。食事などを済ませると、残ったものを床に落とし、時々係りの人が掃除に回ります。鼻をかむとき、紙のハンカチを使います、そして、気持ちよさそうに眠ります。
汽車は、特急とはいえ、たびたび駅に停まりながら、のろのろと進んでいきます。気分が優れないタンギー神父を除いて、他は皆ぐっすりと眠りました。夜明けになって目を覚ましますと、興味をもって辺りの風景を眺めました。冬でも、日の出ずる国は心を奪われるところです。緑の丘々や山々の間に、大小の川に潤された静寂として小さな渓谷の連続です。いたる所が、松、杉、椿や、花が開こうとしている梅など、ありとあらゆるおい繁った木々で覆われています。あちこちにみえる平地は、すべて見事に耕され、美な面から見ても整然としています。広くはない平野では、米や、麦、野菜などが作られ、どこも、目を休ませる整頓と清潔さがみられます。
あちらこしら、緑の樹木の中に、一軒家や小さな集落が散らばり、こんもりとした茂みの中に寺院や先祖たちの墓が見えます。農家はすべて一階建ての木造で、屋根は藁葺きです。裕福な家は、二階建てになっており、特製の瓦を使っています。セメント建築は(工場をのぞいて)非常にまれです。
汽車は煙を上げながら、森に覆われた尖った火山性の山の坂を昇り、再び心地よい谷間を下り、次々と入れ替わるすばらしい景色の海岸にそって走ります。大小の島々、岩、入江、湾などが次々と現われ、そのほとりには集落、村、町がつづき、昇ってくる太陽の光線を浴びています。
おお、聖フランシスコ・ザベリオと多くの宣教師たちの使徒的活動によって聖とされ、数多くの殉教者の血にうるおされた日本よ! 神は、何と不思議な美しさで装わせてくださったのでしょう!
2月9日~15日 〔長崎での滞在〕
朝8時半、長崎到着です。パリミッションの世話役、ティリー神父に温かく迎えられ、間もなくカテドラルに着き、コンバーツ司教の客になりました。ごミサの後、司教様は父親のように私たちを迎え、私を抱擁し、私たちがその教区を助けに来たことに対して大きな喜びと感謝を表してくださいました。
私たちが教会法に定められている誓いを立てた後、自分の権限にある宣教師へのすべての権能を与えてくださいました。そして、荷物が宮崎に着くまで自分の所に留まるようにしてくださり、その間、長崎の教会を見学させ、自由に司教館の豊富な名図書館を利用し、博学な宣教師ラゲ師〔日本語文語訳新約聖書の訳者〕の指導のもとで日本語や難しい日本の布教についての手ほどきを受けられるようにしてくださいました。こうして、学び、観察しながら、2月15日まで大変有意義な日々を送ることができました。
〔見学した場所〕
1)パスポートのため、イタリア領事館を訪れました。
2)マリア会経営の学校を見てきました。非常に盛んで、700人の生徒がいます。そのうち、50人がキリスト信者です。政府の認可を受けていて、すばらしい資料室があり、コンクリートの立派な建築です。長崎の郊外には、広い敷地の中に養成のための小神学校もあり、生徒数60人ほどいます。
3)日本26聖人が殉教した丘にも行きました、また、長崎の郊外にある、先祖代々のキリシタンが密集している浦上天主堂を見てきました。ちょうど600人ほどの母親たちが黙想会中でした。
4)神学校も訪れました。美しい建物は、静かな、良い場所にあり、40人余りの神学生がいます。
5)日本人のシスターたちが経営する養護施設、また、フランスのシスターたちの寮と修練院も訪問しました。
このように、宣教師たちが手がけているカトリック事業は、盛んで、困難の中にあっても良い実を結び、良い召し出しも期待できることを示しています。日本人は、大変知識欲が旺盛で、開かれた心を持ち、活発です。
では、子供たちや、青少年たちはどうでしょうか。
おお、リナルディ神父様、多い、多い、多いです。あらゆるスポーツ(特にテニス)や運動をこなす者です。長崎の信者の子供たちをご覧になりましたら! いかに信心深く祈り、喜んでミサ仕えをして、両親の手本もあっていかによく歌っていることか。家庭では、親はあまりチヤホヤせず、ある程度厳しく子供たちを教育しています。
長崎付近には6万人ほどのカトリック信者がいます。日本全体の8万人の大部分を占めています。数からいえば、宣教師は少ないです。しかし、方々に分散している信徒を世話するために、老齢にもかかわらず、感嘆するほど1人数倍働いています。
6)他の重要な名所、国家神道や仏教の寺院も見てきました。ここの異教徒は、自分たちの寺院や神仏に対してとても深い崇敬の念を抱いています。もし、一部の私たちのカトリック信者が同じ尊敬の念を持っていれば、なんと素晴らしいと思うほどです。
11日、建国記念日で国祭日であり、どこでも旗、行列や学校の遠足でにぎわっていました。人々は、祈る時に鐘つきで神を呼び、礼拝、献金、祈りを捧げます。その行動は非常に真剣です。間違った信仰のことは別にして、すばらしい手本を示しています。
2月16日 〔宮崎への旅〕
ついに荷物が宮崎に届いたという知らせがあったので、私たちは、温かく迎えてくれた巣を立って、生活の現実に向かうために準備にかかりました。司教様が全員や各自に最後の教訓と祝福と励ましの言葉をお与えになった後、私たちは勇気づけられて、宣教の地に向かうことになりましたが、主は、私たちを試してくださいました。グアスキーノ修道士が、数日前から喉の痛みと熱のため、病に倒れてしましまったのでした。そのため、司教様にお願いして、マルジャリア神父を付き添いとして長崎に残すことにしました。
15日13時30分、ティリー神父が駅まで送ってくださり、出発しました。(略)
途中で、次々、美しい景色が目に映りましたが、夕方6時、久留米に着き、一旦下車して、パリミッションのRaoultロール神父の教会に寄り、翌日の日中に宮崎に着くため、夜半過ぎまでここで待つことにしました。
夜中1時、一行を起こして、再び出発でした。ところが、再び不意なことが起りました。今度は、リヴィアベラ神父が、急に持病で倒れてしまったのです。そのため、次の汽車に乗せてくれるようにと教会の宣教師にお願いして、私たちだけが出発しました。
途中、乗り換えねばなりませんでしたが、日本人はとても紳士的です。私たちのわずかな言葉でも、すぐに言いたいことを察してくれて、助けるため骨折ってくれます。汽車の車掌たちは、大変親切です。車両のドアを開け、入ってくると、まず深いお辞儀して、『まことにご面倒でございますが、切符を拝見させていただきます』とか、『ただいま、何々駅でございます。お荷物など、お忘れございませんように』と知らせてくれます。
もし、途中で1人の信徒に出会えば、何千人の中でもすぐに見分けがつきます。何のためらいもなく近寄ってきて、両手を膝に当てて丁寧に深いお辞儀します。もし、帽子をかぶっているなら、まずそれを取り、それからお辞儀します。すべて微笑みながら、ごく自然にするのです。これは、大勢の異教徒の中にあって、すばらしい信仰告白です。子供たちの方は、もっと勇気を出します。私たちの前に立って、きれいにお辞儀します。そして、どの挨拶でも、いつもため息しながらお辞儀します。何か良いものを吸っているかような感じがします。(略)
2月17日 〔宮崎に着く〕
午前11時頃、宮崎に着きました。何名かの信徒と共にパリミッションのBonnecazeボナカーズ神父が駅で待ってくれていました。何人かの子供たちが、カテキスタの先生から前もって知らされて、早く私たちを見るために駅の100メートル先から「万歳!万歳!」と叫んでいました。駅から出たところ、まっ先に微笑んでお辞儀してくれたのは、2人の小さい子供でした。ドン・ボスコは、自分の子らに最初の挨拶をするのは、自分とイエス様のみ心から一番愛されている子供たちであることを望まれたのでしょう。
そこから行列が始まりました。私たち6名は人力車に乗り、カヴォリ神父は先頭、私はしんがりで教会に向かいました。すでに新聞で私たちの到着が報じられていました。市民たちが好奇心のまなざしで私たちを見、警官たちが警備しながら信者たちに情報を聞いている中で、私たちは堂々と進んでいきました。
教会に着いたら、夢を見ている感じでした。教会は、日本式の素晴らしい建築です。天国から落ちてきたかのようでした。教会の前で6名で「テ・デウム」〔感謝の賛歌〕を歌い、日本の聖母、殉教者の元后、キリスト信者の助けの称号で尊ばれているマリア様に、私たちを捧げました。ドン・ボスコの聖母は、日本でも、キリスト信者の扶助者の称号で尊ばれたいのです。神に感謝! ふたつの意味で、故郷に来たような感じです。
晩になって、主任司祭は信徒(約100名)を集めて荘厳な聖体讃美式を行ない、その後、壮年の男子が私たちに挨拶しました。通訳を通して、私が神が勧めてくださった言葉を話した後、昔なじみの友人であるかのように、互い例のお辞儀をして別れました。
今日は、聖ヨゼフに捧げられた月の始まりで〔3月17日まで〕、教会も聖ヨゼフに捧げられています。これ以上、望めることはあるのでしょうか。
2月18日
今日は、灰の水曜日。灰の式に駆けつけた信者たちの額に灰を塗りました。この人たちこそ、大きな期待を抱かせる選ばれた一握りの信者です。戦いながら異教徒の間に生きているここの信者は、強く、たくましく、自分の務めを果たすことに厳格です。閉鎖的とも言えます。特にこの宮崎で。大多数は農家からなるこの共同体は、余り好まない都会生活や学問から離れる傾向があります。この現象は、特に聖フランシスコ・ザビエル時代の古い信者の子孫に見られます。確かに、彼らは大きな困難を抱えています。前述の状況からも解るように、彼らは貧しく、心細い日々を暮らし、はばかりも見られます。すべてを許すプロテスタントや異教と比べれば、カトリックは厳しく感じられます。物質面で裕福に暮らし、出世しようと思えば、公の宗教である神道が欠かせないようです。他にもいろいろな理由がありましょうが、この土地にまだ慣れていないので、まだつかめません。とにかく、一見したところ、将来のために素晴らしい実りが期待できそうです。
目下、私たちには、活動するための一番必要な手段、すなわち言葉が欠けています。聖フランシスコ・ザビエルが手紙で書いたことは、私たちにも当てはまります。「この民の間で、私たちはまるで沈黙の像のようです。人々が私たちについて話し、論じたりしているのに、私たちは返す言葉がありません...。」この年になって、言葉を習得しながら、幼子に戻ったかのようです。願わくは、子供たちのように純真で素直になれますように。
私たちは、建物の2階の4つの部屋で共に寝起きし、勉強しています。少々窮屈ですが、もっと悪い状況の人を考えれば、まだましです。1階には食堂があり、他の部屋はパリミッションの神父様が使っています。
順調にいけば、22日の月曜から本格的な時間割に入ります。それについては、次回にご報告しましょう。
昼食の時、日向新聞の編集長がインタビューにやって来て、私たちの写真を撮し、どういう者か、何のために来たのかを聞きました、私は、すぐに話した方がいいと思いました。
そして、今日、新聞にその記事と写真が載りました。(翻訳を送りますが、十分には表現できていないと思います。日本人の頭の中を理解するのは、しばしばとても難しいことです)。これは、日本において、初めて公に出たドン・ボスコ、サレジオ会の記事です。
午後、タンギー神父と一緒に、県知事、市長、警察の長官に挨拶に行きました。3人とも丁寧に迎えてくださり、必要とあれば、いつでも協力すると約束してくれました。県知事は、お茶を出してくれました(日本の習慣で砂糖は入れません)。ここでも、他の場所と同様に、お辞儀やお礼の言葉が延々と続きました。とにかく、私たちの訪問は皆から喜ばれたようで、こちらにとっても有益でしょう。夕方、やっと元気になったリビアベラ神父が宮崎に着きました。
2月19日
リビアベラ神父は、目の痛みを訴えています。目医者に診てもらった方がいいと判断しました。ここの医者でも、日本式の礼儀です。靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、人々に深々とお辞儀する。病人は、診察室に入るときも、またスリッパを脱ぐ。お医者さんの奥様が紹介されるときも、またご挨拶を繰り返し(膝をついて、這い這いする子供のように手を床につけて深く3回頭を下げて、すすめられた座布団に踵の上に座る。そして、100語中3,4語しか解らない楽しい語らいが始まって、皆ニコニコと微笑む。別れるとき、お医者さんがまた玄関まで見送ってくれて、ヨーロッパ人が靴はきの体操をする様子を見ながら楽む、という具合でした。
今度は、カヴォリ神父が病気になりました(リューマチから来るひどい熱でしょうか)。
今日、マルジャリア神父とグアスキーノさんが一行に加わり、やっと全員そろいました。
晩に行われた十字架の道行には50人余りの信者がとても信心深く参列しました。その中の数人は、毎日ごミサにもあずかり、ご聖体をいただいています。
2月20日
カヴォリ神父の熱はなかなか下がりません。お医者さんに往診してもらいしたが、はっきりしたことはひとつも分かりません。胃腸障害と言っていますが...しばらく様子を見ることにしましょう。今、いたるところでチフスが流行っています。
これで、全部書いたと思います。これからは、仕事です! 私たちのため、また若者たちのためにすぐに始めたいのですから!(略)
私個人のことは、どうでしょうか。- まあ、とても落ち着いています。集中することにいつもの困難を感じますが、健康は良好です。どうか、仕事、信心、犠牲の精神において、聖人になれますよう、お助けください。
聖ヨゼフの祝日のために、お祝いを申し上げます! 私と、私たちの宣教地のために祈ってください。
ここの人たちは皆、異口同音に話していること、言ってくれていることは、まず、言語習得は大変困難だ、と。使徒職はさらに困難だ、と。司教様も、環境に慣れる難しさについて話してくださいました。ですから、生活の急激な変化を避けるため、経済的犠牲が伴うにしても、食事をもう少し豊富にし、少しワインを出した方がいいと思います。(管区長も賛成です)(略)
どうか私を祝福し、聖ヨゼフの取り次ぎにより私のために謙虚さ、集中の精神、仕事に励む力、また、自分自身や愛する兄弟たちのために、心の中にイエス様を保つ恵みを祈ってください。総長様を、そしてすべての愛する長上の方々を心から抱きしめます。
あなたの取るに足りない息子 V.チマッティ神父
日誌より - 1926年2月
宮崎の落ち着いた環境の中で、信心業を規則的に行ない、日本語の勉強をしながら、私たちは自分たちの霊的・知的準備を始めた。助けてくれるのは、主任司祭と、最近プロテスタントから改宗してきた阿部氏という、ちょっと面白いカテキスタである。(略)
私たちは、教会としては長崎教区に属し、コンバーズ司教と教区秘書ティリー神父の管轄のもとにある。修道会としては、中国準管区に属し、カナゼイ管区長の管轄下に置かれている。
日誌より - 2月26日
仕事計画 それは、日本語の勉強と日本の生活に慣れることである。指導者は、ボネカーズ神父と阿部氏である。
勉強方法 尋常小学校の教科書を使う。(午前中は読み書き。午後は会話と暗記のための書き取り)。各自、さらに自由に勉強の機会を増やし、能力があれば、より多くのことを学ぶ。
これが良い方法かしら 十人十色である。皆、必死でやっているが、当然、得意な者もいれば、苦手な者もいる。先生や私たちが互いに理解し合う難しさゆえに、進みぐあいが遅く、誤解や間違いも多々ある。それでも、進歩しているのは確かである。修道士の中に、後ずさりする者(グアスキーノさん)が出てきている。
修道生活 会憲や会の伝統を厳しく守るようにし、自分たちの聖性に一層力を入れるようにしている。
最初の15日間、日本の冷たい食事を摂り、風土に慣れていないためか、ほとんど全員が1週間にわたり高い熱を出し、伝染病ではないかと心配したこともある。
けれども、一番大きな犠牲は、否応でも、話せない子どものように戻ってきたことである。皆、ある程度年を取っていて、勉強の魅力というよりも、義務感や意志によってのみ支えられている。何も理解できず、何もできない状態である。聖フランシスコ・ザビエルの言葉を借りると、まるで大理石の像のようだ。どうか、主が助けてくださいますように!
このような犠牲は、余り人々に理解されていない。本には、宣教生活の素晴らしさや冒険のみが強調されているが、一番辛いのは、切り離されている状態にあって、何もできず、屈辱的な、気力を消耗する生活を送っていることである。
会員は、戦争の生き残りがほとんどで、その受けた悪影響が犠牲を一層大きくしている。
毎日の単調さに変化をもたらすため、遠足、イタリアのボッチェ(bocce)の試合〔玉転がしのゲーム〕、写真コンクール、晩のコーラス、興味ある場所への見学、家の仕事、教会の祝いの飾り付けなどが役立っている。日本の典礼暦にはイタリアの祝日が入っていないので、物足りなさを感じる。何かの活動ができる近い将来のため、何をやったらよいかを今考えている。
音楽や侍者の奉仕によって、教会の祝日をより荘厳にできる方法も考えている...。日本語の片言を話せるようになったら、人びとのために何かをしたいなあ、という気持ちで一杯である。
午後、子供たちを集めて、皆、何かをしようとしている(話し合いとか、物語を語ること、音楽を演奏するなどである)。こうしたことで、なんとかして主任司祭を助けようと務めている。
別紙の記事 「日本におけるイエスの宗教」から抜粋 1926年2月
同年6月号のBolettino salesianoに記載された長い記事である。いろいろな本を参考にして書いたと思われる。その中に日本人の性格についてこう述べている。
「日本の自然の中に見られる調和は、この国民の紳士的な態度、公共施設や個人の家や、道、交通機関の適切な手入れ、こまやかな礼儀作法、持ち物の美的な装飾にも見られる。
日本の国民は、開かれた高い知性と理想の持ち主である。活動的であり、上手に物事をこなし、繊細な感覚があり、親切である。常に威厳を保ち、顔に微笑を浮かべているが、その態度の裏に、心の中の感情を上手に隠しているのである。美しい自然の中に育っているため、自然を愛する雰囲気も育んでいるのである。
愛国心が熱狂的であり、思いと心が大胆で、勇気がある。彼らの目には、美しいまた良いのは、自分の故郷だけ、また帝国の繁栄だけである。それゆえ、自らの知性も能力も命も、すべて、そのために捧げる覚悟でいる。」
日本語と日本文化への挑戦
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
1926年3月3日頃
敬愛なるお父様
ただいま、月の「良き死の練習」〔月の静修〕の日ですから、会員各自の報告を聞き終わったところです。ここには、良きお父様に私自身の月の報告をいたします。
1)健康は、あらゆる面で良好です。今のところ、この土地の気候に慣れることに何の困難も感じません。今まであらゆる困難な状態に慣れてきたのですから、どんな気候のもとでも元気でいられるようです。
2)勉強と仕事に関しては、日本語の勉強や長上たちとの文通のほか、もらった手紙への返事を出すようにしていますが、昨日まで、外国からの手紙は1通も届いていません。
3)すべてのため時間が十分にあり、熱心にやっているつもりです。ありとあらゆる面で修練期に戻った気分です。いえ、幼児期に戻ったと言った方がいいのかもしれません。
4)信心業に関しては、難しいことはなく、すべて共同体皆と一緒にやっています。勉強を除けば、今のところ、霊魂のこと以外に考えることはありません。神に感謝! 信心業を果たす時には、気を散らさないように努力しています。
5)秘跡に関しては、規則的にあずかっています。
6)私たちの聖なる会憲を実行するように努力しています。難しいことはひとつもありません。
7)皆を兄弟のように愛しているつもりです。
8)支部の中は、今のところ、すべてはうまくいっています。
(略)
会員について - カヴォリ神父は、霊的には立派ですが、旅行中、健康面で一番試練を受け、今のところ、この土地に慣れつつあります。今になって初めて、戦時中かなり病んでいた(心臓と頭にリューマチによる合併症があったこと)が明らかになりました。確かに、少々神経質であり、少しかっとなってしまうことがあるので、仲間と小さな衝突やいさかいが起こりました。体力増進のため、何か手段を考えます(本人からも頼まれました)。長上方へのお願いですが、会員を派遣される前に、どうか前もってこうしたことを調べてほしいのです。こちらに来てからの治療は大変ですから。幸い、今は、比較的にゆっくりできる時期になっています。こちらの気候に順応するまで、司教と管区長の勧めに従って、一時、次のようにしたいと思います。四旬節の断食を免除して〔注。当時、とても厳しかった!〕、朝食にはコーヒーと牛乳、また希望する人には卵1個を出します。(略)
今のところ、特に必要なものはありません。ただ、畳の生活に慣れていないので、少しマットレスを準備しました。これで、皆、少し楽になりました。(略)
金銭に関しては何も心配していません。天の会計(主)が配慮してくださるからです。
宮崎は農業が中心で、人口は4万ほどですが、さらに増加しつつあります。日本では、ピエモンテ地方に対する南イタリアとサルデニア島のような状態です。お役人や公務員の最初の任地は、宮崎から始まります。漁業や農業が盛んで、食生活に関しては問題ありません。お金さえあれば、何でも買えます。生活費の面では、総合的に見て、私たちの人口の多い都会とほぼ同じです。早く現地の食生活に慣れれば、それ以下で済むでしょう。
住まいは静な所にあり、養成支部に適しています。遠足のため、いくらでも変化に富む目的地があります。信者のほとんどが農家であり、教会に対して好意的です。パリミッションのボネカーズ神父との関係もとても良好です。この方の健康が優れないので、栄養と陽気さで元気付けるようにしています。(略)
会員たちは、模範的にサレジオ会の共同生活を送っており、あらゆる面で満点です。
私は、他人を指導しながら、自分を見失うことがないように、どうかお祈りください。
総長様や長上方お一人お一人に、ご復活のお喜びを申し上げます。
敬愛をこめて あなたの息子 V.チマッティ神父
追伸 - 今日、聖ヨゼフの祝日を準備するため、子供たちと一緒に歌ミサの練習を始めました。声の方は、まあまあ良さそうです。うまくいきますように。
今月は次の2つの講話をしました。
- われわれ宣教師、特に宣教を始めようとする者にとって、会憲を守ることがいかに大切であるか。今、規律に関して気を配る困難はなく、もっぱら、自らの聖性と勉強に従事するようにしよう、と。
- ドン・ボスコやドン・ルアの教えに従って、毎月の「良き死の練習」〔月の静修〕をよくするようにしよう、というテーマでした。
Caviglia Alberto カヴィリア・アルベルト神父へ
カヴィリア神父は、ドン・ボスコの有名な研究家で、この手紙に出てくる著明音楽家Pagellaパジェラ神父と共に、トリノの聖ヨハネ支部でチマッティ神父と一緒に働いた同僚また先輩である。Tonelliトネリ神父は、チマッティ神父と一緒に叙階され、ヴァルサリチェの高等学校で自然科学の教諭、博物館の館長を務め、チマッティ神父から多くの標本を送ってもらった親友である。Colombo Sistoコロンボ・シスト神父も、同学校の文学の名教諭であった。
宮崎1926年3月5日
親愛なるカヴィリア神父様、
トネリ神父に送った箱の中に、あなたのために多くの「人称代名詞」を入れました。〔注.日本のお茶は、イタリア語で “te`”と言う。それは、「あなた」という「人称代名詞」の意味でもある〕。届くでしょう。自分の手で摘んできたのだから、本物ですよ。(前もって手をよく洗ったんだよ!)。役立てば、嬉しいです。そうでないならば、日本には美味しいお茶がないということになります。
でも、私には好きではありません。砂糖なしで出すのですから。初めに味わったのは、上海で中国の茶を飲んだ時でした。Lo Pa Honの夕食で、一口ずつ12品のものが出た後、お茶が出ました。断ることはできませんでしたが、ピアノを弾いたのち、皆が感激したためか、またお茶が出ました。いくら断っても、飲まざるをえませんでした。宮崎に着いてから(きれいで、静かな町ですよ!)知事を訪問したら、待合室でまたお茶が出ました。終わりだと思ったら、知事はもう一度入れさせてくれました。慣れるために、砂糖なしでも変な口しながら飲み込んでしまいました。
親愛なるカヴィリア神父、パジェラ神父やシスト神父にも言ってください。本に書いてある日本のこの小さい人たちについての、特に話すときや振舞うときの遠慮深さと丁寧さは、読んでは信じられませんでしたが、ここに来てみたら、本当に大変なことです。訪問する時、こうなります(これは、医者を訪問した時の実話です)。まず、靴を脱ぐ(私のような紐靴の場合、不幸だなあ!)。入口に女中が深い辞儀をして勧めるスリッパを履いて、中に入る。病人を診察する医師がご婦人を紹介したいのですから、探しに行く間、スリッパを脱ぎ、部屋に入って(靴下がきれいであることに注意!)、待っている間、女中は座布団を敷く。医者が入り、ひざまずいて3回お辞儀をして、挨拶が始まる。
- こんにちは、とお辞儀して彼は言う。
- こんにちは、とお辞儀してお客は答える。
- 今日、いい天気ですね(あるいは、悪い天気ですね)、とお辞儀してまた彼は言う。
- はい、とてもいい天気ですね(あるいは、残念ですね!)、とお辞儀してお客は答える。
- お元気ですか、とお辞儀して彼は言う。
- まあ、まあ(あるいは、とても元気です)、とお辞儀して私は答える。
- どうぞ、お座りください、と彼は言う。
そのとき、客は丁寧に50センチ四方の座布団の上に座る。正式な座り方は、ひざまずいて、組んだかかとの上に座ること。痛くてたまらない。そのまましゃべりだす。調子に乗ったとき、貴婦人が入って来る...また初めからの挨拶が始まる。おもしろい世界ですよ!
