LA CARTA DELLA MISSIONE DELLA FAMIGLIA DI DON BOSCO

6.予防教育法

 ドン・ボスコは、ある霊的家族の創立者としての賜物を生き、すべての人の救いという夢の具体的な
表現として、いくつかの会を興した。彼は私たち皆に、豊かな相続財産として、予防教育法を残した。

 予防教育法は、サレジオ家族の体験の中で、次のことを意味する。
・人間性向上への取り組みのあり方
・教育的・使徒的活動の内容の選択
・フランシスコ・サレジオに触発された活動の使徒的霊性



第2章 新たな宗教的・文化的状況におけるサレジオ家族の使命

7. 使徒的取り組みはサレジオ家族にとって挑戦である

 第二バチカン公会議の教会は、教皇と司教シノドスの教えを通して、また贖いの大聖年を通して、世
界中に救いを宣べ伝えることに、熱意をもって新たに取り組むよう、信徒たちの共同体を促している。

 サレジオ家族は、家族を構成するすべての勢力の刷新と交わりの歩みにおいて、その宣教・使徒職
を効果的に生きるため、いくつかの基本的選択をメンバーたちに提供する。

 それは、ドン・ボスコの体験の、いくつかの特徴的直観に始まる。

8. 善良な市民、よいキリスト者

 この表現は、教会と社会における自分の活動の目的を定義するため、ドン・ボスコによってしばしば
用いられたものであるが、ドン・ボスコの時代とバルドッコの体験の枠を超えて広まっている。

「善良な市民、よいキリスト者」という表現に込められた内容は、伝統的であると同時に新しいもので
ある。

 それは、生活の倫理と行動における、変わることのない価値の変遷の過程に参与することによって、
近年、現れてきている社会の新しい秩序に協力したいとの願いを示すものである。

 この表現は、社会が表明する新しい秩序の価値を認める。
生まれつつある新しい文化の豊かな価値と、人類社会に、より幅広い、より安定した福祉を実現する
ために行われている努力とを認める。
 人々、特に最も困窮する人々の抱える問題や期待の光に照らして刷新されつつある、宗教的運動
の持つ力を認める。

 したがって、この表現は、ドン・ボスコの教育的宣言を総合するものである
 総合は、ただ単に簡潔な表現にまとめるということではなく、第一に、日々の生活の中で統合されて
いるものを分断してしまうことを避けるために行われるべきである。
 私たちは皆、市民であると同時に、信仰者でもある。

 ドン・ボスコの直観は、この二つの概念が相互依存的であることを示した。
 市民のまっとうな生き方は、福音的価値への忠実につながる。
 よいキリスト者の生活は、市民としての社会的方正さの土台である。

9. サレジオ的ヒューマニズム

 ドン・ボスコの言葉のうちに即座に読み取れるのは、人間性に含まれるものはすべて受けとめるという
姿勢である。

 まず第一に、善良な市民、よいキリスト者を目指すということは、人間の尊厳を重んじるということであ
る。
 第二バチカン公会議は、現代世界憲章で次のようにはっきりと述べる。「地上に存在するあらゆるも
のは、その中心および頂点である人間と関連づけられなければならないということについて、信ずるも
のも信じないものも、ほとんど意見が一致している。」(現代世界憲章12)
 教育者と使徒たちには、若者が持つ可能性を呼び覚まし実践を促す務めがある。その可能性とは、
知識と理性の能力、授かっている多様な感情・情緒、強められた自由擁護の意志である。
 それに加えて、サレジオ的ヒューマニズムは、あらゆる日常の現実に目を向ける。仕事や文化、友情
の喜び、市民としての義務、自然環境、個人的あるいは社会的教育、専門的技能、行動や選択におけ
道徳的誠実さなど、生活を構成するあらゆる現実を、守るべき価値、普遍的体験として成長するのを助
けるべき価値として見る。
 サレジオ家族の歴史における人間性向上の取り組みは、個人の体験を形作る日常的な現実を重視
するものである。

 さらに、サレジオ的ヒューマニズムは、日常生活に意味を与えるという観点のもとで発揮される。

 教育は、ドン・ボスコの言う、道理、信仰、慈愛を通して、個人の体験を未来への希望で満たすことを
目指す。
 サレジオ家族のすべての会によるサレジオ的・使徒的取り組みは、その固有の使命、効果的な介入
の仕方、働き手の霊的な選択の内容である、教育によって定義づけられる。

 最後に、サレジオ的ヒューマニズムは、すべての人が社会、教会の中でそれぞれにふさわしい場を
見いだせるように助けることを目指す。
 一人ひとりの召命が、人生において最も大切なものである。
 私たちは、自分のためではなく、他者のためにこの世に置かれ、隣人への奉仕となる固有の使命に
結ばれている。

 忘れてはならないのは、常に、そして何事においても、福音的をもって働くという差し迫った必要
性である。
 信仰を持つものは、若者や高齢者、奉献生活者や信徒・協働者、男性や女性、それぞれがさまざま
な方法で愛徳の賜物を表すことができる。ある人たちは施しによって、別の人たちは教育活動を通して、
またほかの人たちは、宣教者として自分を献げるに至るほどの福音宣教の取り組みによって。

10. 現代における人間の尊厳のための取り組み

 サレジオ家族の使命の目的は、今日の社会的、宗教的状況の中で、「善良な市民、よいキリスト者」
という公式の簡潔さのうちにも、複雑なものになっている。
 歴史的、文化的、宗教的な要因のため、使徒的活動は容易ではなくなっている。