終わったら、出口まで案内されて、またスリッパを履ぎ、それを脱ぎ、靴を履く。先生は、ヨーロッパの靴を履く苦労を見ながら微笑んで見てくれる。
もう十分! イタリアに帰ったら、話すことはたくさんある! 日本は、すべての面で美しい。この季節は、咲いているつばき、梅、あんず、桜は素晴らしいです。その後は、どうなるかをみましょう。気候は、今のところ、ピエモンテ地方に似ています。
整頓、清掃は行き届いていて、人々は細かいところまで気付きます...まあ、結構です。子供たちはもう近づいてきます。聖ヨゼフの祝いと復活祭のため、歌わせるつもりです。声は悪くない。遊び、音楽、演劇に夢中です。全世界の子供たちは、どこでも同じです。
今のところ、神のお導きにより、とても希望がもてます。
しかし、まず言葉の問題を解決しないといきません。
心から抱きしめます。尊敬を持って チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父へ
リカルドーネ神父は、当時、サレジオ会の副総長として宣教地を担当していた。1927年、日本の宣教地を視察し、1931年には次期総長となった。1949年までチマッティ神父から282通の手紙を受け取った。
1926年3月5日
私の良きピエトロ・リカルドーネ神父様
1-8(略)
9 宮崎の人口は4万ほどですが、さらに増加しつつあります。ここは、役人や公務員の最初の任地となっています。役人はとても熱心で、細かいところまで知りたがります。私たちは、すでにあらゆる角度からインタビューを受け、後はどうなるか分かりませんが、全般的に見て、大事にしてくれています。私は、肩書きをすべて訊かれて、どれほど多くのお辞儀をしてくれたことか! そして、いろいろな外国語も話せることを知ると、天から落ちてくるぐらいに感心します。ここは、農業の盛んな土地で、農業高校もありますが、まだ訪ねていません。けれども、(建物の美しさなど、外観は別として、“煙もくもく、焼肉わずか”という感じです〔注.あまり中身がない、という意味〕。私が訪問した長崎のマリア会の学校から見ても、学問の水準を恐れることはありません)。資料などについても、私たちのヴァルサリチェの学校の方が何倍も価値があります。
日本中どこへ行っても、平らな土地さえあれば、整然と、日本人独特の器用さで手入れされ、耕されています。肥溜めが大いに使われているので、空気中、悪臭がたちこめます。水田も、それに伴う蚊も豊富です。といっても、滞在期間が短いので、はっきりとした判断はできません。(略)
11 野菜畑と、うさぎ小屋、鳥小屋を充実させました。宮崎にいる3人の修道士たち、もしくはそれ以上いても、仕事が十分にあります。宮崎では、一般的に言って、何でも(お米、魚、くだもの、肉、牛乳、卵、パンなど)見つけることができます。これ以上、何を望みましょうか。
12 宮崎の信者は、添付した紙の上では200人以上いますが、今のところ、実際に通っているのは100人ちょっとでしょう。復活祭の時を見ましょう。子供たちは、イタリアの子供と変わりありません。まあまあ上手に歌ってくれます。聖ヨゼフの祝日と復活祭には、荘厳ミサを歌い、少し幻燈をやる予定です。子供たちは、遊び、歌い、劇をするために生まれてきたようなものです。一応、彼らとのつながりができました。ちょっと恥ずかしがりやですが、なぜでしょうか。いずれか分かることになるでしょう。(略)
結論としては、日本までの旅、到着後の生活、人々の歓迎、最初の接触のすべてにおいて、説明しきれない、驚くほど神のみ摂理を感じています。その御手は、私たちを日本に導き、すでに大きな収穫を垣間見させてくれるかのようです。
宮崎に関して申し上げますと、世話されていない子供たちは、アリのようにあふれています。とくに下町でそのことを見ました。ああ、わが神、われらの母(マリア)、ドン・ボスコよ、どうか、一日も早く、この小さなサレジオ会員たちの舌がほどけるようにしてください!
確かに、今日までのところ、イエス様は私たちを手袋をはめて大切に扱ってくださいました。これからは刺もやってくるでしょう。是非とも、そうなりますように! しかし、神のみ国が勝利を治めますように!
簡潔にすべてを申し上げたつもりです。日本については、まだ少ししか分かりませんが、上塗りをはがせば、下には欲望や、多くの徳を備えた、生身の人間が潜んでいるでしょう。
この国でも民主化運動の風が強く吹きはじめ、今や多くの古いものを捨て去ろうとしています。十進法をとり入れ、英語も勉強し、職場でも学校の生徒たちも洋風な格好をするようになりました。よい方向に進歩することになるのでしょうか。どうか主よ、お助けください。
要理研究や聖書物語の教材として、カラースイラストを調達してくれる方があれば、うれしく思います…。
今、作曲したかわいい民謡や、他の歌をいろいろ集めているところです。
神父様を強く抱きしめます。皆さんにご復活のお祝いをお伝えください。会員たちは、とてもよくやっています。どうか私を祝福してください。ああ、扶助者聖母の行列に(5月24日)私たちもそちらにいたいということを覚えていてくださいね!!!
ヴィンチェンツォ神父
Giardini Marioジャルディーニ・マリオ司教、教皇使節へ
ジャルディーニ司教は、1922年から1931年まで、日本でローマ教皇庁使節として務め、チマッティ神父と深い友情を結んだ。同使節は、チマッティ神父が困難に出あった時に彼を支え、その良い恩人になった。チマッティ神父から受け取った47通の手紙が残っている。
宮崎1926年3月18日
敬愛するジャルディーニ使節閣下
すでにお伝えしましたとおり、ドン・ボスコの子らは宮崎に着きました。1カ月経った今、簡単なご報告を申し上げるべきでしょう。
何よりもまず、教会と我がサレジオ会の保護聖人聖ヨゼフの美しい日にあたって、主イエス・キリストの代理者〔教皇様〕を思い起こさせてくださる使節閣下に、会員にも代わって、母なる教会とその教えに対する私たちの子らとしての、深い無条件の愛をお伝えしたいと思います。(略)
ただいま、私たちは、熱心に日本語の勉強に励んでいます。しかし、いつになったら舌がほどけ、委ねられた場で実りある仕事ができるようになるかは分かりません。とにかく、私たちは皆善意に満ち、健康にも恵まれて、勉強に専念しています。
現地に着いて、期待以上のものを見出しましたので、今、私たちは、バラの花の上を歩いているような気分です。毎日、少しずつ子供たちに音楽の手ほどきをし、聖ヨゼフの祝日に何かできるよう準備し、信者は、できる人は準備の9日間の祈りにも参加しました。私たちが、本格的に仕事に取り組める日を、主が早めてくださるよう、そのお助けをお願いたします。閣下も、どうかご忠告とお祈りをもってお助けください。私たちが閣下のことを忘れることはございません。
さて、閣下にお願いがありますが、(どなたにお願いしたらよいか分かりませんので)、できましたら、日本の宣教の歴史を取り上げた本(記録、研究、統計データなど)がありましたら、教えていただけないのでしょうか。(略)
また、和英と和仏辞典は手に入りましたが、フランス語か英語かの、ローマ字で書かれた日本語の辞典が見つかりません(今の私たちにとって、日本字は堅いパンです)。もし、あまりご面倒をかけずにお手配いただければ、本当に美しい愛徳の業になります。
どうか、主がお助けくださいますよう、閣下の心からの祝福をお願いいたします。
敬愛の心をもって V.チマッティ神父 サレジオ会員
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
この手紙の中に、聖ヨゼフに対するチマッティ神父の深い信心がうかがわれる。宮崎の聖堂は、聖ヨゼフに捧げられていた。主任司祭との考え方の相違が次第に現われてきつつある。
宮崎1926年3月19日
私の良きパパ、
聖ヨゼフの祝いです! 今日、私の魂は深く感動し、とても甘美な痛みを味わっています。どういうわけか、イエス様のみ前に行くと涙が出るのです。兄弟たちに見られないようにしなければなりませんが、まあ、何でしょうか。そのことで、まだご報告の日ではなくても、お手紙を差し上げたい気持ちになりました。
今のこの状態で、思うように聖ヨゼフの祝日を荘厳に祝えなかったことからくるのでしょうか。一応、主任神父が私たちの願いに応じてくれて、できるだけのことをやったつもりですが、見解の相違はどれほど大きいのでしょう!...とにかく、9日間の祈りはなんとかしてできましたし、信者たちも参加してくれました。日本語でロザリオを一緒に唱え、聖ヨゼフへのラテン語の賛歌「Te Joseph」も歌いました。私は、この機会に、『聖ヨゼフ、われらのために祈りたまえ』という最初の日本語の歌も作曲し、皆それを歌って、喜んでくれました。神に感謝!
今度の日曜日は、荘厳ミサを行ないます。信者たちも、私の小さな友だちも、皆そろって歌います。私は、まだ十分に話ができませんが、彼らはもう遠慮しなくなってきました。
ああ、イエス様、マリア様、宮崎教会の保護者聖ヨゼフ様が、子供たちのかわいい声を聴いてくださいますように! また、私が、彼らのため、そして宣教地のためにお願いすることを聞き入れてくださいますように! 今日、皆に聖ヨゼフの御絵をプレゼントしたいと思っています。
これは、作戦の始まりにすぎません。これからは、5月に向けて、機関銃と大砲を準備して、本格的な戦いを進めます。5月には、扶助者聖母がこの愛する人々の心と、親しく知り合う時を迎えるようにしたいのです。そのとき、(正式ではなくても)サレジオ会の日本入場の時を迎えさせたいと思います。(略)
・ああ、教会の保護者、教皇様の保護者、聖ヨゼフ!
・私たちの修道士、職業学校の生徒を思い起こさせてくれえる、聖ヨゼフ!
・サレジオ会の保護聖人のひとりであり、聖フランシスコ・サレジオが愛し、聖務日課の本にその御絵だけを入れ、『神愛論』をが彼に捧げた、聖ヨゼフ!
・私が初ミサを捧げた記念日の聖人、聖ヨゼフ!
・宮崎教会と中津教会の保護者、聖ヨゼフ!
(大分教会の保護者は、聖フランシスコ・ザベリオです)
もしかしたら、私の甘美な涙の原因は、心の中に渦巻くこれらの思い、またこの祝日が日本では守るべき祝日に入っていないことにあるのかもしれません。なぜか分かりませんが、主任司祭が言うには、キリスト割礼、キリストのご聖体、無原罪の聖母、聖ペトロと聖パウロの祝日も、同様に守るべき祝日に入っていません。それが本当ならば(これは暴言でしょうが)、だからこそ、日本の回心が起こらない理由が分かる気がします!
最近のニュース!
1)日本語の勉強は、根気よく続けています。神様のお恵みで、うまく行っていると思います。確かに、いろいろな面でこの言葉は難しいです。ヨーロッパの言葉と共通する点がなく、文の構造もまったく独特です。扶助者聖マリアに唱える射梼をお聞きください。「キリスト信者の助けなる聖マリア、われらのために祈り給え。イタリア語に訳すと、Cristiani dei aiuto Santa Maria, noi per pregare degnati」。このとおり、後ろから訳すことになるのです。文の構造は、すべてこんな調子です。それに合わせて、考え方も全部入れ替えないといけないのです。まあ、少しずつ目標に達することができるでしょう。
2)今度は、ピアチェンツァ神父が病気になりました。日射病にかかったようです。高熱が続いていましたが、今日、聖ヨゼフの祝日に下がりました。神に感謝!
3)~6)(略)
7)他の会員たちは、みな元気です。日々、総長様、長上の方々、そして皆さんのためにお祈りしています。皆さんも、そうしてくださっていると確信しています。その証拠は、今感じている本物の魂の平和です。自分の人生の中で、今ほど強く感じたことはありませんでした。他の兄弟たちも、皆同じように修道者らしくやっていると思います。神に感謝!
遠くにいるあなたの息子は、心からあなたを抱きしめます。主の内にこの上なく総長様を愛しております。いつもこの上なく総長様を慕っているあなたの息子
V.チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父へ
リカルドーネ神父は、当時、サレジオ会の副総長として宣教地を担当していた。1927年、日本の宣教地を視察し、1931年に次期総長となった。1949年までチマッティ神父から282通の手紙を受け取った。
1926年3月19日
私の良きピエトロ・リカルドーネ神父様
今日、聖ヨゼフの祝日です! お手紙を出したいインスピレーションを感じて、良いことですから、実行に移しました。
1.写真をお送りします。郵便が届くかどうか分かりませんので、ヴァルサリチェのトネリ神父を通してお送りします。彼には、機会があって、自然の標本も送っています。
2.今のところ、新しいことはなく、神のお助けにより全てがうまくいっています。〔注.ここに五線譜を加える〕『聖ヨゼフ、われらのために祈り給え!』という短い射梼が、どれほどの盛り上がりをみせるかを、歌ってみてください。次回、いくつかのかわいい日本の歌をお送りしましょう。すべての言語の中で、もっとも甘美な...、はい、この上もなく甘美なこの日本語が分かるまで、少しお待ちください。なんと素晴らしい音楽になるでしょう!(ところが、イタリアでは余り口にしないほうがよいと思います!)〔注.それは、誤解を招く言葉が多いからです。〕
もう始めました...。『Che bel buchin』というイタリアの歌を『蟻の目…』という題で日本語にしました。しかし、彼らには“L”という発音がないので(そして、Ti(ティ)もない)、イタリア語の「la,la,la」を「ラ、ラ、ラ」と歌わせています。また、彼らの歌には「ピョンピョン」をよく使いますが、私たちのこの歌の「ピュ、ピュ」が気に入ったようです。
この子たちは、将来の希望です。きたない時も、またいつも鼻水をたらしていても、なんともいえない賢そうで、その小さな魂は天使のように可愛いのです。どれほど良い素質があるかを、分かって頂きたいのです。彼らは、私たちの話に耳を傾け始めました。ああ!この舌が、早く早くほどけて、話せるようになりたいのです!
会員たちは、みな元気、陽気で、本当に良くやっています。ピアチェンツァ神父の調子が良くありませんでしたが、今日、聖ヨゼフの祝日に熱が下がりました。
どうか、私たちのために、お祈り、お祈り、お祈りしてください。
心からの愛情を込めて、主のうちに神父様を抱きます。
いつもあなたの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年3月20日
親愛なるお父様
マカオからの管区長の文書を通して、〔私たちの〕カリエロ枢機卿の訃報を知りました。神様のみ心が行われますように! 青天の霹靂でした。ここ数日、枢機卿様のことが私たちの間に随分話題になっていました。枢機卿様がどれほどこの宣教地のために貢献してくださったかは、よくご存知です。長上や他の会員の深い悲しみに心を合わせ、私たちの宣教地の最初の恩人のためにお祈りを捧げます。(略)
今朝、女子高の卒業証書授与式に与かりました。知事の左に宮崎大社の神主さんが座り、その後ろに私が座りました。私の後ろにプロテスタント教会の牧師さんが座っていて、今晩、私を訪ねて来ました。
どうか私のために、お祈りと祝福をお願いいたします。 ヴィチェンツォ・チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父へ(前出)
宮崎1926年4月2日
親愛なるリカルドーネ神父様
良き死の練習[月の静修]にあたって、報告をまとめます。(略)
1)日本人は皆、何でも読みます。ドイツ語・フランス語の本は山ほど訳されています。カトリック関係の出版物はとても少なく、ゼロに近いです。(ドン・ボスコが始めた)「カトリック講話集」なら、きっと、大成功すると思います。私が知っているかぎり、他の修道会の中、印刷所を持っているものはいません。(略)
3)所有権の法律により、外国人には所有権がなく(帰化すれば別ですが)、私立小学校は持てません。シスターたちは、幼稚園を持つことはできます。これも考える必要がありましょう。教会学校は、放課後に開くなら、毎日でもできます。
困難なのは、信者たちを使徒職の面で養成することです。彼らは、私たちが異教徒のために働くことに対して、大変嫉妬心を感じます。まるで自分たちの立場が失われるかのようです。(略)
今の時期は、よい時です。教育のためにするあらゆる活動は、良く見なされ、高く評価されています。こういう活動は少なく、見た範囲では、大したことはありません。
日本人は、吸収するのはとても上手ですが、、、。これ以上、口にすることはできません。調べてみたのですが、私たちの郵便物はどのような扱いを受けるかまだ分かりません。とにかく、日本の教養水準は余り心配することはないでしょう。これが大体の私の印象です。リナルディ神父にも同じようなことを伝えました。
私の文章は、ご理解いただけるのでしょうか。今私は、(日本語を覚えるために)自分の考えをねじったり、ひっくり返したりしていますので、「やさしい、響きのよい、純粋なイタリア語」はどうなってしまうのかと思うことがあります…。(略)
日本での今の季節の美しさを理解するには、自然の中のいちばん美しいものを想像してみてください。どこでも、緑と花。家より高い所は、どこでもそうです。また子供たち、女の子たち、女性たちが蝶々のように着飾っています...。畑の耕作も見事です(大麦が穂を出し、くわ、豆類、菜の花畑、田植えなどの準備が進められています。)この位申し上げれば、十分でしょう。
聖母月にあたり、マリア様がすべてを照らし、明らかにし、しめくくってくださいますように。主の内に神父様を抱きしめます。
あなたのもの ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
宮崎教会日誌より - 1926年4月5日 復活の月曜日
皆で日南海岸の青島へ遠足に出かけた。チマッチ神父にとって、トリノへ送る海藻や貝類を収集する良い機会となった。おもしろかったのは、チマッティ神父とボネカ-ズ神父と数人の会員が、藤さんという信者を訪問したことであった。彼は、この近辺の唯一の信者ではあるが、立派な仕事をしている。家は、少数ベッドのある小さな病院のようである。病人への処方箋は、減食、近辺に涌き出る鉄分の多い水の摂取、そして心の平安。これらの処方箋の他、療養期間中、患者に質問したり、アドバイスを与えたり、カトリック要理を教えたりして、その心に入るようにする。この治療は、かなり効果をあげ、患者のほとんどがよくなるか、あるいは完治して退院する。今まで12-13人がカトリックの信者になった。
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年4月8日
私の良きお父様へ
神父様は、私が出す手紙は親密すぎる、“Bollettino Salesiano” の記事に使えない、とおっしゃっていますが、私にとって他の書き方は無理です。お伝えしたいことや、お父様が知るべきことは、山ほどあるからです。
ですから、こうしましょう。ニュースのようなものは別紙に書きます。その中から、公表できるとお思いになることを、誰かにお頼みになって直してもらってください。ただ、批判と思われるような内容に気をつけてください。私たちは、日本人から、またそれ以上外国人から見られているからです。日本には、完璧に組織されているものは3つあります。警察、教育、そして鉄道と郵便。これらは、外国にまで及んでいます。
私の良きパパ、お手紙をありがとうございます。大分と中津から帰ってきて、すぐに会員にそれを読んであげました。父親のような配慮で復活祭を一緒に過ごしてくださったカナゼイ管区長様は、最初の折衝のため、私も一緒に行ったほうがよいと頼んできたので伴にしました。とても疲れて(いえ、退屈です...、鉄道がのろのろ遅いですから)家に帰ってきました。しかし、心には大きな喜びがあります。以下は、その簡単な報告です。
神様のお思し召しにより小さなドン・ボスコの子らに委ねられた地域は、とても広範な場所です。二つの県とも人口がどんどん増えています。宮崎は天皇家の出身地だと自慢する所です。大分には聖フランシスコ・ザビエルの働きの思い出があります。サレジオ会員が司牧のために回るとき、古くからの信者を見つけ出す期待があります。中津は教養は高くはありません、また仏教が完全に支配している地域です。大分と中津の教会や司祭館は宮崎より小さいですが、今のところ住まいとしては十分でしょう。(略)
大分は小さな港があり、漁業と商業の町です。人口は4-5万、方々から集まってきた人たちです。あらゆる類の学生がいて、プロテスタントが深く根づいています。カトリック信者は町には少なく、むしろ地方にいます。大した数ではありません。中津の場合も同じです。大分の司祭館は商業地域の中で最も小さい建物で、主任司祭は拡張した方がいいと勧めています、が...。
中津教会は住宅地域から孤立しており、建物の右には警察署、左には市役所、裏には県庁の出張所、前には学校があります。人口は2万5千人、大分から2時間半、宮崎から8-9時間のところにあり、静かな町です。
中津と大分の間には有名な別府があります。日本の海水浴所の観光地で、あらゆる類の温泉で有名です。大勢の日本人、信者も、さまざまな治療のためにこの町に駆けつけ、今では名所になりつつあります。現地の信者や観光客を助けるためにも教会があるといいです。信者になる人たちも出てくるでしょう。病気の人たち(特に結核や精神患者)にとって、精神療法はたいへん効果的です。こうした精神療法を使って病気の回復を目ざす新興宗教は、どれほど多いでしょう。この点も一度ご検討ください。さもなければ、日曜日のための分教会でもよいと思います。