 ヨハネ・パウロニ世の回勅「救い主の使命」は、使徒として生きる者のさまざまな疑問に応える。
 世界各地で生活するサレジオ家族は、この教会の文書が視野に入れているさまざまな状況につい
て注意深く読み、より深く研究する必要がある。

 ドン・ボスコは、協力者たちに、「時代の要請に応じて」実践される愛徳をもって働くようにと促した。
 時代の要請は、実際に、使命の目的に具体性を与える要件である。
 ここに、いくつかの可能性をあげてみよう。

11. 地域における有効性

「善良な市民、よいキリスト者」を評価するための主な基準は、地域において有効な存在であるかどう
かである。このことは、人々、特に若者の生活状況に、効果的に関わっているかどうかを意味する。

 私たちは、分かち合いのあかしを通して、あるいは人間性の向上を追求する際に起きてくる問題に
対する具体的提案によって、有効な存在となる。
 個人や組織との関わりの問題;さまざまな立場がある中で、またそれぞれの良心に調和して、呼び起
こされ促進されるべき人間的・道徳的価値の問題;過去の体験と将来への見通しに基づいて見いださ
れるべき新たな解決;擁護されるべき権利。特に、弱い人々、より危険にさらされている人々の権利;教
育政策が立案される政治的分野で有効な存在となること、また福音的、サレジオ的価値に養われた世
論を育むための力の結集などの問題である。

 効果的であるためには、さまざまな地理的・文化的状況において、それぞれに合わせた適用を行う。
 さまざまな場で同じ事柄を要求することはできない。
 多様な人々に同じ歩みを指し示すことはできない。

l2. 最終目標を漸進的に追求する

「善良な市民、よいキリスト者」は、すでに到達した成熟を表す表現である。すなわち、真理全体と、
個人の責任ある自由に対する開かれた姿勢をである。

 サレジオ家族に所属する各会のメンバーは、教育的プロセスに対して注意深くあると同時に、目標
に向かう過程を活性化しフォローする心構えを持つ。

 したがってその過程は、漸進的なものでなければならない。
 サレジオ修道会の会憲は、その必要性を明確に述べている。
「私たちは神の忍耐にならい、青少年が達している自由の程度に合わせて彼らと付き合う。彼らの自
覚が成熟し、強まるよう、また、人間性と信仰の微妙な成長過程において段階的に責任を負っていくこ
とができるよう、彼らと共に歩む。」(会憲第38条)

 教会はこれまでに、いくつか明確な宣言をしている。ここでそれを取り上げるのは有益である。使徒
的勧告「現代における教理教育について」は、次のことを私たちに想起させる。

・「そのあらゆる不変性と力をもって」伝えられるべき内容の完全さ。
・提示する内容を組み立てる際に必要なバランス
•それぞれに必要な重きを与えられた、さまざまな部分の有機的関係
•特定の事柄を、基本的なもの、条件づけるものとするような、それが他の事柄と持つ階層的な相互
関係。

言葉の使い方。内容の豊かさがよりよく理解されるようにとの純粋な配慮から生じるもの。

 予防教育法の正しい適用は、福音宣教の要求に応えるものとなる。なぜならそれは、完成されたも
の、明確で有効なものだからである。

l3. 力の結集における補完性

「善良な市民、よいキリスト者」は、絶えずより深く見いだされてゆく内容の豊かさを提示する。
 教育の体験を通して、その目的を実現するには、多くの活動の協同が不可欠であることが明らかにな
る。それは特に、今日においてそうである。

 同じ人生の諸問題に関して、拠り所となる場が同時に複数存在すること;現代文化における人間の
見方の多様性;今や多極的になったコミュニケーション手段を通して、同じ一つの話題を扱うメッセージ
が無限に発せられていること;こういったことは皆、教育的プロセスをより幅広く、より綿密に計画するこ
を求める要因となっている。
 多くの勢力が関わっているので、共通の目的に達するため、それらを調整しなければならない。

 さまざまな会を抱えるサレジオ家族は、最良の方法で多様な教育の分野に及ぶことができる。その
際、それぞれの会のアイデンティティーと、使命を遂行する独自の方法から出発する。
 そのとき、各会の違いの豊かさと有効性は、より深い、より本質的な交わりのうちに保たれる。

l4. 福音化を通して教育し、教育を通して福音化する

 これは、ドン・ボスコのサレジオ家族の使徒的取り組みの、第二の公式である。
 このことについては後に、使徒的活動におけるサレジオ霊性に関する章で考察する。
 これに言及することによって、さらに新たな要素を強調することになる。
 サレジオ使命の一致のためには、家族の構成員が混成であるため、遣わされた者たちが内的な一
致を生きる必要がある。
 言葉を換えれば、サレジオ家族のメンバーは教育、特に若者の教育を、福音化に向けて開かれたも
のとすることのできるものである。
 中途で止まるなら、教育をしたとは言えない。提示した内容に関してであれ、あるいは生徒のうちに
 目覚めさせたいと願う責任や、教育と福音化の内容であれ、私的・個人的利益に止めるならば、教育を
したことにならない。
 私たちは使徒として、福音の宣教が日常生活から遊離することがないように、現実の問題に対して答
えを示すことの重要性を認識しつつ、いかに福音宣教を教育の要求に対して開かれたものとするかを
わきまえなければならない。



第3章 サレジオ家族の教育的・司牧的使命の挑戦

l5. サレジオ使命の心:da mihi animas, coetera tolle.

 私たちは再び、ドン・ボスコを振り返り、また彼の使徒的家族の体験を考察しながら、サレジオ的現実
の中心から出発する。
 Da mihi animas は、画期的事件のようなものである。
 この言葉のうちに、サレジオ霊性の全体が込められている。私たちの卓越したサレジオ的印である。
 それは、使命によって求められていることを浮かび上がらせる。
 それは、使徒の熱意を表現している。
 それは、すべてを救うためにすべてを失う用意のある使徒的愛である。

 会憲の文書は、ドン・ボスコの言葉”da mihi animas”に関連して、私たちが「神の愛のしるし、運び
手」であると言う。
 より直接的な表現で、次のように言うことができる。「すべて、全くすべてを、キリストに、そして若者た
ちに、われわれの命さえも捧げるまで。」 (Anastasio Ballestrero枢機卿,Don Bosco prete per i giovani,
Editrice ELLE DI CI,1987, p.37)

l6. 生活のもたらす挑戦を受け入れる

 私たちの使命が対象とする人々の生活と日々の体験の中心に達する能力を持つために、私たちは、
彼らの現実の中に入らなければならない。今日、それは、特に矛盾や対立を抱えた現実であり、その
中に入るのは、彼らと共に歩み、分かち合い、助けるためである。
 キリスト者の活動における最も緊急な問題は、現代の文化から生じてくる。中でも次の事柄に関連し
ている。

・複雑な状況
 これは宗教的体験を含む生活のあらゆる場面に及ぶ。
 同じ場に、多くの宗教が同時に存在する。
 その中で、私たちの使命は、数多くの運動や意義のある思想との関係、出会いを持つものとなる。

 青少年は、宗教に対する無関心、反対へと、ますます頻繁に引き込まれようとしている。そのような状
況には、信仰を、なすべき選択と関係のない私的なものに制限してしまう危険が伴う。
 このことは、倫理的指針の喪失につながり、サレジオのカリスマにとっての挑戦となる。サレジオのカ
リスマは、教会の中で青少年の教育にあずかり、青少年が受け入れなければならない人生・命、また人
と人との人格的関係に関わっているからである。

l7. 家庭の社会的なもろさ

 現代の社会・文化の流れは、家庭の発展に寄与するものがない。
 教会は、いくつかの基本的な真理を信徒に想起させる。
 -社会、および教会そのものの発展は、家庭にかかっている。
 -家庭は鍛錬の場であり、人間的成長と真の連帯を体験する最初の場である。
 -神の御計画によって、家庭は大いなる賜物である。その始めら、唯一独自の価値を持ち、祝福さ
れており、命と愛を育む場である。
 ドン・ボスコからインスピレーションを汲むものは皆、今日の状況に挑戦を与えられていると感じる。な
ぜなら、教育的機能、愛と命を迎えることのために青少年を準備する場、人間同士、また異なる人々の
間の連帯を学ぶ最初の学校を、家庭のうちにみとめるからである。
 サレジオ家族のメンバーは、信徒・協働者も聖別奉献者も、家庭がますます明らかな形で「小さな教
会、家の中の教会」となるように、家庭に尊厳と堅固さを与えるため、明確な取り組みを行う。

 みとめるここで、私たちは、生命が生み出されるダイナミズム、人間の命の成長、人間を不当に利用
することなどに関する、新しい問題に取り組むことになる。
「生物学、医学の大きな発展は、技術の驚くべき力とあいまって、今日、新たな責任を伴う数々の可
能性を、人間の生活の最前線においてもたらしています。」(ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告「信徒の召
命と使命」n.38)

l8. 教会と社会における女性の役割について、新たに意識を高める

 サレジオ的生活の体験は、多くの女性の重要かつ効果的な貢献によって生まれ、豊かにされている。

 母マルゲリータの教育がなければ、ドン・ボスコは、予防教育法を考案することはできなかったであろ
う。
 マリア・マザレロは、ドン・ボスコの体験に女性らしい趣を与えることができた。
 フィリッポ・リナルディ神父のもとに集まった最初のドン・ボスコ・ボランティアは、在俗で奉献された女
性の生き方をサレジオ家族にもたらした。
 今日、サレジオ家族のさまざまなグループに所属する女性は、自然な女性らしい能力を兄弟たちと
分かち合っている。
 世界で起きているある変化は、女性の尊厳と召命に関して明確であることを私たちに求める。ここで、
第二バチカン公会議がその結論の中で述べていることを思い起こそう。
「今このとき、人類が深い変化を遂げている時代に、福音の精神を宿した女性たちは、人類が倒れる
ことのないように助けるため、多くを成し遂げることができる。」 (1965.12.8., Messaggio alle Donne)

l9. マス・コミュニケーションによる挑戦

 情報のための機器や手段は、かつてはプライベートなものと考えられていたあらゆることを、即時に
公開してしまう。
 あらゆる物理的な壁を乗り越えて、コミュニケーションとその内容、消費者に向けられた商品モデル
や提案は、生活のあらゆる面に侵入してくる。

 他方、コミュニケーション文化の新たな状況は、教育や福音化のために、以前にはなかったような計
り知れない可能性を提供する。
 今日において、マス・コミュニケーションは、文化や生き方のモデルを広めるための必須の道である。
 それは、若い世代の体験の重要な一部分である。