大分と中津の気候はピエモンテ地方の気候に似ています。この間、管区長と一緒におおまかな活動方針を決めました。あとは長崎の司教とお会いして相談なさると言っています。だいたい次のようにまとめることができます。
1)パリミッションの神父様たちが引き上げるので、建物の修復などはしないでしょう。そこで、緊急な修理を必要とする箇所があれば...。
2)管区長は、サレジオ会が8月にその教会に入れるよう(15日だといいね、何故かお分かりですね!)、信者も含めて、司教様に提案なさると言っています。言葉の面では準備は不十分でしょうが、思いきって水に飛び込まなければ...。もちろん、言葉はずっと続けて勉強する必要があります。言葉こそ、私たちの宣教活動の最も難しい点の一つです。ですから、早く、将来のことも今のうちに考えなければなりません。
3)とりあえず、宮崎では教会学校を開いて子どもたちを世話しようと思っています。(日曜に限らず、毎日でもできる)。場所のためには、庭の一部をつぶそうと思っています。後は、主が考えてくださるでしょう。これは、すべてボネカ-ズ神父が難色を示さない場合です。宮崎の信者の家族を失わないために、少年少女たちを世話することは急務です。(シスターたちの手配も、どうかご検討ください)。14-15歳まではまだ子どもですが、継続的に世話しないならば、迷い出て、間違いは深刻になります。彼らが夢中になる遊びのためのスペースや、常設の図書館、移動図書館が必要です。彼らは本を食いつくす者です。信仰教育も必要です。(略)
他に何を申し上げるべきでしょうか。
1)健康は、今は皆良好です。最後に寝込んだのはメルリ-ノ修道士でした。
2)先日、強い地震がありました。(震度4-5度が2回)震源地は宮崎でした。日本の家は柔軟性があり、ぐらぐら揺れてもヨーロッパのようなショック、恐しさ、パニックは感じません。
3)今、日本は桜の季節です。日本人は、喜び祝って、花見や遠足に出かけます。
4)マリア様の月や扶助者聖母のお祝いがうまくいくことを願っています。
5)サレジオ会の”Bollettino”のための記事を用意します。とりあえず、お届けしたものがお役に立つことを願っています。
どうか、私たち皆のためにお祈りください。特に、これほど主から愛されているのに、その恩恵に十分に応えていないこの私のためにお祈りください。すべての長上方と共に、心からお父様を抱きます。
敬愛するあなたの V.チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生へ(前出)
1926年4月15日頃
わが良きフランコ君
ありがとう、ありがとう、ありがとう! 君が手紙をくれるたびに、私は大変喜ぶ。何を言っているのか。時間は...。うまくそれを使えば、何をするにも十分にあるよ。私の送ったもので何が届いたのか知らないけれど、今のところ、私のもとには、ヴァルサリチェからの君の封筒以外、何も来ていない。これも、離脱だなあ。
琴という日本独特の楽器を使っての音楽は、まだ聞いていない。できるなら、私が琴を習おうかなあ。東洋的で、さびしい感じのメロディーだ。こんな風に...〔ここに1行5線譜で音楽がついている〕。この歌は、子供たちにも教えたが、まあまあ上手に歌っている。今度、イタリア語の歌の歌詞を送ってくれれば、日本のメロディ-をつけてあげよう。学校では、音楽の時間があり、西洋音楽も歌っている。復活祭のため“Regina coeli, 天の元后喜びたまえ”を日本語で作曲した。よくできた。5月に向けて作曲したいものも一緒に送ってあげよう。
ところで、君の方は、リラの竪琴をひっかいていないのか。さあ、さあ、恐れずにガンバレ! 他のことは、恐れないで善意をもってやれることをやったなら、あとは神様にまかせなさい。神学生や、心を閉じている人、また落ち込んでいる人に、話し、話し、話しなさい。そして、院長のもとに送りなさい。前もってお知らせしてから、「院長様、たれたれさんにここへ来るように言っておきました...」と。
わがフランコ君、君の言うことは、全部理解している。君は、チマッティ神父において良いことばかりを見すぎて、そのみじめさを知らないのだ。私がここへ来たのも、そもそも、自分のみじめさを隠すためだよ。神様が助けてくださるように。
日本のことを考えるのは結構だが、好きなように色づけても、この国の外面的美しさは想像しきれないと思う。まったく独特で、世界のどこを探してもこんな所はどこも存在しないだろう。信じてください。これは、けっして、詩ではない。しかしながら、その魂はどうだろうか。魂は、かわいそうだと思う...。でも、主がなさることを見よう、見よう、見よう。
祈って、祈って、祈ってほしい。なさるのは、主だから。主がなさるべきなのだ。
君が寝る頃、私はここでごミサをあげている。特にこの時、心を合わせよ。
お母さん、そしてお父さんによろしく。心から君を抱きしめる。何か君に役立つことがあったら、言いなさい。いつでも、言うとおりにするつもりだ。
君の兄弟 V.チマッティ神父
Giardini Mario ジャルディ-ニ・マリオ司教、教皇使節へ(前出)
宮崎1926年4月20日
敬愛する教皇使節閣下
心待ちにしていた閣下の今月16日のお便りを、この上ない感謝のうちに共同体に読みあげました。今度は、閣下においでいただけるという願ってもみない光栄に、感謝の念でいっぱいです。
さて、私共の現状をご報告申し上げるのは私の務めです。
おかげさまで、みな元気でやっております。風土に慣れるために皆少し病気にもなりましたが、今は心配なく進んでいます。
a) まず、規則正しい共同生活を送りながら、信仰生活においてたえず成長し、私たちの聖なる会憲を忠実に守るように努めています。
b) また、日本語の勉強も進んでいます。もはや尋常小学校の教科書第2巻を終え、カタカナに慣れて、漢字の習得を始めました。この勉強方法はいいと判断し、小学校の教科書12巻を全部見ていきたいと思っています。それは、一通り、日本で教えられている内容を知るためでもあります。一度読み書きの道を覚えたら、後はひとりでも遠くまで歩けるでしょう。毎晩、先生がいろいろな対話を通して新しい単語を教え、日本人の思考の構造に慣れるようにしてくれています。
私たちは、いつそれぞれの支部に別れていくのでしょうか。私たちのためや人々のためにどの時が一番良いかを、閣下が父親としてお勧めくださいますようお願いいたします。
1.-2.(略)
3.話によりますと、コンバース司教様は、9月の黙想会に併せて、パリミッションの神父様方に手を引いていただきたいようです。その頃、信者たちに損がないように、私たちは引き継ぎのための準備が十分にできているのでしょうか。善意に満ちていても、今のところ、まだ何とも言えない気持ちです。
4.でも、何らかの日程を決めなければなりません。私たちは、自由な状態にならない限り、問題を起こさないで若者のために効果的に働けないのです。反面、完全に準備ができる日を待てば、いつまでもその日が来ないでしょう。ドン・ボスコが言うように、「泳げるには、水に飛び込まないといけない」のです。(略)
5.(略) 閣下にご負担をおかけしていると存じますが、どうかお導きださい。宮崎において、蟻のように溢れている若者たちのためにドン・ボスコの精神をもって働くことができるように、私たちのすべてを、み手にお委ねいたします。(略)
なお、これからシスターたちの協力も私たちに必要になると思います。
この土地の経験がほとんどないので、頭に浮かんできたまま、あれこれを申し上げました。宮崎で試してみた限りでは、信者の若者たちにとても良い結果が出て、みな全面的に応えてくれています。未信者の若者たちも来てくれると思います。でも、ゆっくり行かないと、〔長崎の〕司教様からしかられそうです。カナゼイ神父の最近の手紙によりますと、すでにそれらしき注意をいただいたそうです。しかし、そう言われても...! 若者たちを目の前にして、ただじっとしていることは、我々サレジオ会員にとって無理な話です。
どうか、お許し、お許しください。そして、お助け、お助けください。閣下の祝福は、ますます私たちを力づけてくださいました。私たちのためにお祈りください。私たちも日々、閣下のことを心から思い出しております。そして、無理なお願いでなければ、最後に生まれたお子さんである私たちを、末っ子とお見なしになって、可愛いがってください。心からの尊敬を込めて
教皇使節閣下の僕、サレジオ会員 ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年5五月2日
いつも敬愛なるわたしの良いパパ、
今月の「良き死の練習」〔静修〕です。だから...少しご報告いたします。
1)健康はすべての面で良好。食欲も、睡眠も。
2)勉強と仕事は、できるだけ力を入れています。義務ですし、またよい手本も示さないといけないのですから。しかし、よくご存知のとおり、このかぼちゃ(頭)は、相変わらず固いのです。イタリアのびわのように、熟するには時間がかかります! 今は、教科書第3巻まで来ています。国鉄でも使われているカタカナが十分にできて、今は、ひらがなと当用漢字を覚え始めました。毎晩、日本語の文章とその構造を覚えるため、会話しています。文の構造は本当に大変です。昼食や夕食の時、箱から漢字1つを引いて、各自小さな文章を作り、皆の前で発表することにしています。
今月の終わり頃、少なくとも短い時間、食堂で日本語で話すことを義務付けられると希望しています。言葉は、仕事のため欠かせない武器です...皆それを研ぐようにしています。しかし、思ったより固いですね。将来の人たちのために、このことを覚えておくべきです。子供たちとの話は...後に申し上げることにいたします。(略)
旅行中送った手紙に対しては、ヴァルサリチェからの返事以外、トリノから1つも届いていません。印刷物はいろいろ来ますが、Bollettino Salesiano サレジオ・ニュースもまだ見えていません。
至急にご返事を願いたいことがあります。教会隣接の土地が売られているようです。私たちやシスターたちのためによい機会です。購入の可能性を打診してもよいのでしょうか。
シスターたちの派遣もお考え願います。その助けが必要です。たくさんの仕事ができるでしょう。(略)
教会学校(oratorio)は、日曜日だけでなく、毎日も定着しそうです。言葉を話せるようになったら、また私たちの教育法が要求する場所を整うことができれば、宮崎市内の多くの若者が集まってくるでしょう。試してみたところ、確信を得ました。しかし、まず、私たちが自由に動けることと...資金が必要です。まあ、神様はお金持ちです!
其れに対する最初の困難は、信者たちから来るでしょう。まず、使徒職についての彼らの考え方を改めないといけません。私たちが異教徒を相手にする時、信者の子や大人たちはどれほど気にすることか...! 大変な問題です! けれども、理解していただかないといけません。なんとかなるでしょう...。もし、私たちの熱意が目を暗ませ、主が願望だけで満足させよとお望みでなければ、収穫が熟していると私は見ています。
経済、法律、言葉から来る困難は少なくないですが、扶助者聖母マリアは、これ以上のことも実現してくださるでしょう。5月は、ちょうどその月です。環境の準備ができていないので、公に大したことはできません。もしかしたら、その名での祝いもできないでしょう。かまいません! マリア様の子らの私たちは、何とかします。他のことができなければ、少なくとも、扶助者聖母を知らない何百万の日本人に代わって、私たちがマリア様を愛し、自分たちを聖化するように努力します。これは、今、最善の修練になります。
神父様、トリノで、マリア様の前で私たちに代わって、お母様にこうおっしゃってください。「日本にいるあなたの子たちは、やむを得ず、置かれている状況により、人々があなたを愛するようにすることができませんが、あなたを知らない人々に代わって心からあなたを愛し、私の手を通してあなたに自分たちの魂を捧げ、清い、美しい心で、愛に燃える人になりたいのです。」
神父様は、Bollettino Salesiano サレジオ・ニュースのための記事を書くように、と願っていらっしゃいますが、日本については良いことを書くか(それは、いつも真実で、適当でもないと思います)あるいは黙るかです。今は、少しお待ちください。口頭なら、日本の良いところ(それは、たくさんあります)また欠点も言えます。今は、このぐらいにして、将来のために準備しながら、祈ることにしましょう。
早めに、シスターのことと、これから派遣される人々の言葉の勉強を考えるべきです。でなければ、何年もの間、何もできない状態に置かれることになるでしょう。(略)
日本には、皆熱心な愛読者ですのに、出版事業を持っている修道会はありません。きっと、カトリック出版は大成功するはずです...。フランスやドイツ文学や哲学のあらゆるひどいものが翻訳されています。学校では、人間がサルからできたと、どこでも教えています。(略)
会員の心は、祈りをとおして、私と共に神父様の側にいます。
あなたの V.チマッティ神父
Valentini Eugenio ヴァレンティーニ・エウジェニオ神学生へ(前出)
宮崎1926年5月2日
親愛なるエウジェニオくん
マリア様の月、5月の初めに、待ちに待った君の手紙が届いた。君が述べていることについて、当然だと思う。私は驚かないし、何の問題も見ない。もし死ぬ5分前、嫌な考えから解放されるならば、神様に感謝すべきだと思う。ミサの中、いつも君を思い出している。時差は9時間だから、君が夕の祈りを唱えて寝に行く時、私はここでミサを立てている。互いに思い出すことにしようね。
君自身のこと。聖人になっているかどうかは、知らない方がよい。余計なことを考えずに、働け、働け、働け。主が望んでおられるのは、理屈ではなく、実践なのだ。でなければ、君は、死に瀕している病人の様態を科学的に診察する医者のような人になる。
実践、実践しろ! 実践する人は、間違うこともあろうが、注意を受けて改善すれば、心配しないでそのまま進めば良い。なお、任せられた生徒のためによく祈りなさい。
受験のこと。できるだけよく準備し、子どものようにマリア様とイエス様に任せなさい。未来がうまく行くか行かないかを心配するのは、何のためになるか。これから五分後まだ生きているかどうかを知らないのに...。博士号や地位は、永遠の生命のために何に役立つだろうか。自分の責任を増すことになるだけだよ。大した儲けだね、おばかちゃん!
イエス様の前で、より素直になれ。そうすれば、すべてはよりうまく行く。君は考えすぎるのだ。何でも自分の目で見たいのだ。こう言いなさい。「もし主のお望みであれば、大学教授、王様、司教様、教皇様になって...最後は、蛙のように膨らんで...、どうなるかなあ...。」さあ、さあ、笑って、自分自身に言いなさい、「ばかばかしい!」そして、手をこすり、もう少し謙虚になって、まっすぐに進むようにしよう。
日本のニュースがほしか。日本と言う国は、花の国、メルヘンの国、すばらしい景色の国、すべての意味で美しい国。しかし、この地上の楽園には、蚊、蛙もいるし、神を知らない何百万人の魂も住んでいる。いつ神を知るようになるのだろうか。ああ、神の御国が日本にも実現するように祈りなさい。
いつも快活であれ。皆、皆、皆によろしく。Burlandoブルランド神父にも。もちろん、院長様と会員にもね。私のために祈ってください。イエスの御心の月をよく祝ってください。「イエスの至聖なる御心よ、われ等を憐れみたまえ!」君を抱きしめます。
V.チマッティ神父
Giordano Antonio ジョルダーノ・アントニオ神学生へ(前出)
この手紙をもらった時、ジョルダーノ神学生はノヴァーラのサレジオの学校で教育実地課程中であった。他の教え子たちも、彼と一緒にいた。
宮崎1926年5月18日
いつも親愛なるアントニオ君
昨日、君の最初の手紙が届いた。今、午前4時、イエス様と共に君とノヴァーラの友だちのために長く祈った後、テーブルに向かって、蛙と雄鶏の鳴き声が静けさを破るなか、返事を書いている。日本の家が戸と窓ばかりだから、戸を開ければ、30分ほど離れている太平洋の波の音が聞こえる。
君は、私が管区長や院長を通して各自に送ったお勧めを受け取っただろう。けれども、最後の手紙には、私から何かほしいか、具体的に何も書いていない。
1)思い出してほしいということか。もちろん、主がご存知のとおり、君たちを思い出しているよ。良いサレジオ会員であってほしいのだから、君たちのために命を捧げたことを、主はよくご存知だ。我が兄弟たち、神学生よ、君たちを思い出し過ぎているのだ。私は、君たちを慕い過ぎたので、人間的な気持ちが入り込んでしまったのではないかと、心配しているぐらいだ。けれども、その時、またこれからも、ただ君たちの魂のためにやったのだと、イエス様もマリア様もよくご存知だ。そうよ。君たちを思い出しているのだ。こことの時差が9時間だから、君たちが一日の仕事を終え、功徳とお恵みを積んで寝に行く時、私はミサ中で君たちめいめいを思い出しているのだ。これ以上、何を言えばよいのか...。このぐらいにして置こう、でなければ...。
2)私から手紙を書いてほしいというのか。私は、はっきりした方針を持っていて、最期までこれに従うつもりだ。それは、回勅みたいなものは要らない、と。また、受け取ったら、すぐに返事を書く、ということだ。だから分かったね...。
では、皆に何を書けば良いのか。日本についての情報か。それは、どんな本にも書いてあるよ。細かいことを除けば、知られていないことは何もない。日本は、世界に例のない国だ。物質面では栄え(先進国で、いろいろな面で私たちを追い越している)、同時に自分の伝統をよく守っている。西洋化しているというよりも、西洋の文化を日本の趣味と利益に合わせているのだ。よく分かったかね。特別な情報がほしければ、それを言えばいいのだ。どうも、私はそのような人だから。ヒントがなければ、頭は反応しない。君たちがヒントをください。
3)君の手紙には、これは4番だと書いてある。そうなら、他はどこに行ってしまったのか。ここには届いていない。献金のことも書いてあるが、修道者だから、長上の定めたことに従うようにしなさいね。(略)
Bavaバヴァ君は、どうしているのか。親友だったのに、1行も書かない...。「しばしば書きたいが、神父様はお忙しいので...」と言っているようだが、それには賛成しない。言い訳に過ぎない。私はぜんぜん忙しくない。勉強すること、祈ること、子供たちに少し歌を教えることぐらいだけだ! 自分の人生において、これほどの暇な時はなかった...。ともかく、君が書くなら、私は必ず返事するのだ。
我がアントニオ君、がんばっておくれ。イエス様とマリア様が君をあらゆる良いことで満たしてくださるように! この前送った8月までの毎月の良い勧めをもらっただろう。お母さんのためにも祈る。多くの祈りと共に、心から君を抱きしめる。
V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年5五月30日
敬愛なる私の良いパパ、
いつもこの名前で呼ばせてください。これによって、私がより良いサレジオ会員である気がするからです。今日、5月30日、私たちは、お母さん〔マリア様〕の月を締めくくりとして、月の「良い死の練習」〔静修〕を行っています。ここは午前6時30分、向こうは晩の9時‐10時頃です。神父様は、テーブルに向かって、もしかしたら、私たちのことを考えながら、書いたり、祈ったりしていらっしゃるでしょう。その姿が目に浮んできます。私は、もうミサを立て、30分の黙想も終わって、今月の報告と会員の内部情報を送りたいと思います。
1)健康について 私は、神に感謝して、すべての面、睡眠も食欲とても良好です。というのは、雑草はね...。あの方〔神様〕がこうしてくださったのですから...神に感謝! この点でも良い手本を示したいと思います。
2)勉強と仕事について 今、日本語の勉強に全力を入れています。頭が少し固いのですが、失望はしていません。言葉を消化し暗記するには、時間がかかりますが、マリア様を称えるために、後でも申し上げますように、奇跡を行いました! 日本語は、表面的にはやさしいですが、軽く見てはいけません。単語が豊富で、文章はひねっていて、文の構造が変わっています。否、あまりにも論理的です。日本人の考え方は独特で、私たちには変と思われます。けれども...がんばります! 必要なら、神様は奇跡を行なってくださるでしょう。ともかく、務めですから、もっと力を入れたいと思います。マリア様は助けてくださるでしょう。実際に働かれるのは、彼ら〔イエス様とマリア様〕です。努力を止めずに、いや、努力を増しながら、今慰めになるのは、聖フランシスコ・ザビエルが私たちほど話せなかったということです。最近の伝記には、日本語ができなかったと書いてあります。それでも、聖人だったので、あれほどの成果を上げました。日本にいる、総会長様の子たちも、聖人となりたいのです。当然!
他の仕事としては、私は今、神学を復習し、『ドン・ボスコの予防教育法』の翻訳を始めようと思っています。(活動を始める時に宣伝できるように、会員にも似たような小さい課題を与えています。)会員をよく指導するようにも努力しています。特に修道士たちのため、毎日曜日、信仰の課題についての講話をしています。こうして、将来の仕事の展望を見ながら、この小さな家族は順調に進んでいます。
3)自分の務めについて すべての面で果たせますし、一層勤勉に果たすようにしています。時間をよりよく使う必要があると感じます。会員の指導についても同様です。(そのため、タンギー神父やピアチェンツァ神父はよく協力してくださっています...この二人こそ本当の聖人です!)