 ドン・ボスコは、マス・コミュニケーションの有効性について直観的に理解し、個人として、共同体とし
ての成長の手段として、同時に、庶民層の信仰を守る手段として、マス・コミュニケーションを活用する
仕事をサレジオ家族に遺した。

20. 連帯の新しい形

 個人同士、また民族などのグループの、相互に依存し合う構造が、現代世界における関係性を決定
づけている。それは、経済、文化、政治、宗教の領域に及ぶ。
相互依存への反応は、二通りありうる。それは、相反する二つの姿勢を生む。他を支配しようとするこ
とと、福音的奉仕である。
 後者を、連帯と言う。
「これは、世界各地のあまりにも多くの人々が苦しむ悪を目の当たりにして生じる漠然としたあわれみ
の気持ちでもなければ、表面的なやさしさでもない。
 むしろそれは、共通善のために働くという確固とした忍耐強い決意である。すなわち、一人ひとりの、
そして皆の善のためである。なぜなら皆がほかのすべての人に対して、真に責任を有するからである。」

 連帯は次のことによって表される。
 -サレジオ的アッシステンツァ。関連する多くの姿勢にのっとって理解され実行されるとき。
 今日、これを「隣人としての倫理」と呼ぶこともできる。私たちはそのために、個人的なふれあい、友
情と信頼のある関係を作ることに取り組む。若者、特に貧しく社会的に弱い立場にある若者の最も深い
期待に応えるためである。

行政・社会レベルの、また宣教活動の一環としてのボランティア運動。
 これは現在、若者や大人の間に広がっている。
 個人にとって、打ち込むことのできる意義深い召命としての可能性を持つ。
 人間性の向上・教育・司牧への取り組みの発展のために、進んで自分の時間を捧げることとして理
解され、人々を責任の分かち合いへと導く。

 -社会的・政治的取り組み
 このテーマは、よく説明する必要がある。
 サレジオ家族に所属する各会の会則には、サレジオ家族の一員であるかぎり、いかなる政党や政治
的組織にも関わらないとする文言があるのが常である。
多くの地域では、信徒の側に、公的な事柄に関する一定の懐疑的態度や無関心がある。
しかし、教会によって表明された二つの規範を銘記しなければならない。
・「人々に対する奉仕として、国家の福祉のために尽くし、またこの任務の重責を引き受ける人々の
働きを教会は賞賛に価するものとして高く評価する。」(第二バチカン公会議、現代世界憲章、第 75
項)
・「信徒は、『公的生活』に参加することを決して放棄するべきではありません。それは、すなわち、経
済、社会、法律、行政、文化のさまざまな領域において、有機的に、また制度として、共通善の促進
を目的とするものです」。(信徒の召命と使命、n.42)

新福音化
 第三千年期を準備するために教会がたどった歩みは、主の御言葉と個人および諸運動の召命に忠
実であろうとする取り組みを表すものとなった。
 サレジオ家族は、聖霊の声に耳を傾け、より深い司牧的・霊的な活動への呼びかけを聞いた。
・組織的要理教育を通して、私たちの使命が対象とする人々、また活動を担う教育者が、信仰を人
格に統合すること。
・日常生活における福音のメッセージ、そして受肉の神秘から起こってくる具体的な要求の双方を、
明確に表明すること。
・サレジオ的カリスマが持つ多くの豊かさを統合する、使徒職における兄弟的交わり。
・自分の人生に意味を見いだそうとしている若者と共に歩むこと。その人生の意味には、特別な聖別
奉献の召命をもって御国へと呼ばれる、神の賜物を受け入れることも含まれる。

第4章 使徒の霊性

2l. 霊性の地平

 カリスマから霊性が生まれる。
 霊性は、目に見える事柄だけでなく、物事の奥にある要因をも読むことのできる能力と共に、現実に
ついての新しいビジョンをもたらす。
 霊性は、具体的な愛のうちに、制限を設けない熱意をもって自らを他者に与えることを可能にする力
を、信じる者のうちに満たす。
 神との関係、被造物、歴史、兄弟姉妹との関係のための規範となる神の秘義の諸側面を示す。
また、存在全体を統合し、これに魂、中心、動機を与える。

22. 福音化を通して教育し、教育を通して福音化する

 これは、サレジオ家族が一致して生きる霊性を表現する典型的な公式である。
 またこれは、予防教育法を別の形で表現したものである。予防教育法の教育学的、方法論的次元だ
けでなく、霊性の次元を表現している。
 この公式は、霊性を、使徒職における生活と活動の統合をもたらす賜物として、また、聖霊へと導く
聖霊の実りとして理解することを助ける。
 これは、福音に本来備わっている教育的力のあかし人となることを、私たちに求める。また同時に、
私たちは、ドン・ボスコの霊的息子・娘として、教育が持つ福音化する豊かな資質を表すように呼ばれ
ている。
 この理由から私たちは、自分たちが、若者、特に最も困窮する若者、そして庶民層のための「神の愛
のしるし、運び手」であると言う。

 このことは、今日、サレジオ家族のすべての会にとって挑戦である。なぜなら、使徒職を単純化しよう
とする強い傾向があるからである。それは、時には生活の向上だけを目指すものであり、あるいはほか
の場合には、明確な形の福音宣教以外に何もしないという傾向である。

 他方、教育は、人間的、霊的レベルでこれまで表現することのできなかったものを表現するよう、私
たちに要求する。
 ゆるしの秘跡、聖体の秘跡を、恵みのしるし、教育の道具として考えることは、秘跡に対する新しい
見方をもたらす。