4)信心業について これは、私の命です。より確実なものにするため、改善するように努力しています。一応、規則正しくやっていますが、意識的ではないにしても、気が散ることがよくあります。そのため、奮闘し毎週決心を改め、マリア様とイエス様の御手に委ねることにしています。あるとき、(特別な祝いや講話などに際して)、心を込めてミサを立てながら、涙が出ることがあって...、「ヴィンチェンツォがこんな人であるのに...なぜ、イエス様はこうしてくださるのか」と自問することがあります。その時、落ち着いて、他のことを考えるようにしないと、心臓にわるい影響があると感じます。傲慢な考えが浮ぶこともあります。「涙の恵みなのか」と。まあ! 言葉の意味以外、何も分かりません。もしかしたら、神経質か、身体の弱さによることでしょう。ともかく、その時、天国のような喜びを味わいます。この現象が人の目に付かないよう、隠してくださるようにと主に願っていますが、困ってしまうときがあります。24日、お母さん〔扶助者聖母マリア〕の祝いにあたって、言い表せない喜びを感じました。第2のミサを立てた後、マリア様への奉献の祈りを唱える前に、一言を話そうとしたら、...泣き出してしまいました。ああ、歳になったなあ! 特別なこと、と思わないでください。ご存知のとおり、残念ながら、この私は、聖徳からよほど遠い者です。でも、熱烈な憧れがあります、また、イエス様が愛してくださっておられることを確信しています。
ゆるしの秘蹟に関しては、規則正しくそれを受け、力と支えとなっています。
6)会憲について 忠実にそれを守り、困難を感じませんが、任せられた物品をもっと大切にする必要があります。経済面では、無駄はなく、行き過ぎもありません。
純潔の面では、特別なことはなく、目を慎むようにしています。日本人は、特に夏には、服装に関してとても自由です。しかし、礼儀正しく、人の前では品位を保っています。
7)兄弟愛について 心から皆と一致しています。
8)支部に関して 今のところ、特記すべきことはありません。ここの教会は法的には私たちの物ではないし、どんな条件で譲ってもらえるかも分かりません。今は、一般的なことしか言えません。
他の徳については、敬愛なる私のパパ、 リナルディ神父様よ、主は私を導いてくださり、日増しに明確な形で私の惨めさを感じさせてくださっています。以前からもそのことを確信していましたが、それが一層明白になるよう、主は、数えきれないほどの細かい出来事をとおして、「見ろ、自分は何であるか」と諭してくださっています。自分の想像の中に描いていた〔自画像の〕台は、次々と壊れて行きます! ああ、もし目上でない状態になれば! これが私の恥です。神に感謝! 苦行になります! 私のほしいことがありますが...、(私の予感では)、何も不足していない今、多くの精神的な苦しみが待っている、と主は感じさせてくれます。これからは、夏の猛暑、湿気、蚊などが訪れてきます...(楽しみだなあ!)。それらは、大したことないでしょう! でも、私独りではありませんから、他人が苦しまないようにしないといけません。(略)
もし、私たちはすべてにおいて日本に適応できれば、生活費は安くなりますが、日本食が特種なので、非常に難しいことです。(略)
前の手紙で話した宣教師とは、司教が決めるまで私たちと一緒に同居しているパリミッションのボネカーズ神父のことです。管区長の相談の上で、毎週の生活費を私たちが払っています。神父様は33歳で健康が弱いのですが、丈夫になりつつあります。先生と一緒に通訳してくださっています。この先生は、良い信者の方で、神父の家に住み込み、私たちは、月に15円を支払っています。(略)
別紙に一般のニュースを加えます。Bollettino Salesiano サレジオ・ニュースのため、現在の私たちのデリケートな立場にあって、何を書けばよいのでしょうか。日本についてですか。信者のためにやった仕事ですか。私たちは、いくらか働いてはいますが、責任を任せられるまでは何も言わないほうが懸命だと思います。司教は、すべてにおいてボネカーズ神父に服従しなさい、と勧めています。今までできたわずかな仕事は、少し無理してやったことです...。しかし、若者を見て、何もしないでいるのは、なぜできるのでしょうか。サレジオ会員についていろいろ言われそうですが...。皆、私たちはどんなものであるか、まだ分かっていません。ここの神父も、今になって、ドン・ボスコのことを知りはじめました。いつか、サレジオ会員になりたいと言い出すなら、私は驚くことはしません。
ともかく、お送りするものが役立つかどうかは、ご判断ください。大切なことは、日本について良いことを書くことです。私も、そのことに値する国民だと思っていいます。
最後に、わが良いパパよ、出発した時と同じように、あなたの前に跪いている私たち皆を祝福してください。あなたの腕に抱いて、大切にしてください。私たちがあなたの末っ子であることを、思い出してください。皆、皆、皆、思い出してほしいのです。私は、いつも、あのいたずらっ子のサレジオ会員 チマッティ神父
追伸 - 次は、毎月送っている一般的なニュースです。
1)(略) 話によると、非常に大事な宗教団体法が今準備である。近いうちに発表される。作成には、僧侶8名、プロテスタント1名、カトリック1名が参加している。2人のクリスチャンが入っていることは意外である。(略)願わくは、この法律が神の御摂理の導きにより、日増しに宗教問題に目覚めつつあるこの優れた国民の中にイエス様の勝利をもたらすために役立つように(すべての新聞もこれについて話している)。日本は、今、キリスト教を知り始めている、少なくとも、話題にし始めていると言える。この新しい法がカトリック教会に障害にならないことを期待する。余りその心配はなさそうである。東京では、カトリックが良く見られているし、皇太子の侍従山本信次郎師はカトリックであるし、準備委員会にも日本人のカトリック司祭が入っているのである。邦人司祭は、話す時に遠慮していない。もし、外国人の私たちが議論の中で少し強い言葉を使えば...大変なことになる(その意味で、外国人は別な目で見られている!)。日本人司祭は、どれほどのきつい言葉を同国民に対して使っていることか...。ともかく、期待して祈ることにしよう。
2)言葉の勉強に関しては1歩1歩ではあるが、確実に進歩している。それもやむをえないことである。発音を除けば(これでも随分助かる!)、文の構造は完全に違う。将来、日本に来る人たちには、よくこのことを知らせるべきである。
この前、どんな大変なことをやったかを聞いてください!!!...練習のため、また恐れを吹っ飛ばすため、(そして他のことはできないから)マリア様の月と祝日にあたって聖母を称え、その助けを求めるため、9日間の祈り中、信者たちに短い講話をした。書いた文を直してもらい、暗記して話してみた。皆、理解した、と言っている。神に感謝! これほどの説教者がそろった聖堂は、世界中にどこにもないと思う。課題は、次のとおり。
1.私は導入として、なぜこのような講話をするか、また、信者の基本的な務めについて。2.タンギー神父は、無原罪の聖母とルルドについて。
3.ピアセンツァ神父は、ドン・ボスコの夢について。
4.カヴォリ神父は、クリストフォロ・コロンボとマリア様について。
5.リヴィアベラ神父は、5月の花について。
6.マルジアリア神父は、ドン・ボスコが行なった奇跡について。
7-8.最後に私は、マリア様の月の実りを保つためにその信心を大切にし、秘蹟に与かり、信者の務めを果たし、異教徒のために祈り、彼らに良い手本を示すことについて話した。
主任司祭は、扶助者聖母の御像を出すことに賛成しなかった。これにより多くのことが遅れると、私は思う。マリア様が太陽にならなければ...。ともかく、話ができたし、子供たちにも御絵を配った。この機会に、『聖母マリア日本の元后、殉教者の元后、キリスト信者の助け、我等のために祈りたまえ』という祈りを作曲して歌ってもらった。なお、24日、私たちだけで第2ミサを立て、マリア様へ私たちを奉献することで結んだ。こうして、毎日、朝晩2回儀式が行われ、参加者や秘蹟を受けた者は少なくなかったのである。
もちろん、これで十分に話せるようになったわけではない。教会の中は雄弁家でも、外に出ると魚のように無口である。マリア様は、助けてくださるように。
3)宣教地の現状について。正式なデータは手に入っていないが、出席者数から見て、宮崎教会の現在の信徒数は120-150名であろう。名簿上はもう少しいる。町の近辺には、いないようである。大分と中津の場合、はるかに少ない、しかも散らばっている。
宮崎教会の中核は良いと思う。男女とも毎日御聖体をいただく者がいる。週日10人、日曜日は20-25人、祝いの時はもっと多くいる。しかし、いろいろな理由で迷っている羊もいるし、至急に男女の青年たちを集めるようにしなければ、散ってしまう危険がある。やはり、サレジオ会的な仕事が必要である。シスターがいれば、女子のためにもたくさんの仕事ができる。
日本人は、読書欲が旺盛である。そのため、図書館が必要である。これは、異教徒を引っぱるためにも役立つであろう。また、遊び場、サークル、クラブを作り、これらを固め、発展させる必要がある。将来、召し出しの可能性のある人にも目を付けている。(略)
日本は、服装に関して西欧化しつつある。公務員、学校、銀行などは皆そうである。どこでも木造・木材が建築に使われ、機械化も大事にされている。
書籍は、生活の基本条件といえる...。サレジオ会の事業を考えると、ドン・ボスコが始めたLetture cattoliche 「カトリック講話集」が頭に浮んでくる。しかし、これには、優秀な人材と資金が必要である。私たちは、彼らよりもよくやらないといけないのである。
日本の一番よい建築は、学校である。緑に囲まれ、体操のための広い運動場があり、体操がとても重視されている。(略)
4)環境 - ここには、信心や貞潔のしっかりした人材が必要である。夏になると、服装はとても自由である。彼らにとっては自然だが、慣れていない私たちにとっては、特に子供たちを遊ばせる時、問題になりうる。小さい時からおんぶに慣れている子供たちは、とても懐こく、すぐに愛着し、べたべたしてくる。
また、忍耐強い人が必要である。カットなって腹を立てれば、癒しにくい敗北になる。日本人にとって、怒ったり、忍耐を失ったりすることは、最大の弱さ、信頼を失わせる原因となる。このため、人を転勤させなければならなかった修道会もある。ここの人たちの心の中を読み取るのはとても難しい。子供は違う、また私たちの信者も違う...でも、彼らも...。表情を変えないで、あなたを観ていて、あなたが笑うなら彼らも笑うが、あなたを観察し、評価している。私たちはどう評価されているかなあ! まあ、これから分かることになるであろう。(略)
チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ピエトロ神父様へ(前出)
宮崎1926年6月2日
敬愛なる私のリカルドーネ神父様、
リナルディ神父様に先日書いたことを、ここでまとめてご報告いたします。
1.~3.の5)(略)
6)財務関係のことですが、まとめた図をご覧になってください。現在、手元にあるのは5000円ぐらいです。神父様が御摂理の使いとなりますように! 詳しく書きましたわけは、物価のことをご判断できますためです。
会員たちは、洋食が良いと言っています。もちろん、パン、肉、牛乳、ぶどう酒の値段は高いです。管区長と相談し、司教様の勧めもあって、大きな危機を伴う新しい気候に適応期間中、負担が大きくても、不足しないようにしました。時が経てば、もう少し節約する必要もあるでしょうが、今は、こうすることは私の務めだと考えています。実際、旅により、雑草みたいに平気であった私を除けば、皆惨めな状態になってしまいました。和食にしたら、節約ができることは確かですが、ヨーロッパ人はそれに慣れにくいのです。私だけだったら、喜んでそれにします。でも、他の人に押し付けることはできません。ご指導ご鞭撻をお願いいたします。なお、大分に行けば、物価はもっと高いかもしれません。その時に判断しましょう。
生活費の基準は11人分、すなわち、私たち9人、主任司祭と、日本語の先生とまかないさんを1人分と計算します。この2人は、和食ですから、比較的に安くなります。
他に、修繕費も私が負担しています。本当のことを言えば、修繕を要するところはたくさんありますが、やるべきのか、やった方が良いのでしょうか。木造の司祭官やお御堂は、特別な手入れを必要としていますが、私たちに譲られることが決まった時から、手を加えないで良い、と司教様が指示なさったようです。つまり、数年前から何もしていません。その他に、電気代も、日本語の先生やカテキスタの月給も私が払っています。
蚊が多くて、会員が夜眠れないので、簡単な蚊帳を買いました。会員たちがいらいらして、昼間眠ってしまうからです。管区長の許可を得て、少しコーヒーとぶどう酒も購入しました。通信費の中に、私が気晴らしに採集しているいろいろな物も含まれています。
将来、巡回宣教が始まったら、任せられたこの地方を研究しましょう。ここは貧しい所ですが、農業、鉱山、天然水、漁業等の資源の面では日本の1つの一番良い地域です。天皇家もこちらからのご出身です。(略)ドン・ボスコの子らの働きや扶助者聖母マリア様の取次ぎによって、将来、イエス様の勝利もこちらから出ることを願っています。神様がそうなさいますように!
先月、地震で宮崎が揺さぶられた火山もこの近くにあり、世界一のカルデラを持っている阿蘇という火山もこの地方にあります。これで終わり! でなければ、面白くなってたまらなくなります。(略)
7.これまで、3回もヒヨコを孵化させて育てました。今度は、鴨の番です。しかし、猫がヒヨコ6羽を食べてしまい、グアスキノさんはかわいそうでした! この前の遠足の時、彼は乾板を入れないで2枚の写真を撮ったことがあって...残念です!(略)
これで十分にしましょう! でなければ、日本語の勉強は、、、。
心から神父様を抱きしめます。いつものとおり、私は狂喜です。特に主と共にいる時に楽しくやっています。扶助者聖母マリア様には、お急ぎください、とおっしゃってください。皆、皆、皆神父様を思い出しています、また、思い出してほしいと言っています。
あなたの V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年6月29日
いつも敬愛なる私の良きパパ、
今日、6月29日、聖ペトロの祝日です。さまざまな考えが浮かんできています。ローマと聖なるカトリック教会、教皇様とドン・ボスコ。また、父ドン・ボスコの熱意に見習う私たちがなすべきこと、日本に教皇様のことを知らせるために身に付けるべきこと(大変な仕事です!)など、いろいろ浮かんできます。
今日は、月の「良き死の練習」なので、いつものように個人的な報告と家族の指導状況についてお知らせし、さまざまな出来事とニュースを別紙に書き添えます。
1)健康(略)
2)勉強と仕事は、不足していません。日本語は軌道に乗りつつありますが、漢字を別にしても、なかなか固いです。漢字の勉強には一生かかるでしょう。他に、神学を復習したり、長上方にニュースを送ったり、手紙の返事を書いたりして、主の内に明るく進むようにしています。
3)自分から先に良い手本を示すようにし、会憲を守り、守らせるようにしながら、果たすべき務めを果たせていると思います。
4)~8)信心業、愛徳など(略)
主は、私がそれに値する以上、祝福してくださっています。ああ、私が多くのお恵みを無駄にしないで、功徳を積み、自分の魂を救うことができますよう、どうか良きお父様、私をお助けください。
私たちの小さな家族について、簡単にご報告いたします。
タンギー神父 いつも、すべてにおいて立派にやっています。本当に宝物です。注意深く、経験あり、本物のサレジオ会員です。最近、ときどき頭痛や歯痛を訴えましたが、一時的なものでした。根気よく勉強し、きっと成功するでしょう。
ピアチェンツァ神父 彼も、すべてにおいて立派です。特記すべきことはありません。
カヴォリ神父 健康があまり優れていません。神経質で、よく眠れず、こちらの風土にまだ慣れないようです。元気な時は性格も良く、明るいです。優れた能力の持ち主です。目下の状況では、言語の習得は難しく、勉強にも継続性がありません。健康を取り戻し、精神的に落ち着くように、治療や療養が必要でしょう。他の面では立派です。
リビアベーラ神父 健康があまり優れていません。一週間前、持病の発作が出ました。その他の点では、とても良いです。若者たちのために中心となり、リードする素晴らしい能力を持っています。
マルジャリア神父 やや虚弱な体質です。胃袋の調子を整える必要があるでしょう。最近、精密検査を受け、だいぶ落ち着き、元気になりました。日本語はよくできます。他についてはすべて良いです。 (略)
今日から、小学校3年の教科書に入ります。すでに(尋常小学校)国語読本と修身の本6冊を読み、勉強しました。修身とは、日本の伝統と習慣に基づいた礼儀作法を教えるに過ぎず、先祖をお祀りするため家庭祭壇(どこの家にもあります)で祈るように勧めている程度です。逸話や詩のようなものが出てきますが、内容は乏しく、勇敢な闘いの精神を育むためのものです。最後に読んだところは、嫌なほど復讐心を称える内容でした。日本語の善良な先生も、「神父様たちは、こういう内容が早く削除されるように働きかけてください」と言っていました。神様がそうしてくださいますように!(略)
昨夜の11時頃、ちょっとした地震がありました。けれども、会員の大半は気持ち良く眠っていました。その中に私も含まれていました。
あなたの愛する D.V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ (前出)
宮崎1926年6月30日
敬愛なるリナルディ神父様、
今月のニュースをお送りします。(略)
6月12日 日本の保護者、汚れなき聖マリアの御心の祭日です。1884年、日本の知牧区の最初の教区長となったフォルカーデ神父が立てた誓願によるものです。
この頃、枇杷の初物が姿を見せています。ヨーロッパよりも大きく、瑞々しいです。
6月13日 聖アントニオの祝日。カヴォリ神父の霊名日を祝いました。
6月17日 大淀川にそって遠足に行きました。素晴らしい眺めでしたが、景色よりも素晴しかったのは、貧しい、大勢の若者たちでした! ああ、主よ、いつから、若者たちを相手に仕事を始めさせて頂けるのでしょうか。(略)
6月18日 宣教師Boulteauブルトー神父が私たちを訪ねてくれました。こうした“神の人”との付き合いから、常に学ぶことがあります。皆、私たちを見たい、知りたいと言っています。同神父が住んでいるのは、政府のハンセン氏病患者(500人以上)がいる枇杷崎の診療所です。このような病院における回心の難しさ、結婚のトラブル、異教徒の男女間の付き合いの乱れなどについて話してくれました。生まれてくる子供たちは、フランシスコ会のシスターたちに任せられています。神父の考えでは、日本人が宗教に関心を持つようになるのは、物質的な世話をすることを通してです。
私の意見では、若者を相手に間接的布教に力を入れて、邦人司祭を養成することがもっとも大切なことです。なお、今の信者たちをより良く組織し、もっと教会の「外」に出るようにすべきです。能力ある邦人司祭たちが講演のためにもっと回ればよいとも思っています。ところが、そのための手段を持っていないようです。
もう一つ、天皇崇拝について、司教や宣教師たちの間に意見の食い違いがあり、(道徳の細かいことについても同様です)未解決の難しい問題があります。キリスト信者がこのような儀式に参加して良いか、ということです。宗教行為だ、と言って、許されないと主張する人がいます。最近、3人のカトリック兵士が自分の信念に反すると感じて誓いを拒否したことがありました。政府は、このことをどう捉えているのでしょうか。また、使節閣下は、どのように受けとめておられるのでしょうか。まあ、上部の人たちは、これに矛盾を感じているようです。(最近、政府も、検定教科書から神話のような部分を排除した方が良い、と考えるようになったようですが)。
一方、天皇崇拝は、ちょうど私たちイタリアのファシストの敬礼のようなものだ、と言って、別にかまわないではないかと考えている人がいます。学童や青少年に学校ではこれが義務付けられているし、国民もそろってそれを行なっているのです。したがって...。
6月21日 聖アロイジオの記念日。グアスキ-ノ修道士の霊名日です。彼は、支部主催の写真コンクールや、ボッチェ〔注.イタリアのボールころがし〕のコンクールに優勝しました。日本では、イタリアは尊敬されていて、ムッソリーニが若者に送ったメッセージも評判でしたす。これも我々に役立つもので、御摂理の計らいにおいて、きっと意味のあるものでしょう。最近、イタリアは、日本に飛行船を売却しました。今のところ、日本にいるイタリア人は少数です。(私たちを除いて、15人くらいでしょう)。(略)
6月28日~29日 7月から、主任神父は私たちに日曜日の説教を任せてくださいます。7月4日の日曜日、私がまず聖ペトロと教皇様について話します。その後、交代で説教を担当することにします。言葉はまだおぼつきませんが、とても良い訓練です。どうか主が私たちを祝し、守り、ご加護をくださいますように! 扶助者聖母のお助けにより、少しでも上手にできますようにお祈りください。
イエス・キリストのうちに敬愛を込めて
V.チマッティ神父
Grigoletto グリゴレット神学生へ(前出)
宮崎1926年7月4日
私の良きグリゴレット君、
君からの手紙をもらって、どれほど慰めを得たかは、言葉では言い表せない。
ただ今、聖堂から戻ってきたが、今日、日本では聖ペトロの祝いなので、私は、偉い人がするように、聖ペトロについての説教を読み上げた。信者たちに分かってもらえたのだろうか。私もそのことを願っている。しかし、読み上げるよりは、早く暗記できるように祈ってもらいたい。そうなれば、この大変な言葉をマスターし始めたことの証拠になる。
君は、私に手紙を書く負担をさせたくない、と言う。なぜだろうか。君は、国を離れた人たちにとって、まず神様、そして友達、否、兄弟たちとの繋がりが最高の慰めであることを知らないのか。
君への私の勧めはこれである。
- 信仰をもって、神と聖母マリアのみ手に自らを委ねなさい。
2)勉強でも、何でも、言われたとおりきちんとやりなさい。
3)落ち着いて働くようにしなさい。私が日本で探している動植物の珍しい標本のように、自分は特別な存在だ、と思うな。そうではなく、君もドン・ボスコを愛する小さなサレジオ会員だ。任せられている場所で、知っていること、できることをやっているだけだ。私たちは皆、それぞれ神様からいただいた恵みを持っていて、ある人はこれだ、ある人はあれだ。分かったか、おバカちゃん!
私に手紙を書かなくてもよい、時間とお金の無駄になる。だって、自分はもう変わらない者だ、と君は言っている。さあ、私が書いたとおりに実行しなさい。そして、心配するな。君ができないことは、主とマリア様がなさるのだ。(略)
私の誕生日を思い出してくれるのは、姉のほかは、君が最初で、ただひとりだろう。繊細な心遣いをありがとう。イエス様が報いてくださるように。
そう、75歳ぐらいまでは元気でいたい。なぜなら、(初代総長)ルア神父から任された任務があり、君がそう願ってくれているのだから。(略)でも、一番良いことは、子供のように神の御手に自分をお任せすることだと思う。(略)
どうか、皆、皆、皆によろしく、と伝えてもらいたい。君を心から祝福し、抱きしめる。いつも君の兄弟である、
V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年7月4日
敬愛するリナルディ神父様
昨日、父親のような心で1日半一緒に過ごしてくださったジャルディーニ駐日教皇庁使節閣下が、出発されました。私たちのために、また宣教地のために提案してくださったことを早速まとめ、ご報告申し上げるのは私の務め、また有益なことであると思います。
使節は、木曜日の夜10時頃、到着されました。駅には、私たちの他に、信者一同が指示がなくても大勢整列し、いつものお辞儀で迎えました。車で教会に案内され、軽い食事をとられた後休まれました。朝6時、歌と伴奏を交えた荘厳ミサがあり、大勢がご聖体を拝領しました。朝食後、宮崎県知事、市長、県警長官など、市当局を訪問し、県知事が使節のために用意された車で神武天皇を祀った神社をはじめ、考古学博物館などを回り、夕方には熱帯植物が繁る青島にも出かけました。
修道院に戻ってからは、共同体のために素晴らしい講話をし、我々に委ねられた人々の間に「御国が来ますように」活動を続けなさいと励まし、日本での、特に私たちの宣教地での宣教の難しさを話してくださいました。日本人の性格、昔からの伝統、優越感、豊かさ、宣教師の少なさ、外面的丁寧さの背後にある道徳的乱れなどを話し、さらに、私たちに任された地域での今までの成果・実りの少なさ、言葉の問題など、いろいろ話してくださり、御摂理が必ず私たちを助けてくださるから、全面的に信頼するように、と励ましてくださいました。夕方の荘厳な聖体讃美式の中でフランス語で信者たちに挨拶し、主任神父様がそれを訳しました。信者たちには、おメダイをプレゼントされました。
翌日、県知事が使節を昼食に招いてくださったので、私もボネカーズ神父様も一緒に参加しました。午後2時頃、使節は出発されました。信者たちは、とても良い印象を受け、県知事の丁重なもてなしにも歓心を示し、会員一人ひとりにとっても使命をよく果たすための準備を進める大きな刺激になりました。
現地の新聞も使節の訪問を記事にして、神武天皇の神社で参拝された、とも書きました。そのことで、不安に陥った信者もあり、主任神父様は教会でその事についてきちんと説明しました。真実は次のとおりです。
知事は、使節が神社を訪問する際、榊(さかき)の枝を捧げるよう勧めました。この行為は、全く宗教的な行為ではないと、前もって説明されました。一方、東京の明治神宮で以前に花を捧げたことのあった使節は、今回も境内に入りました。が、進みながら神主が傍らにいたので、礼拝をしている誤解を招いてはならないと思い、脱帽しただけでした。
この神社参拝のことは、一番議論されている問題の1つです。政府のはっきりした見解では、神社は、天皇と日本国の英雄たちを祀る記念碑、それを守る神主はただの公務員、そこで行なわれる行為は市民としての行為であるに過ぎない、と言っています。ところが、国民や聖職者(司教や特に邦人司祭)の大部分は、それを宗教的な行為・礼拝と見なし、信者たちにそうしないように、と勧めるべきだと考えています。
最近あった実例。宗教に関する新しい法律を検討する委員会の席上、宗教の代表者は、なぜ神社礼拝についてひと言も触れていないか、と文部大臣らに質問しました。これに対し、担当大臣は、上記の政府の見解をもって答えました。そのため、議論が持ち上がり、3日間も続きました。上手にこの状態を脱するため、大臣は、この問題はとても重要であり、深く研究する必要がある。折を見て、特別委員会を設置して討する。とりあえず、任された議題を討議しよう、と回避しました。確かに、もし、神社参拝は宗教行為だ、という考え方が優位になって、政府が国民にそれを義務付けるならば、キリスト信者はそれを拒否することになる、そして、迫害がおこるでしょう。
政府は、このままでは若い世代が何も信じないで育ってしまうことをみて、人々の良心を育てるべきだと言っています。また、カトリックの教えに好感を示しています。と言うのは、権威者への忠誠を教えているからです。今のところ、反対の命令が出ない限り、私たちは(質問を受けた場合)司教様や主任司祭が教えているとおり、このような儀式に市民としての意味しかない、と教えることにします。
では、教皇使節閣下と交わした長い話の内容をまとめて、簡潔に、忠実にお伝えします。
1)宣教師たちをはじめ、カトリックの中でサレジオ会の活動を知っている人々は皆、ドン・ボスコの子らが来日したことを喜んでいる。すぐにでも東京に来てほしいと考えている。できるだけ早く行かれるよう準備すべきだ、と。九州は、経験を積み、人材を整え、将来のため養成の場となるでしょう。
2)今は、時期は良い。目下、日本では若い労働者を世話する人がいない。職業教育に従事する人もいない。
3)使節は、私たちが知識を得、研究し、適応するため、日本の職業教育に関する法律などの資料を送ってくれる。自分としては、まず、印刷学校、また、日本で高く評価され要求されている機械学校を進める。
4)(略)
5)サレジオ会員は、自分たちの会憲や方針に忠実であるべきだ。使節は、若者や庶民の教育に役立つものなら、何でも無条件で賛成する、と。(略)
6)できるだけ早くシスターのことを考えるべきだ、と。並行して女子の若者のためサレジオ会員を支援し、ある面では男子会員よりも、特に幼稚園を初め、教会学校、女子の職業訓練校などでもっと働けるのだ、と。日本の女性は、裁縫などの手先の仕事に熱中し、とても手先は器用だ、と。(略)
7)召し出しに関しては、日本人は堅忍が問題である。長崎の司教様は(今、健康を害して、もう余り長くないと言われる)、自分が叙階した司祭の内、少なくとも年に1人辞めて行くと言う。日本人は、比較的に体力が弱く、テンポの速い勉強に耐えられない。我々が2年間でやることを、3、4年かかる。体力を強めるため、栄養面でヨーロッパに倣う必要があろう、と。
8)いろいろな購入に関して、信者でもあまり信用しない方が良い。過去には、宣教師に2倍の値段で売りつけたケースがある。(略)
9)なお、私が今までしてきた市当局との付き合いに関しては、賛成である。今後もぜひ続けて、さらに輪を広げ、他の宣教師たちとも近隣関係も大切にしなさい。一度、他の修道会の学校や事業を訪ね、実際にこの目で確かめてみるのは無駄ではない。都合をみて、東京の政府の中央機関とも関わりを持つ機会を設けてくださる、と話してくださいました。
私は、私たちの立場について、会員たちが司牧(特にゆるしの秘跡)の全責任を負う準備がまだできていないことを感じている、と伝えました。少なくとも12月まで期限を延ばし、12月8日からにしてはどうか、と申し上げました。その理由がお分かりでしょう。〔注.無原罪の聖母の祝日ですから。〕(略)
使節閣下は、現地の宣教師たちを引き上げてもらう日程として、12月を提案する。その後、しばらくの間、特別な時に手伝ってもらえるよう司教様に書面で願う、とおっしゃいました。
私個人としては、水の中に飛び込まない限り、泳げないという考えです(これも傲慢なのでしょうか。)それでも、このぐらいの延期に賛成するのは、a) 協力者であり、私よりも経験や聖徳を積んでいるタンギー神父とピアチェンツァ神父がそのように考えていること、b)言葉を身につけるのに2、3年はかかる。1年足らずで準備できたはずはない、と言っている他の修道会に対して、サレジオ会員は大事なことを軽率に急いでやろうとしている印象を、与える危険があること、c)もう少しよく状況を把握した上で、将来の仕事の計画を立てることができる、と判断したためです。
その他のニュース
7月1日 宮崎の気象局を訪問してきました。風速、気温、湿度のための機器、特に地震を計るための最新の機器が揃っています。(略)
7月3日 初めて宮崎の小学校の合唱コンクールに参加しました。児童数は男女合わせて4000人、その内2000人が大きな講堂に集いました。他の宣教地なら素晴らしいと思われる演劇やさまざまな催しでも、ここでやっていることと比べれば、大したことではない、と思われるでしょう。音楽もダンスもとても上手で、目を見張るほどの才能を発揮しています。斉唱も自然な感じで、上手にやりこなしています。
私の良きパパ、どうか私のためにお祈りください。イエス様が、私を本当にご自分のものにしてくださいますように、また心を集中して祈り、謙虚で、清く、人々を心から愛する者となれますように、お祈りください。それを本当に必要としています。(略)どうか、子供の愛をもって父の前にひざまずく私たち皆、皆、皆を祝福してください。誰よりもそれを必要としている
あなたのこの V.チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生へ(前出)
宮崎1926年7月25日
親愛なるフランコ君
私のことを思い出してくれて、君の善意にどう感謝すればいいのだろうか。日々、君とご家族のことを思い出すことによって感謝しよう(実際、そうしているよ。)我がフランコ君、神様は、私に優しすぎる心を与えてくださったのだ。自分でもそう感じる。一旦だれかの魂に入ってしまったら、心身ともそこから抜け出せなくなるのだよ。君と君の聖なる家族に対してもそうだ。日々、主に感謝しよう!