23. 善き牧者キリスト

 善い牧者のイメージは、人々、特に貧しく社会的に弱い立場の人々を活性化しようとするすべてのキ
リスト者に当てはまる。

 このイメージは、使徒の霊性の重要な二つの視点を指し示す。
 第一は、あらゆる種類の活動や取り組みにおいて、私たちキリスト者は、「イエスの名においてとどま
」ということである。
すなわち、私たちの注意、関心、努力の中心に、最上の価値として、人間を置くということである。そ
の人間に対して、私たちは限界を設けずに献身する。
使徒は愛するものである。全面的に愛し、偏見や留保なしに愛する。善き牧者は、迷った羊に対して
そのようにしたのである。
第二は、日々の生活に満たされた完全さと意味とを与えてくださる唯一の方として、主イエスを迎え、
主イエスによって生きることである。
主において、生活は不安定と空しさから救われる。
主は自由の保証となってくださる。ヨハネが言うように、中にとどまるか、去るか、主は私たちの自由に
任せられるからである。
主は連帯の模範であり、安全な青々とした野辺を私たちに差し出してくださる。
善き牧者のイメージは、私たちのサレジオ的体験を通して、霊的生活の内容・方法・計画を導くもの
である。
このイメージは、次のことを通して予防教育法の理解を新たにもたらしてくれる。
お互いを個人的に知ること。
司牧活動の中で出会う困難における励ましと楽観性のうちに表され、各自の状況に即して歩みを助
ける。
見知らぬ人々や外部の人に対する共感と具体的援助の姿勢を持つよう皆を招くことによる責任の共
有。

  1. ダイナミックな牧者の愛
    ダイナミックな牧者の愛は、ドン・ボスコ精神の心である。また、サレジオ的生活の実質であり、サレジ
    オ家族のメンバーたちによる使徒的取り組みの原動力である。
    「愛」という言葉は、人間の心が持つ力、教育者の共感、自分が役に立っているという喜び以上のも
    のを意味する。それは、キリストの御心そのもの、そして御父の予見するあわれみにあずかることだと言
    える。
    ドン・ボスコ9歳のときの夢は、これを示唆している。
    したがって、「牧者の」愛は、主イエスの魂のうちにあずかること、救いの使命、善き牧者が示したす
    べての人の救いへの任務にあずかることである。
    サレジオ的使徒の心において、この側面は、御父と御父の栄光への愛、救われなければならない兄
    弟、特に最も助けを必要とする兄弟ヘの愛を強める。
    「ダイナミックな」牧者の愛は、通常のレベルを超えてこれを生きる必要があることを表現している。活
    気にあふれ、人間の知恵にまさる少々の愚かささえもって生きることである。(1コリント1·25参照)
    サレジオ的な愛は、若者特有の革新的ダイナミズムにのっとったものである。型にはまったことに止
    まらず、若者特有の預言的な新しい側面を見いだそうとする。
  2. 活動の霊性
    聖フランシスコ・サレジオは、教会における新しい霊性の師として認められている。それは、活動と生
    活における神との一致の境地である。
    真剣に生きられたキリスト者の体験において、神との一致は三つの形で現れ得る。
    ・知的な形:神の計画と御業への賞賛から生まれ、信仰の道を照らす光として現れる。
    ・心情的な形:自らの命と能力を、主と御国のために捧げることのうちに力を見いだし、愛の熱意と熱
    心さのうちに現れる。
    ・活動と生活における形:日々の具体的な活動を源泉とし、注意深く心を込めて、備えのある心で頻
    繁になされる善い業によって養われる。
    聖フランシスコ・サレジオにとり、この三つ目の形が最高のものであり、人々の生活と教会生活におい
    て神の現存をとらえることに全面的に向けられるものである。
    サレジオ家族は、霊的家族の創立者として再びドン・ボスコにまなざしを向けながら、若者らしいレベ
    ルでの霊性と神秘性の要求を、単純でありながらも要求度の高い日々の生活の霊性という公式によっ
    て表明してきた。
  3. サレジオ的慈愛
    慈愛は、他者の必要に対して開かれるために、自らの自己中心を乗り越えることを求める。
    それは、真の意味で自分の殻から脱出することである。
    それは、大いなる愛、あらゆる誘惑を退ける希望、困難にあっても失われることのない信頼を要求す
    る。
    若者は、人間的・宗教的体験に関して、その時点でのあるがままの状態で受け入れられなければな
    らない。
    私たちは、若者たちが現在いる地点から、呼ばれている地点へと、彼らを導かなければならない。
    若者たちのうちにある善・正義•愛に向かう力は、それらを受け入れ、育てることのできる教育者を求
    めている。
    サレジオの教育者・司牧者が繰り返すのは、「キリストの愛が、絶えず私たちを駆り立てる」という言葉
    である。
    慈愛は、神の愛の目に見える人間的なしるしである。それは、ドン・ボスコの慈愛に出会ったすべて
    の人の心に神が生まれ成長するための手段となる。
    慈愛は、愛深い父、人間的体験のすべてを引き受けられたイエス、友として貧しい人々を愛し守られ
    る聖霊の顕れである。
    慈愛は、私たちが単なる感情に流されてしまうことのないように、道理と共にある。
  4. サレジオの祈り
    私たちは通常これを、使徒的祈りと呼ぶ。
    私たち皆にとってのその模範は、聖フランシスコ・サレジオとドン・ボスコである。
    伝統的な祈りの尺度でドン・ボスコを評価することは難しい。
    ドン・ボスコの行動を通して、彼がほかの聖人たちとは非常に異なるということがわかる。ドン・ボスコ
    は、並外れた継続的な活動を、深く単純で必要以上に長引かせない祈りに結び合わせた。
    当時、多くの同輩の司祭たちは、ドン・ボスコの事業やその量に、また形式の整った祈りをしている様
    子があまり見られないことから、あまり評価を示さなかった。
    しかしドン・ボスコは、そのやり方で続けて働くようにと、教皇の励ましを受けた。
    聖なる霊的な人としてのドン・ボスコの生涯について、三つの特徴を合わせて考えなければならない。 -生活の外縁と中心の調和
    外縁とは、ドン・ボスコの疲れを知らない活動である。
    中心とは、彼の神秘的観想として理解される。
    数々の事業のことに絶えず煩わされていたにもかかわらず、外縁が中心を乱すことはなく、中心が
    外縁にとって妨げとなることもなかった。
    調和は、フランシスコ・サレジオが教えたように達成された統合の表れである。 -ドン・ボスコの使徒的体験の、また霊的生活の師としての最も意義深い事業の名称そのもの、すな
    わち「祈りの家」を意味するオラトリオ。
    ドン・ボスコ自身、この名称が、オラトリオ活動の本質的な目的を明確に示すためのものであると述べ
    ている。
    またこの名称は、彼が創立した会の土台を表している。それは、祈りである! -ドン・ボスコが息子たちに求めたこと:よいキリスト者としての生き方を実践すること。
    神の御言葉の文脈の中で、ドン・ボスコの言葉を正しく理解することが可能となる。
    よいキリスト者としての生き方の実践は、信心の外面的な実践に止まらない。
    むしろ、はるかに幅広い地平を私たちにもたらす。それは、人生の終わりの審判の場面で福音記者
    マタイが描いたものである。
    よいキリスト者としての実践とは、神の御旨を求め、果たすこと、神の御国の建設のために祈り働くこ
    とである。
  5. 母であり教師であるマリア
    サレジオ家族の多くの会は、公式の名称にマリアの名を冠している。マリア、無原罪の聖マリア、扶
    助者聖マリア、女王マリア、マリアの御心などである。
    子ども時代、9歳のときの最初の夢を見て以来、ドン・ボスコはマリアを母、教師と呼んできた。それが、
    夢に現れた人によって示された呼び名だったからである。
    ドン・ボスコは、最初の教育体験において、その地方の教会の習慣に従い、慰めの聖母に信心を捧
    げた。
    慰めの祉によって守られていると感じることは、「貧しく、危険にさらされている」青少年の必要によく
    応えるものであった。
    少年たちを集めてバルドッコに落ち着き、一貰した教育と福音化の活動を行うようになったとき、また、
    世界教会が聖母の無原罪の教義の霊的な時を生きていたとき、ドン・ボスコは少年たちに、無原罪の
    聖マリアの姿を提示した。
    ドン・ボスコにとって無原罪の聖マリアは、人間として、キリスト者として成長する際に必然的にぶつか