1) 音楽の五線紙を送ってくれてありがとう。大部分、君たちのために埋め尽くすつもりだ。今は、日本的音楽に取り組んでいる。もう幾つも貯めてあるが、君たちに分からないから、送っても役立たないだろう。この次、ヴァルサリチェの仲間たちがまた手紙をくれる時、日本の美しい歌を送ろう。共同体に送った手紙にも添付したから、見てほしい。日本人は、寂しい、短調階の曲を好む。学校では音楽は必須だが、一部の独自の歌の他、ドイツやフランスのメロディーに日本の歌詞を付けた幾つかの歌集がある。イタリアの音楽は好きだと言う。すぐに覚えてしまう。
被昇天祭のため、信者一同で歌ミサ〔注。ここにグレゴリオ聖歌のミサ“cum jubilo” の初の旋律を記す〕、また日本語の賛美歌を歌わせよう、と思っている。日本人は、音楽に夢中になり、仕事をしながらも歌っている。子守りをする人も、子供をあやしながらきれいな歌を口ずさむ。ちょうど昨日、教会の池の前で若い女性が同じアリアを何回も繰り返しながら、自分の宝物の子を休ませるようにしていた。〔注.旋律の5線が続く〕
2) 我々の宣教地のために土曜日の祈りを捧げてくれてありがとう。この土地の特徴は、どう考えても想像できないだろう。次のような特徴を合わせてみてご覧。異教の教えと、経済、社会、政治的繁栄と。子供たちの自由な振る舞い(家の中の子どもは王様であり、イタリアで隠そうとすることを何でも見せる)、慎みある美しい着物と、完全に自由な服装と(時には、まるでマットグロッソにいるような感じがする)〔注.チマッティ神父の仲間がいるブラジルの原始林を指す〕。国民の高い教養の水準と、全く無知な面、である。続ければ、明日まで続けられる。この国民は、逆説的であり、変と思われるかもしれないが、同時に正確で、細かく、何というか...まあ、どうなるかを見ていよう。本当に祈ってもらいたい。
3) 音楽に関しては、私の経験では、今、そちらの学校の事情を考えて、もっと良い要員が来ない限り、君がやっているようにやるのが一番良い。少ない曲を、よくやること。(私は、ここの子供たちを相手に同じことを体験している)。良いプログラムを上手にやることだ。私の作曲したものに関しては、気にしないで、何でも自由に使っても結構だ。(略)
君の作曲は、素晴らしい。でも、傲慢になるわけはない。クラシック音楽やモダンな音楽と比較してみれば、よく分かるだろう。芸名は、自由に「ヘンリ」を使っても結構だよ〔注.ヘンリとは、チマッティ神父のミドルネームEnricoのこと。初期のころ、彼は芸名としてよく使っていた〕。私にとってそれは名誉となる。
一般の人の音楽的趣味については、こう思いなさい。多くの人は、中身よりも作者の名を追っている。音楽を聴くと、まず、「誰の作品ですか」と訊く。そして、有名な人の名前が出れば...、ああ、素晴らしい! と言う。(略)
君は、自分には能力がない、怠け者だなど、と考えるな。自分の知っていること、やれることをやったなら、あとは恐れることはない。君の心の状態についても、同じことだ。
読書としては、聖フランシスコ・サレジオの手紙を勧める。(略)それを読めば、君が私に書いた悲観的な考え方の無駄なことが分かる。何を言っているのか。罪人、傲慢、感情的、役立たずのサレジオ会員だ、とは! 神様はそのことをご存知ではない、とでも思っているのか。我々がこの世から離れたのも、そのためではないか。神に対して信仰の薄い者よ、元気を出せ。君は、自分を信じすぎているのだ。神に委ねなさい、委ねなさい。これに関して、頭で理解すること、哲学することなんかは要らない。知っていることを、その場で、できる方法で、神様を愛するために、やることだけだよ。 他のことは、全部誘惑、不信、無駄な計算にすぎない。明るく前進、前進、前進しなさい。
とにかく、フランコ君、勇気を出せ。仕事をしながら、聖人になるように努めるのだ。そのためにこそ、ドン・ボスコは君を自分の側に置いたのだ。〔注.当時、ヴァルサリチェにドン・ボスコのお墓、ご遺体があったことを指している。〕解ったか。ドン・ボスコは、君にこう言っている。「フランコ君を私の側に置いたのは、他の支部に行けば、より大きな危険に遭ったからである。ヴァルサリチェなら、仕事、快活さ、私の子らを喜ばせる、信心生活を実行することによって、聖性を目指すことができるからである」と。
解ったね。私のおバカちゃん(どうか怒らないでね!)それでも恐れるのか。さあ、ピオヴァの林間学校〔注.チマッティ神父も夏休みによく行っていた場所〕から帰ってきたら、ドン・ボスコのところへ行って、私に代わってキスをしてあげて感謝しなさい。
お父さん、お母さん、ヴァリサリチェにいたお兄さんにも心からよろしく。ピアニストや合唱団の皆さんにも。そして、君には、私からの大きな抱擁とこの上ない大きな祝福を。
君のヴィンチェンツォ神父
Costa神父院長とヴァルサリチェの共同体一同へ(前出)
宮崎1926年7月27日
敬愛するコスタ神父様と会員の皆さん
私の返事が遅くなって、皆さんに対して借りができました。聖人ぶっているあの神学生たちが手紙をくれるかと思って、今まで待っていたからです。これ以上待てないよ。そうだ...彼らの損だよ。まったく手紙をくれないなんて。よくそんな勇気があるのだなあ。そうなら、私が書こう。
コスタ神父様がおっしゃる通り、皆さんはまだ離れていることに慣れていないのだなあ。1ヵ月、40日間、君たちにとって大した事ないね。ゆくゆくは、いつか、ラジオでも手に入れることにしようなあ!
1. 扶助者聖母の祝日と、御心の祝日おめでとうございます。ピオヴァの林間学校のためにもね...! ああ、そのことは考えない方が良い! 私が感受性の強い者だから、(笑い事ではないよ!)でも、まだホーム・シックにかかっていないよ。今、1926年7月25日午後3時。温度は36度、蝉は自分たちの仕事に励んでいる。窓からは時折涼しい風が入って来るが...、ピオヴァの山々を思い出すと、とても懐かしく思う...。(略)
2. 先日、宮崎で一番の金持ち、有名なお医者さんの家に夕食に招かれた私を想像してみてください。時間はきっちり! いつもの礼儀! 入り口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、再びスリッパを置き、例のお辞儀(膝をついて3度頭を下げる)、最初の挨拶!
夜八時、氷の入った冷たい水が出される。なんとおいしい食前酒!
家族のメンバーが部屋に入り、またお辞儀と深いため息、ワインを味わうときのように! ため息が多ければ多いほど良いそうです。でも、お辞儀のほうは楽しい。望めば望むほど、左右のぺこぺこの運動です。
やっと、食事の時が来た。食べることなら、私もとても上手です。まず、食卓に就くようにと言われた。全部で6人。フランス人神父2人、私、奥様とお子さん2人(お医者さんは会議があって、最後に来られた)。ご夫人は、食事もせずに、娘たちと一緒に給仕し、伝統的な扇子で客を仰ぐ(なんたる名誉!) 食事の時、女性は男性と同席にしないそうです。テーブルの高さは30センチ余りで、幸いにその下に脚を伸ばすことができて、少し楽になりました。
今度は、左隅に茶色塗りの蓋がしてあるお椀ののった、金縁の漆塗りの四角いお盆が出される。中身はなんでしょうか。それは秘密! 特に、初めて本格的日本食をいただく私には! 側に小皿があり(コーヒー用の皿に似ている)、その中に貝殻が載せてあり(素晴らしい鮑です。トネーリ神父の採集に欲しいでしょう!)、その中に料理した貝がうす切りして入っている。さらに小さな皿には、料理した貝をつけるためのソース。その側にもう1つの皿とゆでた魚とそのためのソース。また、もう1つの皿には、刺身とそのためのソース。更にもう1つの皿には、かぼちゃ(ここのかぼちゃは繊維が多い!)とそのためのソース。もう1つの皿には、美味しそうに焼いた鯉とそのソース。最後に、紙に包まれたかの有名な箸が置かれている。
一応、ひととおり、全部試すべきだと言われました。お椀をあけて、箸を握って(初めてでした)、お汁の中をさぐると、少しの野菜と一緒に魚のひと切れが浮いていた。お箸をあやつって(やってみたら、おもしろい!)音を立てながらすすり(これは、美味しいことの印)、魚を1口1口食べて、空になりました。
続いて、ひととおり皿全部を見回して、もし食欲に従ったら、4口で全部終わったでしょう。でも、礼儀正しく威厳を保って、きちんと振る舞うことにしました。ご夫人は、私がお箸を上手に使っていると誉めてくれた!!(余談ですが、日本に来たら、お世辞に注意しなさい。いつも逆を考えるべだ! ここでは、何世紀も前から、聖フランシスコ・サレジオの勧めを実行している。「誰かが誉めてくれたら、あなたをだまそうとするか、あるいは、もうすでにだました」のである)。〔略〕途中で、ご飯のお釜が持ち込まれ、白いお碗によそわれて、その近くにうなぎの載った器が置かれた。これは、日本人にとって大好物で、尊いお料理です。味付けなし、ただゆでただけのもの。私には、とても好きです。お箸をあやつりながら、ご飯1塊と魚を一緒に口に運んで飲み込む。私は、ご飯のお替りもしました。では、パンは...どこにも見当たりません。
ご夫人は、残ったご飯に熱いお茶を注いで、お茶漬けにするとおっしゃいました。それで、お茶碗もきれいにし、ご飯も1粒も残らないようになります。
食後、フルーツとしてメロンの半分が出され(日本のメロンは、イタリアのズッコッティ〔小さいかぼちゃ〕よりちょっと大きいです)、コーヒースプーンで食べました。
飲み物としては、ビール(ヨーロッパ人が好きだと知っています)そして、キュール用の小さなグラスに、ワインが出されました。
本当に、ピオヴァの林間学校のスープとポレンタが懐かしいなるね!
最後に、絵の好きなご主人が戻り、とてもきれいな水彩画のスケッチを見せてくださいました。なお、私がお琴を見たいと言ったら、(日本人にはとても好きな楽器です)、それを持ってきてくれて、お嬢さんに弾かせてくれました。お琴は、長さ1.6~1.8メートル、幅20センチほどの空箱で、上にはソノメータのように13本の弦が張られています。音の高さを調整するため、弦の下にいろいろな距離で脚を置き、(音合わせにはかなり時間がかかります!)、指または専用の爪で弦をはじいて、メロディーの分だけを弾きます。音は、私たちのギターに似ています。その音を耳にすると、皆この上なく喜びます。
夜11時20分、家に戻りました。もし、この善良な異教徒が友だちになり、味方にすることができれば、教会にとってとても良いことでしょう。どうか祈ってください。
今日は、これで十分! これで満足してください、でなければ、本何冊も必要となります。君たちは、確かに素晴らしい者です。しかし、ここの人たちに対する私たちの務めの方は、より素晴らしい。なお、日本語は、難しくても、君たちより素晴らしいのです。
次の歌を聞いてください。そして、私のフランコ君、もしできるなら、弾いてみてください。〔注.楽譜が記載されている〕
虹 〔資料館、370番イタリア語、635番日本語〕
1)あれ!あれ!虹がたっている。森も小山も下に見て
向こうの田から大空の雲まで届く弓のなり。だれが架けたか虹の橋。
2)さて!さて!虹は美しい。赤、黄、緑が紫と、
七つの色を並ばせて、空の絵絹へ一筆に。だれが描いたか虹の橋。
3)さて!さて!虹がおもしろい。雨の晴れ間にちょっと出て、
用ありそうに天と地の、遠きをつなぐ雲の上。だれが渡るか虹の橋。
4)あれ!あれ!虹が消えてゆく。あの鮮やかな色どりも、
しだいに薄くなり、小山の方はもう見えぬ。だれが消すのか虹の橋。
この言葉をよく黙想してみれば、虹の現象がよく目の前に現われてできます。また、言葉を分析してみれば、日本人の魂も観えてくるでしょう。不動で、平然と、心の中のことを少しも表に出さず、それでも考えはするし、問いもする。しかし、残念なことに、神様なしでは答えは出せません。
ああ、兄弟たちよ、何を言っているか、私にも分かりませんが...ただの奇麗事だけだと思われたくない。私の心の中に、日本人を“自分の魂の喜び”と呼んだザベリオの優しい言葉が響いてきています。
1人ひとりを抱きしめます。イエス様が、皆、皆、皆を聖化し、特にこの私を、あなた方の
V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年7月31日
私の最愛なるパパ、
(略)日本という独特な国民の中で生活し、風土に慣れれば慣れるほど困難が深まってくる私たちは、お父様のお勧めをいただき、思いと祈りの中で通じ合えることは、なんと素晴らしい、大きな励ましです! 長上の皆様、愛する会員や生徒の皆さん、ありがとうございます。協力者の皆様、感謝いたします。私たちは、ここまで道が開けて、やっていけるのは、皆様のお蔭です。どうかこれからも私たちを思い出し、愛し続けてください。
1.2.3.(略)
4.先日、数人の宣教師たちが宮崎を通りかかって、ドン・ボスコの子らを知りたくて私たちを訪れ、経験の浅い私たちに、長年使徒職に従事した貴重な体験を分かち合ってくれました。この聖なる宣教師たちに接することにより、どれほど多くのことを学ぶことができることです! 彼らは、たくさんの善を行ない、多くの種を蒔き、あちらこちらで拠点を築き、日本の教会を成長させる苗を植えてきました。
中でも、特に宮崎でよく知られているJolyジョリー神父〔注.以前、宮崎教会の主任司祭だった方〕の訪問について触れてみたいと思います。(略)
ジョリー神父と一緒に、以前宮崎で校長を務めてきた方のもとを訪れました。健康がすぐれていないとのことでしたが、この地域のことをよくご存知の方で、これからはよい指導をいただけると思います。
また、最初の頃、調子が悪かった会員たちを親切に診察してくださったお医者さんが、私たち(ジョリー神父、ボネカーズ神父と私三人)を夕食に招いてくれました。異教徒ではありますが、宮崎では大きな影響力があり、大金持ちで、教会に対して好感を抱いています。私にとって、日本の夕食をいただくのは初めてでした。すべては、魚とソース、ご飯とお茶を基盤とする。(長くなるので書きませんが)例のお箸も使ってみて、正直に言いますと、苦行しました。でも、これも神様への愛、人々への愛、私たちの事業への協力を得るためになるのです。
さらに、数年前開校した農業高校を一緒に訪問しました。木造のすばらしい建築です。1人の立派な先生が案内してくれました。化学と飼育部門を特に大事にしています。そのうち、良いお付き合いができて、助けになるでしょう。
総長様もおっしゃるとおり、私たちが何か良いことができるのは、私たちの方法、ドン・ボスコの(予防教育)法によってのみです。特に、私たちの父(ドン・ボスコ)の清い生き方、節制、信仰の精神、つまり、聖徳を通してです。学問を通してではありません。それが手段として必要であるにしても...。私は、このことを確信しています。親愛なるリナルディ神父様、全くそのとおりです。私は、会員に常にこのことを強調していますが、今後来る人たちのためにも、同じことを強調なさいますようお願いいたします。
私は、神のみ手の中にいます。自分が無に等しい者であると自覚しながら、子供のように完全にすべてを神に委ねるようにしています。どうぞ、私を祝福し、私の兄弟たちも祝福してください。彼らは、聖性への道において、私の導き手、励ましになっています。
あなたの子 V.チマッティ神父
Caviglia Alberto カヴィリア・アルベルト神父へ(前出)
宮崎1926年7月31日
親愛なるカヴィリア神父様
これほどお忙しいのに、私のことを思い出してくださることは、ご迷惑でしょう。私としては、思い出してくれる方がいらっしゃると思えば、特に愛し合っている方ならば、感慨無量です。私の人生を振り返ってみますと、長年共に働き、苦労と喜びを分かち合った(トリノの)聖ヨハネ支部とその会員たちほど、心に深く刻まれている者はいないでしょう。もちろん、神父様のことは、言うまでもありません。これは、決して、お世辞ではありません。私の愛するアルベルト神父様よ、私は毎日、神父様と聖ヨハネの支部を思い出しています。
では、私たちの問題にゆきましょう。
1)神父様がおっしゃる日本のお茶のこと。私にはとても理解できません。私の手で摘んだものですし、私たちも毎日それを飲んでいます。まず、日影で乾燥させて、それから沸騰したお湯を掛けて、飲むのです。砂糖なしで! 試してみてください。ともかく、この次、トネリ神父にまた植物の標本を送るとき、新しいものを入れます。ここでは、通常の飲み物です。健康にはとても良いです。そのお陰で、私たちは皆元気になっています。昼食も夕食も日中もそれを飲み、どんな家庭へ行ってもそれが出ます。飲むときは、少しずつ飲んで、できるだけ音を立てる。美味しいという意味です。美味しくないと思っていても、そうする。少ししか入っていない茶碗を手にして、1時間でも話さないといけません。ときどき、茶碗を口にあて、音を立てながら飲むふりをし...また話を続けます!
それでも、宴会の時のやり方は気に入りません。食事の最後に日本の主食であるご飯が出ます(日本では、すべてのものに敬語を付けます。ご飯のように、猫、犬にも)。お箸でご飯粒を掴むことができない程少なくなったとき(お箸も素晴らしい発明です!)、女主人はお碗にお茶を入れてくれます。これで、飲みながら食べるのです。最後に、お椀を洗うために、また入れてくれます。これで、礼儀の行き着くところは、お碗を洗うことです。先日、初めて、家の女主人の指導のもとで、宮崎でこの儀式を体験しました。ご婦人は、私の前に座って扇子で扇ぎ、お嬢さんは後ろで扇いでくれました。日本にしか見られない親切さです! これ以上言わないことにしよう。戻る時のための特種にしておきます。
2)~4)(略)
5)数ヵ月が経てば、パリミッションの宣教師たちは発って、私たちがこの宣教地を受け継ぎます。その時、どうなるかまだよくわかりませんが、おそらく、すべてを持っていくでしょう。その場合、またご協力が必要となり、お煩わせすることになりましょう。(略) 最後に、我がアルベルト神父様、すべてのためにありがとうございました。
〔音楽家〕Pagellaパジェラ神父様には、特によろしく言ってください。そして、お伝えください。日本の琴と三味線は、言われるほどのものではありません。日本の音楽も、どう言えば良いかなあ、私たちの音楽と比べれば、大したことないと思います。(略)
皆によろしく。心から抱きしめます。
いつまでもあなたの V.チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生 (前出)
宮崎1926年8月5日
私の良いアメリオ君、
神の御摂理は、私がまた手紙を出すことをお望にになった...。ここに、素晴らしい純粋な日本のメロディー2曲を送る。できるだけ歌いやすいようにしたが、コーラスでは少々難しかろう。それよりも、ソロか、ピアノか、ヴァヨリンかで良いと思う。
琴のためのメロディーだが、私はとても好きだ。Ubaldi ウバルディ神父にも味わわせてみてください。歌詞を書いてくれる人をいればなおよろしいが、でなければ、歌詞なしでも口すさみすれば良い。もし、三部合唱にするなら、バスと第2テノールがpianissimo で歌うように言いなさい。でなければ、この素晴らしい宝石がだめになってしまう。
今日8月5日、雪の聖母の日に、当然、君たちを考えないではいられない。祈っておくれ。試しの時が近づいてくるから...まあ! 心配はいらないよ。
私が無に等しい者だとよく知っているのだから、彼(イエス様)に向って、すべてをなさるように、と申し上げる。あとは、お母さんマリア様の手に抱かれて...お休みなさい!
ともかく、いつも快活で、よくやっておくれ。マリア様に、よろしく言ってください。
君の V.チマッティ神父
Grigoletto Giuseppe グリゴレット・ジュセッペ神学生へ (前出)
宮崎1926年8月
我がグリゴレット君、
君の最後の手紙に返事する。まず、君の試験のために今までも祈ったし、これからも祈る。さて、
1) 君たちの展示会のこと、ずっと心にかけている。今までも、できるだけ写真を送ったし、そして、毎月、トネリ神父に自然界の標本を送ったりして、ずっと協力してきだ。今のところ、余り回れない状態にあって、手に入った物を送っただけだ。どうも、言葉という欠かせない道具が手にない限り、回っても何もならない。植物、昆虫、蝶々などは、ちょっとした違いがあっても、およそイタリアの物によく似ているが、火山岩、魚類などの素晴らしい採集ができる、そして、是非やってみたいと思う。
2)~4)(略)
5) 円に対するイタリア・リラのチェンジは、10-12リラとなっている。すなわち、1円にするために、イタリアの10リラが必要となる。
6) Calabria カラブリア神父様〔注。ヴェローナの人で、既に聖人になっている〕が私たちのために祈ってくれるよう頼んできたことは、ありがとう。素晴らしい! 私は、皆の祈りを必要としているのだ。
7) 君が私に送る手紙を、書き直さないで結構だ。時間の無駄だ。心配しないで、ちゃんと読めるよ。(略)
10) 恩人からもらった25リラを手紙に入れた、と君は言っているが、開けてみたら何も入っていない。今度は、その方の住所も書きなさい。分かったか、おばかちゃん! なお、君が送ってくれた歌詞は、残念ながら音楽には適さない、だから...。
最後に、言われるとおりにしなさい。マリア様を信頼して働き、私のために祈りなさい。心から君を抱きしめて祝福する
君の チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ(前出)
宮崎1926年9月2日
私の最愛のパパ、リナルディ神父様、
私たちの状況をご理解いただくよう、また良いお勧めとお導きにより勇気づけていただくために、今月のニュースを簡潔に申し上げます。
先日の素敵なお手紙をありがとうございました。会員たちへの講話にとても役立ちました。
今月の生活 ちょっとした不調を除いて、健康は全般的に良好です。今、私たちは熱心に日本語を勉強してきて、人がゆっくり話せば、いくらか分かるようになりました。説教は別として、紙を見ないでも片言が言えるのです。しかし、ゆるしの秘跡はまだ授けられません。私たちにとって、まだ未熟な渋柿です。忍耐を持って時機を待てば、熟するでしょう。少し読めるようになったので、いくらか基礎ができて、自分で少し歩けるようになりました。ご存知のとおり、日本語は語彙が豊富で、思考構造は変わっています。(日本人は、細かいところまで独特の言い回しで考えを表します。)また、カタカナとひらがなの他に、大半が中国から来た漢字、という三種類の文字があります。本は、ほとんど漢字で書かれています(漢字を良く知っている中国の会員たちは、日本語が読めなくても、漢字を見ておおまかな意味が分かるでしょう)。私たちが目下取り組んでいるのは、この漢字です。ローマ字(ローマの文字)で書かれた本は、ないに等しく、漢字を習得しなければ、一般の本は読めないのです。何かが分かるために、最低2500字が必要です。
8月1日 メキシコのために償いの祈りを捧げました〔注.教会に対する迫害のため。〕
8月2日 メルリーノ修道士の霊名日を祝いました。このような場合、いつも会員に対して総長様と長上の皆さんの祝辞を代弁し、特別なお祈りを約束します。とても喜ばれることですし、愛徳の絆を育てるためになります。
一人の信者さんが亡くなりました(ご主人と4人の子供がいる立派な方で、家族の中でたった1人信者でした)。未信者の葬儀について他の手紙でも書いたかもしれません。信者の場合、似たような儀式をします。家までご遺体を迎えに行きません。家族がご遺体を教会へ運び、通常の式が終わると、墓地まで行列が行なわれます。先頭は長い竹棒の先に旗をかかげる人(未信者の場合、2つの大きなちょうちんも下げます)、次は、花瓶で花を運ぶ人、花輪を持って進む人(花や花輪の数は、家族の格を示します)、次は、人力車に乗った司式者(お坊さんなど)が続き、最後に、遺族に取り囲まれた棺(ひつぎ)が来ます。この人たちは白い服を着る、あるいは、少なくとも白い被り物をかぶる。そして、棺から出る白く長いリボンを手に持ちます。列の最後は、親戚や友人、また好奇心のある人が来ます。大半が話したり、笑ったりしますが、祈る習慣がありません。
8月5日 ボネカーズ神父が司教様から呼ばれて私たちだけを残し、黒島に出かけました。私たちのこの状態について司教様と長崎のパリミッション事務担当の神父様に手紙を出しましたが、(次のことからもお分かりの理由で)返事がありませんでした。(略)
8月18日 健康が既に気がかりだった長崎のコンバーズ司教様が帰天なさった悲しい知らせが届きました。父親以上に私たちを歓迎し、ご自分の教区で宣教活動へ導き、お勧めやお祈りを通して助けてくださったこの祝福された方のために、皆で祈りを捧げました。私も告別式に参列すべきだと思い、ピアチェンツァ神父と一緒に出かけていきました(タンギー神父は出発の前夜に調子が悪くなった)。この聖なる方は、どれほど周りの人々から尊敬され、愛されていたかを見て、とても感動しました。東京、大阪、ソウル、テグ(韓国)の司教様方をはじめ、宣教師たち、マリア会の長上と会員たち、トラピストの長上や神言会の長上なども参列しました。私にとって、これは貴重な出会いのための機会となり、改めてパリミッションや、邦人司祭たちのすばらしい働きを見ることができました。神に感謝! 内々にですが、辞任した東京の司教のあと、日本人司教が選ばれる、また、長崎教区は2つに分かれて、1つは日本人司教(長崎)、もう1つはパリミッションの司教(福岡)になるだろうという噂が流れています。長崎の司教代理は、長崎のパリミッション宣教事務所担当者、司教秘書ティリー神父が選ばれました。
さて、司教様が亡くなって、私たちの状態はどうなるのでしょうか。現在は、
- 主任司祭がいない状態。私たちがまだゆるしの秘跡を授けられませんので、近くの神父様に臨時に来ていただいています。(略)
b)主任司祭がいつ戻って来るか分からないでいる。少なくとも、戻って来るか来ないか、はっきり知らせてもらえるとありがたいです。(略)
c)いつ移転したらよいか分からないでいる。そのこともあって、長崎やバチカン使節と連絡をとり、時期を決めてくださるようにお願いしました。最近の手紙では、無原罪の祝日を提案しましたが、今のところまだ返事がありません。(略)
8月15日 今日、被昇天の祝日にあたり、主任司祭が働いた畑で私が収穫して、マリア様のみ手を通してイエス様に熟した麦の束を捧げ、日本で初めてドン・ボスコの子らの手により、1つの家族に洗礼を授けました。この家族は2年にわたり公教要理を勉強し、教会に模範的に通いました。ボネカーズ神父は(自分が居合わせない犠牲を払って)、私が洗礼を授けるように望みました。本当に感激して、夢を見るようでした。大きな瀬戸物の店を持っている両親は、前の日曜のミサの前にプロテスタントから改宗し、夕方は条件付きの洗礼を受けました。今日、被昇天の祝日、5人の子供(男の子4人と女の子1人)に荘厳に洗礼を授けました。両親がその霊名を選び、アシジの聖フランシスコ帰天700周年、宣教活動の記念と、ドン・ボスコを称えるため、娘さんには小さき花の聖テレジア、息子さんたちには、それぞれアシジの聖フランシスコ、ヨハネ・ボスコ、フランシスコ・ザビエル、フランシスコ・サレジオの霊名を付けました。日付と名と動機をお考えください。被昇天の祝日、ドン・ボスコの生誕日、そして、神の恵みを仲介する道具はドン・ボスコの子らであったこと! この家族は、私たちの事業をまだ知らなくてもドン・ボスコに好感を持ち、1人の子のためにその名を望んだ。私は、ここに神様の導きを感じます。(略)
さらにこの日、要理の勉強に通った子供たちにご褒美を与える慣わしです。やり方はおもしろいです。ご褒美は、お菓子(日本人は、お菓子が大好きです)と文房具です。ご褒美を買うためのお金は、家族の間で集められる。でも、今年は、家族が貧しいため、お菓子を買うために充分なお金が集まらず、私たちが足りない分を出した。皆とても喜びました。1人1人の子に、出席点として何枚かのカードが与えられます。ご褒美の品は、よく見える場所に飾り、お父さんの1人が、ご褒美の品(ランドセル、ノート、鉛筆、紙など)1つを手に取り、大きな声で言います。「これは、OO点です」と。2人以上の子供が同じものを望んだ場合、せりのように、点数の高い子の方が勝ちとなります。(略)
以上が今月のニュース。他は、すべて順調で、修練院か神学校に戻ったかのようです。
愛するお父様、どうかすべての長上の皆様と共に、私たちのこともお心に留めていてください。私の方は、完全に神のみ手の内におります。(略)
サレジオ会員 ヴィンチェンツォ・ チマッティ神父
Ricaldone Pietroリカルドーネ・ペトロ神父様へ (前出)
宮崎1926年10月1日
最愛なるリカルドーネ神父様
一般の情報についてリナルディ神父に書いたことをお読みになったのでしょう。神父様の部門に関するニュースは次のとおりです。(略)
1.兄弟たちは皆、物心両面うまくいっています。皆修練期のさ中にいるかようであり、この邪魔者の私を除けば、全員、満場一致で誓願を許されることになっています。
2.私たちが置かれている状況を、リナルディ神父様に説明いたしました。目下、難しい、難しい、難しい日本語を、勉強、勉強、勉強しています。進歩もしています。ただ、たくさん勉強するだけでなく、話す、話す、話すことが必要です。ところが、今のままの状態にいるかぎり、それが得られません。むろん、自分たちの力だけでは、何から何までできるわけではないことを、よく分かっています。
おもしろいのは、私たちが保護下の身分でありながら、もう1カ月以上も(すでに2カ月になりますが)自分たちだけで生活してことです。長崎の司教様が亡くなられたので、事態が長引くことが予想され、最終的な決定がいつ下されるか分かりません。私が知りたいには、原則としてこうした状態がいつまで続くか、ということです。まあ、仕方がないでしょう。東洋では、急ぐべからず、と言われています。...それで結構です。
3.-(略)今のところ、至急に援助を送っていただく必要はなさそうです。最悪の場合、緊急なことのためなら、上海から援助を送ってもらえると、Garelliガレリ神父が約束してくれました。それに、それに...彼、イエス様がおられます。もし、イエス様が耳を傾けてくださらないならば、私たちには、何の咎めもありません。いつもイエス様に申し上げています。もし、この不安定な状態を望んでおられるならば、私たちには、何の咎めがあるのでしょうか。私たちを造ったのは、私たちではまく、彼です。これが、現状に対する私の哲学なのです。(略)
どうか、神様が私たちを守り、目下のところ、一番の難点である言葉の壁を乗り越えさせてくださいますように。他のことは、心配していません。
言葉とお祈りをもって、常にリカルドーネ神父様のことを愛の内に思い出しています。すべては順調です。私たちのために、お祈り、お祈り、お祈りください。そして、日本での宣教が、言葉をはじめ、他の色々な面でも、難しい、難しい、難しいことを、お忘れにならないでください。でも、神様は全能です。また、扶助者聖母とドン・ボスコも、神の栄光とみ国の発展をこの国にももたらしてくださるでしょう。
信じてください。この国は、世界中、最も特徴のある国、最も美しく、心を奪う国、そして同時に、最も必要をかかえている国です。聖フランシスコ・ザビエルが異教徒について語った祈りをお読みになってください。そのまま、日本に当てはまります。神父様を心から抱きしめます。
皆に代わって、あなたのV.チマッティ神父 サレジオ会員
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父総会長様へ(前出)
宮崎1926年10月8日
最愛なるお父さん、リナルディ神父様、
今月の私たちの状況をまとめ、主に感謝しながらご報告いたします。健康、仕事、信心業、会憲の遵守、愛徳の実践など、すべて規則正しくうまくいっています。神様とマリア様に感謝! いつものように、日を追って、今月の主な出来事をご報告いたします。
9月1日 日本語の勉強を続けています。この言葉は、日本人にとってもしゃぶりにくい骨ですが、私たちにとっては、なおさらです。でも...心配せずに進みましょう。
9月8日 聖母マリアの誕生の祝日。私たちの家族の中でそれを祝って、海岸で夕食をとることにしました。果てしない太平洋を前にしてアメリカにいる兄弟たちのことを思い、彼らのために祈り、また遠い故郷イタリアのことを考えながら、誰もいない海岸で歌声を響かせることは、なんと素晴らしい!
この季節、日本の子供たちの遊びは凧上げ(紙で作ったもの)、メンコ(いろんな絵が書いてある)、サルスベリ木の実を弾にした竹鉄砲などです。さまざまな種類の遊びを好み、飽きも早いですが、目新しいものがあると、またすぐに元気を取り戻します。ヨーロッパの遊びもよく知っています。(場所により多少異なりますが、中にはとてもおもしろいものがあります)。
9月17日 鹿児島で(聖フランシスコ帰天700周年記念のため)ピアノ、ハーモニウム、歌の大コンサートを行いました。鹿児島を担当しているフランシスコ会の神父様方がイタリアの偉大な聖人を称え、カトリックを宣伝するため、私たちの協力を願ってきました。喜んで応じました。神様のお陰で、皆が期待した以上のものでした。フランシスコ会の立派な神父様方の助けにより、人びとを熱狂させました。マルジャリア神父とリビアベーラ神父と共にイタリアの歌のプログラムを進め、間にはフランシスコ会の神父様方がフランス語や英語の歌を折り込み、2部に分けて、ピアノやハーモニウムのソナタも入れました。大きな劇場において、午後3時は高校生(500人以上)を対象に、午後7時からは一般向けに(2000人以上)開かれました。神に感謝! イエス様とマリア様、アシジの聖フランシスコとドン・ボスコを称え、イタリアを思い出し、「神の軽業師」と呼ばれた清貧の聖人(聖フランシスコ)や、子供のためにサーカスごっこを辞さなかったドン・ボスコを思い出しました。
これは、神のご計画による、サレジオ会宣教活動のおもしろい始まりです。皆、敬虔な姿勢で、注意深く1曲1曲を聞き入れました。そして、終わる時や始める前に、演奏者が深々とお辞儀すると、拍手が沸きました。神に感謝! 神に感謝! 音楽も良い手段となります。日本の音楽は、感情や、明るい寂しさに溢れていますが、日本人は、その正反対であるヨーロッパの音楽も好んで鑑賞します。
9月24日 宮崎の工業高等学校を訪問しました。
10月3~7日 鹿児島で行なわれたフランシスコ会の荘厳な式典に、カヴォリ神父と一緒に参加し、音楽と、報道会館での講演を引き受けました。会館は500人以上で満席でした。イタリア語で「古今のイタリア」というテーマで話し、イタリアの偉大さがどの時代でも、古代ローマの伝統と、使徒継承のローマ・カトリック教会の教えによるものだと強調しました。聖フランシスコを記念しながら近代のイタリアのことも語り、ドン・ボスコのことを忘れませんでした。忠実な通訳者、早坂神父は(イタリアに留学したことがある)私の考えを完璧に表し、良い種まきになりました。
式典には、ジャルディーニ教皇使節も参加し挨拶され、日曜日は堅信式がありました。夕方には、教会の庭で荘厳な行列があり、たくさんの異教徒も参列しました。月曜日は司教の荘厳なミサがあり、祝賀会には鹿児島のお偉い方々も参加しました。異教徒やプロテスタントの人たちの口から、私たちの宗教や、アシジの聖フランシスコ、またイタリアを称える話を聞いて、感激しました。水曜日は、しめくくりの講演がありました。ある町の新聞は、2週間以上にわたってこの式典、またイタリア、聖フランシスコについて記事を記載しました。イエスのみ国が広がりますように!
教皇使節と一緒に菊の展覧会(略)と、桜島と同名の火山を見てきました。今でも1914年の大噴火の跡を留めています。島津家の庭園と博物館も見学しました。以前、音楽会に際して、殉教者の墓や、聖フランシスコ・ザビエルと有名な討論を交わした僧侶の墓も訪問しました。
こんな具合に、少しずつ人々との関わりを深め、できるだけ人の助けながら、根気よく日本語の勉強に打ち込むようにし、何よりも聖性を心がけ、将来の宣教活動に備えるようにしています。(略)
今、田んぼの稲の穂が美しく黄ばんでいます。主の叫びが思い浮かびます。「ああ、日本も良い畑です。主よ、どうか、収穫を無駄にするようなことがありませんように!」
私の最愛なるパパ、この国にいるお子さんたちは、あなたを思い出し、あなたを愛し、特にあなたの祝福、長上方、兄弟、生徒、協力者たちの祈りにより、支えを願っていることを思い起こしてください。多くの殉教者を出したこの地に、早く神のみ国が訪れますように。あなたの子であるこの私は、どれほどこのことを渇望していることか! あなたを心から愛している
V.チマッティ神父
Giordano Antonio ジョルダーノ・アントニオ神学生 (前出)
宮崎1926年10月13日
親愛なるアントニオ君、
君が今、ボルゴマネーロの学校にいると、デ・マルティン神父から聞いたが、私の今回の手紙は、君の8月24日付の手紙への返事だ。今頃、前の手紙への私の返事が届いているだろう。今回の手紙は、きっと、君は気分のよくない時間に書いたものだ。気分発散のためだとは言え、不平不満ばかりで、私はその中に余り愛徳を感じない。知っているとおり、私にとって...なんと言うか(これは傲慢だなあ!)、否、主にとって、愛徳はすべての根本だ。もっと愛徳を持ちなさい。チマッティ神父の考えは、次のとおりだ。
- 私たちは、皆人間だから、誰でも間違うことがある。
- 人は誰も、自分の問題の審判者にはなれない。「裁くな、そうすれば裁かれない。」
- 君は、良いこともしたが、あまり良くないこともした。
- もし、あることに100面があって、99が悪い、1つだけが良いなら、悪い99面を置いて、良い1面を検討すべきだ、とサレジオの聖フランシスコは言っている。
- ところが、チマッティ神父は、良いところが一つもないくせに、人に助言し、教えようとしている。教えてもらうべきなのは、私自身だなあ!
結論は簡単だ。君の決心には賛成だ。ただ、1つお願いがある。君は、何年も前から悩んでいることに成功したいのなら、聖なる煉獄の霊魂と守護の天使に深い信心を持ちなさい。きっと、大きく前進することになるだろう。
君は、自分が屈辱を受けたことについて文句を言っている。おバカちゃん! 自分から進んで謙虚にならないから、神様が君にこの機会を与えてくださったのだ。そして、君はそれを不満に思う...。ガンバレよ!...内緒を打ち明けてあげようか。だが、ぼくたちの間だけのものにしてほしい。...でも、君は、自分のことや人のことを皆にしゃべる! よく聞いて! 私は、一生の間、君が受けたような、ありとあらゆることを偲んできた。君には、想像もつかないだろう。そんな時、何が私を助けてくれたのだろうか。それは、私がドン・ボスコが言った次のことを実行したことである。
- 過ぎ去った水は、もう水車を回さない〔注.過去は、過ぎたことだ、という意味。〕忘れる、忘れる、忘れるべきだ。
- 未来は、神のみ手の中にある。余り考えたり、心配したりするのは無駄なことだ。
- 現在だけが君の手の中にある。それは、瞬間にすぎないが、それを活用せよ。
もし、神様と、自分自身と、人々との間に平和を保ちたいなら、ドン・ボスコの次の言葉を聞きなさい。“Laetari et benefacere, e lasciar cantar le passere”、すなわち「明るい気持ちで善いことを行い、スズメが鳴くのをそのままにしておく」〔注.人の言うことを気にしないで、言いたいことを言わせておく〕
人生の瞬間毎に、上記のことを実行しなさい。具体的に言うと、今、君はノヴァラの学校にいないね。だから、もうノヴァラのことを考えない。その代わり、ボルゴメナーロにいるのだから、そこでやるべきことを考える。それだけで、充分だ。チマッティ神父も、大したことでもない自分の人生において、そうするようにしてきたのだ。
ボヴィオ君〔注。後に日本の宣教師になった人〕のことは、もう聞いている。当たり前のことだ。いきすぎたのだから、(イタリアの諺で言うとおり)「壊した人は代価を払い、壊れた破片は自分のものになる」と。君も、もしよく考えないなら、同じことになる。
バヴァ君からは、やっと手紙が来た。彼の霊名日の手紙を君に託す。君への手紙も、私が君のいる所が分からなかった時、彼に託したことがある。必ず届くようにしてね! 彼の調子が悪いと聞いたが、当たり前だ。気をつけないと、早く天国へ行く時まで、病気が長引くだろう。ヴァリサリチェにいる時、何回も彼にこのことについてお説教した。
会員に対する君の評価に関しては、既に私の考えを述べた。君には愛徳が必要だ、と...。それだけだ。
皆に短いメッセージを送ることについては、今、私の意見と願いは次のとおりだ。この手紙をもって、それを最後にする、と。他の友だちにもこのことを伝えなさい。でも、手紙をくれる人には返事を出す、と。こうすることは、各自のため、また、支部全体の秩序のためにも、一番いいことだと思うのである。気を悪くしないでね。でも、君たちには、もう親雌鳥がいらない。今までそう考えてきたのは、私の傲慢のためだったのだ。
私のアントニオ君、どうか、私のために祈ってください。当然、君を思い出しているよ! なお、君に課する償いについては、私が帰る時のためにとっておく。たくさんあるのだよ。また厳しいものだぞう! さあ、明るく、真面目に生き、マリア様に信頼しなさい。
もし、この手紙が着くのが遅れるなら、君をはじめ、ボルゴマネーロ支部の友人たちにも、クリスマスと新年の挨拶を伝えてほしい。心から君を祝福する。
君のV.チマッティ神父
Amerio Francoアメリオ・フランコ神学生 (前出)
宮崎1926年10月20日
親愛なるフランコ君
便りをありがとう! しかし、君の手紙の行間を読むと、君の心にはまだ完全な落ち着きがないように感じる。安定した仕事ができるためには、それが必要だよ。だから、
1)今置かれている所で安心しなさい。主は、今、君をそこに置かれたのだ。
2)長上たちに言われたとおりに従いなさい。
3)射祷や、心の思いを捧げることによって、神様との一致を保ちなさい。
4)傲慢になったとき、次の射祷を繰り返しなさい。「イエス様、あなたのためです」と。
完全さの頂点を自分の目で見ようとするのは、ダメ、ダメ、ダメだ。それを見ることはできないし、そこに到達することもできないのだから。分かったか、おバカちゃん!(すまないね。君は、この言葉の意味が分かる!)繰り返して言う。
a) 過去は、過ぎ去ったものだ。過ぎ去った水は、もう水車を回さない。
b)未来は、それを知ることはできない。神のみ手の中にある。
c)今の瞬間だけが、君のものだ。それをよく活用しなさい。上も下も、右も左も見ないで、結果も見ようともしない! だって、大した結果ではないのは、当たり前のことだ。結果を確かめたいという思いを捨てて、ただ、今の瞬間において、彼(主)のため、彼と一緒に働く、働く、働くのだ。それが、安心し、神に喜んでいただくための道だ。これこそ、聖フランシスコ・サレジオの霊性であり、ドン・ボスコが実行した霊性でもある。
君は、こんな簡単なことが分からないほど、石頭なのか。
以上のことを全力投球で実行しなさい。
でも、君は言うだろう。周りの人は何を言うのだろうか。- 何を言いようとも、それはどうでも良い。君は、ただ、自分のすべきことをするのだ。もし、心が暗くなることがあれば、その時、イエス様のもとへ走っていき、聖櫃のいい空気を少し吸って、5分ぐらい楽器でも弾き、笑って、踊って、手をこすって、それで終わりだ。
君の家族の心遣いをありがとう。しかし、日本では、お金よりも祈り、祈り、祈りを必要としていることを覚えていてほしい。
ピオヴァの林間学校との別れが辛い! これは、新しい話ではない。私は30年間もその辛さを体験してきた。とにかく、上に述べた道を実行すれば、平穏で喜びの内にいられるだろう。なお、友達の辞令のことは、もう聞いていた。出発により善が広がると思うと、喜ばずにはいられない。でも、知らせてくれてありがとう。
音楽に関しては、今ヴァルサリチェでは、やれることをやるしかない。将来は、本当に音楽に向いている人々がそれに従事できるという理想的な環境ができればいいなあ、と思うことがあるが、これからは、クロチェッタの新しい神学院で4年間も勉強できる人たちは、もしかしたら...。
私が作曲したものを、できる時に送ってあげよう。聖歌隊については、今持っている糸で生地を編むしかない〔注.持っている人材で、やれることをやるという意味。〕三部の代わりに二部にしたりするとか、音程を下げたりするとか...。ピアニストを上達させたければ、音楽理論や読譜法を身につけさせなさい。基本的なことが分かっていないままに進まない方がいい...。先も言ったように、ヴァルサリチェでは、やれることをやるしかない。
とにかく、元気を出して、私のために祈っておくれ。
私の良きPiccaピッカ神父様にくれぐれもよろしく。彼は、本当にすばらしい人だ!
トネーリ神父様には、他の人と一緒に、月末に手紙を送る、と伝えなさい。
君を心から祝福し、イエスにおいて君のことを思い出している。
君のV.チマッティ神父
Giordano Antonio ジョルダーノ・アントニオ神学生へ (前出)
宮崎1926年10月30日
親愛なるアントニオ君
何を言っているのか。「短調階の状態になった」とは、(君は、短調階のことが分かっていないのに)! また、「星が没してしまった」と! 少し謙虚になって、一層進むのだ。すぐに神様と和睦しなさい!