    る困難を乗り越えるため、青少年にとって、最も効果的な教育者であると思われた。
    若者と貧しい人々の教育と福音化に取り組む使徒的家族の創立者として、また、自分の生涯におい
    ていかに「マリアがすべてをなさった」かを体験し、常に時宜にかなった助けを聖母から頂いたドン・ボ
    スコは、最終的に、キリスト者の助けなる聖マリアの称号による聖母への信心を提案し、広めた。
    ドン・ボスコが大聖堂のために望んだ絵、またその絵を描くことになった画家に与えた指示から、キリ
    スト者の助けなる聖マリアの姿は、教会の母としての神秘のうちに、また教育者、力強い助けとしての役
    割のうちに浮かび上がってくる。
    第5章使徒的使命への養成
  6. 一致して働く
    交わりは、第一の根本的な使徒職である。
    使徒は、他の働き手と共有する使命に向けての心構えがなければならない。
    現代の環境において単独であることは、失敗を招くことである。
    受けた賜物は、成長させ増やすために、培われなければならない。
    しかし、共通の計画や見方を採用できるようになることが不可欠である。
    どの家族も、一致のうちに生き、有機的な全体として働くようになるとき、家族となる。
    私たちは、同じ時に呼び集められ、共に派遣される。
    違いや特徴は無くされることなく、むしろ保たれ、強められる。
    使徒職の働きが分散することや、善い活動における個人主義は、福音的あかしと活動の効果とを減
    退させる。
    サレジオ家族の中では、司祭と信徒・協働者、修道者と奉献生活者、男性と女性、若者と大人が共
    に働く。
    各自は、多くの関係の中で自らの位置を認識し、それらの関係を兄弟愛のうちに築き上げ、ほかの
    人々のカリスマのために余地を保つことを学ばなければならない。
    若者と庶民層の利益である善は、各会の成長やイメージに優先するものである。
  7. 養成における協力
    サレジオ的生活の規範は、体験そのものが養成となるというものである。
    ほかに多くの可能性があることを認めつつ、養成における協力の二つのレベルをここにあげる。
    ・理論的レベル
    1 共に考えることを学ぶ。
    言葉を換えれば、次のように言うことができる。 -活動の組織において、自己中心や個人主義を乗り越える。 -ほかの人々と話し合いをしたり比べたりすることの恐れを乗り越える。
    -活動そのものの成功よりも、活動が向けられている人々の善に注意を集中する。 -他者に心を向けるため、自分を中心に置くことをやめる。
    2 共に働くために調整を行う。
    言葉を換えれば、次のように言うことができる。 -サレジオ家族の各会は、本使命憲章の内容を具体的に適用することに取り組まなければならない。
    そのために、次のことを行う。 -会合を持つ。 -共に、若者と人々の必要性に配慮する。 -効果的な使徒的・教育的活動を行うため、できるかぎり、共同で働ける領域を見出す。
    ・具体的レベル
    次に示すことは例としてあげるものであり、現実の生活ははるかに豊かなものである。
    創意工夫は、今でもドン・ボスコヘの忠実の貴重な実りである。
    次のことを共同で行うことは、多くの場で伝統となっている。 -黙想会 -林間学校 -錬成会 -アニメーターの研修会 -祈りの勉強会 -静修
  8. 若者の個人的・社会的状況に対して開かれていること
    さまざまな社会的・文化的状況からくる必要性や要求を認識しながら、個人一人ひとりの心と、その
    日々の体験の内容に触れることのできる力において、使徒的使命は達成される。
    「子どもたちが好きなものを好きになるように。子どもたちも、私たちが好むものを好むようになるため
    です!」この言業をドン・ボスコは今日も繰り返すであろう。
    愛を、単に機械的にとらえて生きることは決してできない。相手を捕らえ、自分の世界に引き込む道
    具のように愛を利用することはできない。
    それはむしろ、主の受肉の雄弁な表現である。主は人間的現実を愛され、個人一人ひとりの歴史と
    世界の歴史におけるダイナミックな力として、その現実のうちに入られ、すべてを完全な成就へと向か
    わせておられる。
    使徒は適応力がなければならない。
    決めつけたり偏見を持ったりしないこと、すべての人を温かく受け入れるために個人的な感覚を乗り
    越えること、若者たち一般の問題や考え方、期待を分かち合うことは、すなわち、教会が今日、すべて
    の宜教者に求めている文化受容を実現することである。
  9. 協力の方法を学ぶ
    教育的・使徒的活動には、尊重されなければならない原則がある。特に、多くの働き手が集められて
    いるときにそうである。
    これらの原則の実践を学ぶことは、各会がメンバー養成に費やす時間のかなりの部分を占める。
    •第一の原則は、統合調整の原則である。
    具体的な目的のために勢力が結集することは、決して自動的に行われることではありえない。その
    ためには、予測や計画を立てなければならない。
    効果的な統合調整のためには、各自が次の事柄を正確に把握していなければならない。 -取り組む問題 -効果的解決を得るための現実的可能性 -そして、与え、また受け取る意志を持っていなければならない。
    •第二の原則は、相互性の原則である。
    与え受け取るということは、ある人たちは常に与えるように呼ばれ、ほかの人たちは受け取るように
    呼ばれているというように、一方通行的な意味でとらえられるべきではない。
    相互性とは次のことである。 -相手が与えるものを喜んで受け入れる -相手の価値を認める -技術と能力を提供して協力する
    •第三の原則は、責任の共有の原則である。
    これは、第一と第二の原則から導き出されるものであり、主要な責任を引き受け果たす力から生じ
    る。
    司牧的責任を引き受けるということは、決して支配的になることではない。
    それは常に、神の国のための奉仕である。
    またそれは、他者の責任を認め、すべての人が共同の計画の中で積極的な役割を果たせるよう
    に、他者のために余地を残すことを意味する。
  10. 指導者としての司祭の特別な役割
    第ニバチカン公会議は、司祭を、神の民の導き手、教育者として示している。
    公会議文書は次のように述べる。「美しい儀式も盛んな会も、キリスト者としての円熟に達するよう
    人々を教育するものでなければ、たいして有益ではない。」(司祭の役務と生活に関する教令6)
    このことは、次の言葉を裏付ける。「したがって司祭たちは信仰における教師として、自分自身または
    他の人を通じて、信者が聖霊において、福音に基づく自分の召命の開花、誠実で実行的な愛、キリス
    トがわれわれに与えた自由に到達するよう配慮しなければならない。」(同)
    このように、サレジオ会司祭は、養成の分野における自らの最も重大な責任に呼ばれている。
    神の御言葉、秘跡、特に聖体、一致と愛の奉仕は、教会の最高の宝である。