「過ぎた1年は、無駄だった」と...。おバカちゃん! 揺らぐ葦、無駄な考えにふけっている者など、などと言いたくなる。
「理解してくれる者はいない」と言う。では、主はいないのか。さあ、元気を出せ! まず、環境をよく理解するようにしなさい。年度が軌道に乗れば、無駄な考えも消えてしますだろう。環境をよく知るようになれば、協力してくれる人も見つかるだろう。そのためなら、私も一緒に考えるようにしよう。考えてみると、マルティン神父が良いのではないかと思う。後でどうするかを見よう...。
君のこの話を聞いて私ががっかりして、両手で髪の毛を掴んだ、とでも思っているのか。私に髪の毛がなく、または短すぎるのに...。君は、がっかりする理由は何もない。マリア様は、君をご自分のものにしたいのだ。さあ、私のために祈り、安心しなさい。
いつも君の V.チマッティ神父
Vallunga Teresa ヴァルルンガ・テレサ従姉妹へ
宮崎1926年10月31日
親愛なる我がテレサさん
お母様から、神様が望んでおられる結婚の日が近づいた、と聞きました。これは、私のお勧めです。
1- 心から父母を愛しなさい。あなたの存在は、神様の次に、ご両親によるからです。
2- 心から主人を愛しなさい。彼は、既に立派ですが、あなたの親切、忍耐、祈り、仕事により、一層立派になるでしょう。
3- 神様から賜る子供たちを信仰においてよく教育しなさい。これは、あなたの務めです、あなたの光栄にもなるからです。
4- もし神様が何かの十字架を送ってくださるならば、神様の愛のためにそれを忍耐強く忍びなさい。この世には、刺のない薔薇がないからです。
心から皆さんを思い、祝福いたします。
あなたの従兄弟 V.チマッティ神父
Amerio Franco アメリオ・フランコ神学生へ (前出)
宮崎1926年11月上旬
親愛なるアメリオ君
先日、(10月23日、24日)宮崎県人吉市でやった音楽コンサートのプログラムを送る。大成功だった。神に感謝! 日本においても音楽が役立つのだなあ。
ところで、この手紙の目的は、もし間に合うならば、君と音楽の仲間たちに聖セシリアの祝いの喜びを申し上げることだ。彼らにこう言いなさい。
a) 聖セシリアを愛しなさい。ドン・ボスコの教えでは、若者の潔白の模範であるから。
b) 聖セシリアを愛しなさい。音楽の保護者であり、そのためにドン・ボスコがサレジオ会の音楽の保護者にしたのだから。
c) 私のために祈りなさい、と。
快活でありなさい。また、最後の手紙に書いたことを実行しなさい。
君の V.チマッティ神父
Valentini Eugenio ヴァレンティーニ・エウジェニオ神学生へ (前出)
宮崎1926年11月7日
我がエウジェニオ君
この手紙を書こうとしたとき、君の手紙が届いた。(略)
新しい任務はよかったね。マリア様ご自身が、君が望むとおり、自分の養成を完成できるために、〔サレジオ会発祥地であるトリノの〕オラトリオに送られることを望まれたのだろう。今までのように、良いサレジオ会員になるため、正しい道を進み、できるだけ多くのドン・ボスコの著作を読みなさい。そこは、たくさんの著作が揃っている場所だ。
君は言う、「いつ私の心は、イエス様の愛に抵抗しなくなるのだろうか」。
それは、間違いなく、君がそう決める時だ。寛大であるようにしなさい。そして、イエス様が何かをお望みになる時、「はい、どうぞ!」と答えなさい。また、自分の心がこの世のものに愛着しないように警戒しなさい。(略)
その他は、安心しなさい。新年と、クリスマスと、無原罪のお祝いをおめでとう。この手紙が着いたら、時間があって、すぐに扶助者聖母マリアの大聖堂に行って、マリア様の前にこの祈りを読みあげなさい。「マリア様、チマッティ神父は、私がここに来て、こう申し上げるよう願いました。- マリア様、私たちは、あなたを愛しています。イエス様にこうおっしゃってください。私たちは、心身とも、今も、いつまでも、あなたの者でありたいのです」
心から君を抱きしめて、祝福する。快活、善良、勤勉、献身的でありなさい。
君の V.チマッティ神父
Caviglia Alberto カヴィリア・アルベルト神父へ (前出)
宮崎1926年11月21日
親愛なるカヴィリア神父様
お手紙をいただいて、感激しました! 他人を理解し、理解されることはなんと美しいこと! 私たちは互いに理解し合ったに違いありません。恩返しのため、私は多くの祈りを捧げ、信仰を込めて祈ります。それには、たくさんの理由があります。
a) 神父様が私に示してくださった愛情と、神様だけがご存知、私に対する数多くの良いことのため。
b) 特に、今、神父様が手がけていらっしゃる多くの仕事を成し遂げられるためです。今、神父様がドン・ボスコの著作の出版を担当なさることを聞いて、私の心は本当に喜び踊りました。信じてください(お世辞でも、他の卑劣な目的のために言う言葉でもありません)、もし私がその担当者を選ぶ立場であったならば、きっと、神父様を選んだのです。心から神に感謝! 何回も私が黙想会で表明してきた望みがこれによって実現されることは、とても嬉しいことです。親愛なるアルベルト神父様、本当に喜びます。いつかその研究の成果を読めることを楽しみにしています。これは、ドン・ボスコを称えるため、扶助者聖母マリア大聖堂前の広場に建てられた記念像よりも良い方法です。ドン・ボスコに及ぶ名誉や、そこから生じる計り知れない善は、神父様にも及ぶことでしょう。神に感謝!
では、神父様から出された問題に答えます。
1)今、私が知っている限り、日本にはキリスト教的美術は余りありません。現在日本にある聖堂は、あらゆる様式のものです。大部分フランス人の司祭たちが建てたのですから、フランス様式か、あるいは様式無しのものといえます。日本的なのは、畳と木材ぐらいでしょう。信者たちが畳に座りますので、ほとんどの教会はベンチがありません。より日本的にするには、神道や仏教の寺院を真似すればよいのでしょうが、信者はそれで喜ぶと思います。寺院の中に、鮮やかな装飾(真赤な漆、黒、金、銀色)が施されていて、本当にきれいなものがあります。使われている貴重で頑丈な木材も素晴らしいです。何枚かの絵はがきを同封します。
将来、私が何かを建築することになれば(もう2つのものを考えているのですが)少し仕事を頼むことになりましょう。その場合、早めにお知らせいたします。今のところ、すぐに墓地のための小さなチャペルのスケッチをお願いできましたら...。信者の墓地がなく、仏陀や神々の間にお墓を作っているからます。20×10メートルぐらいの長四角のもの、真中に十字架があるものが、どうだろうかと考えています。目立つものが良い。見る人に、「カトリック信者は、自分たちの死者を大事にしている!」と言わせたいのです。これは、急ぐものです。初めは、木造でも結構です。日本人は、この面での技術はとても優れています。ここでの瓦は、特別な土で作り、形は少し波型、両縁が丸く立ち上がり、色は黒灰色です。しかし、銅版の屋根でもよいのです。その近くに、木も茂っています。
2)(略)
3)私のささやかな著作〔注.『Don Bosco edudatore,教育者ドン・ボスコ』のこと〕の文献は、完全なものではありません。トリノ市、オラトリオやヴァルサリチェの図書館を探してみれば...。あっちこっち会員にも問い合わせてみれば...しかし、彼らはなかなか返事はしません。(ロッシ神父は、当時、オクスフォードにおもしろい文献を見つけたと言っていましたが、もらっていません)。なお、Bollettino サレジオ・ニュース、また中央評議会の図書館にも(何かあるでしょう)。他はありません。私がまだ日本に来ることを思っていなかった時、機会があって補足しようと思っていましたが、集めた資料が手元にありますので、ここに同封します。乱筆や紙切れの状態を許しください。
4)お茶のことは、こうしなさい。炊事場に行って(略)少しの間沸騰したお湯に葉っぱを入れて、軟らかくしてください。その葉を取り出してから乾かして、粉々にして、お茶を作ってみてください。うまく行くでしょう。私は、毎日、すべての食事で、それをお腹一杯飲んでいます。でも、次は、トネリ神父に標本を送るとき、きちんと準備したものを送りましょう。
5)親愛なるカヴィリア神父様、この私を余り高く評価しないで欲しいです。自分たちの魂を救うことが一番大切であり、他は...。
6)Pagella パジェラ神父に、音楽のことをおめでとう、と言ってください。宣教地のため作曲した歌の楽譜一部を送ってくださいませんでしょうか。(略)
皆、皆、皆にお祝い申し上げます。私にとって、トリノの聖ヨハネ支部は、大したことではできなかったにしても、サレジオ会員として具体的な活動ができた場所です。しかし、それができたのは、素晴らしい会員の皆さんが心身とも支えてくださったからです。毎日、皆さんを思い出してお祈りしています。今は、それしかできない立場です。
アルベルト神父様、あなたに心から大きなキスを送り、抱きしめます。ドン・ボスコの光栄のために働きなさい。それは、マリア様と神様の栄光にもなり、この地上の教会の光栄にもなります。これからも、私のために祈り続けなさい。毎日、心と、考えと、祈りをもってあなたの側にいます。
あなたの V.チマッティ神父
私のイタリア語の文体を許してください。この大変な日本語を覚えることによって、私の母国語はおかしくなってしまいます。
Giardini Mario ジャルディーニ・マリオ司教、教皇庁使節へ
宮崎1926年11月22日
尊敬すべき使節閣下様、
先日、お送りくださった書物は無事に届きました。心から感謝いたします。
私は、よくお祈りし考えた上で、閣下の119番(11月18日付)のお手紙に対しご返事いたします。私の意見をご検討くださいますようお願いいたします。
まず、お願いしたいことは、この手紙をお読みになった後、ドン・ボスコの子らに対する今までと同じ愛情をもって、ご遠慮なく「こうしなさい」とおっしゃってくださることです。私たちは、閣下が人の救いのためにお決めなることに喜んで従います。
閣下が(アシジの聖フランシスコを祝う東京式典のために)提案してくださったことは、私にとって大きな名誉です。また、ご期待に応えるためにできるだけのことを尽くしたいと思っています。反面、次のことをご検討をお願いいたします。
1)私たちの音楽の才能を、余り当てになさらない方が良いでしょう。特に今の季節において! ちょっとした風邪でもすぐに消えてしまうことがあるからです。
2)私たちが言葉を修得するためにどれほど苦闘しているかを、よくご存知でしょう。特に年度の今の時点において10日間でも勉強できなければ、悪影響を及ぼすことになりましょう。先日も、黙想会のためにそうせざるを得なかったのでした。
3)正直に申し上げますと、私の能力はその目的に及ばないと感じます。決して、これは通常で言う謙りの言葉ではありません。
以上、私が申し上げたいことです。信じてください。謙虚さ、または他の理由から申し上げるのではなく、音楽の面でも、勉強の面でもこれが私の本当の状態であるからです。
閣下は、主においてご判断し、ご遠慮なくお決めください。私は、おっしゃるとおりに喜んで従います。会員には、この話を伝えていません。何をお決めになっても、何の問題もありません。なお、もし、閣下は、何かの必要があって既にお約束なさり、霊魂の救いのために私がそちらに行くことが必要だとご判断なさるならば、私は、すぐにおっしゃるとおりにいたします。
ご存知のとおり、無原罪の聖母の祝日が近づいています。それは、私たちのサレジオ会の誕生日に当たります(1841年12月8日)。その日、マリア様のもとで私たちを思い出し、お励ましのお言葉と祝福をいただければ、皆に喜ばれる素晴らしい愛徳の業です。私は、当日、会員に発表することにいたしましょう。
これから日本で活動を始めようとするサレジオ会員は、閣下に対する子どもとしての従順と感謝の心を表明し、祈りを約束いたします。閣下の祝福をお願いいたします。
敬愛を持って。あなたの子 チマッティ神父 SDB
Vallunga Teresa 従姉妹ヴァルルンガ・テレサ様へ (前出)
宮崎1926年11月25日
親愛なる我がテレサさん
あなたの幸せの大事な日が来ました。あなたは、夫となる良いヨゼフを愛し、立派なご両親が教えてくださったように、信仰深い母親になるようにしなさい。そうすれば、いつまでも幸せになるでしょう。
イエス様、マリア様、ヨゼフ様の苦しみを思い出してください。
毎日、私のためにお祈りください。
あなたの従兄弟 V.チマッティ神父
Morelli Giuseppe モレリ・ヨゼフ様へ
(上記ヴァルルンガ・テレサの夫)
宮崎1926年11月25日
拝啓、モレリ様
私は、まだお目にかかったことはありませんが、帰国する時、そのような機会はあると期待しています。私たちの良いテレサがあなたの者になると聞いて、心から喜んでいます。あなたは、彼女にとって、マリア様の保護者であられた聖ヨゼフのようになりなさい。そうすれば、神様の祝福がいつまでもあなたたちの家庭に留まるでしょう。
心から握手いたします。
あなたを敬愛する V.チマッティ神父
Vallunga Teresa, Morelli Giuseppeヴァルルンガ・テレサ、モレリ・ヨゼフへ(前出)
宮崎1926年11月25日
ヴァルルンガ家の皆さん、
遠く神秘的な国、日本から、皆さんの数多くの恵みに対して心から感謝いたします。
皆さんは、結婚式に際して、従兄弟の宣教師から、お祝いの言葉を望んでおられます。お2人の心が結ばれるこの日に祈りを捧げ、幸せを願い、心をもって共にいるようにいたします。
私は、新しい家庭を作るために誓いを立て、司祭の祝福により結ばれる新郎新婦のお2人に、聖ペトロと聖パウロと共に、こう言いましょう。
新郎新婦よ、イエス・キリストが教会を愛したように、お互いに愛しなさい。
我がテレサさんよ、夫に服従し、尊敬しなさい。
我がヨゼフさんよ、自分の体のように、自分自身のように妻を愛しなさい。
テレサさん、あなたは、つつましい身なりや、慎みと貞淑、特に善い行いをもって身を飾りなさい。静かな態度、完全なる従順と心の落ち着き、良い母親としてお務めを果たすことこそ、あなたの飾りとなります。
ヨゼフさん、あなたは、家庭の頭としての責任を自覚し、仕事、手本、心強さをもって、神様に任せられた人々を支え、保護しなさい。
今日、神様や、皆さんの指導者であり、祝福をくださる主任司祭、また証人となる親族や友人の前で交わした荘厳な約束を忠実に守りなさい。
神様が喜ばれますよう、人生の日々をキリスト者として熱心に過ごしなさい。
もし、これらの勧めを実行し、お2人が自分の務めを忠実に果たすならば、私は、神様の名により、この地上と天国の幸せを約束いたします。これが、私の心からの願いです。お2人が、物心両面で幸せでありますよう!
心と祈りにおいて皆さんと一致している私たちも、実り多いキリスト信者にふさわしい生活の後、愛するすべての者たちと共に、天国で一緒に会うことができますように。
心から、主任司祭を通して私の祝福をお送りいたします。
いつまでも皆さんを思い出し、心からお祈りいたします、
日本の宣教師 サレジオ会員V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ総会長へ (前出)
宮崎1926年12月8日
親愛なる最愛のパパ、リナルディ神父様
送ってくださった良い勧め、また副総長リカルドーネ神父を視察に送ってくださるという良い知らせをありがとうございました。ちょうど今、日本のあなたの子どもたちが天のお母さんを祝って、聖堂から戻ってきたところです。今回、主任司祭の指導の下にあって、私たちは望むままにできなかったのですから、自分たちだけで祝いました。今度の日曜日は、信者たちと共に何かやろうと思っています。しかし、大したことはできないでしょう。どうも、ここは、荘厳な形で祝う習慣が無いようです。9日間の準備とか、善行や祈りの花束とか、歌とあか、特に天のお母さんへの熱意のある人などはいないようです...。
それでも、神様が慰めてくださいました。お祝いの日に、フランシスコ会の神父1人が来られ、意外なことに、信者でない1人の子がミサに与りました。頭の中に浮かんできたのは、トリノの聖フランシスコ聖堂で、ドン・ボスコが最初に子どもに出会った時のことです。会員たちにそのことについて話しながら、希望や祈りに満ちた深い感動を心の中に覚えました。
ああ、私たちが罪を遠ざけ、聖人になれますよう、マリア様の御助けを願います。すべての会員、特に修道士たちを救ってくださるよう、私の命を捧げたいとイエス様に申し上げました。
もう十分です。でなければ、聖なる喜びのゆえに心が耐えられなくなります。天のお母様、ありがとう! イエス様、ありがとう! 天の喜びを味わうことのできるこの国に送ってくださった総会長様にも、心から感謝いたします。
では、簡単な月の報告。(略)
教皇使節と司教代理と打ち合わせたうえで1月の未定の日に中津と大分の環境を下見に行って、少し状況が分かれることになるでしょう。言葉は余りできないので大したことはできませんが、水に飛び込まなければ、いつまでも泳げないでしょう。ドン・ボスコとマリア様が助けてくださるはずです。悪魔が妨害しないよう祈ります...。(略)
カヴォリ神父は、調子が回復し、言葉に関しても軌道に乗りつつあります。教会の使者会を始めてくれるように願ったら、さっそく、今朝5時30分のミサに2人の子どもが現れてきました。喜びの余り、朝食に招いてカフェラッテを出してあげました。貧しい我が子たちへの最初の朝食です...。本当に貧しいです。日本の大部分の信者もそうです。ああ、貧しい私の信者たち! 先日、主任司祭と一緒に家庭訪問をしたら、なんと貧しい住まいか! イエス様がお生まれになったベツレヘムの小屋でさえも、これほどではなかったでしょう! よろしい、よろしい! これこそ、私たちのいるべき所。「貧しい人々に福音が述べ伝えられる」のです。(略)
12月に入ってから、天皇陛下のご様態が危ないと言われるようになりました。
気候はよく、朝7時、最低気温は7℃、昼間は15~18℃。今日は、風雨が強いです。
ちょうど今、東京から、使節閣下からのお祝いの言葉が届きました。こう述べています。「皆さんが成功するための土台と保証は、創立者の精神です。ドン・ボスコの教えやサレジオ会の伝統である、目立たない自然な振る舞いと、堅固な信仰に支えられて、熱心に献身的に働けば、皆さんの努力は勝利を収めることになるでしょう。その保護の下に受け入れてくださった無原罪の聖母が、日本のドン・ボスコの子らにご愛情を示してくださいますように。」神に感謝!
主が示してくださる愛情に応えられるよう、お助けください。ああ、神の御摂理の不思議なこと! なぜ、私たちをこれほど大切にしてくださるのでしょうか。総会長様、十分に神様に感謝できますよう、お助けください。
兄弟たち皆に代わって、クリスマスと新年のお祝いを申し上げます。真のサレジオ会員でありたい決意を新たにいたします。今日、世界中で、マリア様を最初に祝ったのは私たちです。日本の時間がイタリアより9時間早いので、生活のあらゆる面で私たちはいつも一番。また、すべてにおいて一番でありたい日本の精神に従って、良いことや、サレジオ会生活においても、一番でありたいのです。どうぞ、祝福、祝福、祝福を与えてください。あなたの前に跪いて、お父さんの腕に抱かれて、イエス様の前に無に等しい、あなたの前にも無価値なこの私、
あなたの子 サレジオ会員 V.チマッティ神父
Grigoletto Giuseppe グリゴレット・ジュゼッペ神学生へ (前出)
宮崎1926年12月11日
我がグリゴレット君、
嬉しかった君の手紙への返事と共に、クリスマスと新年の祝いをおめでとう。私のためにやってくれることをありがとう。きっと、天国のためになるだろう。
試験をパスした良い知らせと採集した素晴らしい物も感謝する。日本の自然も素晴らしいよ。今まで、毎月、トネリ神父宛に小包みで植物、昆虫等の標本を送ってきたが、巡回を始めるようになったら、もっとたくさん送れると思う。
ドイツ語にも上達していることは、素晴らしい。ドン・ボスコは、自分の子らが多くの外国語を学ぶことを望んでいた。それにより、多くの人を救うことができるから。
日本語も学びたいと言っているが、文法だけでは大したことはできない。特に読むために、漢字が必要だ。
今、君は学校に勤めている。勤勉に働き、よく勉強し、生徒にもよく勉強するように指導しなさい。しかし、いつも、キリスト教的、サレジオ会的にやりなさい。(略)
日本にもカボチャがあるよ〔注.ここではZucca baruca と言うが、これは、宮崎県産のカボチャのことでもある。グリゴレット神学生のあだ名としてよく使っている〕。味が良くて、甘い。形は、凸凹で、イタリアのメロンのように扇型に分かれている。(君の出身である)ヴェネチア地方のカボチャより美味しいかどうかは分からない。そちらの物を食べたことがないから。
私のために祈りなさい。イエス様に、私が聖人になり、早く言葉を覚えられるように願ってちょうだい。皆にクリスマスと新年おめでとう。あなたを抱きしめて祝福する。
君の V.チマッティ神父
Marchisio Carlo マルキシオ・カルロ神学生へ (前出)
宮崎1926年12月19日
親愛なるカルロ君
心からありがとう。でも、君が言う私への恩返しは、よしなさい。それは、君の良い心からくる言葉だよ。互いのために祈り、兄弟のように愛せば、全部済んだことになる。私だって、君とお母さんに対してどれほど恩返しがあるか。もうこのことを言わないことにして、主において働き、恐れずに進むことにしようね。
私のために祈りなさい。私にとって唯一の必要なことは、聖人になることだ。これがなければ、宣教地では大したことはできないだろうが、日本では、何もできないのだ。君たちは、この地特有の難しさは、理解できないだろう。これは、日本全体のことで、簡単に説明できないことだ。
日本の国民は、教養があり、考えられないほど伝統的である。裕福の中に生き、微笑みながら、お礼しながらも外国人を憎む。だが、外国人は役立つから、無しにはいられないから、忍ぶことにしてでいる。極端に異教と物質主義に染まり、人間のすべての欲望を知っている。組織面では、真似できないほど進んでいる。天皇陛下を崇拝し、今はご病気だから、演劇、娯楽、映画など全部止まっている。お亡くなりになれば、商売も完全に停止する。私たちには考えられないことだが、これらは、一番目立つことを言っただけである。
私が聖人になり、日本語を良く覚えられるように祈ってちょうだい。日本の切手とお母さんへの手紙を同封する。そうすれば、君はお母さんに手紙を書くことになるだろう。1人ひとりによろしく。君を抱きしめて祝福する。
V.チマッティ神父
Sordo Antonioソルド・アントニオ 神学生へ (前出)
宮崎1926年12月23日
親愛なるアントニオ君
1月の君の洗礼名の祝いに間に合いたいなあ。君の便りを読んで、大変喜んだ。なかなか便りが来ないから、あきらめようと思っていた。今は、希望ではなく、確信を持っている。君たちがまだ文面でも私を思い出してくれる、ということ。他のことについては疑ったことはない。
では、君のことはよろしい、よろしい、よろしい。いつも私の良いアントニオ君だなあ。君に必要なのは、次のこと。
- 快活さと仕事、仕事、仕事。
- 短い祈り、射祷をもって神様との一致を保つこと。
- 口の中の筋肉を動かすipoglosso という、舌の下にある神経を、よくコントロールすること。わたしが言いたいことが分かったね。
生徒に対しては、祈りながら彼らを愛しなさい。目を配って、問題があれば、責任ある人に報告しなさい。そして、献身的に彼らのために働くこと。
日本には、君のために場所があるが、条件は、今書いたことを守ることだ。
ボヴィオ君〔注。後に宣教師として日本に来た、当時の神学生〕について、また君たち幾人かがしでかしたことについて、もう聞いている。良いサレジオ会員になっておくれ。上から厳しい叱りを受けたのは、当然のことだ。それは、主が送ってくれたことだ。私も、君たちよりもいたずらだった時、何回ももらったことだ。寂しければ、ちょっとだけ聖堂に行って、良い空気を吸いなさい。そこであれば、イエス様に話しかけながら、ipoglosso の神経をいくら活用しても結構だ。(略)
私に関しては、すべての面で順調だ。元気で、明るくやっている。この大変な言葉を学ぶために、もう一度生徒に戻った。既に5回コンサートをやり、2回2000人以上の人の前でアッシジの聖フランシスコやイタリアについて、イタリア語で公演した。来年、活動を始められると、まず、信者を探し、強め、土台を固める。その後、新しいものを建て、マリア様とドン・ボスコを知らせる。私の小さな歌手たちは、ドン・ボスコとマリア様の歌を上手に歌えるようになった。いくらか寒いが、ストーブのことは誰も考えない。雨も風もイタリアと同じぐらいだが、余り長く続かない。どこでも緑、微笑み、お辞儀。
音楽に関しては、欲しい物を言ってくれれば、送ってあげる。
私のために祈りを続けなさい。決して、君とヴァルサリチェの仲間たちを忘れない。君たちの当時の院長が「狂喜の頂点」〔Cima 頂点 dei matti 狂喜の、と書いている〕だったので、君たちも違う者ではないはずだ。1人ひとりによろしく。皆を祝福する。
君の V.チマッティ神父
Amerio Franco アメリオ・フランコ神学生へ (前出)
宮崎1926年12月
親愛なるアメリオ君
ちょっとした楽譜を送る。いつも喜びをもって皆のために働きながら、前進しなさい。特に音楽家たちによろしく。コーラスの皆さんに、お祝いの挨拶と共にこう言いなさい。
- 歌う時、音符1つひとつを神様に捧げなさい。
- 歌うことは祈ることだから、歌っている言葉の意味をよく考えなさい。
なお、ピアノを弾く人たちには、
- よく学びなさい。音楽をとおしてたくさんの良いことができる。
- 音符1つひとつを神様に捧げなさい。
さらに、皆にこう言いなさい。
常に快活、勤勉、謙虚であれ。これこそ、サレジオ会員音楽家の特徴なのだ。
私のために祈りなさい、また祈ってくれるように言いなさい。
君の V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父様へ (前出)
宮崎1927年1月6日
親愛なる私のパパ、リナルディ神父様
神父様が神様からたくさんの贈り物で満たされますよう祈りながら、日本の子らは、占星学者のように「遠くから来る」この手紙をもって、自分たちの贈り物をお送りします。人を救うための愛の「黄金」、祈りの「乳香」、犠牲の「もつ薬」です。犠牲とは、今、思うように活動できないということです。神様はその辛さはご存知です。御心のままに!
私たちは、(小さな不調を除けば)皆元気です。皆この難しい言葉を懸命に勉強し、次第に舌が解け、だんだん分かるようになりました。しかし、十分と話せるには、少なくともあと2年かかるでしょう。皆、まだ宮崎にいますが、今月は何か決まるでしょう。
今回のニュース。
クリスマスの深夜ミサをやる許可を得、教会は人で一杯になりました。長い間やっていませんでした。多くの異教徒も、ことの珍しさや音楽に引かれて、参加しました。布教の効果を期待します。24日から1月10日まで冬休みに入り、信者の生徒も落ち着いてミサに参加できました。日本の休みは季節ごとに分かれていますが、夏は1ヵ月です。年度が2月に終わるので、3月に春休みがあります。神に感謝!
一番大きな出来事は、天皇陛下のご病気とご死去です。長年のご病気のため、実権を既に皇太子に譲っていました。お亡くなりになったのは12月25日午後1時。町のサイレンがお知らせを伝えました。国民は、ご病気中でも案じていましたが、お亡くなりになったので、1月1日までご死去を悼みました。公や個人の娯楽が全部中止され(大都会ではご病気中でもそうでしたが)祈りが捧げられ、一部の人々は体を傷つけたり、腹切りしたりするという狂信的な態度も見られました。故人を記念するために、3000万イタリアリラに相当する予算が決まり、おそらく、神社を建てるでしょう。亡くなられて2時間後、後継ぎの就任式が行われました。日本は、天皇陛下無しではいられません。新しい天皇陛下は信仰のために期待されています。人気があり、既にオープンカーや歩きで東京に姿をお見せになりました。信じられないことのようです。その侍従は、立派なカトリック信者、山本信次郎さんです。常に天皇陛下の傍らにいます。そのためにも、天皇陛下はカトリックに対してご好意をお持ちのようです。
ここ数日、帝国東京大学法学部の教授、田中耕太郎師がカトリックに改心したことが大ニュースになっています。私たちは、人間的に観て、祈りと仕事をもってこの良い時を活用し、必要な資金と人材を投じ、絶対に遅れないようにすべきです。
天皇陛下のが死去のため、日本独特のお正月の祝いも中止されました。ただ、お餅を配ることだけが許されました。(お餅とは、お米で作る、パネットーネと同じような意味のものですが、味は全然違います!)日本人は大好物ですが、私にはなぜかよく解りません。教会では大量にもらいました。今、処理するため、毎日、鉄網の上にのせて焼き、少しずつ飲み込むようにしています。
小さなクリスマスツリーも準備していましたが、ご公現祭まで飾ることを延期しました。ところが、日本では、この祝日は守るべき祭日ではありません。
ニュースはここまで。長上の方々や、私たちのことを尋ねる人々に、よろしくお伝えください。マリア様、ドン・ボスコ、聖フランシスコ・サレジオが私たちを助けてくださいますように。心を込めて、このいたずらっ子を祝福してください
敬愛をもってあなたの子 V.チマッティ神父
Giordano Antonioジョルダーノ・アントニオ 神学生へ(前出)
宮崎1927年1月6日
親愛なる我が子ジョルダーノ君、
君の新しい任地からの手紙を待ちわびていたと言っても、大げさではない。なぜか、分かるね。今日、ご公現祭で、教会から戻ってきたところだ。イエス様が、私たちの心にご自身を現してくださるように! 君は私の考え、心と祈りの中に、毎日、何回も入っている。ある時、どういうわけか、急に君のことを思い出す...。このとおり、神様のお恵みで、私たちは思うよりも一致している。いろいろなニュースをありがとう。(略)
君の魂に関しては、
1.過去は過ぎ去ったことだ...。君が過去に叱られたことをまだ思い出すのなら、それは、私たちの傲慢によることだ。よく覚えておけ。きっと、そのためだよ。
2.もちろん、日本に来て欲しい。だが、はっきり言っておく。誘惑の多いこの環境の中で迷わないため、君の弱点である愛着心に関して、丈夫にならないといけない。だから、マリア様に信頼して、恐れずにがんばりなさい。
3.今、私が何をやっているかを知りたいのか。 - 勉強したり、音楽を弾いたり、原稿を手にして説教したり、そうしなければ...君は分かるね。また、食べたり、笑ったり(日本では、心の中に嵐があっても、ニコニコしていなければならない)、ちびっ子たちとお相撲を取ったり(君とボヴィオ君がここにいれば面白いや!)、祈ったり...(多くの君たちと心が結ばれているのだから)、寝たりもする。このとおり、良い生活ではないか。しかし、早く違う生活を始めたいよ。それは、探検だよ...! どこも廻って行きたいのだ...、そして、もしある日、チマッティ神父は崖、または火山の中に落ちてしまった、と聞くことがあったら、驚かないでくれ。
無原罪の聖母の祝日はとてもよくできた。でも、身内だけで祝った。なぜなら、日本では守るべき祝日ではないから。ここでは、日曜日に当たらない限り、守るべき祝日は4つしかない。だからこそ、日本は回心しない、と私は思う。もちろん、その日は、私の心は友だちである君たちと一緒に、ヴァルサリチェにあったのだ。
君は、生徒の面倒を見ながら祈っていると言う。素晴らしいこと! こうすれば、神様との一致を保つのは、それほど難しくないだろう。定めたある行いの間、何回も同じ短い祈りを唱える決心を立て、1週間、1ヵ月、1年間、その練習を続け、習慣になるようにしなさい。良心の究明についても、同じようにしなさい。大事な行ないの後、1日何回も究明をしなさい。不可能なことは、何もない。簡単なことで満足すれば、大きなことができるようになるだろう。
君は、「僕は、いつも同じ者だ」と言うが、私は聞く。「善意があるのか。良くなりたい心があるのか。“はい!”と言えるなら、安心して進みなさい。」
我がアントニオ君、特定の行いの中に短い祈りを唱えることで満足し、1ヵ月、1年続けなさい。神様との一致を保つこと、これこそ聖徳だ。もちろん、同時に会憲と誓願を守らないといけない。なお、自分の院長を信頼し、毎月、規則正しく報告をしなさい。ゆるしの秘蹟も規則正しく受けなさい。そして、安心して進みなさい。(略)
神様の恵みのうちに良い年を過ごせるように祈る。その恵みは、決して不足しない。今年は、それに応えるようにしよう。今日は、占星術の学者たちを記念したが、彼らも神様の恵みに応えたからこそ、祝福を受けた。元気を出して、快活・勤勉で、長上を信頼し、自分を過信しないように。心から君を祝福し、主において抱きしめる。
君の V.チマッティ神父
Ghetti Giorgio ゲッティ・ジョルジョ先生へ
(生まれ故郷Faenza の医者、友人であり恩人である)
宮崎1927年1月13日
尊敬すべきゲッティ先生
ご公現祭の1週間後に届いた12月19日付の、クリスマスと新年の祝いのお言葉に対して心から感謝いたします。頂いたご恩に対して他に報いる方法がないので、毎日、先生とご家族のために、心身とものご健康でありますようお祈りしています。
私に関しては万事順調です。多くの友人のお祈りのお陰で、新しい環境に慣れることには困難がありませんでした。ここの気候は、すべての面でイタリアより忍びやすいです。イタリアより変わりやすいのですが、暑さも寒さも余り気になりません。これは、私の母が小さい時から甘やかさなかったことによるのでしょうね...。
食生活に関しては、他人の健康を預かっているので、できるだけ洋風にしています。そのため、庭には野菜を作り、鶏、ウサギを飼っています。ぶどう酒も牛乳も手に入り、家でパンを焼く設備を整えました。私ひとりだったら、喜んで和食にします。大好きです。近いうちに巡回宣教が始まり、その時は、それでいくつもりです。ご飯、魚、野菜といろいろな果物、また日本茶です。日本人と一緒にいれば、当然、適応しないといけません。正直に言って、最近、ぶどう酒の代わりにお茶を飲むことにしています。質の問題もあるでしょうが(南アフリカやフランスのぶどう酒です)、少し飲むと(値段が高いので、コップ一杯しか出しませんが)、頭がフラフラして、関節にリューマチの痛みを感じます。お茶を飲めば、とても元気です。ここでは、それを飲む習慣がありますので、いいと思います。
先生が考えていらっしゃる「宣教師のための講演会」のことは感謝いたしますが、今のところ、どのように協力したらよいかまだ分かりません。今まで、この大変な言葉を学ぶために私たちは閉じこもった生活を送り、余り回ることはできず、日本の国民を余り知りません。先生が求めていらっしゃる本はありますが、私にも分かりにくい日本語です。一般の知識なら、イタリアの本にもあります。来年にならなければ、どこまで先生に役立つ資料を探すことができるか分かりません。ここに同封したページは、現時点においては、私のできる僅かな貢献です。出典が分かっていますので、内容について保証できます。
何よりも、次の大切なことを念頭に置いていただきたいのです。日本人は耳が良くて、自分たちについて言われることは、特に公なら、全部知っています。警察の組織は一流です。内外どこでも大変な権力を持っています。宣教師の立場からみて、言葉に最高の賢明さが必要です。友達同士で言えることは、公には言えません。
具体的に申しあげますと、
1.日本は、異教の国なので、ローマ時代に異教がもたらしたと同じような堕落、特に性道徳に関して、特に裕福な人たちの中に見られます。すべての町には(宮崎にも)、私たちが想像できないほど、公の売春の家があります。結果はお分かりでしょうね。女性は、まだ奴隷のような状態です。第三者が結婚を決めることはよくありますから、女性が不幸のどん底に落とされることは多々あります。
2.この国の風土病は、特に脚気(かっけ)、ハンセン氏病、アルコール依存、マラリアと胃腸病、特にチフスです。先生は、私よりもその原因がお分かりでしょう。栄養不足の他、性的堕落、アルコール飲酒、飲み水の不十分な管理などがもたらす結果です。
アルコール中毒は、特に北日本でひどいようです。北海道の先住民のアイヌという民族は、そのために既に絶滅してしまいました。ここで飲まれるのは、特に日本酒です。それは、イタリアのぶどう酒と同じ形のアルコール中毒を次第にもたらします。
町には、火災予防のための溜り水を貯蔵している他があり、生活汚水も下水に流されています。そこから何が生じてくるかは明らかです。
日本の法律は、父親の認知に関して明確ですが、それでも捨て子が多いです。離婚、優生の考え方(一昨日の新聞には奇形児を処分すべきだと教えられていた)、そして、翻訳されているフランス、ドイツのあらゆるひどい小説も上記の状態の一因となっています。
ハンセン氏病患者は、公立病院の他に(日本人は、自分たちの病人を世話しないと言われたくはないので)シスターたちが運営する病院に収容されます。残念ながら、その数は少ない、規模も小さいです。孤児についても同様です。私は、まだ現状を十分に把握していませんが、宮崎で見たところでは、森の中の貧しい小屋に放置されている病人もいます。
日本には、階級制度による差別がまだ根強いです。
聞いたところでは、東京の近くの町に、籠に入れられて、少女を売り飛ばすところがあるそうです。彼女たちは、家族を支えるために身を売るべきだと教えられています。
迷信については、切りがありません。病気に関してはよく分かりませんが、特に期日の吉凶については多いのです。
日本の家屋はほとんど木造です。そのため、ネズミや虫の巣になりやすく、衛生は欠かせません。人々は、着物を着ますので、あまり下着を使いません。しかし、家の掃除は徹底されていて、ほとんど毎日お風呂に入ります。けれども、公の清掃は余り行き届いていません。なお、貧しい人々は、不潔な状態に住んでいます。
これらの情報は、医者の立場からみて、すべて興味あるとは限りませんが、私の置かれている状態をお知らせするためです。(略)
今までのことはありがとうございました。チマッティ神父ができないことは、イエス様、扶助者聖母とドン・ボスコが報いてくださるでしょう。義兄とご親切な奥さんによろしく。私に代わって、天使のようなお子さんたちにキスしてください。いつも先生を思い出している私のためにお祈りください。
敬愛を持って V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ総会長様へ (前出)
宮崎1927年1月29日
親愛なるパパ、リナルディ神父様
日付からお分かりのとおり、私たちの保護者の祝日にこの手紙を書いています。〔注.当時、聖フランシスコ・サレジオの記念日は1月29日になっていた。〕この日を選んだのは、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコを祝う日に、神父様や私たちの修道会との一致を示し、皆に代わって会憲とドン・ボスコの精神に忠実でありたい決心を更新するためです。保護聖人とドン・ボスコの祝福を得るため、この日にこの手紙を書き始めましたが、後に申し上げます報告をこの手紙に添えるため、今日、出さないことにいたします。
まず、私個人の報告。
1.健康 あらゆる面で良好です。ぶどう酒の代わりにお茶を飲むことにしました。健康には最高です。寒さは忍べますが(最低-7℃)、一部の会員に必要だから、足を温めるため、ここで使われている湯たんぽを買うことにしました。とても良いです。
2.勉強と仕事 相変わらずです。2月、3月から仕事が増えます。否、新しい状況のため、仕事が変わってくるだけです。
3.会憲の遵守と務めのこと できるだけやっています。私の傲慢な心は逆を思わせようとしていますが、どうも、私は、目上の職に向いていないと感じます。まあ! 神様が考えてくださいますよう! ドン・ボスコの精神を実現することは私の理想ですが、私自身どれほどそこから離れていることでしょう! お祈りでお助けください。
4.信心業 いつものとおり、努力を続けます。
5.誓願の遵守 私は感受性を抑えないといけません。けれども、我が主よ、私に余りにも優しい心をお与えになったのですから、どうすればよいのでしょうか!
6.愛徳 皆と仲良くして、心から皆を愛していると思います。
会員について(略)
カヴォリ神父 健康状態に上下があり、皆の前で、夜驚症を感じることがあり、1人では寝られないと言っています。良いことでしょうか、悪いことでしょうか! まあ、どうなるかを見ましょう。一応、能力があり、良い方です。しかし、眠れないとき、いやいや神経質になりがちです。午前中の勉強から免除しました。高く評価しています。
マルジャリア神父 健康状態に上下があるのは、おそらく、早く食べすぎるので、胃がもたれているためでしょう。日本語は良くできます。霜焼けができました。議論のとき、自分の意見に執着し過ぎます。とても良い方です。
リビアベーラ神父 夜、寝ながら、持病の発作がありました。心配し過ぎる性格です。彼も、霜焼けができました。とても良い方です。
私の親愛なるパパ、一生懸命に働きながらすべてを神様に委ねるべきだということを、皆に解らせるのは、なんと難しいことか! もしかしたら、私自身、他人に説得できるほどこの徳を身に付けていないためでしょう。(略)
主は、お望みのままに、1歩1歩私たちを導いてくださっています。ご安心ください。特に、この私に対する主のお計らいは、なんと素晴らしい。言葉が無いほど驚いています。これほどのお恵みにふさわしく応えられますよう、お祈りください。心から祝福をお願いいたします。
あなたの子 V.チマッティ神父
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ総会長様へ (前出)
宮崎1927年1月30日
私たちの親愛なるパパ、リナルディ神父様、
やっと、私たちの立場についてより明確にお知らせすることができます。教区の司教代理と共に、次のことが決まりました。
2月1日、正式に宮崎教会に入る。20日は中津に、3月10日は大分に。神に感謝!
使節閣下の祝福に、神父様のお祝福もお加えください。私たちには本当に必要です。私たちは、準備不足を自覚してはいますが、この大変な言葉が話せるために少し水に飛び込まないといつまでも泳げないでしょう。私たちとしては、最善を尽くすつもりです。行き届かないところは、扶助者聖母マリア様とドン・ボスコが補ってくださるでしょう。むしろ、彼らがなさった方が良いのです。彼らがなされば、きっと、うまくいきます。
29日、タンギー神父とピアチェンツァ神父は下見と最初の折衝のため、中津と大分へ行きました。報告をここに添えておきます。その日、私は宮崎で聖フランシスコとドン・ボスコについて講演をしました。日本では、サレジオ会についての最初の講演です。神様のお計らいにより、私たちの聖人の記念日に、サレジオ会の活動が始まったわけです。
私たちの修道生活に関しての情報。
1.これからも、平常の時間割に従い、信心業を中心とします。
2.午前中、授業2時間を続け、20日まで尋常小学校の教科書第12巻を完了できると期待しています。この12巻を身に付ければ(その中の2巻を暗記しました)、大部分の日本人が修得していない話す書くための大切な手段を手に入れたことになります。私たちのほとんどは既に「公教要理」と他の本も読み、日曜日の説教も大体準備しました。足りないのは話す練習です。これも数ヵ月でいくらか楽になるでしょう。神父様たちは、ゆるしの秘蹟を授けるために「良心の究明の手引き」の用語を覚えるために一生懸命です。幸いに、信者たちもこれに基づいて告白します。彼らにこう言いましょう。「私たちが分かるのは、これだけです」。その中に神学全部入っています。主の名において出発しましょう!
はっきり言って、私たちが1年間これらの本を覚えてきたのはよかったと思います。他の方法に従ったならば、もっと話せたのかも知れませんが、読むことはできなかったでしょう。読むことができれば、自分でやれる鍵を握っているので、より遠く進むことができます。これによって、将来の道が開かれたわけです。それにしても、高ぶってはいけません。十分に日本語ができるには、あと2年、真剣に勉強しなければなりません。でなければ、竹馬に乗って歩くときのように、自信を持つことはできないのです。
日本語は、話すのも書くのも難しいです。私たちの言葉と共通点がなく、勉強した数千の単語の中、2つだけイタリア語に似ています。「パン」(日本にはないので、日本語ではありません)と「たんと」(これは、イタリア語と同じように「たくさん」の意味です)。結局、何千語も暗記しないといけないのです。文章の構造も随分変わっています。少しラテン語に似ているところがありますが、敬語や強調するための表現は、数え切れないほどあり、とても長がったらしい言い回しを使っています。
3.健康に関しては、避けられない小さな不調を除けば、すべては良好です。朝-7℃ですが、梅がすでに咲いています。でも、ストーブは考えられません。ああ、日本の火災の恐ろしいこと! 風があって、1つの家から出火すれば、逃げるしかありません。一昨日、県内の火災で5000人が家を失いました。宮崎市の近くでも、1000人が同様でした。夜、人が回って太鼓で火の用心を呼びかけますが、木造、しかも脂を含んだ木造の家を想像してみてください。火の勢いは言葉で表現できないほどです。
4.これからは、共同体が分かれて新しい生活に慣れるまでは、いくらか乱れが生じるでしょう。そのため、しばしば会員を訪れ、祈りと勉強の時間を守るように勧めながら指導したいと思います。状況を把握するため、それぞれに役割を与え、単調になりがちな最初の生活に変化を持たせ、孤独を避けるようにしたいと思います。
次は、興味ある幾つかの情報。
- 掛け物の展示会を見てきました。部屋に飾る額に当たるものですが、和紙か布かに描かれた、細長い形のものです。これを見て、日本画を少し理解できました。非常に丁寧で、自然の捕らえ方も詩的で、慎み深いものです。(略)
- 奄美大島の女子校校長、フランシスコ会員カリスト神父と話す機会があって、そこでコンサートをやってくれと頼んできました。(略)おもしろい情報を話してくれました。
a)新しい天皇陛下はカトリックに対して好意的です、と。
b) 以前の天皇陛下と違って、伊勢神宮への参拝をご辞退なさった。そこには、ご神体は存在しない、とおっしゃったそうです。
c) 仏教とプロテスタントは、新しい宗教法に対して猛烈に反対しているそうです。(略)
残りのニュースは、ピアチェンツァ神父とタンギー神父が戻ってからにしましょう。(略)
これからは、イタリアのBollettino Salesiano サレジオ・ニュースのため、定期的に寄稿するつもりです。ただ、次のことを念頭に置いてください。- 日本人は、私たちの書くことを読み、すべての情報を手に入れている。警察は、欧米人がやることをすべて知っている。びっくりするほど、上手に、丁寧に情報を手に入れる。私たちが余り外に出なくても、彼らは私たちが何を食べているかも知っている。もしイタリア語が分かれば、私たちが話すことまでも知るようになる。したがって、この素晴らしい国については、良いことを言うか、あるいは黙る。イラストも、日本人が格好良く見えるものだけを記載する、と。
このとおり、私も次第に日本人になってきましたね! 私の説教を聞けば...! 日本の文書には、必ず、お月様のこと、小鳥のこと、桜の花のことが出てきます! 先日、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコの説教には、私も、良い日本人として、「フランシスコは、小さき侍でございました」。「春が近づき、梅が咲き、お子さまは花のように美しゅうございます」と言いました。笑わないでください! 私も日本人になったのです!
ピアチェンツァ神父とタンギー神父が中津、大分から戻ってきました。口頭で受けた報告によれば、次の状態です。別紙で、それぞれの手紙を添えます。
1.現地は、放ったかされた状態で、宣教師の報告を聞いてもはっきりしません。正直に言って、宮崎のことも把握できません。したがって、信徒と接して、信仰教育を深め、教会に通うための便宜を計り、根本からやり直さなければならないのです。
2.家屋の手入れも放置され、何年も何もしていない、と。木造の家は、毎日目を配る必要があり、私は宮崎のお御堂の窓を全部点検しました。中津の家を借りていた人は、電球、床、鶏など、全部持って行きました。大分の人も自分が所有している建物を持って行くと言っています。日本には、驚くことはありません。転居する良い場所が見つかったら、家を分解して...そのまま持って行くのです。大分の神父様は(宮崎もそうするでしょうが)、自分の所有するものを持って行くと言っています。あるいは、家具などをそのまま教会に売却するでしょう。
結論。 去年持ってきた資金がほとんど底をついていますので、予測しなかったこれらの緊急な出費のため、それに相当するご協力を必要とします。ここは、期待できる収入はありません。この手紙が着くとき、私の財布はもう空っぽになっているでしょう。良いと思われる方法でお助けください。銀行では、アメリカ通貨が交換しやすいです。
17日、18日頃、会員を中津教会へ案内し着任させます。その後、大分の番です。そして、私たちだけになります...否、イエス様、マリア様、ドン・ボスコが一緒です。数多くの良い方の祈りのお陰で、働くことになるのでしょう。
ご覧のとおり、聖ヨゼフに捧げられた中津教会の仕事は、その祝いを準備する月が始まる日に開始されます。大分も、聖フランシスコ・ザビエルが列福された9日間の間です。聖フランシスコは、そこで働いたのです。宮崎は、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコの日に始まりました。ここまで漕ぎつくのに、どれほど苦労したかをよく知っている私は、このことに御摂理のしるしを見ています。これも、私たちが頼りにしているイエス様とマリア様の愛とお導きの新たな証拠です。もし、私たちが愚かにも傲慢にならなければ、マリア様はお母さんとして今後も導いてくださるでしょう。
もう一度お願いです。私たちのためにお祈りください。サレジオ会の名誉にかかることですから、特別なお助けを必要とします。いろいろな意味で、多くの人々は日本のサレジオ会の事業に注目しています...。よくご存知のとおり、私が必要としているのは、祈り、物的援助、良い勧めです。お祝福をもって、特に私をお助けください。主において神父様を抱きしめます。
あなたの子 V.チマッティ神父
後書 - ノビレ将軍〔注.飛行船で最初に北極地点に着いた有名な探検家〕が東京に着きました。すべての新聞にそのニュースが載りました。私たちも伝統に従って電報を打ち、親切な返事をいただきました。宮崎を訪問してくれるとのことです。
聖ヨゼフのお祝いを申し上げます。