    公会議が述べていることを言い換えると、次のように言うことができる。ある使徒的家族の霊的養成は、
    その根幹として、聖体の祭儀をすえることなしには行いえない。したがって、聖体祭儀は、ある家族の
    霊性を形作るようなすべての教育の出発点でなければならない。(同参照)
    サレジオ家族の各会は、常に養成の必要性を表明してきたが、このたびも、本文書を通して再びそ
    の必要性を示すものである。
    第6章サレジオの使徒的使命における交わり
  11. サレジオ家族における司牧的交わりの地平
    交わりは、次の二つの要素を中心に共有されるビジョンの観点から、なくてはならない重要なもので
    ある。
    ・使徒的使命の意義
    ・ドン・ボスコが私たちに残した幅広い使徒的領域の中での優先性の意識
    サレジオ家族にとって、使命は、次のような事項によって特定され、定義される。 -私たちの使徒的活動の対象である人々 -私たちの仕事の一般的•特定的内容 -私たちの活動と司牧的選択肢を活性化する精神 -活動を計画する固有で独自の分野 -私たちの司牧的存在と活動を表し、保ち、それに具体的表現を与える組織や仕事 -活動において創り出される教育的・家庭的な雰囲気
    したがって使命は、私たちにとって、物理的活動に止まるものではない。
    さらに、サレジオ家族は、次のことを明確に確信のうちに意識化する。 -サレジオ家族の使徒的遺産において、若者、特により貧しい若者と庶民が、主要な位置を占める。 -聖霊が私たちの世話にゆだねる人々の中に、教育的・司牧的存在としてとどまることは、サレジ
    オ・カリスマの重要な部分である。
  12. 司牧的自律性における交わり
    使徒的交わりは、サレジオ家族の兄弟的交わりのうちに、各会の固有の性格と自律性を力づけるも
    のとして理解される。
    1.私たちは、各会の自律性を再確認する。
    ここでは、使徒的自律性について語っているのであり、霊的なことだけではない。
    皆の働きは一律ではなく、皆が同じことをしているということはない。
    また、私たちは、違いを無くそうとするものでもない。皆があらゆることをしようとすれば、混乱と司
    牧上の不確実さを招くだけである。
    賜物を調整して共に働くということである。一つの計画のうちに、おのおのが独自の貢献をもたら
    す。それぞれに固有の持ち場がある。
    各会は、その構造も、具体的な使徒的能力も、他の会と同じではない。
    2.私たちは各会の独自性を大切なものと考える。
    それぞれの会の特徴を合わせて見るとき、サレジオ家族カリスマの豊かさがより完全に、より魅力
    的に現れる。
    現代の教育という分野の複雑さと若者の全人的成長という目標は、私たちを創意工夫へと、また
    同時に一致協力へと促す。
    各会それぞれの奉仕を利用するのは、若者の権利である。
    各会の独自性は、教会の豊かさの明確なあかしである。
    私たちの活動を有効なものとし、青少年の利益を目指す仕事において共に働く勢力を数多く増や
    すためには、自律性における交わりを求めなければならない。
  13. 司牧的交わりの目標
    各会は、キリストの福音の価値と共に、サレジオ家族カリスマの特質を広めるよう呼ばれている。
    その特質は、家族全体のものである。
    したがってそれは、特定の会の関心事に限るものではない。
    すべての会が、さらにメンバー一人ひとりが、譲り受けた霊的遺産の活性化と促進に対して個人的
    責任を負っている。
    したがって私たちは皆、それぞれが働く地理的に異なるさまざまな場で、また、それぞれが置かれた
    さまざまな文化的状況の中で、次の責任を受け入れる。
    ・現代の教育に関する問題
    私たちは、若者の教育に特別な意味で内在するもろさと力とが、認識されるように貢献する。
    ・予防教育法
    より人間的な社会、そして新しい世代にとってより模範となる社会のため、道理、信仰、慈愛は、今
    でも不可欠な支えであり、これまで以上にそうであると言えるかもしれない。
    ・サレジオ家族の霊性
    サレジオ家族のヒューマニズムは、一人ひとりの人を、最も素朴な人、社会の中で弱い立場にある
    人をも尊敬する。導く教育者がいるとき、人が絶えず成長することに信頼を置く。生きることの意味を
    探し求めるすべての人を励ます。サレジオ家族のヒューマニズムは、新しい愛の文明の前触れであ
    る。
    ・サレジオ運動
    ある意義深い現実を作り上げる人々と、そこから益を得る人々にとって、共に集うことの必要性は
    よく認識されている。
    ドン・ボスコは、教育画の中に多くの人々を巻き込んだ。ドン・ボスコは、少年たちの世話と彼らに
    関心を払うことを、あらゆるレベルで人々に求めた。
    幅広いサレジオ運動と数多くのほかの勢力との連携は、すべての人に役立つ捧げものである。
  14. 使徒的交わりの組織
    本文書は、今後、実践によって試されることになる。
    内容のさまざまな示唆は、各地で読み直し、具体的な適用の可能性を研究しなければならない。
    各会は、独自の計画を立案する際に、協力の側面とその実現のために可能な形とを考えなければ
    ならない。
    次のような場合に、協力と責任の共有が考えられる。
    •ある地域で、貧しい人々のための共通のプロジェクトを共に担う複数のグループの間で。
    ・役に立ち、使徒職にとって効果的である場合、同じ地域で生活し働くすべてのグループの間で。
    各会の間で頻繁に連絡を取り合わなければならない。それが、使徒職の責任の分かち合いに達す
    るための前提だからである。
    結び
  15. 三位一体への賛美のうちに
    「キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなた
    に、すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。」毎日、私たちは、意識的に、自らの意志をかけて信じる
    ものとして、聖体のうちに主の御業への信頼を新たにし、私たちの賛美を主に捧げる。
    サレジオ家族は、貧しくとも独自の貢献を果たしつつ、教会のうちに生き、働いているという認識を再
    確認する。「御名が聖とされますように、御国が来ますように、御旨が行われますように」との祈りが実現
    するためである。
    教会が求め、また指導する第三千年期への霊的準備は、すべてのキリスト者に、真実の生き方の本
    質を示す。それは、御父から生まれ、御子のうちに顕れ、聖霊によって保たれるものである。
    私たちの三位一体的な根源に立ち返ることは、交わりの緊急な必要性と、神の子らの輪、兄弟愛の
    輪を広げるための使徒的使命とを理解することである。
    私たちは神の愛を信じる。したがって、それを広めたいと心から望む。
    2000 年11 月25日ローマ